第7話
ソラたちがいざ霧で覆われている森の中へと入ろうとすると、遠くからかすかに車輪が回転する音が聞こえてきた。がたがたと街道を進んできているようだ。
「お? どうやら次の馬車が来たみたいだな」
これまで通ってきた道を振り返るブライアン。
アイラがキツイ目つきでオッサンを眺める。
「お前が遅れてきたからな。追いつかれたんだろう」
「だから、悪かったって!」
平謝りするブライアン。当分は頭が上がらなさそうである。
しばらくソラたちが待っていると、一台の馬車が近づいてくるのが見えた。
御者台に座って馬を操っているおじさんが森の入り口に佇むソラたちを見て驚いている。
恐る恐るといったように目の前で停止する馬車。
ソラが挨拶するとおじさんはホッとした様子で話しかけてきた。
「――ああ、びっくりした。こんなところに立ってるから幽霊かと勘違いしそうになったよ。ひょっとして、ひとつ前の馬車でここまで来た冒険者か? やれやれ、奇特な人間が多いもんだ」
「……じゃあ、もしかして」
コレットが馬車の後方を見ると、
「――またお会いしましたね、皆さん」
声をかけてきた銀髪の男をはじめ見覚えのある四人が馬車から降りてきたのだった。
先頭にマントを羽織った長身の青年フラド。その後ろにまだ若い同郷三人組チーム――アンディ、マリアン、エリザがいた。
馬車が発進すると皆で一通り挨拶を交わす。
すると、とんがり帽子をかぶった魔導士のエリザが駆け寄ってきた。
「ソラちゃんにマリナちゃんっ! いつ見ても可愛いね~!!」
がばっとソラたちを抱きしめるエリザ。
ソラがもごもごとあがいていると、
「エリザ。迷惑だろう」
背後からたしなめるような声が聞こえてきた。
ようやくエリザから解放されたソラが振り返るとマリアンが笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
マリアンは髪をポニーテールにした戦士風の女性で凛々しい表情といいアイラに少し似ている。
「君らもこれから屋敷へ行くのか。早いね」
ソラが頷くとマリアンはふうとひとつ息を吐いた。
「本当は私たちも君らと同じ朝一番の馬車で来る予定だったんだけど、アンディが朝寝坊してしまってね。まったく、冒険者になる前からそういうところは変わらないよ、この馬鹿は」
振り向きながらあきれたような視線を向けるマリアン。
そこにはバツの悪そうな顔をしたアンディが立っていた。ツンツン頭の元気そうな少年だが今は居心地が悪そうにしている。
「いや、幽霊屋敷とか楽しそうじゃん? だから、興奮して遅くまで眠れなくってさ」
まるで遠足を明日に控えた小学生のような理由であった。
アンディが慌てながら話題を変える。
「と、とにかく、あんたらも今から行くんだろ? じゃあ、一緒に行こうぜ。昨日色々あったけど、助け合えるならそれに越したことはないし」
その意見にはソラとしても異論はない。ここまで来たら別々に行動する必要もないだろう。
さっそくアンディが歩き出そうとしたが、その動きを制するようにブライアンが訊く。
「ちょっと待て。ほかの五人組はどうした? 一緒じゃないのか?」
「ああ……。あの兄ちゃんたちは昨日、『先に行って地ならししとく』とか言ってたよ。なんでも専用の馬車を一台借り切って早めに街を出るとか。多分、あんたらよりもずっと早い時間に出たんじゃないかな」
「……ったくよ。先走りやがって」
舌打ちするブライアン。
アルファベット戦士団の姿が見えないと思っていたらそんな理由だったらしい。まだ二十ほどの若者たちなので体力があり余ってるのかもしれない。
それにしても、専用に馬車を借り上げるとはなかなか豪勢な話だ。
「この先の村で落ち合う約束をしています。彼らは屈強な戦士たちですし、おそらく問題はないと思いますよ」
「だといいがな」
安心させるようなフラドのセリフにかぶりを振るブライアン。
やがて一同は霧の中を屋敷へと向けて歩き出した。
土でできた道はしっかりと固められていて歩きやすく、幅も広いので馬車も余裕で通行できるほどだ。
