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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
二章 魔法使いと幽霊屋敷
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第9話

 ソラたちははぐれたメンバーを探すために一時的に身を潜めていた礼拝堂を出て屋敷を目指していた。

 幸いなことに周辺にはアンデッドの姿はなく、皆は激しい雨が降りしきるなかを懸命に屋敷へと走る。地面に溜まった雨水を蹴立てる音が辺りに響いた。

 ほどなくして目的の屋敷へ到着する。礼拝堂からほんの数十メートルの距離なのでさほど時間はかからなかった。

 断続的に走っている強烈な雷光が屋敷を照らして、目の前に西洋風の不気味な建物の姿が浮かびあがる。


「ほえ~。思ったよりも大きいね」


「本当だね。実家に匹敵するかも」


 ソラはマリナと一緒に屋敷の正面部分を見上げた。想像以上の規模である。

 同じく見上げていたブライアンが呟く。


「さっきの村といい、この屋敷といい、相当広いぜここの敷地は。お宝を探し出すのは難儀しそうだぜ」


「……本当に不吉そうな屋敷だな。お嬢様たちのためにも引き返したほうがいい気がしてきた」


 アイラも眉をひそめて屋敷を眺める。

 すると、背後から焦りの混じった声があがる。

 

「――おい! なに呑気に会話してんだよ! 俺たちは急いで仲間を見つけ出さないといけないんだよ!」


 戦士Aがソラたちを押しのけるようにして扉まで近寄る。ほかの面々もそれに続く。

 その様子を見たブライアンが扉の脇に歩み寄りつつ、


「……気持ちは分かるが、こういうときにこそ冷静になれよ。じゃないと、二次遭難ってなことにもなりかねないぜ」


「……ああ、そうだな」

 

 その言葉に少しは落ち着きを取り戻したらしく、一度深呼吸して頷く戦士A。

 皆が大きな観音扉の前に立った。


「よし。じゃあ開けるぜ」


 代表してブライアンが扉を左右に押し開く。一同は緊張の面持ちでそれぞれ武器を構える。

 扉が軋みながら開くと、皆が一斉に屋敷へと踏み込んだ。

 ソラも屋敷へと入りながら辺りを観察する。

 入った場所は予想通り玄関ホ-ルとなっていた。今は薄汚れているもののかなり広くて豪勢な造りである。

 しかし、ソラは正面に視線を向けると思考が停止した。


「え――」

 

 誰かが発した間の抜けた声が聞こえる。

 皆も唖然と動きを止めているようだった。

 その気持ちも分からないでもない。ソラも目の前の光景がイマイチ理解できずにいるのだから。

 玄関正面の二階へとつながっている大階段。

 そこにアンデッドたちがずらっと並んでいたのだから。

 一段目にゾンビ。二段目に骨だけのスケルトン。三段目に身体が透けているゴースト。アンデッドの有名どころが規則正しく階段に整列しているのだ。まるで修学旅行の記念撮影のようだ。

 よくよく観察してみるとアンデッドたちは多種多様の格好をしていた。

 ぼろぼろの執事服を着込んだゾンビ。錆びてはいるが高価そうな鎧をまとったスケルトン。メイド服姿のゴースト……。

 元領主に惨殺された使用人たちとクエストに挑戦した冒険者たちの成れの果てなのだろう。

 それらがぴくりとも動かすに整列しているのだ。もしかして置物なのではとソラが思ったほどである。


「……えっと。置物とかじゃないですよね、これ?」


 ソラと同じことを考えていたらしいコレットが恐る恐る発言したときだった。

 突然、アンデッドたちが動くことを解禁されたとばかりにワッと襲いかかってきたのだ。


『――うおおおおおおおおおおおおっっっ!!?』


 半ば呆けていた一同が絶叫して逃げ惑う。

 ソラも思わず迎撃するのを忘れてゴーストの攻撃を回避した。このような不意打ちを喰らって普段どおりに振る舞えという方が無理だ。悪い冗談にもほどがある。

 玄関ホ-ル内は一気に冒険者たちと多数のアンデッドが入り混じる乱戦状態となった。

 皆、混乱が続いているようで、態勢を整えられずに敵の攻撃を必死に避けている。


「何なんだよ、この状況は! アンデッドがわざわざ俺らを出迎えてくれたってのか!?」


「口ではなく手を動かせ!」


 慌てふためく面々の中でもブライアンとアイラはさすがであった。

 彼らは四方八方から押し寄せてくるアンデッドたちを上手にいなしながら一体一体を確実に葬り去っており、場合によってはほかの人間のフォローまで行っているのだ。まったくもって無駄な動きが一切ない。

