夜中の電話
孝正の葬儀から一週間が、何事もなく過ぎていった。
圭太は学校から帰ると、自宅の居間にあるソファで寝転がり、考え事をしていた。よほど、「あのこと」が気になっているのだ。
「圭太、いつまで“あのこと”を気にしてるんだよ? もう一週間が過ぎているじゃね―か」
達也がシャ―ペンを回しながら聞いてくる。
今日は達也が珍しく“一緒に英語の予習でもやろうぜ”と言い出したのだ。
「だって、気になってるものは仕方ね―よ」
圭太は頬を膨らませて起き上がり答える。
「葬式に来た誰かが入れたんじゃね―のか?」
「何のために…? 探してみる必要があるかもな」
「マジかよ?! 葬式に何人もの人間が出席してたと思ってるんだよ? 探すほうが無理だぜ?」
達也は冗談はやめろよというような口調で言いながら、圭太のソファに近付いてきた。
「そうだけど…」
――やっぱり気になるよな。なんでヒマワリなんだ? 鈴木さんが好きなチュ―リップじゃない、ヒマワリを生花の中に入れた理由は一体…?
圭太はため息をつきながらそう思っていた。
「そんなおっかね―顔すんなって!」
そう達也が言ったとたん、玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろ…?」
圭太は呟いて、玄関へと向かった。
ドアを開けると、四十代前半の女性が立っていた。
「突然、すいません。私、鈴木孝正の妻です。聖一さんおられますでしょうか?」
「今、仕事でいませんけど…何か?」
「ご相談があって…」
孝正の妻は泣きそうな表情で答えた。
「おれでしたら、代わりにお聞きしますけど…。とにかく中へどうぞ」
圭太は見るに見かねて、孝正の妻を家の中へ入れて、圭太達がいる居間へと通した。
「すいません。突然、押しかけてしまって…」
「あ、いえ、全然…」
圭太は首を横に振る。
「失礼ですけど、下の名前は…?」
達也は聞く。
「志のぶ。鈴木志のぶです」
「で、親父に相談とは…?」
志のぶが自分の名前を答えた後、すぐに圭太が聞いた。
志のぶは言おうかどうか迷っている様子だ。その様子に、圭太と達也は互いの顔を見合わせた。
「もしかして、“主人は誰かに殺されたのではないか?”と思って、親友であり、警察官でもあるオレの親父に相談に来られたんではないですか?」
圭太は迷っている志のぶを見つめて聞いた。
その質問に、達也と志のぶは驚いた表情をした。
「オイ、圭太。何、言ってるんだよ?」
達也は圭太の服の袖を引っ張る。
「なんで、そんなことを…?」
志のぶも圭太の家に来た時同様、泣きそうな表情を再びして聞いた。
「あなたの表情を見れば一目瞭然。胃ガンで亡くなったのは事実だが、病院内で誰かが胃ガンの進行を早めて、主人を殺したのではないか? そう思ったあなたは、オレの親父に相談しようと考えた。違いますか?」
圭太がそう推理すると、志のぶはうろたえながら頷いた。
「なんでそう思ったんですか?」
「主人は手術が出来ない程の末期の胃ガンでした。だけど、主人の主治医は、手術をしなくても四ヶ月は生きられると言われていたんです。それなのに、それを聞いた三週間後に亡くなるなんて…。どう考えてもおかしいんです」
志のぶは二人に訴えた。
「それでオレのところに…?」「そうです」
「でも、それって普通じゃね―の?」
達也はジュースを一口飲んでから言う。
「他人から見れば普通ではないかと思います。でも、主人の両腕には無数の注射の跡が残っていたんです。主治医は“注射はそんなに打っていないし、鈴木さんが入院してから注射は二回だけだ”と言っていました」
――なんだって?!
