第10話
ホールのステージ上。天井から差し込んでいる陽光を挟むようにしてソラはガレスと対峙していた。
背後からマリナたちがそれぞれ戦闘を開始した気配を感じ取ったが、彼女たちなら必ず勝利するとソラは信じて疑わなかった。
ここで、ソラは足元に転がっている無数の破片に気づいた。確かホールの天井に取り付けられていた最新の音響装置だと以前どこかで聞いたことがある。
(……そういえば、このホールって有名な建築家がデザインしたんだっけ)
ホールの中央には大穴が開いており、二階にいたっては氷づけである。
(人命には代えられないし、仕方ないよね)
事件が解決したらポケットマネーで修理すればいいやとソラは開き直る。
すると、前方からがしゃりと重々しい音が聞こえてきた。
ソラが視線を向けると、ガレスがステージを踏みしめながら長剣を構えていた。
見るものに古豪のごとき雰囲気を与えるテロリストたちの親玉。
ガレスは射抜くような目でソラを見ながら、その外見のとおり重厚感のある声を出す。
「……一応、名乗っておこうか。私は傭兵団『深淵の狼』団長、ガレス・ウォードだ」
「エーデルベルグ家長子、ソラ・エーデルベルグ」
ソラも半身の構えをとりながら名乗る。
ガレスはソラの名前を聞いて片眉をわずかに上げた。
「なるほどな。両親を助けに来たというわけか」
「そうだよ。だから、テロがどうこう以前にキミたちを許すわけにはいかないんだよ」
ソラも突き刺すような目でガレスを見た。
その小さな身体から気迫が滲み出す。
「その啖呵が威勢だけで終わらなければいいがな」
ガレスは全身に鎧を纏っているとは思えない軽快さで間合いを詰めてきた。
ソラはあらかじめ用意していた結界を即座に展開する。
(さて……まずは確かめてみないと)
ソラが微動だにせずに待ち構えていると、接近したガレスは結界に頓着することなく剣を振り下ろした。
空を切り裂く音とともに放たれた斬撃が結界に激突する。
すると、ガレスの長剣はまるでバターのようにソラの結界を容易く切り裂いたのだ。
(……やっぱり!)
この結果を予想していたソラは地を蹴って後方へと距離をとった。
ガレスは追撃することもなくゆっくりと構え直す。
ソラは体勢を立て直して口を開いた。
「その鎧に武器。全部、ミスリルでできてるんだね」
「……やはり気づいていたか。そういうことだ」
あっさりと認めるガレス。
ミスリルとはアダマンタイトと並ぶ希少金属の名前である。そして、ほかの金属にはない特殊な性質をもっていた。
すなわち、魔力を無効化するというものである。
ミスリルで作られた物は魔力を弾き、純度にもよるらしいが魔導を無効化することもできるのだ。
ただ、産出量が極めて限られていることに加え、その特殊性ゆえに目玉が飛び出るほどの値段で売買されており、市場に出回ることも少ないらしい。
ソラの結界が一瞬も耐えられなかったことを考えればかなり純度の高いミスリルが使われているようだ。もし、あの装備一式を売却すれば、おそらく城の一つや二つくらいは余裕で購入できるほどの金になるだろう。
ソラがミスリル製の装備だと気づいたのは、事前にアイラからガレスの二つ名を聞いていたこともあるが、先ほど<電撃>を放った際に起こった光景を目撃していたからだ。
電流のひとつがガレスの元へ到達した瞬間にかき消えたのを見てピンときたのである。
「あなたが『魔導士殺し』なんて呼ばれている理由が分かったよ」
「……そのように呼ばれていることは知っているが、私にとってはどうでもいいことだ。それだけ魔導士どもには厄介なのだろうがな」
お喋りは終わりとばかりにガレスが再び詰め寄ってくる。鎧の音がほとんど聞こえてこない滑らかな動きだった。
対して、ソラは静かに佇んだまま見ているだけであった。今度は魔導を使う気配すらなかった。
ガレスがかすかにいぶかしむような表情を見せるが、先ほどと同じように容赦なく長剣を振り下ろす。
ソラは目前に迫ったガレスの斬撃を身体を開いて避けた。
瞬時にガレスは返す刀で斜め上に斬り上げる。
が、それもソラは軽くステップを踏んで避けてみせた。
「…………」
ガレスがだんだん剣速を上げはじめる。
