第14話
「……ありがとう。だいぶ楽になったよ」
身体を軽く動かして感触を確かめるアンディ。
フラドに蹴られたところを含めあちこちに傷を負っていたが、コレットの治癒術によって治癒したのだ。
「コレットさん。見事な治癒術でしたよ。ほとんど回復したようですし」
ソラはアンディの様子を眺めながら微笑んでいるコレットを見つめる。
治癒術師資格を所有しているとは聞いていたが、一切の無駄なく的確に治癒していく制御術は活目に値した。
場合によっては上級治癒術師にも匹敵するかもしれない。
「あはは。これでも一応神官ですから」
照れるコレット。
確かに神官らしいところを初めて見た気がするとソラは思った。
ひとまずはアンディの容態が回復したので安心したものの悠長にもしていられない。
「……それで、アンディさん。さっきの状況を教えてもらえますか?」
「ああ。一通り話すよ。俺も突然のことでよく分かってないんだけどさ」
三人は窓が破れたせいで雨風が吹き込み放題のサロンから離れ、近くの部屋に場所を移した。
あぐらをかいたアンディが喋り始める。
「正面ホールであんたらとはぐれた後、俺とマリアンはいったん中庭に逃げ込んだんだ。ただ、そこも背の高い潅木やらが縦横無尽に生えていて、しかもこの天気だからすっかり迷っちゃってさ。しばらく歩き回ってたんだけどなんとか東区画に辿り着いたんだ。そしたら、いきなりあいつが湧いて出てきて」
「……フラドさんですね。彼の目的については何か知りませんか?」
「分からねえ。あいつは例によって胡散臭い笑顔を浮かべながら話しかけてきたんだ。エリザの行方を知っているとか言って。でも、近づいてきたとたん俺にナイフで切りかかってきて、その次に驚くマリアンに当て身を入れて気絶させやがった。それで……」
「それで?」
ソラが訊き返すが、アンディは顔を青くしながらぎゅっと両手の拳を握りしめた。
「それで……あいつはマリアンの首筋に歯を突き立てたんだ。異常に長い、牙みたいな犬歯を」
「!!」
ソラとコレットは息を呑んだ。
「俺が茫然と見ている前であいつはマリアンの血を吸っているようだった。……最初から気に食わないやつだと思ってたけど、あいつは本気でやばい。得体が知れないんだ」
若干身震いしているアンディをソラは見つめる。やはりマリアンの首にあった小さな穴は噛み傷だったのだ。
すると、隣に座っていたコレットも伝染したかのように震えだした。
「や、やっぱり、そうなんですね? 血を吸う人型の怪物といえば、きゅ、吸血鬼ですよ。それしか考えられません! だとすれば、目的は当然人間の血です!」
「待ってください、コレットさん。吸血鬼はあくまでも伝説の存在ですよ。これまで確認もされてません」
こちらの世界にも吸血鬼伝説は存在する。
不死者の王にして人の生き血を吸う怪物。彼らは総じて美しい容姿をしているとも言われている。
だが、伝説のみで証明はされていない架空の生物なのだ。
「で、でも、ソラさんも見ましたよね? いきなり姿を消して移動したのを。伝説によれば吸血鬼は姿を消したり霧のように変化できるとあります。まさにフラドさんのことですよ!」
確かにフラドが逃げ出すときも、ソラが上から俯瞰で眺めていたにもかかわらず、一切姿を晒すこともなく逃げおおせたのだ。その際に魔導を使っている気配もなかった。外見といい特徴は合っている気もする。
それに、あの妖しく光る瞳。人外の存在であるのは間違いないだろう。
屋敷に来る道中において、フラドの瞳を見たときに意識が混濁したのは勘違いではなかったのだ。
ソラはしばし考え込んでいたがすっと立ち上がった。
「ソラさん?」
「どのみち、捕われた二人を放っておくわけにはいきません。それに、わざわざ私を指名してきたんです。上等ですよ。こうなったらギャフンと言わせてやります」
「それだったら、当然俺も行くぜ。あの二人は物心つく前から一緒にいた大事な幼馴染なんだ。吸血鬼だろうが何だろうが必ず取り戻してみせる」
ソラとアンディが決意を固めた表情で歩き出すとコレットもあたふたしながらついてきた。
東区画を正面ホールに向かって移動する。墓地に行くにはまず屋敷から出ねばならない。
途中、ほかのメンバーとすれ違わないかと期待したが、残念ながら誰とも出会うことはなかった。数刻前まではマリナたちがいたはずなのだがすでに場を離れたようだ。
