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休みの日は目覚ましをかけない。そうは言っても、お腹を空かせたショコラが飛び乗ってきて、強制的に起こされる。なんだかもぞもぞとお腹の当たりがくすぐったくて、夢から覚めた。
(ショコラ……?)
まだ目は開けられなくて、閉じたままショコラに手を伸ばそうとした時、前の方で何かに当たった。温かくて少し硬い。その辺りは抱き枕が置いてあるはずなのにと思いながら薄目を開ける。
思ったより視界が明るくて、朝が来たんだなぁとぼんやり思った。でも目の前はちょっと暗いから、まだ時間は早いんだろう。寝るのが遅かったから瞼は重い。お腹のもぞもぞが動いて、ショコラが布団から顔を出した。元気に鳴いて朝ごはんを要求する。
「はいはい、ちょっと待って……ね?」
ショコラを撫で、時間を確認しようと視線を上げた私は固まった。思考も停止した。さっき触れた温かくて硬いもの。少し弾力もあった。目の前が暗いなと思っていたのは長い黒髪でその先には彫刻のような美貌が目を閉じて眠っていた。
「な、な、な、なんでいるのよぉぉぉ!」
私は布団を跳ねのけ、ベッドから飛び降りた。そいつは不愉快そうに眉間に皺をよせ、目を開けた。「はぁ?」と低い声が返って来る。
「私のベッドで何をしてたの、ガトー!」
信じられないことに、ガトーが隣で眠っていた。ガトーが現れてから最大のパニックで、私はショコラを抱えて後退る。ガトーは白いシャツを着ていて、鎖骨が色っぽい……違う、そうじゃない。今考えるのはそこじゃない!
ガトーは体を起こすと寝ぐせ一つない頭に手をやって、欠伸をする。
「何って……ベッドですることは一つしかないだろう」
「は、え? は?」
「……睡眠だ。寝かせろ」
ガトーはそう言うと私が跳ねのけた布団をひっぱり、再び横になった。すぐに規則正しい寝息が聞こえ始め、私は目が点になる。
「はぁ? ……はぁ!?」
私は意味が分からないと、ガトーを揺り起こす。こんな状態で寝かせてやるものか。
「ちょっと、ガトー! 説明しなさい!」
「……うるさいな。お前が昨日聞かなかったんだろ」
不機嫌な声が返って来て、ガトーはだるそうに体を起こした。そして話すことには……。
「へ? 人間に戻った?」
「あぁ。俺はもともと人間だったが、色々あって悪魔になってな。善行を積めば人間に戻れるらしい」
「……善行。店の廃棄無くしたのと、商品開発を手伝ったから?」
善行と言えば善行だけど、なんだか悪魔が人間に戻るには優しすぎるような気がする。もっと人類を救ってほしい。
「さぁな」
改めてガトーをよく見れば、耳のとんがりが無くなって、犬歯も目立たなくなっている。黒髪と銀の瞳は変わっていないし、モデルかってくらい美形だけど人間になっていた。信じられない。
ぽかんとしている私をよそに、ガトーは説明は終わりだと布団の中に戻っていった。だけど、驚くのはこれだけではなかった。
「え、ここに住むの?」
「当然だろう。俺は家がない」
となり、必要なものを買いに回って休日が潰れた。
さらに、
「え、ここで働くの?」
「当然だろう。仕事をしなければ生きていけない」
と、長い髪をばっさり切り、エプロンをつけて店で働きはじめた。正直、ケーキを作りながら店番をするのは大変だったから嬉しいけど、元悪魔がエプロンをつけてレジを打っていると思うと笑えてくる。それにイケメンの店員がいるケーキ屋として口コミが広がり、客足が増えて売り上げもあがった。
そしてあの紅茶のシフォンケーキはというと、店に並ぶとすぐにおいしさが評判になり、SNSでも紹介されるようになった。ありがたいことにリピーターが多くて、一度食べたらまた食べたくなる、虜になると嬉しい言葉をもらっている。でもおいしすぎて食べると太ってしまうと、女の子たちは笑って買っていってくれるのだ。
そんな紅茶のシフォンケーキは、いつの間にかこう呼ばれるようになっていた。“悪魔のシフォンケーキ”。「この悪魔的なおいしさの秘密は何ですか」って訊かれることもある。そんな時は決まって、意地悪な笑みを浮かべて秘密と答える。
だって、悪魔が教えてくれたなんて、言えないじゃない?
そして今日も、ガトーのためにケーキを作っている。最近は売れ残りも減ったから、ワンホールを置いておくのだ。
「志穂、予約が入った」
「はーい」
私はおいしくなーれと念じてオーブンの蓋をしめ、ガトーの側へと寄る。シフォンケーキのように甘くてふわふわな生活が、始まろうとしていた。
そして、実はフランスで修行していた私に一目惚れをしたガトーが日本について来たのだと知るまで、あと少し……。