第8話
「……先程はすまなかったな。ソラ君」
突然謝ってきたエルメラに、新しい服の具合を確かめていたソラは思わず振り返った。
髪や服の一部が泥だらけになってしまったので、現在は里の中にある小屋の中の水場を借りて一通り洗い終わったところである。着ていた服やローブは里の人間が洗ってから返してくれるらしく、代わりにエルフが使用している麻でできた服を貸してもらったのだ。
「急にどうしたんですか?」
意味が分からずにソラが問いかけると、髪の湿気を丁寧にタオルで拭ってくれていたエルメラが顔を上げた。
「いや。私と一緒にいたばかりに君にまで迷惑をかけてしまったからね。せっかくここまで来たのに」
「元々私が頼んだことですし、エルメラさんが謝る必要はないですよ。それに、今は状況が状況ですから」
エルフと人間との仲がこじれている最中である。時期が悪かったのだ。
「……それもあるだろうが、やはり私の連れだということで兄者が意固地になってしまったのだと思う。普段だったら、相手が人間だろうが困っている者を一方的に突き放したりはしないからね」
そう言って目を伏せるエルメラを見てソラはクスッと笑う。
「ん? 何だい、ソラ君」
「いえ。仲が悪いのかと思ってたんですけど、やっぱりお兄さんのことをちゃんと理解しているなあと」
「……私が兄者を? 冗談はよしてくれ」
エルメラは嫌そうにしかめっ面をしてみせたがその頬は少し赤かった。
ソラが笑みを浮かべたままでいると、エルメラはバツが悪そうな表情でソッポを向く。
「あー、年長者をからかうものではないぞ、ソラ君。私が君の何倍生きていると思ってるんだ」
「そんなに照れなくてもいいじゃないですか」
「――よし、分かった。君がマリナのためにどれだけ必死なのか、無事に聖樹の雫を持ち帰ったあと本人にじっくりと教えてあげようじゃないか」
「わーーーっ!! わ、分かりましたよ! もうこの話は止めにしましょう!」
「分かればいいんだ、分かれば」
ソラが慌てて白旗を上げると、余裕を取り戻したエルメラは満足気に頷く。
さすがに年の功というべきか、一瞬で攻守が逆転してしまった。
(……それにしても、考えるだけで怖ろしいよ)
ソラの脳裏に、『もう、お姉ちゃんったら~、どれだけ私の事が好きなのよ~。むふふふ』と妹がニンマリ笑っている光景が浮かぶ。ただでさえ前世からいくつもの弱みを握られているというのに。
ゲンナリとしながら腰にあった紐を調節していると、髪を拭いていたエルメラの手が止まった。
「……さてと。髪も大方拭き終わったぞ」
「ありがとうございます、エルメラさん」
「なに、ソラ君の美しい髪に触れられたのだから役得というものだ。ところで今夜一緒に風呂に入らないかい? 今みたいに私が髪を洗ってあげよう。ついでに身体も……」
「結構です」
ソラが光の速さで断ると、何か良からぬことを妄想して顔をニヤけさせていたエルメラは悄然と肩を落とした。どうも本気で楽しみにしていたらしい。
「そろそろ行きましょう。あまり皆さんを待たせるわけにはいかないですし」
とんでもないセクハラエルフだとソラが嘆息しながら振り向くと、もう立ち直ったらしいエルメラが「ふむふむ」とこちらを観察してきた。
「うん、いいじゃないか。とても良く似合っているよ」
「そうですか?」
ソラは己の姿を見下ろしてみる。
エルフが普段着ているらしい、緑を基調としたワンピース型の貫頭衣で、シンプルではあるが肌触りが柔らかく動きやすい造りになっていた。
「うんうん。普段ローブに隠れてしまっているソラ君の若葉のごとき手足は愛らしく、同時に少女特有の発展途上にある身体の線はどこか妖しい魅力を醸し出しているね」
どこぞのロリコン魔導騎士のようなことを真面目な顔でのたまうエルメラ。
ソラはそんな変態エルフを置いてさっさと入り口に向かって歩き出したのだった。
「お待たせしました、アルマさん」
ソラが天幕から出ると、少し離れた所に立っていた、女性と見紛うばかりの端正な顔をしたエルメラの兄が視線だけを向けてきた。
