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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと武術大会
72/132

第6話

 サーシャとのデートを堪能した翌日。大会三日目。

 ソラは闘技場の大広間で決勝トーナメント一回戦の組み合わせを記した掲示板を見上げていた。

 そこには各予選ブロックを勝ち抜いた十六人の名前が載っていた。

 今日は朝早くから決勝トーナメントが始まり、それが終わり次第準々決勝に入っていくのだ。


「クウヤが二試合目であたしが三試合目。アスベルが第五試合だね」


 隣で同じく見上げていたシーダが呟き、アスベルが頷いた。

 二人とも当然のごとく予選を勝ち抜いていた。さすがに優勝候補の一角と言われるだけはある。


「私とクウヤがぶつかるのは準決勝になるね」


「そうですね。お互い頑張りましょう」


 強気の笑みを浮かべるシーダにソラも頷き返したが少々気になることもあった。

 それは一回戦の相手のことである。

 ソラの対戦相手はナスリムと書かれてあったのだ。


(見間違いでなければ、昨日襲撃してきた頬傷の男はあいつだ)


 出場申し込みのときソラに突っかかってきた粗暴な男。

 アスベルがナスリムと呼んでいた男で間違いないはずだ。

 少しでも情報を仕入れておきたいとアスベルに質問しようとしたときだった。


「――オラ、どけ。クソガキ」


 遮るように背後から乱暴な声が聞こえてきたのだ。


「ナスリム」 


 ソラが振り向くのとアスベルが呼びかけるのだが同時だった。

 今まさにアスベルに訊こうとしていた男がそこに立っていたのだ。

 相も変わらず酒臭く、粗野な雰囲気を全身に纏っている。

 ナスリムは一瞬ソラを睨みつけたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべながらアスベルに視線を向けた。


「よう。親衛隊長さん。何か言いたいことでもあるのかい?」


「……お前も勝ち上がっていたのか。なぜ大会に出た?」


「そんなのは俺の勝手だろうが。いつまで俺の上司を気取ってんだ。いいから、どけよ」


 ナスリムは一同を押しのけるようにして通り抜けると、ちらと掲示板を見てそのまま去っていったのだった。

 しばらくその背中を見送ってたソラはアスベルを見上げる。


「アスベルさん。あのナスリムという人はどんな方なんですか? 知り合いのようですけど」


「ふむ。君の次の対戦相手だから気にはなるか。彼は元親衛隊員――私の部下だったんだよ」


「あの人がですか?」


 ソラは驚く。

 そこらのせこいチンピラと紹介されても納得できそうなあの男が親衛隊員だったとは信じられない。


「まあ、無理もないね。彼は元々ムスタフ様の護衛をしていたのだが、親衛隊に欠員が出たときにホルホイ大臣のごり押しで入隊した人物なんだ。しかし、ある日、酒に酔って暴れた挙句民間人に暴力を振るってしまって一年と経たない内に職を解かれたんだよ」


