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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編(洋もの)

魔女と祝福の龍

作者: 月鳴

壮大なあらすじみたいなものです。なんでも大丈夫な方だけどうぞ。

 

 彼女の願いが叶うとき、祝福の鐘が鳴る。


 少女の祈りは世界の終わりを呼び、失ったものの大きさに男は慟哭する。


 彼は龍を許さない。それが彼女を失った代償に得たものだとしても。



「アルセスタ。君が己の生と引き換えに望んだこの最悪を俺は決して許さない。必ずこいつを撃ち落とす。例えこれが君が残した最後の祈りだとしても」





 アルセスタは魔女だった。魔術を扱う一族の酋長の娘で、それはそれは厳しく鍛えられた。酋長に他の子がなく、跡を継ぐのはアルセスタと決まっていたからだ。最も彼女の前にも後継はいた。しかし病や、命を賭すこともある訓練の前にみな散っていったのだ。本来ならアルセスタは上から数えて六番目の子であった。下からは三番目だった。だが今はその誰もがいない。アルセスタはたったひとりの後継者だった。

 酋長の修行は一言で狂気と言ってもよかった。それは特に可愛がり一番優秀とされていた長兄が事故で死んでから始まった。上のきょうだいたちが死ぬたびにその狂気は増し、下のきょうだいたちが死ぬたびに無気力になっていった。

 アルセスタはそんな父の元で死に物狂いに己を鍛えた。


 魔術師の里には根の深い病巣が住んでいた。何年かに一度、為す術のない疫病が起こるのだ。水を通して広がる病は弱きも強きもすべからく刈り取っていく。一度掛かればどんな薬も魔術でも治ることはなく枯れ葉のように朽ちて死ぬ。

 冒された水であろうと人々はそれを飲むしかなかった。備蓄の水もあったが到底足りる量ではない。そうやって何度も淘汰されながら一族は生き残ってきた。

 何の対策もしてこなかったわけではなかった。一族は魔術師であるとともに研究者でもあったのだ。中立特区である学術都市に毎年有望な若者を数名送りなんとかこの病を解く術を、もしくは病の進行を遅らせる術を探し求めていた。だがなんの発見もないまま今に至る。

 他国の情報や学術都市の最先端の論理も、長きにわたる里の病巣を取り払うことは出来なかった。


 しかし、アルセスタの父はついに病の払拭させる根源にたどり着いた。

 かつて水は龍の化身とされていた。いつしか人はそれを忘れ、水を己の思うままに穢し始めた。怒りに震えた龍は姿を隠し去り際、水に呪いをかけたのだ。

 今や龍という存在は神代の話であり御伽噺とされていたために誰もそのことに思い至らなかった。水の根源をしぶとく探した酋長の執念が、答えを見つけ出したのだ。

 原因は判明した。では呪いの解き方は? ──それは案外簡単に見つかった。龍の血と涙を水の始まりに捧げる。問題は、その龍がどこにいるかということ。

 遠き昔にその身を隠した彼らをどうやって探せば良いというのか。


 アルセスタの父はそうは考えなかった。いないのならば探し出すのではなく、喚び出せば良いと。

 彼は一族の中でも特に召喚に長けた男であった。

 しかし如何な彼と言えど神にも等しい神話の生物である龍を喚び出すなど生半可なことでは上手くいくはずもない。

 次第に彼は研究にのめり込んでいった。寝食や家族、果てはその本来の目的さえも忘れて。



「玉が必要だ」


 久方ぶりに父から呼び出されたアルセスタは唐突に切り出された話についていくことが出来なかった。跡を継ぐための試練を修了した彼女は学術都市にて龍について調べていたところだった。

 結果は芳しくなく彼女はこのままでは郷に帰れないと思っていたその矢先の呼び出しである。


「玉、とは?」

「魔術の根幹であり、人の人足りうるための要。力の源だ」

「……はあ」

「それを集めてこい。数は多ければ多いほど良い。質は問わん」

「しかし父上、一体どのようにすれば玉を得られるのですか。聞けば命そのもののように聞こえるのですが」

「そこまでわかっているのなら簡単だろう。人を刈れば良いのだ。今隣国では魔王と名乗る輩と戦をしているではないか。死がゴロゴロ転がっているぞ。なんだったら魔族の玉でも良い。使えるものはなんでも使え! そして一つ残らず玉を持ってくるのだ、それが一族の悲願なり!!!」



