8.アカネ、展示室を巡る
真ん中の太い通路の両脇に、薄い壁と柱で区切られた各展示コーナー。
意外と、展示室の様子自体は最初に来たときと何も変わっていなさそう。
ちょっとくらい変わってたところで、わからないけど。
「アオイは、ここ初めてだっけ?」
「はい。本当に博物館や美術館といった感じですね」
「そーよねェ、照明の感じとかそのままよねェ」
お店がどうのとか言ってなかったっけか、アヤトキ。
私を先頭にして、右ななめ後ろにアヤトキ、左ななめ後ろにアオイのフォーメーションで進む。
展示のコーナーは、標本、宝石、人形、模型、石像、絵画、置き物とあるけど、目指すは石像コーナーだった。
「アカネちゃん、何かアテがあるのォ?」
アヤトキが、後ろから顔を覗き込んできた。
オネエの距離感近すぎる。
「さっきアオイが、ストーンガールって言ったじゃん?」
「はい。言いました」
反対側からアオイも顔を覗き込んでくる。
挟むな挟むな。
どうせなら、横に並べ。
ふたりを引っ張って、横一例に並ばせる。
私がセンターだ。よし。
「石像あったじゃん? あれが女の子だから、そこかなって」
「やだっ、アカネちゃんって時々すごく天才よねェッ」
「待って。それほめてないよね?」
もっとちゃんとほめろし。
いくつめかの柱を超えて曲がると、石像の展示コーナーがある。
壁際の彫刻も気になるけど、中央で前後に並んだ石像が一番気になるところ。
前にいる子が、少しお姉さんっぽい。
後ろの子は、少し背が低くて子羊を抱いている。
「確かに、石の女の子ですね」
アオイがまじまじと石像を眺め始めた。
そして、ゆっくりと女の子たちの周りを歩いて、奥へと向かう。
アヤトキの方は、私の隣に立ったままだ。
離れていいんだぞ。
「石で女の子っていうと、ここしか思いつかないんだよね」
「あとは、花よねェ……」
そう。しかも、"魔法の花"なわけ。
彫刻にも花はあるけど、動かせそうにない。
それに、同じ場所にあるなら"捧げる"っていうのが、ピンと来ない。
なら、やっぱり別の場所にあると思う方が、きっと自然だろうけど。
「絵なら動かせるんじゃない?」
絵画だったら、サイズによっては外して運ぶくらいはできそう。
真ん中の通路に戻って奥を示すと、アヤトキは「あぁ~」と声を出した。
「試せるだけ試すしかなさそーね。アオイちゃん、おいでェー」
女の子の石像をぺしぺしと叩いたアヤトキは、アオイを手招きしてから通路に出てきた。
アヤトキの後ろから出てきたアオイは、まだ彫刻や石像が気になるみたい。
「興味あるの? あとでじっくり見ればイイのよ」
こんなところでかよ。
もっと適切な場所があるだろ。
アヤトキの言い分にツッコミを入れそうになったとき、アオイが口を開いた。
「少し気になって……どうして、横並びではないのでしょう?」
「そーねェ……意味があるかもしれないわねェ」
「わかんないけどね」
ヒントもないのに、考えたってどうしようもない。
私だって、石像が前後に並んでる理由は気になるけど。
「あー、けど、カエルには意味があったじゃない? 有り得るわねェ」
「カエルは露骨だったけどね」
「……カエルですか?」
私たちがいきなり、カエルカエルと言い出したからか。
アオイは不思議そうに首を傾げた。
すると、アヤトキがゆったりとうなづいてみせた。
「そーよ。カエルの置き物があったのよ」
「あとで見てもいいですか?」
「いいけど、なんで?」
そんなにカエルって見たいものかな。
ヒントを探すためなら、わからないでもないけど。
でも、一回使ってるしな。カエル。
「可愛いじゃないですか」
まさかのカエル推しだった。
何を言うわけでもないけど、私とアヤトキは顔を見合わせてしまう。
直後、アヤトキの目が泳ぐ。
ものすごく、何か言いたげでもある。
言いたいことはわかるけど、ここはいろいろぐっと堪えよう。
「アタシ、もふもふしてる方が好きかも……」
堪えろよ。
人の趣味にとやかく言うなよ。
アヤトキの言うことはわかる。
私も、どっちかっていうと、イヌとかネコの方がいい。
もふもふしたぬいぐるみやクッションが好きだし。
つい、アヤトキの頭に目がいっちゃう。
「つるっとしてるのも、可愛いですよ」
アオイは真剣だけど、やめてよ。