しばらくして正面ホールが見えてきた頃、コレットがおずおずと口を開いた。
「……あのう。吸血鬼に血を吸われた人間も吸血鬼に変化するって聞きますけど……。もし、そうならお二人も……」
「ちょ、ちょっと、やめてくれよ! マリアンとエリザがあいつの仲間になるなんて考えたくもねえよ!」
「そ、そうですよね! ごめんなさい!」
アンディがギョッとしたように振り向くとコレットは慌てて頭を下げた。
そんな二人にソラは声をかける。
「大丈夫ですよ。あの二人は吸血鬼になったりはしません」
「……断言するけど、なんか心当たりでもあるのか?」
「たぶんですけどね」
何だかんだで不安に思っているらしいアンディにソラは微笑んでみせた。
三人は皆がはぐれた正面ホールへと足を踏み入れる。あのときの喧騒が嘘のように現在はアンデッドの一体すら徘徊していなかった。
びくびくしていたコレットが安堵している。
アンディが扉をゆっくりと開いた。外は相変わらずの大雨である。
ソラの体感時間からしてすでに日が暮れているはずだ。だからか、もともと薄暗かったとはいえ更に闇が濃くなっているようだった。
これからはまさに死者の時間である。そのことを本能的に察しているのかアンディとコレットはごくりと息を呑んでいた。
「それにしても何で墓地なんだ? よりもよって、そんな薄気味悪いところに呼び出しやがって」
「ですよね。アンデッドがたくさん出てこないことを祈りたいです」
「……一番奥にある地下墓所と言ってましたね。――行きましょう」
ソラは二人を促すと屋敷を出て走り出した。
三人が雨の中を走るとすぐに敷地の中央に位置する礼拝堂へと到着する。
そのまま進めばジャイアントと遭遇した廃村へ、そして左側が墓地だ。
三人は左折し、雨でぬかるむ地面を蹴ってひたすら墓地を目指す。
しばらくすると、前方に雨で煙る中いくつかの古びた墓石が並んでいる光景が見えてきた。
ソラが墓地へ入り周囲を見回してみるとそこは思ったよりも広大だった。辺り一帯見渡す限り大量の墓石が立ち並んでいる様はかなり気味が悪い。
しかも、雷が鳴り止まない夜の墓地。目的でもない限り絶対に足を踏み入れたいとは思わないだろう。
だが、幸か不幸かアンデッドが出現する気配はなかった。三人はこれ幸いと急いで墓地を横切り最奥へ向かう。
「……ここみたいですね」
やがてソラたちは地下墓所へと辿り着いた。目の前には豪華な装飾が施された建物がある。
さっそく三人は水分を払い落としながら建物へと入るが、
「うわ。何だよ、これ」
「じ、人骨がこんなにたくさんあるなんて」
アンディとコレットは腰が引けたように壁を見ていた。
それもそのはず。建物内の壁には無数の白い頭蓋骨が飾られていたのだ。
まるで頭蓋骨たちの暗い眼窩がこちらを見つめているような錯覚に陥りそうになる。不気味なことこの上ない。
「納骨堂を兼ねているみたいですね。……あそこに地下へと降りる階段があります」
三人は部屋の奥にあった階段を降りる。
たいして時間もかからずに地下へと辿り着いた。
そこは石で組まれたテニスコートほどの地下空間だった。湿気でじめじめとしていていかにも陰気な場所である。
壁にはいくつもの松明が取り付けられていて煌々とした光を放っていた。フラドが設置したのだろうか。
そして、左右にはきれいに並べられた金属製の棺桶が数基置かれている。
「ま、まさか、あそこからフラドさんが出てきたりして……!!」
「お、おいおい! マリアンとエリザが入ってるんじゃねえだろうな!!」
吸血鬼伝説につきものな光景にうろたえる二人へとソラは声をかけた。
「大丈夫ですよ。あの中には骨しか入っていないみたいです。屋敷を建てる以前から村があったみたいですし、地下墓所は村のお偉いさんなどを葬る特別な場所だったのかもしれませんね」
『――その通りですよ……ソラ・エーデルベルグ』
突然、ソラの言葉に答えるようにフラドの声がどこからか響いてきたのだ。
三人が身構えると同時に奥にあった扉が軋みながら開いた。
その中からフラドの声が聞こえてくる。
『……よく来ましたね。とはいえ、ほかの二人は招待していないのですが……』
「別にひとりで来いとは言ってなかっただろうが!!」
『……まあ、いいでしょう。どうぞそのままお進みください』