 そうしてアルセスタは流れの魔術師として隣国ロトリウムで傭兵となった。

 傭兵の一団というのは大体が他国の流れ者で後ろ暗いことを抱えているものの集まりだった。だから共に戦う兵士同士、最低限お互いを背中から斬りつけることはないものの、腹を明かして馴れ合うということもなかった。そういうわけでアルセスタが女ということを隠していても誰も気づくことがなく、また誰からも絡まれることのない楽な環境とも言えた。ただひとり、ロトリウム側から傭兵団をまとめるために送られてきたシグルド・ブエスタ中尉を除いて。


 軽佻浮薄を体現しているその男は、志願してきたアルセスタを見て一目で女と見抜いた。その慧眼にアルセスタはすわ強者かと目を見張ったが、次の言葉で己の勘違いを悟った。


「俺ァ、女に目がなくてね。節操なしと言われてもかまやしない。乳と入れる穴さえあったら須らく俺の狩猟圏内だ。というわけであんたも俺の穴になってくれないか?」


 アルセスタは無言で自慢の火炎玉(ファイアーボール)をお見舞いした。

 それからというものシグルドはどこをどう気に入ったのか何かとアルセスタを構った。シグルドがひたすら粉をかけてアルセスタがそっけなくあしらうというものだったけれど、シグルドは決してそれを他の人間が見ている前では行わなかった。アルセスタが性別を隠していることを知っていたからだろう。だからアルセスタはある種の信頼を持ってあしらっていた。

 女と名のつくものであればなんでも良いという人間としてはクズの部類に入るであろうシグルドだったけれど、このような捨て駒部隊に派遣されるようなレベルの男ではなかった。

 ひとたび戦場に出れば烏合の衆である傭兵たちの技量、スペック、性格、癖、その他諸々をきっちり把握し適材適所に置き、被害は最小、損害は絶大という神がかった手腕を発揮する。

 傭兵部隊は常に使い捨てだ。だがシグルドはそんなふうに彼ら(こま)を使うことはなかった。もちろん誰も死なない日もあれば、死んでいくものが出ることもある。そんな日は火を焚き酒を飲んで死んだものを弔った。戦場で酒は貴重だがシグルドは毎回調達しては傭兵たちに振る舞う。そういうことが続き、傭兵たちはシグルドに信頼を置くようになった。それはアルセスタも同様だった。

 しかし。彼女には、目的がある。玉を集めるには敵のものだけでは足りないと思うようになっていた。けれどすでに知ってしまった彼らの玉を集める気にはアルセスタはどうしてもなれなかった。



 地平線まで焼き尽くすような劫火を放つ。アルセスタが薙ぎ払った敵陣より散り散りに散った敵を弓兵が、騎馬兵を槍兵が、火力を奪われた後衛部隊を主力戦力が叩き潰す。そんな光景を眺めながらアルセスタは魔力を持つものだけが見える玉を集めいていく。この部隊ではアルセスタただ一人が見えるその玉。赤黒く鈍い光を湛えたそれは命の元というにはあまりに悍ましい色をしている。アルセスタはそのひとつを摘み、戸惑うそぶりもなくそれを飲み込んだ。あまりにも慣れた動作にこれが初めてではないことがわかる。

 己とは違う魔力の流れに吐き気を催しながらも赤い玉を飲むことはやめない。戦いの終わりを告げるラッパの音が魔術で拡散されてくるまでアルセスタの命を取り込む醜悪な儀式は続いた。



