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3.自室

 肉の焼ける匂いでアキレスは目を覚ました。

 自室の天井の木目が目に入る。朝から肉を焼くなんて、母さんは何を考えているんだろうと、顔をしかめた。肉は美味しいとアキレスは思っているが、いくら貴重な食材だとは言っても、朝から嗅ぎたい匂いだとは思わない。

 肉を焼くだけの理由があっただろうか、と布団に潜ったまま、アキレスは思考する。その貴重さと、調理に伴う臭いから、思いつきで朝から肉。なんてことはないだろうとそう考えた。しかも、今日のは特に匂いが強い。おそらく新鮮な生肉を焼いたのだろうと、予測される事態に驚いた。

 つまり、少しばかり特別な日、程度ではない。アキレスの家では基本的に新年、成人、結婚、出産ぐらいしか祝い事はない。日程的にもそうだが、そのどれにも当てはまらない。家によって違いもあるが、近所の家も似たようなものだ。近所の家から漂ってきた臭いという訳でもなさそうだと考える。


 いくら考えてもわからず、早々に降参し、アキレスは布団から出ようとする。喉が渇いたようで、水が飲みたくて仕方がなかった。腹筋を使って、起きあがろうとして、全身に激痛が走る。ドラゴンの飛来したあの戦闘から、丸二日寝込んでいたとはいえ、アキレスの身体から痛苦や疲労というものは消えていなかった。

 ただ、眠り過ぎたのか記憶は混濁しており、アキレスは身体の異変を突然のモノと感じ、恐れ慄く。苦みを受け流すため「おぐぅ」とか「ああぁう」と珍妙な声を漏らした。その声は肉の脂の匂い漂う家の中に静かに響いた。隣の部屋で不釣合いに豪勢な夕食を楽しんでいた男女の耳にも届く。


 彼らはアキレスの両親、アネルバスとエスポソアであった。瀕死の息子を放置して贅沢を尽くすような薄情者ではないと、先にフォローしておこう。

 この二日間、目を開かぬ息子につききりでいて、ろくに食事をしていなかった事がたたり、二人して空腹に目を回した。交代で食べるというアネルバスの案もあった。しかし、一度息子の元を離れ、心を落ち着けようと二人でキッチンに立つ。エネルギーを蓄える為にも肉を焼いた。

 ちょうど、大量の肉が手に入ったのだ。伝承によると、鳥と鯨を合わせたような味で、上質な脂ののった弾力のある筋肉質の肉。無理だとわかっていても家畜化を夢見る者が後を絶たなかったほどに美味らしい。個体数、討伐の難しさから、当時から非常に貴重であったらしく、神々の子孫である王族への献上品に選ばれる品であった。

 当時ですら食べた事のあるものが島に一人もいなかった。百数十年もの間、外界から切り離された島だ。伝聞に伝承を重ねた味など当然想像はつかない。

 未知なる美味に想いを寄せ、二人を会話を交わす。まだ燻製にしていなかった生肉を調理する。そろそろ加工しなければ、悪くなってしまうだろうという事に二人は気がついた。明日にも作業をする必要がある。受け取った時、自分たちでやるからといった手前、やはりと人に頼む訳にもいない。アネルバスは自分がやっておくからと、愛する妻に息子を託す。少し、元気を取り戻せたのかもしれない。


 そうして調理した(焼いただけの)肉を、陶器の皿に載せ二人して頬張る。普段の食事など、かつては繁殖力だけが取り柄と言われていた、味気無い蔦植物の種子(マメ)を中心としたものだ。最低限の食料かつ家畜の餌と長年の洞窟生活を助けてきた、食卓の味方だが、美食のカケラもない。

 飢えを防ぐ食事に慣れた身体には肉の脂が旨味となって口に広がる。初めて食べると言っても過言ではない肉の脂は、少々重いが、口の中に甘みを残す。

 一筋の感動を覚えたエスポソアから控えめではあったが、美味しいわね、と二日ぶりの笑顔がこぼれた。アネルバスも、これは美味いな、と賛同し、燻製肉との違いに驚く。肉の種類が違うのだが、彼にとっては肉は肉だ。


