第4話
先輩冒険者であるブライアンとシヴァ教の神官を務めるコレットの二人をチームに加え、ソラたちは冒険者協会が経営する飲食店内で集合時間などの打ち合わせをしていた。
コレットが気に病んでいる冒険者たちのこともあるので、さっそく明朝から例の幽霊屋敷へと向かうことになった。
それに、屋敷は敷地も含めればかなり広大らしいので、場合によっては探索に二、三日以上費やす必要があるらしい。依頼が取り消される期限が一週間後なので悠長にはしていられないのだ。
屋敷がある森へは、街から出ている馬車を使えば一時間ほどで到着するらしい。
「……そういえば、今更なんですけど。その屋敷に財産があるって話は信じてもいいんですか?」
ソラはふとブライアンへ尋ねる。
例の屋敷に多額の財産が眠っているという前提での仕事ではあるが、その根拠はどこからきているのだろうか。もし、そんなものは初めからないという間抜けな話なら骨折り損のくたびれもうけというものである。
「それなら、ほぼ間違いはないはずだぜ。今は狂ったあげくに死んじまった元侯爵に代わって、その甥っ子が跡を継いでフランドル侯爵領の領主をやってるんだけどな。その新領主様が本宅やほかの別荘地などをそれこそ血眼になって探し回ったそうだが、結局わずかな蓄えしか残されていなかったんだとよ。だから、侯爵家の財産の大半は例の屋敷に保管されている可能性が極めて高いそうだ。逃げ出した元使用人の証言もそれを裏づけてるしな」
ブライアンが顎の無精ひげをしごきながら答えた。
ちなみに、この街も含めここら一帯は全てフランドル侯爵領になるらしい。
「でも、新しく継いだ領主もお金がほとんど残されていなかったって、なんかかわいそうだよね」
「そうですよね。せっかく領主様になったのに」
マリナとコレットが同情したような声を出した。
それを聞いたブライアンが苦笑する。
「聞いた話によると本人も相当落ちこんでたらしいぜ。はじめは侯爵の地位が突然転がり込んできて大喜びだったらしいが、肝心の資産がすっからかんときてる。そこで、国とは別に制圧隊を何度か送ったんだが犠牲者を大量に出すだけで撤退続きらしいな」
「そうなんですか?」
「ああ。最近でも一カ月前くらいに派遣したがあえなく失敗に終わってる。領主からすれば財産だけじゃなく、身内の不祥事を解決するという意味合いもあったんだろうけどな。加えて、お馬鹿な貴族がアンデッドに殺された件で風当たりが強くなってるらしいし、なんとも頭の痛い話だろうぜ」
現フランドル領主からすれば、本来自分たちのものになるはずの多額の資産が国に接収されたり冒険者にかっさわれるのは面白くないだろうし、自業自得とはいえ領地内でほかの貴族が殺されたとなれば責任を問われかねない事態でもあるのだ。
なんとしても自力で解決したいという気持ちはソラにも分からないでもない。ましてやタイムリミットが近づいているのだから焦っているのだろう。
すると、ブライアンがコレットの方を向いて話を変えた。
「……そういや、コレットちゃんの親は心配してないのか? 屋敷から脱出した後、しばらく意識が戻らなかったとか言ってたしよ。まともな親なら再挑戦なんて許さないだろうし」
その問いに、どこか困ったような笑みを浮かべるコレット。
「私は孤児院育ちなんです。まだ物心がつかないときに預けられて」
「……そうだったのか。悪いこと聞いちまったかな」
気まずそうなブライアン。
コレットは首を横に振った。
「いえ。気にしないでください。孤児院では皆良くしてくれましたし、今では彼らが私の大事な家族です。心にかけれくれる大切な人もいますし。それに、神官として自立できましたから。いつか彼らに恩返しできればと思ってるんですけど」
「……そうか。コレットちゃんは立派だぜ。俺が同じ年のときは自分のことに精一杯でそんな余裕はとてもなかったからな」
「――ふん。お前のことだ、どうせその頃も女の尻を追いかけていたのだろう」
