とにかく切り替えよう
美優は今日のすべての授業に集中することができなかった。原因は一つしかない。
(慶喜君はストーカーなんかじゃない。だって全部私のためにやってくれたことなのに……)
昼休みに部室に行って、そのことを報告しようとしたが周りの生徒達が見張っていて、部室に行くタイミングがなかった。
それで結局放課後になっても慶喜にそれを伝えることができなかった。
「清河さん、明後日のことなんだけど……」
「あ、うん……」
「? 元気がないね。調子が悪いのなら今日は……」
「う、ううん! 大丈夫! ちょっと授業でわからないところを考えていて」
亮雅が最後まで言う前に美優は無理矢理元気を出した。
(慶喜君は自分のことを悪く言われるより自分の計画が失敗する方が嫌に決まっている! ここは無理にでも元気を出さなきゃ!)
「それで、明後日のことだよね。明日、連絡するじゃダメかな?」
まだ、慶喜と待ち合わせ時間すら決めていないのだ。自分の自己判断で勝手に決めていいものではないことは美優はわかっていた。
美優がそう言うと亮雅はチャンスとばかり目を輝かせた。
「それじゃ、連絡先を交換しようか!」
「う、うん」
亮雅のテンションの急激な上昇に驚きながらも美優はスマホを取り出した。そこで今日は慶喜に電話したのが朝の一度だけと気付いた。
「どうしたの、清河さん」
「う、ううん! なんでもない!」
美優はまた自分が鬱な気分になっていることに気付いて奮い立たせた。
(どうして慶喜君のことになるとこんなにも私が傷ついているんだろう)
美優と亮雅が赤外線通信していると美優は慶喜について思い出した。
(そういえば、慶喜君、赤外線通信したことがなくて言葉も知らなかったなぁ)
その時のことを思い出すと美優は胸が温かい気分になった。すると自然に笑みがこぼれた。
「やっと笑ってくれたね」
「……え?」
「清河さん、僕の前ではあまり笑ったことがなかったから。やっと笑ってくれたってことは認めてもらえたってことなのかな」
実際は全くもって違うのだが、亮雅がとても嬉しそうだったので美優は特に何も言わないことにした。
それから二人はサッカー部の練習のため校庭へと向かった。校庭に行くと昨日と同じように校庭をグルリと囲むように人だかりができていた。
「亮雅君っていろんな人から注目されているんだね」
「そんなことないよ。僕より清河さんじゃないかな?」
「私?」
「この人達は清河さんを見に来ているんだよ」
美優は自分が他の人からどう思われていても気にしない人だった。最低でも昔はそうだった。でも今は少し違う。一人だけ自分がどう思われているか気になる人がいる。
美優と亮雅が一緒に歩いているのを見た生徒達は二つの種類の反応をした。
一つは亮雅を憎み睨みつけているグループ。もう一つは二人を温かい目で見守り、二人の中を応援するような目をしていた。
「やっと来たか。ったく、デートは日曜日だろうが。今してんじゃねぇよ」
「部長、そう言ってるけど、ただ嫉妬しているだけじゃないですか」
「うっせぇ」
亮雅は笑いながら更衣室へと入っていった。美優はまだ正式なマネージャーではないのでジャージに着替える必要がない。
美優は制服姿のままマネージャーの先輩に仕事内容を昨日と同じように教えてもらうことになった。
「よく選手のユニフォームを洗っているイメージがあるかもしれないけど、この学校の選手達はそんなことはしないわ。自分の持ち物は自分でやる。当たり前でしょ?」
美優はそう言われたがそもそもマネージャーのイメージというものがなかった。美優はあまりドラマを見ることはなく、意外なことにバラエティ番組しか見ないのだ。
さらに言えば、マネージャーというものが昨日までわからなかった。昨日マネージャーは選手の飲み物やタオルを準備したり、ボール拾いすると言われて美優は、要するにマネージャーは雑用係ってことでいいのかな、と思った。
それからも仕事について話していると先輩が話を変えるように言った。
「美優ちゃんは亮雅君に気があるの?」
「え?」
「だって、昨日亮雅君についてたくさん聞いてきたからさ」
そう言われて美優は言葉に詰まった。
(気があるってどういうことだろう? 好きってわけじゃないけど、気になってはいるのかな?)
「気があるかどうかはまだわかりません。ただ話したいと思っただけで」
「ふ~ん。そっか」
先輩は何かを悟ったように軽く笑みを浮かべた。だが、美優はなんとなくわかっていた。先輩が考えているようなことではないと。
「でもさ、そろそろなんとかしたいと思わない?」
「何がですか?」
「亮雅のさん付け。美優ちゃんが亮雅君なのにあっちは清河さんだよ? 距離があるように見えるんだよね」
そう言われて美優は初めて気付いた。亮雅に名前を呼ばれていないこともそうだが、なにより最初に浮かんだのが慶喜だった。慶喜は基本ため口なのに美優の名前を呼ぶときだけはさん付けなのだ。
(慶喜君に美優か……)
そこでまた笑みをこぼした。先輩はそれを見て、
「やっぱりね。それじゃさっそく言わせてみよっか?」
「え!」
(慶喜君に!? ど、どうしよう! えっと、どう反応すれば!?)
美優の脳内では完全に慶喜に言われることになっており、美優は顔を真っ赤にしていた。
「亮雅! ちょっとこっちに来て!」
「なんですか?」
「えっとね……。美優ちゃんのことを名前で呼んであげて」
「えっ……! そ、それは、ちょっと……!」
亮雅はいつものさわやかな顔が真っ赤になって固くなった。亮雅は少し固まった後決心して美優を見た。そこで見たものは、
(慶喜君になら……。あ、でも……!)
別のことで顔を真っ赤にしている美優の顔だった。しかし、そんなことが亮雅にはわかるはずはなく、その顔に完全に見惚れていた。
「や、やっぱ無理です!」
「あ、ちょっと!」
先輩は走って行く亮雅を止めようとしたが、美優の顔を見て困ったように息をついた。
「ここは私が応援しなくちゃね」
そう言って、先輩は一人宣言した。