第2話
「そういえば、エルメラさんの姿を見て驚く人が結構少ないですよね」
「この国にはエルフの里があるからね。多少なりとも慣れてるのさ」
ソラの隣を歩きながら質問に答えるエルメラ。
現在は国境から歩いて数日ほどの距離にある大きめの街に到着したばかりだが、当然のように無一文のエルフも同行していた。
ちなみに、恩を返すとの言葉はまだこれっぽっちも実行してもらっておらず、単なる無駄飯食らいと化している。
「……あれ? でも、エルフの人たちはあまり里から出ることなく、人間との交流も少ないと本で読んだんですけど」
「必ずしもそうではないよ。我々に閉鎖的な部分があるのは事実だが、皆がそうだとは限らないし、里ごとの考え方も違う。人間の国だってそれぞれ文化や習慣などが異なるだろう? それと同じだよ」
ソラの故郷であるエレミアにはエルフの里が存在せず、ほとんど出会うこともないので知らなかったが、考えてみれば当然のことなのかもしれない。あくまで書物から得た知識に過ぎないのだから。
なにより、己の隣には気ままに世界中を旅している変わり者もいるのだ。
「この国にある里はけっこう規模が大きいらしいですけど、エルメラさんの故郷なんですよね」
「まあね。久々の里帰りというわけさ」
エルフの集落は世界のあちこちに点在しているが、ここカリム共和国にある里はその中でもかなり大きく歴史も古いらしい。
「うちの里はカリム共和国との取り決めで自治区という形で独立しているんだ。他の里もだいたい同じような仕組みかな」
「今はエルフとの共存が普通に行われていますからね。でも昔は……」
ソラは思わず言葉を濁す。
およそ五百年ほど前までは、人間がエルフたちを迫害していたという歴史があるのだ。
人間からすればずっと昔のことかもしれないが、長寿である彼らからすれば――
「――言っただろう、ソラ君。国や個人によっても考え方は違うんだ。過去の歴史は忘れるべきではないけれど、必ずしも種族全体の責任だとは思わないし、まして今を生きる君が気に病む必要はないんだ」
「エルメラさん……」
綺麗なグリーンの瞳を優しく細めて頭を撫でてくるエルメラをソラは感嘆の眼差しで見上げた。
ソラが持っている知識だけでもエルフたちが受けた屈辱は相当なもののはずだが彼女はこうして気遣ってくれてさえいる。
「……フフフ、本当に君は優しく素直な娘だね。無性に愛でたくなるよ。君ら姉妹に出会えたことは私の人生の中でも最大の幸運だ」
がばっと背後からソラを抱きしめて頬をこすりつけてくるエルメラ。
人がちょっとばかり感動していたらこれである。根っからのセクハラ気質で、何かにつけてはスキンシップをはかろうとするのだ。
「――貴様!! お嬢様から離れろ!!」
「……おっと!」
背後からアイラが引き離そうと手を伸ばしてきたが、エルメラはサッと後退して伸ばされた手を受け流してみせた。
「!」
アイラはバランスを微妙に崩されてたたらを踏み、忌々しそうにエルメラを睨む。
「今のはお嬢様が扱う東方武術の……」
「伊達に長いこと生きてないからね。あちこち回っている最中に役に立ちそうな技術を身に付けているのさ。体術に限らず人間が次々と生み出すモノには興味が尽きないよ」
余裕綽々なエルメラにアイラは苦虫を噛み潰したような表情になる。
本来ならだたのヒモと化している人間など力づくで追い払っているところだろうが、強力な精霊に加えて様々な技能を身に付けているエルメラはさしものアイラでも荷が重い相手なのだ。
「まあ、そう邪険にしなさんな。私は君とも仲良くなりたいと思ってるんだ。眉間にシワばかり寄せていてはせっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「相変わらずふざけたヤツだ」
プレイボーイのようなセリフを臆面もなく言い放つエルメラにアイラが顔をしかめていると、ソラたちの前で通りに連なる店を楽しそうに眺めていたマリナが振り返った。
