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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
幕間 魔法使いの日常編
41/132

エーデルベルグ家訪問①

 巨大な門扉の前に横付けされた馬車の中で、ノエル・オリヴィエは窓から見える光景を茫然と眺めていた。

 巨人でも余裕で往来できそうな大きな門。上部には歴史を感じさせる繊細な装飾が複雑に絡み合っている。

 ノエルは馬車の窓をスライドさせて開くと、身を乗り出して門から続いている塀の先に視線を向けた。


「う、うわあ。見て、メグ。端が見えないよ!」


 仰天のあまり大声を出すノエル。

 延々とどこまでも塀が続いており、目をどんなに凝らしてみても端が霞んでいて全く確認できない。見通しがよいのにもかかわらずだ。まるで地平線の彼方にまで続いているかのようである。

 しかし、ノエルの隣に座っている級友のマーガレット・サーディンは落ち着いた態度を微塵も崩すことはなかった。


「見なくても分かりますよ。ここをどこだと思ってるんです? エレミアでも一・二を争う名門にして資産家でもあるエーデルベルグ家本邸ですよ」


 何を今更といった風にマーガレットは興奮しているノエルをたしなめた。

 現在、ノエルとマーガレットは同級生のソラ・エーデルベルグの自宅へと遊びに来ているのだった。正直、個人の家とはとても思えないが。

 ノエルたちが乗っている馬車はエーデルベルグ家が所有しているものである。わざわざ家まで迎えに来てくれたのだ。

 少々気恥ずかしい思いをしながらノエルはすごすごと座席に戻る。

 窓は少し開けたままだ。まだ昼過ぎなので閉め切っておくと暑いのである。

 澄ました顔で膝に手を置き、礼儀正しく腰掛けているマーガレットへとノエルは視線を向ける。


「メグはあんまり驚かないんだね。やっぱり、実家がお金持ちだから?」


「それもありますけど……。普段からお父様の成金仲間の無駄にお金をかけた家やら別荘にお呼ばれしているのである程度は慣れてるんですよ。もっとも、規模や歴史は比べものにならないですけどね」


 相も変わらず実家に対して辛らつな意見を述べるマーガレット。彼女と友人になって数日経っているのでいろいろと話は聞いている。どうも成金趣味に走っている父親とは仲が悪いらしい。ほかにも理由がありそうな気もするが。

 ここでマーガレットはノエルへと顔を向けた。


「あなたこそオリヴィエ家のご令嬢でしょうに。さすがにエーデルベルグ家ほどとは言いませんけど、古くから続いている名家でしょう」


「……そうかもしれないけど。それでも、こことは比べものにならないよ」


 ノエルは改めてエーデルベルグ家の豪奢な門構えを見ながら言った。

 ノエルの実家であるオリヴィエ家もこれまで何人もの元老院議員を輩出してきた魔導の名門である。屋敷も一般の家屋よりもはるかに豪華で庭も広い。別荘も何件か所有している。

 だが、<至高の五家>の一角たるエーデルベルグ家は格が違った。エレミアを建国した英雄の末裔たち。実質、この国の頂点に立つ一族なのだから。

 なおもノエルが高い塀を見上げていると、


「――お待たせいたしました。これから、本邸のほうにお連れいたします」


 ひとりの若い男性が御者台と座席をつなぐ小窓を開き、ノエルとマーガレットへ柔らかい口調で告げた。

 今まで門の脇で守衛と手続きをしていたようだが終了したらしい。重い音を響かせながら門が開いていく音が聞こえてくる。


「あ、はい。お願いします」


 ノエルは慌てて小さく頭を下げた。隣ではマーガレットが慣れた様子で軽く頷いている。

 執事服を着込んだ若い男性は控えめな笑みを浮かべると、窓を閉めて馬車を発進させた。ガラガラと車輪が回転する音とともに整備された石畳をゆったりと進み始める。

 わずかな振動を感じながらノエルは息をひとつ吐いた。やや人見知りの気があるので初対面の人間は緊張するのだ。

 ただ、それでも今のはマシな方である。それもあの若い執事の人柄なのかもしれない。確か名前はジーナスとか言っていた。

 ジーナスという執事はハンサムで有能そうではあるがどこか人を安心させる雰囲気をまとっており、眼差しといい、喋り方といい、いかにも優しそうな男性であった。だから、ノエルの緊張も最小限に抑えられているのだと思う。