マリナがきょろきょろと左右を見回しながら言う。
「それにしても、屋敷以前にこの森がすでに不気味だよね」
鬱蒼とした暗い森。加えて濃い霧が発生しているのでよけい陰気な雰囲気を醸し出している。今にもあの木々の間から幽霊が出てきそうだ。
「この森はもともと霧が出やすいのですが、各種怪物も生息していますので地元の人間もほとんど近寄りません。もっとも、この辺の浅いところは怪物も滅多に現れませんけど」
「へえ……。詳しいですね」
「私もこの近辺の出身ですから」
説明するフラドにソラが視線を向けるとちょうど目が合う。
優しく微笑んでくるフラド。相変わらずのイケメンスマイルである。
「フラドさんの出身ってこの辺りだったんですか!」
隣に並んで青年を見上げるエリザ。目がハートマークになっている。
その気持ちは分からないでもない。端正な顔立ちにどこか憂いを帯びた切れ長の瞳。いかにも女性を惹きつけそうな男だ。
その後ろではアンディが面白くなそうな顔をしていて、更にその隣では少し困ったような表情でアンディを見つめるマリアンがいた。
ソラが彼らを何気なく眺めていると、隣で「むふふ……」と妹が笑っていた。
「あの三人、同じ故郷の出身だって言ってたよね。つまりは幼馴染ってことでしょ? 昔からお互いに気があるとか!」
小声で耳打ちしてくるマリナ。やたらと楽しそうである。
どうやら、あの一瞬の光景でそこまで読み取ったらしい。
目をキラキラとさせて彼らの様子を窺っているマリナを注意しようとすると、アイラがブライアンに話しかけている声が聞こえてきた。
「そういえば、先ほど村がどうのと言っていたがどういうことだ。この道は屋敷に通じているんじゃないのか?」
「いや、屋敷に直接は通じてないんだ。屋敷の前に使用人とその家族たちを住まわせるための村があるんだが、そこを通過しないと屋敷には辿り着けないんだよ」
「二十以上の家屋があってそこそこ広い村ですよ。もちろん、今は誰もいませんけど」
一度訪れたことのあるコレットが補足する。
しばらく不満そうにしていたアンディも会話に加わってきた。
「……でもさ、何でこんな薄気味悪い森の奥に屋敷なんか建てたんだろうな。わざわざ森を切り開いたってことか? 貴族様の考えることは分からねえよ」
「もともと大昔には村があってその土地を利用したらしい。例の狂った貴族様は天才肌だったらしいし、俺らみたいな一般人には理解できん理由があったんだろう」
肩をするめるブライアン。
ソラが彼らの話に耳を傾けているとマリナがローブを引っ張ってきた。
「――うわ。見て、お姉ちゃん」
何事かと妹の指差す方を見ると、そこには一本の木とその枝先に縄が丸い輪っか状に結ばれて引っかかっている光景が見えたのだった。
ソラは嫌なものを見たとばかりに表情を歪ませる。
「……もしかして、あれって……」
「君が想像しているとおりだと思うよ」
にやりとマリアンが笑ってソラの方を振り向いた。
「この森は昔から自殺の名所としても有名な場所なんだ。あれも世を儚んで自ら命を絶った人間のものだろう。基本的にアンデッドたちは屋敷周辺にしか出ないらしいけど、森にも霊がさまよっているかもしれないから気をつけたほうがいい」
おどろおどろしい声を出すマリアン。
隣で聞いていたマリナがこちらもわざとらしい悲鳴をあげてソラに抱きつく。
呆れながら妹を見つめているとマリアンが苦笑した。
「君らはそんなに怖がっていないみたいだね。第一印象でも思ったけど大人びた姉妹だよ」
ソラは前世においても心霊番組などにはわりと平気なタチだったし、マリナにしてもこの程度で怯えるような可愛い性格ではないのだ。
だが、この森が不気味なことには違いない。早朝の森とはいえこの肌寒さはただごとではないし、とっくに夜が明けているだろうに霧のせいか薄暗いままだ。用がなければソラだって絶対に近づこうとは思わない。
こんな森を訪れる人間といえば自分たちのような冒険者かそれこそ自殺志願者くらいだろう。
ソラはあの暗い木々の間から昔見たホラー映画に出てきた髪の長い女性の霊が手招きしている光景を想像してわずかに背筋が寒くなる。
