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2.ソニャルロコカ

「手を出すな! アキレス!」


 ファームスの大音声はドラゴンの耳にも届いた。

 先ほど思わず放ってしまった、人間にドラゴンブレスと呼ばれる炎弾から、壁の後ろに身を隠すことで生き残った人間たちは手を出してくる気が無いと判断する。唯一、自分に向かって駆けて来る、アキレスと呼ばれた若い雄の個体も、あまりにお粗末な装備と彼の周りに漂う魔力から、鱗にすら傷をつけることはできないと判断し、無視をすることに決めこむ。


 ドラゴンは知性生命体だ。元々ドラゴンの言語が人の使う文法の元になっていることもあり、言葉の理解は朝飯前である。この世に生れ落ちてまだ八十二、三年の若いドラゴンとはいえ、ソニャルロコカも例外ではない。


 ソニャルロコカの身体に、小鳥のアンデットの群が飛びつき、啄む。薄い翼膜ですらこの程度ならばはね返す、硬い鱗は嘴を通さない。だからと言って、のんびり構えているのも限界がある。何匹かが鱗の剥がれた部分から肉を裂いた。体格の差が大きい為に致命傷には至らないが、煩わしい。

 ブルと身体を振るわせ、ソニャルロコカは纏わりつく羽虫のような存在を追い払おうとするが、いつまでも動き続けることは叶わず、あまり効果を発揮しない。何匹かを地面に叩きつけ、踏みつぶしてもなお変わらない。上空にいた時に群がってきた骨の身体をした魔獣達のように、自らの命に対して無頓着な様子を見た。

 資金潤沢な兵士の装備する最高峰の防具ばかりを見ているソニャルロコカの目には、アキレスの修繕を重ねた胴体から太ももだけを守るプレートメイルなど、全裸にも等しい。ソニャルロコカの腕を払われただけで即死しかねない創意工夫の種族が、全裸でメイスを振り上げ、猛然と向かってくる様子は、ある種異様だ。


 こんな所はさっさと飛び立って、巣に帰りたいと望む。


 アキレスのメイスが振り下ろされた。よくも、と恨みを叫ぶ。

 悲痛の叫びから、ソニャルロコカはアキレスが仲間を殺されたことに怒り狂っている事を知る。かと言って、ドラゴンが人に対して悪かったなどと罪悪感を覚えることはない。

 それどころか、アキレスの行動に、怒りを覚え、空に向かって高く吼える。喉を鳴らして威嚇をし、『痛かったぞ』とソニャルロコカは創意工夫の生き物を睨みつける。同時に、朽ちかけの防具や粗末な武器だけを見て、取るに足らぬと判断した自らの未熟さを悔いた。彼の復讐など気にも留めない。



 アキレスは、空に向かって吼えるドラゴンの姿を見て、攻撃が効いている事に安堵するとともに、やっと聴力の不能に気がついた。かと言って、既に逃げるわけにはいかず、アキレスはドラゴンの目に飛び込まんとするように、メイスを構え直す。防御に魔力を割かなければならない事はわかりきっている。ソニャルロコカに一撃を与えた(つるぎ)は、魔力の節約のためにしまう。


「エレナ、見ていてくれよ」


 すぐに俺も行くからと、島のタブーを口にする。

 再度左拳を握りしめ、シールドを作り出す。先ほどよりも小さい。確実に守ることだけを念頭に置いた過剰なサイズではなく、最低限の大きさを保ち、形状を変化させる前提で作り出した標準よりも小さいモノであった。込める魔力の量によって、サイズや硬度を変えることのできるシールドの利点を生かすための大きさだ。魔力の節約のために完全に消しておきたいところだが、目的の形状を作り出すよりも、変化させる方が圧倒的に早い。魔力の節約をしつつ、対応力に重きを置いた運用である。

 そのような防御寄りの構えをとったが、いつまでも待ちの一手でいるわけにもいかない。仇が再び飛び去っていってしまうかもしれないという心配もあるが、アキレスが恐れているのはアンデットの襲来だ。

 ソニャルロコカの放った一撃によって辺り一面吹き飛ばされたせいで、アキレスの視界には、ドラゴンに群がる小鳥のアンデット以外はいない。しかし、今は、という話であって、アキレスを標的にしないとは限らないし、真打の登場がありえないというのは都合のいい話だ。

 小鳥に啄まれるくらいなら、まだ致命傷にはならないが、大型か中型の骸骨獣が来てしまえば目も当てられないコトになる。もちろん、一対一(タイマン)が理想だが、待っていてその数が減るワケでもない。


 アキレスとソニャルロコカがにらみ合い、ただ一瞬の膠着の後にアキレスが動いた。左のシールドを突き出すような真似をせず、移動のため防御の構えを削る。かと言って防御を捨て去るわけではない。

 自らに向かって来るアキレスに対して、ソニャルロコカが右の前足を掲げ、即座に鋭い爪を斜めに振るう。アキレスのシールドが展開されている彼の左側を狙ったのは、もちろん慈悲や白痴ではなく、ソニャルロコカは利き腕が右だったに過ぎない。

直前で自らの未熟を悔いたばかりだと言うのに、無頓着な様は愚かとも言える。だが、仕方がないとも言えようか。変えがたい種族差という壁をソニャルロコカは知っていた。


ドラゴンが腕を振り上げた。その一瞬でアキレスに何の対策をすることができるというのだろう?