「そういえばエルメラさんって年はいくつなの? 見た目は二十代前半くらいにしか見えないんだけど」
「フフ。詳しくは秘密だ。だが百年は生きていないとも。エルフではまだ若い方だな」
その返答にソラは軽く驚いた。
百年以下で若年の部類に入るというのだから。まさに人間の数倍生きるエルフならではのスケールだ。
それから、ソラたちがしばらく雑談しながら通りを歩いていると、今度はエルメラが質問してきた。
「ところで、君らは何の用でこの街に、というかこの国に来たんだ? 私は説明したとおり久々に帰郷するためなのだが、冒険者の仕事か何かかな?」
「いえ。この街には調べたいことがあって来たんです」
「調べたいこと?」
ソラはこくりと頷いて説明する。
「実はこの前まで滞在していたネイブル王国で請け負った仕事に関して少し気になる情報を得たんです」
初めはほとんど成り行きのようなものだったが、ひょんなことから受けた『幽霊屋敷』探索の仕事。
最終的には裏で糸を引いていた人物の企みを阻止してクエストを無事に解決したわけだが、後日気がかりな事実を掴んだのだ。
――それは、事件後ソラたちがまだネイブル王国に滞在中だった時、事件を詳しく調べていた国の調査官から教えてもらった内容にあった。
『……アンデッドの研究を進めていたフランドル卿が手に入れたというエノクの歴史書のことで新しい証言が手に入りましたので、功労者たるあなた方には知らせておこうかと思いまして』
『エノクの歴史書……。結果的に娘のコーデリアが「死神」を造り出す要因となったものですね』
『正確には写本だったようですが……それでも恐るべき成果を上げてしまったことに変わりはありませんからね』
『エノクの歴史書』とはその名の通り歴史を綴った本のことであるが、その内容は歴史だけでなく多岐の分野にわたっており、しかもかなり物騒だったりするのである。
何冊かに分かれている歴史書を収集しているソラの祖母ウェンディの話によると、中には歴史の闇に葬られたヤバげな真実などが記されており、他にもいわゆる禁術と呼ばれる危険な技術なども記載されているらしい。
『……それで、これは五年前の事件が起こる前に引退した元執事から聞き出した証言なんですが、フランドル卿が歴史書を手に入れた経緯が判明したんですよ』
『入手の経緯ですか。歴史書はその内容ゆえに禁書扱いされてますから、写本といえども稀に裏市場に流れるくらいだそうですね』
『本来ならばフランドル卿ほどの資産家でもそうそう手に入れられる代物ではないんですが、ある人物から譲ってもらったそうなんです』
『ある人物? そういえば、コーデリアがフランドル卿が知人から譲ってもらった物だと話してましたけど』
『残念ながらその人物の詳細までは分からず、おそらく高い地位の持ち主であるというくらいしか判明していないのですが……フランドル卿はその人物と隣国カリム共和国にある古物商で出会い、その後意気投合して本を譲り受けたと当時同行していた元執事が証言しているんです』
『古物商ですか。たまに本の価値を知らない人間が売却する例もあるらしいですね』
『元執事の話によると、その人物は古物商で歴史書の写本を偶然見つけて購入したそうですが、結局必要ないということでフランドル卿に譲ったそうなんです。ただ、問題はその後のセリフにありまして』
『というと……』
『その人物はフランドル卿の研究を完成させるために必要な本だと言って渡したらしいんです』
『……なるほど。じゃあ、その人物も死霊術に通じた危険人物の可能性があるんですね』
『正直なところは分かりません。執事の方も会話を詳しく聞いていたわけではないそうですし、もうかなりの高齢で記憶も曖昧らしいので……。ただ歴史書を気にしていたあなたたちには伝えておこうと考えた次第なんです』
『そうだったんですか……。いえ、教えてくださってありがとうございました』
苦笑する調査官に、ソラは丁寧にお礼の言葉を口にしたのだった――
ソラの話を聞き終えたエルメラがふうむと頷く。
