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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
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第5話

 白い影が背の低い山々の上空を彗星のように通り抜けた。

 相当な速度と高度で飛行しているので、山の脇を縫うように通っている街道から見上げてもその正体には気づけないだろう。


 しかし、物好きで視力の良い登山家がいたならば、もしかしたら山の頂上から視認できたかもしれない。

 ただ、その場合は思わず目をこすって二度見してしまうかもしれないが。


 なぜならその白い彗星は、一匹の巨大な虎に見目麗しいエルフ、そして天使のような愛らしい少女というワケの分からない組み合わせだったからである――



 ※※※



「ソラ君! もう少しでロアン上空だぞ!」


「やっとですね!」


 大声で話しかけてきたエルメラに、やはりソラも大声で叫び返した。

 そうでないと、周囲に障壁が張られているとはいえ、風を切る音で声が届きにくいのである。


(良かった。最初の予定よりもずっと早く到着できそう)


 本来なら馬車で移動する予定だったが、その場合、ほとんど休まずに走らせたとしても確実に数日はかかるところだったのだ。

 それが夜を徹したものの、すでにカリム共和国の首都ロアン近郊まで迫っている。

 エルメラの説明によるとアルフヘイムの里はそこからもう少し北上した場所にあるらしい。


「さて! 一度ロアンに降りるが、舌を噛まないように注意してくれ!」


「え!? このまま里まで直行してほしいんですけど!」


 白い虎こと風の精霊スズリが徐々に高度を下げ始めたのでソラは慌てる。

 この速度から考えれば目的地はもはや目と鼻の先と言っていい。わざわざ降りる必要などないはずだ。


「エルメラさん! 私は――」


「ソラ君」


 エルメラは前を向いたまま、背中に掴まっているソラの言葉を制した。


「これまで一睡もせずに超高速で飛ばしてきたんだ。君が思っているよりも疲労は溜まっているはずだ。一度休んでおかないと身体がもたないぞ。マリナに続いて君まで体調を崩したら元も子もないだろう」


 この暴力的な風圧の中でも不思議とよく徹る声で静かに(さと)してきたエルメラの言葉を聞いて、ソラは自分が余裕に欠けていたことを自覚せざるを得なかった。

 スズリのモフモフした体毛は座り心地が良く、衝撃を和らげてくれるが、それでも身体の節々に負担がかかっているのが分かるし、どうも頭の回転も鈍い気がする。


「……そうですね。エルメラさんの言うとおりです」


「なに、小休止したらすぐに出発するとも。それに、ロアンで確かめたいこともあるしな」


「確かめたいこと?」


「すぐに分かるさ。――さあ、降りるぞ!」


 気づけばスズリの頭越しに大きな街並みが見えていた。あれが共和国最大の都市ロアンだろう。さすがに一国の首都だけあってかなりの面積だ。


 しかし、なぜか白い虎はそのまま大都市のど真ん中へと流れるように滑空していき、その意図を察したソラは再度慌てる。


「ちょ、エルメラさん!? 街の外に降りないんですか?」


「問題ない! 街に入るための検問もないしな! いちいち街の外から歩くのも面倒だろう!」


「ええっ!?」


 カリム共和国では外国人でも国境で確認が取れれば、その後は街に入る度に身分証を提示する必要がないことはソラも知っている。何でも商人を優遇している国なので流通を滞らせないためにそう取り決められているのだそうだ。


 だが、ソラが問題にしているのは検問などではない。常識を考えれば分かることなのだが、この豪快というか大雑把なエルフにはこれまでの短い付き合いからしても聞き届けてもらないことは明白であった。


(ああ……やっぱり、直接アルフヘイムまで行けばよかった)


 ソラは今更ながらに後悔したがもはや時すでに遅し。

 すでにロアンの中心部上空に到達したスズリは空中で停止しており、恐る恐る下を覗いてみると、案の定街の人々が上を指差して騒いでいたのだった。どうもこの辺りは目抜き通りのようでかなりの人の多さである。


「よし。降りるぞ、スズリ」


 ガックリと肩を落としているソラの前で、エルメラは眼下の光景には全く頓着することなく降下を指示したのだった。






「――ふ~む。ロアンを訪れるのは久しぶりだな。さすがに中心街は所々変わっているようだ」 


 街中に堂々と降り立ち、スズリの実体化を解除したエルメラの第一声がそれであった。偉そうに手を腰に当てたまま平然と街並みを観察している。


 そんな能天気なエルフの周囲には、やや距離をおいて多くの民衆がザワザワとざわめきながら取り囲んでいた。ゴツイ精霊を引き連れているだけでも注目されるのに、あれだけド派手な登場をしたら当然であろう。

 加えて、人々は突然現れた容姿端麗なエルフと滅多に見ることのない純白の髪を持った少女という取り合わせにも目を瞠っていたのだが、当人たちはそれぞれの理由で全く気づいていなかったのだった。


