第8話
ソラは薄汚れた窓から外の光景を眺めていた。
外では豪雨が降り注ぎ、激しく窓を叩きつけている。
時折雷鳴が鳴り響いていて、目も眩むような閃光が部屋へ入り込んでいた。
もとより霧のせいで薄暗かったが、今では更に視界が悪くなっている。まるで夜のようだ。まだ、午前中のはずなのだが。
現在、ソラがいるのは標準的な平屋の中であった。五年近くも人が住んでいないため家具や小物が散乱しており埃も積もり放題という有様である。
ジャイアントを倒した後、急に降り始めた雨から逃れるため、ソラたちは雨宿りのため村落にあるひとつの家屋へと避難していたのだった。
当初は目的の屋敷まで一気に走り抜けようと思っていたのだが、雨の勢いが一瞬で強くなったので断念したのだ。
ここから屋敷まで徒歩でも二~三分ほどの距離なのだが、なかなか辿り着けないものだとソラは思う。
背後では先ほどから冒険者たちが盛り上がっていた。
家屋の居間部分にそれぞれが好きなところに座って会話している。
それには加わらずソラが窓の外を眺め続けていると、突然後ろから誰かが抱きついてきた。
「――ソ~ラちゃん!!」
「エ、エリザさん!?」
「さっきはホント凄かったよ~!! あんなの初めて見たし! あれって上級魔導でしょ~!?」
ソラはエリザの胸の感触を気にしつつも頷いた。ジャイアントを倒すために行使したのは<火>属性の上級魔導、<爆発>。その名のとおり標的を爆破する魔導である。
すると、皆が口々に声をかけてきた。
「あれは本当におったまげたよなあ! あのデカブツが一瞬で木っ端微塵になったんだからよ!」
「俺らがさんざん苦労してた怪物をあっさりと倒しちまうんだもんな。とんでもない嬢ちゃんだぜ!」
まだ、興奮冷めやらぬといった様子の冒険者たち。
先のソラたちの戦いぶりが彼らにはよほど衝撃だったようだ。
「いくら実家が代々魔導士を輩出している家だからって、その歳で上級魔導を扱うなんて凄いよね! 私だってまだまだなのに!」
ぎゅっとソラをぬいぐるみのように抱きしめながら言うエリザ。
実際には更にその上――最上級魔導をいくつか扱える身なのだが、特に自慢することでもないのでソラは適当に合わせておく。
<至高の五家>の出身に加えて特殊な体質のおかげか、ソラにとって魔導の習得とはさほど苦労するものではないのだ。むしろ、東方武術の修練に時間を費やしたくらいである。
自身も最高峰の治癒術師たる母マリアが言うには、ソラの魔導士としての実力はすでに世界有数のレベルにあるらしい。
ようやくソラを解放したエリザが振り返る。
「ソラちゃんもそうだけど、マリナちゃんとアイラさんも大したものだよね! 私と同じ女の子なのにジャイアントの攻撃を受け止めたりするなんて!」
「まったくだよ。そんな細い身体で怪物をたじろがせるなんて、力量もそうだけど度胸も半端ないよ」
マリアンも感心しきりといった表情で頷く。
居間で顔を突き合わせている面々にマリナとアイラも混じっていた。
先ほどからベタ褒めされて照れたように笑っているマリナとは対照的にアイラは仕方ないといった感じで彼らの輪に加わっていた。
標準的な家屋とはいっても総勢で十五人もひしめいているのだ。どこに行っても人がいる状態なのでアイラもあきらめて彼らに付き合うしかない。今も隣に座っている戦士Cが熱心に話しかけてくるのを適当にいなしていた。
ちなみに個室がひとつだけあるが、窓枠ごと外れていて雨風入り放題なのでとても使用できる状態ではない。
「ていうか、そのゴツイ剣をどうやったら振り回せるんだ? 正直、飾りかと思ってたよ……」
マリナが背負っている大剣を唖然と眺めるアンディ。
その横ではアルファベット戦士団のリーダーである戦士Aことエースが、
「こんな華奢な女の子たちなのに、俺らを遥かに凌ぐ実力者じゃねえか。いや、これまでに見た冒険者の中でもダントツかもしれねえ。……ブライアンさんが言ってたことは本当だったのか……」