 対照的にマリナは動きづらそうにしていた。辺りに敵味方が入り乱れているので大剣を存分に振るえずにいるようだ。


「――うぐあっ!?」

 

 背後から苦しそうな声が聞こえてきたので振り向くと、アンディが男のゴーストに首を絞められて口から泡を吹いていた。

 アンディは手に持った剣を苦し紛れにゴーストに振るっているが虚しくすり抜けるだけでダメージを与えられない。

 ゾンビやスケルトンと違い実体のないゴー

ストに単純な物理攻撃は通用しないのだ。


「……ったく、またかよ。本当に世話の焼ける坊主だな。<内気>も使えないのによくここに来ようと思ったもんだぜ」


 舌打ちしつつブライアンが<内気>を纏わせたナイフを投げつける。

 ナイフは正確に頭部を貫通し、ゴーストは気味の悪い断末魔をあげながら消滅していった。

 慌ててマリアンがアンディを助け起こす。

 ソラが彼らの無事を確認していると、目の前にカタカタと骨を鳴らしながらスケルトンが迫ってきた。

 錆びた剣が頭上から振ってくるが、ソラは体を開いて避け、そのまま一気に懐に潜り込んで腰骨に掌底を叩き込んだ。

 身体の中心を失ったスケルトンは骨がバラバラに分解されて動かなくなる。

 だが、息をつく暇もなく異様な臭いを放つゾンビが両腕を伸ばして襲ってきた。


「う……」


 ゾンビの胴体に拳を叩き込もうとしたソラだったが、身体のあちこちにうじがうぞうぞと這い回っている光景を目の当たりにして直前で停止させた。

 こんな気持ちの悪いものに触りたくはないので、避けるのと同時に腰をおもいきり蹴りつける。

 ソラの視界から消えていくゾンビ。スケルトンとゴーストだけを相手にしようと心に決める。

 しばらくホール内で乱戦が続くが、数が多いのでなかなか事態が収束しない。

 アルファベット戦士団やマリアンはある程度<内気>を扱えるようだが、なにせ数が数なので防戦一方を強いられているようだ。アイラとブライアンのフォローがなければ危なかっただろう。

 魔導士のカーライルは小規模な魔導で敵を確実に破壊している。こちらも熟練の冒険者らしくほかのメンバーをかばう余裕があるくらいだ。


「…………?」


 と、ここでソラは仲間たちの光景に微妙な違和感を感じる。

 それが何なのかを攻撃を避けつつ考えていると、一際大きな悲鳴が聞こえてきたのだった。


「ぎょええええええええええええ―――!!」


 神官服の裾をバタバタと騒々しくはためかせながらホール内をもの凄い勢いで駆け回っている少女。

 言うまでもなくコレットであった。


「コ、コレットさん!? 落ち着いて!」


 ソラが唖然とするほど高速で逃げ回っている。しかも、器用にアンデッドたちの攻撃を避けながらだ。

 普段のトロい姿からは想像もつかない動きである。ショックで潜在能力が解放されたのかもしれない。

 とても年頃の娘とは思えない悲鳴ではあったが。


「色気もへったくれもねえな」


 ブライアンもゾンビを両断しながら苦笑している。

 今のところはコレットを含め皆無事のようだが、このままではいつ犠牲者が出てもおかしくはない。

 一度態勢を立て直した方がいいとソラが考えていると、女のゴーストに追いかけられているコレットが勢いそのままにホールを出て廊下へと入り込んでいく姿を目撃したのだった。


「――コレット!! 待って!!」


 咄嗟に大声で呼びかけるが、動転しているコレットには届かないようでゴーストとともにどんどんホールから離れていく。

 ソラが急いで追いかけようとすると、


「お、お嬢様!? どちらへ行かれるのですか!!」


 背後からアイラの慌てふためいている声が聞こえてきた。


「コレットを追わないと! このままだとはぐれてしまう!」


「それならば、私も行きます!」


 アイラは周囲のアンデッドを邪魔だといわんばかりに追い払いながら近寄ってくるが、数が多いのでなかなか進むことができない。

 しかも、タイミングの悪いことに二階からアンデッドの第二波が雪崩れ込んできたのだった。

 ソラはアイラたちと分断され、ホール内の混乱に拍車がかかる。

 