すると、斜め前を歩いていたブライアンがぶるるっとソラの悪寒が移ったかのように身体を震わせた。
「……悪い。ちょっくら小便に行ってきていいか? 最近、歳のせいか便が近いんだよな」
どうでもいいことを付け加えながらブライアンは道を逸れ森の中へと消えていった。
アイラも渋い表情をしている。
「本当に一口も二口も余計な言葉が多い男だ」
「それがブライアンさんですから仕方ないですよ」
あまりフォローになっていないようなことを言うコレット。
しばらく立ち止まって待っていると、先ほどからエリザと楽しそうに会話していたフラドがふいにこちらへと顔を向けて話しかけてきた。
「……初めてお会いしたときから思っていたのですが、あなた方は雰囲気といいただの冒険者には見えませんね。まるで物語に出てくる姫君のようだ」
ソラとマリナに視線を向けるフラド。その瞳はどこか不思議な虹彩を放っていた。
どう反応したものかとソラが困惑しているとフラドが軽く頭を下げた。
「……急に失礼しました。詮索するつもりはもちろんないんですが、どうも気になってしまいましてね」
「フラドさんの気持ちも分かるよ。あなたたち姉妹はびっくりするほど可愛らしいし、それこそどこかのお姫様とか言われても納得しそうだもの」
フラドに寄り添っていたエリザも追従する。
そんな二人を見て苦々しい表情をしていたアンディも頷く。
「まあ、確かにな。冒険者間での詮索はタブーだけどやっぱり気になるよな。俺よりも年下だし、あきらかに毛並みも違うしさ」
横で聞いていたマリアンが「失礼だぞ、アンディ」と頭を小突いていたが、やはり気になっていたらしく少し期待のこもった視線をソラたちに向けていた。
無言で足を踏み出そうとしていたアイラをソラは押し留める。
「今は縁あって同道しているわけですし、多少の自己紹介くらいなら構いませんよ。私たちはエレミアの出身で、一応古くから続いている魔導士の家の出なんです」
ソラの簡単な説明に彼らは納得した様子だった。
「なるほど……。魔導士の名門、しかも本家本元のエレミアともなれば正真正銘のお嬢様だ」
「だね。魔導大国エレミアで古くから続いているともなればそこらの魔導士とは格が違うよ」
マリアンとエリザが頷き合っている。
アンディはイマイチ理解できていないようだったが仲間二人の様子からある程度は察したようだった。
「良く分からねえけど、やっぱり凄い金持ちとかなんだろ? でも、何でわざわざ冒険者をしてんだ?」
「お姉ちゃんが旅好きというか冒険好きでして。とにかく家でじっとしていられないお転婆な性格なんですよ」
マリナの説明に噴き出すマリアン。
「君のほうがよほどお転婆そうだけどね」
まったくだとソラも思う。自分のことを百段くらい棚に上げている。
エリザがアイラの方を向いた。
「じゃあ、あなたは……」
「彼女は普段護衛を担当しています。でも、旅の間は冒険者仲間として付いてきてもらってるんです」
なるほどと彼らは頷く。
すると、アンディが革鎧に覆われた自分の胸をポンと叩き、マリアンとエリザを指し示した。
「一方的に聞くのも不公平だし俺らも話すよ。俺らはここネイブル王国の北にある村の出身でさ、ガキの頃から退屈な村の生活に飽き飽きしてたこともあって冒険者になったんだ。いつかは有名になって故郷に凱旋してやろうと思ってる」
アンディに続いてエリザも口を開いた。
「私は面白そうだからアンディについていこうと思ったの。小さい頃から一緒だし、運良く魔導の才能にも恵まれたしね」
「それで、この二人だけじゃ不安だから私も仕方なくついていくことにしたんだ。誰かが面倒を見てあげないと野垂れ死にしそうだからね」
最後に締めくくったマリアンにアンディとエリザが不本意そうに文句を言っている。
やはり、この三人は絵に描いたような幼馴染のようだ。
じゃれあっている彼らを見ていると、ソラはふと視線を感じた。
視線を感じた方向に目をやると、フラドがじっとこちらを見ながら静かに佇んでいたのだった。
気のせいかその瞳が妖しく輝いているような気がする。
(……?)