ぶつぶつと呟きながら唸っている。どうも今までの価値観がひっくり返るような衝撃を受けたらしい。
当のブライアンにソラが視線を送ると、皆の会話に加わることもなく部屋の一角で珍しく仏頂面のまま立っていた。その近くには同じく無言で佇む黒いローブを纏った男。
あの二人だけ周囲の喧騒から外れている。
ソラは昨日の時点では見かけなかったローブの男を観察した。
中肉中背でブライアンと同世代の男。フードをすっぽりと被っているので人相が見えづらいが、シャープな顔立ちでまずまずの美形といえるだろう。ナイスミドルなおじさまといったところだ。
男は家屋に逃げ込んでからほどなく自己紹介したので最低限のことは分かっている。
名前はカーライル・ラムゼス。冒険者資格を持つ魔導士らしい。彼も幽霊屋敷に挑戦しようと仲間を探していて、昨日ソラたちの会話を近くのテーブルで聞いていたらしいが、ほどなく決闘騒ぎになったため声をかけそびれてしまったとのことだ。
それで、決闘後にアルファベット戦士団に声をかけ、今朝から行動を共にするようになったらしい。
(……やっぱり、あの二人知り合いだよね)
ソラはカーライルを発見したブライアンが嫌そうな顔をしていたのを思い出す。
今も無言を貫きつつ互いを意識している様子が見え見えである。
こういうときは直接訊いた方が早いと思ったソラは二人のもとへと歩いていった。
近寄ってくるソラに気づいたらしくブライアンが顔を上げる。
「……おう。どうした、嬢ちゃん。俺に用か?」
「用っていうか……カーライルさんとお知り合いみたいなので、話を聞かせてもらえればなあと」
「……何で、こいつと知り合いだと思うんだ?」
誤魔化しているわけではないみたいだが、進んで話したくないといった様子である。
すると、壁に寄りかかっているカーライルから苦笑する気配が伝わってきた。
「……別に隠す必要もないだろう。見れば分かるしな」
ブライアンはちらとカーライルを見るとふんと鼻を鳴らしてソラの方を向いた。
「まあ、いいや。はっきり言って、こいつの話なんざしたくないけどな。……こいつ、カーライルとは冒険者の同期で、これまで何度かチ-ムを組んだことのある腐れ縁ってやつなのさ。ちなみに階級は俺と同じだ」
「そうだったんですか」
ソラが視線を向けると、カーライルはかすかに頷いた。
階級が同じということは彼もまた『八つ星』の凄腕冒険者だ。確かにブライアンと似た熟練の雰囲気が漂っている。
だが、ここでひとつ疑問が浮かぶ。
「それなら、何でお二人は初めから組まなかったんですか? 腐れ縁ならお互いのことを良く知っていると思うんですけど」
ソラの言葉を聞いて顔をしかめるブライアン。
「俺がこいつと組む? 冗談はやめてくれ。昔だって嫌々組んでやってたんだよ。人の足をさんざん引っ張りやがるしな」
「よく言う。俺がお前の尻を拭ってやってたんだろうが。大雑把に行動する悪癖があるから何度苦労させられたことか」
睨み合う二人。
どうも、典型的なオヤジであるブライアンとクールなカーライルとでは相性がイマイチのようだ。
ただ、心底仲が悪いといった風には見えない。同期と言っていたし、互いに一目置いているライバルのような関係なのかもしれない。
しばらくいがみ合っていた二人だったが、ふいにブライアンが鋭い目つきになる。
「……で? 何か掴んだのか? お前がわざわざ出張ってきたということはよ」
「……さあな。同行する羽目になったとはいえ、お前と競合していることには違いない。何か知っていたとしても教える義理はないな」
「けっ。相変わらずの秘密主義だな」
顔を歪めるブライアンをカーライルも瞳を鋭くして見返した。
「……それよりも、お前下手を打ったな。もし、見かけたら保護しておけよ」
「……分かってるよ」
バツが悪そうに頷くブライアン。
(…………?)