アンディが怒鳴り返すがフラドはあっさりと認める。
三人が警戒しつつ扉をくぐると、目の前に飛び込んできた光景に目を見開いた。
構成や広さはひとつ前の部屋と同じである。少々肌寒いがあちこちに篝火が焚かれていてとても明るい。
しかし、問題は壁際に立て掛けられているいくつかの棺桶の中身だったのだ。
「こ、これは……!!」
「……お、女の人!?」
そう。棺桶には青白い顔をした複数の若い女性たちが目を閉じて横たわっていたのだ。
一見眠っているだけのようだが生気は全く感じられない。彼女たちがすでに死んでいることは明白だった。
「……彼女たちは私のお気に入りでしてね。死んだ後も防腐処理を施して生前の姿そのままに飾ってあるんですよ」
語りかけてくるフラドにソラは視線を移す。
そこには豪奢な椅子に腰掛けた漆黒の青年。そして、その両隣にマリアンとエリザが侍るように立っていたのだった。
「マリアン!! エリザ!!」
アンディが声をかけるが、二人は焦点の合っていない瞳で立ちつくしているのみ。
しかもやたらと露出の高いボンテージ衣装のようなものを着せられていたのだ。
もしかしてフラドの趣味なのだろうか。はっきりいってエロい。
「この野郎!! 二人に何をしたんだ!!」
またもや激昂して飛び出しかけたアンディをソラとコレットは必死に押し留めた。これではまた返り討ちに遭うだけである。
剣の柄をギリギリと握りしめながらフラドを睨みつけているアンディを下がらせてソラは一歩前に出た。
「……それで、約束どおりに来ましたけど、二人は返してもらえるんですか?」
「いいでしょう。……ただし、ひとつだけ条件がありますが」
「条件?」
「あなたが私のものになるならば、この二人を返しましょう」
予想外の台詞にソラは「は?」と一瞬思考が止まった。
背後から『ええっ!?』とコレットたちの驚愕する声が聞こえてきた。
さすがに驚いたもののソラはすぐに余裕を取り戻す。
「……どういうことですか」
「別に驚くことでもないでしょう。私は常に美しい女性を追い求めている。……そして、ようやく見つけたんですよ。理想の女性――つまり、あなたを」
「り、理想?」
ソラは唖然とする。
いったい何の冗談なのだろうかとフラドを凝視するが、当人はいたって大真面目な表情で頷いた。
「そうです。賢く、美しく、優雅で高貴。まさしく完璧です」
やたらとベタ褒めしてくるフラド。
また背後でコレットが大声を出していたが、今度はどこか嬉しそうな悲鳴だった。
こんな緊迫した状況でも女の子なんだなあと呆れつつソラは口を開く。
「いまいち意味が分からないんですけど。いずれにしろ、この人たちのようになるのがオチでしょう」
棺桶に飾られた女性たちを眺める。
いずれもきれいな女性たちで、彼女たちも露出の高い服や豪華なドレスなどを着せられている。どのような出自なのかは知らないが、フラドに拐かされてきた犠牲者たちだろう。
すると、フラドは首を横に振った。
「ほかの方々は私にとって餌以上の意味を持ちえませんでしたが、あなたは特別です。……私が『私』になってから百年余り。世界中を巡った末にようやく出会えたんです。私の伴侶を務めるにふさわしい人物にね。ですから丁重に扱いますとも」
真剣な目をしているフラドを見てソラは内心でギョッとした。
どうやら、この男は本気で言っているらしい。
一種の告白と解釈できなくもないが、こんな変態じみた男に言われても気色悪いだけである。人外であるということをさておいてもだ。
ソラが思わず引いていると、アンディが声を震わせながら、
「ひゃ、百年も生きててその姿ってことは、やっぱりお前は吸血鬼なのか!?」
「……私が吸血行為で糧を得ているのは間違いありませんが……まあ、好きに呼べばいいでしょう」
フラドは気障っぽく肩をすくめたが、再びソラに視線を向ける。
「さて、どうしますか? なんにせよ拒否するのならこの二人は返せませんね。……場合によっては、どのような目に遭うか……」
マリアンとエリザの腰を抱き寄せて薄く笑うフラド。手袋に包まれた指が二人の白い肌を這う。
すぐに沸騰しかけたアンディをコレットと押さえながらもソラは考える。
実質、彼女たちは人質だ。もとよりこちらを逃がすつもりはないのだろうが、あまり時間をかければどのような仕打ちを受けるか分からない。