ちなみに、着替えを里の人間に用意させ、水場で身体を洗えるよう取り計らってくれたのは彼であり、その時に名前も教えてもらったのだ。
「あの、服まで貸していただいてありがとうございました」
「……汚れた格好のままで長老に会わせるわけにはいかないからな。礼など必要ない」
つっけんどんに返すアルマだが、その仏頂面もエルメラの話を聞いた後では気にならない。なによりソラの覚悟を汲み取ってくれたのだから。
「……ん、おお。これはまた印象が変わったなあ。というか、エルフの里にいても全く違和感がないな」
こちらは近くの木にもたれかかりながら待っていたオスカー。
結局、ドサクサに紛れてアルフヘイムの里に要領よく入り込んだのである。
「新聞記者と言っていたな。忠告しておくが興味本位にあることないこと記事にしたら容赦はしないからな。あと、里の中を歩き回ったり、勝手に建物に入ったりするなよ」
「了解、了解。借りてきた猫のごとく大人しくしてるよ。あんたのおっかない妹にも注意されてるしな」
アルマの警告を受けてオスカーは降参ポーズを取ってみせたが、相変わらずおどけた態度のため全く信用できないのだった。
案の定アルマが表情を険しくしていたが、エルメラが天幕から出てくるとひとつ鼻を鳴らして背を向ける。
「長老の家は里の最奥にある。ついてこい」
そう言って歩きはじめるエルメラ兄にソラたちもついていく。
里は街道からアルフヘイムの森に入ってすぐの所に築かれているが、それは彼らエルフが大昔から住処としてきた森を守護するためらしい。
ソラは初めて見るエルフの里をきょろきょろと見渡した。
森の中とはいえ里の中は存外に明るく、頭上を覆っている太い幹や屋根のように広がっている木の葉の間から丁度いい光量が降り注いでいる。
それに観察しているとすぐに気づいたが、アルフヘイムにある樹木は他に比べると幹の部分がずっと太く、根っこの部分が大きく膨らんでいるという面白い形状をしており、どうも木の中身をくりぬいて居住用に使用しているようだった。
更に頭上には樹木同士を結ぶ橋があちこちに架かっており、互いの家を行き来できるように設計されているようで、今も橋を通行している人影が見える。
「これって樹木の中を住みやすいように改造してるんですね。エルフの里はどこもこんな感じなんですか?」
「うちのはちょっと特殊だよ。この家もアルフヘイムの森にしかない樹木があったからこそだし。ただ、エルフ族が森と共に生き、森にあるものを利用して暮らしているという点ではどこでも同じかな」
久しぶりの故郷だからか、エルメラは懐かしそうに目を細めながら里を眺めていた。
それから、ソラたちは進路上に時折伸びている木の根っこなどに気をつけながら進んだ。
里の中は道などが整備されておらず、ほとんど自然の姿のままであり、まさに森と共生している集落だった。
里にはエルフたちが歩いていたり、何かの作業をしている姿がちらほら見受けられたが、ほとんどが女性や子供だった。
彼女らはソラたちの姿を見つけるとやや驚いていたが、それでもすぐに気にせずに作業へと戻る。入り口でのギスギスした空気からもっと警戒されるのかと思っていたがそうでもないようだ。
「さっきから思ってたんですけど、女性ばっかりですね」
「エルフ族は女性の方が数が多く、男性は少数なんだ。しかも、今は里の警備のために男たちは出払っているからね。『守人』と言ってエルフでも荒事は基本的に男の仕事と決まってるのさ」
ソラたちがしばらく会話しながら歩いているとアルマが足を止めた。
「ここが長老の家だ」
里の中でもとりわけ巨大な樹木――おそらく樹齢数百年は経過しているだろう――がエルフの長の住処らしかった。
アルマは扉を開いて、ソラたちに入るよう促す。
(思っていたよりも温かいね……)
単に保温性に優れるだけではない。樹木がくりぬかれていても決して死んでいるわけではなく、生命力に満ちているのが理由だろう。まさに木と一体になって生活しているようなものだ。
また、家の中は何部屋にも分かれていて、雰囲気的には以前訪れた古物商のような隠れ家に近かった。あちこちに古い木でできた家具が配置されており、小物にいたるまで全て自然から採れる素材でできている。壁から新芽が飛び出ているのは木の家ならではだろう。
