第12話
わずかな振動を感じてソラは足を止めた。
周囲を見回すが特に異変は見当たらない。相も変わらず陰気な廊下が続いているだけだ。雨もまだまだ止みそうにない。
「……今、少し地面が揺れましたよね?」
隣を歩いていたコレットも気づいたらしく辺りに視線を配っている。
ソラは壁を透かすようにある方向をしばらく見つめていたが、すぐに歩みを再開した。
コレットも慌てて並んでくる。
「何だったんでしょうかね? また、ジャイアントが出てきたとか……。マリナさんたちは大丈夫でしょうか」
「あの三人ならきっと無事ですよ」
マリナ、アイラ、ブライアンの三人は一緒にいる可能性が高い。それぞれ一流の戦士である三人が固まっている限りよほどの危機でも切り抜けられるはずだ。
それに、先ほど建物が揺れたとき、かすかにだが妹の魔力波動を感知した。
おそらく発生元は屋敷の東側二階部分。ここまで届くほどの振動といい何らかの大技を駆使したのだと思われた。
(どうやら、元気でやってるみたいだね)
状況まではさすがに掴めないが、妹らしい実に力強い波動であった。魔力波動は指紋と同じで人それぞれ違っていて特徴があるのだ。
すぐに駆けつければ合流できるかもしれないが、思わぬところに階段があったりとまさに迷路のような屋敷を走り抜けるとなると時間がかかりそうだ。当初の予定通り北区画へ向かうべきだろう。
現在、ソラとコレットの二人は少しでも手がかりを得るべく、西区画を探りながら領主一家が暮らしていたという北区画を目指していたのだった。
「あ、ソラさん。この部屋は比較的きれいですよ」
扉が開いていた部屋を覗き込みながらコレットが言う。
いくつかの部屋を見て回っているのだが、ほとんどの部屋は荒廃していて大した痕跡も残っていない状態なのだ。
二人は部屋へ入る。家具やクローゼットの隙間から見える服からして若い女性が暮らしていた部屋のようだった。
床にひかれた汚れたカーペットには黒く変色した血痕が残っており、コレットが両手を握りしめて祈りを捧げている。
ソラが部屋を注意深く観察していると机の上に一冊の日記が置かれてあることに気づいた。
日記をめくってみるとエイプリルという若いメイドのものらしいと分かった。
初めは名門貴族の屋敷にメイドとして雇われたことに対する喜びの文言が綴られていて、次のペ-ジからも仕事を覚えるのは大変だが今の生活に充実感を覚えているらしいことが書かれていた。
読み進めていくとこのエイプリルという名のメイドは田舎の出身で親元に仕送りをしながら働いている苦労人のようであった。
時に先輩メイドから厳しく叱られてへこんだりと落ちこむような日もあったが、持ち前の明るい性格と勤勉さで日々を頑張って過ごしていることが日記から読み取れる。
ブライアンの話だと屋敷から逃げ出せたのはほんの数人だったらしい。彼女はどうだったのだろうか。やはり、狂った元領主ヴィクター・フランドルの凶手に倒れたのか。
ソラはやるせない気持ちになった。ひとりの身勝手な都合のために、なぜ大勢の人間が犠牲にならなければならないのか。
「……本当に可哀想です。せっかく頑張ってたのに……」
いつのまにかソラの背後から日記を覗き込んでいたらしいコレットが泣きそうな表情をしていた。
まったくだとソラが日記を閉じようとすると、コレットが何かに気づいたように最後の方のページを指差した。
「……あれ? ソラさん。一部引っ付いているページがありますよ?」
「ホントだ。何か糊のようなものがくっついて閉じてたんですね」
ソラが件の箇所をめくると紙の隙間から赤黒い染みが滲んでいるのが見えた。
ピシッと固まる二人。
「……い、一応確認しておきましょうか」
「……そ、そうですね」
ホラーそのものの光景に二人はぎこちなく笑う。