ぼそぼそと囁くような会話だったのでいまいち聞き取れずにソラは首を傾げた。
だが、沈黙する二人の雰囲気からとても聞き出せそうにない。
この二人は放っておいて皆の会話に加わろうかとソラが思っていると、ふいにカーライルがある方向を見ながら口を開いた。
「……ところで、あの娘のことなのだが……」
「あの娘?」
ソラがおうむ返しに訊き返すが、思い直したかのようにカーライルは首を横に振った。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
そんなこと言われたら余計に気になんだけどもとソラは思う。
ブライアンを見るが、オッサンはソラに肩をすくめてみせた。訊いても無駄だと言っているようだ。なるほど、確かに秘密主義のようである。
ただ、ソラはカーライルの視線の先を確認していたのだ。
(……コレットを見ていた?)
部屋の片隅に座ってなにやら一心不乱にノートへ筆を走らせているコレットに視線を注いでいたようだった。
これまでの二人の様子から知り合いといった感じではなかったのだが。
すると、カーライルは顔をうつむけると表情がフードに隠れて完全に見えなくなった。全身から拒絶のバリアが放出されている。しばらく話しかけるなということなのだろう。
こうなったら仕方ないので、ソラはコレットのところへ行くことにした。何をしているのか気になる。
ソラが移動を開始するとブライアンもついてきた。
「あの陰険野郎と一緒にいたら気が滅入ってくるからな」
顔をしかめながら文句を言っている。やはりこの二人は相性がすこぶる悪いようだ。
ソラとブライアンがコレットの目の前まで歩み寄るが全く気づいた様子もなくノートにもの凄い勢いで書き殴っている。
微妙に薄ら笑いを浮かべている気もするがいったい何を書いているのだろうか。
「コレットさん? さっきから何をしてるんですか?」
ソラが声をかけると、ようやくコレットがソラたちの存在に気づいたようだった。
「あ、ソラさん。ちょっと、趣味の小説を書いてまして」
「ほう。コレットちゃんの趣味は物書きなのか」
「下手の横好きというやつなんですけどね」
ブライアンが顎の無精ひげをさすりながら感心した声を出すと、コレットは照れたように笑った。
「――なになに、どうしたの?」
背後からマリナとアイラもやってきた。
アイラは少々うんざりとした表情をしている。アルファベット戦士団の面々から入れ替わり立ち替わりあれこれ話しかけられていたからだろう。
異国情緒溢れる美人でスタイルもよいアイラなので仕方ないのかもしれない。
話を聞いたマリナが興味を示した。
「……へえ。コレットさん、少し見せてもらってもいい?」
「いえ、その~。恥ずかしいので……」
コレットは顔を赤くして渋っている。
すると、ブライアンが隙をついてひょいっとコレットが持っていたノートを取り上げたのだった。
「まあまあ。オジサンにちょっくら見せてみな」
「あ……っ!!」
慌てふためくコレットだが、ブライアンがさっとノ-トに目を落とす。
「なになに……。――プライアンの無骨な指がブラドのシャツの中に侵入し胸をいやらしくまさぐる。『ああっ……! 駄目ですよ、プライアンさん!』。言葉とは裏腹に甘い吐息を漏らすブラド。プライアンはブラドの銀髪を優しくかき回しながら言った。『とか言いつつ、おまえさんの身体は嫌がっていないみたいだぜ……』――って、何だこれはあっ!!」
ブオンッとノートを放り投げるブライアン。
ノートは天井にぶつかってはね返りぱさりと力なく床に落ちた。
「ああっ……!! なんてことするんですか、ブライアンさん!?」
