第5話
それはソラが予選を勝ち抜いた翌日のことだった。
まだ日が昇って間もない頃である。
(……ん~?)
まだ夢の中にいたソラはどこからか話し声が聞こえた気がしてわずかに意識が覚醒したのであった。
ゆっくりと上半身を起こしてぼんやりとした眼のまま辺りを見回す。
見慣れたエーデルベルグ家の豪華な私室ではない。
どこか懐かしさを覚える質素な部屋。
大会期間中、ソラに貸し与えられたジャルガム商会の一室であった。
ベッドの上から寝ぼけ眼のまま見回すが当然誰もいない。
ソラは気のせいだったと思い腕を伸ばした。
「ふわあ~~~」
長い欠伸が出る。
昨日は密度の濃い日だったのでいつもより快眠できたようだ。
そのせいか白い髪がボサボサになってあちこちはねていたが。
(……今日は暇だし、また街を見て回ろう)
動きの鈍い頭でそう考えながら起き上がろうとしたときだった。
「――ひ、姫様! お待ちになって!」
「いいから! いいから!」
「……んあ?」
なにやら騒がしい会話と足音が聞こえてきたのだ。
しかも、徐々にソラのいる部屋にまで近づいてくる。
(……聞き覚えのある声がした気がしたけど……まさかね)
まだ開ききらない目をこすりながらソラが笑っていると、跳ねるように廊下を歩いてきた何者かが扉の前に立った音がした。
「――ここだね! クーヤ~、起きてる~? 遊びに来たよ~!!」
「……は!?」
扉の向こうから聞こえてきた声にソラは一瞬で眠気が吹き飛んだ。
まさかと思っていた人物が何故か扉のすぐ向こうにいるのだ。
焦って意味もなく自分の姿を見下ろしたり部屋を見回すが、突然押しかけてきた客は待ってくれないようだった。
「クーヤ~! まだ寝てるの~? 起こしてあげよっか~?」
「サ、サーシャ!? ちょ、ちょっと待って!!」
「何だ、起きてるじゃない! じゃあ、お邪魔するね! おっはよーーー!!」
「ひいっ!?」
勢いよく扉を開いて部屋へと踏み込んだサーシャだったがソラを見てきょとんした顔をした。
それもそのはず。そこには頭から毛布をかぶって顔だけ出したソラが固まったままベッドの上に座っていたのだ。
「何してるの? クーヤ」
「……えっと、その……急に毛布をかぶりたくなったというか」
苦しい言い訳を口にするが、ワケが分からない状況での精一杯の対応なのだった。
幸いサーシャも細かいことを気にしない性格のようで不審がる様子もなく満面の笑みを浮かべる。
「ほら! 昨日約束したとおりに来たよ! 一緒に街を回ろうよ! あちこち案内するから!」
「え、ええっ!?」
ソラはうんともすんとも返答していないのだが、もはやサーシャの中では決定事項のようだった。
「そ、それはともかく。どうして、ここが? 宿泊場所なんて教えてないのに」
「シーダさんが教えてくれたの。さっき、闘技場で会った時に」
それを聞いてソラはがくりと肩を落とした。
昨日、サーシャと別れた後にシーダの行きつけの飯屋に連れていってもらったのだが、帰り道が偶然同じでジャルガム商会の前まで一緒についてきたのだ。
あの時は別段おかしいとは思わなかったが、初めからソラの居場所を突きとめるつもりだったのかもしれない。
ソラが毛布を引っかぶったまま頭を抱えていると、サーシャの背後からオリガが姿を見せた。
オリガは場をちらりと眺めただけで大方の事情を察したようで、一瞬だけソラに目配せをしてきた。余計なことは言わずに話を合わせてくれるということなのだろう。
「はあ~。姫様ったら急に来られるんだもの。びっくりしたよ」
「あはは。ごめんなさい、オリガさん。でも、凄く楽しみにしてたから」
普通に会話している二人。
どうやら面識があるらしい。
ソラも完全に覚醒したものの、起き抜けな上に突然の来襲だったためボケッとしたまま二人を見つめた。
何というか行動力のあるお姫様である。まさか、ソラの宿を探し出して乗り込んでくるとは。