ソラが苦労しながらページを慎重に引き剥がすと、ぺりぺりと乾いた音を立てながらようやく開いた。
中身を確認したソラは思わす声を上げる。
「うわ……」
そのページには茶色く変色した血があちこちに飛び散って固まっていたのだ。
コレットも表情が青ざめている。
ともかく内容を確かめなければとソラは恐る恐る文字を目で辿った。今までのしっかりとした文字とは違い震えながら書いたようにあちこちが蛇行している。
そのページにはある嵐の夜に起こった出来事について書かれており、平穏無事に終了した夕食の後から記述が始まっているようだった。
――夕食後、エイプリルは炊事場で仲の良い同僚たちと皿を洗っていた。
このあとベッドメイクを済ませれば今日の仕事が終わる。
屋敷に来て約一年。やっと一通りの作業を満足にこなせるようになってきた。
時折手紙でやり取りしている両親も生活が随分楽になったと感謝していた。
今度、休暇をまとめて取って久しぶりに里帰りでもしようかとエイプリルが考えていると、玄関ホールの方から突然悲鳴が聞こえてきた。
手を止めた同僚たちとエイプリルが顔を見合わせていると、次々と大きな破壊音と断末魔の声が響いてきた。
彼女らが震えながらも玄関ホールに向かうとそこには衝撃の光景が広がっていたのだ。
フードを被った黒いローブ姿の男が逃げ惑う使用人たちを魔導で殺し回っていたのである。中には屋敷を訪れた来賓客も混じっていた。
茫然自失状態だったエイプリルは男が一瞬顔を上げたときにようやくそれが己の仕える領主だということに気づいた。
すると、おもむろに視線がかち合い、領主はフードの奥で怖気の走るような笑みを浮かべたのだ。
立ちすくむエイプリルに領主は掌を向け無造作に魔導を発動させた。
咄嗟に避けられたのは僥倖以外の何物でもなかった。身体が反射的に動いたのだ。
だが、近くで同じ光景を目撃した同僚たちの首が一斉に飛び、辺りに信じられないほどの血のシャワーを噴出させた。
混乱と恐怖の極地に達したエイプリルは自分でも何を言っているのかわからない叫び声を上げて走り始めた。
背後では領主が狂ったように哄笑していた。
エイプリルは足をもつれさせながらも迷路のような屋敷をとにかく必死で駆けた。少しでもあの領主から離れなくては。
いったいどれほどの時間を走り続けただろうか。足に痛みを覚えてエイプリルはようやく立ち止まった。
そのまま荒い息を吐きながらへたり込む。
頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。以前から何を考えているのか分からない不気味な主だとは思ってはいたが、まさかあのような凶行に走るとは。
エイプリルが膝を抱えながら震えていると、背後から自分を呼ぶ声が聞こえてきてビクッと身体を震わせた。
顔を強張らせながら振り向くと、そこには領主の次女コーデリアが立っていた。
彼女は明るい性格で使用人にも優しく屋敷中の人間から好かれている人物である。
どうやら、いつのまにか北区画まで逃げてきていたらしい。
コーデリアは同僚たちの血で染まったエイプリルに驚いていた。
慌てて駆け寄ってくるコーデリアの姿に安心したのかエイプリルは涙が溢れてきた。
何があったのかを聞かれ、泣きじゃくりながらありのままの出来事を話した。
しばらくして話し終えると、コーデリアは深刻な表情をしてともかく生き残った人間たちといったん屋敷を離れようと提案してきた。
エイプリルは涙を拭きながら頷き、コーデリアの差し出した手を握ったときだった。
すぐ目の前でコーデリアの頭部が破裂したのだ。
首から上を失ったコーデリアの身体がゆっくりと傾ぐのをエイプリルは茫然と見ていた。