「移動願いぃ?」


 怪訝な顔でこちらを見るシグルドにアルセスタは眉ひとつ動かさず頷いた。アルセスタが希望しているのは最前線の部隊だ。そこは傭兵よりももっと扱いの悪いものたちが集められる死の部隊だった。兵士の半数が犯罪者で、残りが脱走兵や逃亡兵などを寄せ集めたまさに殺されるためだけの集団。アルセスタはそこへ行くことを望んだ。通常なら望んでいくような場所ではない。だが命がもっとも刈られる場所だ。アルセスタにとってはなによりも価値がある。もう時間がなかった。手っ取り早く玉を集めるには死の集まる場所に出向くしかないのだ。しかしそんなアルセスタの事情など知らないシグルドはその願い出を唾を吐き捨てるように却下した。


「あんな死に損ないの部隊にうちの主力をほいほいやれるかよ。あんたがいなくなったら他の奴らの生存率ががっくり下がるだろーが!」

「なら尚更私はここを出る。私にはここでお仲間ごっこをやっている時間はない」

「なんだと。俺のやってることは無駄だって言いたいのか」

「違う。あなたの手腕はすばらしい。だがここで発揮するものではない。ここは捨て駒部隊だ。今は軍の一火力にまでなっているが本来なら死に損ないと大差なかったはずなんだ。その力はもっと生きるべきものがいるところで使うべきだと言っている」

「俺はもう向こうには戻れないんだよ。自分の居場所を守ろうとして何が悪い」

「……何をした?」

「あー、まあ、上官の情婦(おんな)寝取った」

「……呆れてものも言えない。とにかくそちらが許可を出さないのなら勝手に出て行く。世話になった」

「ちょ! おい待て!」

「まだ何か?」

「理由、理由を聞かせろ。そうしたら考えてやらんこともない」

「……………………」

「言わないならグルグル簀巻きにして部屋に監禁な」

「……はあ。わかった。これは、極個人的な理由だ。…………私は人の死を集めている」

「は? どういうことだ」

「詳しくは言えん。だが人の死が多ければ多いほど良い。今、この部隊は平穏すぎる。あなたが優秀すぎるせいでな。私にはもう時間がないのだ。もっと手っ取り早く死を集めるにはさらなる前線に出るしかない」

「だから移動願い?」

「そうだ」

「ばかやろう! そんなの許可できるか!!」

「交渉決裂だな、失礼する」

「って、待て!」


 シグルドはあっさりと出て行こうとするアルセスタの腕を掴もうとして見えない壁に弾かれた。ジンジンと痛む手を呆然と見ていると、アルセスタはいつもの無表情を微かに歪め笑った。


「あなたの元で戦うのはなかなか愉快だったよ」


 見たこともない表情をするアルセスタにシグルドは息を飲んで言葉を失った。手を伸ばして引き止めなくてはいけないと思うのにアルセスタの最後の言葉がどうしたって別れの言葉にしか聞えないのに、シグルドの足は床に縫い付けられたように動かなかった。シグルドはそのことを一生後悔することになる。どうしてあのとき無理矢理にでも引き止めなかったのだろうかと。








 アルセスタが死の部隊にやってきてから、もう半分の人間が入れ替わった。ほとんどは戦場で死に、残りは脱走を図り自軍の兵に殺された。何人かは細いシルエットのアルセスタを犯そうと襲い返り討ちに遭って死んだ。

 生と死とが入り乱れるこの前線はアルセスタの願いを叶えるには絶好の場所であった。だが誰も弔うもののない死体を見つめ続けるうちにアルセスタの感覚が壊れていく。しかし数多の死を飲み込み侵されていたアルセスタは知覚していても崩壊を止める術をもたなかった。彼女の心はすでに狂乱の一歩手前でなんとかとどまっていただけなのだ。その身にかけられた目的を果たすまで、壊れることも許されない。吐き気を催すほどの力と狂気に身を晒しながら細い理性の紐一本の上をまだ少女と呼べる歳の娘は必死に歩いていた。

 振り返ることも足元を見ることもない。ただあるかもわからない紐の先にただただ足を延ばすだけなのだ。アルセスタに許された生き方とはそういうものだった。



「もう少し……」


 生気のない目をした虚ろな兵のなか、アルセスタは終わりを予感する。戦いの終わりではない。この身に宿る玉の終わりだ。もうすぐ、この身は満たされる。無数の死、つまり命のかたまりによって。

