16.慈愛と物思い
身体を暖かなものが駆け巡る。
暴走時の、内臓が飛び出しそうな痛みも、吐きそうな目眩も、聞こえなくなっていた耳も、全てが優しく癒えていく。
あの後、無事に余分な魔力を吸い取ってもらえたのか。誰が助けてくれたんだろう。
だけど、あれ?
この暖かなもの、魔力だよね。私のものじゃない。だってふんわりと注がれているのが分かるもの。
身体に意識を向けると、魔力は満ちている。荒れ狂ってもいない。
満ちているところに注がれたら、また溢れそうなのに。そんな気配は全然ない。じんわり染みてゆっくり流れるだけ。身体の中からそっと撫でて労ってくれているみたい。
光魔法? だよね?
いや、でもこれ、それだけじゃないや……なんだろう、この魔法。欠けているところをそっと埋めてくれるような感じ。
全属性に適性があるはずの私でも、こんな魔法は知らない。
答が知りたくて、ゆっくりと瞼を上げる。
心配そうな顔で私を覗き込んでいたのは、エディだった。
鼓動が跳ねる……かと思いきや、彼がここにいることを自然に受け入れていた。何だか、いて当たり前じゃん、って感じ?
「エドワルド先輩が、助けてくれたんですか?」
聞きながら、違う、と、身体が教えてくれる。彼ではない。
それを裏付けるように、エディの顔がくしゃりと歪む。
「俺が助けたかった。だけど、実際にソフィーを助けたのは、ブライアンだ」
身体が覚えている。そう、最後まで風魔法が暴れていて、それでも何とか全てを出し切れて。
だけど、ここにいるのは、エディだけ。
そしてここは、ドラゴンのいた中庭ではない。辺りを見渡すと、見覚えのないサロンだった。
はて。
疑問に思う傍らで、別のことに気付いた。
そっと握られていた私の手。そこから彼の手がやんわりと離れていく。
それとともに優しい魔法がうっすらと消えていく。
ああ、そうなんだ。
「エドワルド先輩が、助けてくれてましたよね」
もう一度私が問うと、苦しそうだった顔がキョトンとした表情に塗り変わる。
ふふふ、変なの。カッコいいのにちょっと抜けてる感じ。
ちょっと楽しくなって、離れていく手を掴む。
ヒクンと少し固まったけれど、振り払われることはなかった。
ああ、うん、やっぱり。魔法が注がれていたのはここからだ。
「あったかかったです。優しくて、心地よかった」
やっぱり身体が知っている。大暴れして疲れきったところを、宥めるように落ち着かせてくれた人がいる。
それはエディだ。間違いない。
とてもとても柔らかな魔法。
「ブライアン先輩にも後でお礼を言わないといけないけど。同じくらい、エドワルド先輩にもお礼を言いたいです」
助けてくれて、ありがとう。危険を冒してでも傍にいてくれて、ありがとう。
浅黒い肌で分かりにくいけれど、確かに少し、彼の頬が上気した。
「聞きたいことがいくつもあるんですが」
ゆっくり身を起こしてから辺りを見渡す。
やっぱりここにはエディしかいないし、知らない部屋だし、今何時なのかも分からないし、何よりさっきの魔法が気になる。
エディがここにいるなら、きっとドラゴンは何とかなったんだろうけど。
何から聞こうか。
考えたところで、私のお腹が小さく鳴った。
………………。
ちょっと! もう少し空気読もうよ、私の身体!! さっきまで癒やしてもらってたからって、なんでそこまで元気になるかな!?