さらに志のぶは続けた。
「注射以外に点滴もしていましたが、点滴も週に一回か二回くらいで…。両腕に注射の跡なんておかしくないですか?」
「注射や点滴なんて両腕に…」
達也の言葉をさえぎるように、
「バカッ! 注射や点滴の針を刺す時は片腕だろ? それに針の跡なんて二、三日すれば目立たなくなるだろ?」
圭太は少し怒るように言った。
「そうか…そうだよな…」
「しかも、主治医が診察した翌日に、注射の跡があり、主人は亡くなったんです」
志のぶは付け加えて言った。
「えっ? じゃあ、亡くなる前日は注射の跡はなかったんですか?」
「そういうことです」
志のぶの答えを聞いた圭太はあ然とした。
「注射の液体って何かわかりませんか?」
「聞いてないんでわかりませんが、写真ならあります。主治医に無理にお願いして借りてきた物なんです」
志のぶはバックから写真を取り出し、二人に見せた。
「腕が全体的に変色してるな」
写真を見ながら、達也が呟いた。
「そうだな。注射器に何か液体を入れて、鈴木さんに注射したんだな」
圭太は腕を組んだ。
「大体のことはわかりました。この件、親父に話しておきます」
「はい。ありがとうございます」
志のぶはホッとしたような表情をした。
「…そうか。志のぶさんがそんなことを…」
聖一はため息まじりで呟いた。
圭太は聖一が署から戻ると、志のぶが話したことを全て話したのだ。
「親父はどう思う?」
「志のぶさんの話に嘘はないだろう。病死ではなく殺人か…。難しいことになってきたぞ」
聖一は顔をしかめた。
「自殺ってことはないよな?」
「どういうことだ?」
「鈴木さんは手術が出来ない程、胃ガンが進行していた。それで自分はそう長くは生きられない。それだったら死んだほうがいい。そう考えて、注射器に何か液体を入れて自殺したっていうのも考えられるけどな」
立っていた圭太は、聖一のベッドに座り、自分の考えを言った。
「圭太の考えも一理あるが、注射器はどこで手に入れたんだ?」
「病院だしいくらでも手に入れようと思えば、手に入れられるだろ?」
「それは百歩譲って、無数の注射の後はどう説明する? 一人では注射はそう何本も打てないだろう。第三者が加わっていないと無理だろうな」
聖一は圭太の考えを否定した。圭太はしゅんとなる。
――やっぱり自殺は無理か…。
圭太はため息をつきながら思う。
「圭太、鈴木の葬儀の日、気になることがあるって言ってただろ? それに、島川京ノ助を見た時の圭太と達也君の様子がおかしかったぞ?」
聖一は圭太の隠していることを見透かしたような言い方で聞いてきた。
圭太はまいったな、という顔つきになる。
「仕方ね―な。実は鈴木さんの見舞いに行った時に、島川京ノ助からの手紙をたまたま水花ちゃんが見つけて…。それで、三沢警部が島川京ノ助を教えてもらった時に、“鈴木さんの手紙の相手はあの人か”って思ったんだ」
圭太はすまなそうに全てを白状した。
「そういうことだったのか…」
聖一は頭をかきながら呟く。
そして、しばらくの間、二人のに沈黙が続くと、聖一が口を開いた。
「今週の土曜日ってあいてるか?」
「午前中は学校の授業だけど、午後からはあいてるけど…」
「達也君と水花ちゃんを連れて、警察に来て欲しいんだ」
聖一はそう告げると立ち上がった。
「なんでだよ?」
「その時に話す」
「はぁ…?」
わけのわからないという声を出した圭太。
その圭太を背後に、聖一は部屋を出て行ってしまった。
午前二時、辺りは静かだ。勿論、塚原家もだ。
そんな静かな塚原家に、電話のベルが大きく鳴り響いた。圭太は不機嫌になりながらも、電話の受話器に手を伸ばした。
「もしもし?」
圭太が眠そうな声を出しても、相手は何も反応しない。
圭太は受話器に強く耳を当てても、電話の向こうからは何の音も聞こえてこない。
「もしもし?」
圭太はもう一度呼び掛ける。
「鈴木孝正と島川京ノ助の関係を知らなくてもいい。もし、知ってしまえばお前を殺す」
相手は機械で声を変えているのか、声がおかしい。
「お前は誰だよ?」
「殺人の悪魔」
「殺人の…悪魔…?」
「いつか、お前を殺しに行く」
そう言うと、電話はプツリと切れた。
――オレを殺しに行く…?
