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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
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第12話

 ロアンにある議員会館のすぐ隣に建てられた背の高い建物には、この国の一大勢力たる商人連合の本部が置かれてあった。

 市民革命を経てからはやや弱体化し、かつて商人ギルドと呼ばれていた頃のように直接国政に参加するほどの権勢は失ったが、自分たちに有利な方向に持っていくしたたかさは今もなお健在である。


 その商人連合本部の一室。中央に大きな円卓が置かれた部屋にダモンは堂々と佇んでいた。他にも定例会議に参加するために続々と商人たちが集まり始めている。


「ダモン殿。ここまでの手際は見事ですな。エルフたちが屈する瞬間も近いでしょう」


「聖域の開発が決まれば我々は莫大な利益を手に入れられる。ダモンさんには頭が上がりませんよ」


 周囲のダモン派と呼ばれる商人たちが口々に誉めそやすのを、ダモンは表面上はにこやかな笑みを浮かべつつ内心では冷笑しながら聞いていた。


(……ふん。所詮は親から地位も財産も譲ってもらった苦労知らずどもが)


 カリム共和国では一部の大商人たちが利益を独占する時代が長く続いたため、今も彼らの子孫が幅を利かせており、当然経営を握るのは血縁者ばかりである。

 彼らは先祖から受け継いだ基盤を維持していくだけで十分儲けが出るので、新しい事業に乗り出す必要もなく、政治家とのパイプをつくるための社交術ばかりが上達している有様だ。


 だが、何の後ろ盾もなく、一介の行商人から成り上がったダモンは違う。

 新規の商人が台頭するのが難しいこの国にあって尋常でない努力を重ね、数え切れないほどの汚い手を使い、今や商人連合でも実力者と呼ばれるほどまでにのし上がったのだ。


 今回の共同開発も打算あってのことである。

 これだけの大事業ともなれば単独での実行は厳しく協力者は多いに越したことはない。金持ちというのは使いようで体よく利用させてもらうつもりだ。

 それに、今はエルフ側に非があるように世論操作しているが、いずれ綻びが出てくるのは時間の問題で、その時は散々先行投資させたこの連中を生贄の羊として差し出すのだ。


(最終的には平和的解決を演出して国とエルフとの共同所有地にもっていく予定だが、それまではせいぜい私の為に働くがいい)


 ダモンが冷たい目で周りの商人たちを眺めているとその内のひとりが呑気に話しかけてきた。


「しかし、聖域に魔導石の鉱脈が眠っていることをどうやって知ったのですか? あそこは結界がありますから密かに調査もできないでしょう」


「とあるツテからの情報――そういうことにしておいていただきたい」


 はぐらかすダモンだったが、暗黙の了解で相手もそれ以上は聞いてこなかった。もっともグラムウェル枢機卿と懇意にしていることは周知の事実なので予想はついているのだろうが。

 

 聖域の話を持ってきたのは大方の予想通りグラムウェル枢機卿である。

 元々大して親しい仲ではなかったが、権威あるシヴァ教の実力者と面識があれば何かと役に立つだろうと交流は続けていたのだ。はっきり言ってフードとマスクに覆われた素顔すら見たことがない。


(だが、枢機卿の意図がいまいち分からんな)


 聞けば開発に伴う利益が目的ではないようで、ただ聖樹に興味があるだけなのだという。

 確かに枢機卿自身はダモンに金品などを要求したことはなく、よく分からない古代の魔道具や書物などを収集するのを手伝わされるくらいで、空いた時間は遺跡を巡っているような風変わりな人物である。


(……まあいい。私にとって聖樹などオマケのようなもの。そちらに干渉するつもりはない。あまりやりすぎてエルフどもに暴発されては元も子もないからな)


 不気味な面もあるが法外な見返りを求められないだけマシだ。枢機卿の狙いはともかく、彼がもたらす情報と貸し与えてくれた工作員たちは大いに役立っている。


(あとは反発している商人たちだが……)


