表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
幕間 魔法使いの日常編
77/132

マリナと三毛猫の追跡劇

マリナ視点のお話しです。

「それじゃあ、お姉ちゃん。いってらっしゃーい!!」


「うん。じゃあね、マリナ、トリス」


 朝食後、マリナは玄関先でいつもどおり登校するソラの見送りをしていた。

 魔導学校に発進する馬車を弟のトリスと見届けるとさっそく己の部屋へ向かう。


「トリス。今日は何して遊ぶ?」


「マリナおねえさま。ぼく、えほんがいい」


「絵本だね! じゃあ、何にしようかな~? 久々に魔法少女シエラちゃんとか」


 マリナが有名な童話を口にすると、トリスはにっこりと笑い、「はーい」と右手を上げた。

 弟はこの絵本が大好きなのだ。 


「――はいはいっと。持ってきましたよん」


 部屋に到着すると、マリナ専属のメイド――キラリと光る猫目が特徴のメアリーが手際よく絵本を持ってきてくれた。

 普段はおちゃらけているが仕事は素早くこなす有能な従者なのである。


 マリナはメアリーから絵本を受けるとぱらぱらと開いてみた。


「どこからいこうかな? シエラちゃんが魔法の力でダメダメな大人たちを調教するところにしようかな?」


「ある意味、童話らしからぬ主人公ですよね。ずっと昔からある絵本ですけど」


 メアリーとあれこれ話しているとマリナはふいに思い出した。


「そうだ。この前お父さんに買ってもらったお菓子があるんだった。ミシェル・ルーのショコラ。これをつまみながら読もうか。今まで楽しみにとっておいたんだよね~♪」


「ええ!? ミシェル・ルーですか!? 滅多に手に入らない最高級品じゃないですか!! ……でも、トーマス様に買わせたんですか?」


「そうだよ。ボーナス貰ったばかりだったから、気前よく買ってくれたの」


「つまり、現在はサイフの中身からっぽってことですか。トーマス様も相変わらず娘たちには甘いですねえ。――まあ、それはそれとして。一個の値段も馬鹿にならない黒い宝石の異名をとるショコラ! お嬢様、私にも是非!」


 はじめはトーマスの懐事情に同情していたようだったが、メアリーの興味は三秒で有名ブランドのチョコを味わうことにシフトしたようだった。


「皆で分けようか。トリス、このチョコ美味しいよ。そんなに苦くないし」


 普段からマリナが持ってきたお菓子をちょくちょく食べるトリスも喜んでくれた。

 ただし、まだ幼い弟には砂糖の入った物をあまり食べさせないよう母から注意されているので、量には気をつけなければならない。


「じゃあ私、紅茶でも淹れてきますね」


 ボブカットの髪を揺らしながらいそいそと部屋を出て行くメアリーを見送り、マリナも机の引き出しに入れておいたチョコ入りの小さな箱を取り出す。

 このチョコは高価格とはいえすぐに売切れてしまうほど人気が高く、また数量限定なので本来はそう簡単に購入できる代物ではないのだ。

 それが父と訪れたときに偶然残っていたのである。


「むふふ~♪ あのときは本当に運が良かったよね! ――そうだ! 朝食を食べた後だけど……こうなったらマカロンもつけちゃおう!」


 マリナが機嫌よくチョコをテーブルに置き、棚にしまっておいたお菓子に手を伸ばしたときだった。


「……? マリナおねえさま。ねこちゃんがいるよ~?」

 

