第6話
ラルフは身なりをマッハで整えて軽く手櫛で髪を梳いたあと、トレイにのせた東方産のお茶を広場の隅にある古ぼけた休憩用のテーブルへ運んでいた。
最初は隊舎にある立派な革張りのソファがある応接室に案内しようとしたのだが、ソラが別にここで構わないと言ったのだった。
ラルフは緊張しながらお茶が入ったカップをテーブルに置く。できるだけ良い飲み物ときれいなカップを選んできたのだが、お気に召さなかったらどうしよう、とラルフは心配した。
だが、ソラは普通に礼を言っただけであった。
ラルフはぎこちなくソラの対面に座りながら謝罪した。
「あの、さっきは見苦しいものを見せてしまってすみません。ご気分を害されましたよね?」
「いいえ、そんなことありませんよ。私こそ突然押しかけてしまって申し訳ないです」
ラルフはかなり恐縮していたが、ソラには特に気にしていはいないようだった。
お互いに改めて自己紹介した後、ソラはカップにうす桃色の唇をつけて、
「――あ」
と声をあげた。
ラルフはドキッとして慌てて訊いた。
「ど、どうされました? お口に合いませんでしたか!?」
ソラはゆっくりと味わうようにお茶を含んで微笑んだ。
「いえ。東方産のお茶ですよね、これ。私好きなんですよ」
ラルフはその笑みを見てしばし我を忘れた。こんな可憐な微笑みをかつて見たことがあっただろうか。
それにしても改めて間近で見ると同じ人間なのかと思うほどに美しい少女である。会ったことはないが、優れた容姿をもつというエルフ以上なのではないだろうかとラルフは思った。そして何気ない所作のひとつひとつが見惚れるほど洗練されている。この少女が使用しているというだけで、この小汚いテーブルや椅子が高級品に見えてくるから不思議である。
ラルフはひとつ咳払いしてから、おそるおそる話を切り出した。
「……ところで、自分に話があるということでしたが」
ソラもカップをソーサーに置き、かしこまってから言った。
「はい。この前、私の祖母であるクロエが山で怪我をしたときに、警備隊で行った現場検証の詳細をお聞きしたいんです」
「クロエさんの?」
ラルフは緑の瞳をしばたたかせた。孫であるソラが気になるのは当然なのだろうが、現場検証について詳しく聞きたいとはどういうことなのだろうと。
「ここだけの話にしてもらいたいのですが……」
ソラはその件について本当に事故なのかと疑問をもっていることを端的に話した。
「――え! 誰かが故意に引き起こしたということですか!?」
ラルフが驚いて大声を出した。
「声が大きいですよ、ラルフさん」
ソラが落ち着いてラルフをたしなめた。
ラルフははっとして、
「す、すみません! でも、誰だって驚きますよ、これは。……何でそう思うんですか?」
ラルフは神妙になってソラに聞く。何の考えもなくむやみにそんなことを言い出すような少女には見えなかったからだ。
「祖母にも言いましたが、まだ私の推測の段階です。もし、これが自然に起きた事故ならそれでかまいません。しかし、もしこの件が誰かに敵意をもってなされたなら、私は放っておくわけにはいかないんです」
ソラのわずかに気迫が込められた瞳にラルフはすこし気圧されたが、気を取り直して訊く。
「……それを確かめるために情報を集めている、ということですか?」
ソラはこくんと頷いた。
「でも、普通これが誰かの仕業かもしれないとは考えないですよね?」
真剣味を帯びはじめるラルフ。
ソラは一度瞳を閉じてしばし黙考してから言った。
「……そうですね。何も話さないで情報だけもらおうというのも虫のよい話ですよね。私の考えをお話しします。ただし他言無用でお願いします。繰り返しますが、今のところ推測に過ぎないので」
ソラがじっとラルフを見つめる。ラルフもごくりと喉を鳴らしてから頷いた。
それを見たソラは話し始めた。
「ここから西にある洞窟でいくつかの冒険者のチームが行方不明になっていることはご存知ですよね?」
話が突然とんだのでラルフはやや困惑した。
「ええまあ。冒険者協会がチームを編成して捜索したのはこの町でも噂になりましたし、警備隊もすこし協力しましたので」
あの件は遺品のひとつも見つからないので、町でちょっとしたミステリーとして話題になったのだった。ただ、ダンジョンなど危険な場所では別に珍しくもないことのなので、日が経つにつれて人々の関心はほとんど薄れてきていた。