やがて、身体が床へ力なく倒れると、その向こうに気配なく立っていた人物の姿が見えた。
掌をこちらへ向けている黒ローブの男。口元が不吉に歪めれられている。
エイプリルはなぜこんなところに領主がいるのかと恐怖で歯をガチガチとさせながら眺めていた。
かなり距離を稼いだはずだ。まさか、あの後すぐに自分を追ってきたとでもいうのか。
いや、それよりもこの男は自分の娘を殺したのだ。あっさりと。
震えている間にも領主はゆっくりと近づいてくる。エイプリルは立ち上がって逃げた。もはや本能だけが彼女を突き動かしていた。
その後も広大な屋敷のあちこちを逃げ回ったが、まるで瞬間移動したように領主はどこにでも現れて家族も使用人の区別もなくたくさんの人間を殺していった。
雨風が吹き荒れる外も同じだった。村から墓地、あらゆるところに領主は出現する。敷地から脱出することは不可能だ。
あの外道に落ちた領主はきっと妖術でも使っているに違いない。気が狂いそうになりながらもエイプリルはそう思うのだった――
「……ん?」
とっかかりを覚えたソラは訝しむような声を出した。
怖々といった様子で一緒に読んでいたコレットが尋ねてくる。
「ど、どうかしました?」
「いえ……」
ソラは顎に手を添えて考え込む。
当初から疑問に思っていたのだ。ひとりしかいない領主が広い屋敷を回って大勢の人間を殺すことは不可能に近いのではないかと。いくら優秀な魔導士とはいってもだ。
何人かは犠牲になるかもしれないが、領主から距離をとって隠れながら逃げ出すことは可能なはずだ。門が通れずとも脚立でも使えばあの高い塀をなんとか越えられるはず。
日記の持ち主であるエイプリルは錯乱状態に陥っていて冷静な判断ができないようだったが、普通に考えればおかしいと分かる。ありとあらゆる場所に瞬時に移動できるはずがない。黒ローブが複数いたと考えるのが妥当だろう。
領主に仲間がいたのか、あるいは――
日記を見つめていると、コレットがペ-ジをめくった。
「――あ。まだ続きがありますよ」
「……ここまできたら最後まで読みましょう」
二人は日記の続きを読み始めた。
敷地内を逃げ回ったエイプリルは最終的に東区画の私室へと退避していた。
分かったことはただひとつ。
ここから逃げることは絶対にできないということだ。
使用人や屋敷の警備員が捨て身で反撃したが、結局、彼らはひとり残らず無残に殺されてしまった。
領主も手傷を負い、ローブのあちこちから血を滲ませていたものの倒れる気配は微塵もなかった。不死身の化け物なのかと思うくらいだ。
大勢の人間の死を間近で見てきた。コーデリアをはじめとした領主の家族たち。仲の良かった同僚たち。エイプリルが淡い想いを寄せていた若い執事も……。
当初に比べて屋敷の中は静かになっていた。風が窓を叩く音と雨が地面を打つ音が聞こえてくるだけだ。
おそらく、ほとんどの人間が領主に惨殺されたのだろう。もしかしたら自分が最後のひとりなのかもしれない。
なぜこんなことになったのだろう。今月の終わりには両親のもとに帰るはずだったのに。
エイプリルはクローゼットの中に隠れ、そっとロウソクの明かりを点けた。ここなら外に光が漏れることはない。
そして、机の引き出しから持ってきた日記帳を開く。これまでの出来事を書き留めておくために。
こんなことをしても無意味かもしれないが、何かしていないと発狂してしまいそうなのだ。
指先を震わせながら日記帳にペンを走らせる。
一心不乱にペンを操りながらも、頭の中ではいつ領主が自分を殺しに来るのかとそればかりを考えている。
この瞬間にも生存者を探し回っているのかもしれない。あの狂気を秘めた瞳をぎょろつかせながら。
エイプリルが夕食の後から自分の部屋に逃げ込むまでの出来事を一通り書き終えると、外から音が聞こえてきて背筋が凍った。
