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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
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第9話

 エルフの長との会見を終えたソラは沈痛な面持ちで里の中を歩いていた。

 その理由はもちろん、先程長老の家で聞かされた話が原因である。


『――誠に申し訳ないが、現在、里には聖樹の雫が一滴も残っておらんのです』


『そ、そんな』


 さすがにソラはショックを受けて顔を強張らせた。

 国内でイザコザが起こっているようだが、エルメラの話からも問題はないだろうと楽観視していたのである。


『……聖樹の雫が無いだと? おい、ジジイ! それは一体どういうことだ!?』


 こちらも予想外だったのだろう。エルメラが顔色を変えて長老に食ってかかっていた。


『落ち着きなさい、エルメラ』


『これが落ち着いてられるか! 里に残されていなければ、聖域にある聖樹まで直接取りに行くしかないが、そちらも今は出入りが禁じられているのだろう。この間にもマリナは苦しんでいるんだぞ!』


『ふむ。ソラ殿の妹の名はマリナと言うのか。ほっほ。お前がそこまで気にかけるとは良い子なのじゃろうな』


 長老が穏やかな声で言うと、激昂していたエルメラは毒気が抜かれたように座り直す。


『……しかし、里に一滴も無いとはどういうことだ? そんな事態は少なくとも私がいた頃にはなかったはずだ』


『……ふむ』


 長老は一拍置いてから語りだした。


『実はのう……ついこの前まで、ちゃんとワシの家の地下にある倉庫に大事に保管してあったんじゃよ』


『……まさか、賊が侵入して盗み出したのか? いや、あそこは結界で守られているからまず無理だな』


『うむ。高位の魔導士でも、たとえお前でも侵入は不可能じゃろう』


『ならばどういう理由なんだ。まさか使い切ったとかいうオチじゃないだろうな。さっさと教えろ!』


 エルメラが焦れていると、黙っていたアルマが静かに口を開いた。


『倉庫から取り出した後を狙われたということだ』


『狙われただと?』 


 不穏な言葉にエルメラが眉をひそめる。


『そうだ。我々は共和国の要請により、最近増加しているアルフヘイム病患者を救うため、倉庫に保管してあった聖樹の雫をあるだけ分け与えることに決めた。もとよりこんな時のために貯蓄してあったのだし、聖樹から湧き出る量だけでは到底足りなかったからな。だが……』


 アルマの表情に一瞬怒りの色が閃く。


『……私が率いる数人で雫の入った箱を近くにあるフリント村まで運び出そうとした時だ。突然、両脇にある木立から煙が吹き出てきたかと思うと、大きな爆発音が至近距離でいくつも轟き、私たちが咄嗟のことで混乱している間に根こそぎ奪われてしまったんだ』


『な、何だと!?』


 さしものエルメラも驚愕の声を上げるが、それは落ちこんでいたソラも同じだ。

 あまりにもタイミングが良すぎるし、強奪した連中はあらかじめ情報を掴んでいたと考えるのが自然だ。どうにもキナ臭い背景がありそうである。


『しかし、兄者たちが後れを取るとは……』


『もちろん、そこらの賊、あるいは冒険者や傭兵程度なら、どのような奇策を取ってこようがむざむざ奪われたりはしない。だが、強盗たちの手際は実に見事で直前まで気配を全く気取らせなかった。それに、精霊を呼び出す間もないほどの早業だったとはいえ、私をはじめとした守人は魔力を用いた体術も扱える。それでも奴らが想像以上の手練(てだれ)であったことと、魔導ではない何か特殊な武器を使われて結局まんまと取り逃がしてしまい、その後の追跡もすぐに巻かれてしまったのだ』