「そうだったんですか」


 まさしく見た目どおりの人物だったということだ。


「その後も街中で何度か騒動を起こすし、どうしようもないヤツだよ。今は何をしているのか知らないが」


 そう言いながら首を振るアスベルを眺めつつソラは考える。

 出会ったときに不快な思いをしたからソラのような子供をわざわざ徒党を組んで襲撃したとも思えないのだ。

 となると、大臣親子に仕えていたことが関係しているのかもしれない。

 ソラが考え込んでいるとシーダが声をかけてきた。


「もう一試合目が始まる頃だね。あたしらもそろそろ控え室に入った方がいいよ」


 思考を中断してソラは頷いた。

 今は目の前の試合に集中するべきだろう。



 ※※※



 しばらくして、武術大会はベスト十六の第二試合に入っていた。

 ソラはシーダとアスベルの応援を受けつつ控え室からリングへと進む。

 観客たちの声援が降り注ぐ中、隣を歩くナスリムが話しかけてきた。


「――おい、クソガキ。頼むから途中でリタイアなんかするなよ。お前はとことん痛めつけないと気がすまねえんだ。昨日のカリを返さないとな」


「……襲撃したことを認めるんですね」


「おうよ。俺が犯人だという証拠なんざないしな。……それに、俺を罪に問うことなんかできっこないぜ」


 クツクツと笑いながら余裕を見せるナスリム。


「何で僕たちを襲ったんですか?」


「話すわけねえだろ、ボケ」


 このままペラペラ喋ってくれないかとソラは密かに期待していたが、さすがにそこまで甘くないようだ。

 審判のチチグの指示に従いソラとナスリムはリング上の開始位置に立つ。


「最初会ったとき、素直に俺に摘み出されてりゃこんな目に遭わずにすんだのにな。運のない小僧だぜ」


「…………」


 見覚えのある剣を抜きつつ言うナスリムをソラは無言で見据えた。


「――はじめっ!!」 


 チチグが野太い声で試合開始を告げ歓声が大きくなった。

 ナスリムは薄ら笑いを浮かべながら大胆に間合いを詰めてきて、


「昨日、どうやって逃げ出したのかは知らねえが、リング上に逃げ場はねえぞ。ここでお前を殺しても罪に問われることはないしな」


 構えるソラに向かって容赦なく剣を振り下ろしてきた。 

 体を開いて避け、すぐに反撃に移ろうとするがナスリムはすぐに武器を胸元に引き寄せる。

 どうやら昨日の攻防で多少は警戒しているようだ。

 その後もナスリムは片手で器用に剣を扱い、ソラに付け入る隙を与えさせないように連撃を放ってきた。

 刀身が短く、比較的軽いカトラスだからできる芸当である。


「まずはじわじわと出血させて動きが鈍くなった所で存分に切り刻んでやる。それから、俺が満足した後に一思いに殺してやるよ。審判が止める前にな」


 防戦一方のソラに対してナスリムは喜悦に滲んだ表情で斬撃を繰り出す。

 刃が湾曲しているカトラスは斬るのに特化している。

 この武器はまさにナスリムという男の性格を表しているのかもしれない。


「おらおらっ! どうした!? 少しは反撃してこいよ! 妙な動きをするが、所詮は小僧だな!」


 目の前で息も吐かせぬ攻撃を放つナスリム。

 コネで親衛隊員になったとは聞いたが、この男の実力は予想以上であった。

 昨日も油断していただけなのだろう。小回りの利く剣と同じく機敏に動き回るためなかなか踏み込めない。距離をとって対応せざるを得ない。

 身体能力、経験ともにソラはナスリムには敵わず、本来なら分の悪い相手である。

 だが、問題はない。

 己の全能力を駆使すれば取るに足らない相手でもあるのだから。

 ソラは胴を薙ごうとする一撃を大きく避けると驚きの行動に出た。

 迷うことなく両目を閉じて、そのまま構えてみせたのだ。

 試合を見守っていた観客たちからも驚きの声が上がる。


「……てめえ、どういうつもりだ!?」


 ナスリムも一度攻撃を止めて怒りの声を上げた。

 それも当然だろう。散々押していた相手が暴挙ともいえる行動に出たのだから。

 しかし、ソラは平然と手招きしてみせた。


「どうもこうも、これが僕の戦闘スタイルですよ。……来ないんですか?」


「……クソガキが……!! 嬲るのはやめてすぐにぶち殺してやるっ!!」


 額にいくつも青筋を浮かべたナスリムが凶悪な表情で攻撃を再開した。

 先ほどにも増してスピードが上がるが、ソラは目を閉じたまま華麗に避けてみせた。


「な、何だと!?」


 目を見開いて驚愕するナスリム。

 その後もやたらめったらにカトラスを振り回してくるが、動きを先読みしているソラにはかする気配すらなかった。

