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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
幕間 魔法使いの日常編
44/132

姉妹の休日②

 ワケの分からないままに即席のファッションショーが始まり、さんざん関係のない人間から見世物のように囲まれ、心身とともに疲れきったソラは三階にあるカフェで一服ついていた。

 ソラたちはこれからようやく昼食である。

 ちなみに逃げ出すようにしてブティックを出たので服装はあのときのままだ。とりあえずあの喧騒から逃れられればそれで良かったのだ。


「ひどい目に遭った……」


 ソラはぐったりとテーブルに突っ伏していた。

 朝出るときの妹の強引さからどこか怪しい雰囲気を感じていたのだが、まさかこんな罠が潜んでいたとは。

 当の妹は何事もなかったかのように店員へ注文をしていた。どこか満足気な表情をしている。ソラと違ってとても楽しんでいたようなので当然だろう。くるりとスカートをなびかせながら回転までしてみせたくらいなのだ。女の子は可愛い服を着た自分を見られるのに一種の快感を感じるのかもしれない。

 ソラにとっては罰ゲーム以外のなにものでもないが。

 隣のテーブルに座っているミアが労いの声をかけてきた。


「災難でしたね、ソラお嬢様」


「うん……。まさに災難だったよ……。ていうか、ミアは知らなかったの?」


「あの店へ立ち寄ることは事前に知らされていたのですが、まさか、あのようなことを企んでいらしたとは……。申し訳ございません」


「いや、いいよ。ミアのせいじゃないし」


 専属メイドであるミアはソラの性格をよく理解している。人前であのような格好をするのを嫌がることも。もし、知っていれば、さりげなくソラに教えれてくれていただろう。


「まあ、いいじゃないですか。お二人ともよく似合っていましたし。観客の方々もお嬢様たちの愛らしい姿にメロメロでしたよ?」


 あっけらかんとした口調でメアリーが口を挟む。

 ソラはメアリーをジト目で見る。彼女は間違いなく知っていたはずなのだ。実質、マリナの共犯者と言っていい。

 メアリーはソラの視線を避けるように明後日の方を向いて下手な口笛をわざとらしく吹いていた。

 そんな同僚の様子を見て困ったように笑うミア。

 せっかくの休日なのに、いつまでも落ちこんだ気分でいるのもアホらしくなってきたソラは、運ばれてきた昼食をストレス解消とばかりに勢いよく食べ始めた。

 というか、食べないとやっていられない。


「お、お姉ちゃんがヤケになってる!?」


「これはこれで可愛いわね」


「……お嬢様の精神に負荷をかけすぎたのです」


 マリナたちが驚いているようだったが、そんなことは知ったことかとばかりにソラはホットケーキにかぶりつく。

 しばらくナイフとフォークを休めることなく動かし、これでもかというくらいに食べ続ける。

 昼食を一通り平らげ、皆で食後の紅茶を飲んでいると、ソラはようやく気分が落ち着いてきた。

 ソラがまったりとしていると、ふと近くのテーブルに座っていた女性たちの話し声が耳に入ってきた。


「――窃盗事件が起こったんですって。ほら、あの二階にある高級ブティックで」


「また? 最近多いよね」


「それも、気づかないうちにバックを切り裂かれて財布だけ持っていかれたんだって」


「なにそれ、怖いわね」


 女性たちが出した店の名前は先ほどソラがファッションショーの真似事をさせられた店だった。

 聞き耳を立てて得た情報によると、どうもソラたちが入店していた時間の前後らしい。

 あのとき身近で窃盗が行われていたとはとソラは驚く。

 ソラと同じく話を聞いていたマリナたちが眉をひそめていた。


「私たちのすぐ側にスリがいたってこと?」


「そういえば、窃盗の注意を喚起する張り紙があちこちにありましたね」


「もしかして、私たちが派手に騒いでいたから、スリが好機とばかりに寄ってきたのかもね」