笑っちゃいそう。
こうやって話していると、本当に緊張感がない。
緊張したり焦ったりしても、出られるわけじゃないからいいけど。
絵画の展示コーナーに入って、花ばかりが飾られている一角に進む。
いろんな花があるみたいだけど、私は花にくわしくない。
「"魔法の花"って、この中にありそう?」
ふたりに聞いてみるけど、ふたりとも首をかしげた。
「マジックマッシュルームしか思い浮かばないわァ……」
「なにそれ」
「毒キノコですよ」
アオイがそっと教えてくれた。
ろくなもん出てこないな、その頭。
ていうか、それを知ってるアオイも相当だけど。
「やーねェッ、毒って言っても死なない方よ!」
「デットオアアライブやめろ」
死ななかったらオッケー、みたいなのもどうかと思う。
「キノコはいいから、花だよ! 花ッ!」
これで真っ当に"花"そのものではなかったら、それはそれで詰む。
私が騒ぐと、アヤトキはやれやれと言いたげに肩を竦めた。
ぶっ飛ばすぞ。
「文の中に、ヒントがあればいいのですけれど……」
絵画の下に掛けられたプレートを見ながら、アオイがつぶやいた。
タイトルは書いてない。
説明文は、本当に絵の説明をしているだけで、画家の名前も入ってない。
やる気あんのか。
「んー……"くゆる恋心の矛先に、揺らぐ光の知らせあり"? はぁ?」
ポエマーすぎる。
アヤトキは、もう読む気もなさそう。
すると、アオイが私の前にある絵を見た。
「アイリスのことですよ」
「え?」
「この花です。恋のメッセージという花言葉を持っているので、その説明になったのかな、と思います」
なるほどな。
でも、知識がないとわからない説明文を、私は説明文として認めないからな。
わかるように説明しろし。
アオイの言葉にうなづいたアヤトキが、別の説明文を眺め始めた。
いや、紹介文かな。どっちでもいいか。
「"淡い心の赴く先に手があればこそ。伏せる指の行方を偽るもの"……やだ。初恋かしらっ?」
「どういうこと?」
「好きなヒトの手って、握れないでしょッ!」
アヤトキが勝手に盛り上がり始めた。
両手を握って祈るようなポーズまでしてる。
どういうこと。好きだったら手くらい握ればいいのに。
ていうか、嫌いなら触りたくないけど、逆だったらいいんじゃないの。
「好きなら触れるじゃん」
「あのねェ、アカネちゃん。情緒って知ってる?」
「アヤトキにはないと思う」
言い合ってる間にアオイが近づいて来た。
そして、アヤトキが見ていた絵を見上げて「アネモネですね」と言う。
「なに? あねもえ?」
「なぁに? あやねえに萌えちゃってるの?」
「マッチ寄越せ、燃やすぞ」
ひとまず、アオイだけが花にくわしいことはわかった。
もうこの際、それで良しとする。
アヤトキ、本当に役に立たないな。
背が高いくらいしか利点が、あ、あったな。
「高いところのは、アヤトキが読んでよ」
私やアオイの身長は、平均的だもの。
高い位置にある絵画の説明文は読みにくい。
アオトキはきょとんと目を丸くしたあと、平らな胸をバンッと叩いた。
「いいわっ、任せておきなさい! 読んであげるから、きっちり聞くのよッ!」
頼られるとテンション上がるタイプっぽい。
アヤトキは、少し下がって壁を見上げた。
天井近くまで絵画が掛けられているわけではない。
けど、私だと背伸びをしてやっと指先が届きそうな位置ではある。
「えーっと……"背表紙に綴る想いの文字。読み終えた彼の目に、触れるまで"……やだ。きゅんと来た」
「コメントいいから、さっさと読んで」
「アカネちゃん、クールすぎわ。さすがボーイッシュ」
「ボーイッシュに謝って」
別にボーイッシュはイコールでクールじゃないだろ。
そもそも私は、ボーイッシュでも何でもない。私にも謝って欲しい。
「"秘めたる俯きの象徴に偽りの影を差し込んで"……ゾッとするわね?」
「アヤトキ」
「"偽りを持たざる者にこそ、天上の扉は開かれる"……やだー、恋から外れたわ。天国ってこと?」
「アヤトキー」
「"天国の鍵を隠した子羊を抱く手は真実を告げる声のもと"……どーなの、宗教的な?」
「アーヤートーキー」
「わかったわよ、もうっ! ……"細波の合間に泣く声に穿たれて"、"宵のうちに知る。解けた小指の儚さに"……」