コツ……コツ……。コツ……コツ……。
間違いなく何者かが歩いている足音だ。それも注意深く誰かを探しているかのような。
領主なのか、それともほかの生存者なのか。あるいは、儚い希望だが屋敷の異常に気づいて救出に来てくれた人間なのか。
足音は徐々にエイプリルが潜む部屋へと近づいてくる。
恐慌状態に陥りそうになりながらもエイプリルは右手で口を押さえ、左手に持ったペンで日記を書き続ける。
あまりの恐怖ゆえ手がまともに動かずに文字がぐちゃぐちゃだ。
――そして、とうとう足音はエイプリルの部屋の前で立ち止まった。
キイイと不吉な音を立てながら扉が開く音がした。
エイプリルは身体が大きく震えそうになるのを必死にこらえる。なぜ、わざわざこの部屋に入ってくるのだ。自分が隠れていることに気づいているのか。
部屋に侵入した何者かはゆったりと歩き回っている。一秒ごとに寿命が縮まる思いだ。
しばらくして、足音がクローゼットへと歩み寄ってきた。
エイプリルは絶望感とともにそのときが来るのをただ待つことしかできなかった。
……やがて、クローゼットがゆっくりと開かれた。
ぶら下がっている服の隙間から見覚えのある陰気な顔が覗き込んでくる。
その陰気な顔――領主はエイプリルを見つけると、あの時のように怖気の走る笑顔を見せて言ったのだ。
見~つ~け~た、と――。
「――ぎゃあああああああああああああああ!!」
「――う、うわああああああっ!?」
隣からもの凄い絶叫が聞こえきて、ソラも思わず叫びながらビクウッと身体を大きく震わせた。
やや涙目になりながら横を向く。
そこには極寒の地に放り込まれた人間のごとくガタガタと身震いしているコレットがいた。
「お、驚かさないでくださいよっ!」
「……ご、ごめんさない! 話にのめりこんでしまって!」
まだ心臓が早鐘のように鳴っている。はっきり言って日記の内容よりもコレットの叫び声に驚いたくらいである。
もっとも気持ちは分からないでもない。ソラと同じく本好きなのでエイプリルになりきっていたのだろう。
コレットは目の端に涙を溜めながら血のついた日記に手を添える。
「エイプイルさんはやっぱり……」
「……おそらくは」
さすがにこの状況で助かったとは思えない。
ただ、ぎりぎりまで日記を書いていたことといい不可解な点もあるのだが。
ソラが首を捻っていると、後ろのクローゼットから何かが身じろぐような音が聞こえてきたのだった。
「「!?」」
再度身体を震わせて固まる二人。
「……ソ、ソラさん……? い、嫌な予感がするんですけど」
「……ま、まさかあ。何かの弾みで物が動いたんですよ、きっと」
ホラー映画じゃあるまいしとソラは乾いた笑みを浮かべる。だが、無視するわけにもいかない。
ソラとコレットがおっかなびっくり振り向いたときだった。
バタンッ!! と勢いよく扉を開け放ちながらクローゼットからメイド姿のゾンビが飛び出てきたのだ。
「――うわあっ!? ホ、ホントに出たあ!!」
「――ひ、ひいいいっ!?」
襲いかかってくるメイドゾンビを見て悲鳴を上げる二人。
ソラは咄嗟にコレットを突き飛ばし、その反動で自分も攻撃を避ける。
本来なら雑魚に過ぎない相手なのだが、見た目のインパクトに加えて絶妙のタイミングだったために動揺を抑えられなかったのだ。
突き飛ばされて尻餅をついたコレットへとメイドゾンビが不気味なうめき声をあげながら迫るが、ソラはすぐに魔導を編んで解き放った。
「<氷の壁>!!」
メイドゾンビは瞬時に氷の柱に閉じ込められて動かなくなった。
ソラは呆然と床に座り込んだままのコレットに手を貸して立ち上がらせる。
「……も、もしかして。この方が……」
「……分かりません」