 しかも、これまで距離を置いて慎重に避けていたのが、今やナスリムの目と鼻の先で避け続けているのだから。

 ソラが目を閉じているのも別に格好つけているわけではない。

 視覚に頼らない自分からすれば時にこちらの方が楽だったりするのだ。加えてナスリムにプレッシャーをかける意味合いもある。

 本来ならありえないソラの戦闘方法に観客席から驚嘆と賞賛とが混ざり合った歓声が上がっていた。

 焦った表情のナスリムが悪態を吐く。


「こいつ……!! 女みたいにナヨナヨした動きをするくせによ!!」


「!」


 その言葉を聞いてソラは思わずカチンときた。

 この男は言ってはならないことを言ったのだ。

 すると、至近距離で目を閉じたまま避けるソラがじりじりと接近していることに危機感を覚えたのだろう。ナスリムが一度後ろに跳ぶ気配を捉えた。

 ソラはチャンスが来たと悟る。

 ナスリムが跳ぶタイミングに合わせてソラも離れずに追撃すると敵はギョッとした表情を見せた。


「こ、この野郎っ!!」


 咄嗟に鋭い突きを繰り出してくるが、ソラはわずかに首を傾げるだけで避け、そのまま手首にあるツボに向かって肘打ちを打ち込んだ。


「――ぐあっ!?」


 激痛が走ったのだろう。ナスリムはあっさりと武器を取り落とす。

 ソラはその隙を見逃さずに相手の懐へと侵入して裂帛の声を上げる。


「はああああああっ!!」


 固く拳を作り、敵の胴体を抉るように高速で何度も打ち込む。

 ドドドドッと立て続けに何発も拳を入れられ、ナスリムは悲鳴を上げる間もなく断続的に身体を震わせた。

 疲れたソラが腕を止めると、敵はかろうじて立っているだけでもはや虫の息となっていた。


「――これで、終わりだ!!」


 ソラはすうと一度息を吸って、おもいっきり震脚を踏みながら全力の突きをナスリムの腹に叩き込む。

 サポーター越しでさえ拳に痛みを感じるほどの攻撃は敵を何メートルも吹き飛ばしてトドメを刺したのだった。



 ※※※



「なんともえげつない攻撃だったねえ。大人しい顔してるのに」


「最後は泡を吹きながら倒れこんでたな……」


 ソラが控え室に戻るとシーダとアスベルがそれぞれの反応で迎えてくれた。


「なにか、恨みでもこもっているような攻撃だったよね」


「あはは……」


 シーダの言葉にソラは乾いた笑い声を上げた。

 正直、少しやりすぎた気がしないでもない。

 訳も分からずに襲撃された仕返しともいうのもあるが、ソラが密かに気にしていることをナスリムが無神経にも口にしたからである。

 女の子に転生して約十年。嫌でも自分の立場や環境に合わせていかねばならず、徐々に女性としての動きや仕草に慣れつつあることを悩んでいたのである。

 しかも、久しぶりに男として行動することを楽しんでいた矢先だったので、一気に不満を爆発させるかのごとくナスリムにぶつけてしまったのだった。


「でも、いいんじゃない? 観客は見目麗しい少年拳士が悪人を成敗したみたいだって喜んでたし」


「そうだな。ナスリムは街の人間から評判が悪いみたいだからね。それに、僕らも凄いものを見せてもらったよ」


 愉快げに笑いながら言う二人。

 どうやら周囲の反応は悪くないようである。

 これも日頃の行いのせいで自業自得だとソラは気にしないようにするのだった。



 ※※※



 ソラの次はシーダの出番だった。 

 結果から言えば、若くして『弓聖』の称号を持つ弓の名手は相手に近寄らせることなく圧倒してみせたのだ。

 シーダはまず開始と同時に間合いを取りながら牽制の一撃を放ち、その後も矢継ぎ早に放ち続け、十分に距離をとってからはゆっくりと獲物を狩るがごとく仕留めていった。

 素早く無駄なく矢を番える動作もそうだが、狩人らしく俊足を生かしてリング上を駆け回りながらも矢の精度は全くぶれないのだ。まさしく驚異的な技術である。

 対戦相手は攻撃に転じることができず一方的に矢を浴び続け、最後はシーダの三本同時攻撃というとんでもない技によって沈んだのだった。

 しかも、相手に致命傷を負わせることのないよう配慮してである。

 試合が終わった後も息ひとつ切らせることもなく観客の声援に手を振って応える余裕っぷりであった。 

 そして、シーダとは一試合挟んだ第五試合。

 優勝候補筆頭との呼び声高いアスベルは更に観る者を沸かせた。

 相手は金属でできた巨大なウォーハンマーを自在に振り回す筋骨隆々の大男だったが、親衛隊隊長は畏れることなく間合いに踏み込んで凄まじい威力を秘めた攻撃を避けると、一刀で敵の武器の柄を断ち切ってみせたのだ。

