3.卵のなかの子
「うーむ、そうだな……」
アルスの、もっと卵に話しかけたいという気持ちを思ったのか、お父さんは少し考え込むような顔をしました。
「虹色竜は貴重だから、いろいろ規定があってね。卵から孵ったときに話が通じた者に権利がある、ってことになっている」
「どういうこと?」
アルスの年齢では、キテイとかケンリとかいう話は難しそうです。
「簡単に言うと、生まれたときに話ができた人が一緒にいられるってことだよ。卵のときはまだ決まっていない」
「えっ、そうなの」
今話すことができても、自分の虹色竜ではないと知って、アルスは意外に思いました。
お父さんは、アルスに温かいまなざしを向けます。
「卵のうちから話ができるとはな。アルスが上手に声をかけてやったからだろうな。いい世話をしているぞ」
竜は不思議な生き物で、祖先の竜の記憶の一部を持っていると言われています。だから、人の言葉を聞いて受け継いだ記憶を思い出せば、理解する力があるようなのです。
虹色竜は、生まれたときにはすでに話ができるといいます。もうすぐ孵る卵でも、人の言葉をよく聞いていたから、しゃべれるようになったのでしょう。
アルスは、お父さんの『いい世話をしている』という褒め言葉に、頬が熱くなりました。
嬉しいのだけど、照れてしまってうまく言葉が出てきません。頭の後ろがこそばゆくなって、右手でごしごしとこすりました。
お父さんは話を続けます。
「そうだなあ。アルスがちゃんと昼間は小屋で全部の卵の世話をして、夜寝るときにあの卵を部屋に持っていくくらいならいいだろう」
アルスの表情がぱっと明るくなります。
「夜だけでも一緒ならいいよ」
勢いよく返事をしました。
実は、アルスは少し前までお父さんやお母さんと一緒に寝ていました。六歳になって自分の部屋を持つことになり、ひとりで眠るようになったのです。
けれど、今でもさびしいと思うことがありました。そういうときは目を閉じて、楽しいことや面白いことをうんと考えていると、いつの間にか寝入っているのでした。
でも、もしも話のできる竜の卵がいたら、どうでしょうか。
まだ朝のうちだというのに、一緒に寝床に入ることを思うと、心が躍るような気分です。
「生まれてくるのが楽しみね」
お母さんがやさしく話しかけてくれます。
「少しは殻を割れたのだし、おしゃべりもよくできるから、あと三日もすれば出てくるかしらね」
竜の卵はだいたい四十日くらいで孵ります。確かにその卵はもうそのくらいになるはずです。
「うん」
アルスはうきうきする思いが胸いっぱいに広がっていくのを感じました。
その日、アルスは一人で何度も小屋へ行って、その卵のつるつるとした白っぽい面にそっと手を置きました。
なかから何かたたく音や声があるかとじっと待ちます。時々動いているみたいですが、話しかけてもいつも返事があるわけではありません。眠っている時間も多いらしいのです。
「きみももう少しで出てくるんだよね」
日も傾き始めるころ、アルスは小屋を出る前に、もう一度語りかけました。
「まだだよ」
小さな声がしました。竜の子は起きたようです。
「そうか、まだかあ」
返事があったのは嬉しいのですが、アルスは早く竜の子と会いたい気持ちになっていました。あと三日くらい、とわかっていても、こうして話しかけていると待ちきれなくなってきます。
「ねぇ、せまくない? 卵から出てきたらすぐに羽や手足を伸ばしたりできるんだよ。それにきみならきっと、すぐに空を飛べるようになるよ」
「空を飛ぶの、楽しみ」
虹色竜は答えてくれました。アルスは嬉しくなって、つぶやきました。
「虹色の鱗ってきれいだろうなあ」
すると、卵のなかで身じろぎをする気配がしました。
「まだ眠いの。おやすみ」
「そうなんだ。それじゃ、おやすみ」
もっと話したかったけど、卵のなかの竜はまだ赤ちゃんなのです。よく眠ってもっと力をつけなければなりません。
