緋色の髪の少年②
余談だが、夏が近いので魔導学校の制服も夏用に衣替えしていた。
半袖で生地も薄くなり通気性が良くなっていて、デザインも概ね満足との評価だ。
だが、不満がひとつあるとするならば、それはこの時期になってもマントの着用が義務付けられていることだろう。
足首まである黒のマントははっきり言って暑苦しいことこの上ないが、魔導士の象徴とも言うべきアイテムなので外すことは許されないのだ。
学校では罰則まで設けられているくらいである。
それでも静かにしていればまだ問題はないだろうが、激しい運動をせざるを得ない場合は最悪である。
例えばこんな時のように――
「――はあはあ! もう! これ本当に邪魔だなあ!」
先程からソラは悪態を吐きながら走っていた。
アランを追いかけることにしたものの、羽織ったマントがうっとうしくて仕方がないのである。とにかく汗が噴き出てくるのだ。
伝統とはいえ夏場にこんなものを着用する意味が分からない。
(今度、グリフィス校長に抗議してやろうかな)
わりと真剣にソラは考慮する。
モンスターペアレントならぬモンスタースチューデントと呼ばれても構うものか。
しばらくブツブツ言いながら走っていると、ようやくアランの背中が見えてきた。
思った以上に早歩きだったので追いつくまで時間がかかってしまったのだ。
「…………」
何気なくアランが振り返ってきたので、ソラは急いで建物の影に隠れた。
まるっきり不審者以外の何者でもないが、ここまで来て見つかるわけにはいかない。
仮に見つかったら気まずいどころの話ではないだろう。
ソラは道を歩いている通行人たちの唖然とした視線を無視してアランを追跡する。
彼には悪いが、ちょっとした探検気分を味わえて正直楽しくなってきているのだ。
普段、私生活が全く見えない人間がどのような行動を取るのか実に興味がある。
マリナあたりがこれを見れば、『お姉ちゃんの探究心が悪い方に出てるよねえ』とか言いそうだ。
(いやいや……。これは冒険者になるための修行も兼ねてるんだよ。ふっふっふ)
ソラは新たな言い訳を考えつつもテンションが上昇する。
不思議なウサギを追いかけるアリスの気分とはこんな感じだったのかもしれないと思う。
相手は無愛想で微妙に小憎たらしい少年だが。
ソラが修行で培った歩法を駆使しながらアランに気付かれることなく道を進んでいると、やがて街を流れる人工河川のそばに辿り着いた。
アランは河川に架けられた小さな橋まで来ると、欄干にもたれかかってなにやら水面を眺め始めるが、その様子を物陰から観察していたソラは首を傾げた。
(……? ここへ何しに来たんだろうか。まさか、川を眺めにきたってわけじゃないだろうけど)
ただ、傍目にはその姿は似合っていると言えなくもなかった。
ひとりの美少年が遠い目をしながら川を見つめていて絵になる光景である。
学校の女生徒たちが目撃すれば騒ぎ出しそうだ。
(……それにしても、あの川で泳いだら気持ち良さそうだなあ。かなり汗を搔いたから……)
きちんと管理されて水質汚染などとは無縁な川を見ていると、汗でじっとりした制服が余計気持ち悪く感じられた。
家に帰ったらすぐにシャワーを浴びようとソラは思う。
(そういえば、ここってどの辺だろ?)
ここでソラは現在位置が気になって周囲を見回した。
今頃気づいたのだが、この辺りは魔導都市エルシオンの中でも主に出稼ぎなどで来ている労働者たちが住まう区画であった。
はっきり言って治安が良いとは言えない場所である。雰囲気からして馬車を降りた大通りとは全然違う。
知り合いに出会うこともまずないので、考え事をするにはうってつけなのかもしれないが。
(……やっぱり、何か悩み事でもあるのかな?)
何をするでもなく川を眺めているだけのアランをぼんやりと見つめていると、おもむろに少年が欄干に乗り出し始めたのでソラはギョッとした。
(!? ま、まさか、入水自殺……!?)
