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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
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第6話

「なるほど。新聞記者の方だったんですね」


 騒動の後にエルメラの案内で立ち寄った喫茶店内にて、ソラはもらった名刺と目の前に座ったオスカーを見比べながら改めて納得していた。

 ちなみに、ここは何十年も前からエルメラが贔屓(ひいき)にしている店らしい。


「そ。このセントラルポストのな。これでもけっこうスクープを連発してたりするんだぜえ~?」


 手に持った新聞紙を軽く振ってみせるオスカー。

 着崩すしたスーツといい、緩そうな雰囲気といい、記者というよりはパパラッチの類にしか見えないが、どうも間違いないようだ。


「そういえば、エレミアでも普通に新聞を見かけますね」


 ソラの記憶によれば、セントラルポストは中央大陸全域に支社を置いている大手の新聞社だったはずである。


「ふむ。それならば、あの憲兵どもが大人しく去ったのも合点がいくな。ろくに調べもせずに冤罪をかけたと記事にされれば、本人たちだけでなく憲兵隊全体の信用に関わってくるからな。ハムハム!」


 軽い食事を済ませ、すでに食後のティータイムに入ってるソラやオスカーとは違って、エルメラは会話しつつもいまだに胃袋へと食べ物を詰め込んでいた。

 ソラはもう慣れてしまったが、他の客たちは茫然と大食いエルフを見つめていて、テーブルに空の皿がタワーのように積み上がっている光景は漫画のようだ。


「でも、彼らは何故あそこまで露骨に敵意を剥き出しにしていたのか……。通りにいた人たちもおかしな雰囲気だったし」


 様々な感情が混ざり合った複雑な空気。もちろん何らかの理由があるはずだ。


「もしかして、エルメラさんが言っていた、確かめたいことと関係があるんですか?」


 ソラが尋ねると、エルメラも手を止めてスプーンとフォークをテーブルに置いた。


「……うん。旅先で噂程度には聞いていたんだが、ここまで酷いとは思わなかったよ。地方ではそうでもなかったけどね」


 エルメラはお茶を一口飲んでぽつりと言う。


「……道中に少し話した、私が久方ぶりに帰郷を決意した理由でもあるけど、最近カリム共和国ではエルフと人間との対立が持ち上がっているらしいんだ。だから、ロアンでどんな具合なのか確かめてみようと思ってね。この街は里からそう距離が離れてないから」


「そうだったんですか……」


 彼女なりの深刻な事情があったのだと、ソラが珍しく憂いを帯びたエルメラの横顔を見つめていると、テーブルに積み上がった空の皿をせっせと運んでいた店員が話しかけてきた。


「……言い訳になるかもしれませんが、街の人間がみなエルフを敵視しているわけではないんです」


 ソラが視線を向けると、店のエプロンをつけた優しそうな老人が会釈してきた。

 エルメラが紹介してくれた喫茶店のマスターで、見たところソラの祖父よりも年齢が若干上のようだ。

 

 マスターは眉尻を悲しそうに下げながら口を開く。


「……現在は難しい問題が浮上していて、両者の間で(いさか)いが続いておりますが、昔から私たちはエルフの方々に敬意を抱いておりますし、実際これまでも上手く共存してきたんです。ですから私としても心を痛めておりまして」


「別にマスターが悪いわけではないだろう」


「この国に住む人間として責任がないわけではありませんよ。私も小さい頃からエルメラさんにはお世話になっていますから」


 にこやかに言うマスターにエルメラはやれやれと首を振っているが、ソラが思っている以上にこの二人は長い付き合いがあるようだ。


 ともあれ、いさこざが起こった際に見せた民衆たちの複雑な反応も少しは理解できる気がした。 

 どのような問題があるのかは知らないが、元々良好な関係を築いていたのだから、中にはエルフに同情する人間もいるだろうし、マスターのように好意を持っている人物もいるだろう。 


「それに、エルメラさんはこの国の英雄ですからね」


「……えっ!?」


 考え込んでいたソラは耳に入ってきた単語に驚く。


「あの、英雄ってどういうことですか?」


「もう三十年ほど前になりますか。アルフヘイムで大発生した魔獣の群れをほとんどひとりで撃退し、この国を救ったのがエルメラさんなんですよ。遠目に見たその勇姿は今でも目に焼きついています」


