第8話
予定ではもう少し早く投稿するはずだったのですが……大変遅くなって申し訳ないです。
サーシャと共にホルホイ大臣邸に忍び込んだ翌朝。
闘技場の控え室にて、ソラはやや拍子抜けしたように座っていた。
昨日、一部とはいえバルカに顔を見られたので、最悪闘技場に到着した途端に捕縛されるかもと覚悟していたのだが何のリアクションもなかったのだ。
(……僕のような子供などどうにでもなると思っているのか、それとも……)
いざとなれば、忍び込んだ証拠などないとシラを切り通そうと思っていたのだが、余計な心配だったらしい。
一応、昨夜のことはオリガに伝えてある。本格的に彼女とお店に迷惑がかかる恐れが出てきたからだ。
ソラが一通り話すと、さすがに驚いていたが、
『……分かったよ。でも、私の心配はしないでいいよ。自分の面倒くらいは見られるからね。それよりも、ソラちゃんは自分の身の回りのことに気をつけるんだよ』
と、頼もしい笑顔を浮かべて言ってくれたのだった。
例によってクオンとボヤンは不在だったが、なんとか連絡を取ってくれるとのことである。
あの二人に相談できればソラとしてもかなり助かるのだが、とりあえず最後まで警戒を緩めないように気張らなければらならない。
予定では、今日の午前中に準決勝、お昼をはさんで午後に決勝が行われる。
四日間にわたって繰り広げられた武術大会もとうとう決着を迎えるのだ。
優勝者は歴史ある大会にその名を刻み、多額の賞金と王女サーシャを得られる。
(絶対にムスタフなんかには渡さない)
ソラが窓からリングを見据えていると、
「――おはよう。随分気合が入っているね。その方があたしも嬉しいけど」
「シーダさん。おはようございます」
背後からシーダが手を上げながら挨拶してきたのでソラも立ち上がって返した。
「アスベルさんは完全に回復したようですね」
「さっき顔を合わせたけどぴんぴんしてたよ。昨日のあれは本当に何だったんだろうね」
シーダはやれやれと首を振るが、ソラはふと含むように笑って、
「でも、シーダさんも幼馴染のアスベルさんをかなり心配していたから、問題がなくて良かったですよ」
「……うぐっ。君もけっこう言うじゃないか」
頬を赤くしながら軽く睨んでくるシーダ。
これまで何度もからかわれ、サーシャの不意打ちの原因ともなったので、ちょっとしたお返しである。
決まり悪そうにしていたシーダだったが、ひとつ咳をついてから獰猛な笑みを浮かべた。
「それはそれとして……ようやくだね」
「はい」
アスベルは敗退してしまったが、受付で出会ったときから最大のライバルになるだろうと予感していた相手とついに対戦するのだ。
女性ながらこれまで全ての試合を圧倒して勝ち上がってきた弓の名手。
オリガに聞いた話だと、ゴルモアの伝統的な弓術大会における初の女性優勝者らしい。
シーダは言う。
「私はね、いまだに外で戦うのは男の仕事なんていう旧態依然とした考えを変えていきたいと思ってるんだよ。世界は常に変化してる。大昔のようにただ馬に乗って暴れ回っていればいい時代じゃないんだ。男女がどうとかじゃなく能力や適正で決めるべきだと。でないと技術をいかに取り込んでもゴルモアは世界から取り残されていくだろうね」
だから、弓術大会でなみいる男たちを倒して優勝し、今回の武術大会にも出たのだと語った。
ゴルモアに新しい風を吹かせるためなのだと。
実に彼女らしい考えだとソラは思った。
一度根付いた考えを変えるのは容易なことではないが、それに挑戦しようというのだから。
しかし――
「僕も負けるわけにはいきません。大事な人たちと約束しましたから」
「ふふ。みたいだね。今まで見た中で一番いい顔してるもの」
二人で向き合っていると、係りの兵士がリングに上がるよう声をかけてきた。
いよいよ試合開始だ。
控え室から外に出た二人に耳をつんざくような歓声が降ってくる。
ソラのような異色の少年拳士と知名度の高いシーダとの一戦は今大会で最大の盛り上がりを見せていた。
二人がリングに上がると、中央に立っていたスキンヘッドの審判――チチグが器用にウインクしてくる。
