好きを語ろう
美島が指差した人物に、慶喜はなんとも言えないような表情をした。
いや、本当に何も言えなかった。
慶喜としては、よかったのかもしれない。
彼女のような雲の上の存在が、彼のような人に人並みに恋をしていることに安心したからだ。
しかし、彼のことを考えれば悪いようにも思える。
「普通だ」
慶喜はやっとの思いで口にした。
「あなたから見てもそう見えるのね」
「そう……だな」
美島がそれをどういう意味で言ったのか、慶喜はよくわからなかったから、曖昧な返事をした。
「珍しいわね。あなたがそんなに動揺するなんて」
と、美島は言うものの、高校に入学してからというもの、慶喜は驚いてばかりだ。
しかし、今回のこれは、今までのものとは少し質が違う。
まるで別世界の人間が、どこにでもいそうな男子高校生に恋をしているという状況だからなのか。
たったそれだけのことに、これほどまで動揺するだろうか。
「……」
慶喜は彼を観察する。
顔立ちは最近関わってきた人達の中でも一段これといった特徴のない顔だ。
悪いところを聞いても、いいところがないこと、と答えれそうなほどに平凡な顔。
街ですれ違ったとしても、まったく気に止めることはないだろう。
「部活は、やっていないのか?」
「ええ、やっていないわ」
「成績は?」
「正確な順位まではわからないけれど、だいたい真ん中くらいかしら」
「……実は、ものすごく運動ができて成績がいいというオチ」
「あなたが読んでいる小説の登場人物なんて現実にはいないわよ」
「アンタには言われたくねぇ」
軽口を言い合いながらも観察を続ける慶喜だが、第一印象が何か変わるということはない。
絵に描いたような平凡。
非凡な彼女が、彼のどこにどのように惹かれたのか、と誰でも聞きたくなるほどだ。
「いや、だからこそ、なんだろうな」
「残念だけど、それは違うわ」
「……」
慶喜のひとりごとに、間を空けることなく美島が強く言い返した。
「さながらあなたは臆病者の心理学者ね」
「どうしたいきなり」
自分が知らないもの、自分には手が届かないものを、自分だけの数値や理論で置き換える。
彼がこのようなことをするのは、このような感情の動きがあったからだろう、と。
具体的なもので、人の動きを知ろうとするのが心理学者。
だから、慶喜を勝手な心理学者というのであれば、またわかる。
しかし、臆病者とは一体どういう意味なのか?
「大抵の人は孤独を嫌うものだけど、あなたは孤高としてそれを武器にする」
「何が言いたいんだ?」
「それでも孤独であることには変わりはないってことよ」
「ますますわからん」
それでもただ一つ。
美島には慶喜が知らないことを知っていることだけは間違いなかった。
なら、今はそれでいい。
今わからないことなんて、後になってから急にわかるもの。
逆に言えば、今わからないものは何をしたところでわからない。
その時が来るのを待つしかないのだ。
それを、慶喜は知っている。
「で、あの男を好きになった理由とやらはいったいなんなんだ?」
話を戻すように、慶喜は尋ねた。
すると、美島は何かを思い出すかのように顎に手を当てて、そして、急に吹き出して笑った。
「なんだよ……」
「さぁ? よくわからないわ」
「は?」
怪訝な顔をする慶喜に対して、美島は面白そうに笑った。
「好きになった理由を答えるには、私が彼をいつ好きになったのかを知らないといけないでしょう?」
「……いや、知らねぇけど」
「でも、私自身がいつ彼を好きになったのかわからなければ、その理由なんて当然わからない」
「はあ」
「要するに、好きになるタイミングっていうよりは、私の場合、気づいたら彼が好きだったってこと」
「なるほど」
「好きになってしまったことに気づいてからは彼の全てが好きなのよ。そういうものよ。恋って」
「つまり、好きになった理由の候補が多すぎて、わからないってことでいいんだな?」
「ええ。そういうことよ」
「回り道しすぎだろ……」
そうこうしているうちに、平凡な彼はもうすぐ校門を出ようとしているところだった。
それにあわせて、美島も立ち上がろうとする。
「まるでストーカーだな」
「慣れているでしょう?」
「……なんで知ってんだよ。怖ぇよ」
そんなことを言っていると、美島が急に立ち止まった。
尾けているこちらが止まるということは、尾けられている平凡な男が止まったということ。
「どうした?」
そう言って、慶喜が美島の後ろから覗いてみると、彼はまた違う方向を向いていた。
「お前のせいだ!」
「違う! お前が!」
そこには、なにやら喧嘩している二人の小学生の男の子たちの姿があった。