第4話
私に与えられた宿の一室で、元婚約者のフリード王太子は少しだけ考え込んでいた。
その時間は数秒であったが、少しくらいその笑顔の鉄仮面を崩すきっかけにはなっただろうか?
――どんな理由があろうとも、婚約者を蔑ろにしたのは貴方の罪であるという、私のキラーショットは。
「貴女の心を変える……か。確かに、そのままフィラー嬢が王妃となるとするならば、例え嫌われていても私は貴女の心を射止める努力をすべきなのだろうな」
「ええ! そうですよね!」
嫌っているのは自分なのに、一体何を力説しているんだろう。そんな言葉はを心のどこかに押し込んで、私はこの論戦に勝利するべく力強く頷いた。
「だが……その、失礼ながら、陛下はそのつもりだったようだが、私はフィラー嬢を王妃として迎え入れるつもりはなかったのだ」
「はぁ? そのつもりがなかったのにお城に押し込んで教育を強要していたってことですか? 舐めてんですか貴方?」
王命で無理矢理婚約者にしたくせに、責任を取るつもりはなかった発言。
これは流石にアウトよ。内なる荒んだ孤児の私が表に出てくる案件よ。
「もちろん、貴女が私を好いているというのなら私も考えただろう。……どうすれば失望させられるか、という方向にだが」
「……そんなに私が嫌なんですか? 生涯の伴侶にするのは絶対嫌だと? やっぱり、私が孤児だから?」
自分が拒絶するのはいいが、相手に拒絶されるのはムカつく。
ええわかってるわよ、そんなのワガママだって。でも人間の感情なんてそんなものでしょ?
自分が好かれていると思っている勘違い野郎に『私はアナタの事なんてお慕いしたことありませんけど』とか言い放つのは気持ちいいけど、言われるのは腹立たしいだけだわ!
「誤解しないで欲しいのだが、私は生まれで人を差別することはしない。無論、王族としてきっちり線引きをしなければならないところはあるが、個人としては人を生まれで差別するようなことはしたくないと思っている」
「じゃあ、何故私をそこまで拒絶するんですか? いや、別に好かれたいわけじゃないんですけど」
こんな風に詰め寄ると、何か私が振られたみたいで嫌になってくる。
誤解しないで欲しいんだけど、本当の本当に私は王太子のことなんて男としては何の興味もないんだから。照れ隠しとかではなく。
「……どうしようもない、王家側の事情だ。はっきり言って、聖女と王妃の両立は無理があるからね」
「……それは、どういうことですか?」
「聖女ではない私よりも貴女の方がずっとわかっている事だと思うが……結界を張るのだって、決して楽なことではないだろう?」
「それは、まあ、そのとおりですが」
山暮らしをしていたときのような小型結界ならともかく、国一つ覆う規模の大結界ともなれば維持するだけでも一苦労なのは事実。
だからこそ私はそんな苦労をさせておいて嫌悪の目を向けて来る王宮の有象無象に苛立っていたわけだし。
「その状態で、王妃として公務を……など、無理がありすぎる。どう考えても一人の人間のキャパシティを越えているからね。歴代聖女の手記などによれば……結界を維持するというのは、常に過酷なトレーニングでもしているような疲労と集中が必要なんだろう?」
「……でも、王太子妃教育はちゃんとやってましたよ?」
確かに、結界を張りながらの生活はかなりきつい。聖女の力に目覚めたばかりの頃は力を持つ高揚感で気にならなかったし、その後はずっと使いっぱなしで感覚麻痺してたけど、解放された今になって思えば常時腕立て伏せで一番きつい位置をキープしながら暮らしていたようなものだったとわかる。
それでもしっかり王太子妃教育なんて頭脳面でも過酷なことをやらされて……って、ん? よく考えたら――
「なんだ、その王太子妃教育なのだが……」
「というより、伴侶にするつもりも王妃にするつもりもないのに、何故私はあんな教育を強要したのですか? それも国王陛下の命令だったから仕方が無かったと?」
だとすれば、こいつはとんだ甲斐性なしだ。結局お父上の命令に逆らえず、私を過酷な地獄に落として一人涼しい顔をしていた畜生だ。
これは糾弾してもいい――
「……まあ、なんだ。確かに、正式に王命で婚約者となってしまった以上は教育を手配しないわけにはいかなかったな」
「やっぱり!」
「だが……落ち着いて、なるべく心を強く持って聞いて欲しいのだが……フィラー嬢。貴女が受けてきたのはね、王太子妃教育ではないんだよ」
「……はい?」
何を言っているのかしら? この王太子様は?
