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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと武術大会
67/132

第1話

「着いたな」


「ようやくですね」


 ソラは連れ人である東方武術の師――クオン・タイガと目の前の街並みを眺めた。

 話には聞いていたものの思った以上に近代化が進んでいる。

 いくら国の中枢とはいえ、ここ数年の発展には目覚しいものがあった。

 現在、ソラたちが訪れているのは中央大陸の南部に位置するゴルモア王国の首都ダルハンである。

 ゴルモア王国は昔から主に遊牧を生業としていた騎馬民族だったが、最近になって便利な魔導技術を取り入れることによって大きく生活が変化してきているらしい。地方ではまだ牧畜が中心らしいが。


「凄いですよね。ついこの前まで魔導に否定的だったのに」


「まだまだ表面だけだ。魔導技術もほとんどが輸入に頼っているようだし、人材の育成が全然追いついていない」


 重厚だがかなり年季の入ったマントを纏ったクオンが渋い声で返す。

 あちこちにエレミア産の魔導技術が使用されているが、それを扱う技術者や魔導士の数は少ない。急速な進歩が歪な構造を作り上げつつあり、そのためにゴルモア王国は何人もの人間をエレミアに送り込んでいるのだ。ソラの級友にも王族出身の留学生がひとりいる。

 南方ゆえにエルシオンよりも強い日差しにソラが目を細めているとクオンが声を掛けてきた。


「参加申し込みを終えたら明日に備えて今日は休んだ方がいいな。疲れているだろう」


「そうですね」


 二人が何の話をしているのかというと、それは今回ダルハンに来た理由にある。

 ソラは街の壁という壁に大量に貼られているポスターを見た。

 そこにはこう書かれていたのだった。

 

 『ゴルモア王国主催武術大会。勇敢な参加者求む!!』、と――。

 


 ※※※



 時はきっかりと二十四時間前にさかのぼる。

 クオンが突然やってきて言ったのだった。


「これから修行の旅に出る。ソラ、君も予定がなければ参加してほしいのだが」


「は?」


 魔導学校から帰宅して、制服から私服に着替え終えたばかりのソラはクオンをぽかんと見上げる。

 師はすでに五十を過ぎているが、いまだに現役の武術家であり、体格はがっしりと引き締まっていて貫禄が半端ではない。

 年の割には若々しい瞳をしたクオンを眺めつつソラは困惑した。

 明日から大型連休に入るのでしばらくはゆっくりできると思っていた矢先だったのだ。

 武術の修行を開始して今年で四年目。十歳になったソラはこれまでクオンと何度か一緒に遠くまで出かけたことはあるがここまで唐突に言われたことはない。


「特に予定はありませんけど……」


 強いて言えば級友が遊びに誘ってくるかもしれないというくらいでソラ自身にはない。のんびりまったりと連休を過ごそうかと思っていた程度である。

 すると、ソラの着替えを手伝ってくれていたメイドのミアが助け舟を出してくれた。


「クオン様。あまりに急なことでお嬢様も困っていらっしゃいます。もう少し説明が必要かと」


「ふむ。そうだな」


 クオンは素直に頷いた。


「実は古い知り合いから用事を頼まれているのだが、私としては昔世話になったので是非とも力を貸してあげたいのだよ」


「師匠の知り合いですか」


 律儀なクオンらしい話だとソラは思った。

 何十年も世界中を旅している師はそれこそあちこちに大勢の知人、友人がいるのだ。冒険者としても活動しているのでその筋の知り合いも多く、ソラの祖父母も一時チームを組んでいた仲間なのである。

 

「……あれ? でも、さっき修行の旅と言ってましたよね。用事というのは魔獣退治とかですか?」


「いや、そうではない。私が用事を済ませている間、君にはある武術大会に参加してもらおうと思っているんだ」


「武術大会!?」


 ソラは唖然とする。

 そのような催しが存在していることは知っていたが、まさか自分が参加することになるとは。

 屈強なおとこたちがリング上で肉弾戦を繰り広げている光景が脳裏に浮かぶが、その中に華奢な少女である自分が混じっているというイメージがどうしても湧かない。


「もちろん、君には優勝を目指してもらう」


 大真面目な表情のクオン。

 どうやら本気のようだ。もっとも師が冗談を口にすることなど滅多にないのだが。


「しかし、武術大会というとさすがに危険ではないでしょうか?」

 