フラドと目線がかち合った瞬間、ソラは頭の中にモヤがかかったような感じがした。
思考にノイズが混じったような感覚。微妙な違和感を感じるが不思議とフラドから目を離せない。
ソラが立ちくらみを起こしたように額に手をやると、
「――うおおおおおおっ!?」
突然、森の中から驚きと悲鳴をブレンドしたようなブライアンの叫び声が聞こえてきたのだった。
ハッとソラは声が聞こえた方を振り向く。
皆も何事かとブライアンが消えた方向を見つめている。
ソラはふと先ほどの違和感が消えていることに気づいた。
(……今のは……気のせい、か?)
平常通りに戻ったソラは軽く頭を振る。
再びフラドに視線を向けるが、当人は目を細めて森の奥を見つめていた。
そのフラドが口を開く。
「……もしかして、用を足している最中に怪物に襲われたのかもしれません」
「そうかもな。俺も経験あるし。だとすれば、あのオッサンでもやばいかもしれない。俺が見に行くよ」
アンディが顔を引き締め、フラドも「お供しましょう」と頷いた。
しかし、その必要はなかった。
もの凄い勢いでブライアンが腰のベルトをカチャカチャと締めながら森から出てきたのだ。
「ど、どうしたんだよ、オッサン」
やや面食らっているアンディ。
ブライアンはよほど慌てていたらしくうっすらと額に汗まで滲ませていた。
「それはこっちが聞きてえよ! いきなり現れやがって!」
毒づきながらブライアンは腰の剣を引き抜いた。
やはり怪物が出現したのかと皆も身構える。
一同が警戒していると森の中から茂みをゆっくりとかき分ける音が聞こえてきた。
がさがさ……。ずるずる……。がさがさ……。ずるずる……と。
耳を澄ませると何かを引きずるような音が混じっていたのだ。
もしかして……とソラがある直感を覚えていると、それは霧煙る森から姿を表したのだった。
「うおっ、こいつは……!」
驚きの声をあげるアンディ。
そいつは一見年老いた男性に見えたが、纏った服も肌もぼろぼろで、腹部から内臓らしきものがこぼれ落ちており片方の目玉も不自然に飛び出ていた。明らかに死んでいるはずなのによろよろとこちらに手を突き出して近寄ってくる。
ソラは初めて見たがゾンビというやつだ。
「こいつが小便をしているときにいきなり地面から出てきやがったんだよ!」
ブライアンが怒りの混じった声を出す。
こんなのが突然出てくれば誰だってびっくりするだろう。
「オオ……オアアッ……」
ヨタヨタと左足を引きずりながらブライアンに組みかかろうとするゾンビ。
アンディが攻撃を仕掛けようとしたが、ブライアンは手で制止し、掴まれそうになる寸前で動きの遅いゾンビの懐に素早く入り込むと、剣を大きく振り上げて頭から股間までを真っ二つにしたのだった。
「おおっ! さすがだな、オッサン!」
歓声を上げるアンディ。
腐っているとはいえ、骨や内臓が詰まっている人間をそう簡単に一刀両断できるものではない。
しかも、<内気>を使っている気配もなかった。純粋な剣術だけで為したのだ。やはり、ただのオッサンではない。
ブライアンは動かなくなったゾンビを見つめつつ剣を鞘に戻したが、すぐに首を傾げる。
「しかし、アンデッドが森で出たというのはあまり聞かないんだけどなあ。何であんなとこに埋まってやがったんだ、こいつは」
「幽霊屋敷とは関係ない野良ゾンビなんじゃないの? ほら。この森、自殺する人が多いっていうし」
うわ~気持ち悪っ、とおっかなびっくりゾンビを観察しているマリナが言う。
