1.竜の子の誕生
アルスは毎日、竜の卵のお世話をしています。
お父さんもお母さんもお兄さんも、卵から幼い竜を育てる仕事をしているのです。
アルスも汗をぬぐいつつ、卵を置いている小屋の掃除を手伝います。それから、浅いすりばち状の木の器ごとに、新しい藁を敷いてあげます。
竜の卵は、まん丸ではありません。にわとりの卵のように、片方が丸くて片方がとがっている楕円形をしています。
ただ、にわとりは卵を転がしながら温めますが、竜は卵を温めずに草や葉の茂った土の上に置くだけです。
アルスの家でも、竜と同じようにとがった方を上にして、ふかふかの藁にそっと卵を乗せています。
今ある卵は、全部で八個。
ダチョウよりもひとまわり小さい程度。立てておくと、高さは15センチくらい。全体は白やクリーム色で、茶色の斑点がぽつぽつとついています。
その色合いや模様で、アルスはひとつひとつを区別していました。卵の器と器のあいだは、ひとりの人がゆったり通れるくらいの距離が空いています。
アルスのお仕事は、ここからが本番。
それぞれの卵に屈みこんでていねいになで、なかで音がしないか、動いてないかとよく確かめるのです。
そうしながらも、アルスは話しかけることを忘れません。
アルスが生まれる前にお母さんのお腹のなかにいたときも、お母さんがお腹をなでながらいっぱい話しかけたり歌を歌ったりしてくれたそうです。赤ちゃんだったので覚えていないのが残念ですが、お父さんやお兄さんから詳しく聞いています。
それで、アルスは自分の育てる卵にも、同じように声をかけることにしていました。
「元気かい。外はいい天気だよ。明るくて気持ちいいんだ。卵から出てきたら、一緒に遊ぼうね」
「よく動いてるね。もう手足は大きいんじゃないかな。会えるのを楽しみにしているよ」
竜は、卵のときから人間の言葉を聞くと、よく理解できるようになる、と言われているのです。
卵のなかの竜たちが元気に育って生まれてくるのを、アルスは心から願っています。
見まわるうちに、アルスは細かな割れ目の入った卵をひとつ見つけました。
「わあ、すごい。ひびが入ってる。もうすぐ出てくるんだね」
日差しにこんがりと焼けた手を卵に当ててから、耳をすまします。すると、小さな振動が感じられ、こつんこつんと内側から音が聞こえてきました。
卵のなかの竜が育って、殻を割る準備を始めたようです。
アルスが一番楽しみなのは、竜の卵が孵化するとき。
竜の子は、頭や手足を使って殻を破って出てきます。その瞬間まで、家族みんなでじっくりと待つのです。
時々、ひびが入っても、何日も出てこない子がいます。
卵の殻は硬くて頑丈なので、砕くのにも力がいるのでしょう。あるいは、外の世界がどんなところか気になって、ためらうこともあるのかもしれません。
アルスはそんな竜の子を励まそうと、歌を作って歌ったりします。
歌声は卵のなかの子にも届くようでした。
数日後には、ひび割れが増えて大きく広がり、卵から力強いたたく音が聞こえるようになりました。
「がんばれ」
アルスは応援して、歌います。
竜の子、竜の子、出ておいで。
ぱりぱり、ぱーりぱりっ。殻を割って、出てきてごらん。
外の世界は明るいよ。広いよ。楽しいよ。
ぼくもみんなも待っている。
さあ、ぱりぱりって出てきてごらん。
くり返し歌って励ましました。すると、ぱりっぱりっと音がして、卵に亀裂が入り、大きな穴が開きました。そこから、竜の鼻先がのぞいたのです。
「くぅ」
小さな鳴き声に、アルスの心は大きく弾みます。
「やった、もう少しだぞ。よし、みんなを呼んでくるよ」
アルスは赤い屋根の卵の小屋を出ると、緑の屋根の二階建ての家に向かって、家族を呼びました。
「みんな見に来て。生まれるよ!」
一家がそろったところで、卵はさらにみんなの声援を受けます。それに応えるかのように、なかの竜の子は、懸命に殻を割ろうとします。