だって、あんなに難しくて難解なことを無理やり教えられて……
「貴女に与えたカリキュラムは……王太子妃教育とかの遙か手前、貴族子女の基礎教育6才用を参考にしているんだ……」
……6才? はい?
「決して貴女が悪いわけではない。むしろ、今までの境遇を思えば、そして聖女としての役割を果たしながらだと思えばむしろ優秀だと言える。しかし……それでも、どう考えても無茶なんだよ。今まで全く教育を受けたことのない人間にいきなり国家最高クラスの教養を、しかも重責を担いながら身につけるなんて」
「えーと?」
「私だって、王太子として物心付く前から厳しく教育され続けた結果今があるのだ。その甲斐もあって王太子教育は飛び級で終了させたり国政に携わったり聖女システムの研究に携わったりとできているわけだが、流石に10代半ばまで一切やったことがないのならばとても無理だろう」
「はあ?」
「まして、それが常時全力疾走しているような疲労とセットになっているともなればもはやできるわけがない。世界トップクラスの大天才でも難しい話だ。だから貴女に一切非はないということを念頭に聞いて欲しいのだが……教育係から聞く限り、そして月一のお茶会で評価する限り……今の貴女のマナーや教養は一般的な貴族子女の幼子レベル……なのだ……」
非常に言いづらそうに、今までで一番歯切れが悪く王太子はそう口にした。
……え?
「ショックを受けるのはよくわかる。私は貴女が精一杯頑張っていたことは知っている。それでも……流石にそのレベルで王妃というのはいろいろ無理があるのだ……」
……嘘でしょ? あの辛い日々の成果が、ちっちゃい子供レベル?
え? 貴族って、子供のうちからスープを飲むときに音を立てないだの、自国はもちろん他国の読み書きまで学んでんの?
いやいや、ガキの頃なんてゴミ漁りくらいしかしてなかった私は流石に特殊だとしても、街の子供なんて阿呆面下げて走り回ってただけだったよ?
「この先も聖女として活動するのならば、貴族との接触もあることだろう。そんなときに恥をかかないよう、最低限度の礼節と常識を覚えて欲しい。……迷惑をかけてしまった王家の人間として、それが私にできるせめてもの償いだったのだ……」
そっと目を逸らして、王太子は言葉を切った。
あー、うん。お貴族様レベルの教育をタダで受けられるとなれば、それは確かに凄いことなのかもしれない。学校なんかに通うなんてことになればいくら取られるかわかんないしね。
でも、今までは『王太子妃教育なんて自分一人しかやっていない異常な詰め込み教育を受けている』と思って虐められているようで腹を立ててたけど、だからといってちっちゃい子供でもやってるレベルと言われると……なんか、心が痛い!
「し、信じがたいんですけど」
「……ここに公務用の書類があるんだが、見てみるか?」
「え……読めないんですけど」
「他国の言語で、しかも契約用に小難しい表現が使われているからな。最低限、王妃として公務に携わるにはこのくらい読めなければ何もできん」
王太子から見せられた書類には、未知の言語が並んでいるばかりだった。
……あ、でもちょっとだけ見たことある文字もある。冒頭のこれは確か『こんにちわ』とかだったわよね? ということは、完全未知の言語じゃなくて習っていたものがレベルアップするとわかるようになる奴なんだ。
レベルアップする余地、一杯あったんだ……。
「……辛いだろうな」
「……何でそんな嘘吐いたんです?」
「気を悪くしないで欲しいのだが……無理矢理婚約者にされた挙句幼児向けの勉強をしろとか、もう完全に喧嘩売っているだろう? やる気なんて出るはずもないが、やるなら一からやらなければ始まらないのも事実。それならいっそ、凄いことをしているんだと思わせた方がまだ自分を慰められるのではないかと思ってな? 今までの人生で一度も触れたことのない文化を学ぶとなれば、どんな内容でも辛い事に変わりはないだろうから」
「………………お気遣いどうも」
そりゃ、まあ、そうよね。幼児でもできることができないって言われたら、私の心は粉々よ……今みたいに。
それならいっそ『これができる奴は凄い! できなくてもそれが普通!』って言われた方がまだマシ……かもしれないわね。
真実を知ってしまうと……ダメージが倍加している気がするけど!