そのままぼんやり見つめていると、サーシャが再び大きな瞳を向けてきた。
「――それじゃあ、行こっか」
そう言ってにっこりと笑ったのだった。
※※※
ソラとサーシャはさっそく街へと繰り出していた。
あの後、一度サーシャに部屋の外へ出てもらい急いで変装を施したものの、すぐに引っ張られるようにして連れ出されたのである。
今も手を繋いでずんずんと歩いていく少女に慌ててついていっている次第だ。
正直、かなり困惑していたソラだったが……。
「~~~~♪」
なにやら鼻歌を歌いながら楽しそうに辺りを見回している姿を見るとどうでもよくなってくるのだった。
何のことはない、前世から妹に散々振り回されているソラにはお馴染みのパターンなのである。
結局、最終的には気にならなくなってしまうのだ。
「もしかして、またひとりで来たの?」
「うん。王宮を脱出する百二十八の技を駆使してね」
「…………」
従者達が今頃オロオロとしている姿が目に浮かぶようである。
彼らの苦労を思い、人知れずソラが溜息を吐いていると、少女は元気よく振り返ってきた。
「私、お昼から用事があるから、午前中だけしか一緒にいられないんだけど、それまでたくさん遊ぼうね!」
「う、うん」
ソラは思わず頬を赤くしてぎこちなく頷く。
その天真爛漫な笑顔に見とれてしまったのである。
『太陽の姫』とはよく言ったものだとソラは思う。
「……そういえば、クーヤって朝食まだだよね? この前、街を歩いていたときにいいお店を見つけたんだけど、どう?」
「そうだね。じゃあ、案内してもらおうかな?」
ソラも笑顔で応じた。
一緒にいるとこちらまで自然と楽しくなってくるのだ。
ひとりで見回るのもいいが、やはり誰かと歩いた方が楽しいに決まっている。
従者の人たちには申し訳ないが、お昼になったらお姫様を王宮に送り届ければいいだろう。
そう思いながらソラはサーシャとともに通りを進むのであった。
※※※
入った店はゴルモアとは思えないほど民族色の全くないお洒落なところだった。
最先端の流行を発信しているエルシオンにあっても違和感がないくらいである。
これも猛烈な勢いで異文化が入り込んできているダルハンならではなのかもしれない。
「でも、食材は現地の物を使ってるし、独自のアレンジを施してあるから、クーヤも食べたことのない味を楽しめると思うよ」
テーブルを挟んだ向かい席からサーシャが解説してくれた。
やがて、二人の前に注文した品が届く。
これまたお洒落な格好をした若い女性の店員は品を置くと微笑ましい表情でソラたちを見ながら去っていった。
どうもサーシャの正体に気づいている風である。
一応、スカーフのようなものを被って顔を見えづらくしているが、近くで見ればやはり分かってしまうだろう。
もしかしたら、街の住人にとっては王女が出歩くのは日常茶飯事なのかもしれない。それもどうかと思うが。
ともあれ、サーシャの突然の来訪で朝食を摂り損ねてお腹が減っている。
ソラはさっそく運ばれてきたパンケーキにかぶりついた。
「うん、美味しい! しかも、少し不思議な味だね」
「そうでしょ!」
ソラと同じものを食べながら得意満面の笑みを浮かべるサーシャ。
使われている食材――牛乳や小麦粉などが違うだけで独特の風味になっている。まさしくゴルモア風パンケーキである。
上にかかっている黒糖のようなハチミツもエルシオンではお目にかかったことのないものだ。
夢中になってがっついていると、サーシャが微笑ましく見てきた。
「やっぱり男の子だね。食べるのが早いよ」
「そうかな?」
ソラが視線を落とすと、確かにもう半分以上をお腹の中に収めてしまっていた。
普段は名家のお嬢様としてもっとお淑やかに食べるソラも男装しているときは前世のような態度に戻ってしまうのかもしれなかった。
考えてみれば、周囲の人間から『クウヤ』と呼ばれ男扱いされるのは十年ぶりなのである。
「ほら。口元についてるよ」