メイド服はぼろぼろで身体の損傷もひどい。たとえエイプリルの身内でも判別は困難だろう。
二人はしばらく固まったままのメイドゾンビを見つめていたが、ここで時間を浪費するのはもったいないと再び北区画を目指すことにした。
歩きながらもソラは先ほどのゾンビのことを考える。
「……それにしても、あのゾンビは何であんなところに潜んでたんでしょうかね」
「そうですよね。口から心臓が飛び出るかと思いましたよ」
同意するように頷くコレット。
よく考えてみれば、あのゾンビはソラたちが日記を読んでいる最中ずっと隠れていたことになるのだ。
まさか、ホラーもののゾンビのごとく人を驚かせるのが仕事というわけではあるまい。
幽霊屋敷の名にふさわしいビックリ館ではあるが。
その後も何度かアンデッドに出くわしたが、その都度ソラが魔導で撃退していった。例のアンデッドグモ以外ならどうといった相手ではない。
ほどなくして二人は北区画へと入った。領主の家族が生活していた場所。部屋を探れば何か謎を解くようなヒントがあるかもしれない。
一階には小さなホールがあり、階段を登った二階に家族たちの部屋があるらしい。
「……ここで大量のアンデッドに襲われたんです。それで、私だけを逃がしてくれて……」
コレットが悲しそうな表情でホールを見回す。
一カ月前に彼女を連れて行ってくれた冒険者たちと離れ離れになった因縁の場所となればやはり平常心ではいられないのだろう。
しばらく彼らのわずかな痕跡でも探すように辺りを見ていたが、やがてかぶりを振りながら言った。
「……行きましょう。二階の部屋を探索するんですよね?」
「ええ。何かしらの情報があるかもしれませんから」
二人は二階へと上がる。
木でできた階段は一部が腐っているのか、時折ぎしぎしと軋む音がした。
二階へ上がると目の前には赤いカーペットが敷かれた幅広い廊下と左右に扉がいくつかあるのが見えた。
扉と扉の間隔から推察するに使用人のそれとは比べものにならないくらい広めに部屋がとられているようだ。間違いなくここが家族の部屋なのだろう。
ソラたちは一部屋一部屋を丹念に探索する。
今では埃まみれであちこちが傷ついてしまっているが、部屋の装飾や家具などは実に豪華だ。国内でも有数の貴族の部屋だけはある。
どうやら手前にある二つは娘たちの部屋のようだった。服や装飾品から一目で若い女性が使っていたと分かる。
元領主にはクララとコーデリアという二人の娘がいたと御者のおじいさんから聞いている。
一方の部屋は落ち着いた、もう一方は明るい雰囲気とそれぞれ個性が出ていた。おそらく、前者が姉で後者が妹の方なのだろう。
娘たちの部屋を観察した後は妻カレンの寝室を見回る。
だが、ここでも特に何の手かがりも見つからなかった。
普通に女性が使用していたというだけの部屋だ。おかしなところは微塵もない。
「やっぱり、あの奥の部屋に……」
「たぶん、そうでしょう」
二人は廊下の突き当たりにある扉を見つめる。
あそこが元領主の部屋のはずだ。位置的には屋敷で一番北にあたる部分である。
ゆっくりとカーペットを踏みしめながら進む。
「コレットさん、気をつけてくださいよ」
「は、はい」
部屋の前に到着したソラはドアノブを握りしめながら注意する。
この屋敷で最も怪しい部屋だ。何が飛び出てくるか分かったものではない。
特に気配は感じられないが、ソラは慎重に金色のドアノブを回す。
しかし、先ほどのようにゾンビが不意をついて出てくることはなかった。
ホッとした表情のコレットと顔を見合わせつつ、ソラは部屋へと踏み込んだ。
「これは……」
ソラは思わず感嘆の声を上げつつ部屋を見回す。
そこには背の高い本棚が所狭しと並んでいたのだ。端っこに窮屈そうにベッドが置かれてあった。