 重い音を響かせながら落下する頭の部分を呆然と眺める対戦相手にアスベルが長剣を向けるとあっさりと白旗を揚げたのだった。

 開始から十秒にも満たない瞬殺劇であった。

 剣術や身のこなしに加え強力な<内気>を扱う実力はエレミアの魔導騎士にも引けを取らないだろう。

 いずれにせよシーダとアスベルの二人が端倪すべからざる相手だとソラは改めて認識したのだった。



 ※※※



 その後も試合は順調に進み、決勝トーナメント一回戦が全て終了した。

 これで準々決勝に進む八人が出揃ったことになる。

 午後から始まる試合に向けてソラはシーダとともにやや遅めの昼食を済ませ、すぐに闘技場へと引き返していた。

 ちなみに、アスベルは大会中も仕事があるとかで一度王宮へと戻り、昼食は王宮内にある食堂で摂るとのことである。


「シーダさん。僕はトイレに寄ってから控え室に行きます」


「遅れないようにね」


 ソラは頷く。

 準々決勝進出者が決まった時点ですぐに組み合わせが行われ、ソラは第一試合に振り分けられたのだ。

 シーダが第二試合。アスベルが最後――第四試合となっている。

 廊下を進みトイレの前で来たソラは立ち止まった。


(……そういえば、男子トイレに入るのは久しぶりだな)


 もう帰ってこない日々を懐かしみつつソラは男子トイレの中に入るのだった。

 しばらくして、個室で用を足したソラは手を洗って外に出るがすぐに顔を強張らせる。

 トイレの外に数人の男たちがまるで待ち構えていたように立っていたのだから。

 その中のひとりが口を開く。


「……クウヤ・ナルカミ。俺たちについてきてもらおうか」


「何の用ですか? 僕はこの後試合を控えてるんですけど」


「ある方がお前をお呼びだ。黙ってついてこい」


「…………」


 正直、こんな怪しげな連中についていく義理などないのだが少し気になることもあった。

 男たちが『あの方』と呼ぶ人間に心当たりがあったのだ。

 ソラは無言で頷き肯定の意思を示すと、話しかけてきた男が先導するように歩き出した。

 しばらく男たちに囲まれるようにして廊下を進むとある部屋に辿り着いた。どうやらVIPのための休憩室のようだ。

 男が扉をノックすると、中から「入れ」と返事が聞こえた。

 周囲の男たちの圧力に押されるようにしてソラが部屋に入ると、そこには予想通りの人間が豪華なソファに座っていたのだった。


「よく来たな。そこに座れ」


 テーブルを挟んだ向かいのソファを顎で示す傲岸不遜な態度の青年。

 サーシャの従弟であり、ホルホイ貿易大臣の息子ムスタフであった。

 どうりで男たちの何人かに見覚えがあったはずである。

 初めて会ったとき、親子のそばに侍っていたのだから。

 ソラがソファに腰を下ろすと、ムスタフは取り巻きの男たちに目配せした。

 男のひとりがずしりと重い金属音とともにテーブルの上に大きな袋を置く。どうも中には大量の硬貨が入っているようだ。

 眉をひそめながらソラが視線を上げると、ムスタフは面倒そうに口を開いた。


「それで、次の試合を辞退しろ」


「……意味が分からないんですけど」


「おい、小僧! 口答えをするな!」


 取り巻きの男が睨みつけてくるが、ムスタフが軽く手を振ると大人しくなった。


「お前は外国から来たばかりでいまいちぴんとこんだろうが、俺に逆らわん方がいいぞ」


 青年はテーブルに足を投げ出しながら言う。


「……つまり、買収ということですか。これって違反行為ですよね」


「それがどうした。俺を告発でもするか? そんなものはどうにでもできるんだよ。さっきの俺の言葉が理解できなかったのか?」


 ムスタフは足を組み直しながら鼻を鳴らした。

 どうやら権力やカネにものを言わせて黙らせるということらしい。

 ソラが沈黙していると、おもむろにムスタフは鋭い目を向けてきた。


「いいから、そのカネを持ってゴルモアから去れ。何の目的でサーシャにまとわりついているのは知らんが目障りなんだよ」


 その言葉を聞いてソラは色々と得心がいった気がした。


(そういうことだったのか。昨日の件も……)