多少のリスクはあるが勝負に出るべきだろう。
腹を括っていると、フラドがほの暗い笑みを浮かべながら付け加えた。
「……それに、本来はあなたの妹君も私のターゲットでしてね。数年もすれば絶世の美女に成長するでしょう。少々元気が過ぎますが、そこは時間をかけて私好みに躾ければよいだけのことですしね……」
「あんた……」
ソラは漆黒の青年を睨みつける。
やはり、この男を放っておくわけにはいかない。
放っておけばこれからも多くの女性が犠牲となるだろうと危惧していたが、よりにもよって妹の名を持ち出してきた。
この男はソラの逆鱗に触れたのだ。
引きかけていた足を戻す。
「……分かりました。あなたの条件を呑みます。その代わり――」
「心得ていますとも。この二人は解放しましょう。あなたの妹君をはじめお仲間にも決して手を出さないと誓いましょう。……ただし、妙な真似をすれば分かっていますね?」
マントをはためかせて立ち上がりながらフラドは笑った。
背後で事態を見守っていたコレットとアンディが血相を変えてソラに詰め寄る。
「ソ、ソラさん!! 何を考えてるんですか!!」
「そ、そうだぜ!! あの二人を返してもらっても、あんたが犠牲になるんじゃ意味がねえよ!!」
しかし、ソラは有無を言わせぬ強い瞳で二人を見返した。
「大丈夫です。私を信じてください」
「で、でも……!!」
「二人をお願いします」
なおも言い募るコレットを制し、ソラは前を向いて足を踏み出した。
フラドは頷いてぱちんと指を鳴らす。
すると、頼りなく立っていたマリアンとエリザがふらふらとこちらに向けて歩き出した。
「安心なさい。時間が経てば正気に戻るでしょう」
二人とすれ違う際にソラが様子を確認しているとフラドが言った。
ソラがフラドのもとへ到着するのと同時に、背後で倒れこんだ二人がコレットたちに受けとめられている気配が伝わってきた。
これで、とりあえず彼女たちの安全は確保したのだ。
ソラがホッとしていると、おもむろにフラドが顎に触れてきた。
「……美しい。まさに神が造りたもうた芸術品だ」
顎から喉へと指が移動する。
鳥肌が立ちそうになるがソラは必死にこらえる。まだ、そのときではない。
フラドはソラの白い髪を触りながら妖艶な笑みを浮かべた。
「そんなに怯えることはない。むしろ、私の伴侶に選ばれたことを幸運に思うことです。私に血を吸われた者は果てしない快楽を味わうことができ、加えて老化を遅らせることもできるのです。その美しさを長い間留めておくことができるのですよ」
無言でソラが見つめていると、フラドは再び顎を掴んだ。
「さあ、私の目を見なさい。そうすれば、あなたは永遠を手に入れることができるのです」
徐々にフラドの瞳が妖しい色を帯びはじめる。
同時にソラの意識が混濁し始めたが、フラドに隙ができていることにも気づいていた。
そのときが来たのだと悟る。
ソラは精神に侵食してくるおぞましい感触に歯を食いしばって耐えながらも、至近距離からフラドを強い眼差しで睨みつけた。
「――あなたの都合のいい人形として生きていくのはごめんこうむりますよ」
「!?」
目を見開いたフラドの腕をかいくぐり懐に入ったソラは気合の声を発しつつ力強く踏み込んだ。
「……はあっ!!」
全力の<内気>を込めて突き出された拳は見事にフラドの腹部に直撃した。
苦悶の声をあげながら後じさるフラド。
「……こ、この小娘がっ!!」
フラドは口から大量の赤い血を吐き出しつつもソラを打擲しようと腕を振るうが、寸前でバックステップして避ける。
魔導さえ使わなければ何の脅威もない小娘だと思い込んでいたのがヤツの敗因だ。
ソラはそのまま下がってコレットたちと合流した。
「だ、大丈夫ですか!? ソラさん!!」
「あんた、接近戦もできるのかよ!?」
「それより集中を切らさないでください! まだ終わってません!!」
二人に鋭く警告したときだった。
腹を押さえながら苦しんでいたフラドの姿が蜃気楼のように揺らぎ始めたのだ。
少しずつ別の形が浮かび上がりつつある。
やがて、そこには真の姿を晒したフラドが立っていた。
「――きょ、きょ、巨大コウモリ~~~!?」
卒倒しそうになっているコレット。
そこには元のフラドよりも一回り大きい、全身が毛で覆われている巨大なコウモリが姿を現していたのだ。
