暗殺者は教えるのも得意?2(番外編)
疲れますねこれは
「本日二回目の授業ですね、さぁ今回は中華世界の分裂と挑戦、日本です」
「あぁぁぁ、さっきまた、後でってグレイが言ったから嫌な予感がしてたんだぁ!まだ数分しか経ってないぞ、流石に主が疲れてきているぞ!」
「主の意思です」
はい、そうです。
「では行きますよ!まず後漢は黄巾の乱の後に衰え、3世紀前半には魏、蜀、呉の3国が分立しましたが、魏に代わった晋が中国を統一しました」
「また覚える必要がありそうな単語が出てきたぁ!!!おっ!蜀呉の晋魏(食後の審議)で覚えよう!」
こういう時には頭が回りますね……いかに楽がしたいか。
「そしてついで華北では匈奴や鮮卑、チベット系などの小国家が興亡しました、これを五胡十六国と言います」
「うむ、やはり脳が疲れてきたぞ……」
「頑張りましょう、あと10分の8です!」
「あぁ、もういい!早く進めてくれ!」
「で、その後は華北で鮮卑が立てた北魏が統一したのですが、その後は分裂や交代が繰り返されました(北朝)、そして朝鮮半島では高句麗に加えて南部に百済と新羅ができ、日本列島でも大和政権ができました。」
「大和政権がこの時代か、なるほど」
「そして次は隋唐帝国と朝鮮、日本についてです。」
「こ、今回展開早くないか?」
「いえ、要点をまとめているのでそう感じるのです、前回が要点が多すぎたのです!」
「そうだったのか」
「では続けます、6世紀後半に隋の楊堅は南北朝を統一してを統一して、均田制を実施し、架橋を創設しました、また華北と江南を結ぶ大運河を開きました」
「な、なんだ!こいつ化け物か!大運河を開くほどの魔力だと!」
「いえ、これは結構地道にやったそうですね」
「そ、そうか、よかった」
「ですが、2代目煬帝の時に残念なことに反乱が起きてしまい隋は滅んでしまいました……」
「なんで反乱が起きたんだ!」
「先程言った通り地道にやったわけですから、大土木工事などで負担がかかり過ぎたのですね」
「た、大変なんだな」
「そして隋に変わり唐の親の李淵・子の李世民の父子により中国統一が成し遂げられました。
唐は律(刑法)、令(行政法)などによる律令体制で支配しました、農民は一定の土地を割り当てられ(均田)、かわりに穀物や絹布を収める租税や労役(租調庸)、兵役(府兵)の負担を負いました」
「だ、ダメだ、こんなに覚えられないぞ!」
慌てて手を振る。
「いえ、出来ます、ルーシー!あなたなら出来る!なので続けます。
7世紀末に則天武后が一時周と改め帝位につきました、その後即位した玄宗によって唐は繁栄していきます。
それで前回の諸子百家が栄えました。
そして都の長安はよく賑わっていました」
「まるで冒険者ギルド……」
ポツリと呟いた。
「そうですね、色々な人で賑わっていますし、似ていますね、終わったら息抜きに行きましょう、なのでこれを先にやりましょう、そして日本は7世紀から遣隋使や遣唐使を派遣して、渤海とも交流しました」
もしもーし、ルーシーさん、顔が死んでますよ……。
「次は党の衰退についてです、まず唐ではこのごろ均田制が崩れ始めたので、募兵性を採用せざるを得なくなり、その指揮官(節度使)が辺境に置かれるようになりました、いわば見張りですね。そして節度使の安禄山らが起こした安史の乱を契機に、唐は大きく変わりました、租調庸制は両税法に変えられ、藩鎮という行政権と軍事権を握り割拠する者もあらわれました、そして9世紀末に起こった黄巣の乱は鎮圧されたのですが、そのせいで唐は衰えて節度使の朱全忠に滅ぼされました」
「な、長い、これは覚えるのに時間がかかりそうだな……」
「では今日はこれで終わりにしましょう、明日はもっと増やしますからね?」
「ほ、程々に頼む、じゃあ冒険者ギルドに行こう!」
「では皆さんまた明日!」
明日はルナも出てきますよ!