アイラが口を挟むとオッサンはテーブルに突っ伏した。
「アイラ嬢ちゃんは俺をどういう風に見てんだよ!?」
喚くオッサンを見て皆が笑い、少し沈んでいた場の雰囲気が和やかになる。
アイラはブライアンの追及を適当に受け流していたが、ふと憂慮するように眉をひそめた。
「……だが、そこまで何度も制圧を試みて失敗しているとは例の屋敷はかなり危険な所ではないのか? そんな所にお嬢様たちを行かせるのは気が進まんな」
渋い顔で言うアイラ。
本来はソラたちの護衛としてついてきているアイラからすればためらわれるのだろう。
「いや、俺らみたいに少人数で行動するなら案外危険は少ないかもしれないぜ」
「どういうこと?」
アップルティーの残りをズズッと飲み干したマリナが訊く。
「アンデッドは生者の反応にひかれるって習性があるからな。これまで国や領主が送った部隊が手痛い目に遭ったのは大人数で行動したからでもあるんだ。人数が多くなればなるほどヤツらに捉えられやすくなるってわけだ。だから、俺らくらいの人数の方が逆に安全かもしれねえ。もともとの目的はお宝なわけだし、たまたまぶち当たっちまったアンデッドだけを相手にすればいい」
「そういえば……冒険者資格を取るために使った教科書にそんなことが書いてあったっけ」
納得したように頷くマリナ。
ソラも当然知識として知っている。アンデッドとは強い恨みや憎悪などの念により生み出される死霊の総称のことだが、ゆえに生者を道連れにしようと虎視眈々と狙っているのだ。
すると、おもむろにコレットが神官服の裾を翻しながら立ち上がった。
「――それでも! できるだけ多くの死者を母なる世界へと安らかに還してあげないといけません! 彼らは死してもなお苦しみながら地上をさまよっている憐れな魂たちなんですよ!!」
「……それはコレットちゃんが神官だからだろ? 俺らにはそんなこと関係ないっつうか。コレットちゃんが探してる冒険者たちに関してはできるだけ協力するつもりだけどよ」
後頭部をボリボリとかきながらブライアン。
正直その意見にはソラも同意するところである。そもそも、アンデッドを安らかに消滅させるというのが無理な話なのだ。
死者に苦痛を与えることなく浄化できる都合の良い魔導や道具などは存在しない。それに、下級のアンデッド――ゾンビやスケルトン程度ならともかく、上級のアンデッド相手となればそんな悠長なことは言っていられない。下手をすればこっちがアンデッドのお仲間入りである。
「……確かにブライアンさんには直接の関係はないかもしれません! でも、彼らを苦痛から解放できる力があるのならためらわずに行使するべきです! そうは思いませんかっ!!」
もはや先ほどのシリアスな雰囲気など欠片もなく、両手を握りしめながら元気一杯に叫ぶコレット。
「別にためらってるわけじゃないんだが……」
「暑苦しいヤツだな」
困り顔のブライアンに眉をひそめるアイラ。
「……なんか、ラルフさんに似てるよね。……熱血っぽいところがさ」
ソラの隣でマリナがぼそりと呟く。
そうかもしれないとソラは眼鏡の奥の瞳を燃え上がらせているコレットを見ながら頷いた。
それに、コレットが大声をあげたことで店内の冒険者たちの視線がソラたちの座るテーブルに集まっている。
はっきりいってかなり恥ずかしいので、ソラがコレットの神官服を引っ張って座らせようとしたときだった。
「――もしかして、あんたらも幽霊屋敷に行くのか? それなら、俺らと一緒に行かないか?」
と、背後から男の声が聞こえてきたのだ。
ソラが振り向くと、そこには五人の二十くらいの若い男たちが立っていた。
彼らは磨きぬかれた立派な鎧を着込んでいて、その屈強な肉体といい、自信に満ちた溢れた表情といい、いかにもタフな戦士という男たちだった。
「……えっと、あなたたちは?」
ソラが先頭にいる男を見上げる。