(教育係の厳しい指導も、そう言われると納得だわ。いい年した女に幼児レベルの教育をそれとはわからないように教えるとか、そりゃ態度も不自然になるわ)
今の私が幼児レベルだとすると、国内トップクラスの教養が求められる王太子妃教育にまで辿り着くのに後何年必要なのかしら?
……寿命の範疇で終わる気がしないわね。そりゃ、王太子だって自分の伴侶にするのは無理って結論するわ。納得したくないけど納得させられたわ。
「それに……王妃とは、かなり過酷な役職となる。それこそ、失敗しても教師に怒られるで済む教育レベルとは比較にならない。下手をすれば国を沈めてしまうかもしれないんだからな。タダでさえ結界という重責を担っているのに、更に重しを乗せるなどあり得ない話だろう」
「……それがわかっているなら、婚約とか止めて欲しかったです」
「何度も言ったのだが、陛下は聞き入れなかったんだ。頭が古いから……大抵のことは根性論で何とかなると思ってるから」
「上に立っちゃいけない人じゃないですか」
「思えば、私が聖女システムの構想を持ったのはあのときが最初だったな。婚約が避けられないなら、せめて聖女の方の負担を減らしてやれないかと……それに、デカい功績を作ってワンマン陛下の引退を早められないかと」
「応援してますんで、さっさと陛下を引きずり下ろしてください」
「約束しよう。退位した後にはかなーり遠くにある王家所有の別荘にでも送って根性で24時間監視付きの隠居生活してもらう予定だから」
重々しく頷いた王太子に、私は弱々しく微笑むしかなかった。
あー、何かもう、どうでも良くなってきた。もう婚約が白紙になるとか賛成する理由しかないし、聖女としての価値もほどほどに下がって気楽にやれそうだし、もういいかな……あ。
(まてまて、まだ落ち込んで敗北宣言には早いわ。そもそも、聖女である私がいるのに聖女の代用なんて作ろうとするのはアイデンティティの否定よ……ってところがまだ残っていたわ!)
私では教養的な意味で王妃にするのは無理、何なら側室とかも無理。何も期待されないお飾りの妾くらいならいけるかもしれないけど、お互いに特に男女としての好意を持っているわけではない、何なら私は嫌っているくらいの相手をそんな地位に置く理由はない。
だから婚約はどこかで無効にするつもりだった――と言われれば反論の余地は無いし、実際そこをごねても私に得はない。
でも、聖女としてはちゃんと仕事してたんだし、そこに代用品を作るのに苦労しましたとか……私を信用していなかったと宣言されているようなものよね?
これ、まだ反撃の余地がある怒りポイントよね? 私の負担を減らしてあげたかった親切心の産物だとしても、仕事を奪われるって怒って良いのよね?
それに、三ヶ月以上も放置して私を探しに来なかったこともまだ突いて良いわよね! 逃げたのは私だけど!
「私を婚約者とするつもりがなかったことは理解しました。ですが――聖女としての私まで軽んじられる謂われはありません!」
教養6歳児レベルだなんて言いづらそうに言われた後で格好をつけてももう道化かもしれないけど――なるようになれよ!
こうなりゃ意地でもこの完璧超人から一本取ってやるわぁ!!
聖女を蔑ろにして国が滅びる系王族の疑問②
真実の愛とか真の聖女とか持ち出さなくても、教育水準の低い身分から聖女になった相手なら普通に教養面で王妃不合格言い渡せるのでは?
何故か隣国で王子様の婚約者になりました~エンドを迎える系聖女様達は教養面もバッチリだけど、普通に考えたらただでさえ他よりハンデがデカい「途中からの詰め込み」+「聖女として過酷なお勤め」がありながら最高峰の教養を身につけるとか無理ですよね。
オブラートに包んで、ただでさえ重すぎる責任を背負っているわけだからこれ以上負担をかけてはいけないと相手に寄り添う形で合法的に別れ話もいけるだろう。