「それはこっちが聞きてえよ! 何なんだよ、それは!!」
急いでノートを回収するコレットに怒鳴るブライアン。
「な、何って……。だから、私が書いている小説ですよ」
「俺が言ってんのは登場人物のことだよ! そこに出てるプライアンって俺のことだろ!」
「ち、違いますよ。あくまで架空の人物です。私が脳内でこしらえたキャラクターなんです。ちなみにタイトルは『美男と野獣』といいます」
「そんなことは聞いてねえよ!? どう考えても、そのブラドってヤツといいタイミングが良すぎるだろうが!!」
唾を撒き散らしながら喚くブライアン。
コレットは脂汗を流しながら否定しているが誰の目にも明らかであった。
「ドジっ娘に加えて腐女子でもあったなんて……」
なにやらひとりで戦慄しているマリナ。
元男たるソラにはブライアンの気持ちが分からないでもないが、自分のことではないので生暖かく二人を見つめる。
「いいじゃないですか、ブライアンさん。創作は自由なわけですし、ここは見て見ぬ振りをしてあげましょうよ」
「そりゃ、嬢ちゃんには関係ないからだろ!?」
おもいっきり他人事な態度でソラがブライアンをなだめていると、奥の個室から突然ガタンッと物音が聞こえてきたのだった。
ソラたちを含め談笑していた冒険者たちも一斉にお喋りを止めて閉まったままの個室へ振り向く。
「……今、音がしたよな?」
戦士Aが誰にともなく訊く。
しばらく、居間に嫌な沈黙が下りた。
「……ジッとしてても埒があかねえ。確認してみよう」
アルファベット戦士団が個室へと近寄る。
皆が守るなか戦士Aがドアノブを慎重に握った。扉の左右に戦闘体勢で待機する戦士BからE。
「気をつけろよ」
ブライアンの忠告に頷いて戦士Aが一気に扉を開いた。風の音が強くなる。
緊張の面持ちで武器を構えたアルファベット戦士団だったが中から怪物が飛び出すことはなかった。
部屋の中を確認した戦士Aが拍子抜けした声を出す。
「……どうやら、風で椅子が倒れただけみたいだ。部屋の中には何もいないぜ」
奥の個室は窓ごと無くなっているので、外で吹き荒れている強風が入り込んで倒れたのだろう。
息を呑んでいた一同がホッとする。
戦士Aが扉を閉めると個室前の短い廊下にまで吹き付けていた雨も止んだ。
「なんだよ、びっくりさせやがって。てっきり、ゾンビでも侵入したのかと思ったぜ」
腰の剣に手をかけていたアンディが強張った表情を弛緩させて軽口をたたくと、皆も緊張を解いて笑顔を浮かべた。
「まあ、仕方ないけどな。アンデッドが出没する不気味な廃村の中で、しかもこんな天気だもんな」
アンディが居間にある唯一の窓から暗い外を見ると、目も眩むような特大の雷光が部屋を染めたのだった。
その強烈な光の中に一瞬影が浮かび上がる。少し遅れて腹にまで響く雷鳴。
「え……」
茫然とした声を出すアンディ。
ソラの位置からはよく見えなかったが、窓のすぐ側に何か人のようなものが立っていたような――
固まったまま突っ立っているアンディにソラが声をかけようとしたとき。
ガシャアンッ! と派手な音ともに窓を突き破っていきなり腕が伸びてきたのだった。
「――う、うわああああああっ!?」
突然出てきた腕に首を掴まれて悲鳴をあげるアンディ。
「ア、アンディ!?」
マリアンとエリザが仰天した声を出す。
このときになって窓の外にいる人影の正体に皆がようやく気づく。
窓に顔をこすりつけるようにしてアンディの首を絞めているそいつは、両目があるべきところが空洞になっており土気色の肌もぼろぼろで意味不明ななうめき声をあげていたのだ。