 ミアが形のよい眉をひそめながら懸念を表明した。

 専属メイドとしてはやはり心配なのだろう。仮にも名家の令嬢がそんな大会に出場することなど本来ならありえない話である。

 ソラとしては力を試したい気もするが、あまり目立つような真似をしたくないとも思う。

 師の命とはいえ迷っていると、クオンがまっすぐに目を合わせてきた。


「むろん、危険は皆無ではない。各国から猛者が集結する大会だからな。……だが、今回の大会参加は単なる修行の一環としてではない。私としてはこれまでの修行の総仕上げと位置づけているのだ」 


「え……」


 驚くソラ。

 その言葉の意味を悟り目を見開きながら師を仰ぎ見る。


「そうだ。君に修行をつけるようになってからおよそ三年ほどだがすでに基礎は一通り教え込んだ。よくここまでついてきたものだと思うし、想像以上の速度で修めてみせた。その修行の成果を武術大会で見せてほしいんだ。いわば卒業試験のようなものだ」


「そ、卒業? 待ってください、師匠。私はまだまだ半端者ですよ。奥義のひとつだって使いこなせていないですし……」


「私とて君と同じ半端者だよ。目指す理想からは程遠い修行中の身だ。それに、先ほども言ったが基礎は全て教えた。奥義といっても基礎の延長線上にあるものだ。あとは君次第ということだよ」


 そもそも、わずか三年ばかりで奥義を使いこなせる人間などそうはいないとクオンはかすかに微笑した。

 ソラは内心で動揺する。いつかは訪れることだと分かっていたが予想よりもずっと早かったからだ。

 武術の師としてだけでなく、ひとりの人間としても尊敬できるクオンからまだ色々と学びたいと考えていたのである。

 だが、それは甘えなのかもしれないとソラは思い直す。師とて修行の合間を縫って鍛錬をつけてくれているのだから。


「……分かりました。不肖ながら、このソラ・エーデルベルグ。大会で最上の結果を残せるよう力を出し切りたいと思います」


「うむ」


 ソラがきっぱりと言うとクオンは満足気に頷いた。

 そんな堅苦しい師弟のやり取りを見つめていたミアはまだ不安そうな表情をしていたが、やがて静かにソラの着替えを用意し始めるのだった。



 ※※※



 しばらくして、ミアが手伝ってくれたお陰で素早く準備を終えることができたソラはクオンと共に敷地内にある森の中の修行場に来ていた。

 出立する前に祖父に説明しておこうと思ったが、すでに師が許可を取っているとのことだった。


「ウィリアムは渋々といった表情だったがね」


 とはクオンの談である。

 それはそうだろうとソラは思う。自分の孫娘を武術大会に出場させたがる人間などあまりいないだろう。


「ところで、師匠。何でこんなところに?」


 ソラは森を見回す。

 すぐに出発するとばかり思っていたが、師は門には向かわずに屋敷のそばにある森へと入っていったのだ。

 辺りは静まり返っており、モコモコした一匹のリスがソラたちに視線を注いでいるのみである。


(そういえば……武術大会というだけで、目的地も知らされてないな)