ここほどではないが、ソラの部屋も同じく本に囲まれているのでなんとなく共感できるのだ。
「うわあ。凄いですねえ」
「確かに。……とりあえず、アンデッドもいないようですし、手分けして見ていきましょう」
「そうですね」
ソラとコレットは探索に移る。
大量の蔵書をいちいちチェックするのは骨が折れるので、とりあえず適当に何冊かの本を棚から抜いて調べる。ほとんどが魔導関連の本のようだった。
一通り本棚を見て回ったソラは部屋の奥にあった大きな執務机を調べ始める。
引き出しを開けて中を確認するがどうでもいい書類などが入っているだけだ。
次にソラは机の隣に置かれてある本棚を眺める。
すると、そこに数冊の日記のようなものを見つけた。
内容を読んでみると、エイプリルの日記とは違い、事務的に日々の出来事を書いてあるだけの日誌のようだった。
パラパラとめくっていき、最後のページ――五年前の日付が記されたペ-ジを読むが、ヒントとなるような都合のよいことは書かれていなかった。
ただ、一部分だけ、これまでの几帳面で整然とした文字とは違って書き殴ったような文章があったのだ。
そこには短くこう書かれてあった。
――『私は、とんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない』、と。
「…………」
ソラは日誌を戻しつつ考える。
生み出してしまった怪物とは何のことなのか。
もしかしたら、思った以上に厄介なことになるかもしれない。
眉をひそめていると、ソラは壁際に家族を描いたらしい肖像画が掛けられているのを発見した。
中央には椅子に座った中年の男性。これが元領主なのだろう。言ってはなんだが陰気な顔つきをしている。いかにも研究者タイプの魔導士といった人相だ。
そして、元領主の周囲を三人の女性が取り囲むようにして立っていた。妻と娘たちのようだ。
「……え?」
はじめは気づかなかったが、しばらくしてソラは呆けたような声を出した。
(――似てる)
服装や雰囲気、それに髪の色が違うので、知り合いでも思わず見落としてしまうかもしれない。だが、よくよく見てみれば顔の造りが似ていたのだ。
ソラが肖像画を凝視していると本棚越しにコレットが顔を覗かせた。
「? 何か見つかりました?」
「いえ、特には」
首を振ると、コレットがベッドの近くにある壁を指差した。
「あの。あちらの壁に怪しげな隙間を見つけたんですけど」
「隙間?」
コレットの誘導で問題の壁へと向かうと、壁際に置かれた本棚の横にわずかな隙間が空いているのが見えた。どうも隠し部屋があるようだ。はっきり言って怪しいにも程がある。
ソラはコレットと二人がかりで本棚を押してみるがびくともしなかった。この分だと中の本を抜いても動きそうにない。
「どこかに本棚を動かすスイッチがあると思うんですけど……」
「そう言われても……」
二人で周囲を見回していると、コレットが床に落ちていた本につまずいた。
「あ、あわわっ!?」
反射的に近くの壁に取り付けられていた金属製のランプを掴むコレット。
すると、ランプはガコンと小気味のよい音を立てながらわずかに沈み、本棚が埃を撒き散らしながら横にスライドしたのだった。
『…………』
ぽっかりと開いた空間を無言で見つめる二人。
「もしかしたら、コレットさんには冒険者の素質があるのかもしれませんね」
「ぐ、偶然ですよ~」
少し照れた様子のコレットとともにソラは隠し部屋へと入る。
そこには、やはり大量の本が置かれてあった。
だが、その中身が問題だった。
「……!!」
ソラとコレットは息を呑む。
本棚にぎっしりと詰め込まれている本たち。それらは全て死霊術に関する本だったのだ。
(……やはり、そうなのか?)