「へ? 猫ちゃん?」


 不思議そうなトリスの声に振り向くと、椅子にお行儀よく座る弟の目の前には確かに一匹の猫がいた。どうやら開け放していた窓から入ってきたらしい。

 その三毛猫と(おぼ)しき猫はテーブルの上にふてぶてしく乗っかっており、じっとチョコ入りの箱を見つめている。


「あ……!」


 マリナが思わず声を上げた瞬間、猫はさっと箱をくわえ、そのまま俊敏な動きでテーブルを降り、あっという間に窓から外へと出ていってしまったのだ。


「こ、この、泥棒猫ーーー!!」


 マリナは窓から顔を出して叱りつけるが、猫は制止の声を無視して走り去ってしまった。


「な、なんたること!! ずっと楽しみにしていたチョコなのに!!」


「……マリナお嬢様? どうかされましたか?」


 マリナが頬を両手で押さえてショックを受けていると、騒ぎを聞きつけたらしい黒髪のメイドが部屋へと入ってきた。

 ソラ専属のメイドたるミアである。


「ミア! 丁度いいところに! 私は猫を追いかけなきゃならないから、メアリーが戻ってくるまでトリスを見てて!」


「……猫、ですか? 一体どういう――マ、マリナお嬢様!?」


 話が見えず首を傾げるミアにこの場を任せ、マリナは窓枠に足をかけて身軽な動きで外へと飛び出した。

 なんとしてでもあの猫を捕まえてチョコを取り返すのだ。


「このマリナ様から逃げられると思わないでよね~!!」

 

 マリナは猫が走り去った方向へと全力で駆ける。

 よりにもよってお菓子に人一倍の執念を燃やす自分から盗みを働いたのだ。 

 二度と悪さができないようお仕置きしてやらねばなるまい。


「ストレスで禿げるまで肉球を押しまくる刑に処すからね! ……って、もうどこにもいないし!」


 とても七歳の少女とは思えないスピードで疾走したマリナだったが、屋敷の角を曲がったところであっさりと見失ってしまったのだ。


「うそ~ん! どこに行ったの~?」


 焦ったマリナが周囲をきょろきょろと見回していると、何か小さな動物が走り寄ってくるのに気づいた。


「キュウ!」


「……あれ? 君はお姉ちゃんになついてるリス君だよね」


 敷地内の森に生息しているリスがちょこんとマリナを見上げていたのだ。

 何度かソラとクオンが使用している森の中の修行場で目撃したことはあるが、こうして屋敷の近くで見るのは初めてかもしれない。

 確か姉の話ではメスだったはずだ。


 つぶらな黒い瞳と茶色の縞々模様が愛らしいリスはふさふさの尻尾を揺らしながら「キュウキュウ」とマリナに向かって何かを訴えるように鳴いている。


「……もしかして、泥棒猫の居場所を教えてくれるの?」


 マリナが尋ねるとリスは短く鳴いて走り出した。


「あ! 待ってよ!」


 マリナも急いでリスの後を追いかけ、屋敷の周囲をぐるりと時計回りに走ると、やがてひとりと一匹は屋敷の裏手へと到着した。

 

