16.アカネ、壁の文字を解読する
「アタシはこれを解かないと、出られないのかと思ったけど……」
ちらりと私を見たアヤトキは、すぐに腕をクロスしてから左右の壁を両手で示した。
なかなか間抜けな格好になってる。
「アカネちゃんが来たってコトは、そーゆーワケじゃないのよね?」
「上から来たからね。でも、出られないのは同じだよ」
「まー……そーよねェ。何にしても、解かなきゃイケないワケよねェ」
良いように言えば、先にアヤトキが落ちてくれたから、この場所を探す手間が省けたかな。
いや、そうでもないかも。私、こっちに向かって歩いてたし。
正面のカタカナ文字に向かって、右側の壁。
そこには、英語で色の名前が書かれている。
さすがに色の名前くらいわかる。
文字が白くて、ちょっと読みにくい。古そうな感じ。
「白、金、紫、青、赤、銀、緑、橙、黄色……」
「別に珍しくないよね?」
「そーねェ」
アヤトキは、まだ腕をクロスさせたまま。
壁を指すのはいいけど、なんでクロスなの。
次に左の壁を見る。
何だろう。数式でもなさそうだけど。
英語と数字。
この組み合わせで、既に私の許容範囲から飛んだ。
英語も数学も嫌いだし。
ついでに化学も物理も嫌い。
「……うーん、単語自体に意味はないのかもねェ」
「何か知ったような感じで言うね」
「ちょっと、やだ! もうっ! バカにしないでちょうだい。オネエ歴何年だと思ってるのッ!」
「知るか」
それに、オネエ歴と謎解きって関係ないだろ。
今までの学習だろ。
やっとクロスを解いたアヤトキは、肩を回してから両手を腰に当てた。
いちいち動きが大きい。
「教えないわよッ! オネエにトシを聞かないでッ!」
「聞いてないし、知りたくないし、時間ないから早くしよーよ」
ひとりで騒がないでほしい。
アオイとふたりきりのときは、すごく静かだったな。
すごく貴重な静けさだった。
「あ、そうだったわねェ。アオイちゃんを待たせちゃいけないわね」
オネエに理性が戻った。
だけど、すぐに問題が解けるとは限らない。
ひとまず、スマートフォンで写真を撮っておくことにした。
これで、あとから見返せる。
アオイの考えも聞けるし。
「temperanceは、2の5の10……うーん、ピンと来ないわ」
アヤトキがぶつくさ言い出した。
ていうか、そんな住所みたいな読み方するの。
「私、勝手に"引く"って読んでた」
「マイナスぅ? 2引く5引くってコト? 掛け算ならわかるけど」
「いや、掛け算でも2×5で10が出るだけで、英語とイコールじゃないじゃん」
「そーだけど」
そんな適当な調子で否定されたくないな。
正面の文字を見て、またアヤトキに目を向けた。
「仲間外れの色を探せって」
「それじゃあ、まずはカラーの方ね? 緑じゃない?」
「なんで?」
「緑だけ三文字でしょ」
「ひらがなにしないで」
英語で書かれていることを無視しないでほしい。
「橙と紫は、四文字だし……」
連続でボケるのも、やめてほしい。
じっと見つめていると、アヤトキは「んもうっ」と唇を尖らせた。
やめろ。
「白があるのに、黒がないとか?」
なんとなく言ってみたけど。
いや、それだったら、紫ってなんだよって気がする。
「金銀、青赤、まではわかるけど、緑も橙も黄色も相方ナシよ」
「相方言うなし。うーん、金と黄色で被ってるとか?」
「やぁだっ、やめて! 金と黄色って全然違う色よッ!?」
全然違うらしい。
私の中で黄色は黄色で、金はきらきらした黄色って感じだけどな。
ファッションにくわしい人とか、絵を描く人とかは違うみたいだけど。
だから何だよって感じ。
「びっくりしちゃうわ……ダメよ、若いうちから磨いてないと! すぐにババアよッ!?」
「ていうか、アヤトキって」
「オネエはババアにならないのよッ!!」
ババアになるのか、ジジイになるのかはアレだけど。
どっちかっていうと、ババアの範囲なのかな。
いや、今はそんなのどうでもいい。
「ババアより先に時間が来ちゃうってば」
「そうだったわ……」
アヤトキ、クールダウン。
波が激しくてすごい。酔いそう。
「そうねェ、答えは色から選ぶとして。それなら、こっちのよくわかんないのはヒントってコトね?」
「だと思う」
よくわかんない時点で、ヒントとして役に立ってないけど。
とりあえず、英単語と数字の関連がわからないと、どうしようもない。
アヤトキが真剣そうな顔で、壁を見つめている。
私も眺めてみるけど、うーん。何だろ。
「わかった?」
「ぜぇんぜん」
「だよね」
ふたりでわからないなら、やっぱりアオイの力を借りた方が良さそう。
スマートフォンをジャージのポケットに入れて、アヤトキに向き直る。
「とにかく戻ろう。ここにいたって仕方ないし。それとも、もっと探索したい?」
「アタシ、ココは相当歩き回ったと思うわ」
もう飽きたわよ、と肩をすくめるアヤトキには、そんなに疲れた様子はない。
割と体力ありそう。うん。ありそう。
「今から戻ったら、ちょうどくらいじゃないかな」
「そ? なら、とっとと出ちゃいましょ。こんな辛気臭いトコ」
上に戻ったからって、別に明るくもないけどな。
うなづきを返すと、アヤトキは一足先に歩き出した。