おそらくそんなところだろうとソラも思う。だが、それよりも……。
「……ブライアンさん。開いてますよ」
ソラは目線を外しながらブライアンの股間を指差す。
すると、同じものを見たらしい女性陣から軽く悲鳴が上がった。
「――おっと! いけねえ! さっきは慌ててたからな。お嬢さん方には見苦しいものを見せちまったぜ。へへっ」
ブライアンはどこか嬉しそうにいそいそとズボンのチャックを上げる。
そう。突然ゾンビが出てきたせいかオッサンの社会の窓が全開になっていたのだ。
コレットやエリザが顔を手で覆って恥らっている姿を見て満足気にニヤニヤと笑うブライアン。まさにオッサン力も全開である。
「貴様……お嬢様に汚らわしいものを見せつけおって」
中年オヤジに射殺すような視線を送るアイラ。
色々とハプニングがあったものの一行は再び歩き出した。
アンディがブライアンに話しかける。
「見た目はだたのオッサンなのに、さすが『八つ星』の冒険者だよなあ。さっきは見事だったぜ」
「それはありがとうよ……。って、だれがオッサンだ、コラ」
ツッコミを入れたブライアンはまだあどけないアンディの顔を見返す。
「そういや、お前さんは星いくつなんだ。冒険者になって三~四年くらいだろうが……」
「俺か? 俺は『三ツ星』だ。マリアンとエリザが『四つ星』だな。今年で四年目になるよ」
堂々と胸を張って言ってのけたアンディにブライアンが呆れた視線を送る。
「おま……よくそのレベルでこのクエストを受ける気になったな。四年目ならまずまずだがよ」
「昨日も言ったけど挑戦してこその冒険者だと思うんだよな。それに、力量不足を自覚してるから徒党を組んでるわけだし。ついでに俺けっこう運がいいんだぜ」
「運にも限界ってもんがあるんだぞ。まあ、ある意味冒険者向きの性格と言えなくもないが……。ということはこの譲ちゃんたちと同じくらいか」
ソラたちに視線を寄越すブライアン。
それを聞いてアンディは驚いたようだった。
「え? あんた、俺と同じランクなのか?」
ソラがざっと説明すると、アンディだけでなくほかの人間も驚いていた。
「……資格を取ってから一年程度で俺と同じランクって凄すぎだろ。しかも、妹さんの方に至ってはまだ数週間って……」
「あたしとエリザも『三ツ星』に昇格したのは三年目の初めくらいだったしね……。昨日、ブライアンさんが言っていた話も今なら信じられそうな気がするよ」
マリアンとエリザもびっくりしているようだった。
それから、一行があれこれ会話しながら進んでいると、道の先に大きな門が見えてきた。
高さが四メートルくらいの門とその左右に分厚そうな塀がずっと森の中にまで続いている。
「着いたな」
ブライアンが首の後ろをボリボリとかきながら言う。
「高くて頑丈そうな塀だね。もしかして、屋敷の敷地全部を覆ってるの?」
「ええ、門から入ったところにある廃村、そこから奥に続いている屋敷にまで満遍なく塀で囲ってあります。怪物対策だと思いますけど」
「けど、この立派な門といい塀といい、金も時間も相当かかってるぜ、これ」
マリナの疑問に答えるコレットの隣ではアンディがおったまげている。
やがて、一行が門の前まで辿りつくと、敷地の中にいくつもの家屋が建っているのが見えた。
ソラが門を観察していると、上部に鷹をモチ-フにした紋章が刻まれているのを発見した。
「これは……」
「それは、フランドル侯爵家の紋章です」
コレットが同じように見上げながら教えてくれた。