「ゾンビ!! 噂をすればかよ!!」
ブライアンが叫ぶ。
その場に再び緊張が走る。
ゾンビの腕にはどれだけの力が込められているのか、首を絞められているアンディの顔がすでに真っ白になっている。
「アンディ! 動くな!」
剣を構えたマリアンが腕を外そうと必死にあがいているアンディに声をかける。
だが、本人にはとてもその言葉を聞いている余裕はないようで全く動きが止まる気配がない。なので、マリアンが狙いをつけられずにいる。
「俺に任せろ!」
二人のもとに駆け寄ったブライアンが一瞬でアンディの動きを捉えるとゾンビの腕だけを正確に切断した。
ゾンビから解放されるアンディ。
「げほっ!! げほおっ!!」
「アンディ!! 大丈夫!?」
エリザは苦しそうに咳き込みながら尻餅をついたアンディの首にいまだ絡み付いているゾンビの腕を外して放り投げた。
気色の悪いことに床に落ちたゾンビの腕がまだガサガサと元気に動いている。
アンディを助け出すことには成功したが一息つく暇はなかった。
入り口と個室から程近い裏口の扉を同時に何かが激しく打ちつけてくる音が響いてきたのだ。外からは怖気が走る幾重にも重なった怨嗟の声。どうやら無数のゾンビに囲まれているようだ。
「くそっ!! いつのまに……!!」
今にも破られそうな二つの扉をアルファベット戦士団が分散してなんとか押さえ込む。
しかし、ゾンビの攻勢はこれだけではなかった。
窓の外に大量のゾンビが姿を現したかと思うと無数の腐った手が窓を突き破ってきたのだ。
「や、やべえっ!?」
ようやく立ち上がったアンディが再び悲鳴をあげて、慌ててマリアンとエリザと共に下がる。
そのとき、逆に進み出ていく人物がいた。
「離れていろ」
黒いローブを纏った熟練冒険者にして魔導士でもあるカーライルであった。
カーライルはおもむろに手の平を窓から雪崩れ込もうとしているアンデッドたちに向けた。
「<火炎の矢>」
冷静な声音とともにカーライルの前に出現した三十本近い火矢が一斉に解き放たれる。
高速で飛翔した火矢は家屋を一切傷つけることなく正確に窓枠だけに集中してアンデッドたちを貫通して外へと消えていったのだった。
「す、すごい」
エリザが驚いている。
それも当然だろう。カーライルの魔導は威力に加えて制御、精度ともに申し分ないレベルにあったのだから。
間違いなくカーライル・ラムゼスは一流の魔導士であった。
「……でも、このままだと!」
「ええ。ジリ貧です」
マリナとアイラが各々武器を構えつつ焦りの滲んだ声を出す。
一時的に凌いでもこの狭い屋内でいつまでも耐えられるものではない。
カーライルが打ち倒したゾンビたちを踏み越えるようにしてまた新手がゆらゆらと姿を見せはじめている。
アルファベット戦士団が必死の形相で押さえ込んでいる扉もすでに破れかけており、隙間から何本ものゾンビの手が蠢いていた。
家屋に大量のゾンビたちが侵入するのも時間の問題だ。
「ちいっ! やっぱりこれだけ人が集まってるからゾンビどもが寄ってくるんだ」
「今更そんなことを言っても仕方ないだろう。それよりも早く脱出するぞ。でなければ、ヤツらの仲間入りだ」
舌打ちするブライアンにどこまでもクールなカーライル。
すると、個室を窺っていたフラドが皆に声をかけてきた。
「……皆さん。こちらにはゾンビがいないようです。ここなら外に出られそうです」
「――よし。俺がしんがりを務めるから、お前らさっさと脱出しろ!」
「……お前だけじゃ不安だな。俺も付き合ってやる」
フラドの言葉を聞き、居間の中央で横並びになって構えるブライアンとカーライル。
「それじゃあ、私が先陣を切るよ!」