さりげなくサーシャがソラの口元についていた食べかすを取ってくれた。
そのままにこにこと笑いながらパクリと口の中に入れる。
ピシッと硬直するソラ。
「? どうしたの?」
「いや、その、何でもないよ、うん」
慌ててナイフとフォークを操りながらパンケーキを切り分ける作業に戻る。
あのような行為を自然にしているとすればとんでもないお姫様だとソラは口にかき込みながら思うのだった。
しばらくして二人は朝食を食べ終え、まったりと食後の紅茶を飲み始める。
「ところで、クーヤってエレミアの出身なんだよね。私の腹違いの弟がエルシオンに留学してるんだよ」
「そうなの?」
ソラはもちろんその人物に心当たりがあったが念のためにすっとぼけた。
聞くところによると、サーシャが第二王妃の娘で、その弟が第一王妃の息子になるのだそうだ。
しかし、同じ王族という時点でもしやとは思っていたが、二人が腹違いの姉弟だったとは。
面白い縁にソラは心の中で微笑んだ。
すると、サーシャがずいっと身を乗り出してきた。
「それより、もっとクーヤのことが知りたいな。年は同じだったよね。エレミア出身なのに名前が東方っぽいのはどうして? どんな学校に通ってるの? 兄弟はいるの?」
もの凄い勢いで尋ねてくる少女にソラはたじたじになってしまう。
一応、性別や身分を隠して出場している身なので不用意なことは喋れない。ましてや彼女は主催者側の人間だ。
本当のことを話してもあっさりと受けれてくれる気もするのだが、なんとなく話しづらい。
「でも、クーヤってびっくりするほど綺麗な顔立ちしているし、食べ方もどこか上品なんだよね。結構、いいところの出だったりして」
(む……)
鋭い指摘にソラは冷や汗を搔く。
どう返答したものかと迷っていると、突然横合いから声が聞こえてきたのだった。
「あ、あの~。クウヤ・ナルカミさんですよね?」
「は、はい? 何ですか!?」
「あ。誤魔化した」
サーシャの言葉をスルーしてソラが振り返るとそこには見知らぬ三人の少女が立っていたのだった。
「あの、僕に何か用ですか?」
ソラが尋ねると、少女たちは顔を合わせて内輪できゃあきゃあと笑い合っていたが、おもむろに手を差し出してきたのだった。
「昨日の予選を見ましたけど、凄く格好良かったです!! 私たちクウヤさんのファンになってしまって、よければ握手してもらいますか!!」
「ファ、ファン!?」
突然のことにソラはビックリしたものの、すぐに平静に戻った。
実は魔導学校で男女に限らずファンレターの類を何通か貰っていたりするのである。おそらく名家のお嬢様ゆえにだろう。
今も異色の出場者ということで注目されているのだろうとソラは思う。
ソラが慣れた態度で握手をこなすと少女たちは顔を赤くして喜んでくれた。
やがて少女たちが去り正面に顔を戻すと、サーシャが拗ねたように明後日の方を向いていたのだった。
「えっと、どうしたの?」
「べっつに~。女の子の扱いが手馴れているような気がして」
「そうかな?」
ソラが首を傾げるとサーシャはひとつ息を吐いた。
「とにかく、もう出よっか。時間もないし」
「うん。そうしよう」
二人は会計を済ませて店を出る。
再び通りを歩き出すが、ソラは何度も呼び止められて握手を求められるのであった。
主に若い女の子であるが、たまに筋肉ムキムキの男が頬を染めつつ声をかけてくるのだ。はっきり言って怖い。
しかも、その度にサーシャの機嫌が悪くなるのでソラは戸惑ってしまう。
「あ~、決勝トーナメントにまで勝ち上がったから注目されているみたいだね」
なんとかソラが話を繋ごうと喋りかけると、サーシャはあきれたような視線を向けてきた。
「それもあるけど……。クーヤってよく鈍感って言われない?」
「ええっ!?」
驚愕の声を上げるソラ。
何かもの凄く不本意なことを言われた気がする。
その後も頑張って話しかけるのだが、サーシャは頬を膨らませてそっぽを向くのであった。
(参ったなあ……)