 立ち止まったリスが頭上を見上げ、マリナもその視線の先に目をやると、


「――いた!!」


 屋根の上をのそのそと歩いている三毛猫を発見したのだ。


 その口元にはマリナから盗んだ箱がくわえられたままで、まだ開封はしていないようだ。

 マリナが安堵していると、猫は屋根の奥に進んで見えなくなった。


「あそこでじっくりと食べようって魂胆なんだろうけど、そうはいかないよ~! リス君、行こう!」


「ウキュッ!」


 リスはマリナの足元から身体を駆け上って肩に陣取った。

 どうも気合が入っているような気がする。

 自分と同じようにあの猫には恨みでもあるのかもしれない。


「いっくよ~~~!!」


 肩にリスを乗せたマリナは魔力を足へと集中させ、強く地面を蹴って一気に屋根の上まで跳躍し、それこそ猫のごとき軽やかさで着地した。


「さあ、追い詰めたよ~!! ……って、あれ? いない……」


 目の前を見ると屋敷の外壁があるのみで猫の姿はどこにも見当たらなかったのだ。辺りには入れそうな窓などもない。


 マリナが首を捻っていると、リスが鳴きながら丸っこい尻尾を壁の一角に向けた。


「うん? ここに何かあるの? あ、これって……」


 ちょうど影になっていて見えづらかったが、壁の角に金網が外れかけた小さな四角形の穴が空いていたのだ。

 試しに覗いてみると、暗くて細い通路のようなものが屋敷の中に延々と続いていた。 


「通気孔かな? この中に入っていったんだね。――う。狭いけど、なんとか通れそう」


 マリナは苦労して頭から肩を入れる。

 まだ小さな女の子である自分がぎりぎり入れるくらいだ。


「よ~し! 追跡を再開するよ~! ――と、その前に。……あの、リス君。ちょ~っとでいいから触らせてくれないかな?」


「キュッ!?」  


 マリナは驚いて後ずさりしようとしたリスを抱きしめて頬ずりする。


「おお! モフモフ~! 尻尾もフサフサ~! 以前から触ってみたいと思ってたんだよね~!」


 柔らかな触り心地に感動していると、リスが抗議するように尻尾でピシピシとマリナの頬を叩いた。


「あ、ごめん。つい夢中になっちゃった。急いで猫を追わないとね」


 我に返ったマリナはリスを肩に乗せて通路を這って進み出した。

 常時風が出入りしているからか思ったよりも埃が少なく、またクモの巣も張っていなかったので、これなら服が汚れることもなさそうだ。


 しばらく頭をぶつけないように気をつけながら通路を進むと、下から光が漏れている部分があることに気づいた。どうも等間隔ごとに細い穴があるようだ。


「部屋に外気を送るための穴かな? なにか話し声が聞こえるね。どれどれ……」


 マリナが目を細めて覗き込むと、


「――ねえねえ。キースさんってやっぱり格好いいよね。魔導騎士だから将来性も文句なしだし」


「でも、あの人軽いから私の好みじゃないわ。それよりも真面目で堅実なスベンさんよ」


「随分年上だけど、ここは大人の渋みのクオンさんでしょ!」


「あ~あ。ジーナス君が空いてたらなあ~」


 複数の若いメイドたちが着替えながら好みの男性について話していたのだ。

 ここは女性使用人向けの更衣室だったようである。


「ありゃ、みんな無防備に言いたい放題だね~。ここはバレないうちに退散しようっと」


 マリナは苦笑しながら先へと進むことにした。

 少女の身とはいえ覗き見していることに違いはない。


 音を立てないように慎重に通路を進むとやがて分岐点に差しかかった。


「どっちかな?」


 マリナが左右二つに分かれた通路を交互に眺めていると、またリスが小さく鳴いて尻尾で右を指し示した。


「こっちだね! にしても、リス君。協力してくれるのは何か理由でもあるの?」


 顔のすぐ横に座っているリスに訊いてみると、モフモフした小動物はおもむろに口の中から木の実を取り出してマリナに見せたのだ。どうも瞳が潤んでいる気がする。


「……なるほど。君もあの猫に木の実を横取りされた被害者ってわけだね。よし! 一緒に成敗しよう!」


 マリナが励ますように言うと、リスも力強く鳴きながら頷いた。


 こうして連帯意識を強めたマリナとリスは薄暗い通路を急いだ。

 折れ曲がっている箇所や分岐点がいくつもあり、まるで複雑な迷路のような道ではあったが、確実にマリナたちは猫へと迫る。


 しばらくしてリスが鋭い声で鳴き、マリナは動きを止めた。

 前方には通路の床の一部が外されて脇に置かれてあるのが見える。メンテ用に設置された蓋なのかもしれない。

 猫は下の部屋に潜んでいるようだ。


「……よ~し、一気に取り押さえるよ!」


 マリナは外された床部分から部屋の中へと静かに降り立ち、すぐに周囲を確認したが猫の姿はどこにもなかった。


「……どこかに隠れてるみたいだね。でも、この部屋は何なのかな?」


 部屋には古めかしい本が何冊も入った本棚や、資料のような紙束が乗っている机などが置かれてあり、一見保管室のようにも見えた。

 定期的に清掃はしてあるようで汚れてはいないが、人が滅多に訪れることのない場所のようだ。


 なんとも殺風景な部屋だったがひとつだけマリナの目を引くものがあった。

 というよりこの部屋であきらかに目立っていたのだ。


「……お姉ちゃん?」


 部屋の壁にはなぜか一枚の肖像画がぽつんと架けられていたのである。

 白髪で青い瞳をした――姉のソラとよく似た美しい少女を描いた絵が。


「けど、この女の子の歳は十五・六ってとこだろうし……お姉ちゃんの倍くらいだよね。お姉ちゃんが成長すればこの子のようになるかもだけど……」


 十代半ばと思しき少女は顔の輪郭などもソラにそっくりだったが、絵からも伝わってくる生命力に満ちた強い瞳は少し印象が異なる気がした。どちらかというと姉は穏やかで落ち着いた色をしている。