 エレミアにそんなイベントがあるという話は聞いたことがないので当然国外だろう。

 だが、隣国だとしても早く屋敷を出なければ間に合わないのではないだろうか。一週間後には登校しなければならないのだから。

 疑問に思っているとクオンが答えてくれた。


「先ほどはミア君もいたので説明を端折ったが、目的地はゴルモア王国となる」


「ゴ、ゴルモア、ですか?」


 エレミアから大陸南部にあるゴルモア王国に行くとなると馬車でも一週間以上はかかるだろう。天候によってはもっと延びるかもしれない。

 もしかして、師は修行のしすぎでボケてしまったのかとソラは失礼なことをふと思った。


「もちろん、通常の移動方法では到底間に合わない。私ひとりなら三日三晩走り続ければ辿り着ける距離なのだが……さすがに君には無理だろうしな」


 当然だとばかりにソラは頷く。

 クオンは数日なら眠ることなく活動でき、馬よりも速く走れるという規格外の戦士なのである。

 そんな人間についていけるほどソラは非常識ではない。


「しかし、大会が開幕するのが明後日で、私の用事の都合も考えれば明日の夕方までには到着しておきたいのだ。となると手段はひとつしかない」


「……なるほど、そういうことでしたか」


 ソラは納得した。

 ミアがいるときには説明を省き、この場所に来た理由。

 すなわちソラの能力を活用しようということである。


「君には負担をかけることになるが……」


「構いませんよ。これも丁度いい魔法の修行になりますから」


 気遣わしげなクオンにソラは問題ないと頷いてみせた。

 つまり、ソラが編み出した超長距離移動術、<気脈転移>を使用することでゴルモアまで移動しようというのだ。

 通常の魔導における転移術は精々が数メートルから十数メートル程度だが、ソラの魔法による<気脈転移>ならば一度の転移で上手くいけば百キロ近い距離を移動できる。

 ソラが魔法を扱うことはごく一部の人間しか知らないので、おいそれと口外することはできないのである。


「すまないな。実は手紙に気づいたのが今朝でね」


「謝らなくてもいいですよ、師匠」


 ソラは微笑むとさっそく準備を開始する。

 時間をかけてゆっくりと同調率を高めていく。

 脳みそに流れ込んでくる膨大な情報を歯を食いしばって制御する。

 徐々に自分と世界との垣根が薄れていく感覚を覚えつつも自我を必死に保つ。

 やがて、ソラの肩ほどまである髪が淡く蒼色に輝き始めた頃、そっとクオンの分厚い手を握った。


「……それでは、行きます」


 無言で頷いたクオンを目の端に捉えたソラは地形を精査しながら魔法を発動させる。<気脈転移>ができる場所は限られているのだ。

 しばらくして、手を繋いだ二人の周囲から光が溢れ出し、その姿が少しずつぶれ始めた。

 ソラは苦心して魔法を制御しつつも、こちらをつぶらな瞳で見つめていたリスに手を振って挨拶する。彼女とはここ数年で随分と仲良くなったのだ。

 リスが「うきゅっ!」と丸っこい前足を上げて応えてくれ、その可愛らしい姿にソラが微笑んだ瞬間、二人は地面の中に吸い込まれるようにして消えていったのだった。



 ※※※



「……これは、何度見ても感動するな……」


 ソラの隣からクオンの感嘆する声が聞こえてきた。

 ここは気脈の内部であり、あらゆる元素が混じった生命の流れ。

 <気脈転移>とは世界を縦横無尽に流れている気脈の中を移動する魔法なのだ。

 虹色に輝く川をまるで泳ぐようにして二人は進む。

 一見ゆったりと進んでいるように見えるが、この瞬間にも飛躍的に距離を稼いでいることだろう。

 クオン以上にこの幻想的な光景を見慣れているはずのソラも見惚れていた。 

 人の手では決して作ることのできない神秘的な色が折り重なるようにして輝き、ゆるりと世界を巡っている。

 重力を全く感じず、身体が羽根のように軽いのですいすいと駆け抜けていける。

 ソラが爽快な気分に浸っているとクオンが声をかけてきた。


「ソラ。あまり無理はするな」


 思わず見入ってしまったが、気づくと頭が重く精神的にも圧迫されている感覚がある。

 そろそろ休憩を入れた方がいいだろうとソラは思った。

 少しでも制御を誤れば気脈の奔流に飲み込まれてしまうのだから。

 ソラが<魔法使い>でいられる時間はごくわずかなので、慎重にいかなければならない。

 周囲を探ると丁度近くに気穴パワースポットを見つけた。ここからなら出られそうだ。

 ソラはクオンと共に気脈の川を浮上する。

 頭上に勢い良く気が噴き出しているポイントが視えた。

 二人はそのポイントに向かって飛び込む。

 視界が真っ白に染まったかと思うと、ソラたちはいつのまにかどこかの森の中に手を繋いだまま立っていたのだった。


「ふう……」


 息を吐いたソラは暗示をかけなおして普段の自分に戻る。

 無事に一度目の転移を終えることができたようだ。

 これをゴルモア方面に向けて休憩を挟みつつ何度も繰り返すのである。


「ご苦労だったな、ソラ。しばし身体を休めるといい。ちょうど川も近くにあるようだし水を汲んでこよう」


 クオンはポンとソラの頭を撫でて歩いていった。

 どこかから水の流れる音が聞こえてきている。確かにすぐ近くに川があるようだ。

 心身に疲労を感じたソラはそばにあった石に腰を下ろす。

 前回よりも上手に転移をこなした実感がある。魔法を使用できる時間も少しずつ長くなっている気がする。

 初めは忌避していた力だったが、クオンとの出会いから徐々に向き合えるようになってきたのだ。

 だから、師には色んな意味で感謝しているのである。最後は有終の美を飾って報いたいとも思う。

 ソラがそう誓っていると、クオンが戻ってきた。


「気分はどうだ。体調に変化はないか?」


「はい。もう少し休めば大丈夫です」


 ソラはクオンが汲んできた水の入ったコップを受け取る。

 一口飲んでみると冷たい清水は身体に染み渡るようだった。やはり都会で人工的にろ過されている水道水よりも遥かに美味しい。

 クオンが周囲を見回しながら言う。


「この森の植生からいって、すでにエレミアからは出ているようだ。この分だと急がなくても大会前日の受付には間に合うだろう。あと二、三回転移したら軽く食事を済ませて仮眠を取ろう」