ソラは興味深く拝見しながら進んでいたが肝心の人物の姿は見当たらなかった。
「おい、ジジイ!! エルメラが帰ったぞ!! まだ、生きてるか? 生きてるなら返事しろ!!」
背後ではエルメラも無遠慮な大声を上げて探している。
里の長に対してなんとも乱暴な呼びかけだったがその声にはどこか親しみも混じっていた。
(そういえば、エルメラさんは長老のお孫さんだったっけ)
己の祖父ならば砕けた口調でもおかしくはない。
ソラは現在の祖父であるウィリアムに対してあそこまでフランクに接することはできないが、前世では同じような感じだったのだ。
それから皆で一階部分を探し回ったが結局長老は見つからなかった。
「……むう。どこにいるんだ、あのジジイは。まさか本当に……」
「縁起でもない事を言うな。今朝お見かけしたばかりだ。この時間なら外に出ることはないだろうから、おそらく上の階層にでもおられるのだろう。それと祖父とはいえその呼び方は何だ。お前は相変わらず礼儀というものが――」
アルマがぶちぶちと小言を言い始め、エルメラがうっとうしいといわんばかりに顔をしかめる。
そんな何気ないやり取りから兄妹の絆を感じ取り、ソラが自分たち姉妹に重ね合わせていると、ふと背後に気配を感じた気がした。
(……ん?)
ソラの後ろにあったのは一階にある小部屋のひとつで、覗いてみるにどうも植物を育てている部屋のようだった。背丈ほどもある大きな観葉植物や様々な花が何本も地面から直接生えており、部屋の中には窓から太陽の光が調節された角度で入り込んでいる。
(今、少しだけ気配を感じたような……)
ふらりとソラが部屋に足を踏み入れ、何の気なしに目の前に生えている植物へと視線を向けたときだった。
「――おお。お客様ですかな」
「……え? って、うわあっ!?」
その植物が突然くるりと振り向いて話しかけてきたのでソラは仰天して跳び上がった。
「……ひ、人!? じゃなくて、エルフ?」
心臓をバクバクと鳴らしながら後退したソラは、動揺しつつもようやくその植物の正体に気付く。
そこにいたのは植物ではなく、ひとりの老いたエルフだったのだ。
ただ、緑がかった髪が地面につくほど長く、同様に仙人のごとき垂れ下がった長い眉やヒゲがローブを着ているらしい小柄な身体の大半を隠しているという有様だったので、全く気づかずに植物のひとつだと勘違いしたのである。
「おや。どうやら驚かせてしまったようですな。この部屋におりますとついウトウトしてしまうのですよ。ほっほ」
「は、はあ」
ソラは目や鼻が体毛でほとんど埋没している老エルフの顔を見ながら茫然と相槌を打つ。
こんなに堂々と部屋の中にいたのにほとんど気配を感じなかったのである。うたた寝をしていたとかいうレベルではない。そこらの置物でももっと存在感があるだろう。
すると、好々爺然と笑っていた老エルフがソラの顔を見つめるような仕草をした。
「……おお、おお。これは誰かと思えばアルフィナ様ではありませんか。お久しゅうございますな」
「えっと……」
どうも誰かと勘違いされているようだとソラが反応に困っていると、
「――ジジイ!! こんな所にいたのか! 相変わらず気配が無さすぎるだろう!」
背後からもの凄い勢いで駆け込んできたエルメラがバシンッと老エルフの頭をはたいたのである。それはもう容赦の無い一撃であった。
しかし、老エルフは小揺るぎもせずに笑顔(?)を浮かべたままで、
「おお、エルメラではないか。大きくなったの。ついこの間までワシのヒゲを引っ張って遊んでおったお前が……」
「何十年前の話だ、それは! ボケるんじゃない!」
エルメラがバシバシと連続で叩いているとアルマが急いで駆け寄ってきた。
「エルメラ! お前というやつは……!」
「別にいいじゃないか、兄者。これくらいしないとジジイはボケたままだぞ」
「そんなわけがあるか!」
慌てて止めに入るアルマ。
「あのー……。もしかして、この方が?」
恐る恐るソラが問いかけると、エルメラを叱り付けていたアルマが嘆息しながら振り向いた。