 ノエルは馬車に備えつけられていたお菓子をつまんでいるマーガレットへと話を振ってみた。


「あのジーナスさんって人、いい人そうだね。ボクでもそこまで緊張しなかったし」


 マーガレットはお菓子の包装紙を丁寧にたたみながら言った。


「そうですね。執事だから当然かもしれませんが、清潔感があって、物腰も穏やかで、誠実そうな方です。私もそこまで抵抗感はありませんでしたし。とはいえ、極力接触したくはありませんけど」


「…………」


 筋金入りの男嫌いであるマーガレットの発言に二の句が継げないノエル。

 あの爽やかな若者で駄目ならば、マーガレットのお眼鏡に敵う男性は果たしてこの世界に存在するのだろうか。

 ノエルが沈黙している傍らで、そんな話はどうでもいいとばかりにマーガレットは屋敷のある方向へと目を向けた。


「それよりも早くお姉さまにお会いしたいです。お姉さまこそ至高の存在なのですから。どんな男性でも色あせて見えるほどに。そうでしょう? ノエルさん」


 マーガレットは瞳を輝かせながら両手を握りしめた。

 ノエルは頬をかきながら困った風に笑う。マーガレットはソラに傾倒していて、そのうちファンクラブでも作りそうな勢いなのである。今回のエーデルベルグ家訪問も彼女の強い希望なのだ。

 当のソラはマーガレットの攻勢にタジタジになっているのだが。

 ただ、マーガレットの気持ちも分からないでもないのだ。聞くところによれば彼女はかつて危ない場面をソラに助けてもらったことがあるらしい。ノエルと同じように。

 可憐な容姿を備えた名家のお嬢様でありながら、己の危険も顧みずに自分よりも大きな相手に立ち向かう。そんな少女が現実にどれくらいいるだろうか。それこそ物語の中でしか見かけない存在だ。

 ノエルはゴルモアの留学生に絡まれてしまった時のことを思い出す。

 見上げるほどに背が高く、ゴツゴツとした体格で、とても同い年とは思えないほど威圧感のある五分刈りの少年に怒気を向けられたノエルは、それこそ気が失いそうになるほどの恐怖を感じていたのだ。

 しかし、誰も助けに来てくれる気配がなく、先生たちも気づいていないようだった。ノエルは身を縮こまらせて耐えるしかなかった。

 もはやノエルが泣き出しそうになっていたとき、前方から凛とした少女の声が聞こえてきたのだった。

 ノエルが驚いて顔を上げると、そこには美しい白髪の少女が佇んでいた。

 ノエルもその少女のことは知っていた。新入生代表挨拶を見事に務めきった、神童と名高きエーデルベルグ家の長女ソラ。

 ソラは何の恐れも見せずに五分刈りの少年と相対していた。小柄なノエルほどではないにしろ、華奢でか弱そうな少女にもかかわらずだ。

 ソラは五分刈りの少年に向かって堂々と自分の意見を言うと、掴みかかってきた少年をあっさりといなしてみせた。ノエルにも多少馴染みのある動きだったので二重の意味で驚いたものだった。

 ノエルをかばうようにして立っていたソラの背中はとても大きく見えた。

 そのときノエルはこの少女に一種の憧れを抱いたのだ。引っ込み思案の自分ではあるが、少しでもソラの勇気を見習いたいと思ったのだ。

 だから、ノエルは勇気を絞り、マーガレットの助けも借りてソラに話しかけたのである。

 最初は緊張していたノエルだったが、ソラが実に気さくな少女だったのですぐに緊張も解けた。

 ソラは常に自然体で、良い意味で力みがないので、本来なら近寄りがたい完璧な造形美にも妙な愛嬌を感じるくらいなのだ。だから、少しずつ彼女に話しかける生徒がでてきているのだろう。男子はまだ遠慮がちのようだが。

 いずれにしろ勇気を出してよかったとノエルは思ったものだ。ソラはもちろん、多少風変わりな部分もあるがマーガレットという友人もできたのだから。

 ノエルは笑みを浮かべながら窓の外の風景を眺める。色とりどりの花やきれいに裁断されている生垣、高価そうなオブジェなどが見える。ところどころに庭師や警備のものらしき人影が動いていた。