男は日に焼けた健康的な顔に力強い笑みを浮かべた。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はエース。後ろの四人はチームを組んでる仲間で、俺がリーダーを務めてる。言うまでもないだろうが同業者だ。よろしくな」
エースに続き背後にいた男たちも次々と名乗る。
後ろにいる男たちは左から、ビリー、シリル、ディノ、イーサンという名前らしい。
(……A、B、C、D、Eさんと覚えよう)
いちいち覚えるのが面倒なのでソラは心の中でそう決めた。
そんな失礼なことを考えていることをおくびにも出さずにソラは尋ねる。
「あなたたち五人も例の依頼を受けるということですか?」
「ああ。俺たちもそれなりに経験を積んできたから、そろそろ大きなクエストのひとつでもこなしてみようと思ってな。この国では有名な未解決クエストだし、俺らが達成すれば知名度もぐっと上がることは間違いなしだぜ」
チームリーダーだという戦士Aが意気揚々と答えた。
行方不明者が続出しているクエストにもかかわらず大した自信である。
それにしても、このチームは全員が戦士らしくそれぞれの得物も剣のようでなんとも偏っているというかバランスの悪いチームだ。
「とはいえ、例の屋敷はアンデッドどもの巣窟らしいし、協力してくれる仲間は多いに越したことはない。だから、同じクエストを受けるやつがいたら誘ってみようと思ってな。君らも女の子ばかりのチームで不安だろうし、どうだ?」
戦士Aは見事にブライアンをスルーしていた。
彼らからすればくたびれたオッサンなど眼中にないのだろう。
肩をすくめているブライアン。
他のメンバーたちも口々にソラたちへ誘いの声をかけてきた。こちらが女の子ばかりなので余計気合が入っているようだ。
「誘ってみようって、他にもいるんですか?」
「さっき、何人かと意気投合したところだ。紹介するよ」
戦士Aは背後を振り返り、少し離れたテーブルからこちらを見ている男女に手を振る。
彼らは立ち上がってこちらへと近づいてきた。
男、女が二人ずつの四人組である。
最初にツンツン頭のやたら元気そうな少年が進み出てきた。年は十代半ばほどで革でできた鎧を着込んでいる。首にはひもが付いたカ-キ色の中折れ帽をひっかけていた。
「俺はアンディ! よろしくな! というか、あんたら面白い組み合わせだよなあ」
ハキハキと答えるアンディ。見た目どおり溌剌とした少年だ。どこか従弟のマルクに似ている気もする。
次にアンディの両隣にいた二人の女性が口を開いた。どちらもアンディよりも少し年上というところだろう。
「あたしはマリアン。戦士だ。……それにしても、そこの赤髪の娘はともかく、君らは大丈夫なのか? まだ十二~三くらいだろうに……」
「よろしくね~。私はエリザ、魔導士だよ。もしかして、君たちは姉妹なのかな? めっちゃ可愛いんだけど!!」
髪をポニーテールにした凛々しい表情のお姉さんことマリアンに、背中にまで流した金髪にとんがり帽子を被ったどこかのんびりとした雰囲気のエリザ。二人はそれぞれの理由でソラとマリナを見つめていた。
アンディの説明によればマリアンとエリザとは同じ村出身の幼馴染らしい。普段はこの三人で活動しているのだそうだ。
最後に三人の後ろにいた背の高い男性がすっと前へ出た。
「……私はフラドと申します。単独の冒険者です。よろしくお願いします」
優雅に腰を折って礼儀正しく挨拶するフラド。羽織った漆黒のマントが前へバサリと流れる。
それにしてもこのフラドという男は相当な美形の持ち主であった。さらさらと頬までかかる銀髪に大柄な戦士Aよりも更に頭ひとつ分は高い長身。その洗練された雰囲気といい女性にかなりモテそうだ。
実際、エリザは目をハートマークにしてフラドを見上げている。その隣ではアンディがふてくされたような顔をしていたが。
フラドは甘いマスクを優しく笑ませ、ソラへ白い手袋に包まれた手を差し出した。
ソラも軽く自己紹介しながらフラドの手を握る。
(…………?)