『荷物を抱えたまま守人たちの追跡を振り切るとは一体何者なんだ。姿は見たのか?』


『視界が悪かったから一瞬しか見えなかったが、全身黒ずくめの連中だった。おそらく人間には違いないのだろうが……』


 予想していなかったであろう事実を聞かされてエルメラはしばしの間唸る。


『……それで、犯人の目星はついてるのか?』


 その質問に、アルマは一度長老に視線を向けてから話し出した。


『……確証はない。だが、怪しい者はいる』


『誰だ、それは』


『……ダモンだ』


『里の入り口で揉めていた連中か』 


 部下を数人引き連れていた、目つきが鋭く、背の低いガッチリとした体型の中年男。

 オスカーの話によれば彼はダモン商会の主で今回の騒動の主犯格と目されている人物らしい。


『ダモンが怪しいと思うのには当然理由がある。なぜなら、聖樹の雫を奪われた直後に奴が商人連合に働きかけて領有権を主張し始めたからだ』


『……商人連合?』


 知らない単語にソラがぽつりと呟くと、


『そのまんま、商人たちによる組合みたいなもんだ。昔は商人ギルドと呼ばれてたな。そんで、商人連合ってのはこの国において最も力のある集団のひとつなのさ。なんせ共和国議員の大半が彼らの援助を受けて当選した連中ばかりで、彼らはいわば連合の代理人のようなもの。だから、連合の意向は国政にも大きな影響を与える程なんだ』


 隣のオスカーが説明してくれ、最後に「ダモンは連合の中でも最有力の人物だ」と付け加えた。


 アルマがひとつ咳払いをして話を再会する。


『それともうひとつ。奴が怪しい理由だが――我らが奪われた直後にダモン商会が聖樹の雫を病に苦しむ者へとほとんどタダ同然で販売したのだ。表向きは奴らの商会が少しずつ里から買い取って貯め込んでいたという説明だが、もちろんそんな事実はない』


『それは完全にクロだろう!』


 憤怒の表情を浮かべたエルメラが()えるが話にはまだ続きがあるようだった。


『結果、ダモンはその行為によって民衆から喝采を浴びたばかりか、我々アルフヘイムの民が雫を出し渋っているという嘘の情報を裏で流したのだ。こちらが盗まれたといくら弁明しても、連合内の仲間と結託したダモンの情報操作力には到底敵わない。当然の帰結として里への風当たりは日々強くなっていった。お前も道中でその光景を目にしたはずだ』


『……そういうことだったのか!』


 ギリッとエルメラが奥歯を噛み締める音を聞きながら、ここでソラにもようやく全体像が見えてきた。

 どこか不自然な程に高まっていた人間のエルフに対する悪感情は、土地を手に入れるためにダモン一派の策略により故意に起こされたのだ。

 となれば共和国政府を介して聖樹の雫を供給するよう要請したのも彼らで、最初から罠だったということである。

 そして、里に雫が残っていないことを利用して領有権問題を持ち出してきたのだ。聖樹を擁する聖域が係争地になればエルフたちは雫を取りに行くことができずますます責められることになるし、おそらくそれを世に訴えてもダモンの世論操作の前には無駄なのだろう。


 ――時間が経てば経つほど、追い込まれるのはあなた方ですよ――


 ソラはあの時のダモンの勝ち誇った笑みとそのセリフの意味を悟った。


『こっそり取りに行くことはできないのか、兄者』


『無理だ。結界に守護された聖域に入るには必ず決まった入り口を通らねばならないが、そこをダモンの手下が四六時中見張っているのだ』


『……むう。しかし、そこまでして聖域を欲しがる理由はなんだ。もしや聖樹が目的なのか?』


『これはフリント村でよく取引している商人に教えてもらったのだが、どうも聖域内に眠っている大量の魔導石が目当てらしい。なぜダモンが知っていたのかは謎だがな』


 魔導石とは現代の生活を支える上で欠かせない大事な資源であり、人間が使っている大半の魔道具が魔石や魔導石から得られるエネルギーを利用することで成り立っているのだ。

 もし、魔導石の鉱脈が手に入れば莫大な利益を生むことになり、何がなんでも手中に収めようとする連中が現れてもおかしくはない。


『それで、これからどうするつもりなんだ。まさか聖域を奴らに譲るというんじゃあるまいな』


『そんなわけにはいくか。だが、今でこそ騒動は首都周辺だけに限られているものの、そのうち共和国中に広がっていくだろうし、最終的にはエルフと人間との抗争になりかねん。そうなれば数百年前の悪夢の再来だ。それに、表立ったアルフヘイム病患者はダモンの販売した雫で治癒しているが、またすぐに病気を(わずら)う者が出てきてもおかしくはないんだ。……彼女の妹のようにな』


