一話 始まり
絶賛受験中ですが一年以上執筆せず我慢できないので小説投稿します
なので次の更新はしばらく後です
滑り止めを受けないのでもし全落ちしたら萎えて更新しません
模範生らしくいつものように教授に媚を売りに、大学へ通う途中の駅であえなくこの世からドロップアウト。工学部なので哲学なんて崇高な学問は触れたことはなく、死後の世界は真っ黒、もしくは天国と地獄だという曖昧なイメージだったが、実際に死後の世界を通り抜けると雪国であった。ええ
「さ、寒い」
雪国の風の子でもない俺は、雪をどけてその場で縮こまる他なかった。体は小さくなっているし、数少ない女子と接点が持てるようにと、お母さんが選んで買ってくれた服はボロボロの布切れになっている。どれほどの時間が経ったのかは分からないが、体を震えさせながらも頭の中で情報を整理していた。
考えれば考えるほど絶望という感情しか出てこなかった。一度死んだ筈の身ではあるが、なにも二度も死を経験したいと思える人間にはなったつもりはない。体を刺す風から身を守る為に、思い切って小さな手で雪を集めて壁を作ろうとする。
やがて出来上がった壁は低く、命を繋ぐには心もとないが大きく音を立てる風を避けるには十分だった。それは俺に落ち着きを取り戻させていた。
「やべぇ、どう考えてもこの先生き残れる未来が見えねえ」
子供のような体躯で真冬の地を生き抜くのは人間という存在である限り不可能としか思えない。かじかむ手を温める為に吐いた息は冷たく、白くなって出てくることもない。
朝お母さんが用意してくれた緑茶を、熱いからと難癖つけて飲まなかった俺をぶん殴って土下座させたい気分になった。緑茶の神様が怒りのあまり俺をここに連れてきたというならば、茶柱は一生見れなくてもいいので元の世界に戻してほしい、後生だから、なんて祈っても果たして返事は返ってこない。
寒さから来る震えと痺れは祈りのお陰か次第に引いていき、あんなに痛いほど体を刺していた寒さは我慢できる範囲に収まる。人間頑張れば以外と気合で乗り越えられそうだ。その乗り越えた先にある渓谷は登山家のみぞ知る。彼は俺の背後の木をアイスピックを突き立てて、暖かい毛皮のジャケットに包まれながら一歩ずつ確実に降りていく。
頭はハンマーで殴られたかのように痛むが、そんな頭痛よりも寒さから逃れる方が重要だ。立ち上がって錆び付いた機械のようにぎこちない体を奮いたたせ立ち上がる。風は止み、思い通りに事は進んだと口角を上げる。この状況の俺を助けてくれるエスキモーはスタッドレスタイヤを付けたバイクで雪の上を爆走し、ドクターヘリがプロペラを回す音は絶えることがなく、俺は小さな壁を蹴飛ばして立ち上がる。舞い上がった虫は命を燃やし尽くして飛び上がる。
「おおい!ここだ!北極点は俺が一番乗りだぞ」
喉を振るわせる為に送った電気信号は超電導を引き起こし、俺の体を駆け巡る。
ああそれにしても眠気が収まらない——
○
「あ、死んだ」
心地よい睡魔から一瞬にして離れる代わりに再び寒いという感触を取り戻す。またか、と思うと同時にどこかホッとした自分もいた。もしかしたらここは地獄なのかもしれないが、自分の意思すらも消えてしまうという死に対する底知れぬ恐怖を持ってしまった俺にとっては些細なことである。
直前に気が狂っていたのは夢ではない。確実に自分の身に起きたことだが、その時の自分はもういない。では今は、と聞かれてもはっきりとそれが何か答える自信はなかった。すでに死んだ筈なのに生きている時点でおかしいが、突然襲う超自然的な現象に頭は全く追いつく意欲さえ見られないのだ。