 最も厄介なのが取り込めなかった商人たちだ。

 日頃からダモンを快く思っていない者が多く、そういう商人に限って油断がならなかったりするのである。だからこそ口先三寸にはひっかからないのだろうが。

 

(特にナルカミ商会は要注意だ)


 他にも注意すべき古参の商人たちがいるが、勢いと規模でいえばこの新興商会こそが最も警戒しなければならない相手だ。今は中立を保っているものの反対勢力に加わればいよいよ面倒なことになる。


(とはいえ、エルフ側が陥落し、既成事実を積み上げていけばもう誰も私を止められなくなる。それまでが勝負だな)


 そのために周到に準備してきたのだ。共和国に絶対的な地位を築くまでもう一歩である。


「そろそろ時間ですな。議題は当然聖域に関してと……あとは例の大会の確認などですな」


 隣の商人の言葉に考え込んでいたダモンは壁時計に視線を向ける。

 まもなく会議の開始時刻で、気づけば円卓もだいぶ埋まってきていた。


 ダモンも取り巻きたちと席に着こうとすると、なにやら入り口の方が急にざわめきだした。近くにいる商人たちや本部に常駐する職員などが驚いている様子がここから見える。


(……何だ?)


 どこか感嘆を帯びた空気にダモンが怪訝な表情をしていると、この場に似つかわしくない少女が背後に見知った中年の男性を従えて部屋に入ってきたのだ。


 男性の方は、本社がエレミアにあるにも関わらず東方の名がつけられた奇妙な商会――目下最大のライバルといえるナルカミ商会の支店長アントニオ・デュバルである。


 そして、少女の方は――


「――ダモンさんですね? はじめまして(・・・・・)、私はナルカミ商会の会長を務めますソラ・エーデルベルグと言います。どうぞよろしく」


 社交用のタイトなワンピースドレスに身を包み、ひとまとめにした純白の髪を揺らしながら臆することなく進み出てきた少女は、そのエルフにも引けを取らない美貌に気品と美しさとを兼ね備えた笑みを浮かべてダモンに挨拶したのだった。






 会議が始まっても部屋の中は静かな喧騒に満ちていたが、皆の視線からしても突如乱入してきた少女に原因があるのは明白であった。

 なにせ出席者は若くても精々三十前後、ほとんどが中年から老境に差しかかった男ばかりなのに、ひとりだけずば抜けて若い女の子が混じっているのだ。その人目を引く可憐な容姿といい現実味の薄い光景に思えても仕方のないことだろう。


 ただ、誰ひとりとして少女を侮るような様子は見せなかった。

 その肩書きに加え、小娘とは思えぬほど堂々とした態度は決してそのような無礼を許さない雰囲気があったのだ。

 もっとも当の本人は周囲の注目を全く意に介しておらず、己が標的に意識を集中させていたのだが。


 そんな中、それでも当初は和やかに始まった会議であったが聖域に関する議題となると空気が一変した。


「連合が一丸となって聖域の開発を進めようではありませんか。そうすれば我々だけでなく国自体も更なる繁栄を得ることができるのですぞ。何を迷う必要があるのです」 


「あなた方のやり方はいささか目に余ります。共和国成立時よりアルフヘイムの里とは良好な関係を築いてまいりましたが、それを一方的に踏みにじる行為には加担できません」


 会議室ではダモンの派閥とそれに対抗する商人たちとで火花が散り、その様子を中立派が黙然と眺めているという構図が展開されていた。


(……流石にここにいる商人たちはダモン派でなくても裏事情まで把握しているみたいだね)


 ソラは円卓の片隅から会議の様子を静かに観察していた。

 ダモンたちが反対派の取り込みを図ろうとしているが、エルフ側との縁が強い商人たちは難色を示し、中立派はぎりぎりまでリスクとリターンを見極めているといった感じである。


(でも、ダモンからすれば連合の意思統一はそこまで重要ではないんだろうね。長引くほど有利になるから)


 事情を知らない国民の多くはアルフヘイムの里が聖樹の雫を出し渋っていると思い込み、一部では土地問題の報復ではないかと考える人間まで出始めており、本来はエルフに同情するべき聖域に関しても徐々に感情の流れが変わってきているのである。