 数十人の部隊と共に戦線に出たアルセスタは死兵のような彼らの隙間を踊るように舞った。魔術はまだ使わない。細身のレイピアに魔力を送った魔法剣で異形のものたちを切り裂く。一人で魔族の一団を屠るとそのあいだに自軍の戦線は崩壊していた。そうするとアルセスタは二軍が来る前に得意の高火力魔術で稜線を一斉に薙ぎ払う、敵味方もろとも。

 そうして出来上がった死の灰の中をアルセスタは滑るように回っていく。ひとつも見逃すことのないように。確実に玉を回収する。そして残らず飲み込んだ。

 対流する魔力は激しい嘔吐感を齎すが歯を食いしばって耐える。細い体をしならせ呻く姿は哀れなものだった。


「よくやったアルセスタ」


 ここにはいないはずの人の声を聞きアルセスタは顔を跳ね上げた。灰が舞い落ちる中、アルセスタの父、デュースはそこにいた。高位魔法の転移を使ったらしい。


「最後の仕上げだ我が娘よ」


 アルセスタは父が言わんとすることをすでに悟っていた。わかっていた。初めから。こうなることは。諦めの境地で、アルセスタはゆっくりと瞼を下ろす。そのまま膝立ちになると、己の首を差し出すようにして俯いた。

 デュースは懐から文字の刻まれたナイフを取り出しボソボソと魔術を吹き込む。と、同時にナイフは赤黒いオーラに包まれ儀式の準備が終わった。アルセスタは己の唇を噛んで、それが振り翳されるのを待った。任務を完遂する、そのためにアルセスタはここまで来たのだ。体を緋色に染め、死を振りまき、人の生を食らったのだ。これでようやく一族の悲願が叶う。

 ナイフが風邪を切る音がして静かに祈った。いくつもの死の安らぎを。

 だがナイフはアルセスタの皮膚を引き裂きはしなかった。


「何をする!」


 デュースの怒号にアルセスタは何者かの介入を知る。ここまで来て一体誰が邪魔をするというのか。忌々しく思いながらも、束の間ほっとした自分にアルセスタは見ないふりをした。死ぬためにここまできたのだ。今更生きたいなどとどのツラ下げて言えたものか。きょうだいと同じところへはいけないだろう。だがきょうだいのように死にに行くのだ。死ななければならないのだ。


「あんた、死ぬためにここに来たのか」


 その声を聞いた時、アルセスタは絶望に似た思いと、幸福に似た思いに同時に襲われた。何故ここに、と思うよりも先に、何故出会ってしまったのかと後悔した。一族の人柱になるのだ。そう言われて故郷より遠く離れたこの戦場で命を刈り、死を飲み干して、身を捧げるためにここまできたのに。その決意を揺らがす唯一の存在。

 アルセスタは力無く首を振った。


「私は死ぬのではない。身を捧げ、神を喚ぶのだ」

「そうだ、邪魔をするな! 小僧ごときめが!」


 目を血走らせ唾を振り撒きながらデュースはわめく。だが研究室に籠もりきりの非力な魔術師に前線の兵士、それも極めて優秀な戦士相手に力比べで叶うわけもなく一つにまとめられたデュースは己の両手を振り解くことが出来ないでいた。けれどこの場には、魔術師でありながら戦士のように前線に立つことが出来るものがいる。


「すまない、中尉。これは一族の悲願なんだ」


 両手を塞がれたままでは例え戦場の死神と恐れられたシグルドと言えどロクな抵抗は許されない。鳩尾を的確に狙われ衝撃でナイフを掴む手を離してしまった。デュースはそれを逃さず自分に背を向けて立つ、最後の我が子に、その刃を振り下ろした。


「ああああああああああああ!!!!」


 背中を一線に切られアルセスタは絶叫した。


「アルセスタ!」


 手を伸ばすが直後、赤黒い靄がアルセスタを覆いその手は届かない。傷口から漏れ出すその禍々しい力にシグルドは反射的にぞっとし顔を青くする。あまりにも悍ましいそれはとても人の身に収めておけるようなものには見えなかった。こんなものをアルセスタがずっと抱えていたのかと思うとシグルドは身を引き裂かれるような気がした。彼女が隠しきった闇の深さを甘く見ていたのだ。