 ソラは頷く。

 まだまだ道のりは遠い。師の言うとおりゆっくり進めばよい。

 クオンが注いでくれたお代わりを飲みながらソラは身体を休めるのだった。



 ※※※



 その後、<気脈転移>と休憩を何度も繰り返し、数百キロという距離を移動したソラたちは翌朝になってようやくゴルモア王国へと辿り着いた。

 辺りは見渡す限り草原が続いていて、遠くにいくつもの峻険な山々が連なっていた。


「あれはボグド山だな。ということは、ここはゴルモアの北西部辺りか」


 さすがに世界各地を旅しているクオンだけはあり、二人が最終的に転移した場所もすぐに見当がついたようだった。

 ソラたちは近くにあるらしい村に立ち寄ることにした。そこで馬を借りて大会が開かれる都市まで行くのだ。

 しばらく何もない草原を歩くと移動式のテントが立ち並ぶ集落へと到着した。

 都市部に住む人間以外はこうして先祖代々から受け継いできた暮らしを続けているのだ。

 二人は放牧されている羊やヤギなどの間を縫うようにして集落の中を歩く。

 やがて、数頭の馬がムシャムシャと地面に生えている草を食んでいる囲いの手前まで来た。

 馬の身体を磨いていた浅黒い肌の少年にクオンが声をかける。


「久しぶりだな。長はいるか」


「――あ! クオンさん、お久しぶりです! 今呼んできますね!」


 少年はクオンを見上げて驚いた顔をすると、急いでそばにあったテントの中に入っていった。


「お知り合いなんですか?」


「ああ。以前にも世話になったことがある。あの少年も大きくなった」


 クオンが目を細めていると、少年が髭もじゃの老人を連れて出てきた。

 師と老人とが互いにハグして再会を喜び、ソラも軽く挨拶する。

 この集落の長らしい老人はすぐに馬を用意すると言ってくれた。

 しかもタダでいいらしい。クオンの人脈のお陰である。

 さっそくソラたちは少年と共に囲いの中へと入った。

 純朴な顔をした少年がクオンを見上げる。


「一頭でいいんですか?」


「それでいい。ソラも構わないな」


「はい」


 二人乗りでも一方は体重の軽いソラなので馬にも大した負担にはならないだろう。ましてや精強なゴルモアの駿馬なのだから。

 少年は二人でも乗りやすいように大きめの鞍を取り付けてくれた。 

 さっそくクオンが馬に跨り、その後ソラを引き上げて前に乗せてくれた。後ろの方が揺れるのであぶみのない同乗者は前に乗った方がよいのだ。


「……これ、ウチで作ったチーズだ。ジイちゃんが土産に持ってけってさ」


 別れ際に、少年が何かの革に包まれたチーズをソラに差し出してきた。


「ありがとう」


「お、おお」


 受け取ったソラが礼を言うと、少年は照れたようにそっぽを向いた。 

 二人は少年に挨拶して集落を出発する。

 徐々に速度が上がり、ソラの着込んだローブの裾が激しくはためいた。

 周囲の光景が凄い勢いで後方に流れていく。さすがはゴルモア産の馬だけあってすばらしい脚力だ。

 全身に当たる風も気持ちよく、<気脈転移>とはまた異なる爽快感を味わえた。

 クオンに抱えられるように跨っていたソラは声を大きめにして話しかける。


「親切な人たちでしたね。あの少年はあまり目を合わせてくれませんでしたけど」


「都市に住む者はともかく、遊牧民は外部の人間と接触する機会はほとんどないからな。外国人である君が珍しかったのだろう」


「なるほど」


 真面目腐った表情で語るクオンと、納得したように頷くソラ。

 少年は異国から訪れた綺麗な少女にドギマギしていたのだが、師弟揃って全く気づいていなかったのだった。ある意味似たもの同士である。

 クオンは馬の腹を蹴って更に速度を上げた。

 できれば昼過ぎには到着して受付を済ませておきたいので急いだ方がいいだろう。  

 ソラたちはどこまでも広がるゴルモア高原を一直線に首都ダルハンに向けて駆け抜けるのだった。



 ※※※



 場面は冒頭に戻る。

 ダルハンに到着したソラたちはクオンの知人のもとを尋ねることになった。

 二人はゴルモアの伝統衣装を纏った人間や外国から来た旅行者などでごった返している通りを進む。

 首都だけあって街にはかなりの活気が満ちていた。師が言うには武術大会が開かれる前後は特に盛り上がるらしい。今も路上のあちこちで陽気に踊ったり昼間から酒を飲んで酔っ払っている人たちを見かける。