困ったソラが頬を搔いていると、ふとひとつの店に視線が吸い寄せられたのだった。
ソラはじっとその店を見つめてから呼びかける。
「サーシャ。こうして二人が出会ったのも何かの縁だと思うし、記念にどう?」
「え?」
その店を指差しながら言うと、サーシャはきょとんとしながら振り向いた。
「あ……もしかして、プレゼントしてくるの?」
「うん」
ソラが指し示した店はアクセサリーを扱う店だったのだ。
現地で製造されていると思しき様々な商品が飾られている。
「わあ! 綺麗だね~!」
サーシャはすぐに笑顔になると店に並べられた商品を眺め始めた。
どうも機嫌が直ったようなのでソラは心の中でホッと安堵の息を吐く。
女の子に理由を訊いてもまず教えてくれないので、こういう場合は放っておかないで迅速に何らかの行動に移した方がいいのだ。
ちなみに、妹の場合はスイーツを奢れば大抵機嫌が回復する。
それに、記念のためというのも別に嘘ではない。どういう因果か一国の王女様と出歩くことになったのだから。
「何か、いいものあった?」
「そうだね~。どれにしよっかな~?」
目をキラキラとさせながら店を歩き回るサーシャ。
お姫様なのだから高価なアクセサリーなど付け慣れているだろうが、誰かからのプレゼントとなれば値段に関係なく嬉しいのだろう。
店内を楽しそうに眺めていたサーシャだったが、しばらくして欲しいものが決まったようだった。
「それじゃあ、これかな!」
少女が指差したのは手首に巻くブレスレットだった。
色とりどりのビーズを数珠状につなぎ合わせていて、真ん中にワンポイントでメノウに似た綺麗な石がついている。どうも二つ一組のペアになっているようだ。
「どうせだから、お揃いで欲しいんだけど……駄目かな?」
「いいよ」
ソラは快く頷く。
ペアルックというのは少々気恥ずかしいが。
「それで、色はクーヤが選んでくれない?」
お姫様のお願いを受けたソラは「う~む」と悩みながら眺め出した。
やがて一組のブレスレットを選ぶ。
蒼い石と緑色の石がついているものだった。
サーシャは瞳を輝かせがら尋ねてくる。
「どうして、これを?」
「ちょうど、二人の瞳の色と同じだったからなんだけど」
ソラは少し照れながら言う。
キザだったかなと思ったが、どうやらサーシャは満足してくれたようだった。
会計を済ませてからさっそく装着する。
「クーヤ! ありがとう! 私、一生大事にするからね!」
嬉しそうに手首のブレスレットを眺めるサーシャを見てソラも笑顔を浮かべる。
その後、すっかり機嫌が良くなったお姫様をエスコートしつつ街を見て回る。
二人で色んなお店を覗いたり、屋台で美味しそうな軽食をパクついているとあっという間にお昼になった。
サーシャは名残惜しそうな表情になる。
「ごめんね、クーヤ。私もう帰らなきゃ」
「謝らなくてもいいよ。忙しいみたいだし。それより送っていくよ」
「いいの?」
ソラは頷く。
どうも街を出歩くのが常態化しているようだが、念のためである。
それに、こちらも随分と楽しませてもらった。
前世では高校生の時分に不幸にも事故に遭って死んでしまったせいで、男であるうちに女の子とデートを楽しむ経験には恵まれなかったのだ。
大袈裟かもしれないが、失った青春を取り戻した気分だったのである。
この少女とのひと時は、それこそソラにとって一生ものの思い出になるだろう。
二人は王宮へと歩き出した。
「ほら! こっちだよ!」
細い路地裏に入り込みながらサーシャが手招きする。
どうやら、王宮へショートカットできる道のようだ。
さすがに頻繁にうろついているだけあって知り尽くしているようである。
「そういえば、明日から決勝トーナメントだよね」
「うん。師匠からも優勝するよう言われてるし。こんなところで躓いてはいられないよ」
「クーヤの師匠かあ。ちょっと会ってみたいかも」
二人で会話しながら進んでいるときだった。
(……!)