その声音になにか違和感を感じた気がしたソラはコレットの横顔に視線を向ける。
無言で見上げている少女。その丸眼鏡の奥にある瞳には様々な感情が渦巻いているように見えた。
どこか遠い目をしたコレットを見つめていると、突然、門の向こうからズズンと大きな音が響いてきたのだった。
「――!! 今のは!?」
「行ってみましょう」
騒然となる一同にフラドが促す。
門をくぐり、いつくかの家屋が建ち並ぶ中を走ると、村の広場となっているところに数人の人影が見えた。
立派な鎧に身を包んでいる五人の男たち。間違いなく先発したアルファベット戦士団であった。
だが、彼らの中には見覚えのない黒いローブを纏った男の姿も見えた。
なぜか隣を走っているブライアンがその男を見て、「げっ!」と嫌そうな顔をしている。
色々と疑問に思うソラだったが悠長に考えている暇はなかった。
彼らのすぐ目の前に巨大な人型の生物が立ちはだかっていたのだ。
そいつは赤い目にとんがった耳、力士のようなあんこ型の体型をしていた。
「こいつは……ジャイアントか!」
ブライアンが武器を抜き放ちながら叫ぶ。
ジャイアントとはオーガやトロールなどを含めた巨人族に分類される怪物である。
その名の通りとにかく身体が大きく凄まじい膂力を誇るが知能はさほどでもない。
ある程度の経験を持つ冒険者なら油断さえしなければ対処できる相手だが、ソラたちの眼前にいる怪物はスケールが一桁違った。
普通なら体長三メートル前後というところだが、現在アルファベット戦士団に攻撃を加えている怪物は敷地を覆う塀と同じくらい四メートル近くはありそうだった。まさに縦にも横にもデカい。
その怪物がどこかから引っこ抜いたらしい木の幹を縦横無尽に振り回して暴れているのだ。近寄るだけでも命がけな状態である。
しかも、それに加えて。
「……何なの? この臭い?」
マリナが鼻を指でつまみ、吐き気を催すような表情をする。ほかのメンバーも似たように顔をしかめている。
あのジャイアントから何かが腐っているような強烈な臭いが漂ってきているのだ。
すると、苦戦していたアルファベット戦士団のリーダー、戦士Aことエースがこちらに気づいたらしかった。
「――おお! お前たちもようやく来たか! さっそくで悪いんだけど手伝ってくれ! 足にある程度ダメージは与えたんだが、まるで倒れる気配がなくて困ってたんだ。できれば魔導による援護があると助かる!」
ほかの面々もこちらを向いて少しホッとした表情をしている。
どうやら、怪我人こそ出ていないようだが随分と苦戦していたようだ。戦士Aの言ったとおり怪物の下半身には無数の傷が刻まれていたが、大抵の人型生物の弱点である頭部は高すぎて攻撃が届かないようだった。
「よ~し、任せなさいっ!!」
戦士Aの呼びかけに応えたのは魔導士のエリザだった。
エリザは手早く集中力を高めると、魔力を放出し魔導紋を構築し始めた。
なかなかの手際の良さである。エレミアの魔導士の中でも標準以上の実力者だと言えるだろう。
やがて、魔導の準備を終えたエリザはジャイアントをまっすぐ指差す。
「<火炎の矢>!!」
力強く叫んだエリザの頭上に出現した十数本の火矢は暴れまわっている怪物を目指して高速で飛んでいった。
樹木を地面へ叩きつけたジャイアントが迫り来る火の矢に気づいて顔を上げたときにはもう遅く、全ての矢が怪物の上半身へと被弾する。
ズドドドドドッとジャイアントの巨体に次々と刺さる火矢。怪物の動きが止まる。
『おおっ!!』