 アルマの言葉に皆の視線が一瞬ソラへと集まり、そして場は重苦しい沈黙に覆われた。


 八方塞がりな状態にソラも押し黙っていたが、ふと気になっていたことを尋ねてみる。


『……あの、アルマさん。さっきアルフヘイム病患者が増加しているって言ってましたけど、それはどういうことなんですか?』


 マリナを診てくれた医者の話では、滅多にかかることのない珍しい病気だと言っていたのだ。


『そうだな。私もそれは気になっていた。気脈の活動期にはまだ猶予があるはずだが』


 考え込んでいたらしいエルメラも兄に顔を向けると、代わりにこれまでピクリとも動かずに見守っていた長老が答えた。 


『それなんじゃがのう。どうも活動期が早く訪れてしまい、そのせいで聖樹様の力が弱まっておるようなんじゃ』


『……えっと、どういうことですか?』


 いまいち会話の意味が理解できずにソラが困惑していると長老が丁寧に解説してくれた。


 その説明によると、聖樹とはかつてエルメラが話してくれたアルフヘイムに溜まる魔素を浄化する機能を持つとのことで、エルフたちが聖域のシンボルとして崇める理由なのだが、およそ半世紀に一度ほどの周期で気脈が活発化する場合には、聖樹の力をもってしても完全には抑えることが難しいのだそうだ。結果、その年にはアルフヘイム病患者が急増し、また魔素の影響を受けた森に住む怪物や小動物などが魔獣へと変化するらしく、今から約三十年前にエルメラが解決した魔獣の大量発生事件もそれが原因なのだという。


『……そんなことになっていたのか。ジジイ、どうにかならんのか? 』


『残念ながらワシの力ではどうにもならん。……精霊の巫女様でも現れてくれれば良いのじゃがのう』


『長老、それはただの伝説だろう』


 馬鹿馬鹿しいとばかりにアルマが嘆息すると、珍しく兄者と意見が合うものだとエルメラも頷いた。


『そんなあやふやな話を当てにしても仕方ないだろう。だが、聖樹が弱まっているのは一時的なものだし、時間が経てば持ち直してこれまで通り魔素を抑えてくれるだろう。もし、その間に魔獣が発生したとしても私が即座に始末するさ。前回のような大発生はそれこそ滅多に起こらなだろうし。となると、問題はやはりアルフヘイム病の方になるが……最終的に判断するのは長老であるジジイだ。何か策でもあるのか?』


 今度は皆の注目がゆったりと座っている長老へと注がれる。

 このまま強硬姿勢を貫くのか、それともダモンの要求に屈するのか、どちらにしろエルフ側には厳しい状況が待っているだろう。あるいは他に状況を打開する方法でもあるのか。


 すると、五百年以上を生きる老エルフはやおら真剣な雰囲気になり、枯れた老体から発せられているとは思えぬ圧力が放出されたのだ。


 その姿にソラも緊張してゴクリと息を呑んだが、


『――それが、な~んにも思いつかんのじゃ! まったくもってまいったわい!』


 と、長老は能天気に笑い出し、同じく表情を引き締めて耳を澄ませていた一同は思わず脱力したのだった――


 里を歩きながら先程の会話を脳裏に浮かべていたソラは改めて溜息を吐く。


(……長老でもすぐには答えを出せないんだろうけど)


 部外者たるソラでも難しい判断を迫られていると分かるが、こちらとしては一刻も早く聖樹の雫をマリナに届けてやりたいのだ。


 ソラが鈍い頭を軽く振っていると、


「ソラ君。こっちだぞ」


「どこに行くんだ? 聖域の入り口を見にいくんだろ?」


 背後を歩いていたエルメラとオスカーが声をかけてきて、アルマが少し離れた場所からこちらを見ていた。どうやらボーッとしていて見当違いの方向に進もうとしていたらしい。


「……あ、すみません。ちょっと考え込んでて……」


「無理もないさ。私としても誤算だったからな。それに、昨日から全く眠っていないからかなり疲労が溜まっているんだろう。ジジイの家に戻ったら夕飯をとってしっかり休んだ方がいい」