「今から会う方が古い知り合いですか?」


「まあ、そんなところだ」


 騒がしい通りをしばらく歩くと、クオンはある建物の前で立ち止まった。 


「ここは私の知人が営む店でジャルガム商会という。ダルハン滞在中に拠点とするところだ」


 二人が建物に入ると店内にはゴルモア特産の商品がたくさん並んでいた。様々な乳製品から羊などの毛から作られた衣類などもある。

 もの珍しさに店内を眺めていると、奥からゴルモアの民族衣装を着た初老の男性が声をかけてきた。


「そこにいるのは、クオンじゃないか! よく来たなあ!!」


「ボヤン。壮健そうだな」


 先ほど立ち寄った集落のときのように二人の男は固くハグしあう。


「お前なら必ず駆けつけてくれると思っていたよ。それにしても相変わらず渋い顔をしてるなあ」

 

 嬉しそうにバンバンとクオンの肩をひとしきり叩いたボヤンはふと隣に立つソラへと視線を移した。


「……ん? お嬢ちゃんは誰だい?」


「初めまして、ボヤンさん。私はソラ・エーデルベルグと言います」


「…………」


 しばらく沈黙したボヤンは急に真面目な表情になってクオンを見る。


「……あ~、クオン。まさか、あんたの娘……いや、孫じゃないだろうな」


「……今、その子の名前を聞いただろう。ソラは友人の孫で、私が弟子にとっている子なんだ」


「そ、そうだよな。あんたが結婚してるなんて話は聞いたことないし、まさかとは思ったが隠し子かと思ったよ。あんたは武術一筋だし、そんな甲斐性はないか」


 ホッとしているボヤンにクオンは苦笑した。


「なぜ、そう思ったんだ」


「なんとなくだが、君ら二人は雰囲気が似てたんだよ」


 ソラはクオンと視線を交わす。

 顔形はともかく、白髪しらがで真っ白に染まっているクオンと自分とが並んで立てば祖父と孫に見えなくもない。


「そういえば、エレミアで家庭教師みたいなことをしてると話していたな。この子がそうだったのか。確かエーデルベルグ家といえばエレミアでも五指に入る名門だったな」


 さすがに商人だけあってその辺の知識を抜かりなく有しているようだ。

 ボヤンは人懐こい笑みを浮かべて日に焼けた手を差し出した。


「改めて自己紹介しよう。私はボヤン。このジャルガム商会の主だ。クオンとは昔からの馴染みなんだ」


「よろしくお願いします」


 ソラは思ったよりも硬い手を握り返す。

 ボヤンはぽっちゃり体型に優しそうな表情をした好人物だった。前世でもおデブタレントとしてグルメリポートでもすれば人気が出そうだ。


「それにしても、クオンの弟子になるなんて物好きだな君も。この男のことだから君のような女の子相手だろうが厳しい鍛錬を要求してくるのだろう」


「でも、変な手心を加えずに接してくれるので感謝しています」


「ははは。そうか。中々見所のある子だな。あのクオンが弟子にするだけはあるよ。私の息子たちにも見習ってほしいくらいだ」


 ボヤンは腹をゆすりながら愉快そうに笑っていたがすぐに眉をひそめた。


「……しかし、クオンよ。なぜ彼女を連れてきたんだ。観光でもさせるつもりなのか? まさか、君の仕事を手伝わせるなんて言うんじゃないだろうな」


「それこそ、まさかだ。ソラは私がゴルモアで仕事をしている間武術大会に出場させるつもりなんだ」


「な、なに?」


 唖然とするボヤン。


「……本気か? 大陸中から荒くれどもが集まる大会だぞ。この子が大怪我でもしたらどうするんだ」


「大丈夫だ。ソラが潜在能力の全てを出し切れば優勝もけして不可能ではない」


 きっぱりと言い切るクオンを見てソラは少し嬉しくなる。

 ボヤンはそれでも「う~む」と唸っていたが、


「……ソラ君。手を見せてもらってもいいかい?」


 言われるままに差し出すと、ボヤンはソラの手を触りながらじっくりと観察し始めた。


「ふむ。なるほど……」


 なにやら納得したようにボヤンは頷いてソラの手を離した。


「えっと……?」 