ジャイアントから付かず離れずの位置で攻撃の機会を窺っていたアルファベット戦士団から喝采があがる。
だが、喜ぶのは早かった。
一時動きを止めていたジャイアントだがすぐに何事もなかったように再び樹木を振り上げたのだ。
『うおおっ!?』
慌てながら跳び退る面々。
ジャイアントはあちこちに酷い火傷を負っており、一部には肉が抉れている箇所すらある。本来なら相応のダメージになっているはずなのだが、まるで痛みなど感じていないかのように行動している。
「うそおっ! 効いてないの~!?」
「あれを喰らって平然としてるなんてありえないよ!」
エリザとマリアンも衝撃を受けているようだった。
二人の前で剣を構えていたアンディも喚く。
「どうやって倒せばいいんだよ、あんなの!!」
ズシンズシンと一層激しく動きはじめたジャイアントに皆が浮き足立っている。
どれだけダメージを与えてもまるで衰える気配がないのだ。心が折れかかるのも無理はない。
「……ちっ。仕方ねえな」
「待ってください、ブライアンさん」
舌打ちしながら飛び出そうとしたブライアンをソラは制止する。
ブライアンは懐からナイフを取り出そうとしている姿勢のまま動きを止めてこちらを振り返った。
「私が今から大きな魔導をひとつ撃ちます。ブライアンさんは皆を下がらせてください」
「……ほう。嬢ちゃんがあのデカブツを倒してくれるってんなら俺としても助かるぜ。あいつを倒す方法はいくつか思いつくが、どれも時間がかかるし疲れるからな」
オッサンは笑うとナイフをしまった。
次にソラは目の前に立っていたマリナとアイラに声をかける。
「マリナ、アイラ。あいつの足止めをお願い」
二人は頷いてそれぞれ武器を引っさげながら怪物へと駆けていった。
その後姿を見送ったソラは即座に世界との同調率を高め、まばたきひとつ分にも満たない時間で魔導の発動が可能な領域に到達した。世界が切り替わる。
間髪入れずに身体の深奥で活性化させた魔力を操作し意味のある形へと紡ぐ。
強力な魔力を感じ取ったらしいブライアンが「おっ!?」と声をあげ、近くにいたエリザがハッとした表情でソラの方を向いた。
「こいつは……どえらい魔導を使いそうだな。――おい!! お前ら、いったん下がれっ!!」
ブライアンが大声でアルファベット戦士団に呼びかける。
振りむいた戦士Aが怒鳴り返す。
「下がってどうするんだよ! こいつをどうにかしない限りは先へは進めないんだぜ!!」
「だから、嬢ちゃんたちが今からどうにかするって言ってんだよ!!」
「……あ、あんた、まだそんなことを……」
戦士Aが呆れていたが、ここでジャイアントが驚きの行動に出た。
ちょこまかと動き回る人間たちに業を煮やしたのか、突如樹木を振り上げてそのまま投げつけたのだ。
巨大な樹木が回転しながら前線で身体を張っていたアルファベット戦士団に襲いかかる。
脇で援護していた見知らぬ魔導士の男が短く叫んだ。
「――避けろ!」
『――――っ!!』
彼らは咄嗟に避けようとするが、ちょうど進路上にいた戦士Bは身体を投げ出すのが精一杯だった。
すんでのところで直撃こそまぬがれたものの体勢が完全に崩れている。投げつけられた樹木は家屋のひとつにぶち当たって轟音と大量の粉塵を撒き散らしていた。
いまだ体勢が崩れたままの戦士Bを見つけたジャイアントは濁った瞳をにやりと細めて大きな拳を振り上げる。
「ビリー!!」
仲間の危機に戦士Aが悲鳴交じりの声を張り上げる。
ジャイアントの巨大な拳が戦士Bの身体を砕こうかとしたその時。