「こりゃあ、本格的にまずいな! ――おい!! こうなったらしょうがねえ! どこでもいいからみんな逃げろ!!」


 ごちゃごちゃと入り乱れているホールのどこかでブライアンが叫んでいる。

 ソラはアイラたちと合流すべきかしばし迷ったが、すでに廊下の角を曲がりかけているコレットを見て決断する。ここで彼女を見失うわけにはいかない。


「マリナ! アイラ! 私はコレットを追うから、後でまた合流しよう!!」


「お姉ちゃん!?」


 アンデッドたちの壁の向こうから妹が呼びかけてくるが、ソラは後ろ髪を引かれつつも踵を返した。

 視線の先にはコレットの姿がもうない。急がなければ。


「……お嬢様あっ!!」


 コレットを追って廊下を走るソラの背後でアイラの動揺の声が響いていたのだった。






「――止まって、コレット! コレット!!」


 ソラが先ほどから何度も呼びかけているのだが一向にコレットは止まる気配がなかった。

 暗い廊下を「ぎょえええっ!!」と叫びながらもの凄い勢いで疾走している。

 ソラも態勢を低くして全力で追いかけているのだがなかなか追いつけない。少しずつ距離は縮まっているのだが。

 それにしても、あれだけの怖がりでよくまたこの屋敷に来る気になったもんだとソラは透けるゴースト越しにコレットを見ながら思う。 

 やはり、彼女を逃がしてくれた冒険者たちのことを気に病んでいるのかもしれない。性格とは裏腹に意志が強そうではあるし。

 しばらくの間、ソラは屋敷内を駆け回るコレットとゴーストを追走した。何度廊下の角を曲がったことか。 

 これまでアンデッドと遭遇していないのが不幸中の幸いだが、それもいつまで続くか分からない。早めにコレットを捕まえなければ危険だ。

 とりあえず、宙を浮かびながらコレットを追い回しているあの女のゴーストをなんとかせねばなるまい。

 ようやく追いつきつつあるので勝負に出るのだ。

 メイド服を着ている三十半ばほどのゴーストはどこか嬉しそうにコレットを追いかけていた。

 コレットがあそこまで律儀に怯えてくれているのでゴースト冥利に尽きるのかもしれない。

 しかし、楽しい追いかけっこもここまでだ。

 ソラは走りながらすうと一度息を吸い前方に向けて大声を張り上げる。


「やい!! そこの年増ゴースト!!」


 そう挑発するように呼びかけると、メイドゴーストはムッとした表情で振り向き血走った眼でソラを睨んできた。

 少し怖いが作戦は成功したようだった。コレットを追いかけるのを止めて鬼の形相でソラに襲いかかってくる。

 ソラの細い首を締め付けようと青白い手を伸ばしてくるが、ソラは魔力をまとった手の甲で弾きつつメイドゴーストに右の正拳突きをお見舞いした。

 拳は正確に正中線へと突き刺さり、メイドゴーストはひいいと甲高い悲鳴を上げながら消えていく。


『……ケ……ケッコン……シタ……カッタ……ムネン……』


 消滅の間際に無念の言葉を残すメイドゴースト。

 さっきは酷いことを言ってしまったとソラが悔やんでいると、前方から何かがぶつかる大きな音と悲鳴が聞こえてきた。


「――ふぎゃあっ!?」


「コレットさん!?」


 ソラが慌てて視線を向けると、進行方向で不規則に揺れていた扉にコレットがおもいっきりぶち当たっていたのだった。

 見事に顔面から扉にぶつかり背中から床に倒れこむコレット。

 急いで助け起こすが、コレットはぐるぐると目を回しており、頭上にピヨピヨとひよこが踊っていたのだった。

 

「大丈夫ですか!?」


「は、はい……な、何とか。お手数をお掛けしました」


 しばらく目を回していたが、コレットはゆっくりと立ち上がった。

 まだ、若干ふらついているが大丈夫のようだ。 

 コレットはずれた眼鏡の位置を直しながら辺りを見回す。


「……あの、ここはどこなんでしょうか?」


「屋敷の西側なのは間違いないんですけど……」


 ソラも延々と続く廊下と無数の扉を眺めながら途方に暮れる。

 玄関ホールから随分離れたところまでしっちゃかめっちゃかに走ってきたので正確な位置は分からない。

 それに、屋敷の内部はやたらと広く迷路のように入り組んでいるのだ。働いていた使用人たちも迷ったに違いない。


「……西側ということは使用人たちの居住区画ですね」

 