ソラは眉をわずかに寄せた。何かごわごわとした感触だった気がしたのだ。思った以上にフラドの身につけている白手袋が分厚かったということなのだろうか。
フラドは気にした様子もなくマリナたちとも握手をしていった。特に女性陣には丁寧に行う。いかにも普段から女性の扱いには慣れていそうだ。その貴公子然とした仕草に周囲にいた数少ない女性冒険者から歓声があがっていた。
アルファベット戦士団から、「けっ」だの「ちっ」だのと嫉妬にまみれた舌打ちが聞こえてくる。彼らからすれば面白くない光景だろう。ただでさえむさくるしい男所帯なのだから。
もっとも、こちらの女性陣は平然としている。この程度でエリザのように見惚れるほど甘い性格ではないし、コレットもにこにこと普通に挨拶をしていた。
一通り挨拶が終わったところで再び戦士Aが尋ねてくる。
「――それで、どうだ? 俺たちが力を合わせればきっとお宝を見つけ出せるはずだ。君ら姉妹は魔導士、コレットさんは神官だって言うし、後方で支援してくれる人間が多くいれば助かるんだけどな」
「…………」
ソラはしばし思案する。
彼らはアルファベット戦士団に同郷三人組、そしてフラドの合計九人の混成チームのようだ。全員十代半ばから二十代前半ほどの若いメンバーではあるが、ソラが見るにそこそこの実力は持っていそうである。
しかし、例の屋敷を探索するにははっきり言って力不足なのは否めない気がする。
クエストの難易度は星七つと高難度だが、それよりも低い星の冒険者でもとりあえず依頼を受けることはできる。
おそらく、彼らは星四つから五つほどだろう。これまで順風満帆に歩んできたようだが、さすがに今回のクエストは分が悪いと思う。いくら仲間を募っているとはいえだ。
かといって、止めた方がいいですよなどと言うわけにもいかない。彼らも自立した冒険者なのだから、怒られるのがオチである。
本来、他の冒険者のことまであれこれ考える義理はないのだが、そこはソラの気苦労気味な性格ゆえなのだった。
ここで、戦士Aがダメ押しとばかりに熱い口調で語りかけてくる。
「難易度だけに君が躊躇する気持ちも分かるが大丈夫だよ。俺たちが必ず守ってみせるから。……なあ、みんな!!」
アルファベット戦士団が『おおっ!!』と威勢のいい声をあげる。
仲間は多い方がいいだのと言っていたが、彼らからすればソラたちはか弱い守るべき存在としか見ていないようだ。いいところを見せて格好をつけようという魂胆が見え見えである。
元男であるソラにもその気持ちは分からなくもないのだが。
ソラは元気のよい彼らを眺めつつ、どうしたものかと悩む。
とりあえず、ここはマリナたちの意見を訊こうとソラがテーブルに向き直ろうとすると、静かに腕を組みながら座っていたブライアンが口を開いたのだった。
「――あ~。おまえら。悪いことは言わねえから、止めときな」
ソラはやや目を丸くしてブライアンを見つめる。
すると、ブライアンはソラに軽く片目を閉じて見せた。『俺もおまえさんとは同意見だ』と言っているようだった。
やや気分を害したらしい戦士Aが初めてブライアンと目を合わせる。
「……どういう意味だよ、オッサン」
「そのまんまの意味だ。今回のクエストはおまえさんらには荷が重い。だから、止めとけって言ってんだよ」
『……ああっ!?』
戦士AからEが怒りの声をあげた。
アンディもややムッとしていたが、マリアンは考え込むように顎に手を当て、エリザも「う~ん。やっぱりそうなのかなあ」と髪の毛をいじっている。
フラドは静かにブライアンを見つめていた。
いかつい男たちから険悪な視線が集中するがブライアンは飄々と受け流す。
「おまえさんたちの気持ちは分からないでもないがな。俺も同じくらいの年のときは似たようなもんだったし、若さに任せて突っ走ることもあったさ。でも、俺が生き残ってこれたのはただ運が良かっただけのことだ。……冒険者にとって大事なのは大きな仕事を命懸けでこなすことじゃなくて、なにがなんでも生き残ることなんだよ。死んだら功績もクソもねえし、改めて挑戦することすら叶わなくなる。自信を持つのはいいが、それが過信になるのはいただけねえな」
珍しく真面目な表情で諭すように語るブライアン。
本人も似合わないことをしている自覚はあるのだろう。語り終えたブライアンは照れ隠しのように顎鬚をいじっていた。
しかし、血気にはやるアルファベット戦士団には届かなかったようだ。