 先程ロアンに向かう途中で見たフリント村での光景でも、明らかにエルフたちを糾弾するデモが勢力を拡大させていて、このままでは里まで直接抗議に来るのも時間の問題のように思えた。もっともデュバルの話では彼らを扇動している人間も多く潜んでいるらしいが。


(それにアルフヘイム病の患者がまた本格的に増加したら里も折れるしかなくなる) 


 土地問題よりもこちらの方が深刻である。なにせ人の命に関わることなのだから。


「……会長」


 ソラが議論を交わす商人たちを眺めていると、隣に着席したデュバルが促すように小さく声をかけてきた。


(そうだね。時間は限られてるし、マリナも待ってる)


 ひとつ頷いてからソラが静かに挙手すると、議論していた商人たちの視線が一気に集まった。


 そして議会進行役から発言の許可が出ると、ソラは軽く会釈してから立ち上がり場内を見据える。


「まず、今回の聖域をめぐる不当な一件に関して、私どもナルカミ商会はアルフヘイムの里を支持する立場であることを当商会の代表としてはっきりと明言します」


 ソラが部屋の隅々にまで響く朗々とした声で言うとあちこちがざわめき始めた。

 まだ歴史が浅いとはいえ、いまやダモン商会の対抗馬たりうるナルカミ商会が中立から反対派に転じた意味は決して小さくないからだ。


 ここにきてダモン派有利だった状況が動いたことで、商人たちが隣の者と顔を見合わせていると、真向かいのダモンもゆっくりと手を挙げた。


「どうも誤解されているようですね。土地に関しては正当な主張によるものですし、共和国議会も承認しています。まるで我々が難癖をつけているような言い草は心外ですな」


「では聖樹の雫に関してはどうですか? 失礼ですが、アルフヘイム病患者を人質に取っているようなものでしょう」


 薄い笑みを張り付かせながら白々しく反論するダモンをソラが厳しく問い質すと、一段と周囲の声が大きくなった。ここまで直接的な言葉で責めるとは誰も思わなかったのだろう。


 しかし、ダモンはわざとらしく苦笑して肩をすくめた。


「おやおや、これもまたひどい誤解ですね。そもそも土地問題と病気の増加は偶然重なっただけですし、噂を真に受けるつもりはありませんが、要請を受けてもなぜか聖樹の雫を提供しようとしないエルフの方々にも問題があるのでは?」


(……里まで来てアルマさんに脅迫紛いのことを言っておきながら、よくもまあいけしゃあしゃあと)


 ダモンの面の皮の厚さにソラは呆れたがこれも予想の内である。そもそも野望を隠そうともしない相手を言葉で止められるとは思っていない。


 ソラはもう一度デュバルと顔を見合わせると再びよく通る声で話し始める。


「そう仰られるのなら私どもはアルフヘイムを支援する運動を行っていくことを宣言します。どなたか私どもに賛同し、協力してくれる方はいませんか?」


 そう呼びかけると、円卓に座っていたひとりのふくよかな体型の商人がにこやかな笑顔を浮かべながら口を開いた。


「我がフォーチュン商会はナルカミ商会さんに賛同いたします。まだ新参者ではありますが、義を欠けばのちのち痛いしっぺ返しを喰らうことは想像に難くないですからな」


 エイビスがソラに目配せしながら控えめに同調すると、反対派からも堰を切ったかのように賛同する意見が相次いだ。彼らとは昨日から今朝にかけてギリギリまでコンタクトを取っていたのである。


 予想外の展開に他の商人たちの話し声が大きくなってきたところで、ソラは一気に畳み掛けるために息をひとつ吸ってから切り札を出した。 


「もし、私どもと協調体制を取ってくださるのなら、友好の証としてナルカミ商会が保有する最新技術の一部共同開発をお約束しましょう」


 そうはっきりと口にすると、この日で最も大きなざわめきが起こった。

 ナルカミ商会の生命線である独自技術を一部とはいえ協力者には公開すると言っているのだから。


(まあ、長い目で見れば損というわけでもないし)


 ナルカミ商会とてカリム共和国で営業を始めてからまだ二年ほどと磐石ではない。良くも悪くも地域に密着しすぎているこの国では他の商人たちとの繋がりが大事になってくる。


 すると、様子見だった中立派からもちらほらと同調する者が出てきた。聖域の開発よりもリスクが少なく悪くない話だと考えたのだろう。


(……少しは焦ってきたかな?)