私の耳が赤くなると同時に、エディは普段の調子を取り戻したみたい。
「じゃ、まずは、腹ぺこソフィーのために食事を用意してやろう」
あ。さっきもそうだけど、エディ、私のことを『ソフィー』って呼んでくれてる。
ふふふ、やっぱり変なの。気付いてないんだね。
「ありがとうございます、エディ先輩」
ちょっと楽しくなって、私も調子に乗ってみる。
怒られるかな。嫌がられるかな。
だけどちっともそんなことはなくて。さっと手を引き抜いて後ろを向いたエディは、その直前、さっきよりももっと赤くなっていた。
ふふふ。ちょっと嬉しい。
嬉しいよ。
だって好きな人に助けてもらえたんだもん。
たとえジョークとしてでも、愛称呼びを受け入れてもらえたんだもん。拒否されなかったんだもん。
私の近くにいても、エディが無事だったんだもん。
******
エディが戻ってくる前に、私は部屋を抜け出した。
ウィリアムが部屋へ入ってきたから。
立ち上がって窓の外を眺めていたら、軽いノックの後、断りもなくウィリアムが入室してきた。
話を聞くと、どうやらここは彼のサロンだったらしい。そっか、占拠しちゃってたのは申し訳ない。連れてきてくれたのはエディみたいだけど。そんでもって、ウィリアムが許可なく入室した理由にはならないけど!
もし私が着替えでもしてたらどうするつもりだったのやら。
「着替えてるとは思えないからね、最初から普通に制服だったし、破れてもいなかったし」
……それは結果論じゃ?
軽く脱力した私を横目に、ソファに腰掛けて脚を組むウィリアム。
「不安定な魔力の話、ローズから聞いているね?」
「はい」
「エディや私たち王族に、あまり近寄らない方がいいことも?」
「……聞いています」
軽く頷いたウィリアムが「それならこれからどうすればいいか、分かるね?」と笑いかけてくる。……いやいや、目が笑ってない。怖い。
はあ、まあ、私も気にしていたことですよ。むしろ、助けてもらった時に何事もなかったようでホッとしましたよ。
「どうすればいいかは分かっていますが、聞きたいことが色々あります。その説明は受けられるんでしょうか?」
10秒程の間が開いた。
「善処しよう」
あ、これ、無理なパターンだね。
善処する、考えておこう、それはまた今度、答えは全て……って感じの言葉が、脳裏に展開される。
これ見よがしに溜息をついてやる。王太子に対して不敬だね。ふん、知ーらない!
一度大きく伸びをしてから、この部屋から外へ出るための順路を教えてもらう。
ごめんね、エディ。
せっかくご飯、持ってきてくれるのに。
でも、私は、エディの命の方が大事。
******
ドラゴン侵入騒動のため、体育大会は中止。
私自身はしばらくの安静を言い渡され、自室待機。もう大丈夫なんだけど。これは体のいい軟禁ですね。
部屋から外をぼーっと眺める。いい天気。
考えることは色々あるけれど、考えが纏まらない。
全ての情報を押しのけるように、ついつい考えちゃうのは、エディのこと。
勝手に出てって怒ってるかな。しっかりお礼言えなかったな。
あの後、大丈夫だったかな。私に近付いちゃったけど、何も危険はなかったかな。
どうしようもないモヤモヤを振り払って、机に向かう。
一度は逃げたドラゴンだけど、完全に倒し切れていない。それなら、きっともう一度現れる。
だから私は、揃った虹色アイテムで国王へ手紙を書いた。ゲームと同じように。
全属性、最高レベルまで魔力が増したこと。
ドラゴンがまた現れるかもしれないこと。
ゼヴィアに次いで総合魔力が高いはずの私は、ドラゴンに立ち向かうことができること。
皆を守りたいから、ドラゴン討伐に参加させてほしいこと。
適当なインクを弾いてしまう虹色ペンは、虹色インクを事も無げに吸い上げる。
書いた傍からラメの乗った黒色へと変わっていく。
他のペンでは書けなかった虹色便箋は、何の苦もなくインクが乗る。
便箋は、ペンが進む度に淡い色合いへと変わっていく。
手持ちのスタンプでは押せなかった虹色シーリングワックスは、いとも簡単に封緘した。
ワックスからはふわりと光が溢れて、消えた。後に残ったのは、微かにラメの残った、薄い虹色。
寮の管理人さんを通じて、手紙を出す。
誰に宛てればいいか分からなかったから、とりあえず王宮宛て。それなら中身を検められるだろうし、内容を見れば、誰かが然るべき所へ伝えてくれるんじゃないかな。ゼヴとか。
そうそう、ゼヴ。
ウィリアムには何も問い詰められなかったから、てっきり底知れない笑顔で突撃してくるのかと思っていたんだけど。
来なかった! 何だよ話聞き出したかったのに!!