アルスは名残惜しそうにそっと離れ、それから気を取り直して、次の卵に話しかけに行きました。
夕暮れ時のばら色の空がぶどう色へと変わるころ、お母さんがつる草で編んだかごをひとつ持ってきてくれました。
そうして、夜眠る時間になると、アルスは虹色竜の卵をゆっくりと抱き上げてそのかごに入れます。ちょうどいい大きさでした。
そのまま、二階の自分の部屋へと持っていきます。
カイがランプを持ってついてきてくれました。
「重たいだろう。ぼくが持とうか?」
「大丈夫。お兄ちゃんはランプを持っててくれればいいから」
小さなアルスには、1.5キロほどもある竜の卵は重いものです。
けれど、今は自分の卵を自分の部屋へ持っていくのです。自分の力で運ばなくては、とアルスは張り切っていました。
何度も休みながら、運び込みました。
「灯りをありがとう、お兄ちゃん」
「うん、よく話しかけてやりなよ。でも、寝坊するなよ」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
卵を毛布にくるんで温かくしてから、枕もとに置きます。
ほのかな灯りを頼りに、穴の部分を毛布から見えるようにして自分の方へ向けます。アルスの短く刈った黒髪と卵のかごが互いに寄りそうようです。
ランプを消すと、ずっと暗くなって、竜の子がこっちを見ているのかアルスには分かりませんでした。そもそももう寝てしまっているかもしれません。
布団に入ったアルスは、目を閉じる前にささやきかけます。
「ぼくのところに来てくれてありがとう。外はいっぱい遊ぶところがあるよ。早く出ておいでよ」
「いっぱい遊びたい」
卵から幼い声がして、アルスは心の底から嬉しくなりました。
「うん、遊ぼうよ。出てくるのはいつかな?」
話しかけているうちに、アルスはすやすやと寝入ってしまいました。
卵の竜とアルスを、満天の星たちがじっと見守っていました。
翌朝早く、卵を小屋へ戻したところで、お母さんがやってきました。
「卵の具合いはどう?」
「うん。みんな元気だよ。虹色竜の卵はまだ割れそうにないみたい。寝る前に明日かなって聞いたら、まだまだって言ってた」
「そうなの。もう少しかかるのね」
お母さんがそう答えると、アルスは昨夜考えていたことを聞いてみました。
「ねぇ、卵の子に名前をつけるのはどうかな?」
普段は、生まれた幼竜に、お父さんやお母さんが名前をつけています。でも、もう話ができる以上、何か名前で呼んであげたいと思ったのです。
「そうね。アルスが自分で考えてみる? 何がいいかしら」
アルスはお母さんに賛成してもらえると、本気になって頭を働かせました。
「うーん、何がいいかなあ。どうしようかなあ」
簡単には思いつきません。
「今思いつかなければ、別に生まれてからでもいいわ。アルスのときもなかなか決まらなくて、いっぱい考えたんだけど、産まれたときに顔を見たら自然とアルスって名前を思いついたのよ」
お母さんの言葉に、アルスは何だか嬉しくなりました。
「ぼくも。ぼくの虹色竜にそうしたいな。でも、卵に卵って呼ぶのも変かな……」
ふと、卵の上に手を乗せて、竜と触れ合うところが心に浮かびます。
一番最初に手を触れるところ。
そういえば、虹色竜の子の卵は、先の方は模様が少なくて、白い色をしていたな。
生まれたときに考えようと決めた途端に、アルスは今呼ぶ名前をすんなりひらめいたのです。
「シロロって呼ぼうかな。卵の上の方が白い色をしてるから」
「あら、いい名前ね」
お母さんにそう言ってもらえると、アルスはすぐに卵に呼びかけました。
「卵のうちはシロロだよ。シロロ」
「シロロ。シロロ」
卵のなかから弾むような声がしました。気に入ってくれたようです。
「出てきたら、また名前をつけてあげるからね。ぱりぱりって殻を割って、早く出ておいでよ」
アルスは、卵の子にいい呼び名をつけることができたと感じて、気分がぐんと上がりました。