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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
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第7話

「ヒュー♪ こいつは乗り心地最高だな。しかも、すげえ速え」 


 大手新聞社セントラルポストのブンヤことオスカーが高速で飛行するスズリの背中で歓声を上げていた。

 その口元に咥えられたタバコからは煙がまるで飛行機雲のように後方へと向かって伸びている。


「おい、オスカー。タバコの灰を少しでもスズリの背中に落としてみろ。その時は容赦なくここから叩き落すからな」


 白虎の首元に座っているエルメラがそう警告すると、空中を泳ぐように移動していたスズリも『グルル』と不機嫌そうに牙を剝いた。基本的に男は乗せないらしく最初からご機嫌斜めなのだ。


「オスカーさんもこんな所でタバコを吸わなくても……」


「いいだろ、これくらい。こんな機会滅多にないんだぜ」


 エルメラの背後に乗っていたソラは、尻尾近くで悠然とタバコを吹かしているオスカーを呆れながら見る。前回に乗った時よりも速度を落としているとはいえ、この強風の中で器用なものである。


「そろそろフリント村が見えてくるぞ」


 エルメラの呼びかけにソラが前方に視線を向けると遠くに小さな集落が近づいていた。

 ロアンを出発してからそんなに時間は経っていないが、アルフヘイムの里から最も近い村まで辿り着いたようだ。


「普段からアルフヘイムの里と交流がある村だそうですね」


「うん。互いの特産物などを交換したり、うちの里と取引している商人なんかも訪れる。いわばエルフと人間との交流場といったところかな。小さな村とはいえ結構賑わってるよ」


「なるほど……。でも、あれは?」


 村の上空を通過する際に下を覗き込んでみると、中央にある広場に多くの人間が集まってなにやら大声を上げていた。幾人かは(のぼり)のような物を持っていて何かの決起集会のようにも見える。明らかに不穏な空気を発しており、あまりお近づきになりたくない集団のようだ。


「エルフに抗議するために集まった連中だろ。最近は続々と集結していて、あの村が反エルフ運動の最前線として利用されてるんだ」


 ちらりと視線を向けたオスカーがタバコをくゆらせながら答える。


「……しかし、土地の問題だけでここまでこじれるものか?」


 眉を(ひそ)めながらその様子を眺めていたエルメラがぽつりと漏らすが、その意見にはソラとしても同感である。

 良識のある人間ならば、領有権問題自体に首を傾げるはずで、逆にエルフ側に同情が集まりそうなものだが。


「オスカーさんは何か知らないんですか?」


「里はもうすぐそこだろ。俺に訊くよりも当人たちに尋ねた方がいいんじゃないか?」


 はぐらかすオスカーだが、それもそのとおりだとソラは口を閉じる。全ては里へ行けば判明するはずだ。


 ただ――


「ふん……」


 通過した村を見送ったエルメラの瞳には、どこか寂しそうな色が浮かんでいたのだった。



 ※※※



 フリント村から伸びている街道を北に進み、ほどなくアルフヘイムの里へと到着したソラたちだったがすぐに異変に気づいた。


「あれは?」


 進行方向に広がるアルフヘイムの森。その手前で二つの集団が争っている光景が飛び込んできたのである。 


「――ちっ! 降下するぞ!!」


 ひとつ舌打ちしてエルメラがスズリに高度を落とすよう命じると、フッと周囲を取り巻いていた烈風が消えた。加速を停止して滑空へと切り替えたのだ。

 ふわりとソラの軽い身体が浮き上がりそうになるが、薄く張られている風の障壁が押し留めてくれた。

 

 そして、風の精霊は大きく旋回しながら空中を滑るように進むと、そのままいがみ合っている両者の間へと着地点を定めた。もはや彼らの姿はすぐ真下である。


「――な、何だ!?」


 気配を感じたらしく一斉に頭上を見上げた男たちが驚きの声を漏らし、泡を食って身を引く彼らの間へとスズリは強引に着陸した。


 ほとんど音を立てることなく地面に足をつけた風獣を彼らは茫然と眺めていたが、その背からエルメラが身軽に飛び降りると、森側に陣取っていた集団の中から怒り交じりの声が上がった。


「お前は……エルメラか!?」


「ん? おお、兄者ではないか。久しぶりだな」


「よくもぬけぬけと……!!」


 そう吐き捨てた緑髪のエルフはなんとエルメラの兄らしかった。たしかに顔の造りがよく似ていて、妹にも引けを取らない超美形であるが、想像とは違ってお堅い雰囲気を纏っている。


(……人間とエルフの争いか) 


