第10話
ソラが巨大グモと遭遇して卒倒しかけていた頃、マリナたちは屋敷の東側にある一階の部屋で息を潜めていた。
先の玄関ホールでの戦いで突如アンデッドの第二波が襲来し、ソラと分断されたマリナ、アイラ、ブライアンはほかの冒険者たちを逃がすために必死で立ち回りなんとか全員を逃がすことに成功したが、その後、三人は完全にアンデッドたちのターゲットにされ、追いすがる死者の群れを振り切ってなんとかこの部屋へと逃げ込んだのだった。
「……ふい~。やばかったね~。あれだけの数ともなると」
マリナはようやく一息ついて床に座り込んだ。
下級のアンデッドが相手なら不意を突かれない限り何の問題もないが、あれほどの大群ともなると多勢に無勢というものだ。三人で連携して追い払うにも限界がある。
「まったくだな。さすがに俺も一時は死を覚悟したぜ。あいつらと違って一度でも致命傷を負えばお陀仏なんだからよ」
こちらも疲れきってへたりこんでるブライアン。もうオッサンなので体力的にきついのかもしれない。
すると、先ほどからそわそわと落ち着きなく部屋をうろいついていたアイラが声を張り上げた。
「こんなところでのんびりしている暇はありません! 一刻も早くソラお嬢様と合流しなければ!」
「――おわっ! ちょっ、アイラ嬢ちゃん! 大声を出すなよ……!」
ブライアンが声を潜めながら慌ててアイラを抑える。
部屋の外からは時折アンデッドが蠢いている音が聞こえてきているのだ。今もマリナたちを探し回っているのだろう。
すぐに口をつぐんだアイラだったがその表情には焦りの色が濃く出ている。
「……ともかく。最優先すべきはお嬢様との合流です。ついでにコレットも」
「コレットちゃんはついでなのかよ。まあ、あの二人は一緒だろうけどな」
その意見にはマリナも同意するところである。追いかけていった姉がコレットを見失うような失態を犯すとは思えない。
「心配なのは分かるけど、お姉ちゃんなら大丈夫だよ、アイラ」
「俺もそう思うぜ。一流の魔導士なうえに接近戦もこなせるみたいだしな。よほどの相手でもそうそう引けは取らないだろう」
二人でなだめるように言うとアイラは力なく首を横に振った。
「もちろん、お嬢様の実力を疑ってはおりません。……しかし、コレットという足手まといを連れた状態では……」
「「……あ~」」
その意見には反論できないマリナとブライアンだった。
しばらく場に沈黙が降りるが、再びブライアンが口を開く。
「……でもよ、ソラ嬢ちゃんたちがいるのはこことは反対側の西区画だろ? また、あの玄関ホールに戻るのは勘弁だぜ。大量のアンデッドどもがまだうろついるかもしれないしな。ほかには中庭を経由するって手もあるが……いずれにしろ、複雑な造りになっている屋敷を突破するには時間がかかるだろうぜ」
「む……」
アイラは難しい顔をして黙り込んだ。
マリナもさてどうしようかと悩む。
姉のことを全く心配していないわけではないが、ブライアンの言うとおり合流するのは骨が折れそうだ。
それに、あの二人がじっとしている保証もないし、最悪すれ違いを繰り返す可能性もある。散り散りになった冒険者たちの安否も気になるところだ。
屋敷の構造をある程度把握しているというブライアンの話だと、東西南北に分かれている四区画の中でこの東側は来賓客のための区画らしい。それにしても広すぎるというか、それこそ百を超える部屋数が存在しているようだが。
部屋の中を見回すマリナ。
大貴族の屋敷だけあって豪華な作りだ。マリナたちが昨夜まで泊まっていたスィートルームにも引けは取らない。
部屋の壁に掛かっている絵画も値が張りそうである。芸術に興味のないマリナもお金持ちの実家で一級の品をいくつも見ているのでなんとなく分かるのだ。長い間放置されていたので黒ずんでしまっているが。
(……やっぱり、屋敷を探索しつつ、みんなと少しずつ合流していくのが現実的かなあ)
ぼんやりと絵を眺めながら考えていると、ふいにマリナのお腹が鳴った。
静かな部屋に可愛らしい音が響き、アイラとブライアンの視線が集中する。
「……とりあえず、お昼はとっくに過ぎてると思うし、ご飯にしない? 『腹が減っては戦はできぬ』とも言うし」
マリナはごまかすように笑いながら提案するのだった。
三人は薄暗いで部屋でもそもそとサンドイッチを食べていた。
外では相変わらず激しい雨が降っており雷の音が頻繁に部屋へと響いてくる。