(うう……)


 ソラは辺りを見回しているエルメラのローブの陰に隠れるようにして立っていた。はっきり言って居心地が悪いことこの上ない。とにかく今は一秒でも早くこの場を去りたい気分である。


「あの、エルメラさん。これからどうするんですか? 小休止するんですよね」 


「もちろんだ。喉が渇いているし、お腹もすこぶる減っている。休憩を兼ねて食事といこうじゃないか」


 そう言うと、エルメラは人垣を割るようにして歩き始めた。


(……この人の神経はどうなっているんだろうか)

 

 そんなことを呆れ半分で考えつつ、ソラも慌ててついていこうとした時、


「――おい、待てよ」


 と、背後から急に呼び止める声があったのだ。


 ソラが足を止めて振り向くとそこには四人の男が立っていた。いずれも二十代ほどの若い男たちで服装からしても一般人のようだ。騒ぎを聞きつけた憲兵でも駆けつけたのかと思ったが違うようである。


 突然声をかけてきた男たちはソラたちを鋭くねめつけながら近寄ってきた。


「お前ら、エルフだな」


「何だ、君らは?」


 威圧しながら距離を詰めてくる男たちにエルメラは毅然とした態度で相対するが、その隣でソラは何ともいえない表情をしていた。


お前ら(・・・)って……)


 男たちの目的は分からないが、それ以前になにやら勘違いされているようだ。

 エルメラと共に降り立ち、また似たような格好をしているので間違われたのかもしれないが。


 しかし、男たちはソラの心中などお構いなしに半円状に包囲してきた。


「お前ら、いい度胸してるよなあ。こんな時に人目もはばからずに街中に降り立つとはよ」


(……こんな時?)


 男の殺気だったセリフにソラが内心で首を傾げていると、


「私がいつどこに降りようが私の勝手だろう。お前たちにどうこう言われる筋合いはないと思うが」


「なんだと!?」


 エルメラは不敵な笑みを浮かべて、おもいっきり男たちを挑発していたのだった。


「って、エルメラさん! (あお)ってどうするんですか!」


「まあ、任せておきたまえ。この程度の連中私の敵ではないさ」


 楽しそうな表情をしたエルメラがバキバキと指の関節を鳴らしておりすでにる気満々であった。 


 ソラはこんな街中で乱闘を起こせばそれこそ憲兵に連行されかねないと急いで止めようとしたが、好戦的なのはあちらも同じだったようでいきなり殴りかかってきた。


「クソエルフが!! 吠え面かかせてやる!!」


「精霊を呼ばれる前にやっちまえ!!」


 拳を固めて一斉に飛び掛ってくる男たち。


「下がっていたまえ、ソラ君」


 対して、エルメラはソラを背後にかばうようにして一歩進み出た。目前に男たちが迫っているというのに自然体そのものである。


「おらあっ!!」


 先頭の男が右ストレートを勢いよく放つが、エルメラはわずかに身体の芯をずらすだけで回避した。

 そして、そのまま相手の首筋に指を軽く添えると男はあっさりと白目を剝いて気絶した。最小限の動きで頚動脈を圧迫されたのだ。


「!? この野郎!!」


 すぐに左から別の男がローブを掴もうと手を伸ばそうとしてくるが、エルメラは冷静に見極めてあっさりと避けてみせると、フェイント気味に右で警棒のような武器を持っている男の方に向かった。こちらの方が危険度が高いと判断したのだろう。


「うお!?」


 滑るように近寄ってきたエルメラの動きに意表を突かれたらしい警棒の男がギョッと身体を強張らせると、百戦錬磨のエルフはそれを見逃さずに先程と同じように首筋に手を置いて気絶させた。


 あっという間に二人が無力化され、残りの男たちは怖気づいたように動きを止める。


「こ、こいつ!?」


「お、おい! 憲兵を呼べ!」


(……いきなり因縁をつけてきたのは彼らの方なのに、『お巡りさん』を呼べはないでしょう)


 男たちの情けない会話を聞いてソラが呆れていると、


「――おい、お前ら!! そこで何をしている!!」


 突然怒鳴り声が聞こえたかと思うと、通りの反対側から制服を着た男たちが人の波を掻き分けながらこちらに向かってきているのが見えた。どうやら本当にタイミングよく憲兵が現れたようである。


 この騒動もようやく終わる、とソラは胸を撫で下ろしたが、


「そこのエルフ! これは一体どういうことだ!


「民間人に暴力を働いたのか!」


 憲兵たちは腰から剣を抜いてエルメラを威嚇し始めたのである。


「ちょ、ちょっと待ってください! 先に襲ってきたのはそこの人たちですよ!」


 ソラは慌てて両者の間に割り込んだ。

 倒れているのは男たちの方なので誤解されたのかもしれないと思ったのだ。


「嘘をつくな! 大方、そこの男たちを馬鹿にして喧嘩になったのだろう!」


「これだからエルフって奴らは……!」


 全く聞く耳を持たず、一方的にエルメラを加害者扱いする憲兵たち。


(この人たち……?)