 最後のメアリーの発言は案外的を射ていそうだとソラは思った。

 だとすれば自分たちは間接的ではあるがスリに協力したことになるのだ。スラれた人間には申し訳ない気持にならないでもない。


「私たちも気をつけたほうがいいですね」


 ミアがメアリ-と頷き合っていると、


「あ、来た来た!」


 と、マリナが嬉しそうに手を叩いて近づいてくる店員を見ていた。まだ頼んでいたものがあったらしい。

 ソラは何気なく視線を向けるが、


「……はあっ!?」


 おもわず目を剝いて運ばれてきたブツを眺める。

 コトリと店員がテーブルの中央に置いたのは、大きめのグラスに入ったトロピカルジュースだった。

 それだけなら別段驚くことではないのだが、刺さっていたストローに問題があったのである。

 通常よりも長い二本のストローが弧を描きながらハートの形をつくるようにして絡み合っている、いわゆるカップルストローというやつだったのだ。

 ソラはしばらく無言で目の前のジュースを見つめる。


「……まさか、これを一緒に飲めと?」


「姉妹ならそこまで恥ずかしくないって。それに、一回だけ私の言うことを聞く約束でしょ?」


 マリナはニコニコしつつ自分から先にストローに口をつけた。


「ん、おいし~♪ ほら、お姉ちゃんも早く!」


「ううっ……」


 ソラが隣を見るとメアリーが猫目を細めてニヤニヤと笑っていた。おもいっきり楽しんでいる。

 ミアは困った風に微笑んでいた。姉妹のことなので積極的に介入つもりはないのだろう。

 いつのまにか店中の人間たちが固唾を呑んで見守っていた。皆どこか期待に満ちた表情をしている。店にいるのはほとんどが女性だが。

 ソラは再び泣きたくなった。先ほどのブティックで散々恥ずかしい目に遭ったのにまだ大きな山が控えていたのだ。 

 一瞬拒否しようかとも思ったが、場の雰囲気からいってとてもそんなことができる状況ではない。

 ソラは肩を落としてマリナとは反対のストローを渋々とくわえる。

 途端に店のあちこちから「キャ~!!」と歓声があがった。

 ソラは引きつった顔でジュースを吸い込みながら、妹とは当分出かけないようにしようと固く誓うのだった。






 数分後。

 ソラは精神をすり減らしながらなんとかジュ-スを飲み切っていた。ほとんど味は分からなかったが。


「美味しかったね~!」


 マリナがホクホク顔で対面に座っている。

 そんな妹の様子を見ながらソラはぐったり椅子にもたれていた。もう、どうにでもなれという気分である。


「それで、これからどうします?」


「ソラお嬢様にはあちこち回る気力はなさそうですけど……」


 メアリーとミアが今後の方針を尋ねてくる。


「どうしようかな……。まだ、行きたいところがあるんだけどね」


 マリナが悩んでいる。

 こうなったら妹様にとことん付き合うまでだとソラがマリナの解答を待っていると、突然、店の片隅から女性の短い悲鳴が聞こえてきたのだった。 

 何だ何だと店にいた客たちが声の聞こえてきた方を窺う。

 ソラが様子を観察してみるとどうやらひとりの女性客がスリに遭ったらしかった。遠目からでも蒼白な顔をしながら友人に支えられている女性の姿が見える。

 さらに詳しく状況を確認するに、女性が持っていたバックの表面を何か鋭利な物で切り裂かれて中身を抜き取られたらしい。ついさっき聞いたような話だ。


「また、窃盗事件?」


「しかも、再び私たちの側でですね」


「…………」


 ミアとメアリーの会話を聞きつつソラは真剣な顔で座り直した。

 先ほどの窃盗事件からまだ一時間ほどしか経っていない。それもソラたちがいる場所で繰り返して行われた上に手口まで酷似しているのだ。これは果たして偶然なのだろうか。


「みんな、どう思う?」


 ソラは三人へストレートに訊いてみる。

 三人は一度顔を見合わせる。


「……推測の域を出ないけど、もしかしたら、私たちが囮に使われてるのかもね。さっきも目立っちゃったし」


