あ
「あの。どうして付いてくるんですか。」
帰路についている僕の後ろを、親し気な距離を保ちながら付いてくる人影があった。
その人影は先輩のものだった。先輩は家が近所だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。
「だ、だめか。」
「ダメというわけではないですが。理由を言ってください。」
先輩は少し考えて、「ウチの家もこっちだから」といった。
納得のできる理由ではあった。
※
先輩と出会ったのは部活動だった。僕は中学ではバトミントンをやっていたから高校でも当然バトミントンをやるつもりで、バトミントン部を訪ねた。その時の新入生歓迎係を務めていたのが先輩だった。
その時先輩を見て、たかが一年の差なのにこんなにも違うものかと僕は思った。
そして、高校とは一年の間に人をあれほど変えてしまうなんと恐ろしい場所なのだと感じた。
しかし、今になってみればそれは僕の目が慣れていなかっただけだと分かる。
中学から上がりたての高校生一年生なんて井の中の蛙にも劣る世間知らずだった。
今となっては井戸の大きさぐらいはわかるから、あれほど大人に見えた先輩も今となってはそれほど大したことはなかった。
「な、なぁ。」
「なんですか、先輩。」
「お前ってさ、休みの日とか何してんの。」
「なんでですか。」
「いや、帰り道にさ、後輩と帰っててさ、二人とも何もしゃべってなかったらさ、ウチって後輩人気ないのかなとかさ、思われちゃうかもしれないじゃん。」
「誰も見てないから大丈夫だと思いますよ。」
辺りは住宅街だった。伸びた夕日が長く伸びていた。夕日に当たったところはほの温かく、二人の間の緊張感をほぐれさすように作用していた。
「そ、そっか。でも、いいじゃんかよ。同じ部活の先輩後輩だろ。」
「そりゃそうですけど。」
「だろ。じゃあ勿体ぶらずに言えって。」
先輩は自分が説き伏せることができたと思ったようで、声の調子が変わった。それは僕にもよく伝わった。僕はやはり先輩の大したことないことを確信した。そのことが分かると僕はとたんにからかいたくなった。
「美術館巡りです。」
「へ、へぇー、美術館か。そうか、なんか賢そうだな。」
その時の先輩の顔と言ったらなんとも形容できないものだった。世にはびっくりした時に鳩が豆鉄砲を喰らった顔なんていうが、先輩の顔はまさにそれだった。
「先輩の趣味はなんですか?」
カウンターである。
先輩が何というか気になったのである。顔を察するに、何か美術館に負けぬとも劣らない高尚な趣味を言うに違いない。それか、開き直って純粋に言うか。先輩がどっちを選択するのか僕は気になった。
「え、ウチ!? ウチは、ゑ、絵も好きだけどやっぱり音楽だな。」
「どんな音楽を聴くんですか?」
「え、えっと、なんでも聞く。」
なんでも。どうとでも解釈できる言葉だった。
大抵、趣味や好きなものを聞かれてそう答える人は二つに分類される。
本当に好きで好きなものを一つに絞ることができない人か、もしくは良く知らずに語っている人。
厄介なのは大して知らずに自分がそれを好きだと思い込んでいる人間で、人間口先だけではどうとでもいうことができるから、その口ぶりだけではその人が本当に好きなのか、それともうわべだけか判断できないのが厄介なことだった。
しかし、僕は別に先輩を否定したいのではなかった。
ただ単純に先輩が何というのか気になった。ただ何となく気になった。
「例えばどんな曲ですか。好きな曲とか教えてくださいよ。」
「え、えーっと、本当に何でも聞くから説明しにくいなぁ。」
「そうなんですか。僕はあんまり詳しくなくて。」
「そ、そうなのか。」
慌てる先輩。
別に格好つける必要は無いのにやたらと焦る先輩。
「ほかにはないんですか。」
「あ、あーっとなぁ、映画とか、映画とかも好きだ。」