ほどなくして、卵はぱりぱりと音を立てて砕け、藁の上に落ちていきました。
「くぅ、くうぅ」
出てきたのは、青緑色の鱗の小さな竜の赤ちゃんでした。
「やったあ。おめでとう!」
「おめでとう。がんばったね」
「おめでとう。かわいいね」
「おめでとう。いい子だね」
家族四人で大歓迎します。
生まれたばかりの竜は、黒くてつぶらな瞳でアルスたちを眺めまわしています。
両手に収まってしまう程度の大きさで、手足の爪はまだ柔らかく小豆の粒さえ大きく見えるほどしかありません。尻尾もぎざぎざがついているとはいえ、小さなトカゲの尾のように頼りなくほっそりとしています。
縮んでいた翼は鱗と同じ色をしていて、広がってきたところで、ぱたぱたと振ってみせます。まだ動きがぎこちないですが、きっと数日でしっかり羽ばたき、空を飛べるようになるでしょう。
「さあさあ、きれいに洗ってあげようね」
お母さんが赤ちゃん竜を抱きあげて、水場へ連れていきます。
こうして、世話をした卵から竜が誕生するのは、何度立ち会っても心の熱くなるようなすてきな出来事です。
ここは常夏の南の島。
透きとおるような青い海に囲まれた小さな島です。その半分は亜熱帯の森林で、一年中濃い緑色の木々が生い茂っています。澄み切った青空に降りそそぐ太陽の光は、時々はとおり雨にその場をゆずりながらも、さんさんと輝いています。
年末が近い今の時期でも、卵は暖かい気温でのびやかに育つのです。
海を隔てた向こうには、はるか遠く北から南へ、西から東へ、大小さまざまな島々が連なっています。
一年中とても暑いところもあれば、とても寒いところもあります。寒暖の差が大きいところもあるようです。植物も動物も島それぞれ。採れるものも作れるものもみんな違うのです。
それなので、海を渡って互いに品物を交換し合っています。
この世界には、人が作った空を飛べる乗り物はまだありません。島から島へと渡るには、どこでも船が使われています。
けれど、南の海域では時期によっては海が荒れて、船を出せないときが多くあるのです。
そこで活躍するのが〈竜郵便〉です。
南方の島々の森林には、竜がすんでいます。
竜はつややかに光る鱗におおわれていて、こうもりのような大きな翼を持っています。
南の島に住む人間たちは、昔から竜をとても大切にしてきました。年の暮れには、翌年も竜と人が共に支え合って栄えるように願い、竜神様のお祭りが行われています。
竜たちは大人になると、背に人ひとりくらいを乗せて運べるまでになります。
幼いときから人間と一緒に育った竜は、人の話すことがよく分かるので、手紙や荷物、ときには人を運搬することもしてくれます。
人間と竜は、ほとんど寿命が変わりません。赤ちゃん竜、子どもの竜、若い竜、大人の竜、とそれぞれ竜を飼う人たちがあります。そのなかでも、アルスの両親は、卵のときから二年くらいの幼い竜を飼育していました。
卵から孵った竜は、温かく迎えられ、成長とともに〈竜郵便〉の仕事を覚えていきます。そうして大人になると、島から島へ郵便物を届けるようになります。
時として、アルスの住む島の〈竜郵便局〉に、見覚えのある竜が手紙や小包を届けるのを見かけることがあります。子どもの竜が郵便物を届ける練習をしているのです。
かつては幼かった竜も、アルスたちを覚えていて、嬉しそうに声をあげて見つめ返してくれます。
アルスの両親やもっと上の世代の人たちは、育てた竜が大人になって大海原を渡り、立派に届け物をしている姿を眺めることがあります。
それは特別に嬉しいことだと誰もが言っていました。
お兄さんのカイは、両親の仕事をそのまま継ぐつもりのようです。けれど、六歳のアルスは少し違うことを考えていました。
第1話をお読みくださって、ありがとうございます。