ソラは奥歯を噛み締める。
五年前の事件において、一夜にしてアンデッドが溢れていたのは――
「……まさか、例の事件は……」
「……まだ、分かりませんよ。これだけでは」
ソラは不安そうにローブを掴んでくるコレットに答えながらも可能性は高いと踏んでいた。
死霊術とはその言葉の通り人工的に死霊を生み出す技術のことだが、忌まわしき邪法として世界中で禁止されている。
だが、魔導士の中には密かに怪しげな研究をしている人間がゴマンといるのだ。
元領主なら秘密の研究室を設けるくらいの資金も十分に持っているだろう。
先ほどの日誌に書いてあった怪物とは強力なアンデッドのことなのかもしれない。
ソラは隠し部屋を観察しながら、ここにはこれ以上手がかりはなさそうだと判断する。
「コレットさん。マリナたちと合流しましょう。あちらも何か掴んでいるかもしれませんし」
頷くコレット。若干顔色が悪いが仕方ないのかもしれない。
二人は連れ立って部屋を出る。
辺りに注意を配りながら歩いてホールに戻ると、誰かが咳き込む声が聞こえてきた。
「?」
ソラとコレットが思わず顔を見合わせて下の階を覗き込むと、暗い中に黒いローブ姿の人間がうずくまっているのが見えた。
「あれって、カーライルさんじゃないですか?」
「――あっ! ちょっと、コレットさん!」
止める間もなくコレットは階段を降りていってしまう。
ソラも急いで後に続く。
カンカンと二人分の足音が甲高くホ-ルに響いた。
先に到着したコレットが背中をさすりながら声をかける。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。すまんのう、お嬢ちゃん」
「あれ?」
コレットが怪訝な声を上げた。
それもそのはず。黒ローブの誰かはカーライルではなく、そもそも知らないおじいさんだったのだ。
ソラの位置からも豊かな白ひげ付きの横顔が見えている。かなり高齢のおじいさんのようだ。
「何でこんなところにおじいさんが……。どこかから迷い込んだんですか? ともかく出ましょう。手を貸しますから」
「ああ……。お嬢ちゃんは優しいのう」
心優しいコレットが枯葉のような手を握るとおじいさんは感動した声を出した。
しかし、ソラはおじいさんの声にわずかな妖気が混じったのを感じ取り、急いで二人に駆け寄る。
だいたい、アンデッドがうろつく危険な場所にお年寄りがいるわけがないのだ。
「コレットさん!! 離れて!!」
「え……?」
きょとんと振り向くコレットの手を万力のように握り締め始めるおじいさん。
「ちょ、ちょっと、おじいさん? 痛たたたっ!?」
痛そうに身をよじるコレットに対しておじいさんは髭の下の口を半月状に歪め、骨が剝きに出しになったもう片方の手を出して首を絞めたのだ。
「……その優しさついでに、お嬢ちゃんの命もくれんかのうっ!!」
「ひ、ひいいっ!?」
「このっ!!」
いきなり首を絞められて悲鳴を上げるコレットを救出すべく、ソラは最後の一歩をおもいきり踏み込んで拳打を叩き込む。
だが、一瞬早くおじいさんは後方へと跳び退った。
「ひゃははっ!! 危ない! 危ない!」
軽く十メートル以上は跳躍している。とてもおじいさんの身体能力ではない。
ソラは咳込むコレットを後ろにかばう。
「けほっ! けほっ! な、何なんですか、あのおじいさんは?」
「リッチですよ」
「リ、リッチって、あの?」
愕然とおじいさんを見るコレット。
リッチとはレイスと並ぶ上級アンデッドである。
レイスとは違って肉体があり、高い知能を有しているので、外見上は人間のように見えることもあるのだ。
だが、ある意味レイスよりも厄介な相手である。
レイスほどではないが<生命力吸引>を扱い、そして何より――
「……コレットさん!!」
ソラはコレットを抱えつつ横っ飛びする。
すると、今までソラたちがいた空間を大きな炎の塊が通り過ぎていったのだ。
炎は壁にぶち当たり大きな穴を穿った。
「……あわわ! これは!!」
そう。リッチは魔導士がアンデッドになった怪物であり、魔導を駆使するのだ。
「ほほお。よう避けたのう」
今や全身から強力な妖気を立ち昇らせたおじいさんが左手に巨大な炎の塊を生み出し、濁った瞳を不吉な赤い色に染めたのだった。