「おお、(かみ)よ。我が一族の呪いを解きたまえ! その血を、涙を、捧げたまえ!!」


 アルセスタの体から放出された大量の靄は空に上ると塊の雲のようになっていく。だんだんと輪郭が形作られ、その禍々しき存在はまさに厄災といえよう。罷り間違っても(かみ)と呼べるものではなかった。しかしデュースはその厄災を龍と呼ぶ。彼の生涯を賭けた召喚は、歪みを伴って身を結んだ。多くの犠牲を払ってまで叶えたのは、災厄。



 全ての靄を吐ききったアルセスタは力無くくったりとしている。ようやく近づけたシグルドは傷に触れないようにその儚い体を引き寄せた。


「アルセスタ、アルセスタ……! 逝くな、逝かないでくれ……」


 呼びかける声に反応はない。なくなっていく温もりを失わないように必死に体を摩るシグルド。そのとき、深く閉じられたアルセスタの瞳がうっすら開いた。


「アルセスタ!」

「…………………は、…………と………………」

「どうした、何を……」

「…………龍は、…………と、さま…………」

「あんたってやつは……どうして最後までそうなんだ」


 もう見えていない様子のアルセスタは虚空を見上げて父と龍を探す。

 抱え込んだシグルドのことなど最早気にもとめていない。

 虚ろの目が、ふいにシグルドを見た。本当に見えているのかは本人以外にはわからない。けれどアルセスタはその名を呼んだ。



「……シグルド、ごめ……、…………な……さ、」




 彼女の、最後の言葉であった。






「うわああああああああああああああああ!!!!!!!!」






 空気を劈く声でシグルドは吠えた。聞いたものが耳を塞ぎたくなるような悲痛な慟哭だった。







 アルセスタは死に至る眠りの中で夢を見ていた。ありえなかった未来の夢。幻想の世界。アルセスタを出迎えるのは既に死地に行ったきょうだいたち。そして面影だけの母、柔和な顔をした父。


 ──ずっと認めてほしかった。


 下でもなく上でもないアルセスタの幼少は寂しいものだった。母はまだ幼い下の面倒に追われ、歳の離れた兄たちはすでに成人しており会う機会もない。父はそんな彼らの教育に、一族の取り仕切り、魔術の研鑽……アルセスタなど子を孕むだけの価値しかないと思われていた。それは確かに事実ではあったが。そんな娘にまともな教育が行われるはずもなかった。

 一通り自分でできるようになると母はあっさりとその手を離した。部屋でひとりきりのアルセスタを見つけたのはひとつ上の兄だった。兄も孤独を持て余す子供の一人だった。けれど女のアルセスタと違い彼は他の兄から魔術の教えを受けていた。アルセスタはその兄から魔術の手ほどきを受けることになる。

 兄は魔術の才は凡愚と言えた。けれど教えを施す才は飛び抜けていた。彼がいなければ今のアルセスタはいなかったと言えるほどに。敵を屠る圧倒的なまでの力はここを原点に始まる。

 教えを請うたのはそう長いことではなかった。その兄も、あの忌まわしい病であっけなく逝ってしまったから。

 兄の枯れ枝のようになってしまったその腕を胸に抱えてアルセスタは誓ったのだ。この呪いの根絶を。何を犠牲にしても必ず果たすと。だから必死に耐えた。兄の死後より始まった血反吐を吐くほどにキツく厳しい修練も。女の身でありながら継承者となったアルセスタへの妬みと侮蔑の視線も。血肉を燃やす耐え難い臭いと命を奪う罪悪にも。必死に耐えた。


『よく、やったね』


 懐かしい兄の優しい声。もう錯覚でも迷夢でも構わなかった。アルセスタは仮初めの幸せを手にいれて、死んだ。幻のなかにたったひとりだけ、いて欲しい人がいないことにも気付かぬまま。





