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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと武術大会
75/132

第9話

「大丈夫? ソフィア」


「は、はい。なんとか……」


 ソラは隣に座っている不幸なメイドことソフィアが落ち着いてきたことに安堵した。

 彼女も猿轡さるぐつわだけは外すことが許されたのでようやく一息吐いたようだ。

 もっとも、何人ものおっかない男たちから囲まれている状態なので萎縮したままだったが。


 現在、決勝戦を前に捕縛されたソラはソフィアとともに馬車に詰め込まれてどこかへと連れ去られている最中であった。

 どうやら街を出たようだが、かなりのスピードが出て揺れるので正直お尻が痛い。


「それじゃあ、いきなり拉致されたってこと?」


「そうなんです。闘技場で姫様の昼食の用意を手伝っていたんですけど……廊下を歩いているときに突然背後から布袋みたいなものを被せられて……」


 ソラの問いに悄然としながら頷くソフィア。

 視界を封じられてからは身体ごと袋に詰められ、訳の分からないままに馬車まで連れて行かれたのだそうだ。

 先程、顔を合わせた際に涙目で震えていたが当然だろう。相当な恐怖だったに違いない。


 ソラは外の景色が一切見えない閉塞的な馬車内へと視線を向ける。

 大型の幌馬車には中央にソラとソフィアが並んで座らされており、その周囲を男たちが取り囲むように座っていた。

 誰もが鋭利なナイフのごとき剣呑な眼光をしている。あきらかにカタギの人間ではない。


(でも、傭兵とは違う気もするな)


 ソラは男たちを観察していて思う。

 日常的に暴力を行使している者特有の気配を感じるが、今もソラたちを見張りつつ互いに軽口を叩いており、中には行きつけの店の姉ちゃんがどうだのとどうでもいい会話をしている人間もいるのだ。

 長年冒険者として世界中を回っている祖母から聞いた話だと、本物の傭兵というのは黙々と仕事を完遂するプロフェッショナルなのだそうだが、彼らからはそんな雰囲気を感じない。

 かと言ってホルホイ大臣邸にいた警備兵とも違う。


 おそらく、大臣親子が別に雇っている荒事専門の私兵たちだろうとソラが推測していると、一度御者台へと引っ込んだナスリムが酒ビン片手にまたやってきた。


「――よお。旅は楽しんでるか~? 荒れてて乗り心地は悪いだろうけどな」


「……何でソフィアを人質に使ったんですか? 彼女はサーシャ姫の従者です。いくら背後にムスタフがいるとはいえ、あなたたちもタダではすみませんよ」


 ソラが質問に質問で返すと、ナスリムは肩をすくめたが、すぐに口を開く。


「問題はねえよ。なぜなら俺たちは最後の仕事をすませたらそのまま国外にトンズラするからな。もうこの国に戻ることはねえから、お尋ね者になっても構わないのさ。それに、当分は遊んで暮らせるほどの報酬ももう貰ってるしな」


 ナスリムが饒舌に語るところによると、ここにいる連中は元々スネに傷を持つ犯罪者たちばかりなのだそうだ。大臣親子が裏方の処理をさせるために国内外から密かに集めたらしい。

 親衛隊を暴力沙汰でクビになったナスリムもそうやって拾われたのだろう。

 どうりで人相がやたらと悪いヤツらばかりだったわけである。

 

「本当はお前が仮宿にしてる店のババアを人質に使う予定だったんだが、今朝から探し回っても見つかりゃしねえから、仕方なくそこのメイドをさらったんだよ。この国でも数少ない顔見知りみてえだからな」


 頬に傷を持つ元親衛隊隊士はソラのもうひとつの疑問にも答えた。

 オリガの身は無事だったようで安心したが、とばっちりを受けたソフィアには申し訳なく思う。 


 だが、ほとんど接点のないソフィアを誘拐してまでソラを排除しようとするとは、ムスタフの形振り構わない行動は予想以上である。 

 買収を断ったときに見せた恨みのこもった忠告から何かを仕掛けてくるとは思っていたのだが。

 