逃げる方向もイマイチ定まらず、ただ、強固なシールドを張るのみだった。せめて、一歩でも踏み込みを深くし、メイスを握る右手に力を込める。

 気がついた時には、青天井。全身の痛みと、それを上回る左肩の痛みを抱えて、アキレスは目を開いた。失神していた訳ではない。ドラゴンの腕との衝突で、彼の体が宙を舞い、物理法則に従って地面に叩きつけられた。

 痛みを逃がすように口を大きく開け放ち、濁点が踊り狂うような汚らしい音を漏らした。声にならないものが全て吐き出されたというべきか。アキレスの目尻に涙が貯まり、堪えることなくスーッと流れていく。その一滴を皮切りに、ボロンボロンと涙が溢れる。


 大の字に近い体勢で、地面に投げ出されたまま、アキレスは泣いた。仲間たちの死を悲しむとか、死の恐怖に押しつぶされてとか、敵を打てない無念だとか、痛みとか、ありとあらゆるが混ざり合わさって、感情が弾けた。アキレス自身、自分がなぜ泣いているのかいまいち理解ができない。

 立ち上がろうと思えば、立ち上がることはできる。メイスは飛んで行ったが、魔力を(つるぎ)に変え、もう一度、武器を握ることができる。


「エレナ」


 また、彼女の名前が口から漏れ出た。アキレスが動き、立ち上がり、生きようとするただ一つの動機は、エレアナが多くを占めており、その事実が彼の口を動かした。その身体は、無意識のうちに生きようとしていたのかもしれない。彼女の仇を討たんがため、嗚咽を押しとどめ、動き出す。あからさまな茨の道に足を踏み出す行為である事はすでに身をもって知った後だ。

 仰向けに転がったまま、腹筋だけを使って起きあがろうとして起きあがれず、うつぶせになろうとして、動きを止めた。エレアナの事が頭を離れた。左腕が無いことに気がついたのだ。比喩でもなんでもない。痛みを訴える左肩の、その先が無いことにアキレスは気がついて、視線をそちらに向けた。

 頭を整理するまもなく、追撃が飛んできた。じゃれつくように、爪を内側に巻き込んだドラゴンの拳の甲でアキレスの身体を弾く。アキレスの身体はタンブルウィードのように軽快に転がる。まだ死んではいない。


 最後に身体が二、三度跳ねる。再び仰向けで地面に投げ出された。転がっているうちに圧迫された胸が不調を訴え、ゲホゲホと激しい咳を漏らす。首を伸ばし、目蓋が勝手に閉じた。

 その咳は十何秒ほどで落ち着き、アキレスは荒れた呼吸を整える。鈍角に開いた首の角度を戻していき、その途中で首が横に倒れた。平らとは言い難い、凹凸のある地面に沿った動きだ。首は、何の因果か、転がって来た方向に倒れる。アキレスはまだ目を閉じたままであった。もし目を開いていれば、同僚の首を咥え、こびり付いたウェルダンの焼き肉をを齧り、飲み込むドラゴン。食事をするソニャルロコカの姿を間近に見ることになっていた。


 岩の影の男が、叫びだしたい衝動を抑え、唇をかんだ。後ろから抱きつくようにして、今にも叫び声をあげかけていた先月十四になった(成人した)ばかりの少女の口を両手で塞ぎ、耳元で「耐えろ」と囁く。

 少女は半狂乱しながらも、耳元の声に従って、荒い深呼吸を繰り返す。目元には叫び声が涙となって溢れる。気を失ってしまえば楽であったが、それは叶わなかった。

 別の岩陰や、崩れかけの洞窟の入り口に隠れた仲間たちの誰一人として気を失うことはなかった。各々が唇を噛み、目を背け、拳を握り、息を潜める。胃の中身を吐いた者もいた。半開きの口から、大きく開いた口から。必死に音をたてないよう、吐瀉物で顔を汚す。


「俺は、アキレスを助けるぞ」


 永遠とも思えるドラゴンの咀嚼。後方支援の中でも、治癒魔術に優れた青年の一人が、呟いた。目の前の邪悪な化け物(ドラゴン)が、残った遺骸を前菜に、メインディッシュに舌なめずりをしているように見えたのだ。

 同じ岩に身を隠していた壮年の男が、彼を諌めた。ストレートに死ぬぞと、安易に想像できる未来を口にする。「第一、どうやって」と方法を問う。青年は答えられない。


 彼らの言葉を耳にし、ソニャルロコカは隠れていないで早く手当をしてやれよと、過剰に怯える工夫の生き物に呆れた。先の二撃で溜飲は下がっている。人間程度にドラゴンが長く感情を持つことはない。古き竜の盟約で、今のままではアキレスを食べることができない為、ヒソヒソと会話する二人に対して、ソニャルロコカは異様に硬く一向に噛み砕けない頭蓋骨と合わせて苛立っている。


 アキレスの呼吸が次第に整い、それに合わせて、薄目が開いた。ボヤっとした動作で、思い目蓋をこじ開け、瞳が顔を出す。涙とにくちゃりと濡れた顔は、擦過傷にまみれ、土に汚れ、生気を感じさせない。視界にソニャルロコカの姿を捉えているはずだが、ボンヤリと見ているだけで身じろぎもしない。

 くたりとその身を投げるアキレスの姿は、生きるのを諦めたようにも見えた。

 頭蓋骨を噛み砕くことができなくても、舌を上手く使えば、その隙間から中身をかき出せる事に気がついたソニャルロコカは割かし満足そうだ。纏わりつく小鳥の骸骨を払いのけがてら、翼を広げ、二、三度はためかせる。


「――――」


 そうして、満足の内に首を落とされ、ソニャルロコカは唐突に息絶えた。

 少女が一人、アキレスに走り寄る。布切れ一つ纏わぬ姿で、彼の頭を抱え起こす。足の裏と現在進行形で傷を作る膝を除いて、その身体には傷一つない。彼の名前を呼びかけ、エレアナは彼の頬に手を添えた。


 アキレスのかろうじて保っていた意識がとぶ。今度こそ、自分は死んだのだと思い込んで。

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