 マリナが代表して答えた。

 同意見だとばかりにソラは頷く。

 どうも、やたらと目立っているソラたちに客が気をとられているうちにスリが行われているようなのだ。

 マリナが口の周りをナプキンできれいに拭いてから強気な瞳で言う。


「となると、私たちとしては黙ってはいられないよね? まんまとダシに使われたんだから」


 メアリーは「さすがお嬢様!」とこちらも気合十分に猫目を爛々と光らせる。 

 ミアは一度ソラの表情を確認するように見てから仕方がありませんとばかりに控えめに同意した。

 さすがにミアとメアリーは己が仕える姉妹の性格を把握しているのだ。

 ソラは皆を見回す。


「それで、ちょっと提案があるんだけど……」



 ※※※



 十分後。

 二階の通路をやや身長が高めの二人の少女が歩いていた。

 どちらの少女もつばの広い帽子をかぶり、清楚な服装を纏っていて、周囲から見ればどこかのお嬢様だとでも思うだろう。

 しかし。


(……ククク。誰も俺たちには気づいてないな)


 少女の片割れ、黒い帽子を目深にかぶっている方が唇の端を嘲るように上げた。

 周囲を改めて確認してみるが誰一人として自分たちが変装していることに気づいていないようだ。


(このマルコム様の見事な変装に騙されやがって。馬鹿なやつらだ)


 せせら笑うマルコム。

 そう。この二人の少女は女装している男なのだ。

 マルコムはもうひとりの偽少女――イアンという名の相棒とともに、主にこの大型商業施設を縄張りとしてスリを働いているのである。

 マルコムとイアンはまだ十代半ばで上級学校を卒業したばかりであった。

 二人は在学中からちまちまと悪事を重ねるワルとして認識されていたが、校舎裏に溜まっているゴツイ不良たちに混ざるような勇気は持ち合わせていなかった。基本的に荒事は苦手な理系タイプなのである。

 卒業してからもろくに働きもせずに持ち前の器用さを生かしてスリや置き引きなどをコツコツと積み重ねて生計を立てている。親はとっくに二人を見放していた。

 マルコムと相棒のイアンが女装しているのには訳がある。学生時代から多くの人間が集まるこの施設をスリの舞台として頻繁に使用していたのだが、一度下手を打って警備員に捕まってしまったことがあり、それからは要注意人物としてマークされる羽目になったしまったからだ。

 警備員たちを欺くための苦肉の策ではあったが、これが以外とはまった。もともと色白で線も細く、男にしては背も低く毛も薄いので、カツラなどの道具や簡単な処理だけで見事な女装ができあがったのだ。

 むしろ、女装しているときの方が人々の警戒も緩みスリの成功率が上がったくらいである。

 ターゲットはだいたい女性である。買い物中にもの凄い集中力を発揮する女性はスリからすれば格好の獲物だった。少々近寄ってもじっくり見られでもしない限りは怪しまれることもない。

 スリの方法はターゲットのバッグを隠し持った小型のナイフで切り開き財布を抜き取る。これだけである。

 たいていの人間はバッグの口をしっかりと締めておけば問題はないと思っている。

 ならば自分たちは別に穴を開けてやればいいのだ。至極単純な発想だが、慣れてくれば音を全く出さずにあっさりと盗みだせることができる。ある意味、人々の盲点をついた方法なのだった。

 もっとも、女装しているのはスリのためだけではないのだが。

 マルコムはどこか晴れ晴れとした気分でスートをなびかせながら通路を闊歩していた。

 男である自分が女性の格好をする。楽しい気分になるのと同時に妙な開放感を味わえるのだ。イアンも同じようなことを言っていた。いまや二人にとって立派な趣味となっていた。

 すると、隣を歩いている白い帽子をかぶったイアンがマルコムに目線で合図してきた。

 マルコムが前方を見ると、先ほどから密かに尾行している少女たちとメイドがとある店に入ろうとしていた。メイドのひとりは何か用事でも仰せつかったようでカフェで別れていたが。