結局、安静扱いだからローズにも会えず。
誰からも情報はもらえず。
考えることは、エディのこと。
******
手紙を出してから、数日。部屋のドアがノックされた。
はぁい、と入室許可を出すと、ドアから姿を見せたのは、ウィリアムだった。
何それ、意外すぎる。
「今度はきちんと許可を待っただろう?」
「当たり前です」
女性の部屋ですよ?
すまない冗談だよ、と、笑いながら眉を下げた顔は、4月、初めて会った時の顔と一緒。最近全然見なかった、こちらを優しく気遣ってくれる、先輩の顔。
「国王陛下から許可が下りたよ。ソフィア・クラーク、君をドラゴン討伐隊に組み込む」
早っ! いや、いいんだけど。思ってたより早くて驚いただけ。
ただし、と言葉が続く。
「出陣は今からだ。ドラゴンがこちらへ近付いてきていると連絡を受けている。
そして、結界の外で直接対応に当たるのは、君を含めて三人」
三、人……?
「総合魔力の高い者を選定した。君と、ブライアン。そして三年生のヴァン。この三人で、ドラゴンの目前で戦闘してもらう」
「さすがに無茶が過ぎませんか」
どのエンディングだろうと、もう少し戦う人数はいた。
すまないね、の顔のまま、ウィリアムは話を続ける。
「魔法局からの増援は頼んでいる。だが、それまで黙って待っているわけにはいかない。
他の学生は、実戦に出せる程の力がない。前に出しても危険なだけだ。多少実力のある者は、結界近くを担当してもらう。
そして学園内、一番結界の強い場所で、私やアル、ローズ、エディが保護される。ディーン先生がその守護の任。
だから、極力遠い場所で、ドラゴンを足止めしていてもらいたい。魔法局員が到着したら、彼らと共闘」
そっか。エディも、ローズも、安全な場所にいるのか。
「ゼヴィア様は? 前にドラゴンが出た時、あの場にいましたよね?」
「ゼヴィアは魔法局長。彼が王宮の守護役だ。あちらで結界を張っているから、ここにはいない」
ありゃー。ゼヴが出たらだいぶ楽だよね、って、頼りにしかけたのに。
「いないものは仕方ないですね。分かりました、頑張ります」
「おや、即決?」
「選択肢なんてないじゃないですか!」
すまないね、の顔から、真面目な顔に戻ったウィリアムが、しっかりと頷く。
「それからね。本当は三方に別れて戦ってもらいたかったんだが、ソフィア嬢とブライアンは対になってもらう」
は? ここでBルート!? まさかね、妹分だもんね。
「二人とも、風魔法の魔力がほぼ最大値だ。双方が連携して風魔法を使うタイミングを調整しないと、二人の風魔法が周囲に危険をもたらす」
「えーと、それは……ウィリアム先輩の、いや、王太子殿下の指示ですか?」
「ああ、そうだ」
あ、良かった、それならゲームとは違う。
私が好きなのはエディだからね。容認できるのはEルートだけだよ!
「さて、あまりのんびり話している時間はない。行こうか」
軽く頷いて、席を立つ。
「あ、そうそう。一つ聞いておきたいことがあったんだ」
部屋の入り口で立ち止まったウィリアムが、くるりとこちらへ向き直った。
「ソフィア嬢。君、好きな人はいるかい?」
「はい!?」
声が裏返った。何でそれを今聞く。……言いたくない。うう、ここでそんな話したくない。しかもこの人相手に。ライバルWはまだ立ちはだかるのか! そりゃそうか!
……ん? あれ? 黙秘してる時点で認めてるも同じじゃない?
同じ結論を導き出したんだろうウィリアムが、また、すまないねの顔になる。
「だからか。腑に落ちた」
何に納得したのか分からないけれど、ウィリアムは今度こそ振り向かず、部屋を出て行く。集合場所は校門だよ、と言い残して。
さて。ヒロインのお仕事、頑張ってきますかね。