「その洞窟での冒険者の行方不明と祖母の件。それらは関連していると私は考えているんです」
そのソラの言葉を聞いて、ラルフは唖然とした。少し間を置いてから。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうしてそんな考えになるんですか!? 訳が分かりませんよ!」
ソラはそのラルフの様子にそれも当然だというように苦笑した。それから改めて話しはじめた。
「また話が変わって恐縮なのですが、ラルフさんは魔導士廃絶主義というのをご存知ですか?」
「魔導士……廃絶……主義?」
これまでの話とは関係のなさそうな単語にラルフは怪訝な顔をした。一応、言葉だけは知っているのだが。
魔導士廃絶主義。その単語のとおり魔導士を否定し、魔導とそれに関する技術を廃止することを目的とする主義主張のことである。
魔導はこの偉大なる世界の法則を暴き出す行為であり、神でもない世界の一部にしかすぎない人間が好き勝手に行使していい力ではないというのが彼らの言い分なのだ。もっとも、その主張の根幹にあるのは、魔導という特権に対しての不満なのではないかとも言われているが。
「はじめは冒険者として行方不明者の遺品を回収する仕事を請け負ったのがきっかけだったんですけどね。それで、エルシオンでできるだけ情報を集めたんですけど、あるとき奇妙な偶然に気づいたんです」
「奇妙な偶然?」
ラルフが問い返す。
「冒険者の行方不明はここ一年で起きはじめたことです。その間、あの洞窟に潜った冒険者のチームは協会の調査によれば全部で十四組。そのうち行方不明のチームは五組です。そして、行方不明になったチームの共通点は……チーム内に魔導士がいることなんです」
「……!」
戦慄するラルフを見ながら、ソラは話を続ける。
「魔導士の冒険者というのは全体の割合からいえば一割から二割程度です。なので、魔導士が所属しているチームの数もそんなに多くあるわけではありません。……だから、そのチームだけが洞窟から戻ってこないというのはおかしいとは思いませんか?」
ラルフが白い顔になりながら独り言のように言う。
「偶然……では片付けられませんよね」
「私の取り越し苦労であれば別にいいんです。しかしそうでなければ……、また同じことが起きるかもしれません」
静かに語るソラを見つめて、ラルフが問う。
「つまり、魔導士廃絶主義者の人間が犯人だということですか? それならクロエさんを狙った人物がいると仮定した場合、納得はいきますけど……」
クロエはこのホスリングにおいて間違いなく一番の魔導の使い手である。それは町の人間なら誰でも知っていることだ。
「……でも、いくらその人たちが犯人だったとしても、チームごと行方不明になっているんですよ? 彼らを全員始末したとでも言うんですか? いくらなんでもそこまでするとも思えないんですけど」
「二年前、エルシオンで起きたテロ事件は知ってますよね?」
ラルフはソラの言葉を聞いて、思わず息を呑んだ。
『魔導都市』の異名を持つエレミア国首都エルシオン。この世界で最大の都市であり、多くの魔導士を擁する、魔導技術の最先端の粋を集めた大都市である。
その都市で二年前に魔導士廃絶主義者の中でも最も過激なテロ組織『アビス』によって、何人もの死傷者を出すことになった事件が引き起こされたのは、世界中の人間が知っていることだ。
「世界随一の魔導士の集う都市。だから標的になりやすいんですけどね。ただ、この数十年であれほどの事件が起きたのは初めてでした。都市のセキュリティだってそんなに甘くはありませんし。……ただ最近、魔導士を排除するためなら手段を選ばない過激派が台頭してきているんです。二年前の事件も彼ら『アビス』の仕業でした」
魔導士廃絶主義者が引き起こす事件はここエレミアの話だけではない。大小の差はあれ世界中で増えてきているのだ。
ソラはここで一口だけ喉を湿らせるようにお茶を飲んだ。
「……ラルフさんも聞いていると思いますが、あの二年前の事件は半ば成り行きのような形で私やマリナが関わることになりました。解決できたのはいろんな人間の手助けと幸運にも恵まれたからです。それでも多くの人間が傷つきましたし、私の家族も危険に晒されました」
ラルフはやや目を伏せて話すソラを見て、腑に落ちた気がした。