 顔に生気を取り戻し、ご馳走に舌鼓を打つ。こんな時だが、一気に食べてしまうのがもったいなくて、肉を小さく切ってチビチビと食べる。黙々と目の前の旨味と向かい合う。会話は無い。

 そこに、今まで死んだように眠り、呼吸音しか発することの無かった息子の部屋から、うめき声が聞こえた。

 二人は顔を見合わせ、同極の磁石が弾かれるようにテーブルから飛び上がる。半分ほど食べ勧めていたご馳走にはもう目もくれない。息子の名前を叫び、彼の元へ向かおうとする。

 部屋の境には仕切りなどないが、入口の向きと衝立で視線が通らないようになっている。早くその姿を確認したいというのに、わずか一メートルの距離がもどかしい。二人して衝立に激突しながら、部屋に雪崩れ込む。その姿に、アキレスの抱える痛苦からフォーカスがはずれた。ギョッと驚いた表情を浮かべ、仰向けに寝っころがったまま、「どうしたの? 父さん、母さん」と、そんな風に声を出した。実際に発音されたのはもっとくもぐった声で、二人には獣の呻きのようにも聞こえた。

 怪訝な顔を浮かべる息子に対して、二人は涙を浮かべ彼に飛びつく。似た者夫婦というか、同時に飛びついたせいで、ゴンッと盛大な音をたてながらお互いの頭突きがクリーンヒットしあう。頭をしこたまぶつけながらも怯まずに、再び息子へと突撃する。オンオンと泣き、困惑の表情の息子の胸に縋り付く。


「父さん、母さん。本当にどうしたんだよ?」


 自分の胸元で感情を爆発させる両親の姿に、抱きつかれた事で全身に走る痛みに、アキレスは顔を引きつらせながらも二人の背中に手を回す。正確には右手は父親の背中を抱えたが、母親を抱きしめることはできなかった。

 左腕がない。

 母親のつむじから、肩、上腕。膝がない。肩から膝にかけての十数センチのところで、腕が途切れ、グルグルと包帯が巻きついている。騒ぎ出すでもなく、失った左腕をじっと見つめる。凍りついたように動かない。


 喜びの中、アネルバスは息子の顔が目に入り「アキレス……?」と、彼の名前が口から漏れた。その視線の先にある者は、確認しなくてもわかる。夫の声に、エスポソアも顔を上げ、その視線の先に気がつく。彼女も、夫と同じように息子の名を漏らす。

 時間の止まったような空間でエスポソアが動き出す。アキレスの頭に手を伸ばし、髪を撫でる。抱きしめてやりたかったが、身体を横たえたままの彼に抱きつくことはできない。

 何か、語りかけることもせず、辛かったことを早く忘れることができる様にと祈る。赤子に触れるような、優しい動きだ。


「アキレス。何があったか、覚えているか?」


 彼の口から無事を、どこも悪くないかと、聞きたかった。生きて帰ってくれたことに対する感謝はまだ伝え足りない。彼の目を見て、その気持ちを抑えた。その目に喪失感ではなく、困惑を感じ取り、問うた。

 アキレスは腕の先から視線を外さず、首を小さく横に振る。全身の痛苦も、左腕の行方も、何もかもがわからない。

 頭にぼんやりと、水たまりに立つ少女の姿が浮かぶ。


「何があったのか、教えてよ」


 父さん。と、アキレスは答えを求める。



 アキレスは寝床から身体を起こせぬまま、涙を流した。戦場で流した涙とは別の種類のモノであった。声をあげず、悲しみを混ぜて押し流す。恋人のエレアナを始めとし、顔馴染みの同僚達の姿が頭に浮かぶ。


 入り口の守りについて間も無く、現れた骸骨獣に対処するため、警備の面々はバリケードを出た。いつも通り広場に散開し、相手を無効化するためにいつも通りに各々が武器をふるう。ここまではいつもと何ら変わりはない。

 戦闘が半ばに差し掛かった頃、悪逆非道のドラゴンが現れた。鱗と呼ばれる、アネルバスの掌を倍程度に大きくしたサイズの、薄く硬い肉付きの良い三角形で深い緑のシールドを体中に纏う、首の長い四足歩行にずんぐりとした腹を抱えた伝承通りの姿をしていた。