普通ならこのような陰険な場所での食事など気が滅入るだけだろうが、たまには悪くないとマリナは思う。これはこれで乙なものだ。
「それにしても、このサンドイッチは本当に美味いな」
ばくばくと豪快に食べるブライアン。
マリナとアイラは持参していたソラ特製サンドイッチを昼食にいただいていたのだが、ひとり味気ない携帯食をまずそうに食べていたブライアンが物欲しそうに眺めていたので少し分けてあげたのだった。
アイラもほのかに表情を緩ませながらサンドイッチを食べている。食事をとることで少し落ち着いてきたようだ。
「当然だろう。お嬢様はそこらの料理人よりも確かな腕をお持ちなのだ。だから、一口一口をしっかりと噛み締めて惜しみながら食べろよ。本来、お前のようなヤツが食せるものではないのだからな」
「へいへい。分かってるよ。それにしても、サンドイッチとはいえ手料理を食べるのは何年ぶりかねえ……」
なにやら哀愁を漂わせながらブライアンは二つ目にとりかかる。
マリナも姉が朝早く起きて作ってくれたサンドイッチをはむはむとぱくつきながら、当の本人は今頃何をしているのかと思いを馳せる。
「……お姉ちゃんたちもお昼を食べてる頃かな」
「かもな。……ほかの連中も無事だといいが」
こちらも分けてもらった紅茶を飲みながらブライアン。
あの場からは逃がすことができたとはいえ、思った以上にアンデッドの数が多い。この屋敷、いや敷地内に安全地帯など存在しないのだ。
「……でも、さっきから腑に落ちないことばかりだよね。玄関ホールのときも、アンデッドたちはまるで私たちを分散させるかのような動きだったし。……ブライアンさん。何か知らない?」
「……何で俺に聞くんだよ? 俺だって困惑しきりだぜ」
マリナはちらりと視線を向けるがブライアンは肩をすくめるだけだった。何か知っていそうな気がするのだが、やはり素直に喋るほど甘くはないようだ。
今度はアイラがブライアンを見据える。
「その割には屋敷の構造にも通じているようだがな」
「多少の情報くらいは仕入れてるさ。これまで冒険者たちが何度も挑戦してるからな」
「そう? 冒険者協会でも全体図までは把握してなかったけどね」
「……何だ、二人してよ。というか、最低限の情報収集はしてるみたいだな」
当然だとマリナは頷く。
昨日、一通り買い物を済ませから再び冒険者協会に立ち寄って受付のお姉さんから話を聞いていたのである。
「お姉さんの話だと五年前に屋敷の人間が惨殺された後、急にアンデッドが大量発生したのには何か訳があるんじゃないかって一時疑問視されてたって言ってたけどね」
「あちこちで何件か同じような事例は確認されてるけどな。この土地の条件に加えてあれだけの悲劇が起こったんだ。怨念を抱えたアンデッドたちが大量に生まれてもおかしくはないわな」
食事を済ませたらしいブライアンはよっこらせと座りなおしてあぐらをかく。
オッサンそのものの仕草を眺めながらマリナはカマをかけてみることにした。
「――そういえば、今朝ブライアンさんが遅れて来たとき、やけに焦っていたように見えたけど……実はこの屋敷と関係あるんじゃない?」
ブライアンの呼吸が一瞬だけ止まった。
すぐに平常通りに戻ったが、マリナは心の中でビンゴと微笑む。老練な冒険者といえど急に別の方向から攻められれば全く反応せずにはいられないのだ。
ブライアンは頭をぼりぼりとかきながら呆れたようにマリナを見る。
「……たく。怖ろしい嬢ちゃんだな。どうしてそう思うんだ?」
「一言で言えば、勘かな」
「ただの勘かよ。……だが、今俺が言えることはねえな。憶測だけでものを語るもんじゃないし。いずれにせよ、当初の目的どおり屋敷のどこかに隠してあるらしいお宝を目指せば自ずと分かってくるはずだぜ」
それだけ言って口を閉ざすブライアン。
どうやらこれ以上話すつもりはないらしいが、遠回しに何かを知っていると認めたようなものだ。
(……まあ、ここまでかな。ブライアンさんも核心まで掴んでるわけじゃなさそうだし)
マリナは潮時だと見切りをつける。
すると、黙って二人の会話を聞いていたアイラがブライアンを睨んだ。
「……ひとつ言っておくが、お前の思惑が何であれ、お嬢様たちに危害を加えようとしたならそのときはただで済むと思うなよ」
「分かってるよ。少なくとも俺はお前さんたちの敵じゃない」