 ナスリムの余裕からバックに権力者の影を感じ取っていたが、目の前の青年がソラを排除するために裏で糸を引いていたのだろう。

 しかし、襲撃は失敗し、先ほど行われた試合でもナスリムは敗れてしまった。

 だから、このような手段に出たのだろう。


「庶民なら十年は遊んで暮らせる額だ。悪い話じゃないだろう。まだ欲しいなら後で追加してもいい」


 ムスタフは高価な服の内側から櫛を取り出して髪を梳き始めた。

 もはや、ソラに視線を向けることもなく、取り巻きに酒を用意させている。 

 この提案を断るなど微塵も思っていないようだった。

 ソラは胸に湧き上がってきた静かな怒りとともに立ち上がる。


「――お断りします。そんなお金はいりません。僕はこの大会で優勝するために来たんです」


 そう言うと、早くも酒の入ったグラスを傾けていたムスタフの動きがぴたりと止まった。

 取り巻きの男たちも動きを止めてソラを凝視する。


「……自分が何を言っているのか分かってるのか?」


 しばらくして憤怒を抑えたような声音でムスタフが訊いてくる。

 ソラが睨み返しながら頷くと、殺気立った男たちが武器を抜き放ちながら囲んできた。


(いざとなれば、魔導でも使って突破する!)


 密かに魔導紋を構築しつつソラが覚悟を決めていると、ムスタフが再度手を振った。

 渋々と武器を収めて下がる男たち。

 さすがに闘技場内で事を構えるつもりはないようだ。


「それでは、失礼します。この後試合があるので」


 ソラは軽く頭を下げると、睨んでくる男たちの間をすり抜けながら堂々と歩いていく。

 そのまま扉を開けて部屋から退室しようとすると、


「……後悔するぞ」


 背後から憎悪のこもった低いムスタフの声が聞こえてきたのだった。



 ※※※



 大会は準々決勝へと突入していた。

 今から明日の準決勝に進む四人を決めるのだ。

 第一試合を戦うソラはシーダの激励を受けながらさっそくリングに上がる。

 ソラの試合にまでは戻ると言っていたアスベルはなぜか姿を現さなかったが、仕事が忙しいのかもしれない。

 開始位置に立ちながらふと闘技場の正面上方にあるVIP席を見る。 

 そこには午前中にいなかったサーシャが王の隣に座っていた。

 予選のときと同じく手を組んで祈るようにソラを見つめている。


(こうなったら、絶対に優勝してやる)


 ソラは思いを新たにする。

 大会の優勝者は多額の報奨金に加え王女を妻に娶る権利を得ることができる。

 自分は女なので関係のない話だと思っていたが、あの卑劣なムスタフに万が一でも渡すわけにはいかない。

 ソラが優勝して権利を辞退すればよいのだ。

 シーダやアスベルに任せることもできるが、他力本願は趣味ではないし、もともとクオンとの約束もある。

 今は少女に転生してしまった身ではあるが、これでも元は立派な男だ。

 元男としてムスタフのようなヤツは決して許せない。

 ソラが拳を握りしめながらVIP席を見ていると、


「――フフ。キミも王女殿下が目当てなのかい?」


 向かいの対戦相手が話しかけてきたのだった。

 ソラが視線を戻すと、相手の男も王女を見ていた。

 見た目三十ほどの男を一言で言えば、ある意味ソラよりも場違いな人物だった。

 貴族のごとき装いに鳥の羽が乗っているつばの広い帽子をかぶっていて、腰には高価そうな細身の剣が吊るされている。

 傭兵崩れや冒険者のような荒くれたちが多く集まる参加者の中でも一線を画しており、その端整な顔立ちといい、立ち居振る舞いといい、まるで三銃士の世界にでも出てきそうな男であった。