「それはあんたの場合だろうが。若いといっても、俺たちはこれまで二百を超えるクエストをこなしてきてるんだ。いくつか難易度の高いクエストも切り抜けてきた。あんたにとやかく言われる筋合いはねえよ。……というか、あんたは何者で、彼女たちとどういう関係なんだよ」
戦士Aが胡散臭そうにブライアンを眺める。
先ほどフラドと握手する際にソラたちは一通り名乗ったのだが、ムサいオッサンはどうでもいいとばかりに聞き流されていたようだ。
ブライアンはやれやれとばかりに首を振る。
「……さっきも自己紹介したが、俺は長年冒険者をやってるブライアンってもんだ。そんで、お嬢ちゃんたちに例のクエストを共同で受けないかと持ちかけた者さ」
「……あんたが? それこそ止めとけって話だ。あんたみたいなオッサンじゃ彼女らを守ることなんか到底無理だろ。――君たちもそんなしがないオッサンより俺たちと一緒に来た方がいいぜ。危険な目には遭わせないからさ」
ソラたちの方を向く戦士A。
その言葉にマリナは「はあ……」と曖昧に笑い、アイラは「……ふん。ブライアンが不必要なのは同感だが、おまえらも身の程知らずだろうに」と小声で呟いている。
ブライアンはまいったとばかりに後頭部をボリボリと搔く。
「……ついでに言えば、おまえらも知ってるだろうがアンデッドの習性からすれば大人数での行動はかえって危ねえんだよ。おまえさんたちの数だとぎりぎりで危険域だ。ここは俺らくらいの人数の少数精鋭がいいんだよ」
「……は? 少数精鋭?」
ポカンとした顔をする戦士C。
ほかの皆も呆気にとられた様子でソラたちを眺めていた。
細い身体をした四人の女の子たちに、どこにでもいそうなオッサンがひとり。
このメンツを見て少数精鋭などと思える人間はいないだろう。
「……あんたらが?」
「オッサン……頭は大丈夫か?」
戦士BおよびDが眉をひそめていた。
かわいそうな目で見られているブライアンだが気にした様子もなく続ける。
「別に大袈裟に言ってるわけじゃねえぜ。コレットちゃんは後方支援として、他の四人はあんたらよりも実力は上だ」
きっぱりと言い切るブライアンに皆がざわめいた。
ブライアンはそんな彼らの顔を一つ一つ眺める。
「……おまえさんたちはまだ若い。才能もある。これからいくらでも機会は訪れるはずだ。でも、今はその時じゃねえ。先輩からの助言だと思って聞いちゃくれねえか」
真摯な声で言うブライアン。
ソラはそんなブライアンの姿を見て少し見直した。自分よりもずっと年下の後輩にここまで下手になれる人間はそうはいないと思う。
だが、アルファベット戦士団を翻意させることはできなかったようだ。
戦士Aはこめかみにうっすらと青筋を立ててブライアンに詰め寄る。
「他の四人ってことはあんたの実力も俺らより上だってことか? 上等だぜ。それなら、今から俺と決闘して証明してみせろよ。俺らはまだ星五つだが、強さと星の数とが必ずしも釣り合うわけじゃないんだぜ?」
「……それが過信だって言ってんだよ。その年で『五ツ星』ってのは大したもんだが……。しょうがねえな、言葉で言っても分からねえならちょっくら身体に教えてやるか」
だるそうに席を立つブライアンに戦士Aはびきっと頬を痙攣させた。
至近距離で向かい合う二人。
睨みつける戦士Aに対し、とぼけた表情で耳の穴をかっぽじるブライアン。
店にいた冒険者たちも喧嘩の気配を感じて喝采の声を上げ始めた。さすがに荒くれたちが多いだけはある。
アルファベット戦士から「やっちまえ、エース!」、「オッサンに一泡吹かせてやれ!」と怒号が飛ぶ。
ついでに、マリナも「おー! やれやれー!」と煽っていた。こういう面白そうなことには目がない妹なのだ。
その周囲では店員がおろおろとしており、アンディたちも突然の展開にやや戸惑っているようだ。
テーブルから二人を見上げていたソラはかすかに溜息をつく。ここまで来たらもう止められないだろう。
オッサンの実力を計る意味でも好きにやらせようとソラが思っていると、
「――何をしてるんですか! あなたたち!!」
店の入り口から大きな声が聞こえてきて、騒々しかった場が静かになった。
ソラが振り返ると、そこには先ほど対応してくれた受付のお姉さんが立っていたのだった。道理でどこか聞き覚えのある声だと思ったのだ。
受付のお姉さんはつかつかと騒動の中心へと歩いていった。
「ブライアンさん。あなたもいい年なんですから、みっともなく後輩と張り合わないでくださいよ」
「いや、ちょっとワケありというかさ。先輩としての義務を果たそうかなと思って」
「それなら、店の中じゃなくて表に出てやってください。ここで暴れられたら迷惑です」
店の外ならいいんかい、とソラはずっこけそうになった。