 ノエルは美しい庭園に見とれながら呟く。


「なかなか玄関に着かないね……。どれだけ広いんだろう、この庭」


 すでに正門から馬車が出発して数分経っているのだ。地平線まで続いているかのごとき塀からして想像はできたはずだが、それでも驚かずにはいられない。


「そうですね。馬車でもこれだけ時間がかかるなんて。しかも、先ほどから観察していましたけど、庭の隅々にまできちんと手入れがされていますね。所々にあるオブジェも高価ですけど趣味の良いものばかりですし、私の実家の庭とは大違いです」


 マーガレットも庭を眺めながら言う。

 どうやらまた父親批判が始まったらしい。

 正直な話、マーガレットには家族を非難するようなことはしてほしくないとノエルは思う。

 それに、ノエルの母親からもその人間の短所より長所を見てあげなさいと常日頃言われているのだ。


「ボクはメグの家の庭を見たことはないけど、そんなに悪く言うことはないと思うよ」


 今度はノエルがたしなめるように言う。

 しかし、マーガレットはノエルを見て軽くため息をついたのだった。


「……そうは言いますけど。庭の池のど真ん中に純金でできたお父様の裸像が鎮座しているのはどう楽観的に考えても趣味がいいとは言えないと思うのですけど」


 マーガレットの発言に思わず絶句するノエル。はっきり言って自分の想像を遥かに超える趣味であった。

 その後、結局ノエルにはフォローの言葉が見つけられなかったのだった。


(ごめんなさい……お母さん。さすがにこれは無理だったよ……)


 地味に落ちこむノエル。

 しかし、マーガレットは特に気にすることもなく話題を変えた。


「……ところで、お姉様が着なくなったお召し物を頼めば譲ってもらえるでしょうか」


「……服を?」


 意味がイマイチ分からずに首を傾げるノエル。まさか、マーガレットが着用するつもりなのだろうか。この少女なら十分あり得そうである。


「貰ってどうするの?」


「決まっているでしょう。家宝として永久保存するんです」


「決まってるんだ……」


 ある意味、マーガレットらしい発想ではあった。

 すると、マーガレットはおもむろに横を向いてポッと頬を染めた。


「……そして、時折、その服に染み込んだお姉様のかぐわしい香りを堪能し――」


「そこまでいったら、ただの変態だからね!?」


 さすがにその不穏当な発言は見逃せずにノエルは即座に突っ込む。

 マーガレットは「じょ、冗談ですよ」と言い返したが、その目を見るにわりと本気っぽい。

 本当に大丈夫なんだろうか、彼女は……とノエルが呆れながら見つめていると、マーガレットは誤魔化すようにボフボフと座席を軽く叩いた。


「……それにしても、この馬車は大したものですね。揺れがほとんど伝わってきません。こんな馬車に乗るのはさすがに初めてです」


 そういえばとノエルも友人にならって座席に手を置く。


「やけに乗り心地がいいとは思ってたけど、どういうことなのかな」


「おそらく、ログナー社が開発した最新式の衝撃吸収装置が組み込まれているのでしょう」


 ログナー社という名前にはノエルにも聞き覚えがあった。確か、百年以上前から続いている老舗の馬車製造商社だ。エレミアの上流階級の人間は大抵この店で馬車を購入しているといっていい。

 マーガレットが感心したような声を出す。


「それに、車体や内装も派手さはないものの、装飾品から窓枠にいたるまで最高級の品が使われている完全オーダーメイドですし、乗る前に拝見した馬もゴルモア産の稀少な品種です。馬と馬車のセットで考えると、これだけで豪邸が買えますね」


「ええっ!?」


 ノエルは驚愕する。たった一台で豪邸に匹敵する値段の馬車とはいったい何なのか。

 しばらく唖然としていたノエルだったが、ふとマーガレットに尋ねた。


「それにしても詳しいね。その、ナントカって装置とかに」


「ええ。お父様が購入したがっていましたから。でも、衝撃吸収装置は作るのに時間がかかるので予約待ちなんです。それこそ数年先まで埋まっているらしいです。ついこの前ログナー社が発表したばかりなのに、もう取り付けられているなんて……。エーデルベルグ家だからこそ優先されたのでしょうね」