まるで、『二人とも頑張ってね』とでも言ってるようだ。
ソラとシーダが開始位置でそれぞれ構えるのを確認すると、チチグは勢いよく手を振り下ろした。
「それでは――はじめっ!!」
一際大きくなった歓声とともにシーダがさっそく動いた。
素早く矢を番えて連続で放ちながらいったん後方に下がる。準々決勝でも見せた動きだ。
弓矢という飛び道具を考えれば至極当然の戦法である。
「――っ!!」
正確無比に向かってくる矢をソラは身体を捻って避ける。
移動しながらもほとんどぶれることなく綺麗な軌道を描いて飛んでくるのだ。まったくもって大したものである。
近接戦闘主体の自分が有効打を与えるには懐に飛び込まねばならないので、開始時点でできるだけ距離を詰めておきたいと考えていたのだが、その作戦はもろくも崩れ去った。
次々と飛来してくる矢を避けるので精一杯なのだ。
とはいえ、そんなことができるのなら過去の対戦相手たちも苦労はしていないだろうが。
しばらくの間、シーダの怒涛の攻撃が続いた。
黒髪を後ろでひとくくりに縛り、リング上を軽快に疾走するその姿はまるで黒ヒョウのようだ。
先の試合でもそうだったが、見惚れてしまいそうなほどしなやかな動きである。
(けど、間を詰めないことには話にならないし!)
このまま受身に徹するだけでは埒が明かないとソラは勇気を持って一歩を踏み出した。
高速で放たれる矢は厄介であるものの、直線的な動きでしかないのも事実。
しっかりと見極めれば避けられないほどではない。
それに、当初こそ距離を取るために連射していたが、徐々に手数を減らしてきている。
持てる数には限度があるのだから、いずれ矢が尽きるのは自明の理だ。
事実、シーダは第二段階へと移行していた。
十分な距離を稼いだ現在は、矢を節約するためにリングを走り回りながら小刻みに矢を撃って牽制してきている。
隙を探しつつも相手を疲労させるのだ。体力的にも精神的にも。
そして、ここぞというときに強烈な一撃を加えて勝負を決めてくるのだ。
その姿はまさに狩人そのものであった。
ソラは弓使いをコーナーに追い詰めようと巧みに位置を調節しながら接近しようと試みる。
しかし、一気に駆け出そうとした瞬間、狙いすましたように弓が足元に飛んできてたので慌てて横っ飛びで避けた。
「物心つく前から獲物を狩る生活をしてるからね。なんとなく相手の動きや考えが分かるんだよ」
シーダは話しかけながらも体勢の崩れたソラ目掛けて容赦なく矢を放つ。
片腕で側転しながら必死に避けるが、その間にシーダは再び間合いを大きく取ることに成功していた。
「それにしても感心するよ。武器や盾も持たずにここまで粘るなんてね。体力も申し分ないし」
「そ、それはどうも」
なんとか一連の攻撃を凌ぎきったソラは慌てて態勢を立て直す。
先程はかなり危ないところだった。
出鼻をくじかれて動揺しているときに、ソラの太腿をかすめるように矢が二本同時に通過していったのだ。
もし、貫通していたら戦闘不能になっていただろう。今でも冷や汗が止まらない。
「……でも、僕がこのまま避け続けていれば、シーダさんの矢は底を突きますよ」
「だろうね。これも時間稼ぎにしかならないし」
シーダは笑いながら足元に落ちていた矢を拾い上げ、背中にくくりつけられた矢筒へと無造作に放り込む。
余裕を失わないその様子にソラが眉根を寄せていると、シーダはふいに笑いの種類を変えた。
凄みのある肉食獣のような笑みへと。
「君のことを高く評価していたつもりだけど、それでもまだあたしの見立てが甘かったようだね。……だから、そろそろ本気を出すことにするよ」
「!」
思わず背中に冷たいものが走るソラを見据えシーダは弓を優雅にセットした。
ギリギリギリとこちらまで弦を引く音が聞こえてくる。
やはり相当重い弓を使っているようだ。
女性とは思えないような鍛え抜かれた腕をしていたのも納得である。
ソラが身構えていると、射撃体勢に入ったシーダが口を開いた。
「これまでも避けるのが上手な、あるいは戦術として組み込んでくる奴はいた。大盾を持って徹底的に防御してくる人間とかね。そのための技だよ」