もともと天才として名の知られていたソラ・エーデルベルグと妹のマリナをさらに国中の人間が知ることになった二年前のテロ事件。多くの要人がそのテロリストたちに捕らわれたと聞いている。その中にソラたちの家族もいたのだろう。だからソラたちは危険も顧みずその事件に介入して、結果的に解決することになった。
そして、今回祖母のクロエがその標的になっているとしたら。
(……少しでも可能性があるなら、彼女たちが放っておけるわけがない)
このとき、ラルフの熱血の魂に火が点いたのだった。足手まといかもしれないと思いつつも、自分には関係ないと決め込むことはラルフには到底できないことであった。ラルフの目標となった戦士も困っている人間を見過ごしたりはしないはずだ。
「話は分かりました。……差し出がましいかもしれませんが、その調査に自分も付きあわせてもらえせんか?」
ラルフの決意のこもった目を見て、ソラは驚いたように見返した。
「……しかし、あやふやな推理の段階で警備隊の方を付き合わせるわけにはいかないと思うんですけど」
「これは、町の治安を守る警備隊としての使命もありますけど……ラルフ・マイヤーズ個人としても放っておくことはできません。それにこの辺りの地形には詳しいですし、町の内情など自分の知っている情報と合わせて、いろいろ協力できると思うんです」
ソラは真剣な表情になってラルフを見ていたが、
「……なんで、そこまで手を貸してくださるんですか? あなたにはなんの益もないですよね?」
そう問いかけたきた。
ラルフは中途半端な返答はできないと直感的に思った。
「……昔、ある人から怪物に襲われているところを助けてもらったことがあるんです。それ以来、僕もその人のように他人を助けられるような人間を目指すようになったんです。……だから今はまだ全然未熟者ですけど、いつか必ず、その人と肩を並べる戦士になりたいと思っています」
ラルフはそう言い終わった後、無言のソラを見てはっとして、
「――あ! いや、何か余計なことも言ってしまったようですみません! 自分の目標とかどうでもいいですよね!」
焦った様子で付け加えるのであった。それを見たソラはくすりと微笑んで。
「いえ。そんなことはありません。素敵な目標だと思いますよ。それに、クロエお祖母さまが言うとおり信用できる人だと思いました」
「クロエさんが?」
「はい。真面目で努力家で正直な方だと」
それを聞いたラルフは何か気恥ずかしくなり、顔を少し赤くして黙り込んだ。
ソラは助け舟を出すかのごとく話を変えた。
「ラルフさんはその助けてくれた人を尊敬しているんですね」
「はい。襲ってきた怪物を一撃で倒した凄い戦士なんです。いや、正確には武道家と名乗っていましたけど。東方武術の遣い手だと言っていました」
「東方武術?」
ソラが片眉をあげた。
「あの、どうかしましたか?」
「――いえ。実は私も東方武術を少し嗜んでいまして」
「ええっ!?」
ラルフは驚愕する。目の前の華奢な少女とあまりにもイメージが合わなかったからだ。それに、魔導士が体術を習得するなどあまり聞いたことがない。せいぜい体の動かし方や簡単な護身術程度だろう。
そもそも戦闘ができる魔導士は貴重なのである。魔導の行使には高度な集中力が必要となり、緊迫した戦闘中に魔導を編みながら戦うのは至難の業なのだ。よほどセンスがあるか、相応の経験を積むしかない。冒険者に魔導士が少ない理由であり、魔導と近接戦闘の両方をこなせる魔導騎士が最高峰のエリートといわれるゆえんなのだ。
なので、魔導士が単独で戦闘を行うことは普通はない。必ず魔導の構築中には盾となる前衛の人間が傍にいるのだ。これは個人から国家レベルの魔導戦闘においても同様である。魔導士を守護するために前衛後衛の役割分担がはっきりしている現代では、魔導士は後衛として連携の中でどう動くべきかなどの確認ぐらいで、本格的な戦闘術を習う必要はないのだ。
「これでも冒険者として活動していますから。魔導に頼りきりではやっていけませんよ。おかしいですか?」
ソラは不敵に微笑む。
ラルフも最初はそのギャップに驚いていたが、目の前の少女なら別におかしくはないかもと思い直した。名家の令嬢でありながら冒険者をしていて、行動力が旺盛なこの少女なら。
「……いえ。よく考えればクロエさんのお孫さんでもありますし、納得できるような気がします」
ラルフも最初の緊張がいつの間にか消えて、自然に笑い返した。
しばしふたりで笑い合う。
そしてソラはおもむろに立ち上がり、