二回死んでみたはいいものの、今の状況を打開するアイデアは全くといっていいほど浮かんでこない。しかし周りの様子を見ると、最初の場所からわずかだが移動していることに気がつく。ひょっとしたら、何度も死ぬかもしれないが、我慢して歩いていけば人に会えるのではないか?そんな淡い期待にもすがるしかない俺は切り裂くような寒さを我慢し、小さく、しかし確実に一歩一歩進んでいく。すぐに足の裏の触感を失うが、これは小枝や石を踏んでもなんともならなくなるので逆に有難い。
そんな覚悟ができたおかげか、前の自分より遠くまで進むことができた。俺は薄れる意識の中、そんな達成感に身を包まれ柔らかな雪の上に倒れこんだ。
◯
自分の勝手なイメージでは、地獄というのはどこもかしこも炎だらけで熱いものだと思い込んでいたが、意外とそんな評判とは違うらしい。それではここはまさに死ぬほど寒くて、熱い、の逆なんだから天国かと問われたらそうだとも違うとも言い切れなかった。天国にしては俺に容赦ない。だが自分は生前、人間として“良い”とされる事ばかりしてきたのだから、当然死後は天国だろうと意気込んでいたからだ。こんな立派な人間が天国に飛ばされない訳がない!と、俺は何度目かも分からない死を迎えるのだった。
◯
変わらない景色。未だ他の生き物たった一匹でさえ見ていない。辛い。心なしか死に辛くなった気がする。
◯
「あ?」
声帯を震わせたのは何日振りであろうか。少なくとも凍死しても何も思わなくなっている程度には時が経っている。しかしそんなことよりも重要な物が俺の視界に入っていた。
熊だ。どうやら冬眠はしないらしい。しかもこっちを見ている。これは凍死以外の死因に期待できそう。
凍り付いていた筋肉が久方ぶりに熱を帯びるのを感じた。無意識のうちに体を抱えながら俺は走っていた。かなり不器用な走りになっているだろうがそんなことは構わない。自分に残っていた死へ恐怖の残滓に突き動かされただただ足を動かしていた。意外と俺は痛みというのが怖いらしい。何度も死ぬ事で手に入れた客観視、という諦めに近い感覚で俺はそう思った。
前のめりに倒れる。やばいと思って立ち上がろうとするができなかった。巨石の様な質量の物体が、俺の左手に容赦なくのしかかる。枝を折った様な、パキリ、とした乾いた音がした。追いつかれたのだ。俺の寒さではなく恐怖に歯を打ち鳴らしていた。背中にかかる吐息が火で炙られたかの様に熱く感じられた。熊の顔は見れないが、笑っている様に思えた。
左手に乗せられた物が退けられたかと思うと、再び勢いよく乗せられる。それが何度も何度も繰り返された。次第に骨が折れる音もしなくなった。痛みはそれほど最初よりは収まっていた。神経も一緒に潰されたのだろう。そして熊は俺の左手を持ち上げたかと思うと、肉が潰れる音と共に喪失感が俺を襲った。喰われたのだ。柔らかくしてから食べるとは、中々こだわりが強い熊である。
こういう時に限って俺の体は中々死のうとしない。一度怪我した時も生き返ったら傷一つ無かったので左手も治るだろうから、早く楽にしてほしい。熊が俺の左手を堪能し、飲み込んだであろうところで再び吐息がかかる。次は頭にしてくれと願う。
ヒュッと風を切る音がした。それに続いて熊の怒号が俺の体を揺らす。何が起きたかは分からない。熊はどこかへ逃げていく様だ。合わせて熊とは違う、何かが俺に近づいてくる音がした。
「まだ生きてるのか」
人の声がした。俺は声のする方に顔を何とか向ける。俺が返事をしないうちにそいつは俺の体を起こし、暖かい毛皮の様なものを被せ、黙々と俺の左手があった所を止血している。俺はそれを現実とは思えず、ボーッと眺めていた。止血するのに断続的な痛みが襲うが、今更反応することもできなくなっていた。