言い終わるや否や、シーダの放つ矢が鋭く空を裂きながらソラへと向かってきた。
これまでと変わらない攻撃にソラは一瞬いぶかしんだもののすぐに回避行動へと入る。
余裕を持って矢の軌道から身体を退避させたと思った瞬間。
飛来する矢が急激に曲がり、コースを変えながらソラに襲い掛かってきたのだ。
「――っ!?」
驚愕しつつも咄嗟に地面に伏せて事なきを得た。
避けられたのは幸運以外の何ものでもなかったが、二の腕を浅く切り裂かれ、ソラは痛みに顔をしかめる。
「やるね。この大会で見せたのは初めてだったんだけど。初見で避けられる人間はそういないと思うよ」
シーダの賞賛の声を聞きつつもソラはいまだ驚きを隠せない。
なにせ、矢の軌道を途中で変更するというとんでもない技を駆使してきたのだ。
おそらく、矢のしなりを利用しているのだろうが、おそるべき技術である。
会場も絶技を目の当たりにしてざわめいているようだ。
「……さあ。どんどん行くよ」
『弓聖』の称号を持つ女弓使いが本格的に牙を剝き始める。
「――くっ!!」
上下左右。自由自在に変化する一撃にソラは翻弄される。
もはや勘で攻撃を避けるほかない。
だが、動きを読む能力も卓越しているシーダは高確率でソラの避ける方向を狙い撃ってくる。
しかも、それに加えて――
「うそっ!?」
同時に放たれた二本の矢がそれぞれ別軌道で変化してきたのだ。
一本はかわしたものの、もう一本がソラの肩をかすめ血が滲む。
(は、反則でしょうが!! これ!!)
ソラは内心で悲鳴を上げる。
一本でも厄介なのに、複数ともなれば逃げられる方向が更に制限されてしまう。
もはや被弾するのも時間の問題だ。
しばらく薄氷を踏むようなギリギリの攻防が繰り広げられ、ソラは致命傷こそ避けれたものの身体のあちこちが傷つき出血していた。
「……打つ手がないなら、降参するのもひとつの手だよ。悔しいだろうけどね」
一度、シーダが矢を打つ手を止めて問いかけてくるが、ソラは上がった息を整えながら微笑む。
「お手上げです、と言いたいところなんですけど、実は僕もまだ本気を出していません」
「……へえ」
本来ならハッタリだと思うのが普通だろうが、シーダは疑うような素振りを見せずに面白そうに笑ったのだった。
「それなら見せてもらおうか。君の本気を」
「はい」
ソラは一気に同調率の範囲をリング全体にまで広げる。
普段は制御や疲労度の関係もあり己の周囲だけなのだが、遠距離攻撃を読み切るには仕方ない。
精神的な負担が一気に大きくなるので、蓄積ダメージも考えれば次の攻防で勝負を決める必要がある。
「――それじゃあ、再開するよ!!」
こちらの準備が整ったことを悟ったのか、シーダが再び矢を放ってきた。
どう動くか分からない魔弓とでも呼ぶべき一撃。
二本同時に飛んできた矢をソラは完全に見切ってみせた。
「!」
シーダがわずかに目を見開く。
しかし、一度ならまぐれとも考えられる。
すぐに気を取り直したらしいシーダは素早く矢を装填して攻撃を再開したが、ソラはまたもそこしかないという空間に逃げ込んだ。
「これは……!!」
今度こそ驚愕の表情を見せるシーダを尻目に、ソラはゆっくりと隅に追い込むように歩み寄る。
一気に形勢逆転となったからか、客席から降ってくる歓声が大きくなる中、ソラは悠然と歩きながらもシーダの変幻自在に飛んでくる矢のカラクリを完全に理解していた。
(どうも、矢のしなりに加えて羽根にも少し細工してるようだね)
本来、矢についている羽根は真っ直ぐに飛ばすためのものだが、その部分をわずかにいじくることで軌道を変化させているらしい。
それを計算に入れつつ、自分の望みどおりの位置に飛ばすのはやはり凄い技術だろう。
いつの間にか二人の距離は数メートルにまで縮まっていた。
もう少しでソラの間合いに入ると思った瞬間、シーダが駆け出そうと足に力を込める気配を察知する。
『!!』
同時に地面を蹴る二人。
シーダが駆け出しながら一撃を放つが、至近距離の攻撃をソラは身体の軸をわずかに傾けるだけでかわしてみせた。
そして、とうとうリングの端をなぞるように疾走する弓使いを攻撃圏内に収める。
(捉えた!!)