「……それで、僕らをどうするつもりですか? ソフィアだけでも解放してほしいんですけど。もう人質は必要ないはず」


「お前らは決勝戦が始まる時刻まで俺らと一緒にいてもらうぜ。その後は街から離れた適当な場所で降ろしてやる。お前が魔導士だってことも知ってるからな、もし魔導を使おうとしたらメイドを殺すぜ。――おい。しっかりと見張ってろよ。お前しか魔導紋とやらを視認できないんだからな」


 ナスリムはソラたちの近くに座っていたローブ姿の男に声をかけてから御者台へと去っていった。

 ひとり毛並みが違う人間がいると思っていたがやはり魔導士だったらしい。

 昨晩の侵入劇からソラが魔導を扱うことはバレているのでその対策のための人物のようだ。


 その魔導士は顔色の悪い典型的な研究者タイプであった。

 ローブの影から暗い瞳をこちらへと向けてきており、しかも時折不気味な笑みを見せるので、ソフィアが怖がってソラの服を掴んでいる。

 この男も裏社会で生きている者なのだろう。


(……それにしても、まずいな)


 ソラは魔導士から目を逸らして考え込む。

 去り際のナスリムの言葉。

 いずれソラたちを解放すると言っていたが、普通に考えれば生かしておく必要などなく、むしろ邪魔でしかないのだ。

 ムスタフの性格からしても二人揃って殺すつもりだろう。 

 

 もちろん、師匠やサーシャとの約束も果たせないまま殺されるつもりはないし、巻き込んでしまったソフィアも助けてみせる。

 故郷では家族たちも待っているのだ。


 武器をチラつかせる男たちの真ん中でソラは神経を集中させながら脳内で打開策を練るのだった。



 ※※※



 しばらくして、ようやく馬車が停止した。

 ソラとソフィアが手に縄をつけられたまま降ろされると、そこは広大なゴルモア高原の真っ只中であった。

 街道から外れたところで、周辺に目を向けるが人や町の影も全く見えない。

 ダルハンから相当離れた場所まで走ってきたようだ。


「――さてと。最後のお仕事を開始するか」


 ソフィアを無理矢理引き寄せたナスリムが薄ら笑いを浮かべ、男たちがソラを取り囲むように位置取った。 

 ただならぬ雰囲気にメイド少女は顔を引きつらせている。二人がどういう運命を辿るのか察したのだろう。


「ク、クウヤさん」


 怯えた声を出す少女に、ソラは静かにしているよう目線で促す。

 パニック寸前だろうが、ここで下手に暴れたりしてもらっては面倒だ。


「悪いが、お前を確実に始末するよう言われてる。……逆らったら、分かるな?」


 ナスリムがソフィアの細い首にカトラスを突きつけ、メイド少女はひっと息を呑んだ。


 睨みつけるソラの背後には男のひとりが剣を抜き放ちながら立った。

 ギラリと太陽の光を反射した剣を頭上高くに掲げる様は処刑人のようである。

 このまま首を落とすつもりなのだろう。


「じゃあな、クソ餓鬼。色々と邪魔した報いだ。――やれ」


 余裕たっぷりにナスリムが命令し、剣が振り下ろされようとした直前で、


「!?」


 この集団でただひとり魔導士の男だけが顔色を変えて声を出そうとしたが、それよりも早くにソラは行動を開始した。


 剣が頭上に落ちてくるのと同時にソラは一歩だけ前進して避けたのだ。

 ギリギリのタイミングを狙っていたので、剣先が頭に被っていたターバン風の布にかすったが、気にせず超高速で構築していた魔導を発動する。


「――<火炎弾フレア・ボム>」


「うおっ!?」


 威力は考えず構築速度を最優先された極小の魔導は一目散にナスリムまで飛んでいき、カトラスを持っていた手の甲にぶち当たった。

 その手から武器が滑り落ちてソフィアが自由になる。

 大したダメージではないが、しばらくは手が痺れたままだろう。


 電光石火の出来事に取り囲んでいた男たちが動揺し、歩きかけていたソラはその隙を見逃すことなく<火>属性の魔導で手首の縄を焼き切ると、一気にギアを上げてソフィアの元へと向かった。