「知ってるんですか?」


「以前来たときに全部ではないですが屋敷を一通り回ったんです」


 コレッの説明によれば屋敷はロの字型をしており、それぞれ東西南北に区画が分けられていて、南区画が先ほどアンデッドの大群と戦った正面玄関、東区画に来賓客用の部屋があり、北区画が家族用、そしてここ西区画が使用人のための休憩室を兼ねた居住スペースとのことらしい。ちなみに真ん中は広大な中庭になっているそうだ。


「ここは村に家を持たない人たちが寝泊りするところらしいです」

 

「なるほど」


 それにしても広すぎだろうとソラは思う。わざと迷いやすいように設計したとしか思えない。

 静まり返っている廊下をコレットが不安そうに見回しながら、


「これからどうしましょうか?」


「ともかく、マリナたちと合流しましょう」


 二人では戦力的に少々心許ない。ここは無難に合流するべきだろう。

 コレットが頷き、ソラが元来た方へと足を一歩踏み出したときだった。

 進路方向からガサガサとどこか気色の悪い音が聞こえてきたのだった。何かがこちらへと近づいてきているのだ。

 ソラが身構えコレットも顔を強張らせる。


「ま、またアンデッドでしょうか?」


「おそらくは。でも、この音はいったい……」


 魔導の構築に即移行できるよう集中力を高めながらもソラは疑問に思う。

 敵の姿は暗闇に包まれた曲がり角の先でまだ視認できない。

 しばらく奇妙な音を聞きながら待っていると、稲光に照らされて廊下の壁に一瞬敵の影が映りこんだ。思ったりも大きくシルエットがいびつだった。

 ソラが嫌な予感を覚えていると、敵が角を曲がってのっそりと姿を現したのだった。


「「――ひっ!?」」


 廊下に短い悲鳴が上がる。

 二人の前に現れたそいつは巨大なクモであった。ソラの目線と同じくらいのところに怖気の走る複眼がある。全身に黒と白のツートンカラーの剛毛が生えており、足まで含めると余裕で二メートル以上はありそうだ。


