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忘れられた町

作者: 小城

 海の近くの寂れた漁村から、少し、内陸に入った町の近くに少年、いや、成年が住んでいた。その成年には、名前がなかった。名前がなくても、別段、困ることもなく、朝、日が昇ると起きて、夜、日が沈むと眠った。人から見たら、そんな毎日は幸福だった。しかし、その成年は、自分が、不幸なのか、幸福なのかは、分からなかった。ただ、何か、分からない何かに、追われたり、追いかけたりしながら、生きていたことは、覚えている。

 そんな毎日を送っていた成年であったが、そんな毎日の中にも、いつもと、変わった事が起こる物である。道を歩いていると、一匹のコオロギが、水に浮かび、一匹の魚に食べられそうになっていたので、成年は、葉っぱの上に、コオロギをさっと乗せた。そしたら、今度は、文句を言っている魚を、蛇が狙っていたので、成年は、両手の水と一緒に、魚をすくった。すると、今度は、蛇が、そのことで、文句を言い出した。成年が、蛇に反駁すると、蛇は、言った。

「あなたは、自分の名前も忘れてしまっているのですから。それを思い出してみたらいかがですか。それに、それは、私たちにとっても、ちょうど良いことです。コオロギ君。魚君。いかがですか。」

「それは、良い。」

「賛成です。」

「成年さん。いかがですか。実は、私たちも、あなたと同じような境遇に陥っている仲間なのではないかと、密かに感じているのです。だから、どうか、ここは、私たちを、連れて、まずは、あの、名もない、寂れた、かつて、あなたが通っていた、駅のホームに連れて行ってみて下さい。」

 成年は、彼らの意見も、至極最もらしく感じられたので、彼らの心意を汲み取ることにして、コオロギと、魚と蛇を連れて、町はずれの駅に向かった。

「やあ、何とも懐かしい。」

 その駅は、成年がよく使っていた。しかし、今は、全体的に寂れてしまった。

「どうやら、上りの電車は、行ってしまったようだな。」

「何を言ってるんですか。私たちが、行くのは、下りの線路ですよ。」

「下りだって、そんな馬鹿げたことがあるものか。」

 この駅は、終着駅であった。上りはあるが、下りはない。成年は、ずっと、そう思っていた。

「それならば、あの人に聞いてみなさい。」

 駅のホームにいたのは、町の人であった。成年は、その人をどこかで見たことがあるような気がした。

「私は役者をやってますので、そう見えるのです。」

「なるほど。」

「それでも、下りの線路を行こうとしたとしても、もう、今日は、終電が過ぎてしまったから、何とも言えませんよ。」

 気が付くと、辺りは、既に、真っ暗となり、学生や会社員たちが、改札口を外に向かって、一生懸命出ようとしていた。

「そうだ。あの駅員さんに聞いてみなさいな。」

 役者はそう言った。

「もう今日は、終電が行ってしまいましたから。」

 窓口の駅員はそう言った。

「それでも、下り線に行ってみたいというのならば、どうぞ。運賃は、いりません。」

 改札口には、もう誰もいなかった。成年は、どうしようかと思ったが、コオロギや魚、蛇が、苦しそうにしていたので、勇気を振り絞って、改札口を通った。

 成年が誰もいないホームで待っていた。その間、不思議なことに、成年は、改札口をくぐってから、今まで、忘れていたことが、鮮明に思い出されるようになっていた。それは、走馬灯であった。何故、忘れていたのかは、分からない。それは、この駅は、終着駅ではなくて、確かに、線路が、上りだけではなく、下り線も、この駅の後も、ずっと永遠と続いていることであったし、そういえば、この駅の終電は、まだまだ先のことではあった。

「私も、連れて行って下さいませんか。」

 役者の人だった。しかし、その人は、忘れていたことに、成年の親友の一人であった。

「何で忘れていたのだろう。」

「私も、さっきまで、ずっと思い出すことはなかったよ。」

 その親友は、都会に出て、婚約者がいて、婚約者が、他の人と逃げてしまったのを、追いかけて来たのだと言う。そして、これから、その先に進むはずだと。

 間もなく、電車は、来た。電車の中は、案の定、無人ではなく、ちらほらと人影があった。みんな、これからも、下り線に乗って行こうとしていたまま、降りずにいた。やがて、電車は出発した。

「懐かしいな。」

 成年は、辺りの景色を見た。辺りは、真昼のように、明るかった。そして、成年が、この景色を見るのは、初めてではなかった。

 しばらくすると、雨が降ってきた。その雨は、止むことなく、どんどんと強くなって、最後には、大雨となった。

「ピンポンパンポン。お知らせします。この電車は、この先の線路が、大雨による冠水により、運行を停止します。ピンポンパンポン。」

 電車は、速度を失った。

「歩きましょう。」

 乗客は、何も騒ぐことなく、それは当然のように、電車から降りて、先を目指した。空は、不思議なように、さっきまでの、大雨が嘘のように、快晴になっていた。

「俺たちも歩いて行こう。」

 コオロギは、レールの上をぴょんぴょんと、魚と蛇は水溜まりの中をすいすいと泳いだ。

「懐かしいな。昔も、君や彼らと一緒に、こうして、よく歩いたものだったのに。」

 親友が言った。

「全くだよ。私は、今まで、何故、忘れて、いや、思い出さなかったのだろう。」

 線路を埋める水は、永遠と、その先まで、続いていた。

 やがて、皆は、目的地に着いた。それは、いつも、成年が通っていた駅と町であった。

「さあ、着いたよ。」

 成年は、コオロギを手に乗せて、両手で水と魚をすくい、指で、蛇を掴んだ。

「ここが、君たちの、本当の住処だ。」

 町はずれの駅の近くの川原に三匹を離した。彼らは、自分たちの名は告げることなく、自然の中へ帰った。

「私たちも、帰ろうか。」

「うん。そうだね。」

 二人は、元いた所に帰った。そして、また、いつも通りの暮らしに戻った。そして、当然ながら、また、かつての、また、親友たちや、下り線のことなどは、記憶から、何も不要な情報として、認識されたようで、思い出すことはなかった。しかし、彼らは、ほんの束の間ではあったが、かつてのことを、思い出したのであり、自分が、本当に幸福だと感じることができたのだった。

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