「そこまで言われるなら是非手を貸してください。地元に精通した人間が協力してくれるなら確かに心強いですし。よろしくお願いしますね、ラルフさん」
手を差し出しながら言ったのだった。
「――あ」
ラルフは間の抜けた声を出して、その雪のように真っ白な手をぼんやりと見ていたが、慌てて立ち上がった。
「い、いえ! こちらこそ足を引っ張らないように頑張りますので、よろしくお願いします!!」
そう広場に響く程の大声で叫ぶように言うと、おそるおそるその手を握った。
その信じられないほどのすべすべした感触と、ほんのりと暖かい体温に顔がかっと熱くなる。握った後で手の平の汗を拭いておけばよかったとラルフは後悔したが、ソラはどこか暖かな笑みを浮かべて握り返してるのだった。
(それにしても、不思議な少女だ)
と、ラルフは顔を熱くしながら思う。
その容姿といい滲み出る高貴な雰囲気といい、一見近寄りがたいのだが、こうやって直に話してみると全然受ける印象が違う。どんな相手でもごく自然に受け入れてくれる、そんな懐の深さを感じる相手だった。最初はかちんかちんに緊張していたラルフも今ではわりと普通に会話ができている。いや許されるならもっと会話をしていたいと思えるほどに、側に居て心地いいと感じられるのだった。
(……そういえば、以前にもこんな印象を持った人間に会った気がする)
とラルフは思った。
そもそも良い意味で令嬢らしくなかった。ここホスリングはそれなりに有名な観光地なので、名家の人間や、隣国の貴族などもたびたび訪れるところなのだ。ラルフも何度かそういった人間相手に対応してきている。全員というわけではないが、偉そうにふんぞり返っている者や、横柄な人間が多いのも確かだ。なので、悪気があるないに関わらず、高貴な人間はそういう態度をするのが普通なのだと、いつの間にかラルフのイメージに定着していたのだ。
なのに、ソラはラルフのような下っ端の警備隊員にも丁寧に話し、自然に接してくれている。このようなみすぼらしいテーブルや高価とはいえない飲み物なども別段気にした風もなかった。それにラルフが知る若い女の子たちとも違っていた。出会い頭のラルフが恥ずかしい思いをしたときも、ソラは取り乱すことなく自然体であったし、訓練後の汗臭いラルフにも嫌な顔を全く見せなかった。
(どんな育ち方をしたら、こんな子になるんだろうか……)
ラルフがそんな風に思っていると、ソラがなにやらラルフの手元あたりを見て訊いてきた。
「これ、どうしたんですか? かなり痛そうですけど」
ソラが見ていたのは、ラルフの手首にある痛々しそうな赤黒く変色したあざだった。
「ああ、これはさっき訓練でちょっと怪我してしまったところで。別に大丈夫ですよ、日が経てば自然に治りますので」
このあざは先ほどジャックが乱入してきたときに、強烈な小手をくらってできたものだった。意識しだすとずきずきと痛みだしたが、ラルフはやせ我慢した。
ソラは少し考え込んでいたようだったが、
「でも、治るまでは仕事に影響がでかねないですよ、この傷は」
そう言ってソラは「これは手伝ってくれるお礼です」と続けて、ラルフのあざに手を添えた。
ラルフが「えっ」と驚くと同時に、添えられたソラの手が淡く青い光りを放ちだした。そして、その優しい光がラルフの手首を包み込んだかと思うと、みるみるうちにあざが消えていくのだった。
光が消えた後に、ラルフが手首を軽く振ってみるが痛みは完全に消えていた。
「……これって、治癒術ってやつですか? たしか魔導の中でもかなり難しいと聞きましたけど」
治癒術は繊細な技術と制御が要求される魔導であり、使い手も限られる。下手に使おうものなら逆に傷が悪化する可能性もあるので、魔導士資格とは別に治癒術士資格が設けられているぐらいだ。
「一応、治癒術士の資格は持っています。母には及びませんけどね」
ソラはそう言って微笑んだ。
ラルフはやや頬を染めながらもお礼を言おうとすると、突然声が割って入った。
「――おいおい、新人君よお。なに女といちゃいちゃしてんだ?」
ラルフは急に現実に戻されたかのようにはっとして、声がした方へと振り向いた。
ジャックが藁を巻いた木剣を肩にかついで、にやつきながら隊舎の裏口からこちらへと近づいてきていた。
ソラが若干眼を細めてジャックを見た。
ジャックはそのソラをちらっと眺めて言った。
「これは、これは。エーデルベルグ家の御令嬢でしたか。先刻は不躾な態度をとってしまい申し訳ありません。なんせ卑しい身分でしてね、反省しておりますのでご容赦ください」