 さすがにソラは表情を険しくしたが同時に違和感も感じた。どういう訳か、彼らからはエルメラに対して――というよりエルフに対するあからさまな敵意が感じられるのだ。この国はエルフ族と友好関係を築いていたはずだが。


 だが、このまま大人しく捕まる義理などない。ソラたちは何も悪いことなどしていないし、周囲で見ていた人間たちが証人である。良くも悪くも注目されていたのが吉と出た。


「周りの人たちに訊いてみれば分かりますよ。どちらが先に手を出したのか。どなたか――」


 と、ソラが誰かに証言してもらおうと周囲を見回したがすぐに口をつぐむ。

 遠巻きにこちらを眺めている民衆たちからは表現しようのない感情の渦が発散されていたからである。 

 敵意や嫌悪感など負の感情に加え、他にも同情や憧れの色もあり、それらが混ざり合って異様な空気を醸し出していたのだ。


(……何だ?)


 経験したことのない雰囲気にソラが戸惑っていると、憲兵たちが警戒しながらソラとエルメラを挟み込んできた。

 

「言い訳なら詰め所でじっくりと聞かせてもらおう。とにかく、今は大人しくこちらの言うことに従うんだ」


 二人の背後に回った憲兵たちが腰から縄付きの手錠を取り出し、その様子を視界の端に捉えたソラは焦りを募らせる。


(こんな所で時間を無駄に使うわけにはいかないのに!)


 しかし、ここで暴れれば余計まずいことになるし、最悪の場合重罪に問われるかもしれない。

 そうなれば、エルフの里に向うどころの話ではなくなる。


 さしものエルメラも静かに佇んだままで、民衆たちは腫れ物でも触るかのような態度で擁護などとても期待できず、万事休すかとソラが唇を噛んでいると、


「――お嬢さんたちは全く悪くないよ。そこの男四人組が喧嘩を吹っかけたんだ。俺はちゃんと見てたぜ」


 民衆の中から後ろ髪を縛ったひとりの若い男がするするっと抜け出てきたのである。

 黒のスーツを着用したなかなかの美形であるが、胸元をだらしなく開けており、口元にタバコを咥えているので、どこか軽そうな兄ちゃんという印象を受けた。


「誰だ、お前は? 私たちの邪魔をするなら、貴様もひっ捕らえるぞ」


「まあまあ。そんなに目くじらを立てずに。とりあえず、俺はこんな者なんですがね」


 若い男はスーツの内ポケットから手の平サイズの薄い紙のようなものを取り出し、慇懃な態度で憲兵たち全員に手渡す。長方形の紙で表には文字が印字されており、まだ一部の人間しか使用していない名刺と呼ばれるものだった。


「……何だ、これは? ――お前!?」 


 名刺を怪訝そうに眺めていた憲兵たちだったが、内容を確かめたとたんに顔を強張らせた。


 その様子を見ていた若い男はにやりと隙のない笑みを浮かべる。


「……分かってもらえましたかね? 場合によってはあんたらの方が汚名を着せられることになりますよ」


「くっ……!!」


 憲兵たちは忌々しそうに若い男を睨んだが、すぐに悔しそうな表情で踵を返した。


「もういい! おい、そこの男たちを連行するぞ!」


「りょ、了解!!」


 憲兵たちはエルメラに気絶させられた二人を叩き起こし、茫然と成り行きを眺めていた残りの男たちに手錠をかけて去っていったのだった。


(……助かった?)


 足早に去っていく彼らの後姿をソラがやや放心気味に見送っていると、


「大丈夫だったか、おたくら? とんだ目に遭っちまったな」


 先程の若い男がタバコの煙をくゆらせながら話しかけきたのだ。


「あ、はい。その……助けてくれてありがとうございました」 


「私からも礼を言おう。どうしようか少々困っていたものでな」


 ペコリと頭を下げるソラの隣に並び、エルメラも素直に感謝の言葉を口にする。


 すると、若い男はヘラヘラと笑いながら手をぞんざいに振った。


「別に礼なんか要らないさ。もしかしたらいいネタになるかもしれないと思ったし、正直打算もあったんでね」


「……どういうことですか?」


 その言葉の意味をソラが理解できずにいると、若い男は再びスーツの内ポケットに手を突っ込み、二枚の名刺を取り出してこちらへと手渡してきた。先程憲兵たちに配っていたのと同じものである。


「これは……」


 ソラは名刺に印字された文字を確認して軽く驚きの声を漏らす。


 そこには、『セントラルポスト カリム共和国ロアン支局記者 オスカー』と短く記されていたのだった。

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