 更に賛同者が続々と増えると、ダモンの表情に変化が出てきていることに気づいた。余裕の態度こそ崩していないが目がやや鋭くなったのをソラは見逃さなかったのだ。

 この流れが彼にとって面白くないことは間違いなく、このままナルカミ商会の側に加わる者が増え続ければ、それはそのまま共和国議会の多数決にも影響を与えることになり、場合によっては土地問題が撤回される可能性も出てくる。そうすればダモン一派からも離反者が出かねないからだ。


 だが、ソラとしても時間がかかる際どい勝負となるのであまり上策とはいえない。


(正直どう転ぶかは分からない。でも、これが今の私にできる精一杯のこと)


 ソラがダモンを注視していると、ややうつむきながら考え込んでいた老獪な商人は先程まで浮かべていた薄い笑みを消した。

 そして、おもむろにこちらへと視線を合わせてきたので思わず身構えていると、


「……ソラさん。妹さんがアルフヘイム病で苦しんでいるようですが具合はどうですかな?」


「――!!」


「……な!?」


 やおら口にしたダモンのセリフにソラは息を呑み、隣のデュバルも驚愕の声を出す。


(こいつ……! なぜ!?)


 ソラが強張りそうになる表情を懸命に取り繕っているとダモンは口元を歪めた。


「そう驚くこともないでしょう? 私も今回の事態を憂う者として国内に発生する患者の情報を集めているのですから。もっともエーデルベルグ家の人間というだけでなくナルカミ商会の関係者とまでは知りませんでしたがね……。それにしても残念だ。我が商会に在庫が残っていればすぐにでも提供させていただくものを」


 なぶるような視線を向けてくるダモンにソラは奥歯を噛み締める。

 あちらはすれ違っただけのソラの素性を調べていて、こちらの目的が聖樹の雫であることを初めから知っていたのだ。それが予想以上の反撃を喰らったので奥の手を出してきたのだろう。


(……いや、どちらにしても私のやる事は変わらない。できるだけ早く勢力を拡大させて聖域を開放する。今となってはダモンもそこまで余裕はないはず)


 意地でも引いてたまるかとソラが腹に力を込めてダモンを睨みつけていると、


「――ふむ。このままでは泥沼の闘争になりそうですし、妹さんの事も心配です。そこで提案があるのですが、ひとつ勝負をしてみるというのはどうですかな?」


「……勝負?」


 急に話を変えてきたダモンにソラは怪訝な声を出す。


「そうです。実は三日後に歴史ある箒レース大会がロアンで行われるのですが、そこでソラさんが優勝できれば私どもは聖域を見張らせている者たちを一時的に引かせましょう。ですが、もし優勝できなかったら私どもに聖域の調査を行わせていただきたいのです。もちろん、所有権が移るというわけではなくただの調査です。それに私が勝ったとしても聖樹の雫を汲んできてあなたにお渡しすることを約束しましょう。ソラさんは魔導の本場であるエレミアの出身ですしそう無茶な話でもないと思いますが」


 その提案に思わずソラは目を瞠る。

 時間稼ぎのつもりか、それともこちらの動機を失わせることが目的なのかは知らないが、どちらにしても聖樹の雫は手に入るのだ。ただし、負けた場合は調査という名目で徐々に既成事実を積み重ねていく狙いなのだろうが。