ソラは急に立ち止まり背後を振り返った。
「どうしたの?」
「……尾行されてる」
サーシャも驚いて振り返る。
今はまだその姿までは見えない。
「あ。もしかしたら、私を迎えに来た従者たちかも」
「それならいいんだけど……」
ソラは警戒を崩さずに路地の先を見据える。
「……とりあえず、先を急ごう。相手が誰でも」
サーシャの手を引きつつソラは早足で王宮へ急ぐ。
このまま行けば十分ほどで到着するだろう。
しかし、角をひとつ曲がったところで尾行している何者かに追いつかれてしまった。
ソラは足を止めてサーシャを背後にかばう。
迫ってくるのは冒険者風の格好をした三人の男たちだった。顔には布を巻いて人相を分からないようにしている。どう考えても王女の従者たちではない。
ソラが睨みつける前で男たちが次々と抜剣する。
「こ、この人たちの狙いって私なのかな?」
怯えたサーシャがソラの背中にすがりつきながら言う。
確かに要人たる王女が目的なのかもしれない。あるいは物盗りの類か。
じりじりとにじり寄ってきていた男のひとりが剣を振りかぶってソラに斬りかかってくる。
ソラは剣を振り下ろす男の手に横から軽く拳を入れてベクトルを変更させた。
狙いを外されて何もない地面を強打する男。
間髪入れずにソラは無防備な男の脇腹を殴りつける。
「ぐええっ!?」
男は悶絶して地面に転がった。
「このクソガキッ!!」
もうひとりの男がナイフを投げてくるが、咄嗟にソラはサーシャを抱えながら頭を低くして避ける。
正直ギリギリのタイミングだった。自分ひとりなら問題はないのだが。
「おい……! 王女は攻撃するなと言っておいただろうが!」
最後尾にいたリーダーらしい男が声を低くしつつ怒鳴った。
ソラは男たちが揉めている間にサーシャの手を握って再び駆け出す。
「ごめん。どうやら狙いは僕みたいだ」
「そ、そうなの?」
どうも男たちの目的はソラのようでサーシャは眼中にない気がするのだ。
もちろん、彼らの目的は分からないし、王女に危害を加えない保証はないのだが。
(でも、今のは……)
ソラは走りながらも記憶を辿る。
リーダーの声に聞き覚えがあった気がしたのだ。
しかし、王女に合わせざるを得ないので中々スピードが出せない。
いざとなったら奥の手を使うしかないとソラが考えていると三叉路に出た。
すると、背後から先ほどの男たちが追ってきている気配に加えて、左からも同じような男たちが走ってくるのが見えたのだ。
必然的にソラたちは右に逃げるしかない。
しばらく路地を走るが、また分かれ道で男たちが現れた。
別方向に逃げ込むソラたち。
(まずいな……)
ソラが嫌な予感を覚えていると開けた場所に出た。
だが、そこは目の前と左右を高い壁に覆われた見事な袋小路だったのだ。
やはり誘導されていたようである。
「へへ……。もう逃げ場はないぜ。クソガキ」
振り返ると合流した十人ほどの男たちが下卑た笑い声を上げながら入り口を塞いでいた。
「ク、クーヤ!」
「大丈夫。僕に任せて」
ソラは不安げな声を出すサーシャを安心させるように笑みを浮かべた。
「おい、クソガキ。舐めたこと言ってんじゃねえぞ」
ひとりの男が剣をぶら下げながら一歩前に出た。
最初の三人を統率していたリーダー格の男だ。
「……僕らに何か用ですか?」
「口を開くんじゃねえよ。お前はただ俺らに嬲り殺されてりゃいいんだ」
リーダー格の男は理不尽なことを平然と言い放ったが、ふと思い直したように顎に手を当てた。
「……そうだな。俺とのタイマンに勝てたら見逃してやってもいいぜ」
「おい!? 予定と違うじゃねえか!」
「うるせえ! 俺に指図すんじゃねえよ! それに俺がこんなガキに負けるとでも思ってんのか!?」
背後にいた男たちのひとりが慌てて声をかけるがリーダー格の男は一蹴した。
ソラはサーシャを下がらせて男と対峙する。
「まぐれで予選を勝ち上がったくらいで調子に乗ってんじゃねえぞ!」
男はカトラスと呼ばれる湾曲した剣を構えると素早く接近してきた。
振り下ろされる袈裟懸けの斬撃をソラは斜め前に踏み込むことで回避して男の懐に入り込んだ。
「ふっ!!」
鋭く呼気を吐きつつどてっ腹に拳を打ち込む。
だが、男は咄嗟に地面を蹴り、剣を振り下ろす勢いをも利用して横っ飛びに避けてみせた。
「――このガキッ!?」
身を起こした男が睨んでくる。
その目に警戒の色が浮かび始めたが、それはソラも同じだ。