「お供しますマリナお嬢様。ソラお嬢様も急いでください!」
フラドの開けた扉から飛び出していくマリナとアイラ。
その後にアンディ、エリザ、マリアン、コレットが続く。
「さあ。あなたも」
扉の横でフラドが手袋に包まれた手を差し出してくるがソラは首を横に振った。
「彼らを放ってはおけません」
個室の前から左右の入り口に視線を向けるが、どちらもアルファベット戦士団が懸命に押さえつけている状態だ。このままでは彼らが身動きできない。
カーライルが魔導を編みつつ視線を向けてきた。
「……私がこちらを担当する。君は裏口を頼めるか?」
ソラはカーライルの意図をすぐに理解して頷いた。そして、急いで魔導を構築する。
ほんの数秒で互いの魔導が完成したことを確認すると、カーライルが声を張り上げた。
「おまえたち。私の合図とともに扉から急いで離れるんだ。いいな」
「お、おう! 何でもいいから早く頼む!」
もはや扉を押さえつけるのも限界のようで彼らは顔を真っ赤にして踏ん張っている。
カーライルはソラと視線を合わせると軽く頷いて合図を出した。
「――今だ! 離れろ!」
合図とともにアルファベット戦士団が押さえていた扉から離れると、津波のようにゾンビたちが部屋へと雪崩れ込んできたのだった。
『うおおおおおっ!?』
「「<氷の壁>!」」
怒涛のごとき勢いで迫りくるゾンビたちを見て絶叫する戦士Aたちを尻目にソラとカーライルは同時に魔導を放つ。
すると、家屋へと侵入したゾンビたちは扉ごと青白い氷の壁に一瞬で閉じ込められたのであった。
その背後ではほかのゾンビたちが進むことができずに右往左往している姿が氷の向こうに透けて見えている。
目と鼻の先で手を伸ばしたまま停止しているゾンビを茫然とへたり込んで見つめていた戦士Aにソラは手を貸して立ち上がらせた。
「さあ、急いでここから脱出してください」
「あ、ああ。助かったよ」
戦士Aは九死に一生を得たようにホッとした表情をしたが、ブライアンが怒鳴るように叫んだ。
「おら! のんびりしてないでさっさと行きやがれ! 危機は続いてんだぞ!!」
二つの扉は塞いだものの、窓から数体のゾンビが身を乗り出して入り込んでくる。
そのゾンビたちを横殴りの斬撃でまとめて薙ぎ払うブライアン。
一撃でゾンビたちの胴体が上下に分かれて床へと転がるが、そのまま上半身だけでもぞもぞと這い回る。呆れるほどのしぶとさである。
それに個室の窓にもいつゾンビたちが殺到するか分からない。ブライアンの言うとおり余裕などないのだ。
アルファベット戦士団が慌てて個室に逃げ込み、すぐにソラとフラドも続く。
「よし、俺らも逃げるぞ!!」
ブライアンが這ったまま襲いかかってきたゾンビを蹴飛ばしつつカーライルとともにソラたちの背後から脱出する。
ソラが窓枠を乗り越えて外へと出ると途端に強い雨風が吹き付けてきた。まさに土砂降りの豪雨だ。遠くで断続的に稲光が発生している。
これはたまらんとソラがフードを被りつつ辺りを見回すと、前方で暗闇を切り裂くように白い閃光が弾けた。
「――でええええい!!」
気合の声をあげつつマリナがプラチナ製の大剣を振るって立ちふさがっていた数体のゾンビを吹き飛ばしたのだ。
もの凄い勢いで遥か彼方へ飛んでいく哀れなゾンビたち。我が妹ながらとんでもない威力である。
すぐ近くで信じられないものをみたとばかりにアンディたちが呆けたように突っ立っていた。
マリナと一緒に最前線でゾンビを追い払っていたアイラがソラたちに気づく。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