「……そうですね」


 もう時間は夕暮れ時となっており、長老やエルメラから今夜は里に泊っていくよう勧められたのである。ロアンの街も近いのでそちらに宿を取ってもいいのだが、ソラも気だるい疲労を感じていたので彼らの好意に甘えることにしたのだ。


 それから、一同はアルマを先頭に里を横切るように進み、更にもう数分ほど森の中を歩くと、やがて古い遺跡のようなものが見えてきた。

 遺跡といっても小規模なもので、あちこちに積みあがった古い石がぽつんと置かれてあるだけの寂しい場所だったが。


「あれが聖域への入り口……」


「そうだ。先程も少し説明したが、結界の制約上、聖域に入るにはあの門をくぐらなければならない。もっとも結界を管理している長老の承認が必要となるがな」


 アルマはそう説明しながら遺跡の一番奥にある石でできたアーチ型の門を指差した。

 表面には雨風によって削られた跡があちこちについており、すぐにでも朽ち果ててしまいそうである。

 門の向こう側にはそのまま森が続いていて、表面上はソラが今立っている場所となんら変わらない風景なのだが、侵入者を拒む抗いがたい壁のようなものを感じた。


(あの門のすぐ向こうが聖域なのに……)


 悔しさに奥歯を噛み締めながらソラが門を凝視していると、


『――――』


(……え?)


 視線の先にある森から形容しがたい嫌な気配と、その気配に紛れるような弱々しい声を聞いた気がしたのだ。まるでソラに語りかけているような儚い意志のようなものを。


「……誰?」


 その声を少しでも近くで感じ取るためにソラはフラフラと門に歩み寄る。


「ソラ君?」


「……おい?」


 突然のソラの行動に面食らったエルメラとアルマが背後から呼びかけた時だった。


「――おい。それ以上近づくんじゃねえよ」


 遺跡の影から武装した数人の男たちが出てきて門の前に立ちはだかったのだ。全員が腕利きのようで視線といい身のこなしといい隙がない。


「こいつらがダモンの手下か」


「そうだ」


 エルメラが目付きを鋭くし、アルマが眉間にシワを寄せる。


 男たちは威圧感たっぷりに門の前に壁でも作るように立っていたが、やがてその中のひとりが前に出てきたかと思うと、まずソラを見下ろしながらひと睨みし、それからアルマとエルメラに視線を向けた。


「何の用だ、アルマ殿? 問題が片付くまではなんぴとたりとも聖域には入らないという決まりのはず」


「分かっている。少し様子を見にきただけだ。お前たちが大事な森を汚しはしないかと気が気でなくてな」


 アルマが挑発するように返すと、二人の間で見えない火花が散った。


(……おい、兄者。こいつらを蹴散らして聖域に入れんのか? なに、ダモンにチクる気も起きないほど恐怖を刻み込んでやるさ)


 バキバキと指の関節を鳴らしながらエルメラは不敵な表情で提案する。まるでガラの悪い不良のようなセリフであった。


(やめろ。そんなことをすれば、我々が一番危惧している全面対決になってしまう)


 呆れたアルマが制止するとエルメラは舌打ちをして引き下がった。もし止めなければ嬉々として殴りかかっていたことだろう。


「アンタ。ロアンでも憲兵に捕まりそうになってたのに懲りねえなあ」


「フン。同じ(てつ)を踏んだりはしないさ。……さて、ここでムサ苦しい男どもを眺めていても何の徳もない。ソラ君、そろそろ戻ろうか」


 オスカーにたしなめれ、流石にエルメラは心外そうな顔をしていたもののすぐに踵を返した。


 ソラも頷いて里に戻り始めている皆に続こうとしたが、最後にもう一度だけ聖域を振り返る。


 風が出てきて森がざわざわと不吉な音を立てていたが、あの不思議な声はまるで幻だったかのようにもう聞こえてこなかったのだった。

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