「ボヤンも昔は優れたゴルモア戦士として鳴らしていた男だ。その人間の手を見分すれば大体の実力が測れるんだ」


 首を傾げるソラにクオンが説明してくれた。

 この小太りのおじさんがそんな強者つわものだったとは思わなかったのでソラはボヤンを凝視してしまう。

 対してボヤンは感心したようにソラを見つめていた。


「失礼だが、見た目からは想像できないほどの実力者みたいだね。クオンの言ってることにも納得だ」


「それで、ボヤン。大会期間中この子を預かっていてほしいんだ。私はほとんど動きっぱなしになるだろうし」 


「ああ。もちろん構わないとも。だが、そもそも女の子は出場できないぞ。おまえだって知らないわけじゃないだろう?」


「そうなんですか?」


 ソラの問いにボヤンは頷いた。


「厳密に言えば女性でも出場は可能だ。ただ、よほどの実績を上げるなどして特例で参加する場合だけなんだ。まあ、これでも昔に比べれば緩和されたんだけどね」


 ボヤンはソラを見つめる。


「だから、その格好のままで出場するわけにはいなかいし、万が一にでもエーデルベルグ家の令嬢だとバレればちと面倒だ」


 考え込んでいたボヤンはソラとクオンに店の奥へ来るよう促した。

 どうやらジャルガム商会は店舗兼住宅という造りで奥がそのまま住居になっているようだ。


「おおい!! ちょっと来てくれ、オルガ!!」 


「――はいはい。何ですか。そんなに大声を出さなくても聞こえてますよ」


 大声でボヤンが呼ぶと住居の奥からひとりの中年女性が姿を見せた。

 

「あらあら。クオンさんじゃないか。久しぶりだねえ。相変わらず独り身なのかい? おや、もしかして隣の子はお孫さんとか? これはまた可愛らしい子だねえ!」


 オルガと呼ばれた女性はクオンの肩をボヤン以上の力で叩いたり、ソラの頭を撫でたりしながら早口で喋りまくった。

 客商売をしているおばさんというのは大抵騒がしいと相場が決まっているのである。


「お前、少しは静かにしないか。――こほん。私の女房のオルガだ。ソラ君、何か困ったことがあったらこいつに遠慮なく言いつけてくれ」


 顔をしかめながら言うボヤン。

 ソラはオルガと挨拶を交わす。


「ソラちゃんって言うんだね。ウチを自分の家だと思ってくれていいからね。それで、あたしはどうすればいいんだい?」


「武術大会に出場するために彼女を変装させてほしいんだ」


「お安い御用だよ」


 力強く頷いたオルガはソラの手を引いてある部屋へと連れていった。


「ウチは息子が何人かいてね。お下がりで構わないかい?」


「は、はい」


 オルガはタンスからゴルモアの民族衣装をてきぱきと取り出した。

 初めて着る服なので困惑したが、オルガの手も借りながらソラは着替える。

 しばらくして、着替え終わったソラは元いた場所へと戻った。


「……ほう」


「これは、中々いいじゃないか」


 ソラの姿を見てクオンとボヤンが感嘆の声を上げた。

 少々恥ずかしいが、個人的にもわりと気に入っていたりする。

 ソラは鏡に映った己の姿を眺めてみた。

 足元まである長衣をゆったりと着込み、腰に巻いた幅の広い帯で締めている。足元には先端が反り返った不思議なブーツ。そして、頭部にはターバンに似たものを巻きつけて髪をしまいこんでいる。


「これはまた見事な男装だな」


 ボヤンが納得したように頷いた。

 夫妻の息子が昔着ていた男物の衣装を借りて着込んだのだ。

 ちなみに拳にも頑丈なサポーターを装着し、見た目はどこぞの少年拳士のようである。


「これでも注目を浴びそうだが、随分マシになっただろう」


「これだけ可愛らしい子だから仕方ないよ。それにしても、画に描いたような美少年が出来上がったねえ」


 目を細めてソラを見つめる夫妻。

 元男で現在は女の子である自分が男装するという訳の分からない状況ではあるが、こうしてソラは武術大会に臨むことになったのであった。

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