遅れて通路に出てから、スペースを振り返る。
触れそうな場所や引っ張れそうなモノもない。
本当に、文字だけが書かれた場所だったけど、そういうのもありなのかな。
「帰り道は? わかるの?」
「うん、わかるよ。階段の場所が変わってなかったらね」
「そこよねェ……」
迎えに来たみたいな形なのに、私が迷ってたら意味がない。
分かれ道は右にしか曲がってないから、逆向きにたどればいいだけだし。
歩きながら天井や壁を見てみるけど、やっぱりこれといって何もなさそう。
「何か、問題を解く度にめんどっちくなってる気がするなぁ」
「そーよね? でも、解かなきゃ進めないのよねェ」
「進んでもないけどね」
どんどん追い詰められている気がしないでもない。
ふたり分の足音だけが、空間に響く。
そこでふと、思い出した。
「そういえば、さっきなんで返事しなかったの?」
おかげでくっそ怖かったんだぞ。
見上げると、アヤトキは目をぱちくりさせていた。
「だってェ、反響して誰の声かわからなかったもの。知らない人だったら怖いでしょお?」
ごもっともだけど、アヤトキに言われたくなかったな。
「こっちに来るのかと思ったけど、来ないし……迷子のお仲間かなって思っちゃったのよねェ」
「それは……わかるけど」
私も同じことを考えたわけだし。
でも、走って追いかけようとするなよ。怖かったし転んで痛かったし、散々だよ。
「アカネちゃんこそ、怖いヒトだったらどーするのよ。考えて動かなきゃダメよ。武器もないんだから」
「武器って」
凶器ってことか。
さすが、日記帳を鈍器代わりにしようとした人は言うことが違うな。
さっき曲がった角に近づいて来た。
良かった。
道が変わっていたら、完全に迷子だったもん。
「下がドン詰まりってコトは、やっぱり正解は上よねェ」
「え、なに? ドン?」
「行き止まりってコトよ……」
ジャネギャの鳴き声はなかった。
方言、とかではないのかな。
片手を頬に当てたアヤトキは、前を見てから私に顔を向けた。
「今回は仕方ないけど、今後はあまり単独行動しない方がイイと思うわ」
「危ないから?」
「そーよ。それに、分断されたあとが大変じゃない? アタシのこと、心配だったでしょ?」
「……うん、まあ」
割と一瞬だけど。
すぐに無事だってわかったし。
このオネエ、全く展開を引っ張らないし。
あいまいな返事に、アヤトキは小さく笑った。
何が嬉しいのか、ちょっとわかんないな。
しばらく歩いていくと、階段が見えてきた。
良かった。本当に良かった。
消えていたら、どうしようかと思ったよ。
「この階段ね? はーっ、やっと地下室からおさらばだわァ」
「上も別にそんな大差ないけどね」
薄暗いし。
謎の展示物でいっぱいだし。
だけど、アヤトキは首を振った。
「ここよりマシよ。ま、ヒトリじゃないってのが大きいわね。あとは、アオイちゃんよ」
「たぶん、もう待ってるんじゃないかな」
時間を確認すると、あと五分くらいしかない。
ひとり分の幅しかない階段を上がり切ると、やっぱりアオイが待っていた。
「アカネさん──あ、アヤトキさん!」
何か考え事をしていたみたい。
じっと日記帳を見ていたアオイが顔を上げたタイミングで、後ろからアヤトキが上がってくる。
すると、アオイが珍しく大きな声を上げた。
びっくりした。
そんな声量出るんだ。
「あやねえよー、アオイちゃん! さびしかったァー?」
ウェルカム状態のアヤトキは両腕を広げた。
さすがにアオイはそこに飛び込みはしなかったけど、近くまでは寄っていく。
「心配したんですよっ……あぁ、よかった……」
まじまじとアヤトキを見たアオイは、ゆっくりと胸を撫で下ろした。
単純かもしれないけど、こんなアオイが私たちを裏切っているとは思えない。
無事よとうなづいたアヤトキは、もうひとつの階段を見てから私たちを見た。
「聞いたわよォー、ふたりで謎解きできたんだってェ? やるじゃないっ」
「……あ、いえ、ほとんどアカネさんが……」
ちらりと視線を向けられた。
花言葉だってアオイがほぼやってくれたし、こんなのお互い様だと思う。
軽く首を振ると、困ったように笑われてしまった。
「大事なのは協力したってコトよ! 下にもワケわかんない問題あったけど、三人なら解けるハズよ!」
オネエは元気いっぱいだ。
どんっと胸を叩く動きが力強い。
「ま、ひとまず情報共有ねッ! 上は、何かあった?」
階段の手すりにもたれたアヤトキが、私とアオイを交互に見た。
アオイは少し戸惑ったみたいで、私を見てくる。
いや、なんで私よ。司会進行役なのか、私って。
「それが、その……」
アオイは、やっぱり言いにくそうだ。
何もないならないで、責められることでもないのに。
「……声がしたので、引き返しました」
階段の先で声がした。
なんとなくデジャヴ。同じシチュエーションっぽい。
「それが正解よ、アオイちゃん! 危ないからね、三人で行けばイイのよ! よくやったわ!」
アオイが模範解答を叩き出したことを、アヤトキがほめる。
本当にさっきの今だよ。どこまでタイムリーな話題なんだ。
問題は、アオイが聞いた方の声は完全に知らない人だろうってことくらい。