「お姉ちゃん! 露払いはしといたよ~!」
続けて、マリナも元気に大剣を振り上げながら報告してくる。
頼もしいことだとソラが苦笑していると、背後からズンッと重い音が聞こえてきた。
振り返ると、先ほどまでソラたちがいた家屋が激しく燃えていた。どうやら、カーライルが脱出間際に<火>属性の魔導でも叩き込んだらしい。周囲にいたゾンビたちが引火したり吹き飛んだりしている。
「これで、多少の時間が稼げるだろう。ほかのゾンビどもが引き寄せられる間に離れるぞ」
炎に包まれる家屋をバックにカーライルが淡々と告げる。
ソラたちは急いで家屋から距離をとる。マリナたちがゾンビたちを駆逐してくれていたのでスムーズに離れることができた。
「……問題はどこに逃げるかってことだが」
ブライアンが雨で濡れて張り付いた前髪をうっとうしそうにはねのけながら言う。
現在、ソラたちがいるのは村落の端っこだ。
遠くにこの大雨で早くも鎮火しかけている家屋が見えている。その周囲には不気味に蠢くゾンビたちの影。
「もう少し行くと礼拝堂がある。そこにいったん避難しよう」
「礼拝堂?」
カーライルに訊き返すソラ。
「屋敷と村落との中間地点にあるんだ。それなりに広いから迎撃もしやすい」
「へえへえ。よく知っておいでのようだな」
カーライルはブライアンの皮肉を聞き流すとさっそく走り出した。皆もそれに続く。
だが、もう少しで村落を完全に抜けようかというときに、また四方八方からゾンビたちが現れたのだ。
「くそっ!! ここにはどれだけゾンビがいるんだよ!」
「いいから、こいつらは放っておいて、走れ!!」
悪態をつくアンディにブライアンが叫び返す。
一同はそれこそ必死になって激しい雨の中を駆け抜けた。
ソラも右側から伸ばしてきたゾンビの手をかいくぐって全力で礼拝堂へと走る。
やがて、目の前に礼拝堂の姿が見えてきた。カーライルが言っていたとおりまずまずの大きさだ。
ほかにも礼拝堂の先と左右に道が続いているのが見えた。
礼拝堂の先には例の屋敷があるとして、右はどうも墓地のようだ。雨の向こうにうっすらと無数の墓石が見えている。
左には短い道があるだけで行き止まりのようだ。すぐそこに塀が立ちはだかっている。
一番乗りで礼拝堂へと到着したマリナが蹴り破るようにして扉を開け、皆が滑り込むように中へと入った。
最後尾にいたブライアンが後方に誰もいないことを確認してから扉を閉めると、礼拝堂は外の大雨が嘘のように静寂に包まれた。
しばらく皆の荒く息を吐く音だけが響く。
「良かった……。ここにはアンデッドはいないみたいだね」
「ここに待ち構えられていたら万事休すだよ」
ソラは安堵してマリナと顔を合わせて笑った。ゾンビたちが追ってくる気配もないようだ。
だが、周囲を見回していた戦士Aが大声を上げる。
「おい! シリルとイーサンがいないぞ!!」
「エリザもだ! それに、フラドさんもいないよ!」
マリアンも強張った表情で叫ぶ。
顔面を蒼白にしてほかのメンバーたちもざわめく。
ソラが礼拝堂内を確認すると、確かに四人の姿が見当たらない。
急いで引き返そうとする彼らをブライアンが制止する。
「待て!! 今引き返したらゾンビどもに囲まれるぞ!!」
「でもよ!!」
「最悪、入れ違いになるかもしれん。もう少しだけ待て」
詰め寄る戦士Aたちにブライアンは根気強く説得する。
ブライアンの真剣な瞳を見て彼らはうなだれるように頷いたのだった。
皆がお通夜のように重々しく静まる中、息を整えたソラは礼拝堂を観察してみることにした。内部は明かりひとつないが、頻繁に窓から雷光が入ってくるのでそこまで苦労することなく見通すことができる。