 まだ十歳にも満たないだろうその少女たちはマルコムとイアンにとって都合の良い囮になってくれていた。

 その息を飲むほど可憐な容姿と服装に周りの人々がちらほらと視線を向けている。マルコムもはじめて見たときは思わず見惚れたものだ。それほど美しい少女たちであった。メイドを連れ歩いていることからかなりの名家の令嬢なのだと思われた。

 マルコムは見惚れながらもこれは使えると考えたのだ。人々があの少女たちに視線を釘付けにされている間にスリを行えばと。実際、今日はその方法で二件のスリに成功していた。

 本来、同じ場所でスリをするのは一日一回と決めているのだが、あまりにも調子良くいくので短時間のうちに立て続けに実施してしまった。

 調子に乗った二人はここが稼ぎ時だとばかりにもう一回スリを行おうと狙っているのだ。

 マルコムとイアンは少女たちを追って店へと入る。男の姿だったら奇異な目で見られただろうが、今は女装しているので誰も気にしない。

 マルコムは店内を見回す。午前中に入ったところとは別のブティックのようだ。セール中らしく店の中は女性たちで溢れている。

 店内の客たちは突然現れた少女たちに目を奪われていて、あちこちから「可愛い~!」と黄色い悲鳴があがっている。チャンス到来だ。

 さりげなく周囲を観察していたマルコムはひとりの老婦人に目をつけた。

 その老婦人は微笑みながら少女たちにまるで孫でも見るかのような視線を向けていた。肩に高級そうなバッグが吊るされている。

 イアンに目配せすると相棒は心得たとばかりに頷き、近くの棚に置かれている服を眺めるふりをして老婦人の背後へとまわった。

 マルコムは誰もこちらに注意を払っていないことを確認しつつ、相棒の手元を隠すようにさりげなく二人の側に立った。

 横目でちらっと確認すると、イアンは懐から出した小型ナイフを老婦人のバッグにあてているところだった。

 老婦人は全く気づいていない。


(一日に三件のスリ成功か。最高記録だな)


 マルコムが思わず笑いをこらえたとき。


「――はい。現行犯逮捕~!」


 突然、近くから元気のいい女性の声が響いてきたのだった。


「……え?」


 背後から相棒の間抜けな声が聞こえてきた。

 マルコムが慌てて振り向くと、いったいどこから現れたのかボブカットのメイドがイアンのナイフを持った手を押さえていた。

 いきなりの出来事に固まっている相棒。


「お、おまえ……!?」


 マルコムは女性の顔を見て驚愕する。囮に使っていた少女たちに付き添っていたメイドのひとりだったのだ。先ほどカフェでどこかへと姿を消していたのだが、なぜこんなところにいるのか。

 メイドは特徴的な猫目をキラリと光らせた。


「まさか、こんなに上手くいくなんてね。お嬢様の読みだとチャンスさえあればもう一回くらいは事に及ぶ可能性が高そうだって言ってたのよね。だから、罠を張ったってわけ。わたしがこっそりとあなたたちを尾行していることには気づいてなかったでしょう?」


「なっ……」


 マルコムは再度驚愕する。二重に尾行されていたのだから。

 しかし、マルコムたちとて周囲に気を配りながら歩いていたのだ。それなのに自分たちに全く気づかれずに尾けていたとは。

 それに、先ほどからイアンが必死にもがいているがメイドの手はぴくりとも動かない。細身とはいえ男をなんなく押さえつけているのだ。とんでもない握力といえる。このメイドはいったい何者なのだ。