男はすぐに攻撃を再開した。
苛烈な連撃をかわしながらソラは考える。
男の攻撃はチンピラのごとき言動とは違い、腰が据わっていて基本がしっかりしていたのだ。
我流ではない。ちゃんとした指導を受けたことがある、おそらくは軍隊経験者の可能性が高い。
(一応、確かめてみるか)
ソラは男が執拗に追撃してくるのに合わせ、交錯する瞬間に手刀を走らせた。
手刀は男のこめかみをかすり、かぶっていた布を一部剥ぎ取る。
「――ちっ!!」
男はすぐに布を手で押さえて後退するが、ちらっとその頬に走る傷が見えた。
それを見てソラは確信する。やはり以前会ったことがある人物だ。
しかし、後退する男と入れ違うように他の者たちが殺気立ちながら進み出てきたのでソラはもうなりふり構わず撤退するべきだと判断した。
すでに魔導紋は完成させている。
あとは魔力を注いで魔導を解き放とうとしたときだった。
どこからかソラと男たちの間にビンのようなものが投げ込まれ、辺りに白い煙が広がったのだ。
「な、なんだ、こりゃあ!?」
「ちくしょう!! 前が見えねえ!!」
男たちは突然の煙に浮き足立つ。
ソラも突然の出来事に周囲を見回すが、同時にチャンスとも思う。
男たちが混乱している間に急いでサーシャのもとへと戻る。
「失礼するよ」
ソラはサーシャを持ち上げると、続けて<飛翔>を発動させた。
二人の身体がゆったりと浮かんだかと思うと、白いわだかまりを突き破りながら一気に高度を上げ、建物の間を縫うようにして高速で飛行する。
「わわっ!? これって、魔導!?」
「しっかり掴まっててね」
ソラの首元に手を回しておっかなびっくり地面を見下ろすサーシャに微笑みつつ魔導を制御して王宮へと移動する。
この分だと一分とかからずに到着するだろう。
できるだけ地上から目撃されないように高度を更に上げながらソラは先ほどのやり取りを思い出す。
やはりサーシャではなく自分が標的になっていたようだ。
ただ、はじめから殺害するつもりで襲ってきたというのは尋常ではない。
何らかの恨みを買ったにせよ、痛めつける程度ならともかく、有無を言わさずに大人数で殺そうとしてきたのだ。
どう考えてもキナ臭い匂いがぷんぷんとする。
ソラが表情を厳しくしていると、ぐいっとサーシャが顔を寄せてきた。
「凄いよ! クーヤって魔導士だったの!? そういえば、魔導都市の出身だもんね!」
「ああ、うん。まあね」
ソラは曖昧に頷く。
極力街中では使いたくなかったのだが、この場合は仕方ない。
魔導士と知られたところで素性がバレることもないだろう。
「わあ~~~。雲があんなに近いし……こんな高さから街を見下ろすのは初めてだよ」
砂色の髪を押さえつつ、感動したように高速で流れる風景を楽しむサーシャ。
その気持ちは分からなくもないとソラは思う。
ソラも初めて空中を飛んだときは感動したものだ。
あのときの開放感や爽快感は今でも覚えている。
やがて前方に広大な王宮が見えてくるとサーシャはガッカリとした声を出した。
「もう終わりか~。こんなに楽しいのに……」
「この後外せない用事があるんだし、それに従者の人たちも心配してるよ」
ソラは高度を徐々に下げ、王宮の近くにあった公園の一角に着陸した。
木々の間にある目立たない場所でサーシャをゆっくりと下ろす。
「ありがとう、クーヤ! 余裕で間に合いそう。明日は頑張ってね!」
ソラが笑顔で頷くとサーシャは手を振りながら王宮へと走っていった。
少女の後姿が城門の中に消えるとソラも踵を返した。
歩きながら先ほどの光景を思い出す。
(……誰かは知らないけど、さっきは助かったな)
男たちの目を眩ませるように煙幕を張ってくれた人物がいたのだ。
すぐに逃げ出したため、気配を探る余裕まではなかったのだが。
だが、襲撃事件はさすがに無視できない。
ジャルガム商会に戻ってオリガには事情を話しておいた方がいいかもしれない。場合によっては迷惑をかけてしまう可能性もあるのだ。
できれば店主であるボヤンや師にも相談しておきたいが、二人とも一昨日別れたっきり一度も顔すら合わせていないのである。
オリガによれば仕事が相当忙しいらしい。
こうなれば仕方ない。とりあえず不測の事態には自分の力で対応し、明日の決勝トーナメント一回戦に集中した方がいいだろう。
ソラはできるだけ迂回するようにしてジャルガム商会へと帰るのだった。