一瞬意識が飛んでいた。いつのまにか焚き火も用意していた様で、その熱に当てられ俺の背中は火傷したように痛かった。それよりも俺に俺に触れる人物の体温がちょうど良く、そいつは俺に体温を分け与えるかの様に密着していた。そして俺は、何度も経験した死へ誘う心地よい睡魔とは違う、微睡みに誘われるまま瞼を次第に落としていった。
◯
眼を覚ます。どこか建物の中にいるらしい。家具などはほとんどない。生き返ったわけではなく、久しぶりの覚醒というのに違和感を覚えた。肌を突き刺す痛みに横を向くと簡素な暖炉で火が燃え盛っている。俺はその火から逃げる様に部屋の端っこへ移動し、かけてあった毛皮の服で熱から体を守ろうとする。どうやらあまりにも凍死するもんだから、俺の平均体温はすっかり低くなってしまった様だ。生前の俺と同じような色をしていた肌も、今では雪の様に真っ白だ。あの状態から生還するとは、我ながら無駄に頑丈になってしまったらしい。
そして左腕は無かった。右利きだとしてもこれがなかなか不便で、どこか不自然な感じだ。早く楽に死にたいものだ、と恐ろしいくらい簡単にそんな気持ちが浮かんでくる。
周りは石の壁で囲われて、窓や扉といったものは一切無く、寂しく燃える炎に暖炉と薪、そしておそらくトイレであろう穴だけだ。自由に動き回れるくらいには広く、外に比べたら圧倒的に快適である。まあ空気が無くなって窒息死でもしてしまいそうだが、そこまでの気遣いはこの空間の製作者はできなかったらしい。上を見上げると暖炉の光に照らされて、微かに扉のような物が見え隠れしていた。登っていけそうにもない高さだし、久しく訪れなかった安全という環境からわざわざ出ようとする気概も起きてこない。
◯
とうとう火に飛び込む勇気は無いまま暖炉の火は燻り始め、ヒヤリとした冷たさを足の裏から感じる。息は荒く、あんなに俺を殺したあの寒さに再開したいくらいだ。何をするまでもなく一人悶々と自分の今の境遇について考える俺だったが、今度は食欲という厄介な奴が襲って来た。正にお腹と背中がくっつきそうだという表現が今の俺を表している。
噂をすれば何とやらで、上から木が軋む音がして暗い空間に光が差し込む。少なくとも今は太陽が上がっているようだ。
「飯だ」
「あ、どうも」
冷たく、黒い影からスルスルと何かが紐に繋がれて降りてくる。俺はフラフラと立ち上がり紐を片手で何とか解く。そしてすぐに紐は上がっていった。それは「蜘蛛の糸」を連想させた。
扉が閉じる音を気にせず、俺は眼を凝らしてそれを見る、が勿論のことながら暗くて何もわからない。この際なんでもいいかと、一番大きな何かを口にする。噛んだ途端に口の中で鉄っぽい風味が広がる。なにかの肉のようで、加熱さえしていないようだ。味は大してついていないが俺の体に染み渡っていった。俺は一心不乱にその肉塊を口にしていた。
食事はその肉と水だけだったが、生き残る上で重要なタンパク質が取れたのは大きい。いや、一度死んだ方がこの左腕も治り、食欲もリセットされたのかもしれない。いい加減片手なのは辛い。
俺は冷たい地面に敷かれた布に寝転がる。寝ている間に窒息死でもしていればいいのだが。
◯
あんなにも簡単に死んでいたこの体はいつのまにかしぶとくなっているようだった。寒さにも慣れ、俺は暗い部屋の端っこで何をするわけでもなくただぼうっとしていた。
ところでここはどこであろうか。今更そんなことを考える。このような頼りのない(実のところ対して変わらないが)体に変えられてしまい、シベリアの様な極寒の地に飛ばされてしまっている。加えて死ぬ事はない。今自分がいる場所はどこかの集落であろう。さらに人を石を敷き詰めただけで、コンクリートなど一切使われてない粗雑な空間に押し込めるなどを顧みると、未開の地の部族か何かに捕まってしまったのだろうか。
「おい、出ろ」