「アンタ、一緒に行動してるのに知らなかったのか? 魔獣を一掃した話は有名で、当時はカリム共和国の守護神とまで言われたんだぜ。しかも、エルメラといえば里を統括する長老の孫で、エルフの中でも傑出した能力の持ち主って話だ」


 誇らしげなマスターに続いて、オスカーが内ポケットからタバコを取り出しながら答える。


(た、ただの行き倒れエルフじゃなかったんだ……)


 ソラはさすがに驚きを隠せず、なにやらソッポを向いている当人を見つめる。 

 彼女が使役する精霊の力量からして相当な実力者だと踏んでいたが想像以上だったらしい。


「エルメラさんのお兄さんも優秀な方ですけどね」


「お兄さんもいるんですか?」


「……兄の話はいいだろう、マスター」


 次々と出てくる情報にソラが目を白黒させていると、エルメラが不機嫌そうな表情で遮った。

 あまり話題にはしたくない雰囲気で、もしかしたら兄妹仲がイマイチなのかもしれない。


(もし、エルメラさんと同じような性格だったら、しょっちゅう衝突してそうだよね……)


 納得できる話だとソラが内心で頷いていると、


「そもそも、俺があんたらを助けたのも、『双牙のエルメラ』に接触できるかもと思ったからさ」


「『双牙のエルメラ』?」


 オスカーの口から出てきた聞き慣れない単語にソラは興味を引かれるが、今度はすぐにエルメラが割り込んできた。


「昔の話だ、昔の。それにそのような二つ名など知らんな。人間が勝手につけたものだろう。それより、私に接触できるかもとはどういうことだ?」


 若干照れているようで、露骨に話題を逸らすエルメラに、オスカーはやや苦笑しながら答える。


「どうこうもないさ。アルフヘイムの里でも有力者であるアンタと面識を持てれば、この国で起こっている問題を最前線で取材できる可能性が高いだろ?」


「フン。そういうことか。――マスター! おかわり!」


「って、まだ食べるのかよ、アンタ。異次元の胃袋でかつて共和国中の飯屋を恐怖に陥れたって伝説は本当だったんだな」


 本日、何十度目かの追加注文の声を上げるエルメラに、オスカーは口元にタバコを咥えながらくつくつと愉快そうに笑った。この男も先程から常識外れのエルフを前にしても全く動じる様子を見せず、どうにも只者ではなさそうである。


「……それで、さっきから気になってたんですけど、エルフと人間の間で起こっている諍いって何なんですか?」


「ん? アンタ、そんな事も知らないのか。そういや、この国に来てから日が浅いとか言ってたな。そんじゃあ、仕方ないか」


 オスカーが肩をすくめているが、ソラとしても色々事情があったのである。なんせ入国したとたんに無一文のエルフを拾ったり、マリナが病気で倒れたりするなど大変だったのだから。


「ま、簡単に言えば領有権争いだな」


「領有権って……土地の所有権を?」


「大昔にアルフヘイムの里と共和国との間で取り決めた約束にイチャモンをつけて対立を煽っている連中がいるのさ」


 ガツガツと食事を続けるエルメラに変わってオスカーが説明してくれた。


 その説明によると、今から三百年以上前にこの地でカリム共和国が成立した際、アルフヘイムの里と隣接していたため、両者の間で互いの領地をどこで線引きするかを話し合いの末に決定したのだそうだ。もっともエルフ族のほうが古くからその土地に長く住んでいたので、共和国側は彼らの主張する条件をほぼ全面的に呑んだらしい。


「んで、その条件ってのが、北から流れ込んでくるエイボン川から西側の森がエルフの、東側の平地から共和国の領地にする――とこう取り決められたのさ」 


 カリム共和国の最北に位置するアルフヘイムの森、彼らの住処だったそのほとんどが希望通りエルフのものになったのだとオスカーは語った。


「それが何でまた揉めることになったんですか?」


「エイボン川には、途中から西側に分岐している川ともいえない細い支流がアルフヘイムの森を二分する形で流れてるんだが、一部の連中がその川を基準にするべきじゃないかって最近主張し始めたのさ」