「でも、結局は問題の先送りでしかないですよね」


「これでもかなり譲歩したのですが」


 ソラ個人としては悪くない話だとかすかに迷ったが――


「……お断りします。妹を癒すことが私にとって何より優先すべきことですけど、エルフの人たちも大事な友人ですから。それに、私ひとりで決められることでは――」


「――いや、構わん。その勝負を受けよう」


 突然、ソラの言葉に被せるようにして男性の声が割って入ってきたのだ。


「え? ア、アルマさん?」


 振り向くと扉を開けてアルマとエルメラが部屋に入ってきており、ついでにその後ろにはオスカーが壁にもたれかかりながらこちらに小さく手を振っていたのだ。


「どうしてここにアルマさんが? エルメラさんも終わるまではオスカーさんと近くで待機している予定だったのに」


「フフフ。突然兄者が現れて、『あの少女ひとりに頼るわけにはいかん』などと言うから連れてきたんだ。何だかんだで心配しているのだろう。私もソラ君がおっかないオジサンたちにイジメられていやしないかと気が気でなかったから丁度良かったけど」


「お前と一緒にするな。私だけが里で安穏としているわけにはいかなかっただけだ」


 そう言いながらソッポを向くアルマを見て、照れ隠しも兄妹でそっくりだとソラは思った。


「それはともかく話は聞かせてもらった。長老代理として勝負を許可しよう」


「でも、もし負けたら……」


「君も今口にしたばかりだろう。妹を癒す事が最優先なのだからこの好機を逃す手はないし、君は我々のためにも動いてくれたんだ。ならばこちらも覚悟を決めて君に託してみよう」


「受けたまえ、ソラ君。兄者がこんな優しい態度なのは滅多にないぞ。フフ、私もそうだが先程のソラ君のセリフが嬉しかったんだろう」


「いいからお前は黙ってろ。とにかく勝てばいいだけのことだ。一度に汲める量には限度があるが、聖樹の雫が手に入れば一時しのぎとはいえ他の患者も救うことができる」


 予想だにしなかった展開にソラはやや茫然としていたがやがて腹をくくって頷いた。

 二人ともソラのことを気遣い、同時に信じてくれているのだ。ここで遠慮するのは彼らの好意を無碍(むげ)にするようなものである。


「――どうやら話は纏まったようですね。まさかアルマ殿が乗り込んでこられるとは。それにセントラルポストの記者に、一昨日はご挨拶できませんでしたが我が国の英雄であるエルメラ殿も一緒とはね」


 割り込んできたダモンをエルメラは冷たく見据える。


「フン。オヤジの挨拶などいらん。それより首を洗って待っていることだな。ソラ君は必ず勝つ」


 いまだアルマたちの乱入によって場はざわついていたものの、こうして三日後の勝負が決定したのだった。



 ※※※



 ロアンから遠く離れた街にある大きな病院の一室で、マリナは窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。

 今は薬を飲んだ直後なので体調は比較的良く、こうしてベッドに上半身を起こしていられるが、数時間おきに高熱を発して苦しむことを繰り返すのは結構キツイものがあった。 


(……ふう。流石のマリナ様もこれには参ったよ)


 自他共に認める元気娘ではあるが想像以上に過酷な病気であったのだ。アイラが言っていたようにそこらのウイルスよりもずっとタチの悪いものに憑かれてしまったようである。


「――マリナお嬢様。お加減はどうですか?」


「うん。今は大丈夫だよ、アイラ」


 扉が控えめにノックされ、部屋の水を補充するために出ていた赤い髪の少女がきびきびと病室に戻ってきたが、なぜか他にも色とりどりの果物やらを抱えていた。


「どうしたの? その果物の詰め合わせ。すんごく美味しそう」


「それが、病院の院長が是非マリナお嬢様にと持ってきたのです」


「また? 私は別にいいけど、ちょっとあからさますぎるかな」


 マリナは広大な病室を眺めながら言う。

 姉の要望により病院で最も豪華な個室をあてがわれることになったのだが、病院側も思っていた以上の上客だったために、こうしてご機嫌取りのために色々と差し入れてくるのである。