近づいてしまいさえすれば飛び道具など恐れるに足らず。
こちらも余裕はあまりないのだ。
ここで必ず決めねばならない。
走りながらソラは渾身の突きを繰り出すが、
「――甘いよ!!」
「っ!!」
拳が入ると思った瞬間、シーダは強引に身体を捻って避け、弓弭と呼ばれる弓の先端を槍のように突き出してきたのだ。
しかし、その動きを寸前に察知していたソラはぎりぎりで回避する。
鋭い一閃が脇腹を際どく通り抜けていくが、おかまいなしにおもいきり踏み込んだ。
『――――!!』
そのまま交錯した二人はぴたりと動きを止める。
しばらくして、シーダが声をかけてきた。
「……まいったね。奥の手をああも避けてくるなんて。私の爺様なみの超人的な読みだよ」
苦笑するシーダの胴にはソラの拳がスレスレの位置で静止していたのだ。
「あんたの勝ちだよ。クウヤ」
シーダは突き出したままの弓を下げて敗北を認めたのだった。
※※※
ソラが決勝進出を決めた後は予定通り準決勝第二試合が行われた。
ムスタフの代理人バルカと北大陸出身の拳士ザックスとの対決である。
試合は全身鎧に身を固めたバルカの周囲をザックスが軽快なフットワークで回り込み隙を窺うという展開で始まった。アスベル戦のときと同じような流れである。
長大な槍を駆使するバルカに対しては、その間合いに入れるかどうかが勝敗の鍵となるので当然だろう。
一度懐に入ってしまえば、相手に反撃さえ許さぬザックスの猛烈なラッシュが相手を沈めるはずだ。
ザックスが入り込むか、その前にバルカが仕留めるか。この試合の焦点はその一点に尽きた。
ボクシングスタイルでしつこいくらいに死角への移動を繰り返すザックスに、蝿でも追い払うかのように漆黒の槍で牽制するバルカ。
しばらく、両者の間で何度も小競り合いやフェイントの応酬が続いたが、なかなか決定打には至らず膠着状態へと入った。
しかし、誰もが長期戦の様相を呈すると思われた試合は突然動き出した。
ちょこまかと動き回るザックスに業を煮やしたのか、不用意に動こうとせず、必殺の一撃を狙っていたバルカが大きく踏み込んだのだ。
槍がもの凄い勢いでザックスへと走るが、これを待っていたとばかりに白皙の拳士は素早く回避に入った。
このコンマ数秒後に強烈なカウンターが炸裂するのは明白であり、試合を観戦していた者たちはバルカが焦って自滅したと思っただろう。
だが、次の瞬間。
一度は避けたと思われた槍がザックスの胴体に直撃したのだ。
おそらく本人も避け切ったと思ったのだろう。
血反吐を吐きながらも、驚愕の表情で吹き飛んでいった。
そのまま数メートル以上を滑空したザックスはリングに力なく倒れる。
審判チチグが急いで隣国から招いた魔導医を含む医師団を呼び寄せた。
幸い、服の下に鎖かたびらを着込んでいたので致命傷にこそならなかったが、試合続行が不可能なのは明らかであった。
長引きかけていた勝負は呆気ないほど一瞬で決まってしまったのである。
こうして、決勝戦はソラとバルカとの一騎打ちとなったのだった。
※※※
「…………」
会場から大歓声を受けつつも、兜の下の表情を微塵も変えることなく泰然と控え室に引き返しすバルカの姿を、ソラはシーダとともに観客席から見送っていた。
控え室に入れるのは原則、関係者か勝ち残った選手だけなので、シーダにはもう立ち入る権利がない。
なので、二人は一般の観客に混じって観客席から試合を見物していたのだった。
「……今、何が起こったんだい? ザックスが避けたように見えたけど、バルカの槍の伸びが予想以上で目測を誤ったってことなのか」
「多分、そういうことなんだと思います」
ソラは隣に座っているシーダに答えた。
紙一重で避けてカウンターを返そうとしたザックスが避けるのに失敗して攻撃を受けてしまったのだ。
バルカが扱う艶の全くない黒い槍も見えづらさに一役買っているのかもしれない。
(……でも)
昨夜の攻防を思い出す。
あのときもソラの予想以上に伸びてきた印象がある。