「……やっぱり、お姉ちゃんじゃないのかな? 絵も古いみたいだし」


 絵の具や木枠の様子から相当昔に描かれた絵画のようだ。


 何か手がかりでもないかと丹念に調べてみるが、絵の下の方に文字が書かれてあるくらいで、それもかすれていて読めなかった。


 マリナが不思議な絵にしばらく見入っていると、視界の隅で何か小さな影が動くのが見えた。


「――あ! そんな所にいたんだね!」


「ニャー」


 箱をくわえた猫が本棚の陰からそっと出てきたが、マリナが近寄るよりも早くに家具を経由して再び天井まで駆け上がってしまった。


「逃がすかー!!」


 マリナもジャンプして通路に手をかけると、すぐさま身体を引き上げて後を追った。 


 しかし、こちらは這って進むしかないので、どうしてもすぐに距離を開けられてしまう。


「くっそー。こんな狭い場所だと猫の方が有利だよね。――ん? あれは……」


 マリナが悔しげな声を出していると、通りかかった下の部屋にトーマスを発見した。

 どうやらここは夫婦の寝室とは別に父が仕事と仮眠に使用している部屋のようだ。 

 

 そっと起こさないように見下ろしてみると、トーマスはベッドに仰向けになって死んだように眠っていた。

 どうもまた徹夜明けで疲れ果てているらしい。

 優秀な研究者たる父だが一度研究にのめりこむと時間を忘れてしまうタイプなのだ。


「お父さんのボーナスと引き換えに手に入れたチョコなんだから、絶対に取り戻さないとね」


 屍のように横たわっている父を見てマリナが思いを新たにしていると、先の分岐点に立ち止まってきょろきょろと見比べている猫の後姿を発見した。


 猫はすぐ後ろにマリナが迫ってくることに気づき、すぐに左側の道へ駆け出そうとしたが、


「――ウキュッ!!」


 マリナの肩に乗っていたリスがぷくっと頬を膨らませたかと思うと、口の中に入れていた木の実を高速で吐き出して猫の進路上に放ったのである。


「ウニャッ!?」


 驚いて逆側に進路変更する猫だったが、びっくりしたのはマリナも同様だった。


「ほわ~! 何、今の!? リス君、凄い特技を持ってたんだね!」


「ウキュ」


「この世界のリスは強いんだね~。――それより、今の攻撃はもしかして……」


 マリナはリスと視線を合わせる。

 つぶらな黒い瞳は勝利を確信したかのように輝いていた。

 やはり右側へ行かせるための意図した攻撃だったようだ。


 急いで猫が走り去った方へ向かうと、通路の先は行き止まりになっており、逃げ場をなくした猫が右往左往していたのだ。 


「むっふっふ。年貢の納め時だよ~!」


 じわじわと距離を詰めて捕まえようとしたマリナだったが、猫は最後の抵抗とばかりに暴れ始めた。


「あっ、こら! 大人しく捕まりなさいっての!」


 往生際の悪い猫を苦労しながら取り押さえようとしたが、激しく暴れたせいかパカッと床が外れてしまったのだ。


「うわわっ!?」


「ウニャ~!!」


 マリナはなす術もなく下の部屋に落下してしまったが、猫ともども抜群の運動能力で着地する。


