前編
椿水果は一人、靴を履き替えていた。
高校三年生になり、演劇部を引退し、結果放課後が暇になってしまった。
「やることがないって言うのも考えものだね」
詩音やわかば、ヒナ、モモは今日は図書室で受験勉強をしてから帰るのだそうだ。水果はというと、すでに大学の推薦入学が決まっているため、受験勉強とは無縁なのである。
(わたしがいても、白々しいだけだしね)
しなくても良い勉強を詩音達に付き合ってするのもおかしな話だ。彼女達が気にしないのはわかっているのだが。
「あ」
「ん?」
菅谷奏介だった。二人だけで顔を合わせるのはかなり久しぶりである。
「あれ、今日はしお達が図書室で」
「あぁ、わたしはちょっとね」
そう濁したので、奏介は察したようだ。
「でも菅谷はどうなんだい? 行かなくて良いのかい?」
「俺は家でやりたい派だから」
「へぇ、そうなのかい。針ケ谷もそうだって言ってた気がするね」
なんとなく、二人で歩き出す。
「……なんか椿、元気ないな」
憂鬱そうな顔をしていたのがバレたようだ。
「いや、わたしの受験は終わったからさ、皆より先に卒業のことを考えちゃってね。元気ないって言うか、高校生活を振り返ってるんだよ」
「ああ、これからの奴は今受験で必死だからそれしか考えないよな。そうか、それが終わったら気持ちが切り替わるんだ」
「一足先に、ね。あたしは中々楽しかったよ。菅谷や皆のおかげで退屈しなかったし」
「楽しかった?」
奏介が複雑そうな顔をしたので、水果は苦笑を浮かべる。
「それはそれとしてわたしも結構助けてもらったしね」
「いや、椿には俺も助けてもらったよ。しおとの時とかバイト先でのごたごたとか」
「そういやそうだったね。でもまあ、いまは味方がたくさんいるだろ?」
「ああ、なんかやたらと増えた。しおも前より協力してくれるし」
「よかったじゃないか。菅谷の人望だね」
「そう、か……?」
高校生になり、彼の周りには人が増えた気がする。
「付き合いが長くなって来たけど、菅谷が楽しそうでよかったよ」
駅そばで、奏介と分かれた。
翌日、再び靴箱で奏介と顔を合わせた。
「そういえば今日もしお達」
「ああ、そう。図書室。明日は息抜きに行くって言ってたから一緒に行って来るよ。菅谷と針ヶ谷もどうだい?」
「いや、女子だけで楽しんできた方がいいよ」
学校の正門を抜けて、並んで歩く。
「何かあったのかい?」
「ん?」
「今日は菅谷の方が元気ないよ」
奏介は目を見開いて、しばらくしてため息を吐いた。
「受験生だって言ってるのに現風紀委員長が、相談の手伝いを頼んで来て」
「あー。菅谷の相談人気あったしね」
「それに、この前は僧院の知り合いの人のごたごたを解決して、一週間前はしおの頼みで」
「……同情するよ、普通に」
「そういえば、その合間に前に関わった人の悩みを聞いてた。さすがに疲れてきた」
奏介が肩を落としたので、水果はカバンから一口サイズのチョコレートを取り出す。
「受験勉強とダブルだときついかもね。甘いものでも食べときな」
「え、ああ、ありがとう。ていうか、愚痴って悪いな」
「あはは、それくらい良いよ。また、靴箱であったら聞いてあげるからさ」
昨日と同じ場所で、分かれた。
翌々日のこと。
三回目の偶然で、靴箱で奏介と遭遇した。
「あ」
「あ」
「なんかよく会うね」
「しお達が図書室に行くと時間が会うんだろうな」
「確かに」
二人で帰るのはすでに三回目だ。
「それで?」
水果が聞くと、奏介は複雑そうな顔をした。
「もしかして俺、顔に出てる?」
「聞いてあげるよ」
「ほんとに椿は察してくれるよな」
「付き合いが長くなってきたしね」