 先程の攻撃の影響からか頭の布が落ちて白い髪が空中になびく。


「こ、こいつ!? おい!! どいていろ!!」


 魔導士の男は射線上に位置する男たちに警告すると、ソラに向かって魔導を発動しようとした。


 しかし、その動きを読んでいたソラは走りながら用意していた対抗魔導を放つ。

 指向性の特殊な波が広がり、男の描いた魔導紋は不恰好に歪み消滅した。


「これは、<妨害ジャミング>!?」


 驚きの声を聞きつつ、ソラはいまだ手を押さえたままのナスリムへと肉薄する。


「お、お前……っ!!」


 ナスリムが無事な方の手で殴りかかってくるが、ソラはあっさりと避けて懐に潜り込んだ。  

 至近距離で二人の視線がかち合うと、男は恐怖に顔を引きつらせた。

 怒りを宿したソラの瞳を直視したからだろう。


「ま、待て――」


 何か言いかけたナスリムを無視してソラが思いっきり拳を振り上げると、顎を砕かれた男は背中から地面へと倒れて気絶したのだった。


「ク、クウヤさん」


「もう大丈夫」


 頭を抱えてうずくまっていたソフィアは目前のソラを茫洋と見ていた。

 死への恐怖と突然の展開に放心状態になっているようだが、今はまだこのままでいてもらおうとソラは思う。まだ後始末が残っているのだから。


「ナスリムがやられたぞ!!」


「いいからガキどもを囲め!! 魔導士だろうがこれだけの数で一気にかかれば対抗できねえはずだ!!」


 男たちが口々に叫んで全方位から襲い掛かってくるが、余裕を持って周囲に張っていたソラの結界にあえなく阻まれる。

 強固な壁に勢いよく武器を打ち付けたようなものなので、皆一様に顔をしかめて武器を取り落とした。


 ひとり突っ立っていた魔導士の男が茫然と呟いている。


「……初級とはいえ、あれほどの速度で魔導を構築できるなんて、何者だ? それに、あんな少女が<妨害ジャミング>なんて高度な魔導を行使するなんて……」


 一度に決着をつけるべくソラが<多重制御>で新たな魔導の準備をしていると、魔導士の男が何かに気づいたような表情をした。


「ま、待てよ! その白い髪には見覚えがあるぞ! まさか、エーデルベルグ家の姫か!? なぜ、こんな所に――!?」


「<火炎散弾フレアショット>」


 男が言い終わる前に魔導を解き放つと、周囲にばらまかれた無数の炎弾は男たちをひとり残らず打ちのめしたのだった。

 少しばかり焦げて痙攣しているが命に別状はないはずだ。

 むしろ、犯罪者相手にこの程度で済ませたのだから感謝してほしいくらいである。


 とりあえず危機を脱したソラはソフィアを立ち上がらせてから倒れたままの男たちを見回す。


「ソフィア。馬車の中から縄を持ってきてくれないかな。こいつらをこのまま放っておくわけにはいかないし」


「は、はい。分かりました。――って、ちょ、ちょっと待ってください!! クウヤさん、もしかして……お、女の方だったんですか!? エーデルベルグの姫とか呼ばれてましたけど!?」


 はじめは素直に頷いていたソフィアだったが、ようやく正気を取り戻したようで怒涛の勢いで突っ込んできた。

 