礼拝堂内は前方に祭壇があり長椅子が二列になって連なって配置されているという典型的な造りだった。それなりの面積だがほかに部屋はないようで内装もシンプルだ。
ただ、埃が多少積もっているものの思ったより荒らされていない。窓も一枚たりとも割れておらずきれいに保存されている。
長椅子の間を進んでいたソラは祭壇におかしなものを発見した。
「これは……」
本来なら祭具などを置くべきところに妙なオブジェのようなものが設置されていたのだ。
それは石でできた鷹が十字架を見下ろしているという代物で、十字の先には綺麗なガラス玉がはまっていた。加えて祭壇には丸いへこみがある。
「何なの、これ?」
「礼拝堂には似つかわしくないものですね」
ソラの背後からマリナとアイラも覗き込んでいた。
「……待って。何か書いてある」
ソラが観察してみると、祭壇の上に文字が刻み込まれた金属製のプレートが嵌っているのを見つけたのだ。
「全く読めません」
アイラが顎に手を当てて難しい顔をしている。
そこには世界で使用されている標準言語とは異なる文字が刻まれていたのだ。
だが、ソラには見覚えのある言語であった。これは古代言語のひとつなのだ。
「今から読んでみるよ。……えっと――鷹が見下ろす……十字の……先に……真実への……扉を開ける……鍵が眠っている……その鍵を……枠にはめよ――てなことが書いてあるみたい」
「さすがお姉ちゃん! 無駄に本を読んでないね!」
失敬なことを言ってくる妹を無視してソラは考え込む。
真実への扉とはいったい何を意味するのだろうか。もしかして、これがそのまんまお宝への在り処を示しているのだろうか。
「なんかゲームみたいになってきたね。この祭壇の下に秘密の階段があったりして」
マリナが祭壇を押したり引いたりしているがびくともしないようだ。
そんな単純な話なら苦労はしないだろうとソラが呆れていると、背後から誰かが声をかけてきた。
「……それは、多くの冒険者たちが解けずにいる謎々なのさ」
ソラが振り向くとそこにはカーライルが静かに立っていたのだった。
目が合うと中年魔導士は軽く肩をすくめた。
「あきらかに怪しいオブジェと文言。訪れた冒険者たちもその謎を解けば領主の莫大な財産へ辿り着けると考えるのは当然だろう。文字が読めなくともなんとなく意味が分かるしな」
「……あなたに心当たりはないんですか?」
「……さあな。だが、闇雲に敷地内を探索するよりはいいかもしれんな。ただでさえ、アンデッドどもがうろついているのだから」
しばらく、ソラがカーライルの感情の読めない表情を見つめていると、入り口付近でそわそとしていた戦士Aが大声を張り上げた。
「もう、待てねえよ! 俺は行くぜ!!」
ほかのメンバーたちにアンディやマリアンも頷いている。
ブライアンも仕方ねえなという顔をしている。
今にも出て行きそうな彼らにカーライルが歩み寄って声をかけた。
「当てもなく探し回っても命を落とすだけだ。まずは屋敷を一度確認してみろ」
「屋敷?」
「私はブライアンと後方を走っていたが、少なくとも村落を出る寸前までは全員が揃っていたのを確認している。だが、この大雨で視界も悪い。もしかしたら、礼拝堂に気づかず屋敷にまで行ってしまったのかもしれない。引き返したり墓地に逃げ込むとは考えられんしな」
カーライルの言う事にも一理ある。
結局、全員で礼拝堂を出て屋敷へと赴くことになった。
外の気配を窺いながらブライアンが一気に扉を開け放して外に出る。
ソラも皆に続きながら再び激しい雨の中に飛び出していくのだった。