10.夏休み
課題地獄から間髪入れず、淑女教育が始まった。
課題を三日で終わらせるのもなかなかに辛かったけど、その後もハードだわ。薄々感付いてたけどね!
身体のあちこちが悲鳴を上げる。頭がパンクする。
ストレス解消に、お菓子……アイス……食べたい……。
いやいや、食べない! 食べないよ!! 我慢する!
「食べてもいいのよ?」
「悪魔の囁き、やめてーーー!」
「ちょっとくらい触り心地が柔らかい身体の方が、エディは嬉しいんじゃないかしら?」
こら、いいとこのお嬢様がそんな高校生男子みたいなことを言わないの!
文句を言ったら、「あら、エディは高校生男子よ?」と返された。そういうことじゃない。
「真面目な話、普段よりカロリーを取らないと倒れるわよ? 三食の食事だけではたぶん足りないもの。
いいこと? あなたは今からエディに釣り合うだけの力を付けなきゃならないの。
最低限の教育だけはマグニフ国で終わらせておかないと、ハイベルグへ渡ってもエディと引き離されて終わりだわ。
そうなると、どうしても詰め込み気味にならざるを得ないの。倒れないためにも間食は必要よ」
淑女教育、6月くらいからウィル兄様に話をしているのにちっとも取り合ってくれないんだもの、と、ローズが眉根を寄せて唇を噛んでいる。
「いや、あの、エディと付き合うこと、前提でいいの?」
「当たり前じゃない。あなたの敵は、ドラゴン、エディの身分、ウィル兄様の妨害。
このうちドラゴンは、今後もパラメーター管理で頑張る。虹色アイテムも今まで通り、きちんとチェック。
エディの身分は、あなたの力が付けば何とかなりそうよ。全属性が使えて、なおかつ力がある。それは立派な武器だもの。魔力以外で最低限必要なのは、王族と並べるだけの作法と教養。
あとはウィル兄様さえ何とかすれば、障害なんてほぼないわ」
二人が想い合っているのなら、わたくしも全力を出すもの、と、握り拳を作るローズ。
だからさ、それよりも何よりも一番大きな問題は、エディ自身の気持ちじゃないのかね?
私のツッコミを華麗にスルーして、ローズの演説は続く。
「だからまずは、わたくしが今できる最善策、淑女教育なの」
体力パラメーターを上げる副産物で、スタイルが良くなってきているわ。
上位貴族が身に付けるような布が多くて重いドレスだって、よろめくことなくバッチリ着こなせるはずなのよ。
だから、ドレスに慣れつつ、作法やダンスを鍛え直すの。
学力パラメーターを上げる副産物で、自国内の歴史政治経済などが頭に入ってきているでしょ?
つまり、上位貴族に必要な各派閥や政治理念の把握だって、以前よりもしやすいはずなの。
だから、社会科目の復習をしつつ、最新の情報を増やすの。
これまた学力パラメーターを上げる副産物で、隣国の歴史地理風習も囓りだしているわよね?
だから、これを機にハイベルグ国やその関連国の知識をもっと増やしていくの。
ほら、わたくしでもこの程度は手伝えるわ?
つらつらと並べ立てられた理由に目を白黒させてしまう。
「準備していた時は、高位貴族と交流を持つ可能性が高いから、損にはならない……そう思っていたけれど。
今ははっきり、エディに狙いを定めているもの。こちらとしてもやりやすいわ!」
握り拳を突き上げて、明後日の方へキラーンとした目を向けるローズ。
お嬢様、お嬢様、どんどんキャラが崩れていってるよ? あ、もしやこれが、アルバートの言っていた「少し変なところがある」というやつですか?
******
そんなこんなで8月も上旬が過ぎた。
普通なら休みを満喫していたはずの時期。淑女教育であっという間に過ぎ去っていく。
ローズ曰く、これで基本中の基本だって言うから、目眩がしてくる。
せめて前世の知識が何か役立ってくれれば……とも思ったけど、そもそも私、ゲームや小説なんかのサブカルチャー系しかまともに覚えてないんだった。私本人の記憶すらないよ! ここぞという時に使えない!