「まったく、言いがかりにもほどがあるな」


 新たに運ばれてきた料理をいつの間にか平らげていたエルメラが不機嫌そうに言うが、部外者のソラでもそれは理不尽だと感じた。そもそも何百年も経過した今頃になって主張するのはおかしいだろう。


「しかもその基準に従うなら、私たちは聖域の大半を手放さないといけないんだぞ」


「聖域?」


「アルフヘイムの森の奥地には私たちエルフが神聖な土地と崇める区域がある。それが聖域だ」 


 遥か昔からエルメラの一族が守護してきた特別な土地らしいが、オスカーの話によると現在は係争地として両者共に立ち入れない状態になっているらしい。


「……あれ? でも、聖樹はアルフヘイムの森の奥にあるって話してませんでしたか?」


 ソラがなんとなく嫌な予感を覚えていると、エルメラは難しい顔で頷いた。


「うん……。実は、聖樹は聖域の最奥に立っているんだ」


「それって、大丈夫なんですか?」 


 ソラはカップを持っていた手に力を入れる。

 ここまで来たのは、聖樹から湧き出る雫を手に入れ、遠く離れた街で苦しんでいる妹へ届けるためだ。

 それなのに目的地にさえ辿り着けないのではないかと不安が込み上げてくる。


「すまない、心配させてしまったかな。たとえ聖域に入れなかったとしても、里には普段から聖樹の雫の備蓄があるから問題はないとも」


「そ、そうですか……」


 慌てて付け加えたエルメラの説明にソラはホッとするが、食後の一服を終えたオスカーがポツリと呟いた。


「はたして、そう簡単にいくかねえ」


「どういう意味だ?」


「……いや、そこら辺は自分の目で確かめた方がいいだろうぜ」


「思わせぶりなことを言うやつだな。……まあいい。いずれにしろ私も詳しいことはまだ分からんし、これから里へ行ってどのような状況なのか確認しなければな。――さてと。マスター、美味しかったぞ! また来る!」


 たらふく食べて満足したらしいエルメラが椅子から立ち上がると、奥に引っ込んでいたマスターが笑顔で近寄ってきた。


「もう出発されるのですか。エルメラさんも皆さんも是非またお越しください」


 頭を下げるマスターに、エルメラは「うむ」と偉そうに頷いてさっさと店を出て行く。手持ちがゼロなので支払いなどするわけがない。


 ソラは嘆息しながら懐から財布を取り出そうとしたが、マスターはゆっくりと首を横に振った。 


「いえ。お支払いは結構です」


「でも……」


「エルメラさんの食事代はいつもツケなんです。今回は皆様の分もそこに含まれるので構いませんよ」


「ツケって……それ、一度でも払ったことがあるんですか?」


「ははは。もうかれこれ何十年もツケが続いてますよ」


 (ほが)らかに笑うマスターだったが、それは実質的な無銭飲食ではなかろうかとソラは思う。昔、エルメラに世話になったことがあると話していたので、最初から受け取るつもりはないのかもしれないが。


「まあ、いいじゃん。タダになったんだから」


 せめて自分の分でも払うべきかとソラが悩んでいると、隣に立ったオスカーがポケットに手を突っ込みながら気楽に言ったのだった。



 ※※※



 マスターの見送りを受けながら店を出たソラたちは街の中心にある公園へと向かっていた。

 降り立った時のように街中で精霊を出すとまた厄介ごとに巻き込まれかねないので、人目のつかない公園の中から飛び立つことになったのである。


「――で、オスカーさんも当然のごとくついてくるんですね」 


「当たり前だろ。あんたらと一緒にいれば色々と面白そうなネタが手に入りそうだからな。記者として見逃す手はないだろ」


「でも、エルメラさんの許可がいるんじゃないんですか?」


 ソラは前を歩く長身のエルフを見る。

 移動方法は彼女の風獣で、アルフヘイムの里も人間がほいほいと立ち入れる場所ではなかったはずだ。


「まあ、こいつにはさっきのカリがあるからな。仕方ないから特別に許可しよう。ただし、里に到着してもうろちょろしたり、変な場所に入り込んだりするなよ」


「分かってるって。それに、自分で言うのもなんだが俺はけっこう役に立つぜ? 仕事柄、裏事情には詳しいし、あちこちにコネもある。あんたらの助けになれると思うぜ」


 鋭い視線で忠告してくるエルメラに自分を売り込むオスカーだったが、その飄々とした態度や表情はいまいち信用できず、今もどこまで本気なのかヘラヘラと笑っているのだった。