 曇天の空に靄の中心から赤黒い霧が舞い始める。濁った瞳でそれに歓喜の声を上げるデュース。


(かみ)よ、我が願いを叶え給え!」


 龍は霹靂の如く唸った。それは囂々(ごうごう)と空気を震わせ、生きとし生けるものを震え上がせるような音だった。


『我を喚びし、痴れ者は誰ぞ?』

「私でございます……!」

『ほう……ならばまずはお前からだ』

「は……?」


 剣先のような鋭い尾で、ひと突き。デュースの薄い体をあっけなく貫き引き抜かれた時には大きな風穴がぽっかりとできていた。その状態で息が続くはずもなくデュースは夥しい血を撒き散らし逝った。狂った男に似合いの末路だった。


『カッカッカ。哀れで醜い最後よ。我は終末を齎すもの……人の子なぞに御されることなどあらぬわ。さあ世界よ、我と共に狂乱の終わりを楽しもうぞ!』


 怒号が鳴り響き、それはまるで壊れゆく世界の悲鳴に似ているとシグルドは思う。激しい怒りが彼の身の内に膨れ上がっていく。

 ──許せない、許せない、許されるわけがない。自分からアルセスタを奪った彼女の父も、かの(さいやく)も。すでに仇のひとりは殺されてしまったけれど、彼にはまだ残っていた。とても人の力では叶いそうにない強大な(あだ)が。

 シグルドはとうに息の止まったアルセスタの血塗れになった躯を掻き抱く。ぐちゃりと嫌な音を立てた傷口に妙な違和感を覚え、シグルドは背に回した手を離した。赤黒く汚れた掌には不釣り合いな白い玉。


「これは……」


 あたたかく清浄な光を放つ不思議な玉をしばし眺め、おもむろに、飲んだ。次の瞬間、内から破られるような力の奔流を感じて蹲る。尋常ではない汗が噴き出し、このまま汗のみならず血も吹き出すのではないかと思うくらいの猛烈な発汗。周囲やシグルドさえも目が眩む光に覆われ、シグルドは繭のように包まれた。虫が蛹になり変態してから羽化するような、シグルドは自分が今までとは見た目は変わらずとも、全く別の生き物になる予感に体を震わせた。

 光が収束し、シグルドの姿が現れる。アルセスタの命のかけらをその身に取り込んだシグルドは彼女の残した魔法剣を片手に取る。魔術を持たなかった彼には使えるはずのない代物。けれどアルセスタの魂と力を得たシグルドには造作もなかった。穢れをすべて取り去った純粋な力の根源はシグルドが本来持っていた勇猛さと清廉さと合わさり彼を聖騎士たらしめんとしていた。

 けれど彼が望むのは世界の存続ではない。厄災の死、のみ。白き力を手に、憎悪の焔を滾らせ、(くう)を睨んだ。




「アルセスタ。君が己の生と引き換えに望んだこの最悪を俺は決して許さない。必ずこいつを撃ち落とす。例えこれが君が残した最後の祈りだとしても」




 シグルドの脳裏に在りし日のアルセスタが浮かぶ。常に無表情であった彼女が唯一雰囲気を緩める時があった。それは彼女が故郷のことを口にする時だ。シグルドはアルセスタが何を思い、何をするために、戦場に立つのか知らない。だか己の大切なもののためだというのはその顔を見て理解した。だからそんな彼女の願いならば、どうしたって叶えてやりたいと思ったのだ。自分に差し出せるものがあれば命以外はなんだって差し出せた。


 それも、これも、アルセスタが隣にいればこそで。


 彼女が失われた世界に、シグルドは未練などなかった。例えこの未来が、アルセスタの望んだ祈りの果てにあったとしても。許せるはずがなかったのだ。










 世界を救いし英雄は、最悪の災厄を退けると、自ら命を絶ったという。彼の亡骸はかつて彼が愛したという厄災を喚びし魔女の側で見つかった。


 ──血の滴るような赤の花と、光を含んだような白の花が咲き誇る、戦いの跡地にて。





 END

お読みくださりありがとうございました。


これはある作品のオマージュだったりします。その他言い訳は活動報告にて。

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