圭太は今までに感じたことのない恐怖感に襲われた。
「圭太、どうした?」
聖一が起きてきた。
圭太はさっきの電話のことを話した。
「大丈夫だ。いざとなれば、オレがお前を守るよ」
不安になる圭太に言った聖一。
「そんなに不安になるなよ」
「うん…」
「さっ、部屋に戻って寝るんだ」
聖一に促されて圭太は自分の部屋に戻ったが、なかなか寝付けずにいた。
翌日の放課後、圭太は達也と水花の三人で帰ることになった。夜中の電話のせいで、圭太は寝坊をしてしまい、三限目の授業からの出席となった。
二人には夜中の電話のことを話しておくことにした。
「そんなことあったんだな」
「なんだよ? 他人事みたいに…」
圭太はふくれる。
「そりゃそうだけど…」
「でも、“殺人の悪魔”ってなんなんだろうな? 意味わかんね―しな。それになんでオレの家に電話なんかしてくるんだ?」
圭太は電話をかけてきた人物が、なぜ自分の家の電話番号を知っていたのか不思議に思っていた。
「圭太の親父さんが警察官って知ってる人物じゃね―の? それか、昨日の志のぶさんの話を圭太に話したのを知ってる人物のどっちかだと思うぜ」
達也はカバンからペットボトルを出しながら答える。
「圭太君、大丈夫よ。ド―ンといけばいいんだって!!」
水花が圭太の肩を叩く。
「まぁな。いつものように前向きにいくよ」
「そうこなくちゃ!」
「それに志のぶさんの気持ちがよくわかるよ、オレ…」
突然、悲しい表情をする圭太。
「いきなりどうしたんだよ?」
「オレもお袋を胃ガンで亡くしてるからな。志のぶさんの辛い気持ちわかる」
――圭太…。
「お袋の場合は、誰かに殺されたとかじゃなかったけどな」
そう圭太が言った瞬間、車のクラクションが三人の背後で鳴った。
振り返ると、見覚えのある車が近付いてきて、三人の横に止まった。
「親父…?」
「今、帰りか? まぁ、中に入れよ」
「オゥ!」
圭太は助手席に、達也と水花は後部席に座ることになった。
「どうしたんだ?」
「いや、近くに寄ったもんでな。そしたら圭太達を見つけて…」
聖一の様子がどこかおかしい。
「だから、学校帰りのオレ達を車に乗り込ませた理由だよ」
「バレたか…」
観念した聖一。
「実はな、鈴木と島川が和菓子会社の知り合いだという以外に、麻薬の取り引きの仲間だという情報が耳に入ったんだ」
信号待ちの間、聖一は言った。
「なんだって?!」
車内で大声を出す圭太。
「いつわかったんだよ?」
「昨日の午後だ。一ヶ月前に麻薬でボロボロになった高二の少年が、母親と付き添いで警察に来たんだ。聞き出すのが大変だったが、やっと昨日の午後に話してくれたってわけだ。そのことで土曜日に警察へ来てもらおうと思ったんだが、早目に伝えようと思ってな」
聖一は信号待ちから車を発車させる。
――やっぱりオレの思った通り、和菓子会社以外にも何かつながりがあったんだ。
圭太は心の中で確信していた。
「どこで麻薬を手に入れたかはわからないが、近々、島川を警察に呼んで、話を聞いてみるつもりだ」
そう付け加えた聖一。
「しかし、わからね―な」
圭太はポツリと呟く。
「何がわからね―んだ?」
後部席から達也が身を乗り出す。
「うん…」
何か考え事をしながら返事をする圭太。
「はっきり言えよ」
「鈴木さんの見舞いの時、水花ちゃんから手紙を奪い取った鈴木さんの態度。葬儀の生花の中に入っていたヒマワリ。オレの家にかかってきた“殺人の悪魔”と名乗る人物。そして、鈴木さんと島川の麻薬の取り引き。何か意味がありそうじゃね―か?」
車の外を見ながら言った圭太。
「何か意味って…?」
「それがわからね―んだ」
圭太は口を尖らせる。
「ところで高二の少年はどうしてる?」
話題を変える圭太。
「病院に入院中だ。回復すれば、もう一度ちゃんと話を聞くつもりだ」
「そっか」
「お、圭太君の家に着いたぞ」
「ありがとうございます。また明日なっ!」
「オゥ!」
――きっと何かあるはず。まだオレらの知らない何かが…。
達也に手を降りながら、圭太は再び考え事をしていた。
その日の午後十時、圭太は居間でテレビを見ながらくつろいでいた。そこに電話が大きく鳴った。
「もしもし?」
「塚原圭太か?」
夜中の電話と同じ声だ。
同じ声なので、あまり驚きもしないし、動揺もしない。
「十日後の満月の夜、東京駅で誰かが殺される」
「だ、誰かが殺される?!」
思わず、大声になる圭太。
「警察に言うなよ」
前回同様、用件だけ言い終えると電話は切れてしまった。
――十日後の満月の夜…マジかよ?!
「どうした?」
「例の奴から電話だ。十日後の満月の夜に、誰かが殺されるって…」
「どこでだ?」
「東京駅だ」
それを聞いて、聖一は深く考え込んだ。
「十日後は朝から見張りだ」
「ちゃんとしてくれよ」
「大丈夫だ」
聖一は軽い口調で言った。
――一体、誰が殺されるっていうんだ? それさえわかれば、その人を守ることが出来るんだけど…。
圭太は電話を見つめて思っていた。