 それから、三人はしばらく雑談しながら通りを北へと進み、遠目に自然豊かな広い公園が見えてきた頃、ソラはふと周囲が騒がしいことに気づいた。


「……?」


 もしかしたら民衆がまたエルメラに反応しているのかと思ったが、どうも人々は通りの向こうに気を取られているようで、道の両端に人がずらっと並んでいる様は誰かが通るのを待っているようにも見える。


 有名人でも通りかかるのかとソラが首を傾げていると、オスカーがふと何かを思い出したような表情をした。


「そういや、ロアンにシヴァ教のお偉いさんが来てるんだったな。たしか、グラムウェルとかって枢機卿が」


「そうなんですか?」


 唐突に出てきた名前にソラは驚く。

 マリナが倒れた件で頭が一杯になっていたが、そもそもこの国に来たのも枢機卿を探るためなのだ。


「ほう。これはまた面白い偶然だな」


 前方を歩いていたエルメラも目を光らせていると、だるそうに歩いていたオスカーがやはりだるそうに尋ねてきた。


「アンタら枢機卿のオッサンに興味があるのか? 別にシヴァ教徒ってわけじゃないんだろ」


「そういうわけじゃないですけど……。というか、枢機卿はオジサンなんですか?」


「いや、知らんけど。枢機卿っていうとなんとなくオッサンぽい感じがするだろ」


 なんとも適当な事を言うオスカーだが、記者とはいえ興味のないことには全く関心がないようだった。


 そうこうしているうちに通りの向こうから数台の豪華な馬車がやってくるのが見えてきた。あれが枢機卿の一行らしく集まっていた人々から大きな歓声が上がる。なかには感極まって涙ぐんでいる者や、(ひざまず)いて教団の聖印を胸元で切っている人間も見受けられる。


「よく分からんが、興味があるなら、本人を一目見てきたらどうだ?」


 オスカーが指差す方向には白亜の巨大な教会が建っており、枢機卿たちの馬車がその前に続々と停止していた。

 教会からは多くのシヴァ教関係者が出迎えに出てきており、オスカー曰く、そこには共和国議員や高級官僚、それに様々な著名人なども混じっているらしく、まさに国賓なみの待遇である。


「この際だ。ツラくらいは拝んでおこうじゃないか、ソラ君」


 不敵な笑みを見せるエルメラにソラも頷く。

 どのような人物なのか見ておいても損はない。

 

 ソラたちは、馬車から教会までの道を取り囲むように密集している人々の間を苦労してすり抜け、なんとか最前列に身体を滑り込ませることに成功した。


「あれがグラムウェル枢機卿……」


 ソラは最後に馬車から降りてきたひとりの聖職者に視線が吸い寄せられる。枢機卿だけが纏う赤い色の法衣を着ていることからあれがそうに違いない。エルメラにも匹敵する長身で、泰然とした立ち振る舞いは高位の聖職者に相応しかった。


 地面に降り立った枢機卿は集まった民衆に向かって鷹揚に片手を上げて応えてみせると、取り巻きの神官や護衛と共にゆっくりと教会に向かって歩きはじめる。


「……う~む。どのような顔をしているのか確認できないな」


 当てが外れたとばかりに隣に立っていたエルメラが唸る。

 枢機卿はフードを頭にすっぽりと被っているので表情がほとんど分からないのだ。


 ソラも少々落胆しながら眺めていると、すぐ目の前を通りかかった枢機卿がおもむろに顔をこちらへと向けてきた。


(……こっちを見た?)


 ソラは急いでフードの中に目を凝らそうとしたが、枢機卿はすぐに通り過ぎてしまって確認できなかった。

 赤い法衣姿が徐々に遠ざかっていく。

 

(今、一瞬目が合ったような……)


 ソラの思い違いで単に集まった人々を何気なく眺めていただけかもしれない。


 ただ――ほんのわずかに垣間見えたグラムウェル枢機卿の瞳は、どこか底知れない光を宿していたのだった。

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