「こいつは吸血鬼なんかじゃありません。『ドラクル』という光を操る魔獣なんです」
「ひ、光を操る魔獣!?」
ソラは顔を引きつらせているアンディに頷く。
『ドラクル』は魔力を用いることで自然界には存在しない光まで作り出して多様な技を駆使することができる魔獣だ。
フラドが人間の姿に化けたり消えたように透明化したのもこの能力によるもので、光を屈折させることで自在な姿をとっていたのだ。一種の光学迷彩である。
フラドと握手したときに妙な違和感を覚えたのも納得である。表面上を取り繕っているだけなので触れればおかしいと分かる。あの手袋はそれをごまかすためのものだ。
人を操作する技も光を使い脳に何らかの影響を与えることで可能とするのだろう。
先のアンディとの戦闘からソラは大体の当たりをつけていたのである。
態勢を整えたフラドは憎悪の色を宿した漆黒の瞳を向けてきた。
『こうなったら、小僧は嬲り殺しにして、ほかの者たちは剥製にしてくれるわ!!』
『シャアアアッ』と身の毛もよだつような威嚇音を発し、皮膜の張った翼をはためかせて襲いかかってくる。
ソラは迎撃しつつ二人に呼びかける。
「あいつの相手は私がします!! 二人はここから離れてください!!」
それぞれマリアンとエリザを背負っている二人は頷いてひとつ前の部屋へと急いで待避していった。自分たちの優先すべきことをちゃんと分かっているようだ。
空中から急襲してきたフラドの攻撃を避けつつ敵を観察する。
相手の内部を破壊する『通打』を用いたが一撃で仕留めることはできなかった。さすがに百年以上生きている魔獣だけはある。
フラドは一度攻撃を止めると、ズンッと重量のある体躯を着地させて話しかけてきた。
『……愚かな娘だ。素直に従っていれば何不自由ない生活もできたのに』
「あなたに養ってもらうほど落ちぶれてないですよ」
特別などち持ち上げていはいたが、フラドは最初からこちらの自我を喪失させて操るつもりだったのだ。おためごかしにも程がある。
それに、自分で言うのもなんだがソラは大商会のオーナーである。こんなヤツの世話になる必要などない。
『小娘。お前は私の奴隷としてしばらく飼ってやる。その後はここにいる女どもと同じように剥製にしてその美しさを永遠に留めてやろう。感謝するんだな』
一方的に言い放ったフラドは能力を駆使してすうっと透明化した。
こちらの隙をつこうというのだろうがそうは問屋が下ろさない。
ソラは神経を集中させ同調率を上げた。周囲の情報が頭の中に流れ込んでくる。
半歩。わずか半歩の移動でソラは背後から振り下ろされた爪を避けてみせた。
『――何っ!?』
死角からの攻撃を避けられるとは思っていなかったのだろう。表面上は何もない空間からフラドの驚愕した声が聞こえてきた。
フラドの気配を明確に掴んでいたソラは距離を取りつつ準備していた魔導を解き放つ。
「<爆発>!!」
『ガアアアッ!?』
最小限の威力に抑えられた魔導はフラドの正面で炸裂し、周囲に魔獣の血と肉片を飛び散らせた。
能力を維持できなくなったのか、空間から滲み出るように血に染まったフラドが姿を現した。
『き、貴様ッ!!』
瞳を血走らせながら何も持っていない大きな左手を振るうが、即座にソラは頭を下げる。
目には見えないナニかが確かに頭上を走った。
すると、カカッという音とともに後方の壁に突然数本のナイフが突き刺さったのだ。
透明化させた上での遠距離攻撃だがソラには通用しない。
『――!? まさか、視えているのか!? 私の攻撃が!!』
ようやく気づいたようだが、もはや手遅れである。
「<炎の矢>!!」
『――ッ!?』
ソラの前に出現した無数の火矢が一斉にフラドへと襲いかかる。
咄嗟に回避行動をとるフラドだがこの狭い部屋の中で逃げ場などない。
数本の矢が身体を貫通し、巨大コウモリは大きな音を響かせながら地べたへと墜落した。
間髪入れずにソラは次の魔導を構築する。これで止めを刺すのだ。
だが、このまま大人しくやられるつもりはないようだった。
突如、フラドの全身がまばゆく輝き出し、部屋中に光の乱舞を撒き散らしたのだ。
「!」
ソラは慌てて目を閉じる。この光を直視したら最悪廃人になるほどの深刻なダメージを脳に受けるかもしれない。
(それでも、時間稼ぎにすらならないけど!!)