「遠くから見てれば一目瞭然だったわね。あななたちがお嬢様たちを尾行していたのは。さあ、もう観念しなさいな」


 メイドがすっと目を細める。

 まるで肉食獣にでも睨まれた様な恐怖を覚えるマルコム。イアンも動きを止めている。

 すると、ようやく老婦人も気づいたようで、「あら? これはいったい……」と目を丸くしていた。

 周囲の人間たちも遅ればせながら事態を把握してきたようで店内が静かになっていく。

 そこに、例の少女たちが近寄ってきた。


「上手くいったみたいだね」


「まんまとネズミが引っかかってるね~」


「……くっ!」


 追い詰められたマルコムはとっさに懐からナイフを取り出そうとするが、


「――お止めください」


 黒髪のメイドがどこから調達したのかは知らないがマルコムの鼻先にモップの柄を突きつけたのだった。その凛とした構えは実に堂に入っていた。

 マルコムはすぐ目の前にある柄を見つめつつ冷や汗を流す。こちらも並みのメイドではない。

 白髪の少女が歩み寄ってくる。 


「もう逃げられませんよ。じき警備員も駆けつけます。あななたちは調子に乗りすぎたんです」


 少女の澄んだ蒼い瞳がまっすぐにマルコムを捉える。

 そういえば、この少女たちは自分たちが利用されていることに気づいた上で罠を張っていたのだ。とても幼い少女とは思えない大胆さである。主従揃って只者ではない。

 もはや、どうあがいても逃げられないとマルコムが諦めかけたときだった。


「――マルコムッ! 逃げろ!!」


 相棒のイアンが最後の抵抗とばかりに激しく身をよじらせはじめ、自由な方の手で自らの帽子とカツラを脱いで黒髪のメイドに投げつけたのだ。


「…………!?」


「えっ! 男っ!?」


 電光石火のごとくモップを動かして帽子とカツラを弾いた黒髪のメイドと、苦労しながらイアンを押さえつけている猫目のメイドが驚いている。

 周囲の人間たちも想像外の展開に言葉を失っていた。

 一瞬の隙ができる。


「行け! マルコム!」


 マルコムはイアンと目を合わせた。

 力強く頷くイアン。


(…………! ありがとう、相棒っ!!)


 マルコムは涙をこらえつつ、脱兎のごとく走り出した。

 とっさに黒髪のメイドがモップを突き出してきたが、奇跡的にマルコムの頬にかすっただけで避けることに成功した。その際にマルコムのカツラも外れてしまったが。

 マルコムは全速力で店の入り口へと走る。

 進路上にいた女性たちが猛烈な勢いで走ってくるマルコムから逃げ惑う。


「キャーッ! 変態ッ!!」


「変態じゃねえ! これは、趣味だ! 馬鹿野郎っ!!」


 マルコムは変態扱いしてくる女性たちに怒鳴り返しながら店の外へと脱出した。

 女装した男の突然の出現に何事かと慌てふためいている人間たちを弾き飛ばしながら通路を爆走する。


「――待ちなさい!!」


 背後からマルコムを呼び止める声が聞こえてきたので振り向くと、あの白髪と金髪の少女が追いかけてきているのが見えた。あの年齢にしてはなかなかの速さだ。

 だが、マルコムは逃げ足には自信があるのだ。あのような幼い少女たちに追いつかれたりなどしない。

 マルコムは走るのに邪魔にならないようにスカートの両端を持って更に速度を上げた。ちらと後方を確認すると少女たちとの距離は広がりつつあった。

 やがて、マルコムは正面玄関があるホールへと出た。外はもうすぐそこだ。二階から一階へと階段を駆け下りる。

 一階に到達したマルコムはほんの数メートル先にあるガラス張りの玄関を見て、このまま逃げ切れると確信した。


(……イアン! お前のおかげだ!)