 ソラは肩に垂れている己の髪を眺めながら、今更ながらに頭の布が取れていたことに気付く。

 あの魔導士の男がソラのことを知っているのは意外だったが、どうやらエレミア出身だったらしい。

 魔導大国たるエレミアからは毎年のように犯罪や禁忌を犯して逃亡する魔導士が出てくるので、あの男もそのひとりだったのだと思われる。


 とはいえ、時間がないのでソラは興奮気味のメイド少女を抑える。


「あとで説明するから。それより急がないと。できれば、こいつらを誰かに預けられればいいんだけど」


「そ、そうですね。でも、そんな都合よく人が通るかどうか……」


 高原のど真ん中で問答をしていても仕方ないと思ったのか、ソフィアも辺りを見渡すがすぐに途方に暮れてしまう。

 なんせ、三百六十度、草原と山しか見えないのだ。

 どこかからとびの呑気な鳴き声が聞こえてくる。


 ソラも周辺を観察していたが、ふと遠くに見える特徴的な山に目を留めた。


「……あれって、師匠が教えてくれたボグド山か。あの方向にあるってことは、もしかしたら……。ソフィア、何とかなるかも!!」


「きゅ、急にどうしたんですか?」 


 ソラは目を白黒させるソフィアを引っ張りながら馬車へと駆け出すのだった。






「――では、その集落がこちらにあるんですね?」


「うん。たぶんね。以前寄ったときに師匠が教えてくれたんだけど。それが正しければ、この近くに移動してるはずなんだ」


 ソラとソフィアは馬車を操作してある方角へ向かっていた。

 気絶した男たちは縄でしっかりと縛り、苦労しながらも二人で馬車へと詰め込んである。


 しばらく高原を進むと、前方に見覚えのある集落が見えてきた。


「ありましたね!」

 

 弾んだ声を出すソフィアにソラも胸を撫で下ろしながら頷く。

 あそこはゴルモアに到着してすぐに立ち寄った、クオンの知り合いが長を務める集落であった。

 この時期はちょうど放牧シーズンであり、短期間で移動することとその大まかなルートを師から教わっていたのだ。

 地元の人間も目印として使っているボグド山から方角と位置を特定したのである。


(つい三日前のことなんけど……この数日色々ありすぎて、随分昔のことのようだよ)


 懐かしささえ感じつつソラが馬車を集落のそばまで近づけると、ひとりの少年が犬とともに数頭のヤギたちを追い立てているのが見えた。


「お前ら! そっちじゃないって! 時間までに柵に入れないと俺がじいちゃんから怒られるんだからな!」


「メエエエッ~~~!!」


 少年は苦労しながらヤギを追い掛け回していたが、犬の吠え立てる声で近づいてくるソラたちに気付いたようだった。


「……あれ? お前は確か、クオンさんと一緒にいた……」


「お久しぶり。この前分けてもらったチーズ、とても美味しかったよ。……ところで、長を呼んでもらえるかな?」


 ソラは三日ぶりに再会した少年に笑顔で話しかけたのだった。






「――それじゃあ、あとはお願いします」


「うむ。任せておきなさい。クオン殿のお弟子さんの頼みとあれば喜んで引き受けよう」


 ヤギのような髭を生やした集落の長は事情を聞いた後にソフィアの保護と捕縛した男たちの監視とを快く請け負ってくれたのだった。

 これで、あとは急いでダルハンへと引き返して決勝に間に合わせるだけである。


「……それにしても、あんたが武術大会に出場してたなんてな。でも、女なのに出られるなんて、姉貴みたいな実績を持ってるってことなのか。クオンさんの弟子だもんな」


 ひとり納得したように頷く少年。

 先程聞いたのだが、驚いたことにこの少年がシーダの言っていた弟で、長が祖父だと判明したのである。当然、幼馴染と言っていたアスベルとも顔見知りだ。

 まことに世間とは狭いものだとソラは新しく貰った布を頭に巻きつけながら思う。


「アスベルの兄貴が準々決勝で敗れたことは聞いてたけど、姉貴も準決勝で負けたのか。しかも、クオンさんの弟子に。おかしな縁もあったものだよなあ」


 少年もソラの考えていたことと同じような感想を漏らすが、その隣でソフィアが慌てたような声を出す。


「で、でも、クウヤさん!! どうやって、ダルハンまで戻るつもりですか? もう時間がほとんどないですよ!!」


「そうだな。うちの馬を全力で走らせても間に合わないぜ」


 二人が心配そうな表情で見てくるが、ソラは問題ないとばかりに首を振る。


「大丈夫。間に合わせるよ。なんせ僕は馬よりも速く飛べるからね」

 