もともと視覚に頼っていないソラには意味のない攻撃だ。
通用しないと分かっているだろうにフラドが再度透明化して襲いかかるが、ソラはあっさりと回避する。
ヤケクソになっているのだろうかと思ったがフラドの意図は別にあった。
(……!!)
フラドはそのままソラを追い越して隣の部屋へ向かったのだ。
まだあちらには気絶した二人を抱えたコレットとアンディがいる。今度は四人まとめて人質にするつもりなのかもしれない。
阻止すべくソラは急いで地面を蹴って後を追う。
隣の部屋に入り大声で注意喚起する。
「気をつけてください!! フラドが狙っています!!」
「!? 嘘だろっ!!」
地上への階段に足をかけていたアンディたちが振り向いてギョッとする。
しかし、フラドも相当な手傷を負っているようで、透明化は所々に綻びがあり完璧ではない。これならアンディたちでも視認は可能だ。
ただ、アンディたちも人を背負っているのですぐには身動きができずにあたふたとしている。
『クハハハッ!! これで、また形成は逆転だ!!』
歓喜の雄叫びを上げながら迫るフラドだったが、ここで予想外のことが起きた。
部屋に置かれていた棺桶から一体のスケルトンが突然出てきてフラドの滑空コ-スに割り込んできたのだ。
『!? 邪魔だっ!!』
フラドは飛行しつつ腕を振るう。バラバラになりながら吹き飛ぶスケルトンだが、ほんのわずかな時間的空白ができる。
その瞬間、空白を埋めるように静かで澄んだ声が聞こえてきた。
「――<破滅の波動>」
背負っていたエリザを床に横たえていたコレットが飛来するフラドに向けて杖を構えていたのだ。
すると、杖の先端にある水晶から白い閃光が迸った。
『な……っ!?』
思いがけない不意打ちにフラドは避けることができず白い衝撃波をまともに浴びて倒れこんだ。
撃墜された魔獣にアンディが抜剣して踊りかかる。
「う、うおおおおおおおおおおおおっっっ!!」
『――――!!』
銀色に光る剣が体当たり同然に分厚い胸へと突き刺さりフラドは声なき悲鳴を上げる。
剣は胸部に深々と突き立てられ人間なら即死してもおかしくないが、それでもフラドはアンディを突き飛ばして強引に引き抜こうとした。
さすがは魔獣といったところか。呆れるほどタフである。
(――でも、これで終わりにする!!)
ソラはあがくフラドの背後に迫りながら鋭く呼びかけた。
「フラド……!!」
『!!』
ようやく剣を引き抜いたフラドが振り向く。
ほんの一瞬、ソラの蒼い瞳とフラドの漆黒の瞳とが交錯した。
驚愕に見開かれる瞳を見つめつつソラは魔導を放つ。
「氷破!!」
声高に言い放った瞬間、魔獣は瞬時に凍りつき四散したのだった。
☆補足
フラド……百年以上前に屋敷がある森の奥深くで誕生した巨大コウモリ。ある日、魔力の影響で魔獣に進化して高度な知能を身に付けてからは世界中を旅していた。その後、ソラたちと出会う数カ月前に故郷へと帰ると、廃墟となった屋敷を発見しこれ幸いと地下墓所を住処にしていた。