「頑張って。もう数日で、避暑旅行よ!」
ローズのその言葉を糧にして、ヘロヘロの身体に鞭を打つ。
「念のため聞かせて。旅行先での勉強は、何もないよね?」
「さすがにわたくしもそこまで鬼ではないわよ。一緒に遊びましょ? 湖で」
湖かー、まさに避暑って感じだね! 周りはやっぱり森なのかな、山なのかな。日焼け対策の他に虫刺され対策もしなきゃね。
ん? 湖……?
まさか。
「夏休みのイベントって、どこやらの湖で遊んでる時に起こるよね?」
「そうね?」
「アルバートとブライアンも来るんだよね?」
「ええ。あとエディね。誘ったらOKの返事が来たわ」
やった、エディに会える!
ではない。冷静に。
湖に、ABE……。
やっぱり夏休みイベント狙ってるよね!? わざとだよね!! 「もしかしたら」があるといいなって考えてるよね!
あれ、でも。
「ローズ。万が一、Aイベントが起こってもいいの?」
「起こらないわよ」
自信満々に断言されて、ちょっと面食らう。
「ソフィー。あなた、Aルートは渋々クリアだって言ってたわね?」
「うん」
「もしかして、攻略を見ながら一発クリアしたんじゃない?」
おお、見事当たり!
途中までは一直線で進めて、魔力暴走のポイントでセーブしてから選択肢操作でトゥルーエンドとグッドエンドを分岐させて、おしまい。
「夏休み前の選択肢によって、Aイベントが起こるか起こらないか、変わるのよ。
イベントが起こらないのは、A以外の攻略対象者一人以上が湖バケーションに参加、かつRも一緒に参加している場合」
「お、おう、うん? 複雑……」
「簡単に言えば、わたくしとブライアンがアルと一緒に行く時点で、Aイベントは潰れているってことよ」
だから気楽に私を誘えたワケね。
そっか、湖か。……エディとのイベントが起きてほしいけど、高望みだよね……。
******
晴れ渡る空、遠くに浮かぶ白く眩しい雲、鮮やかな木々の緑、彼方に連なる山々、時折風で波打つ静かな湖面。
知ってる? 湖って、遠目から見るとただの鈍い銀色なんだよ。私知らなかった! 水色だと思ってた!!
ってことで。
よっしゃー! 休みだーーー!
ローズ名義の別荘、そのベランダから素敵な景色を目の当たりにして、私は大はしゃぎですよ。
テンション高い私を、ローズとアルバートがほんわかと笑って見ている。
うん、笑いたければ笑いたまえ。私は今、解放感と興奮とで心が広くなってるからね!
ブライアンやエディは、それぞれ別に向かってくるんだって。
アルバートから聞いた話によると、エディは直前まで政務をこなすらしい。忙しいなら無理しなくていいのにね。ウィリアムもパスしてるんだし。
そりゃ、私は会えて嬉しいけど? 引き抜き工作したいだけなら、別に後期始まってからでもいいんだよ? ……うん、無理してないか、勝手に心配してるだけ。
そろそろ着くかな、とアルバートが言った、まさに今、階下から声がした。
二人同時に到着したみたい。
ああ、なるほど……やっぱりBとEが遭遇してるんだね。
久しぶりに見るエディは、やっぱりカッコよかった。はあ、輝いて見える。
エディに見とれないように注意しつつ、二人に挨拶。
今日は旅装を解いて、サロンで軽くお喋りだって。移動だけでも疲れるもんね。
直前まで仕事だったならエディが一番疲れているはずなのに、そんな様子を欠片も見せず、嬉しそうにニコニコしている。やっぱり詰め込みで疲れている時は休養がありがたいんだね。一緒一緒。それにしてもタフだなぁ。
ローズを除き、誰かと二人きりになることなく(イベントの可能性があるブライアンや、少しだけ期待していたエディともだよ)、二日経った。
ここまではのんびり時間を過ごすことが多くて、私はスケッチブックを抱えてベランダへ出たり、皆とカードゲームで遊んだりしていた。
ベランダでの写生、エディと会わないかなーって少し期待してたけど、残念ながら一緒になることはなかった。スケッチブックを持ってベランダを出た時にエディとばったり会ったけど、ちょうどその時に下からアルバートに呼ばれて、会話できなかった。惜しかった。
******
今日は、湖で遊ぶ日。
ちなみに、別荘から湖までは少し距離があるから、湖畔に建てられた小さめヴィラで準備なんだって。別荘の更に別荘……ダメだ、別世界。一応、うちにも別荘はあるんだよ。こぢんまりしたやつがね!