「どんなのですか。映画と言ってもいっぱいありますよね。」
「え、そう、そうだよな。映画もなんでも見るな。」
「じゃあ、この前あってた「戦場の愛の歌」って見ましたか。主演のロイ・マーテルは良かったですね。内容もアクション要素をうまく取り入れながら反戦というテーマもうまく表現していたんです。あれは名作ですね。」
「あ、うん。そう、そうだな。でも、ウチあんまり洋画は見ないかな。」
「じゃあどんなのを見るんですか。先輩は何となくですが、邦画で、恋愛映画で、今流行の俳優と女優が出てるようなのが好きそうですね。」
流石に意地悪だっただろうか。
そう思いながら先輩の方をちらりと見る。
先輩は焦りと動揺が隠しきれず、全面に出てきてしまっていた。
「いやっ!? ウチ、そんなのは見ないぞ?」
「じゃあ何を。」
「ウチはな、その、フランスかな。フランス映画は好きなんだ。」
出まかせだろう。そう思ったがまぁフランス映画もあるから、見逃すことにした。
「ああ、なるほど。」
「そう、そうなんだよ。」
先輩は流石に自分が相当の無理を通してきたことはわかったのだろう。もうそれ以上は何も言わなくなった。
※
しばらくは二人とも無言だった。
あれほどとやかくと言っていた先輩ももう話すことはないのだろう。口をつくんだままだった。後ろを振り返って先輩がどんな表情をしているのかみてやろうかとも思ったけれど、流石にこれまでのことを思い返すといまそうするのは酷なことの様に思えて、しなかった。
「それじゃあ先輩。僕はこっちなので。」
「え、ああ、もうここなんだ。」
「ちゃんと帰って下さいよ。なんだか様子がおかしいですし。」
「そ、そんなことないだろ」。」
「じゃ、さよなら。」
先輩に背を向けて歩き始めた。
すると、間髪入れずに、先輩は僕を呼び止めた。
「あの、あのさ、お前、週末暇?」
「先輩。今日何曜日か知ってます?」
――今は、週明けの、憂鬱な、月曜日の放課後だった。今年はもう半分以上終わっていて、あと少しで定期テスト習慣になり、それが終われば夏がくる。
学生にとっては期待と不安の入り混じった時期だった。
「あ、そう、そうだよな。月曜日はおかしいよな。」
「暇だったらどうするんですか。」
「え、ああ、えっと――」
歯切れの悪い先輩。
でも、そんな先輩が何を口走るのかそれは気になった。
「美術館! 美術館に行こう!」
「いいんですか? 先輩さっきあんまり詳しくないって言ってましたよね。」
「え、まあ、そうだけど。」
「興味のない人が行ってもつまらないと思いますよ。」
「いや大丈夫。ウチも少しは知ってるから。」
「そうですか。僕はてっきり映画に行こうって言うのかと思ってました。ちょうど今週末から新しい映画が上映開始ですし。」
「え、そうだったっけ。」
「そうですよ。しかも、先輩の好きなフランス人の監督が作った映画ですよ。」
「え、そうだったっけ。忘れてたな。じゃあ、どうしようかな。ウチは映画でもいいけど。」
「じゃあ、両方にしましょうか。週末は二日ありますからね。」
「え、いいのか?」
「いいですよ。僕も暇ですから。」
「そ、そうか。お前、暇だもんな。感謝しろよ?? ウチが一緒に行ってやるんだから。」
「え、誘ってきたのは先輩からだったような。」
「あ、そう、だったかもな。そ、それじゃあ。また明日部活でな!」
先輩はそう言って逃げるように去っていった。
ありきたりな話だな、と思ったけれど、先輩は見ていて面白かったからそれでよしとしようそう思った。
「週末に向けて絵画とフランス映画、予習しなきゃなぁ。」
余計な課題が増えたことを少しうざったく思ったけれど、先輩のことを加味するとイーブンと言ったところだった。
※
「ねぇ! どうしよう! ウチ、絵画も映画もわからない! 寝ないで起きていられるかなぁ!?」
「あんたホント馬鹿ね。」