上から声がかけられると、軽い音を鳴らして梯子が降りてくる。そして俺は彼らの言葉を理解できる事に気がついた。なんともまあ摩訶不思議な事だと諦めつつ器用に梯子を登っていく。
久方ぶりに外へ出てみると、俺が想像していた蛮族とは違い、随分小綺麗な民族衣装といわれるであろう服をそれぞれが着ている。肌は今の俺と同じ様に真っ白で、目元を毛皮でできたアイマスクに穴を開けた様な物を付けている。結構暖かそうだ。
彼らは一様に俺に対して槍を突きつけ、俺に対して歩くように促す。そこで、遠目から眺めている人物が俺を助けてくれた人だと気がついた。それほどじっくりと見ていたわけではなかったがなぜか分かった。その人物は大きな弓を身に付けてただこちらを見ていた。感謝の意を表すように軽く会釈するが反応はない。
誘導されるままについて行くと、がっしりとした体つきの男に問答無用で首枷をつけられる。馬車に繋がれた荷台に乗るように言われ、俺はよろよろとよじ登る。中には大量の動物の毛皮や牙などが置いてあり、僅かながら食料など、日用品まで置いてある。もしかしたら俺は売られたのかもしれない。まるで荷物扱いだ。
「あのー」
「ん、なんだお前喋れたのか」
「まあ、そりゃあ...」
一緒に乗り込んでいた男に話しかけると、割と軽い調子で返事がくる。剣を腰に差し厚い毛皮のコートを皮鎧の上に被せている。暗い室内でぎょろぎょろとした目つきが目立つ。
「お前、何ができる。少しでも生き延びたいなら一芸あった方がいいぞ」
「それってどういう…」
理解力は人並みにあると自負しているが、不安からか俺は次々と質問を投げかける。彼は手持ち無沙汰な為か俺の会話に付き合ってくれる。
途中で急に顎を上げられ、俺は恥ずかしさから目をそらす。
「中々いい顔してんじゃねえか。この様子じゃ例え片腕でも捨てられるこたあねえな」
無くなった腕がずきりと痛む。
「つまり男娼って事ですか…」
「んー、よく知ってんな。俺はそんな趣味はねえが、中々これが需要あんだ」
「死にてえ…」
大きな声を上げて笑う彼に驚かされ、俺はキュッと尻に力を入れた。小さくなった肩を震わせる。
◯
「ん?」
彼は立ち上がると荷台から顔を出して周りの様子を伺っている。俺はあまりの冷たさで張り付く首輪を温めながら彼を背後から眺めていた。
「おい!狼がいるぞ!」
「何?」
彼は外へ出て警戒するようだ。出るときにめくれ上がった布の隙間から冷たい体が吹き付ける。ブルリと体が震えた。慣れたとはいえ俺の体は怯えている。
しばらく彼が狼を追い払おうとする音が聞こえてくる。もしかしたら狼は俺を助けに来たのかもしれない。だがよく鍛えられた彼には敵わないだろうが。例えライオンと戦っても勝てそうな覇気を放っているのだ。
何度か矢が弓から放たれる音を聞き、その音もすぐに止む。無事に追い払ったのだろう。
「…」
俺はこの先どうなるのだろうか。死に対する恐怖、そのような感情はない。よく分からないが俺は決して死なない。
残った腕を上げて眺める。今までの自分の腕と比べてかなり細くなっていて頼りない。そして最初は黄色人種の肌色をしていた腕は不自然に思える程に新雪の様な白さに漂白されている。我ながらあまりにも人間離れした色である。
最初は寒さに弱かった俺だが、何度か死ぬと(?)寒さに鈍感になっていた。もしかしたら俺は死ぬ毎に適応しているのだろうか。なんとも不思議である。
俺は起き上がる。バランスを崩しかけるがなんとか持ちこたえた。荷台から顔を出すと横には彼が剣を抜き身で持ちながら馬車に追随していた。
「おい、中に入っとけ。危ねえぞ」
俺は小さく返事をすると顔を引っ込め固い床にどかりと倒れる。
「あー、イライラする」
今の理不尽な状況にだ。とにかくイライラする。俺は深くため息をついた。