「な、なんて大きなクモなんでしょうか。何だか身体がボロボロですけど、もしかしてあれもアンデッドなんでしょうか? ……って、あれ?」


 ここでコレットはようやく気づいたようだった。

 悲鳴が二人分だったことに。


「ソラさん?」


 コレットが隣にいるソラの顔を窺う。

 すると、ソラは虚ろな表情で目の前の空間をぼんやりと眺めながら固まっていたのだった。今にも口から魂が出ていきそうだ。


「ソ、ソラさん!? どうしたんですか!? ……って、立ったまま失神しかけてる!? な、なんて器用な……」


 ソラのギャグのような姿に感心していたコレットだったが、前方から「シュー!!」とおぞましい威嚇音が聞こえてきたのでハッと振り向く。

 その瞬間、クモの口から白い糸が高速で飛来しコレットはソラを押し倒しながら間一髪で避けた。


「――ひいい!? い、今のは危なかったです!! ソラさん! 正気に戻ってください!!」


 コレットは急いで立ち上がりながらソラをガクガクと揺さぶるがぴくりとも反応しない。

 そうこうしているうちに巨大グモは八本の足を動かしながら迫ってくる。


「ま、まずいですよ!! ともかく逃げなければ!!」


 茫然自失状態のソラの手を引っ張りながらコレットは廊下を走る。わさわさと追いかけてくる巨大グモ。

 時折、粘着力のある糸を飛ばしてくるがぎりぎりで避けている。

 あの巨体ゆえに廊下を自在に行き来できないのに加えてどこか動きがぎこちないので、足手まといのソラを連れたコレットでもなんとか追いつかれずにすんでいるようだった。

 だが、もし糸に捕らえられれば一巻の終わりだ。後はゆっくりと絡めとられてクモの餌になる。

 コレットもそのことを理解しているのだろう。必死の形相で廊下を逃げている。


「ど、ど、どうすればいいんですか~!? だ、誰か助けて~!!」


 泣き言じみた悲鳴をコレットが上げていると、ソラからブチッと何かが切れる音が響いた。

 コレットが怪訝な表情でソラを見るがすぐに顔を引きつらせる。

 それも当然で、いつのまにか頭上に掲げられていたソラの両手に膨大な魔力が渦巻いていたのだ。

 その魔力が信じられない勢いで圧縮されていき、あまりの密度に周囲の空間が歪みはじめていた。


「消えろっ!! 消え去ってしまえ!! このクモ野郎おおお―――!!」


「ちょ、ひいいっ!? ソ、ソラさんっ!? クモどころか、この区画ごと消え去ってしまいますよお~!!」


 強大な魔力を叩きつけようとするソラをコレットが泣きそうな表情で懸命に押し留めるのだった。 



 ※※※



「面目ない」


 パチパチと薪が爆ぜる暖炉の前でコレットと向かい合って座っていたソラは平謝りしていた。

 あれからなんとか正気を取り戻したソラは穏便にクモを焼き殺すことに成功し、その後、安全そうな部屋を見繕って一休みすることにしたのだった。

 また、雨を弾くローブを着込んでいるソラはともかくコレットは神官服がぐっしょりになっていたので、わずかに薪が残っていた暖炉に魔導で火を入れて暖をとっている次第である。


「まさか、ソラさんの苦手なものがクモだったなんて」


 目前に座ったコレットがおかしそうに笑った。

 先ほど思わぬ恥をさらしてしまったソラは額に汗をかく。

 巨大なクモが視界に入り、それが何かを理解した途端にソラの意識が飛びかけたのである。

 それから正気に戻るまでの記憶が飛び飛びになっていて、コレットの話だと自分はありったけの魔力を集中させてクモを吹き飛ばそうとしたらしい。

 ソラは空気が冷えているにもかかわらず背中にも汗をかいた。 

 もし、その魔力を解放していれば大惨事になっていたところだ。同じ区画に人がいたならその人間ごと吹き飛ばしていたかもしれない。


「ソラさんって虫が嫌いなんですか?」


「いえ、そういうわけじゃないんですけど。ただ、ヤツだけはどうしても生理的に受け入れ難いというか」


 ソラは別に虫嫌いというわけではない。前世でも子供の頃は素手で色んな虫を捕まえていたものだし、ゴキブリ退治なども余裕でこなしていたものだ。

 それに、ほかの節足動物――ムカデやダンゴムシあたりは別段平気なのだがクモだけは駄目なのである。姿を見かけるだけでも腰が引けてしまう。

 夜眠る前、部屋の片隅に大きなクモを発見したときの絶望感は筆舌に尽くしがたい。

 体育座りしながらソラを眺めていたコレットはくすっと笑った。


「でも、ちょっと安心しました」


「え?」


「お人形さんみたいに綺麗で、すごい家のお嬢様で、魔導士としての実力もすでに一流で、どんなときでも冷静さを失わない完璧な少女だと思ってましたから」


「そんなことは全然ないですけど……」


 謙遜ではなく本気でソラはそう思う。自分は完璧などとは程遠い。外見上は少女として取り繕うのに慣れてきたもののいまだに困惑してばかりである。


「それにしても、また玄関ホールから遠ざかっちゃいましたね」

  