両手を上げて敵意はないとアピールするオッサンを見て、アイラはフンと鼻を鳴らして矛を収めた。
しばらくして、マリナとアイラも食事を終えるとブライアンがぽつりと言った。
「……まあ、カーライルの野郎ならそれこそ何か知ってそうだけどな」
「カーライルってあのいかにも怪しそうな魔導士のオジサンだよね。ブライアンさんの古い知り合いの」
「何だ、会話を聞いてたのか? 本当に姉妹揃って抜け目がねえな。……だが、あいつは俺よりもずっと口が堅いから聞きだすのは不可能に近いだろうな」
礼拝堂で謎のオブジェについて語っていたカ-ライルを思い出す。あの男はブライアン以上に何らかの情報を掴んでいそうだった。
マリナはそろそろ休憩は終了だと立ち上がる。空腹が解消されれば元気も充填された気分だ。
「それはそうと、コレットさんも色々と思うところがあるみたいだったよね」
「あの子もひとりで逃げ帰ってきたことに罪悪感があるんだろう。何だかんだで責任感が強そうだし」
「ほかにも、何かありそうな気がするが……。人は見かけによらないものだからな」
双剣のチェックをしているアイラの言葉にマリナは思い出し笑いをした。
「そうだね。コレットさんの隠れた趣味を知ったときはちょっとびっくりしたよね。でも、一度読んでみたいかも、プライアンとブラドの恋愛物語」
「……本気で勘弁してくれよ。話の中とはいえあの優男と乳繰り合うなんてよ。……うっ! 思い出したら吐き気がしてきた」
コレットの妄想の世界でフラドといちゃいちゃさせられていたブライアンが気分の悪そうな顔をしている。
準備を済ませた三人は探索を進めながらほかの人間との合流を目指すことにした。
「――それじゃあ、改めてしゅっぱ~~~つ!!」
マリナは元気良く右手を振り上げる。
そして、三人が扉へ向かおうと足を踏み出したときだった。
頭上からドンッと大きな音がしたのは。
それから、ドタドタと床を踏み鳴らす複数の足音。
「……二階にはぐれた冒険者がいるのか?」
「たぶんな。これは人だろう」
天井を見上げるアイラとブライアン。
マリナは大剣を背負いなおしながら声をかける。
「ともかく急がないと! 誰かがアンデッドに襲われてるかもだし!」
「だな。また、アンディ坊やが首を絞められてるかもしれないしな。……それにしても、本当にいい度胸してるぜ、あいつ。あの程度の実力で挑戦するなんてよ」
一足早く駆け出したマリナを追うようにアイラとブライアンも走り出す。
三人が部屋を出るやいなや廊下をうろついていたスケルトンと鉢合わせたが、すぐにマリナの大剣がうなりをあげて弾き飛ばした。
スケルトンは身体中の骨がバラバラになりながら窓を突き破って外へと落ちていった。
続けて庭師姿のゴーストが隣の部屋からぬうとすり抜けて現れるもアイラが双剣を振るって瞬殺する。
斜めに斬り裂かれ、『ギャアアア』と悲鳴を上げながら消滅していくゴースト。
その後も何度かアンデッドと遭遇するが、先頭を走るマリナとアイラのツートップが瞬時に駆逐する。
ほとんど出番のないブライアンが手持ち無沙汰そうに二人の背後からついてきていた。
「まったくもって勇ましいこったな。そういや、アイラ嬢ちゃんは愛しのお嬢様との再開を優先させなくていいのかよ?」
「……闇雲に探し回っても見つかりそうにないことは私も理解している。――無駄口を叩いてないで急ぐぞ、プライアン!」
「調子が出てきたみてえじゃねえか。 ――って、誰がプライアンだ、コラッ!!」
三人が速度を緩めることなく廊下を走り抜るとようやく二階へ上がる階段が見えてきた。
勢いそのままに階段を駆け上がる。
「また、同じだけあの長い廊下を走らなけりゃならないのかよ。うんざりだな」
ぶちぶちと文句を言っているオッサンを無視してマリナは先を急ぐ。広い上に複雑で分かりにくい構造なので確かに面倒である。
しばらく無数の扉が連なる廊下を走っていたが、ずっと先に広めの空間があるのが視認できた。どうも来賓客のための談話室か何かのようだ。
(位置的に音が聞こえてきたのはあの辺のはずなんだけど)
マリナは大剣を引っさげつつ足の回転を上げる。
三人が談話室に飛び込むと、そこには驚きの光景が広がっていた。
ゆったりとくつろげるように広めのスペースがとられた談話室の床から天井にまで何体ものゴーストたちが群れをなして飛び回っていたのだ。
そして、今まさにゴーストたちに襲われて悲鳴を上げている五人の冒険者たち。途中ではぐれたアルファベット戦士団であった。