「そろそろ注意しようと思っているのですが」


「まあ、甘いものは大歓迎だけどね。アイラ、そのリンゴ剝いてくれる?」


 詰め合わせの中にあった真っ赤なリンゴをマリナが指差すと、アイラは机の引き出しから果物ナイフを取り出して剝き始めた。

 双剣使いだけあって刃物の扱いは手慣れており、あっという間に皮をひとつなぎのままで剝き終えると素早く何個かに切り分ける。


「どうぞ」


「ありがとう」


 マリナはリンゴを受け取ると、シャリッとした瑞々しい感触を楽しみながら遠くにいる姉に思いを馳せた。


「お姉ちゃんは今頃どうしてるかな」


「エルメラの話だと、風獣で移動すれば目的地まで一日もかからないそうですから、そろそろお帰りになられるかもしれません」


 ソラが旅立ってからすでに三日が経過し、順調にいけばもう戻ってきてもおかしくない頃合ではある。


「でも、エルメラさんの故郷が大変らしいんだよね?」


「はい。この辺りではそうでもありませんが、人間とエルフとの間で対立が起きているようです。セントラルポストに記事が載っていました」


 眉をひそめたアイラがロビーから取ってきたらしい新聞を机に置く。

 場合によってはソラが騒動に巻き込まれている可能性もあるので心配なのだろう。


「お姉ちゃんは普段から厄介事に慣れてるその道の専門家みたいなものだから大丈夫だと思うけどね。エルメラさんもついてるから心配は要らないよ」


 もしソラが聞いたら肩を落としそうなセリフにアイラは苦笑する。


「私もお嬢様のことを信じておりますが、エルメラが不埒な真似を働いていないか心配ですね」


 それから二人でしばらく果物をつついているとふいに病室の扉がノックされた。


「誰か来たみたい」


「……まだ回診の時間ではないはずですが」


 アイラが目付きを鋭くして扉を見る。

 マリナの病室に人が来るのは、決まった時間にやってくる回診と食事の時くらいであり、身のまわりの世話はほとんどアイラが行っているのだ。


「大手の病院だからそこまで警戒しなくても」


「用心するに越したことはありません。病院の警備も万全ではありませんから」


 アイラはすれ違う患者をギョッとさせている腰元の双剣に手を置きながらゆっくりと扉に近づいていった。


「誰だ?」


「ちわっす! シロネコ運送のモンっすけどー!」


「……配送会社の人間か?」


 怪訝な表情でアイラが扉を開けると、そこには白いツナギを着用した若い青年が小さな箱を持って立っていたのだ。


「マリナ・エーデルベルグさんの病室はここで合ってますよね!」


「あ、ああ。そうだが」


 病院なので声は押さえてあるが、やたらと元気な態度にアイラがやや呆気に取られながら頷くと、青年は抱えていた箱とその上の伝票を差し出した。


「それじゃあ、ここにサインをお願いします!」


 言われたとおりアイラが渡されたペンでサラサラと記入して箱を受け取ると、青年は被っていた白い猫のイラストがついた帽子のつばを掴んで頭を下げる。


「ありがとございやっしたー!」


 ニカッと爽やかな笑顔を浮かべて去っていく青年をアイラはしばし呆然と見送ってからベッドまで戻ってきた。


「あはは。元気なお兄さんだったね。ところで誰が送ってきたの? もしかしてお姉ちゃんかな」


「どうやら違うようです。そもそも送り主の名前が書いてありません」


「どういうこと?」


 マリナは首を傾げる。

 エルメラや彼女の関係者とも考えづらく、他にこの国で思いつくのはナルカミ商会の人間くらいだが、それでも名前を記入しない理由がない。 


「お嬢様宛てに届けられたものですから誤配とも考えにくいです。……怪しいですね」


「とりあえず開けてみようよ。確認しないとどうしようもないし」 


 マリナが促すとアイラは慎重に慎重を重ねて箱を開封していった。どうもかなり厳重に梱包(こんぽう)されているようだ。


 やがて開封作業が終わり、アイラが警戒しながらゆっくりと箱を開ける。

 そして、二人でそろそろと中身を覗いてみるが、


「……何これ?」


 そこに入っていたものを見て、マリナは思わずアイラと顔を見合わせたのだった。

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