「……ふう、危なかった~。ん、あれ? ここって!!」 


 とりあえず一息吐いたマリナだったが、すぐに見覚えのある部屋に顔を青くした。

 ここは当主である祖父ウィリアムの執務室だったのだ。


「マ、マズイよ。お祖父ちゃんに見つかる前に猫を捕まえてさっさと出ないと……!!」


 焦ったマリナが猫を追いかけ始めるが、広い部屋を縦横無尽に逃げ回るのでなかなか捕獲できない。

 しかも追い回しているうちに部屋の中がしっちゃかめっちゃかになってしまう。


「ひええ!? これは見つかったらとんでもないことなるよ! ――いい加減にしなさーい!!」


 扉の前まで猫を追い詰めたマリナが乾坤一擲(けんこんいってき)のダイブで捕まえようとしたが、床を蹴った瞬間に扉が開いてその隙間から逃げていってしまったのだ。


「あ……」


 床に身を投げ出したままのマリナが恐る恐る見上げるとそこには祖父が静かに立っていた。


「……何をしている、マリナ?」


「あ、あのですね、お祖父様。これはやんちゃな猫を捕まえようと奮闘した結果でして、決してイタズラしていたわけではないんです、はい」


 マリナは脂汗を流しながら説明する。

 部屋の中には落下した天井の一部が破片となって散乱しており、机の上の書類もぐちゃぐちゃになっていた。

 まさに目を覆いたくなるような惨状だ。


「……マリナ、常々言い聞かせているはずだな。日頃の行動がいかに大切なのかということを」


「うあ……」


 祖父の諭すような言葉にマリナは固まってしまう。

 エーデルベルグ家に転生してからこれまで数々のイタズラを駆使してソラをはじめとした屋敷の人間たちを困らせてきたのだ。

 はっきり言って自分でも説得力がないと思う。


 そのまま硬直していると、祖父はゆっくりとマリナを立たせて言った。


「――さて。今日は私も仕事がなく時間の余裕がある。たっぷりと事情を聞かせてもらおうか。たっぷりと、な」


「――!? やっぱり、こうなるのーーー!?」


 笑顔だがこめかみがひくついている祖父を見て、マリナは涙目になりながら悲鳴を上げたのだった。



 ※※※



 数時間後。マリナは悄然としながら屋敷の廊下を歩いていた。


「――ひ、酷い目に遭ったよ……」

 

 結局、あれから執務室を滅茶苦茶にされた祖父の怒りが爆発して、マリナは午前中ずっと叱られるハメになり、現在は遅めの昼食を食堂で摂り終えたところであった。

 

「猫にはチョコを持ち逃げされるわ、お祖父ちゃんにも説教されるわ、散々な一日だよ……」


 当初は猫自体マリナがこっそりと屋敷に持ち込んだものと勘違いされていたのだ。

 必死に釈明した結果なんとか誤解は解けたものの、その後も部屋の掃除をやらされることになり心身ともに疲れ果ててしまった。

 ちなみに、天井にある通路は外壁にある外れかけの金網をしっかりと取り付け直し、二度と猫やらが出入りできないように補修工事がされるとのことだ。祖父曰く最近虫が頻繁に出没するのでおかしいと思っていたらしい。