 そう言って、笑ってみせたのだった。 



 ※※※



 ダルハン闘技場。決勝開始時刻。 

 会場は困惑の入り混じったざわめきに包まれていた。

 リングの上にはバルカがひとり静かに佇んでいるのみ。


「クウヤ・ナルカミはまだ来ないのか」


「はっ! いまだ控え室に姿を現しません!」


 闘技場の中で最も高い場所に設けられたVIP席にて、ゴルモア国王アナディンの呼びかけに係りの兵士が直立不動で答える様をサーシャは不安な気持ちで見ていた。


(……クーヤ、ソフィア)

 

 サーシャはスカートをぎゅっと握る。

 もしかして、あの二人に何かがあったのではないかと嫌な予感ばかりが湧き上がってくる。

 従者たちに探させてはいるが、二人とも影も形もないのだ。

 クウヤが泊り込んでいたジャルガム商会はもぬけの殻で、昼食の準備をしていたソフィアも煙のように消えてしまった。

 これで心配しない方がおかしいだろう。


 サーシャが身も切るような思いをしていると、近くに座っていた青年が声をかけてきた。


「――姫。ご気分が悪いようですが、一度退席してお休みになられた方がよいのではないですか? どうも、あの少年は現れそうもありませんし、優勝はもう決まったようなものですから」


「ムスタフ……」


 余裕の笑みでこちらの顔を覗き込んでくる従弟を見てサーシャは悟る。 


「あなたが何かしたの? 二人をどこへやったの!!」


「落ち着いてください、サーシャ姫。私が知る由もないでしょう」


「……その通りです。息子はただ姫の身を案じただけですよ。それよりも民が見ております。ご自重くださいませ」


 激昂して席から立ち上がったサーシャを大臣親子がなだめるが、


(なにを白々しいことを!!)


 と、胸の内でサーシャは吐き捨てた。

 間違いなくこの親子の策略で二人はいなくなってしまったのだ。

 自分の望みを叶えるためなら手段を選ばない人間たち。同じ王族であることが恥ずかしくなる。


「あの年齢で大した実力ですが、まだ少年ですからね。決勝を前に怖気づいて逃げ出したのかもしれません」


「……クーヤは逃げたりなんかしない! 私と約束したんだから!」


「しかし、現実として彼はこの場にいないでしょう。つまりはそういうことですよ」


 サーシャが余裕を崩さないムスタフを睨みつけていると、父であるアナディン王が割り込んできた。


「サーシャ。先程から何を騒いでいる。静かにしないか」


「……お父様!! きっと、彼らがクーヤたちを……!!」


「――サーシャ。みっともない真似はおよしなさい」


 サーシャが父に陳情しようとすると、隣に座っていた母――第二王妃サラが遮るように口を開いた。


「で、でも……!!」


「……もし、あなたがその方を信じているというのなら、最後まで信じなさい」


「お、お母様……」


 静かな口調ながらも有無を言わさぬ雰囲気の母にサーシャは口ごもった。


 そのやり取りを横目で見ていたアナディン王が椅子に肘をつきながら唸る。


「……だが、もう予定時刻を過ぎているな。これ以上待つわけには……」


「兄上。どんな事情があるにせよ、伝統ある武術大会の決勝戦に遅れるなど言語道断です。大会の最後が不戦勝というのも締まりませんが、そろそろ決断されるべきかと」


「父上の言う通りです、陛下。民もいい加減待ちくたびれてしまいます」


 ホルホイ大臣とムスタフが王に決断を迫る。


「も、もう少しだけ待ってください、お父様!! クーヤは必ず来ますから……!!」


 少しでも時間を稼ごうとサーシャが慌てて父に駆け寄ろうとしたときだった。

 会場から突然大きな歓声が沸き起こったのだ。


「あ……!!」


 何事かと振り返ったサーシャは視線の先に待ち焦がれた人物の姿を見つけて顔を輝かせた。


「なぜ、あいつが……!!」

 

 笑顔の消えたムスタフが険しい顔で眼下を見下ろす。

 

 やかましい程の歓声を浴びながらリングへと歩いてくる凛々しい少年拳士。

 クウヤ・ナルカミが決勝の舞台に立ったのだった。

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