 男はソラと目線を合わせると、「フッ……」と気障な笑みを浮かべる。


「私の名はピエール・A・ガスコーニュ。世界中を放浪している愛の騎士さ……」


「は、はあ」


 ソラは呆気に取られる。

 ピエールと名乗った男はちょび髭を撫でつつ再びVIP席を見上げる。


「それにしても魅力的な姫君だよ。普段は薔薇のように華やかだが、今はまるで可憐な百合のように純粋で無垢に祈っている」


 どこか遠い目をしつつ語るピエール。

 ソラは故郷で同じく騎士をしているキースと同種の人間っぽいなあと思いながら訊く。


「えっと、あなたも王女を?」


 すると、ピエールは思ったよりも綺麗な瞳を向けてきて、


「私は優勝しても王女を妻にするつもりはないよ。意に沿わぬ結婚を女性に強制するなど騎士道に反するし、許しがたい行為だと思っている。ゴルモア王は勇敢かつ果断な人物として知られているが、少々戯れが過ぎるね」


 どこかから取り出した薔薇をくわえ、困ったものだと言わんばかりに首を振った。

 その言葉を聞いて、少し引いていたソラは思わず笑みを浮かべる。


「……僕も同意見です。女性を景品にするなどもってのほかだと思います」


「……そうか。キミには騎士の素質がありそうだね。将来が実に楽しみだよ。時間があればじっくりと騎士道というモノを教授したいね。たとえば――」


 薔薇をくわえながら器用に喋り続けるピエール。

 普段ならあまり関わり合いになりたくない相手ではあるが、この男なりの信念があるらしいとソラは少し見る目を変えたのだった。


「――それでは、はじめっ!!」


 チチグの試合開始のかけ声を聞いてソラは構える。

 言動はともかく、物腰からするになかなかの使い手のようだ。伊達に準々決勝まで残っていないということなのだろう。

 今もペラペラと喋りながら隙がほとんどない。

 ソラは地を蹴って一気に距離を詰める。先手必勝だ。


「はあ!!」


 まずは小手調べと、騎士に向かって勢いよく拳を突き出すが、


「――高貴な女性に尽くすのが騎士の誉れだけど、それはあくまで精神的なものでなければ――あぎゃんっ!!」


「あ」


 ソラの放った渾身の一撃はピエールの鳩尾にあっさりと吸い込まれていったのだった。

 薔薇を吐き出しつつ、背中から派手に転倒する愛の騎士。

 ソラは拳を突き出したままポカンとする。

 口を動かしつつも視線はしっかりとこちらを向いていたので、てっきり迎撃するものとばかり思っていたのだが、どうやら完全に己の世界に入り込んでいたらしい。


「そこまで!!」


 動かないピエールを見てソラの勝利を宣言するチチグ。

 ワアアアッ!! と会場から歓声が上がるが、微妙すぎる勝利にソラは半ば放心としながら倒れたままの騎士に近寄った。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


「……フ、フフフ。さすがは私の見込んだ少年だ。見事な一撃だったよ。これならば私は潔く散っていける。後は頼んだよ……ぐふうぅっ!!」


 ピエールは震えつつもソラを賞賛したかと思うと、最後はやたらと格好いい断末魔を上げてガクリと気を失ったのだった。 

 一体どうリアクションしていいのか分からずにソラは茫然と立ち尽くす。

 怪訝そうな顔をしたチチグもそばにやってきて、どこか満足気な表情で気絶しているピエールを見下ろした。


「何なのかしら? この男」


「さ、さあ……」


 ソラはかろうじて答えながらも、さすがにあちこちから出場者が集まるだけあって変な人が多いなー、と男装している自分のことを棚に上げながら思うのだった。



 ※※※



 武術大会は例年にないほどの盛り上がりを見せていた。

 その最大の要因は、やはり今大会注目の的となっている美少年拳士の活躍が大きいだろう。

 異国から突然現れた、わずか十ほどの年の少年が予選を勝ち抜いたかと思うと、その後も相手を圧倒し、まさかの準決勝進出まで決めてしまったのだから当然かもしれない。

 観客たちは熱狂し、会場は喝采の嵐に包まれた。

 更には数少ない女性の出場者、『弓聖』の称号を持つシーダが順当に勝ち進んで会場のボルテージは一段と上がり、早くも明日行われるこの二人の対戦を皆心待ちにするほどであった。