単純にそれほどの使い手とも考えられるが、先程の試合中に気になることもあったのだ。
すると、軽く伸びをしながらシーダが立ち上がった。
「……さて、午後から始まる決勝まで時間がまだあるけど、どうする? 少し早いけど昼食でも食べに行こうか?」
「そうですね。早めに摂った方がいいかもしれません」
ソラは頷いて移動を開始した。
同じく移動を始めている観客たちに混じって外に出るのは一苦労だ。
ようやく正面ロビーにまで出てソラが安堵していると、今度は何人もの観客に取り囲まれた。
「決勝進出、おめでとう!!」
「クウヤさん!! カッコ可愛い!!」
「握手してください!!」
老若男女からもみくちゃにされたソラだったが、ゴツイ男がひとり熱い眼差しを注いできていたのでわりと本気でビビった。
「あはは。すっかり人気者だね。もう気軽に街を歩けないかもね」
「しょ、正直、勘弁してほしいんですけど」
乱れた服を直しながらうんざりしていると、背後からまた声をかけられた。
「兄ちゃん! これ受け取ってくれ!」
ソラが振り向くと、そこには少し年下の生意気そうなゴルモア人の少年が立っていて、こちらに一通の封筒を差し出していたのだ。
受け取ると、少年は「じゃっ!」と手を上げて元気よく去っていった。
「今度はファンレターか。あのくらいの歳の少年だと憧れを抱いても仕方ないかもね。そうそう、私にも同じくらいの弟がいるんだよ」
「そうだったんですか」
シーダの弟なら一度は会ってみたいかもと、ソラは取り出した便箋に目を落としながら思ったが、すぐに表情を強張らせた。
「どうしたの?」
「……いえ。何でもないです」
ソラは一瞬で通常の状態に戻ったので、シーダは気づかなかっただろう。
「……あの、シーダさん。僕、ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」
「ん、ああ。別にいいよ。あたしはここで待ってるから」
「すみません」
ソラは努めて冷静さを装いながら歩き出した。
ロビーを横切り、廊下に出てシーダが見えなくなると一気に駆け出す。
(……くそっ!!)
ソラは焦る気持ちを押さえ目的地へと急ぐ。
先程少年から受け取った手紙。
あれにはこう書かれてあったのだ。
『――クウヤ・ナルカミ。今から誰にも気取られることなく闘技場の物資搬入口まで来い。こちらは人質を預かっている。他人に知らせたり、協力を仰いだ場合は即刻人質を殺す――』
(人質……。やはり、オリガさんが!?)
ダルハン滞在中にお世話になっている気のいい女将。
彼女に何かあったらと思うといても立ってもいられない。
全速力で駆け抜けたソラが指定の場所に辿り着くと、そこには普段作業しているはずの作業員たちがおらず、ひとりの男が立っているのみであった。
男はソラに視線を向けると、手振りで入り口に待機させていた大型の幌馬車を指し示す。
「……来たな、クウヤ・ナルカミ。これに乗れ」
「……その前に人質の確認をさせてください。無事なのかどうか」
ソラがそう言うと、男は無言のまま手を打って合図を送った。
内側から幌がめくられ、そこにひとりの人物が座っているのを確認したソラは思わず驚きの声を上げる。
「――ソフィア!?」
「むー! むー!」
そう。そこで猿轡を噛ませられ、後ろ手に縛られていたのはサーシャ付きのメイドたるソフィアだったのだ。
「どうして彼女が……」
「いいから早く乗れ。従わないならこの少女を殺す。妙な真似をしても殺す」
「……分かりました」
こうなれば従うほかない。
ソラは言われた通りに馬車へと乗り込む。
馬車の中には何人もの男たちが同席していた。
傭兵なのか、どいつもこいつもやたらと鋭い目付きに物腰である。
ソラはとりあえず潤んだ瞳を向けてくるソフィアを安心させようと肩に手を置こうとしたが、奥から見覚えのある男が出てきた。
「……よう。久しぶりじゃねえか。会いたかったぜえ」
頬に傷を持つ男。
ナスリムがにやにやと下卑た笑みを浮かべながらソラを見下したのだった。