「キュ……」


 服のポケットから顔を出したリスも心なしかやつれていた。

 ある意味一番の被害者である。


「はあ~。猫は遠くに行っちゃっただろうし、チョコも帰ってこないだろうね。くうう……! リス君、無念だよ……!」


 マリナがリスと手を取り合って涙をこらえていると、


「――こら~!! 待ちなさ~い!!」


 突然、外から聞き覚えのある大声が聞こえてきたのだ。


 思わず顔を見合わせるマリナとリス。


 急いで声が聞こえてきた現場に駆けつけると、そこには予想通りメアリーの姿があった。

 メイド服の裾をまくりながら猛然と何かを追いかけている。


「あ……! あれって!」 


 なんとメアリーの先にはあの三毛猫がいたのだ。

 しかも口にはまだ箱をくわえている。


「んもう! アンタって子は~~~!!」


「フニャア!!」 


 なにやら親しげな様子のメアリーと猫。

 その光景を見てマリナもピンときた。


「――ちょっと、メアリー!」


「あっ!! マリナお嬢様!?」


 マリナが駆け寄るとメアリーはイタズラが見つかった子供のような表情になる。


「もしかして、その泥棒猫は……」


「う!! ――す、すみません~!! あれは私が飼っている猫なんです~!」


「やっぱり!?」


 肩を落とすメアリーを見てマリナは脱力したが同時に納得したような気分にもなった。

 飼い主とペットは性格が似るものなのだ。


「実は一月程前に庭の片隅に迷い込んできたのを見つけたんですけど、餌をあげたらなついてしまって。それ以来お屋敷の近くまで時々来るようになったんです。でも、まさかお嬢様のお菓子を掻っ攫っていくなんて……。トリス様やミアから話を聞いたときは血の気が引きましたよ」


「……そういうことだったんだね。でも、今更責めたところで仕方ないし。それよりもチョコはまだ無事なんだから、取り戻すことを優先するよ」


「もちろん、この落とし前は必ず……!!」


 マリナたちは広大な庭に逃げ込んだ猫を追跡する。

 庭で作業していた使用人たちが突然の出来事に何事かと驚いていた。


「メアリー! 挟み込むよ!」


「了解!!」


 二人は両側から追い詰めようとしたが、諦めの悪い猫はひょいっと一本の木に飛び移って回避したのだ。

 

 すぐさまメアリーもよじ登って後を追う。


「こらっ、ミケ!! あれほど家の人間に迷惑をかけないよう言っておいたでしょうが!!」

 

 どうやらあの猫の名前はミケと言うらしい。そのまんまである。


「ミケ、観念しなさい!」


 とうとう枝の先っぽまで追い詰めたメアリーだったが、手を伸ばす寸前でミケは大ジャンプを見せて木から飛び降りたのだ。


「な、なんですって!? ――あ……ああ!?」


 平然と地面に着地した猫をメアリーは茫然と見送っていたが、枝の先で幹が細かったためにみしみしと不吉な音を立ててぽっきりと折れてしまった。

 体重の軽い猫ならともかく人間が乗れば当然の結果である。


 折れた枝を抱えたままメアリーは真っ逆さまに落っこちたが、さすがにメイドの中でも屈指の身体能力の持ち主だけあって上手に身体を入れ替えて降り立った。


 まさに猫並みのバランスだとマリナが感心していると背後から突然大きな叫び声が聞こえてきたのだった。


「――うおおおおおおおおお!? わ、儂が何年もかけて大事に育ててきた木があああ!! メアリー!! お前さん、何てことをしてくれとるんだあああ!!」


「あ、ゲンさん」


 マリナが背後を振り向くと、そこには頭を抱えている老人の姿が。

 長年、エーデルベルグ家の庭師として働いてくれているゲントであった。


「あ、あはは。ゲンさん、今は一刻を争うのでまた後で!」


 メアリーが笑いながら誤魔化すが、ゲントは折れた枝の前で意気消沈していてぴくりとも反応しなかった。まるでお通夜のような雰囲気である。


「……メアリー。いくらなんでもゲンさんが憐れだよ」


「あ、後で好物のせんべいを持参して謝りに行きます!!」


 とりあえずマリナたちはゲントを置いて追跡に戻る。

 彼には悪いが、メアリーの言うとおりこちらが優先だ。


 二人が全速力で後を追い、いくつもの生垣を乗り越えると、ようやく疾走する猫の姿が見えてきた。

 しかもその前方には庭を流れている川がある。


「これは好機です、お嬢様!」


「うん! ――って、リス君も手伝ってくれるの?」

 