 マルコムはそっと涙を拭う。

 すると、一階ホールにいた客たちのざわめく声が聞こえてきた。

 マルコムは自分のことだろうと思ったが、人々の視線を見るにどうやら違うようだ。なにやら二階を見ている。

 マルコムが客たちの視線を追うと、そこにはとんでもない光景があった。

 金髪の少女が二階の手すりの上にバランスを保ちながら仁王立ちしていたのだ。

 マルコムと金髪の少女の視線がかち合う。

 金髪の少女は不敵な微笑みを見せてマルコムを見下ろした。

 背筋がぞっとするマルコム。もう少女たちに打つ手はないはずなのにだ。

 すると、金髪の少女はおもむろに身体を沈めると、手すりから突然跳躍したのだった。マルコムの方に向かって。


『ええええええっっっーーーーーー!!?』


 マルコムを含めた客たちの驚愕の声がホールに響いた。

 金髪の少女は身体を丸めてクルクルと回転しながら宙を進み、目で追うことしかできないマルコムすら追い越して、両腕を広げながら器用にバランスをとって床に着地したのだった。金髪がわずかに浮かび上がる。 

 玄関の前に立ちふさがった金髪の少女はマルコムに向かってドヤ顔をしていた。

 信じられないものを見たマルコムはしばし茫然としていたが、再び人々の驚きの声を聞きつけた。


(今度はなんだよっ!?)


 半ばヤケになりかけながらマルコムが振り向くと、そこには白髪の少女がふわりとスカートを膨らませ二階から宙を滑るように降りてきていたのだった。


(ま、魔導士……!?)


 マルコムはたじろぐ。

 仮にも魔導都市の住人だ。魔導の怖さは知っているつもりだ。攻撃的な魔導でも使われればひとたまりもないだろう。

 白髪の少女はゆっくりとマルコムの背後へと着地した。

 これで、マルコムは前後を挟まれたことになる。


(くっ……!?)


 マルコムは唇を噛む。

 すると、にわかに二階が騒がしくなった。

 マルコムが少女たちから意識を離さないようにして視線を向けると、メイドや駆けつけたらしい警備員たちの姿が見えた。すぐにでも一階に降りてくるだろう。


(……強行突破しかねえ!)


 マルコムは前方にいる金髪の少女を睨みつける。

 背後には白髪の少女と階段を駆け下りている大量の警備員たち。活路は前にしかないのだ。

 しかし、マルコムが決死の覚悟で飛び出そうとする前に金髪の少女が機先を制するように動いた。

 金髪の少女が再度大ジャンプを見せたのだ。一瞬でマルコムが見上げるような高度に到達する。


「――――!?」


 マルコムはびっくりして見上げる。

 もう少しでスカートの中身が見えそうだと思ったとき。


「――よそ見している暇はあるの?」


 すぐ近くから少女の声が聞こえてきた。

 マルコムが慌てて振り向くと、いつのまにか白髪の少女に懐に入り込まれていたのだ。

 反射的に持っていたナイフを振り上げようとするが白髪の少女の手刀に叩き落される。


「……ぐあっ!?」


 予想をはるかに超える衝撃に顔をしかめるマルコム。

 それでも、マルコムは必死の形相で白髪の少女から距離をとろうとしたが、


「――――っ!!」


 今度は背中に凄まじい衝撃がきてマルコムは床に押し倒された。

 ごちんと顎がおもいきり床にぶつかり意識が朦朧とするマルコム。背中に乗っかっている小さな足の感触から、ジャンプした金髪の少女に踏みつけられたのだと気づいた。


「――制圧完了!!」


 元気な声が頭上から降ってくるのをぼんやりと聞きながら、マルコムはとんでもない連中に関わったものだと思った。


(……すまねえ、イアン)