 そして第三試合、ムスタフの代理人であるバルカが相手の棄権により不戦勝となるハプニングがあったものの準々決勝は残すところ後一試合のみとなった。

 最後に登場するのはエリートとして名高い親衛隊の若き隊長ということもあり、会場の熱気は最高潮に達し、誰もがアスベルの勝利を信じて疑わなかったのだった。



 ※※※



「……あいつ、大丈夫なのか?」 


「心配ですね……」


 ソラはシーダとともに眉をひそめながらリング上を見つめていた。

 そこには顔色が悪く、今にも倒れそうなアスベルが立っていたのだ。


「午前中はあんなに元気だったのに、一体どうしたんだ?」


「お昼を過ぎてから急激に体調が悪くなったと言ってましたけど……」


 アスベルは第四試合が始まる直前に控え室に現れたのだが、そのときにはもう立っているのもきつそうな状態であったのだ。

 ソラたちも一目でおかしいと感じたが、時間が押しているのであまり会話することなくリングへと向かったのだった。


「――両者、構えて!」


 チチグも審判として試合を進めているものの、どこか心配そうな視線を同僚に送っている。

 大会三日目最大の見せ場ということで、会場中に大歓声が響いた。


「はじめっ!!」


 試合開始の合図とともにアスベルの対戦相手であるザックスが猛然とダッシュをかけた。

 北大陸の出身らしく、色素の薄い髪と肌をしたザックスは両拳にゴツゴツした鉄製の手袋をつけていた。あれで敵を殴り倒すのだろう。

 ソラとは体系が異なるものの体術を主体とした攻撃を得意としているようだ。

 距離を詰めたザックスはボクサーのように軽いフットワークでアスベルの周囲を窺うように回りだした。隙を見出して剣をかい潜ろうというのだろう。

 対して、アスベルは長剣を構えるものの身体は震え剣先も安定しない。時間が経つほど容態が悪くなっているようだ。

 すると、ザックスが態勢を低くしながら側面より攻撃を仕掛けた。


「――シッ!!」


 鋭い呼気とともに凶悪な一撃が脇腹に放たれるが、アスベルはかろうじて剣腹に当てて軌道を逸らしてみせた。

 しかし、その反動で身体が流れて体勢が崩れる。

 ザックスは好機とばかりに素早くアスベルの死角を突く。

 そうはさせじとアスベルもついていこうとするが、もはや足がもつれて思うように動けないようだ。


「オラアッ!!」


 ザックスの重いパンチが鎧に包まれたアスベルの脇腹に叩き込まれ、その衝突により、控え室にまで届くほどの金属音が響き、火花が散った。


「……!!」


 もろにくらったアスベルは吹き飛ばされかけたが、なんとか倒れずに踏ん張った。

 鎧のおかげで多少は軽減されただろうが、相当な衝撃だったに違いない。

 顔を盛大にしかめたアスベルはそれでも態勢を立て直そうとするものの、追撃に入っていたザックスの一撃がまたも胴に突き刺さる。


「ぐあっ!!」


 苦悶の声を上げるアスベル。 

 そこからは一方的な展開となった。

 満足に迎撃もできないアスベルにザックスの嵐のような連撃が次々と入る。

 鎧のあちこちが凹み、剣は弾き落とされ、顔に大きな裂傷がいくつも刻まれた。

 予想だにしなかった光景に観客席からとうとう悲鳴が出始めたところで、見かねたチチグが二人の間に割って入ったのだった。


「そ、そこまでよ!! 勝者、ザックス!!」


 試合を中止すると、アスベルは崩れ落ちるように倒れこんだ。

 すでに気を失っているようでぴくりともしない。

 勝利の雄叫びを上げたザックスもどこか腑に落ちない表情をしていた。


「すぐに担架を持ってきて!! 医療スタッフも早く!!」 


 地面に寝かせたアスベルを診ながら叫ぶチチグ。

 準々決勝で優勝候補が敗れるという波乱の展開に会場はざわめきに包まれるのだった。

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