もしかしたらソラが考えていた以上に思いつめていたのかもしれない。
クールで大人びているとはいえ、まだ年端もいかない少年には違いないのだから。
焦ったソラはこれはとんでもないことになったと物陰から飛び出して全力でアランへと駆け寄る。
「ちょっと待ったあああああああああ!!」
「……エーデルベルグ?」
身を乗り出したまま振り向き、その表情にかすかな驚きを張り付けたアランの背中へとソラは必死になってすがりつく。
「どんな事情があるのかは知らないけど、命を粗末にするような真似はやめなさい!! 親不孝にも程があるよ!!」
「……は? お前、何を……って、おい!?」
「あ……」
少年の背中に取り付いて引っ張るつもりが、勢いがつきすぎたせいで逆に押し出す形になってしまったのだ。
ただでさえ不安定だったアランにソラがのしかかりバランスが崩れる。
「こ、この馬鹿!!」
「う、うわあああ!?」
結果として――
二人はそのまま欄干を飛び越えて仲良く落下していき、ザブーンと川に二つ分の水柱が上がったのだった。
※※※
「――うう。酷い目にあった……」
見事に川に落ちてびしょ濡れになったソラは河川敷で<火>属性の魔導を使って服を乾かしていた。
オレンジ色の光球がぼんやりと宙に浮かび、周囲にほどよく温かい熱を放射している。
ちなみにこれはアランが発動してくれたものであり、名は体を表すというか、フレイムハート家は<火>属性を得意とする家柄なのだそうだ。
「で、でも、今が夏で良かったよね。私たちはついてるよ。それに、実は川で泳ぎたいと思ってたところだし!」
「…………」
ソラが愛想笑いを浮かべながら早口で話しかけるが、アランはマントを絞りつつおもいっきり不機嫌な表情でじろりと睨んでくるだけであった。
(う……)
光球に手をかざしながら口ごもるソラ。
結局早とちりだったことが判明したので、ただアランを突き飛ばして川へと落としただけなのである。それは怒って当然だろう。
落ちた川が綺麗で川底にぶつからずにすんだのが不幸中の幸いではあるが。
アランはしばらくの間ソラをねめつけていたが、かぶりを振るとおもむろに橋まで上がって置きっぱなしにしていた鞄を回収して戻り、そのまま中に手を突っ込んだかと思うと、一枚の白いタオルを取り出してソラに差し出した。
「……ほら、使えよ。今が夏だからって髪くらいは拭いておかないと風邪引くだろ。未使用だから安心しろ」
「あ、ありがとう」
ソラは手にかけていたマントを地面に置くと、アランからタオルを受け取って濡れそぼった白い髪を拭いた。
(……うう。これじゃあ、どっちが年上なんだか……)
危なっかしい少年を心配して様子を見に来たつもりが逆に子供扱いされている気分である。
ソラがタオルを首にかけてガックリとうな垂れていると、
「……それで、何でこんな所にいたんだよ。まさか俺をつけてきたのか?」
「いや、その……。学校で話を聞いたときから少し気になってて。喧嘩をあちこちで売りまくってるみたいだし」
「昼にも言っただろ。お前には関係のないことだ。あと一応教えといてやるけど、乗り気でない奴には手を出してないからな。バートルはまんまと挑発に乗っただけで無差別に襲ってるわけじゃない」
「そうなの? でも、それならこんな所で何してたの? 私の勘違いだったけど、紛らわしいというか誰だってびっくりするよ」
「……お前に話す必要はない――と言いたいところだが、むこうから来たみたいだな」
「え?」
アランが魔導を解除しながら背後に視線を向けたので、いったい何事かとソラも振り向くと、そこには十代前半から半ばほどの少年が数人立っていた。
皆、にやにやと小生意気そうな笑みを浮かべていて、いかにも『僕らは不良です!』と顔に書いてある。
ソラたちが突っ立っていると、先頭にいた大柄な少年がずいっと前に出てこちらをじろじろと見てきた。
「おいおい。何だこいつら? ここはお前らみたいな、お上品なガキが来るような場所じゃないぜ」
バートル並みの体格の少年が冗談めかしながらそう言うと背後にいた仲間たちがどっと笑った。
態度からしてこの少年がリーダーなのだろう。
すると、少年たちのひとりが何かに感づいたような表情をしてリーダーに耳打ちする。
「ダグさん。こいつら魔導学校の生徒ですよ。制服に見覚えがあるし、ローブ持ってますもん」
「ああ? 魔導学校? やっぱりエリート様かよ。――でも、丁度いいや。むしゃくしゃしてたし、いっちょボコッてやるか」
「いや、でも、魔導士ですよ? 魔導を使われたら……」
不安そうな仲間をダグと呼ばれた少年は笑い飛ばした。
「もう忘れたのか? この前も魔導士だとかいうオッサンをぶっ飛ばしたばかりじゃねえか。魔導は発動までに時間がかかるんだよ。要は使わせなければいいんだろ。それに、こいつらまだガキだぜ」
自分らもまだ学校に通っている年齢だろうにと思いながらソラは生乾きのローブを羽織る。
話が通じるような相手ではなさそうだし、どうも一戦は避けられそうにない。
ソラがさりげなく戦闘体勢に入っていると、ダグがおもむろに視線を向けてきた。
「……それに、この娘。そうそうお目にかかれないほど整った顔をしてるぜ。人買いに売ればいい金になるんじゃねえか?」
「た、確かに。さっきから気になってたけど」
「ていうか、こんな可愛い子、今まで見たことねえよ……」
急に少年たちの視線がソラへと集中し、中にはあからさまに嫌な目つきで見ている者もいる。
ますます厄介なことになってきたとソラが内心でうんざりしていると、アランが声を小さくして話しかけきた。
(……おい、エーデルベルグ。俺がローブを連中に投げつけるから、それを合図にお前は逃げろ。ヤツらは俺が引き付ける。一度距離を空けちまえば、お前の足の速さなら逃げ切れるだろ)
(引き付けるって……その後君はどうするの?)