ガアンッ!! と甲高い音を響かせ、一振りの白い大剣が直前で怪物の拳を止めたのだった。
「……大丈夫?」
怪物の攻撃をあっさりと押し留めたマリナが、地面にへたり込んでいる戦士Bに語りかける。
ポカンと口を開けた間抜けな表情ですぐ目の前の光景を眺めていた戦士Bは慌ててこくこくと首を縦に振って頷いた。
見ればほとんどの人間が同じく動きを止めて固まっている。
それも当然だろう。小さな女の子と見上げるようにデカい怪物の攻撃とが拮抗している。傍から見ればコメディのようですらある。
「ウ、ウソだろ……。何をどうやったら、あんな小さな身体であの化け物の一撃を止められるんだ……?」
茫然自失のアンディが呟いている。
もちろん、ただの腕力だけで怪物の攻撃を防いだわけではない。見るものが見ればその大剣に強大な魔力が込められていることに気づくだろう。
すると、同じように茫然と動きを止めているジャイアントを見てチャンスだと思ったらしく、ブライアンが再び叫んだ。
「おらっ!! ボーッとしてないで下がれ!! 嬢ちゃんたちの邪魔になるだろうが!!」
いまだに彼らは思考が停止しているようだったが、ゆえに今度は素直に退却した。
戦士Bを含めた面々が慌ててソラたちのいる場所まで下がると、彼らと入れ替わるようにアイラが赤い髪をなびかせながら怪物へと突進する。
アイラはジャイアントの攻撃を受け止めているマリナを抜群の跳躍力で飛び越え、拳を突き出しまま固まっている怪物の太い腕を素早く登っていった。
瞬く間にジャイアントの肩にまで登り詰めたアイラは両手に持っていた双剣でためらいなく怪物の赤い瞳に斬りつける。
「――グオオオオオオッッ!?」
さすがにこれは効いたのか、怪物は悲鳴をあげてハエでも追い払うように両手を顔の前で無茶苦茶に振り回した。
アイラは慌てることなく怪物の額を軽く蹴りつけると、その反動でしなやかに宙返りしながら地面へ着地した。そのままマリナと一緒にソラのもとへ戻ってくる。
どたどたと無様に暴れているジャイアントの周囲に人がいなくなったことを確認したソラは用意していた魔導を発動させた。
怪物を鋭く見据え、右手の手の平を突き出す。
「<爆発>!!」
ソラが叫ぶと手の平の先にバレーボール大ほどの光球が生まれ、ソラの意思に従いほんの一瞬で怪物のもとへと到達した。
そして、その分厚い胸板に光球が接触した瞬間。
凄まじい閃光と爆音を辺りに撒き散らしながら怪物の巨体が爆砕したのだった。
「――うおおおおおおっ!?」
「――きゃああああああっ!!」
爆発の衝撃で地面が大きく揺れ皆が地面に伏せながら悲鳴をあげる。周囲に立ち込めていた霧が一瞬で押しのけられた。
ソラも顔を手で覆い衝撃に耐える。
やがて、また霧が辺りを覆う頃になってようやく衝撃の余韻が収まってきた。
怪物が立っていた場所にソラが視線を向けると巨体の姿はきれいさっぱりと消えていたのだった。
一撃でジャイアントの巨体が吹き飛んだことにアルファベット戦士団をはじめとした人間たちは言葉を失っているようだ。
「やったね、お姉ちゃん」
元々ソラの実力を知っているマリナとアイラに加えブライアンなど一部の平気そうな者たちが周囲に集まってきて労いの言葉をかけてくる。
彼らに応えているとソラはふと手の甲に冷たい感触を覚えた。
天を振り仰ぐ。
「あ。雨……」
まるで、戦いが終了するのを待っていたかのように、ぽつりぽつりと黒い雨粒が空から落ち始めていたのだった。