ジャックは全く反省していないおどけた態度で言ったのだった。
「ジャックさん、失礼にもほどがありますよ!」
さすがにラルフが抗議するが、ジャックは逆にからかうように言った。
「おまえこそ、さっきあれほど俺に叩きのめされたくせにいいご身分だなあ、おい? そんな暇があったらもっと訓練するべきじゃないのか? だからお前は俺から一本すら取ることもできないんだよ」
そのジャックの台詞にラルフは悔しそうに唇を噛みしめて黙り込んだ。
ジャックはラルフが沈黙したのを見て、ひとつ鼻を鳴らすと、再度ソラを見た。
「それにしても、お嬢様。いくら警備隊の隊舎とはいえ、こんな男所帯のところにひとりで来るものじゃありませんよ? 無用心ってもんでしょう。……そうだ。せっかくの機会ですし、ここはわたくしめがひとつ護身術を教授して差し上げましょう。実践形式でね」
ジャックはまるで蛇のように目を鋭くして、挑発するように言ったのだった。
ラルフはこの男は何を言い出すんだと思ったが、次のソラの言葉に唖然とした。
「そうですね。たしかにいい機会ですし。ご教授願いましょうか」
「……ちょっ! ソラさん!? なに考えてるんですか!」
ラルフはさすがに泡を食ってソラを止めようとする。
ジャックのあの目は、ラルフをいたぶるときに見せる残忍な目だ。いや、もっと暗い何かを孕んでいるような気さえする。
「いいから、引っ込んでろよ新人。お嬢様のご希望なんだからよ。それにちゃんと手加減はするさ」
それでもラルフは引き止めようとしたが、ソラはこちらを安心させるような笑みを浮かべて言った。
「大丈夫ですから、見ていてください」
「え」
ラルフはそのソラの力強い目と立ち姿になにか強い奇視感を感じた。
動きを止めたラルフを尻目に、ソラはジャックと広場の真ん中に歩いていった。
「あなたはその武器を使うんですか?」
ソラはジャックの持っている木剣を見ながら訊いた。
「は、まさか。もちろん素手での指導さ」
ジャックはさっきまでの気味の悪い敬語を止めて、木剣を広場の端へと放り投げ、両手の拳を軽く顔の前で構えてファイティングポーズをとった。
「あんな大口を叩いていいのかよ? いまさら後悔したって遅いぜ? ……言っておくが魔導を使うのはなしだからな」
「分かってますよ。それに何の問題もありません」
ソラの蒼い瞳がジャックを見据える。なんの怖れも怯みも感じられなかった。
ジャックはソラの態度がしゃくに障ったようでさらに鋭い目つきになったが、それでもむやみに近づくような真似はせず、すり足で間合いを縮めはじめた。
それに対してソラはすたすたと普通に歩いて、ジャックとの距離を大胆に詰めたのだった。
ラルフは思わず目を見張る。
急速に間合いを詰めて近づいていくるソラを見て、ジャックも虚をつかれたように一瞬目を見開いたが、すぐに凶悪な顔つきになって不意打ちのように一気に地面を蹴った。
「はっ! 馬鹿が!!」
ジャックはそう叫んでソラの肩口に思いっきり右の拳を打ち込んだ。とても手加減しているとは思えないほど鋭い突きだった。
ラルフが「あっ!」と声をあげる。
しかし、至近距離に迫り来る拳に対しても、ソラはまったく動じることはなかった。
そのままの歩調でするりと身体を左に開いて、ジャックの拳をあっさりとかわしたのだ。
そして、ソラは目の前にある腕を軽くつかんで、そのままジャックの勢いを利用するように投げたのだった。
くるりと前方に回転して地面へと叩きつけられるジャック。
「かふっ!!」
ジャックは肺から空気を無理やり押し出したような声を出した。
かろうじて受身は取ったようだが、下は土で固められた地面である。相当な衝撃だったに違いない。
ソラは痛みと衝撃で身を起こせずに悶絶しているジャックを見下ろしながら、静かな口調で言った。
「どうやら、あなたに教わる必要はなさそうですね?」
ソラの言葉を聞いたジャックは憎悪の眼差しで見上げ、よろけながら立ち上がった。そしておもむろに先ほど投げた木剣を拾う。
「……おもしれえ。なら今度は武器ありでいこうじゃねえか!」
血走った目で木剣を構えるジャック。屈辱と怒りで我を忘れているようだった。
事の成り行きを呆然と見ていたラルフは今度こそ制止しようと慌てて足を踏み出した。
そのとき。
「――待て」
突然、凛とした声が広場に響いたのだった。