なかなか話の分かるお姉さんである。こんなことは日常茶飯事なので慣れているのかもしれない。
受付のお姉さんの指示に従って二人は店の前の大通りへと出ていった。
ソラたちはもとより店にいた冒険者たちも楽しそうな顔でぞろぞろとついていく。
「――あわわっ!?」
移動する冒険者たちの流れに翻弄されているコレット。
ふらふらと今にも転倒しそうなコレットに手を貸しつつ、ソラは隣を歩くお姉さんを見上げた。
「……あの、いいんですか? 規約では確かに冒険者同士の喧嘩は禁止してませんけど」
「体力があり余っている連中ばかりですからね。止めても意味がないんですよ。むしろ、目の届くところでやらせた方が被害も少なくてすみますから。……それに、ブライアンさんなら無難に終わらせてくれるはずです」
ソラは思わず受付のお姉さんを見つめる。どうやらブライアンを信頼しているようだ。
外へ出ると二人は距離を置いて対峙していた。
何事かと通行人までがわらわらと集まってきて、大勢の人間が二人を何重にも取り囲む。
戦士Aが腰の長剣を引き抜いて構えた。
しかし、ブライアンは剣を抜くこともなく自然体で突っ立っている。
怪訝な顔をする戦士A。
「……おい、オッサン。どういうつもりだよ? まさか、素手でやるつもりか?」
「おまえさん相手なら腰の得物は必要ねえよ。いいから、とっととかかってきな」
「……そうかよ。初めは手加減してやろうと思ってたが……こうなったら骨の二、三本はへし折ってやる!!」
ブライアンの挑発に戦士Aは柳眉を逆立たせて飛び出した。
勢いよく剣を振り下ろす戦士A。後先考えずにおもいきり刃の部分で攻撃している。当たれば骨どころの話ではない。
しかし、肩を狙った一撃をブライアンは軽く横に跳んで避けた。
戦士Aはすぐに追撃に移るが、ブライアンは身体を捻ってかわす。
「……おっとと! けっこう鋭い剣筋じゃねえか。だが、怒りのあまり動きが読まれやすくなってるぜ」
「うるせえ!!」
まるで指南しているかのようなブライアンのセリフに戦士Aはますます激昂する。
その後も戦士Aの苛烈な攻撃が続くが、ブライアンはひょいひょいと小馬鹿にするように避け続けた。
ブライアンの巧みな動きにギャラリーからも歓声が上がる。
(……ふむ。ただのオッサンではないと思ってたけど、これは予想以上だね)
ソラが見るにブライアンの体術は我流のようだ。長年の経験から己で編み出したのだろう。
戦士Aもけっして弱くはないのだ。ブライアンが言うようになかなかキレのある斬撃だ。大抵の相手にはそう引けをとらないだろう。
だが、ブライアンはその遥か上をいく実力者だった。加えて、相手の動きを冷静に読み切る様は経験の豊富さを物語っていた。とても戦士Aが太刀打ちできるレベルではない。
全身に鎧を着込んでいることもあり、少々息が上がってきた戦士Aはそれでも諦めずに横殴りの斬撃を叩き込む。
すると、ブライアンは腰の剣を左手でほんの数センチだけ抜いた。
戦士Aの斬撃が半分以上鞘に収まったままの剣腹に衝突する。
「――ぐあっ!?」
ギインッ! と甲高い音がしたと思うと戦士Aは手を押さえた。今の攻防で手がしびれたのだろう。
その隙を逃さずにブライアンは戦士Aの懐に入り込みグッと襟を掴んだ。
そして、股の間へ足をもぐりこませ、気合の声とともに柔道の内股のような技をかけて戦士Aをおもいっきり投げつけたのだった。
「どっせい!!」
「――う、うわあ!?」
短い悲鳴とともに背中から地面へと叩きつけられる戦士A。
相当な衝撃を受けたらしい戦士Aが地面で悶えるが、タフガイらしくすぐによろよろと身を起こそうとする。
しかし、その首元にはすでに小型のナイフが添えられていて戦士Aは動きを止めた。
「……動かないほうがいいぜ。少しでもナイフが皮膚を突き破れば命の保証ができなくなるからよ」
戦士Aに馬乗りなったブライアンが頚動脈にナイフを当てて淡々と言う。それゆえに、その姿には凄みすら感じられた。
いつナイフを取り出したのかソラにも確認できなかったくらいの早業であった。
一瞬での出来事にあれほど騒がしかった周囲もしんと静まり返っている。
「……とりあえず、俺の勝ちってことでいいよな?」
ブライアンがナイフを突きつけたまま問うと、戦士Aは大量の脂汗を浮かべながら目線で頷いた。
すると、ブライアンはナイフを手品のようにするするっと懐にしまいこみ、何気なく立ち上がって戦士Aを解放したかと思うと、また元のくたびれたオッサンに戻って後頭部をぼりぼりと掻いたのだった。