ソラが問うと、アランは唇の端を上げて獰猛な笑みを見せた。
(……決まってるだろ。あいつらをひとり残らず叩きのめすんだよ。そのために俺はここに来たんだからな)
初めて見せる表情にソラが軽く驚いていると、
「何ひそひそ話してんだ。まさか逃げられると思ってんじゃねえだろうな。――おい、お前ら」
ダグが嘲るように笑い、仲間たちに手振りで指示を出した。
少年たちがじわりとソラたちとの距離を詰めてきて、隣のアランがローブを投げつけようと構えた時だった。
「――お、ダグじゃん。何してんの?」
「おお。お前らいい所に来たな。丁度いいサンドバッグと金づるを見つけちゃってさ」
ソラたちの背後から新たに三人の少年たちが姿を現したのだ。
どうやらよくつるんでいる不良仲間のようである。
彼らはダグの言葉をすぐに理解したらしく、こちらも逃げ道をふさぐように包囲してきた。
(……ちっ。面倒なことになりやがった。こうなったらお前は魔導を使って脱出しろ。正当防衛だから問題ないだろ)
背後を確認したアランが舌打ちしつつ言うがソラは首を横に振った。
「必要ないよ。この程度の連中なら素手でも大丈夫だし。……それに、もとよりひとりで逃げるつもりはないから」
「……おい!?」
アランが驚いたが、すぐに少年たちの怒声にかき消された。
「このガキ、生意気な口を聞くじゃねえか! 予定変更だ。お前にもたっぷりとヤキを入れてやる!」
「ダグ。俺らも混ぜてくれ! この子にたっぷりとお仕置きしてやるよ!」
両側から挟みこんでくる少年たち。
「……くそっ! できるだけ俺から離れるなよ!」
「だから必要ないってば」
ソラは怒鳴るアランと背中合わせになると、これまで何千回と繰り返してきた東方武術の構えをとる。
「ははっ!! 何それ!? 格闘技ゴッコか? 可愛い~!!」
後から現れた茶髪の軽薄そうな少年がソラへと無造作に手を伸ばし、アランがフォローすべく身体を入れ替えようとする。
しかし、それよりも前にソラは少年の手を素早く掴むと、手首にあるツボに親指をおもいっきり埋め込んだのだった。
「――いっ!? いでええええええ!!」
痛がる少年が動きを止めた瞬間を狙い、ソラは重心を崩して豪快に投げつけ、そのまま固い土の地面に背中から落とす。
鈍い音が響き、茶髪の少年は苦悶の声を上げてのた打ち回った。
当分は立ち上がれないだろう。
「なっ!?」
「こ、こいつ!?」
囲んでじっくり料理しようと考えていたのだろうが、思わぬ反撃を喰らい、余裕だった少年たちの表情が変わる。
「お前……」
すぐ後ろで目を見開いていたアランにソラは片目を瞑ってみせる。
「こっちは私が受け持つから、そっちの数人は任せてもいいよね」
「……本当に女とは思えねえな、お前」
背中越しに呆れていたアランだったが、再び好戦的な笑みを見せた。
「……ああ。全く問題ねえよ。そもそも、全員俺が相手をする予定だったんだからな」
アランは嬉々として目の前に迫る相手へと駆け出していき、同時にソラも残りの二人に向かっていくと、他の少年たちも罵声を上げながら殴りかかってきた。
河川敷で乱闘が始まる。
ソラはなりふり構わず拳を振り上げてきた少年の懐に潜り込み、そのどてっ腹に一撃を加えて沈黙させると、すぐに死角から襲ってきた最後のひとりに向き合い、タイミングを合わせてその膝を蹴りつける。
「ぐあっ!?」
少年が一瞬硬直した隙を逃さずにソラが胴体へ正拳突きを叩き込むとあっさり気絶した。
多少喧嘩慣れしているようだが、所詮は素人。動きが実に読みやすい。
結局、十秒とかからずに終了してしまった。
(……そういえば、危ないことはしないってジーナスと約束してたんだった。でも、仕方ないよね。この場合)
今更思い出したソラが心の中で言い訳しながら振り向くと、あちらもすでに半分以上を打ちのめしていた。
「こ、この野郎――おごおっ!?」
アランが少年たちを次々と地に這わせる。
高い身体能力もそうだが、その格闘技術にも目を瞠るものがあった。
どうも我流ではなく、普段から何らかの体術を修練しているようだ。
打撃技、関節技、投げ技にタックルまで駆使していて総合格闘技に近い動きである。