 ドラゴンは、街一つを消失させると云うブレスを吐き、広場を吹き飛ばした。街一つという規模ではとてもなかったが、バリケードの中にいた後方支援を除けば、アキレス以外の生き残りはいない。十分な威力だ。


「それも、覚えていないのか?」


「警備当番があった事も覚えてないし、今日がいつなのかもわからないよ」


 父親の確認に、暗い顔を浮かべ、アキレスは答える。

 アネルバスの説明がまた始まる。エスポソアがアキレスの食事を用意するために席を立った。内容を嫌がったという訳ではない。アキレスの腹の虫が叫んだ事が原因だ。できる事ならしばらく離れたくないと考えている。


 そうして、ドラゴンのブレスによって、踏み固められた土がかき回され、草木も何も広場には残らなかった。呪いの産物と、倒れ臥すアキレスの姿があったという。降り立ったドラゴンといえば、アキレスには目もくれず眠り始める。

 生き残る事となったファームスを始めとする後方支援のメンバーは、ドラゴンがアンデットとして起きあがる事、強大な魔物が暴れ出してしまう事を恐れて手出しをしなかった。そのことを、ファームスらは謝っていた事。ただ、その時間を使い、アキレスを助けるために動いてくれた。しかし、ドラゴンは息絶えた。

 曰く、骸骨兵の剣がドラゴンの首を貫き、絶命した。伝承にあるドラゴンの弱点、逆鱗を貫かれたのではないかという事だ。


 アキレスはドラゴンの鱗の硬さを知らない。やはり、これも昔話程度の知識だ。実体験も、比較対象も足りていない。実のところ、骸骨兵の武器はダイヤモンドを研磨する事ができる硬度がある。その事実を知っているものはおらず、確かめる事も困難であった。

 ただ、骸骨兵の武器が硬いという事実はよく知っている。無造作に振り下ろされた骨製の大剣が、岩を叩き斬るシーンをアキレスは思い浮かべた。逆に、逆鱗という弱点を突かなかったのであれば、あの硬い剣であってもドラゴンの身体に傷つける事ができないと考えられている事を知る。


「そんなに皮膚は硬かったの?」


「剥ぎ取った鱗を使って、鎧を作る事ができるらしい」


 皮膚ではなく鱗だ、と訂正し、その薄さと硬さを語る。完成すれば、街にあった鎧が全て霞んで見えるだろう。と、アネルバスはそう言って、運ばれてきた息子から脱がした時のまま、部屋の片隅に捨てられている鎧にチラリと視線を送る。使い古された鎧についたアキレスの血痕は、すでに乾ききっていた。

 アネルバスの頭に浮かんでいるのは、鎧がもっといいものだったなら、という例えの話。島で手に入る程度の鎧ではどうにもならない。と言うのが、アネルバスもうすうす気がついている、妄想に対する回答だ。


 かすめた妄想はすぐに彼方へと追い払い、息子へと向き直る。とはいえ、大方戦場での事は話し終えた。詳しく聞きたければ、ファームスを始めとする生き残りに聞いた方が早い。

 故に、助けられたお前は、とアネルバスが話し始めたのは事後の話だった。

 話すことと言えば、どのようにして運ばれてきたとか、ぐったりとしたアキレスの様子。ファームスや(今年のまとめ役)の言葉。分けてもらったドラゴンの肉。気分を変える為につい先ほど食べた事。その味。このあたりに来ると、意図的に明るい話題を選び始める。

 アキレスも未知なる美食に興味を示す。腹の虫がまた鳴いた。


 ただ、エスポソアの用意したメニューは肉ではなかった。ご馳走を出し渋った訳ではない。消化を考え、マメとイモのスープだ。

 その夜、アキレスは、全裸のエレアナに抱きしめられる夢を見た。

家畜の飼料をどうやって賄っているのかって問題を全く考えていなかった事に気がついた。

ファンタジー設定を悪用して、便利な植物が誕生した瞬間である。

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