「……そういうことだったのか。その本ならば私も知っているが、わざわざ調べに来るとは君も物好きだな」
「一応念のため、なんですけどね」
「では、君らが向かっているのはその古物商ということになるのか」
「そうです。古物商の店主も二人と仲良く会話していたというので、もしかしたら当時のことを覚えているかもしれないと思って。調べたところ今でも営業されているようですし」
「それならば当然私もこのまま同行させてもらおう。君らには一宿一飯の恩義があるし、何かしら危険な香りがするからな」
「一宿と一飯どころではないんだが……。この際、お嬢様たちのために働いてもらうか」
なにやら意気込むエルメラをアイラがジトッとした目で見ていたが、何を言っても強引についてくることは分かりきっているので、そのまま利用する方向で折り合いをつけたようだ。
なにはともあれ、全員の方針が決まったところで、ソラたちの会話を黙って聞いていたマリナが笑みを浮かべながら右手を上げた。
「ということは、まだエルメラさんと一緒にいられるんだね。――それじゃあ、皆で仲良く例の店にレッツゴー! って、わわ!!」
無駄に元気なかけ声を上げたものの、勢いがつきすぎたのかよろけてしまい、背後を歩いていたソラにもたれかかってきた。
「ちょっと、マリナ。あんたは本当にそそっかしいんだから」
「えへへ、ごめんごめん」
身体を離しながら謝るマリナだったが、ソラはわずかに違和感を感じた。
「マリナ、少し顔が赤くない?」
「ほえ?」
ソラがキョトンとしている妹のおでこに手の平を置くと、若干だが熱があるように思えた。
「やっぱり、微熱があるような……」
「旅の疲れが出たのかもしれませんね。先に宿へ向かって部屋を取りましょうか?」
アイラが心配そうな視線をマリナに向けるが、
「だいじょーぶ! だいじょーぶ! 私が頑丈なの知ってるでしょ? それより用事をさっさと済ませちゃおうよ。休むのはそれからでいいから」
当の本人は全く気にしていないようであった。
確かにいつもとそう変わらないように見えるし、なによりマリナが病気に罹ることなど滅多にないのだが。
「ただの風邪だったとしても油断はできないんだからね。店に寄った後はすぐに宿で休むこと。念のためにお医者さんにも見てもらったほうがいいね。分かった?」
「ええー!? 面倒くさいなあ――は、はーい! お姉様の仰せのままに!」
不満そうな声を上げたマリナだったが、ソラが眉を上げて睨むと、すぐに承諾の意を示したのだった。
(……まったく。はじめから素直に従ってればいいものを)
ソラが嘆息しながら視線を前へ戻すと、そこには真剣な表情をしたエルメラが立っていた。
「エルメラさん? どうかしたんですか?」
声をかけると、なにやら考え込んでいたエルメラは我に返り、「……いや、何でもないよ。その店に行こうか」とかぶりを振る。
能天気なエルメラにしては珍しいリアクションだとソラは首を傾げたが、ともかく妹の言うとおりさっさと用事を済ませようと歩き出したのだった。
※※※
数分後、通りを歩く人たちに道を尋ねつつソラたちは例の古物商へと到着した。
大通りからひとつ外れた細い道の片隅にひっそりと建っているその建物はかなり古かったが不思議と味わい深い印象を見る者に与えた。おそらく家主が普段からしっかりと手入れしているからだろう。
「……すみませーん」
「いらっしゃい。狭苦しい所ですがどうぞ遠慮なくお入りください。おや、これはまた珍しいお客様ですな」
ソラが店の中を覗き込むと、店内で商品らしき人形を磨いていた老人が笑顔とともに振り向いた。彼が店主で間違いないようだ。
「あの――」
「よくぞご来店くださいました! あなた方のような若いお嬢さんが見えられることなど滅多にないので年甲斐もなく興奮してしまいますな。さて、どのような商品をお求めですか?」
「いえ、あのですね……」
「ああ、そうそう! 今私が持っているこれなどどうですか? あなたのような見目麗しいお嬢さんに購入していただければこの人形も喜ぶと思うのですが」