ひとりがゴーストに憑依されたのか自らの首を絞めており、またひとりは複数のゴーストに囲まれて身体中を掴まれて恐怖に顔を引きつらせている。悪夢のような光景とはこのことである。
「うわっ!! 何なのこれ!」
「こいつは、最悪だな!!」
「とりあえず、ひとりひとり助けるぞ!!」
マリナたちはまず壁にぐったりともたれこんでいる戦士Cをかばいながら三体のゴーストと立ち回っている戦士Eことイーサンの救援に向かう。
三人でそれぞれゴーストたちを斬り伏せると、解放された戦士Eはよろよろと脱力した。
駆け寄るマリナたち。
「大丈夫ですか? Eさん!」
「……あ、ああ。助けてくれてありがとう。君たちも無事だったんだな。……今、名前を呼ばれたときに、若干ニュアンスの違いを感じた気がしたけど……」
「そんなことはありませんよ」
危ない危ないとマリナは心の中で舌を出す。昨日、姉から聞いていたアルファベット戦士団の呼び方が便利だからと自分も使っていたのだ。記憶力には自信があるので彼らの名前を覚えること自体には問題ないのだが。
ブライアンが戦士Eを助け起こす。
「お前さんとそっちの……え~と、シリルだっけか。二人とも合流してたんだな。途中ではぐれたから心配してたんだぜ」
「は、はい。礼拝堂に向かう途中で横合いからアンデッドに襲われたんで仕方なく俺とシリルは走る方向を変更したんです。その後、屋敷の側面に通用口を見つけて屋敷内をうろついていたんですけど……しばらくしたらエースたちの悲鳴が聞こえてきて、さっき駆けつけたところなんです」
「C……じゃなくて、シリルさんは大丈夫なんですか? 気を失っているみたいだけど……」
「少し脳震盪を起こしているだけだから大丈夫なはずだよ」
マリナの問いに戦士Eは仲間の顔色を確認しつつ頷く。
会話するマリナたちの背後から二体のゴーストが襲ってきたが、アイラが左右の双剣で時間差をつけて消滅させた。
「……それで、これはどういう状況なんだ。これだけのゴーストが一斉に襲いかかってきたのか?」
アイラの問いに戦士Eは顔を青くしながら首を横に振った。
「い、いや……。最初はほんの数体だったんだ。俺たちでも十分に対処できていた。……だけど、あいつが大量のゴーストたちを呼んだんだ!」
マリナが戦士Eの震える指先を見ると、談話室の一番奥で戦士Aを締め上げている不吉な黒い影が見えた。
そいつは一見普通のゴーストのようにゆらゆらと空中に浮いて身体が透けていたが、まだ人間らしい面影が残っているゴーストと違い身体中が黒く染まっており瞳が不気味な赤い光を放っていた。
黒い影に掴まれた戦士Aが必死にもがいているが、徐々に動きが緩慢になり生気が急速に失われている様子が見て取れる。
「――あいつは、レイスか!! また面倒なのが出てきやがったな。どうりでゴーストたちが集まってくるわけだぜ!」
表情を険しくして叫ぶブライアン。
マリナも知識としては知っている。
レイスとは上級アンデッドに分類される怨霊のことで、ゴーストと同じで実体がなく魔力を使った攻撃でないとダメージを与えられないが、こちらの方が遥かに強力だ。
生前に強い魔力を持ち、人一倍深い恨みや憎悪を抱えた人間がレイスになると言われている。
レイスが厄介なのは上級アンデッドに共通するようにある程度の知能を残しているだけでなく、近くにいるゴーストを呼び寄せてしまうことにある。加えて――
「あいつの<生命力吸引>は掴まったが最後、干からびるまで生命力を根こそぎ吸いとるほど強力なんだ。しかも、それで死んじまった人間は強制的にゴーストにされちまうらしいぜ」
「……そんな悠長な解説をしている暇はないぞ。ほかの連中もぎりぎりだ」
ブライアンを遮るようにアイラが言う。
確かにこのままでは犠牲者が出るのは時間の問題である。
「俺はなんとかシリルを守るから、あんたらは俺の仲間たちを助けてくれ。頼む」
戦士Eが若干身体をふらつかせながらも再び武器を構えた。
弱っている彼らから離れるのは少々不安だが事態は切迫しているのだ。
マリナはすぐに決断して飛び出した。
「アイラ。ブライアンさん! 私がレイスの相手をするから、二人はほかの人たちをお願い!」
「お、お嬢様!? それなら、私が!!」
「おいっ!?」
背後で二人が慌てふためいていたが、マリナは頓着せず一直線にレイスへと向かうのだった。