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「志穂、遅い」


 早速苛立った声が飛んできて、私はやっぱりいたと思いながら電気をつけた。明るくなった室内にいたのは長髪の悪魔。ショコラに憑りついていて、夜になるとこうやって出てくるのだ。


「もう、冷蔵庫にあるもの好きに食べたらいいでしょう。ガトー」


 悪魔は一人がけ用のソファーにゆったり腰を掛けていて、嫌味なくらい長い足を組みかえる。悪魔っぽい蝙蝠の羽は狭い部屋では不自由だとしまっていた。顔はそこらのモデルが足元にも及ばないほど美形で、最初見た時は素で見惚れたのだけど、今となっては苦い思い出だ。口さえ開かなければ、素晴らしい置物になってくれるのに。


 銀色の目は獲物を捕らえたように光っていて、ケーキが乗った大皿に釘付けになっていた。一か月も経てば、今の彼が餌を前にした犬のようにケーキを楽しみにしているのが分かる。忠実さも可愛さも、欠片もないのだけど。


 ガトーはふんっと鼻をならし、嘲笑を浮かべた。その人を馬鹿にした顔は非常によく合っていて腹が立つ。


「あのような粗悪品、とても口に入れられぬ。さぁ、早くそのケーキをここに置け」


 尊大な態度で息を吸うように命令してくる。私はメタボになれこの悪魔と内心毒づきながら、大人しくソファーの側にあるサイドテーブルに大皿を置いた。テーブルには水が入ったグラスとティーポット、ティーカップ、ケーキ用のフォークとしっかり食事の用意が整っていた。

 このでかい図体の男がいそいそと準備したんだと思うと、ちょっと可愛い。


(素直にケーキが食べたいって言えばいいのに、ひねくれ悪魔)


 そう心の中で舌を出していると、何かを察したのか片眉を上げて鋭い目を私に向けた。悪魔が人の心を読めるのかまでは知らない。素知らぬ顔でケーキの話をする。


「今日は、新作のシフォンケーキがあるわ。紅茶のシフォンを出そうと思っているの」


 悪魔のガトーにケーキという貢物を捧げたら、次は贅沢猫のショコラに猫缶を開けてあげる。私の食事は最後で、使用人以外の何物でもない気がしてきた。

 私はおいしそうにツナを食べるショコラを撫で、ガトーに目を移す。ガトーはすでに優雅な所作でケーキを切り分けて口に運んでいた。そこだけフランスのお貴族様の屋敷みたいな雰囲気になっていて、格差にやさぐれた気分になる。二人がご満悦顔で食事をしているのに比べ、私の夕食は冷蔵庫の余りもの入れた煮込みうどんだ。わびしい。


「お前は今日もうどんか」


 そうガトーに呆れられるぐらい、私の夕食はうどんが多い。だって安くて速くできるから便利なんだもん。手早く作ると、テレビの前のローテーブルに器とお箸を置く。そこに座ってテレビを見ながらご飯というのが、長年のスタイルだった。それが今は、不本意ながらガトーと一緒にご飯を食べることになっている。向こうはケーキだけど……。


「ケーキにお金かけてるから、食費は切り詰めてるんです」


 座椅子に腰を下ろすと、顔を左に向けた。ガトーが座るソファーは私の左手にあって、そこだけ部屋の雰囲気から浮いている。それも当然で、無駄に上質そうなソファーとサイドテーブルはガトーがどこからか持ってきたものだ。そのため狭い私の部屋をさらに圧迫している。


 うどんをすすりながら、大皿に目をやるとすでに半分が無くなっていた。悪魔の食事なんて知らないけど、あれで太らないんだから羨ましい。


「ならば、お前もケーキを食べればいいだろう」

「……そんな甘いものを毎日食べられないわよ」


 これを素で言うのだから、悪魔の味覚はどうなっているのか分からない。ガトーが甘党なだけかもしれないけれど……。ただ彼の舌はなかなか鋭い。ガトーは自分でも美食家だというくらい食にはうるさい。だから、冷蔵庫にあるインスタントやレトルト系は絶対食べないし、この煮込みうどんだって一度興味を示したからわけてあげたら、「手抜きの味がする」と言ってすぐにケーキで口直しをしていた。ひどい。


 まぁ、それはいいとして、ガトーは毎日勝手に品評を始めるのだ。砂糖の量がどうだとか、泡立てる時間がどうだとか、保存の方法云々。ドラマの姑かってほど小うるさいのだけど、これがわりと適格だから言い返せない。だって、言われたことに気をつけて作ったら明らかにおいしくなったし、客足も伸びてきている。


 それに今日は新作がある。私はパリのコンテストに出場した時のような緊張した心持ちでガトーの反応を待っていた。つい、うどんを持つ箸も止まる。


(……どうかしら)


 ガトーは新しいケーキはその形を四方から眺め、さらに匂いを楽しんでから、感触を確かめるようにフォークの背でやさしく押す。シフォンケーキはふわふわしっとりが命でもある。そして一口きり分け、口に運んだ。その貴族のような所作を、私は固唾を飲んで見守っている。

 ガトーはしばらく目を瞑って沈黙し、悩ましそうに眉根を寄せた。そして銀色の瞳を私に向けると、溜息をつく。


「……紅茶がまずいし、香りが逃げている」

「と、いいますと」


 自信を持って出しただけに軽くショックを受けるがそうも言ってられない。この悪魔、フランスにいたこともあるそうで紅茶には人一倍、いや悪魔一倍うるさかった。


「アールグレイを使ったのはいいとして、煮だし過ぎて苦みが出ている。あと、水も変えてみろ。茶葉を入れるのはいいが、少し大きすぎて舌触りが悪い」

「な、なるほど」


 私はスマホにメモをして、水、水かぁと呟く。たしかにケーキの生地も水が大事で、水の質でだいぶふくらみと味わいが変わってくる。フランスで修行した時と同じふくらみや味にならなくて、帰国してから一か月は試行錯誤をしたのだ。


「それと温度もな。これでは茶葉が可哀そうだ」


 なかなかの言われようで、私は唇を引き結んだ。パティシエの先輩に言われるならまだしも、アドバイザーが悪魔というのが、悔しいと言うか、虚しいと言うか。それでもアドバイスはありがたいので、さっそくうどんを食べたら調べてみることにする。


「……わかったわよ。改善してみるわ」

「よく励め。まぁ、シフォンケーキ自体はいつもながら、よい味だ」


 いつの間にかガトーはケーキを全て平らげており、香りのよい紅茶を味わっていた。ソファーに座って紅茶を楽しむガトーに、床に座ってうどんをすする私。だめだ。ちょっと冷静にこの状況を考えたら、悲しさが倍増してきた。


 そして食器を片付けると茶葉と温度、水の関係を調べ、次の日から試作を繰り返すのだった。だがこの紅茶がなかなか難しく、普通においしいものはできてもガトーを唸らせるほどのものはできない。紅茶が強すぎると後味に苦みが残り、砂糖が勝つとぼやけた味になる。牛乳やバターとのバランスも、グラム単位でやっていくが黄金比が見つからなかった。


 「甘すぎる」「紅茶が小麦の香りを邪魔している」「紅茶の奥行が感じられない」などなど、私の頭はもう限界だ。来る日も来る日も紅茶シフォンケーキに頭を悩まされ、ガトーも毎日少しずつ味が違う紅茶シフォンケーキを食べ続けた。





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