制服スカートが膝丈の時点でだいたい察することができるけど、まあ、普通に水着ですよ。
ローズはホルターネックでフリルのビキニ。似合ってる。かわいい。美人。アルバート、閉じ込めておかなくていいの? ラッシュガードとかストールとか何か巻き付けておかなくていいの?
私はローズみたいにスタイル良くないから(普通体型だからね!)、ショートパンツタイプのタンキニ。制服みたいに茶色茶色しいのは嫌だったから、カラフルなのにしておいた。白地に、青とか緑とかオレンジとか、色が斑に散ってるやつ。目が痛くならないように薄めの色、だけは気を付けた。うん、褐色を避けて、白一色は透けるから止めたら……これくらいしか思い付かなかったんだ。
――こういうのありませんか、ってお店の人にお願いした時、ローズが無言で笑ってた。
あ、旅行に来る前、ローズの部屋に来た外商さんで買ったんだよ。まさかの侯爵様持ち。マジか。いいのか。
水着の色、誰かに何か言われても困る、かといって何も言われないのもムズムズする、と、我ながら面倒臭いことを考えながら、着替え一式を抱えて適当な部屋に入る。
と、部屋の中には、半裸のブライアン。
水着ハプニング、やっぱり起きましたかー。
あ、うん、思ってた以上にいい身体でしたが。眼福とまでは言わないけど、嫌なモンでもなかったですが。ブライアンの着替えを見てもねぇ。
ふっつーーーに着替え続けるブライアンに、私も一つ頷いて冷静に回れ右。心構えしといてよかった。
で、部屋から出たらエディとばったり。
「ん? 着替えないのか?」
「えーと、あっちで着替えてきます」
「そっか。じゃ、また後でな」
私と入れ違いに、エディが部屋に入る。
「は? えっ!? 今、ちょ、え、まさか!?」
エディの焦った大声が聞こえてきた。別に男同士なんだし、水着ハプニングなんてどうでもいいでしょうに。
さて、空いてた部屋、他にどこかあったかなぁ?
ドッドッドッ、と早くなった鼓動を宥めながら、廊下を進む。
着替え中のブライアンと遭遇したことより、エディと遭遇したことの方が、心臓に悪い。
うん、やっぱり、ここまでB(とSの入れ替わった)イベント、全て起きてるんだよ。
これ、どこまで続くんだろう。ドラゴン戦まで続くのかな。
このままでいいのかな。ヒロインのお仕事、できるのかな。
結局水着の色については、誰にも何にも言われなかった。
分かりにくいギリギリを攻めたからね。自己満足だからね。
エディがこちらを見て少し目を細めていたけど……見るに堪えない身体だとか思われてないといいな、と、そっちが気になった。
身体を隠すためにも、浮き輪でプカプカ浮かぶローズのところまで、すいすいと泳いでいく。身体が勝手に動くから、前世では水泳が得意だったんだと思う。
「あら、泳いじゃっていいの?」
サングラスを額に押し上げて、ローズが首を傾げる。
「何で?」
「わたくしはビキニタイプだし、パレオも買ってあるからいいけれど。ソフィーは、水から上がったら、水着が肌に張り付くわよ?」
……考えてなかった。身体を隠すつもりが、後で曝け出すだけだったなんて!
「仕方ないわね。アルにお願いしてあげる」
「な、何を……」
「火魔法で水着を乾かしてもらうのよ。だから、そんな泣きそうな顔は止めなさい」
ありがとう、ありがとう、ホントありがとう!!
これで心置きなく泳いで遊べるよ! まったく現金だね!!
先に上がったローズがこっそりアルバートを呼んで、私の水着を乾かしてくれた後。
またまたばったりとすれ違ったエディが、後ろでアルバートに何やら文句を言っていた。
ローズのクスクス笑う声が聞こえてきたから、私に関するネガティブな話題じゃなかったと信じておこうっと。
オパールの色だよ。