 おもむろにリスがマリナの肩にまで登ってきて、小さな口に木の実を装填するように含んだのだ。

 あの必殺技、口から水鉄砲ならぬ木の実鉄砲で援護してくれるのだろう。


「――よ~し!! メアリーが右を! リス君は左をお願い! 完全に退路を塞いだら私が押さえるから!」


 作戦が決まったところで、前を走っていたミケが目前に川が立ちはだかったことで急ブレーキをかけた。


 このチャンスを逃すまいと、メアリーとリスが手はずどおり左右に展開して牽制する。

 三方向を塞がれて逃げ場に窮するミケ。


「――もらったああああああ!!」


 動きの止まった猫目掛けてジャンプするマリナ。


「フニャアアアッ!?」


「捕まえたよっ!!」


 がっちりとイタズラ猫の胴体をキャッチしてマリナは会心の笑みを浮かべたが、最後に不幸な出来事が待っていた。

 長時間猫がくわえたまま走り回っていたので箱にガタがきていたのである。


「あーーー!?」


 マリナの目の前で箱が破れ中身のチョコが空中に投げ出されたかと思うと、そのまま黒い宝石たちはきらきらと輝きながら無情にも川の中へと落っこちていったのだった。



 ※※※



 午前中から始まった猫の追跡劇が終了して一時間ほどが経った頃。

 これまで猫が盗んだものを溜め込んでいた隠し場所を発見したマリナたちはそれらを回収して玄関先まで戻っていた。


「よくもこれだけの数を隠し持っていたのものですね……」 


 駆けつけたミアが呆れた風に回収したブツたちを見下ろした。

 そこには靴やら傘やら数々の生活用品が大量に積まれていたのだ。中には庭師が使う道具まで含まれていた。


「近頃、よく道具が無くなるとは思っていたが……」


 ゲントが眉間を押さえながら言う。

 まだショックから立ち直れずにいるようだがそれはマリナも同じである。


「キュウ……」


 マリナの肩でリスが申し訳なさそうに鳴いた。

 彼女は隠し場所から横取りされた木の実を取り戻していたが、場がどんよりとしているので露骨に喜べないようだった。 


「――うう。本当にすみませ~ん。……その、マリナお嬢様。やっぱり弁償しなきゃですよね」


「当然でしょう。ご迷惑をかけたのですからきちんと筋は通さないと。それに、これらを持ち主に返さなければ」


 ぴしゃりとミアが答えると、先程から謝りっぱなしのメアリーとミケは揃ってうなだれた。

 チョコを弁償となるとメアリーの今月の給料が吹き飛ぶのは確実である。


「……いいよ、メアリー。残念だけど今回は縁がなかってことだよ。ただ、ゲンさんにはちゃんとお詫びのせんべいを買ってあげてね」


「マ、マリナお嬢様。ありがとうございます~!!」


 マリナがそう言うと、メアリーは目に涙を浮かべて膝をついたのだった。

 

(ま、仕方ないよね。さすがにお給料なしは可哀相だし)


 それに普段から何だかんだでメアリーにはお世話になっているので今回は許してあげることにしたのだ。


 しかし、楽しみにしていた分やはり失望も大きい。


 マリナが心の中で溜息を吐いていると、学校を終えたソラが馬車に乗って戻ってきた。


「ただいまー……って、何この集団。それに空気が重いような……」


 執事のジーナスに手を引かれて降りてきたソラはマリナたちを見て微妙に引いていた。

 事情を知らない人間からすれば謎すぎる光景だろう。


 とはいえマリナも一から話す気力はなかったのでそのまま黙り込んでいると、姉は鞄から何かを取り出してこちらに差し出してきた。

 どこか見覚えのある小さな箱を。


「こ、これって……」


「帰る途中にマリナが贔屓(ひいき)にしてるミシェル・ルーに寄ってきたんだけど、そのとき店主から試作品をタダで貰ったんだよ。何でも新作のショコラだとかで、前のよりも出来がいい自信作らしいよ。良かったね。普段から通い詰めてる常連だから一足早く味わうことができるんだよ」


 マリナは茫然と箱を見つめながら姉の説明を聞いていたが、急激に心が湧き上がってくるのを感じた。


「お、お……」


「……お?」


 身体を震わせて意味不明な言葉を呟く妹を見てソラが怪訝な表情をしたが、思わぬサプライズを受けたマリナの喜びが一気に爆発した。


「――お姉ちゃんっ!! 最っ高だよーーー!!」


「わっ!! ちょ、急に何なの!?」


 マリナがもの凄い勢いで姉に抱きつくと、いまいち状況が分かっていないソラは目を白黒させたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