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ここは乙女ゲームの世界で、私は悪役令嬢である。
そのことに気づいたのは、私が3歳のときだった。
流行り病に罹って高熱で死にかけた私。なんとか回復した時にはそれまでの記憶を全て失って、前世の記憶を得ていた。
だが、3歳児の脳みそに20年分の記憶はキャパオーバーだったのか、プライベートな部分は曖昧で、日本の大学生だったことくらいしか思い出せなかった。その代わりのように詳細に思い出せたのが、この世界と酷似したゲーム、『聖なる乙女と薔薇の封印』のストーリーだったのだ。
はじめのうち私は絶望していた。よりによって乙女ゲームの悪役令嬢に転生するなんてと、己の不幸を嘆いていた。
しかし、破滅フラグを回避するためゲームのチャートマップを作っているうちに、気がついたのだ。
あれ、破滅……しない?
たしかに私が転生した公爵令嬢ミリアリアは、悪役らしく主人公をいじめる。でも、断罪というほどもない口頭注意を受けるだけで、あとはお咎めなしなのだ。
処刑はもちろん国外追放も、修道院送りさえない。どの攻略対象のどのルートでもだ。
そしてそれは私だけではない。私を含め4人いる悪役令嬢たちの誰も、破滅しない。
私は決意した。
よし、何もせずやり過ごそう。
幸い私は家族に大事にされているし、他の家族仲も悪くない。我が公爵家は政治的にも財政的にも安定していて、改善する余地もない。下手に手を加えるより現状維持が一番だ。
そんな幼い日の決意から12年、私は今日まで平平凡凡と過ごしてきた。知識チートで産業革命を起こすこともなく、魔法チートで精霊に愛されるでもなく、ごく普通の公爵令嬢として平和に暮らしてきた。
ゲームの舞台となる学園に入学し、数ヶ月前に主人公が転入してきてからもこの生活は変わらない。攻略対象達と仲良くなってゆく主人公をいじめたりもせず遠巻きに眺めているだけ。
今も学園の裏庭に集う4人の攻略対象を、テラスから眺めていただけだったのだが。
「もうワタシあの子のご機嫌取るの飽きましたよ〜」
攻略対象その1、バーナード公爵家三男リゲル。
この人は博愛主義の貴公子だったと思ったが、口調がなんだか軽薄だ。
「だったらキミは手を引いたら? 聖なる乙女の恩恵はボクん家に譲ってよ」
攻略対象その2、ライラプス侯爵家次男シリウス。
癒し系ワンコのはずが、浮かべた冷笑に癒やされない。
「勝手なこと言うな。聖なる乙女は代々王家のもんだろが」
メイン攻略対象だが、正統派王子様の面影が無いレオニス王家四男レグルス。
「今まではそうだったかもしれないけどさ、今回はボクん家で良くない? 王家も公爵家も権力有り余ってるでしょ。ねえ、アーク」
話しかけられても無表情のまま反応がない、アルカディア公爵家三男、私の兄アーク。
4人の話題はゲームの主人公、男爵家養女ミモザちゃんのことに違いない。でも、4人ともミモザちゃんに恋してるって雰囲気じゃない。
おかしい、最近は4人がミモザちゃんを廻って恋のライバルだと専らの噂なのに。実際兄以外の3人は、ミモザちゃんにあまーい言葉を囁いたり、過度なスキンシップを披露したり、色々やらかしてるのが目撃されているのに。
困惑する私に、さらなる爆弾発言が投下された。
「いい加減にしろシリウス。だいたいあの女は、あと少しで死ぬんだ。それまでは、せいぜい煽てていい気分にさせとくのがオレ達の役目だろ」
死ぬってなに?
たしかにあのゲームでは主人公やたらと死亡率高かったけど!バッドエンドどころかノーマルエンドでも、ルートによってはグッドエンドでさえ死んでたけど!もう乙女ゲームじゃなくてサバイバルゲームだろとか言われてたけど!
ミモザちゃんが死ぬのが決定事項みたいに言ってるのは何故?
あまりにビックリしたためだろう、私の気配隠蔽が途切れてしまったようだ。ふと兄が視線を上げて、私とバッチリ目があった。ちょっと目を見張っただけですぐに無表情に戻る兄は、さすが次代の聖騎士と言われているだけはある。でも無かったことにはさせないもんね。
私は再び丁寧に気配を断ち、4人の会話に聞き耳をたてた。兄に確認しなきゃいけないことを頭の中で整理しながら、私は冷ややかに攻略対象達を見下ろしていた。