嬉しそうに手に持って磨いていた人形を差し出す店主。どうもテンションが上がっていてソラの声が聞こえていないらしい。
ソラがやれやれと思いつつ視線を向けると、そこには艶やかな黒髪に顔の線が墨で描かれた日本人形に似た代物が乗っていた。
着物のような服を着ていてどこか懐かしさすら覚えるのだが、どうにも不気味というか不吉な印象を受けるのだ。部屋に飾っておいたら夜中ごとに髪が伸びていそうで怖い。
「作者や遍歴は不明なのですが、東方で製作された良い品です! 顔の造詣も素晴らしいでしょう!」
店主はやたらとはりきって人形を押してきたが、
「いえ、結構です」
と、ソラはきっぱり断ったのだった。
「――そうだったんですか、あのお客さんたちの……。ええ、随分前のことですけど覚えてますよ」
店の片隅にある年季が入った木製の丸テーブル。そこに座ったソラたち四人にお茶と東方産の菓子を用意しながら店主は頷いた。
あの後、ソラたちが客でないことを知ると店主は残念そうに肩を落としていたが、用件を伝えると快く話を聞かせてくれることになり、このテーブルへと案内されたのだ。
ソラは目の前に用意されたお茶を一口含んで改めて店内を見回した。
店には年代を問わず世界各地から集められたと思しき品がみっちりと並んでおり、壁際にはタイトルが古代語で書かれた分厚い本で埋まっている棚まで置かれてあった。
とにかく物が多く、所々に配置された伸び放題の観葉植物とあいまって、どこか隠れ家的な雰囲気を醸し出している。
「それで、そのお客さんたちについて覚えていることを話せばよろしいのですかな?」
最後に自分専用の茶飲み茶碗にお茶を注いだ店主がテーブルに座ってソラに顔を向けてきた。
「些細なことでも構わないんです。フランドル卿の事は覚えていらっしゃるんですよね」
「ええ。フランドル卿に関してはお名前と隣国の貴族様ということくらいしか存じませんが、なかなかに知識が豊富で研究熱心な方だったと記憶しております。……しかし、死霊術の研究のために多くの犠牲を出すとは……。となるとあれは冗談ではなかったのですな」
「……何か心当たりが?」
「当時の事を覚えているというのも、彼らの刺激に満ちた会話にあるのですが、その中には死霊術に関する話題もあったのです。お二人とも随分盛り上がっておられましたが、てっきり学術的な意味だとばかり……」
遠い目をして手元を見つめる店主。
もしかしたらフランドル卿らもこのテーブルに座って会話をしていたのかもしれない。
「同行していた元執事の話によると、フランドル卿は会話していた人物から最後に本を受け取ったらしいんですけど、これについては?」
「もちろん覚えております。なにせうちで購入されたものですから。ただ、お恥ずかしながら、本の由来や中身に関してはさっぱりでして。私なりに調べてみたのですが……」
申し訳なさそうに言う店主だが、それも仕方ないことだとソラは思った。
もともと『エノクの歴史書』は一握りの人間しか知らず、またおいそれと解読できるものではない、知る人ぞ知るという基本的にはマイナー本なのである。
「それで、ここが肝心な部分だけど、フランドル卿と会話していた相手の事も知ってるの?」
マリナが出された菓子をパクパクと遠慮なくつまみながら尋ねると、店主はあっさりと頷いた。
「もちろんですとも。とても高名な方ですから」
「そうなんですか?」
予想していたよりも簡単に辿り着けそうだとソラは拍子抜けした気分だったが、店主は眉をひそめて難しい表情をしていた。
「しかし、そのお方が死霊術に関わっているとは到底思えません。フランドル卿とは違い、それこそ学問の一環として付き合われただけかと」
「……どういうことですか?」
ソラは首を傾げる。
店主の口調がそんな危険人物ではありえないと言いたげだったからだ。
すると、疑問に思うソラの表情から察しのだろう、簡単な事だとばかりに店主は答えたのだった。
「決まっております。そのお方はれっきとした聖職者――シヴァ教の枢機卿であらせられるのですから」