 マルコムは心の中で相棒に詫びながら意識が闇に呑まれていくのだった。



 ※※※



 施設の正面玄関前。

 ソラたちは護送用の馬車へと詰め込まれている窃盗犯たちを遠くから眺めていた。

 あれから二人の変態、もとい窃盗犯を捕らえることに成功したソラたちは警備員へと彼らを引き渡した。

 その後、警備員から通報を受けた憲兵が駆けつけたのだった。これから詰め所に運ばれて事情聴取を行うのだそうだ。

 ソラたちは警備員や施設の運営者から感謝された。最近スリ被害がひどくて対処に困っていたのだそうだ。

 聞くところによると彼らがこの施設内で窃盗を犯すのは初めてではないらしく、過去にも一度やらかして補導されたことがあるらしい。

 変装と巧みな化粧で気づかなかったが、彼らはまだミアやメアリーとそう年が変わらないのだと聞いてソラたちは驚いた。

 この辺りを縄張りにしているスリは彼らだけではないのだろうがこれで被害も少しは減るだろう。


「ご協力感謝いたします!」


 と、ひとりの憲兵がソラたちに敬礼していた。やたらと熱血そうなおじさんである。

 おじさんはソラたちに言った。


「実は学生時代にもあいつらの面倒を見たことがあるんですわ。懲りずにまだこんなことをしていたとは呆れるばかりです。しかも女装までして。ですが、連中はまだ若いですからね。これからみっちりと説教して更生させますよ」


 おじさんは最後にもう一度びしっと敬礼して馬車へと歩いていった。

 ソラたちが詰め所へと走り出した馬車を見送っていると、入れ替わるように一台の豪華な馬車が玄関前に進み出てきた。エーデルベルグ家が所有する馬車である。

 まだ太陽が天頂を通過してからそんなに経っていないが、今日は色々とあって疲れたことに加えて人々が騒ぎを聞きつけて集まってきており、極力目立ちたくないソラとしてはさっさと退散することにしたのだ。 

 一同は執事のジーナスが開いてくれた扉をくぐって馬車に乗り込んだ。

 屋敷へと出発した馬車の中でソラはようやく一息ついた。すでに一日分のエネルギーを使い果たした気分である。

 隣に座ったマリナが話しかけてきた。


「それにしても、面白い連中だったね~」


「面白いっていうか、なんとも間抜けな連中でしたけどね。男だったなんて思いませんでしたよ」


 対面にミアと並んで座っていたメアリーが笑いながら相槌を打つ。


「でも、あの逃げ足の速さには脱帽ですよ。かなり器用な方々のようですし、ほかにもその能力の有効な使い道があると思うのですけど」


「まったくだね」


 ミアの台詞に頷くソラ。

 詰めの甘い部分はあるが、スリの技術といい、ごく自然な変装といい、決してお馬鹿なだけの連中ではないのだ。

 熱血憲兵も言っていたが彼らはまだ若いし、聞くところによると変装を生かした変態行為などには手を染めていなかったようだ。これからいくらでも立派な社会人へと生まれ変われるはずである。

 ソラがうんうんと頷いていると、マリナがからかうような視線を向けてきた。


「全く気づかせないほどのナチュラルメイクはホントにすごかったよね。何度も練習して化粧の技術を磨いたんだろうけど、連中の女性になりきる技術と執念は天晴れだよ。お姉ちゃんも見習ったら?」


「あ、あのねえ。技術がどれだけすごかろうが犯罪者には違いないの! そんな連中を見習うなんてとんでもないよ!」


 女装趣味そのものを否定するつもりはないが、あの連中を参考にするなどソラのプライドが拒否するというものだ。

 こっちは強制的に女の子に転生してさんざん苦労しているのだ。はっきりいって女装したがる連中には意地でも共感したくないというのが本音である。

 すると、マリナが何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。


「そういえば、屋敷でお母さんが手ぐすね引いて待ってるはずだよ。私とお姉ちゃんのお揃いの服を見るのすごく楽しみにしてたからね。しばらくはその服のままだよ」


「そ、そんな……!」


 ソラは絶望したように固まった。

 恥ずかしい目に何度も遭って疲れているというのに、まだ屋敷で耐えなければならないとは。

 メアリーが「ほかのメイドたちもきっと集まってくるわね~」とチェシャ猫のような笑みを見せ、ミアが気の毒そうな表情をしていた。

 ソラはがっくりと肩を落とす。

 どうやら、ソラの休日はこれからが本番のようであった。

バッグなどをナイフで切り裂いて中身を抜き取る、というのは海外ではわりとポピュラーな手法らしいです。

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