「……そうだ。この方こそが私たち兄妹の祖父であり、そしてアルフヘイムの里の長老だ」
「やっぱり……」
ソラはやや呆気に取られながら、マイペースに笑い続ける長老を見つめるのだった。
※※※
「――ご、五百歳以上!?」
長老を発見してから居間のような部屋に場所を移し、年輪が剝きだしになっている木のテーブルを囲んだあと皆で改めて自己紹介をしていたのだが、その最中に飛び出てきた衝撃的な事実にソラは驚愕の声を上げていた。
「ほっほ。正確な年齢はもはや覚えておりませぬが」
上座に座っている長老の横顔を思わず凝視しながらソラはいまだ驚きが覚めやらなかった。
五百年以上といえば、はるか昔に勃発した世界大戦の生き証人ということになるのだ。
「……エルフの平均寿命ってどれくらいなんですか?」
「このジジイは特別だよ。おそらく、歴史上でもここまで長寿を誇ったエルフはいないだろう」
向かいのエルメラも若干呆れ気味に己の祖父を眺める。
「人間じゃ想像もできん年月だよなあ」
ソラの隣に座ったオスカーが愉快そうに笑っていた。
記者などという職業をやっているせいか、ちょっとやそっとのことでは驚かない性格のようだ。
「それにしてもエルメラや。息災にしておったようだの。お前はどこででも生きていけるだろうから心配はしておらなんだが」
「当たり前だ。道中、心優しい人たちに助けてもらいながら旅を続け、逆に襲ってくる不貞の輩は瞬殺して身包みを剥いでやったわ」
長老に向かって旅の思い出を自慢げに語るエルメラ。
「……そんなことを偉そうに言うな」
アルマが頭痛をこらえるような表情をする。
要は人の善意に付け込んで旅をしていた上に、悪漢相手とはいえ盗賊まがいのことをしていたのだ。ある意味最高にタチの悪い旅人である。
「……まったく。里の仕事を放置してまで何をしているのかと思えば」
「あの、前にも役割とか言ってましたけど、エルメラさんの仕事って何なんですか?」
聞いても大丈夫かなーと思いつつソラは眉間にシワを寄せているアルマに尋ねてみる。旅に出る前にエルメラが何をしていたのか少し気になったのである。
「……私やエルメラのように長老の血筋に連なる者は代々聖域の守護を任されているのだ。それをこの愚かな妹は、『飽きた。だから旅に出る』と適当な書置きを残してどこかへと姿を消したのだ。今から十年ほど前になる」
「私がいなくても兄者がいれば問題はないだろう。それこそ毎日毎日よくもやっていられるものだ。掟だか知らんが里にずっと閉じこもっているのは性に合わん」
「お前はもう少し自分の力と立場を自覚しろ!」
里の入り口の時のようにまた険悪な表情で睨み合うエルメラとアルマだったが、
「ほっほ。これこれ、二人とも止めんか。お客人たちの前じゃぞ」
そんな二人の間に朗らかな長老の声が割って入り、火花を散らしていた兄妹は不承不承といった様子で矛を収める。
「ふん。兄者と言い争っていても仕方がないな。……それよりも大事な話があるんだ。そうだろう? ソラ君」
エルメラが水を向けてきたのでソラは真剣な表情で頷いた。
道中色々あったが、ようやく目的を果たせるのだ。
ソラは膝に手を置き、長老に身体ごと向けて、その毛に覆われた顔を見つめる。
「……長老。私の妹がアルフヘイム病で苦しんでいるんです。ですから少しでいいので聖樹の雫を分けていただけませんか?」
そのまま頭を下げようとすると、長老は節くれだった手で優しく制止してきた。シワだらけだったがとても温かい手だった。
「……頭を下げずとも喜んでお譲りいたしますとも。病魔に侵された者のために普段から貯蔵しているのですから」
「本当ですか!?」
「もちろんです。聞けばエルメラが大変お世話になったようですし。ですが……」
そこで長老は困ったように言葉を止めた。
ふと向かいを見るとアルマも難しい顔をしており、ソラが嫌な予感を覚えて手の平にじっとりと汗をかいていると、
「……ソラ殿。遥々お越しいただいて誠に申し訳ないのですが、現在、里には聖樹の雫が一滴も残っておらんのです」
長老は眉尻を下げながらそう言ったのだった。