「はあ~」


 開いた口がふさがらないノエル。オリヴィエ家の人間ではあるとはいえ、もはや次元の違う話である。

 傷つけでもしたら大変だとノエルがおっかなびっくり座り直していると、馬車がゆっくりと減速して停止したのだった。


「あれ? 到着したのかな?」


「まだ途中のようですけど……」


 二人は窓から外を確認してみるが、玄関前ではなく広大な庭で停まっているようだった。

 すると、突然馬車の扉が開いて髪の長い女性が顔を覗かせた。


「急にごめんなさいね~。私も一緒に乗せてもらえるかしら?」


 ノエルとマーガレットに向かってにっこりと優しい笑顔を見せる女性。びっくりするくらいの美人だった。

 すると、マーガレットが何かに気づいたように目を見開いた。


「……も、もしかして。あなたは、お姉――いえ、ソラさんのお母様では?」


「えっ」


 ノエルは思わず女性を凝視した。  

 よくよく見れば確かにソラとよく似た顔立ちをしている。いや、この女性にソラが似ているのだ。

 ふわふわした柔らかな金髪に、ソラとそっくりの蒼い瞳。上品なドレスにカーディガンを羽織っていて、じつに穏やかそうな雰囲気の女性だった。

 女性は微笑みながら、洗練された所作で名乗る。


「はじめまして。ソラの母親のマリア・エーデルベルグといいます。娘が普段お世話になっています」


 その丁寧な挨拶に、ノエルとマーガレットは慌てて座席から立ち上って挨拶を返す。

 それからマリアは二人の前へと座り、再び馬車は動き出したのだった。

 ノエルはやや緊張しながらマリアを見つめていた。彼女は娘であるソラよりもずっと有名人なのである。

 『エーデルベルグ家の聖女』。この二つ名を知らないエレミア国民はほとんどいないはずだ。

 卓越した治癒術の使い手であり、その聖母のごとき雰囲気からそう呼ばれているのだ。

 とりわけ治癒術師を目指す魔導士からすれば誰もが憧れ目標とする人物だろう。彼女がこれまで何人の重傷者を救ってきたことか。

 にこにこと微笑みながらノエルとマーガレットを見つめていたマリアだったが、やおら真面目な表情になった。


「私が突然お邪魔させてもらったのは、ソラちゃんの学校での様子を二人から訊かせてほしかったからなの」


「学校での、様子……ですか?」


 マーガレットが首を傾げていた。

 ノエルにもその気持ちは分からないでもない。娘であるソラから直接訊けばいいだけのことなのだから。

 マリアは当然の疑問よねと理由を説明する。


「ソラちゃんは学校でのお話をほとんどしてくれないのよ。訊いても、『まあまあ』だとか、『別に普通』としか言わないの」


 ノエルはマリアの言葉を聞いて思わず笑い出しそうになった。

 ソラの返答がノエルの兄たちのそれと全く同じだったからである。そっけないというか、ぶっきらぼうというか。ノエルは母親にあれこれと詳細に話したものだが。

 男女で対応が違うのかと思っていたが、ソラもそうだったとは。


「ソラさんは学校の授業も真面目に受けていて、受け答えも完璧です。それに、クラスの生徒たちとも仲良くやっていますからご心配なされることはありませんよ」


 マーガレットがハキハキと答える。まるで、クラス担任が保護者に行う説明のようではあったが。

 しかし、マリアはそれを聞いて安堵したようだった。


「……そう、良かったわ。ソラちゃんって少し変わったところがあるから。それも愛すべき個性なのだけど、学校にちゃんと馴染めているか心配だったの。あなたたちみたいな可愛い友人にも恵まれて安心したわ」


 やはり母親なので娘のことが気にならないわけがないのだろう。マリアは再び笑みを見せる。

 そこで、マーガレットが身を乗り出した。


「ところで、ソラさんのことを聞かせてもらってもいいですか? 生まれたときのこととか。どんな趣味をお持ちなのかとか」


 マーガレットがうきうきと言った様子でマリアに尋ねる。彼女もソラについていろいろ聞くいい機会だと思ったらしい。さすがに抜け目がない。

 マリアも嬉しそうな表情をした。娘のことを喋るのが楽しくて仕方ないらしい。


「もちろん、いいわよ~。そうね、ソラちゃんがまだ赤ん坊のときのことだけど――」


「……ほうほう!」


 ソラの話で盛り上がる二人。

 ノエルも隣で二人の弾んだ会話を聞きながらも、ソラが知ったら困惑することは間違いないだろうな、と頬をかきながら思うのだった。

※ 15.7.2変更 純金の小便小僧→マーガレット父の純金製の裸像


よくよく考えてみると、絶句するほどのものではないと思い、変更させていただきました。

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