「重ね重ね申し訳ない」


 繰り返しソラは頭を下げて謝罪する。

 マリナたちと合流するために戻るはずが更に遠くへ迷い込んでしまったのだ。

 低頭するソラの姿を見たコレットが慌てたように胸の前で手を横に振った。


「いえ! 別に責めてるわけじゃないんです。そもそも、私のせいでみんなとはぐれてしまったわけですし」


 ソラが顔を上げるとコレットは微笑みながら手を差し出してきた。


「それじゃあ、あおいこということにしましょうか」


「はい」


 ソラも微笑んでコレットの手を握ると、絶妙なタイミングでソラのお腹が鳴ったのだった。


「あ……」


「そういえば、もうお昼を過ぎたくらいですね。ずっと暗いままなので分かりにくいですけど」


 顔を赤くして黙り込むソラにコレットが再び笑いながら言う。

 それから二人は、ソラが背嚢に入れて持ってきた手作りのサンドイッチを食べながらとりとめのない会話をした。

 最後に食後の紅茶を飲んでいるとようやく人心地つく。村でゾンビに襲われてから危機の連続だったのだ。

 ソラは暖炉で揺れる火を見つめながら話を切り出す。


「……それで、これからなんですけど」


「はい。やっぱり、マリナさんたちと合流しましょうか?」


「いえ、このまま二人で屋敷を探索しようかと思ってるんです」


 その言葉に意外そうな表情をするコレット。


「二人で、ですか? 私はそれでも構いませんけど……」


「本来ならマリナたちと合流することを最優先させるべきなんでしょうけど、ちょっと気になることもあるんです」


「気になること?」


「玄関ホールでアンデッドが集合していた件ですよ。あれはどう考えてもおかしいです」


 高位のアンデッドならばともかく、ゾンビなどの低級アンデッドたちにまとまって行動する知能はない。そもそも整列して並んでいるなんておかしいにもほどがある。明らかにソラたちを待ち伏せていたのだ。

 そして、極めつけは先ほどのクモだ。


「あのクモからは生命力というものがまるで感じられませんでした。間違いなく死んでいたんです」


「じゃあ……やっぱり、あのクモはアンデッドということですか?」

 

「普通、自我の薄い昆虫や動物などがアンデッドになることはないんです」


 生ける屍、アンデットというのは気脈が流れている土地で強い感情――恨みや憎悪など――を残して死亡した場合に、その強い意志が気脈を流れるエネルギーを偶然引き寄せることで魔力の核を形成して蘇るのだ。だから、気脈が流れる土地ではアンデッドが発生しやすいのだ。

 つまり、アンデッドになるのは一定以上の知能や感情を持った生物だけである。付け加えれば村の広場で遭遇したジャイアントも微妙なところだ。周辺に漂っていた腐ったような強烈な臭い。あの怪物もアンデッドだったのだろう。


「この屋敷と周辺に気脈が流れているのでアンデッドが発生すること自体は納得ですけど、クモまでがアンデッドとして蘇るなんてありえませんよ。ここでは何か普通でないことが起きてるんです」


「そう……ですね……」


 わずかに顔をうつむかせるコレット。眼鏡に暖炉の火が反射して目元が見えなくなった。


(……やっぱり、マリナが言っていたとおり彼女は何かを隠している)


 ソラはそんなコレットを見つめながら思う。

 一ヶ月前に屋敷へと赴きアンデッドに襲われ、なんとかひとりで街まで逃げ帰るも、途中の記憶が曖昧で長い間寝込んでいた神官少女。

 彼女の目的は果たして逃がしてくれた冒険者たちの安否だけなのだろうか。

 思わず聞き出したい衝動にとらわれそうになるが、ソラは息をゆっくりと吐いて思い留まる。

 屋敷を探索し謎を解明していけば、おそらく彼女の目的も自然と見えてくるはずだ。

 ソラは立ち上がり背嚢を背負い直すとうつむくコレットに手を差し伸べた。


「ソラさん……?」


「私の中の探究心に火がついてきました。こうなったら、お宝はもちろんのこと屋敷を徹底的に調べつくしてやりますよ」


 コレットはぽかんとソラを見上げていたが、ふいに微笑んでソラの手を握って立ち上がった。


「……そうですね。頑張りましょう」


 二人は簡単な準備を終えて扉へと向かう。


「でも、本当にマリナさんたちと合流しなくてもいいんですか?」


「この広い屋敷を探し回って合流してから探索に移るとなると相当時間を食いますからね。ほかの冒険者たちも気になりますし、私たちで屋敷の中を回りながら彼らとの合流を目指す方がいいと思うんです」


「言われてみればそうかもしれませんね」


「まあ、私たちだけでも何とかなりますよ。たぶん」


 ソラが楽観的な台詞を口にすると、コレットがいたすらっぽく笑った。


「私もソラさんのことを頼りにしてますけど、また、あのクモが出てきたらどうするんですか?」


「む……」


 痛いところを突かれたとばかりにソラは口ごもる。

 ただでさえクモ嫌いなのに、先ほどの巨大クモに再び遭遇するなどとは考えたくもない。


「こ、今度はちゃんと冷静に倒しますよ。即座に、可及的速やかに」


 ソラが汗ジトになりながら答えるとコレットは声を上げて笑った。


「あまり役に立てないかもしれませんけど、私もできる限りのことはします。二人で頑張りましょう」


 ソラは頷いてコレットとともに扉を開いて屋敷の探索へと乗り出すのだった。

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