少しずつ横に移動しながらアヤトキが読み上げる文面は、どれもこれもポエムチック。
パッと聞いただけじゃわかんないし、よく聞いてもやっぱりわかんないし、私は詰んだ。
アオイはどうだろうと思って視線を向けたけど、ふるふると首を振られた。
ダブル詰み。
「"行方知れずの想いは儚く、泡沫とともに"、"文字の羅列に隠された真実の重みに気付くのは夜"、"上向きの瞳に触れる揺らぎの風はただ淡く"……」
アヤトキは一生懸命に読んでくれてるけど、だんだん頭に入らなくなってきた。
とにかく、わかりやすく魔法やマジックなんて言葉が使われているわけではなさそう。
「んーっと、"暁に滲む衣の艶やかさを瞼の裏に"、"月明かりの底は、濡れた風がなぞる乙女の柔肌"……」
そもそも花の説明だとは思えない。
アオイは、うなづきながら聞いているけど。
花言葉とか、ふっと頭に思い浮かぶのかな。
それとも、思い出すのかな。
別にどっちでもいいけど。どっちもできないし。
「ん?」
ふと思ったことがある。
花にばかり気を取られていたけど、文章でちょっと引っかかった。
真実は、文字の羅列に。重みに気がつくのは夜。偽りの影。偽りを持たざる者が扉を開く。
文字に真実。文字は、表紙。裏表紙に文字があったのは、日記帳。
「アヤトキ、日記帳……」
「"過去綴りの一幕に訪れる夜のひとときが、迫り落ちるは終焉の内側"……日記帳!?」
ガバッと、アヤトキが勢いよく日記帳を掲げた。
「やーよッ、またよくわかんないネガティブ見ちゃうワケッ!?」
掲げられたら、取れない。
何してんだこのオネエ。
「裏表紙の文字だよッ!」
「魔法の花がどうのって文字だけじゃない!」
片手を頬に当てて、いやいやと首を振るアヤトキ。
一瞬たりとも可愛いと思えないから、本当にやめろ。
見たくないなら自分だけ見なかったらいいのに、全然日記帳を渡してくれない。
「終焉の内側……やっぱり裏表紙ではないですか?」
「それだ! 裏表紙ッ、ほら裏表紙!」
アオイの加勢を受けて手を叩くと、アヤトキは渋々な様子で腕を下ろした。
受け取った日記帳を裏返して、裏表紙を開く。
できるだけ中身は開かない。
「……迷路?」
「みたい、ですね」
「めーろォ?」
私とアオイが覗き込んでると、アヤトキも上から眺め始めた。
やっぱり問題っぽいものがあった。
まさか二度使うとは思わなかったけど。使いまわしかよ。
とにかく、ピアノから逃げるときによく落とさなかったなアヤトキ。
そこは、やたらグッジョブじゃん。
「迷路にしてはカンタンすぎない? どこを通っても、ゴールしちゃうわ」
アヤトキの言う通りではある。
ふと迷路の下を見ると、"人差し指と親指の間に"と書かれていた。
人差し指。
親指。
間に指なんてない。
「アルファベットも気になりますね……」
適当にぶちまけられているアルファベットを拾うのだろうけど、全て拾っても意味がない。
意味のある順番になっているのか、すべて拾って並び替えるのか。
こういうのは、あんまり得意じゃない。
「このヒントも、よくわかんないんだけど……」
「あら、そー? コレはわかるわ」
「なに?」
「カドじゃない? ほら、親指と人差し指で三角とか作るじゃない?」
「ハートも作れるよ」
「……そーゆーのやめましょーよ」
どういうのだよ。
日記帳の角に触ってみるけど、特に何もない。
「背表紙はどうですか?」
アオイが横から手を伸ばして来る。
応じて日記帳を差し出すと、背表紙を指の腹で押し始めた。
「何かありそう?」
そこが外れたら、日記帳がバラバラになっちゃうけど。
なぞるように指を動かしているアオイは、困ったように首をかしげた。
「読み終えたら触れるとあったので……あっ」
「ん?」
「え?」
アオイが背表紙をなぞり終えたとき、本体と表紙の隙間から細い紙が落ちた。
色あせていて、やたらと古そうな色をしている。
壁に貼ったままのプリントとか、日焼けしたらこうなっていたな。
「やったじゃない、アオイちゃん! アタシは、カドだと思うのよね」
アオイが紙を拾う間に、アヤトキが私の手から日記帳を引き取った。
落ちてきた紙を広げると、そこにも文字が書いてある。
"ナカマハズレが示す方向をタドレ"
何のことやら。