 ソラもオスカーと地面に降りながら向かい合っている集団を観察する。

 森側と街道側にそれぞれ十数人ほどのエルフと人間――全員男のようだ――が対立していて、人間の中には腰に武器を携帯している者もいた。 

 今は突然の出来事に動きが止まっているものの、直前まで互いに激しく詰め寄っていたようだ。


「……おい。エルメラって、あの(・・)?」


「アルフヘイム最強の精霊使いか……!!」


 隣と顔を見合わせながらざわめく人間の男たち。やはりこの国ではかなりの有名人のようである。


「エルメラさん! 帰ってきてくれたんですね!」


「やれやれ、今頃になって戻ってくるとはな」


 エルフの側でも喜びの表情を浮かべる者から複雑な顔をしている者など反応は様々だ。


 そして、その浮つく空気の中、久しぶりに再会したエルフの兄妹は至近距離で向かい合っていた。二人とも長身かつ美形なので怖いほどの迫力がある。


「……何をしに戻ってきた。役目を放棄してフラフラしているお前が」


「私は別に追放されたわけではない。自分の故郷へ帰るのに兄者の許可が必要なのか?」


 冷たい表情を浮かべる兄に対して、エルメラは薄く微笑みながらもその目は好戦的に細められていた。

 睨み合う二人からは強力な魔力波動が放出され、両者の中間点では空間が軋むような音が聞こえている。


 周囲の者たちが違う意味でざわつき始め、ソラも壮絶な兄妹ゲンカが今にも始まりそうだと危惧していた時、そこに背後から割って入る声があった。

 

「――お取り込み中のところ申し訳ないが、身内のイザコザは後でゆっくりと二人だけでやってもらえませんかな? まだ私どもとの話がすんでおりません」


 そう言って人間の集団から進み出てきたのはひとりの背の低い中年男だった。シンプルだが高級な生地を使った服を着ており、その高慢な態度からも集団のリーダーであることが一目で理解できた。


(どこぞの金持ちっぽいけど、タダ者じゃなさそうだね……)


 見た目はどこにでもいそうなオジサンだが、背が低いながらもガッチリとした体格をしており、狡猾で隙のない眼差しといい、油断のならない相手だとソラは直感した。


「……あのオッサンはダモン商会の会長だな。今回の領有権問題をでっち上げた張本人だ」


 ソラの隣に立っていたオスカーがぼそりと呟く。


(あいつが……)


 ソラが凝視していると、エルメラ兄は妹との睨み合いを切り上げてダモンに顔を向けた。どうも彼がエルフ側の代表のようだ。


「……これは失礼した。しかし、何度来られようとも私たちの考えは変わりません。そちらこそ無用な争いを起こすべきではないでしょう。ましてや人の命にも関わることなのですから」


「その言い方は心外ですな。我々は正当な権利を主張しているにすぎません。ここはお互いに利口な判断をしようじゃありませんか。人間とエルフの未来のためにも」


 エルメラ兄の強張った表情とは対照的に余裕に満ちた態度でダモンは言う。どちらが劣勢であるかは一目瞭然であった。

 ソラたちの乱入によって一時的に中断していた争いが再開され、両陣営から不穏な空気が立ち昇る。


(これはマズイね……)


 徐々に高まる圧力の狭間で、ソラが身動きも取れずに息苦しさを感じていると、


「……まあ、いいでしょう。このまま睨み合っていても時間の無駄だ」


 ダモン本人が首を振りながらあっさりと矛を収めたのだった。

 決壊寸前だった圧力が急激に下がっていく。


 致命的な衝突は避けられたようだとソラが安堵していると、ダモンは手を振って部下たちに退却を指示し、そのまま近くに待機させていた馬車にぞろぞろと乗り込み始める。

 

 ダモンも馬車に乗り込もうとしたが、ふと足を止めて振り返り、


「……ですが、時間が経てば経つほど苦しくなるのはあなた方ですよ。それをお忘れなきよう」


 と、エルメラ兄に向って嫌味な捨て台詞を吐き、最後にソラたちの方へ一瞬視線を向けてから馬車で去っていたのだった。






 視界からダモンたちの馬車が消えてソラが振り返ると、エルメラ兄はまだ街道の向こうを苦虫を噛み潰したような表情で見送っていた。


「思っていた以上にエルフは分が悪いようだな」


 オスカーが新しいタバコを取り出そうとしたが、エルメラにその手を押し留められる。


「……兄者。旅先で聞いていたよりも状況は深刻そうだがどうなっているんだ?」


「……お前には関係ないだろう。己の興味を優先させるような輩に教えることは何もない」


「私とてこの里の一員だ……!! 心配しているに決まってるだろう!! それに、エルフは外の世界をもっと広く知るべきだと何度言えば分かるんだ!!」


 そう声を荒げるエルメラの姿を見てソラは内心で驚いた。

 ここまで感情を剝き出しにしたエルメラは初めて見たのだ。


 またすぐに兄妹のいがみ合いが勃発するかと思われたが、意外にも先に引き下がったのはエルメラの方であった。


「……ここで兄者と口論していても意味がないな。何十年と言い争ってきたのだからこの場で決着がつくはずもない。……それよりも頼みがあって来たんだ」


「頼みだと?」


「ああ。まずは里に入ってジジイ……長老に会わせてもらえないか?」


「断る。今更ノコノコと帰ってきた者に会わせるつもりはない。それに……」


 エルメラ兄は妹そっくりの鋭い視線をソラとオスカーに注いだ。


「このような時に人間を連れてくるような奴を里に入れるわけはいかんな」


「待ってくれ!! とりあえず話だけ聞いてくれ、兄者……!!」


 エルメラが必死に呼び止めようとしたが、エルメラ兄はすでに背を向けて里へと引き返し始めていた。

 