「……あとは、お前だけだ」
アランは一度も反撃を食らうことなく、残ったただひとりの少年――リーダーのダグへと振り向いた。
「な、何者だよ、お前ら……!!」
ダグはさすがにたじろいでいたが、アランはそれには答えず足を踏み出し、そこからは壮絶な殴り合いが始まった。
ソラが見るに、精神的な意味でもアランが優勢だったが、ダグもなかなかの強者であった。
もとより立派な体格の持ち主ではあったが、喧嘩殺法とでもいうのか、それなりの修羅場を潜っているようでほぼ互角の勝負をしている。
八歳のアランと張り合うのというのも傍から見れば情けないような気もするが大したものであると言えよう。
二人が数分ほど激闘を繰り広げ、互いに痣や裂傷があちこち増えてきたところで展開が動いた。
業を煮やしたらしいダグが懐から刃がギザギザになったサバイバルナイフを取り出したのだ。
「このガキ……!! 舐めやがって!!」
「ナイフか。別にいいぜ。何でもありの喧嘩なんだからな」
臆することなく不敵に笑ってみせたアランだったが、
「――水を差すようで悪いけど、それは許容できないよ」
さすがに看過できなかったソラが瞬時に魔導を構築して解き放ったのだ。
「うおっ!?」
ソラの人差し指から伸びた赤い熱線はナイフの刃を貫き、溶解させ、驚愕したダグが慌てて手放す。
「い、いつの間に魔導を!?」
「基礎的な知識もないみたいだけど、特殊な訓練を積んでいない人間が魔導の気配を察することは困難なんだよ。相手にした魔導士だとかいうオッサンはただのハッタリだったんじゃない?」
ソラが肩をすくめながら言うと、アランが顔をしかめながら振り向いた。
「余計な真似しやがって……」
「さほど力量の変わらない相手が武器を使ったら間違いなく君が不利になるよ。場合によっては大怪我を負うかもしれないし」
ただの殴り合いならばまだともかく、あの凶悪なナイフをまともに受ければ致命傷を負う可能性もあるし、その場合、現在のソラの治癒術程度では一命を取り留めるのは困難で医者を呼ぶのも間に合わないかもしれないのだ。
それでもアランは不機嫌そうな表情のままで全く納得していないことが窺えたが、ここはソラとしても引けないのでそのまま睨み合っていると、
「――う、うおおおおおおおおおっ!!」
魔導の威力を目の当たりして恐慌状態にでも陥ったのか、ダグがヤケになってアランに突進してきたのだ。
「……ったく」
舌打ちしながら振り向いたアランがその攻撃を軽くいなして肘で顎をかち上げると、白目を剝いたダグは地面に倒れて動かなくなったのだった。
「……もう少しいい勝負ができると思ったのに、お前のせいでつまらない幕引きになったじゃねえか」
「……あのねえ。命懸けになるかもしれない戦いを見過ごせるわけないでしょうが。というか、初めから彼らに喧嘩を売るつもりでここに来たの?」
不満そうなアランにソラは呆れながら言う。
今思えば不良たちの動きを観察するためにあの橋にいたのかもしれない。
はたして、アランはあっさりと認めた。
「正確に言えばこのダグとかいう奴を待ってたんだ。何人もの憲兵を殴り倒してきた札付きの悪だと聞いてな。実際に強かったよ、こいつは」
「……どういうこと? それって学校での件と関係してるの?」
答えてはくれないだろうなあと思いつつソラが尋ねると、無言で鞄とマントを拾い上げていたアランはちらりとこちらに視線を向けた。
「……そうだな。気が変わった。明日学校で教えてやるよ。条件付きだけどな」
「え?」
「俺はもう帰るからお前も戻れ。この辺りは不良どもの溜まり場だ。他の連中が来ないとも限らないからな」
アランは一方的にそう言うと、驚くソラを置いて去っていったのだった。
しばらく突っ立っていたソラだったが、もう夕陽が沈み始めていることに気づき、焦りの気持ちが湧き上がってくる。
(あっちゃー! 三時にマリナたちとおやつを食べる約束をすっぽかしちゃったよ! ジーナスもいい加減待ちくたびれてるだろうし! ――あ。あと、タオル返し忘れた)
ソラは首にタオルを巻いたままマントを拾って、急いでジーナスの待つ喫茶店へと駆け出すのだった。