「誰も入れるなよ。特に人間は」


 入り口にはエルメラ兄の指示で数人のエルフが陣取り、追いすがろうとするエルメラの前に立ちはだかった。中には気の毒そうな表情をした者や戸惑っている者もいたが命令を忠実に実行する。


 ソラも成り行きを息を呑みながら見守っていたが、遠ざかるエルメラ兄の背中を見て一瞬呼吸が止まりそうになる。

 そして気づけば、前に踏み出して口を大きく開いていた。


「――待ってください!!」


 その場にソラの大声が響き、エルメラ兄が足を止めてゆっくりとこちらを振り向いた。


「……なんだ? 人間と話すことなど何もない」


「私はお願いしたいことがあってエルメラさんに里へと連れてきてもらったんです!!」


「人間が我々にお願いだと?」


「不躾なのは承知しています!! ただ、話だけでも聞いてもらえませんか!?」


「卑怯な人間の話をなぜ聞かなければならない。少女とはいえ、あいつらの仲間でないという証拠もないしな」


 これで話は終わりだとばかりにエルメラ兄は再度背を向けようとしたが、ソラはなりふり構わずに地面に膝をついて頭を下げる。

 垂れ下がった白い髪が(わだち)にできていた泥で汚れたがそんなことはどうでもよかった。


「おい、ソラ君!?」


 エルメラの慌てた声が聞こえてくるが、ソラはもうエルメラ兄しか見えていなかった。

 絶対にここで引くわけには――諦めるわけにはいかない。


「マリナが……妹がアルフヘイム病で苦しんでいるんです!! だから、聖樹の雫を少しだけ分けてほしいんです!!」


「…………」


「お願いします!! 私にできることなら何でもします!!」


 表情を変えずにこちらを見つめるエルメラ兄に向ってソラは声を張り上げる。


 それから、何度も、何度も、喉が痛くなってきても、膝や髪がどれだけ汚れようとも、ソラは頭を下げ続けた。

 聞き入れてもらえるまで、何時間でも、何日でも、ここに座り続けるだろう。

 どんなにみっともなくとも、格好悪くとも、周りからどう見られようとも関係ない。自分にはこれくらいしかできる事がないのだから。


 随分長い間、アルフヘイムの里の入り口に少女の声が繰り返し響いた。


 どのくらい時間が経っただろうか、手や膝の感覚も薄れてきて、もう何回頭を下げたのかソラ自身にも分からなくなってきた頃だった。

 

 ふと頭上に気配を感じ、ソラが見上げてみると、そこにはエルメラ兄が静かに立っていたのだ。


「…………。もういい。お前の本気は伝わった。長老の所へ案内しよう」


「……あ、ありがとうございます!!」


 しばし呆けていたソラだったが、すぐに表情を歓喜でくしゃくしゃに歪めた。


 急いで立ち上がろうとするが、しばらく土下座したままだったので、足に力が入らずによろけそうになる。


「――おっと」


 そのまま倒れそうになったところを、こちらもいつの間にか背後に佇んでいたエルメラが受け止めてくれた。


「……あ、エルメラさん」


「……『あ、エルメラさん』じゃないだろう。まったく君ってやつは……」


 背後からソラを抱きしめながらエルメラは困ったような表情で笑った。


「はは。いいとこのお嬢にしてはなかなか根性あるじゃん」


 出会った頃から変わらない緩い態度でオスカーも笑う。

 一応褒めているつもりなのかもしれないが、この男にそんなことを言われても素直に喜べない。


 エルメラ兄はそんなソラたちの様子をじっと眺めていたがすぐに踵を返した。


「……兄者」


「……ふん。今は人手が少しでも必要な時だ。エルメラ、お前も今回は特別に許可してやる。ただ……」


 エルメラ兄はちらりと振り返り、難しい表情でソラを見た。


「あの?」


「……いや、何でもない。聖樹の雫だったな。詳しい話は長老から直接訊くがいい」 


 それだけ言って、さっさと歩きはじめるエルメラ兄。

 微妙に気になる反応ではあったが、ようやく目的が果たせるときが来たのだ。


 ソラはエルメラの手を借りながら、森の中に造られたエルフの里へと足を踏み入れたのだった。

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