はじめは様子見らしかったが、徐々に本気を出してきているようだ。多種多様のフェイントを織り交ぜながら、あらゆる種類の斬撃をソラへと浴びせてくる。
ガレスの攻撃スタイルは決して派手ではなく、むしろ基本に忠実といっていい。しかし、それゆえに動きに全く無駄がなく、一撃一撃が重くて速いのだ。
大地にずっしりと根が生えているかのように足を踏みしめ即死級の一撃を次々と正確に叩き込んでくる。
まさに、ガレスは数多の死線をくぐってきた一流の使い手であった。
だが、ソラは軽やかにガレスの苛烈な攻撃を避け続けた。まるでふわふわとした綿のように捉えどころがなかった。
少しずつガレスの目が見開かれていく。
ソラがガレスの攻撃を見切った上で避けていることを理解したのだろう。
純粋な身体能力や近接戦闘能力ではソラは妹に劣る。
しかし、ソラには<完全同調者>という反則ともいえる体質があった。
ソラは同調率を高めることで情報を集め、高度な先読みを行っているのだ。
精神や頭脳に極力負担がかからないようにではあるが、それでも敵や周囲の情報を入手するくらいなら容易いことである。
周囲の風の流れ、相手の筋肉の動きや足運び、はては魔力の動き……。それらを、ソラの五感が捉えるよりも早くに理解できるのだった。
もっとも、それらの情報を瞬時に分析できる並外れた頭の回転と連動して動ける反応力とを必要とするが、そのためにこれまで修練を積み上げてきたのであり、加えてこの高スペックな身体に感謝だとソラは思った。
ソラは白髪とワンピースの裾を左右になびかせながらガレスの攻撃を華麗に避け続けた。不思議と髪には攻撃が当たらなかった。
なにやら観客席の方からどよめく声が聞こえてくる。
二人の攻防が時間にして一分ほど、ガレスの斬撃が数十にも及んだときだった。
唐突にガレスがぴたりと攻撃を止める。
それに合わせてソラも動きを止めた。ゆったりとソラの髪が背中へと戻っていく。
いったいどうしたのかとソラはすぐ近くにいるガレスを窺う。
すると、ガレスから断続的に低い声が漏れてきていた。どうやら地味に笑っているらしい。
「……いや、失礼。だが、私の二つ名を知っていた上にこの装備がミスリルでできていることも看破しておきながら、それでも私に挑んでくることが最初は解せなかったが……。大したのものだな、私の攻撃をこうまで見事にかわし続けた相手はそうはいない」
「それはどうも」
ソラはその賛辞に軽く微笑む。
「その体術には見覚えがあるな。確か東方武術というやつか」
無言で頷くソラ。
「エーデルベルグ家の令嬢が武術を習得しているというのも信じられんが、その年齢でその実力、よほど才能と師に恵まれたとみえる。……もっとも、それだけではないようだがな」
ガレスは目を細めてソラを見据える。
さすが百戦錬磨の傭兵だとソラは内心で感心する。
「だが、そのまま避けるだけでは私に勝てないことも分かっているのだろう。それとも、時間稼ぎのつもりか?」
ガレスがちらりと観客席の方を見る。
ソラも目線だけを向けた。
どうやら、マリナたちの戦いは佳境を迎えつつあるようだ。
背後の人質たちが固唾を飲んでそれぞれの戦いを見守っている。
何人かの魔導士が援護を試みているようだったが、高速で行われている彼らの戦闘に手を出す余地などなく、どこかもどかしそうにしている様子が見えた。
すると、ソラはふと母のマリアと目が合ったのだった。
マリアは今にも泣き出しそうな表情でソラをじっと見つめていた。
マリアからしてみれば目の前で娘たちが死と隣り合わせの戦いを繰り広げているのだ。とても正気ではいられないだろう。実際、隣にいるトーマスは卒倒寸前の顔をしている。
だが、マリアはそのふわふわした雰囲気に似合わず、芯がとても強く、肝が太いのである。
今もマリアの強い瞳がソラへと語りかけていた。
目の前の相手に勝ちなさいと。ここまで来たら勝ってみせなさいと、そう言っているのだった。
ソラはかすかに目元を和らげる。
もちろん負けるつもりなどない。自分の手で決着をつけるためにガレスとの戦いを望んだのだ。
ソラは視線をガレスへと戻す。
「時間稼ぎ? そんなわけないだろう。お前とは一対一で堂々と勝ってみせるよ」
「……ほう」
ガレスがかすかに感心したような声を漏らしたが、すぐに表情を厳しく引き締めた。
「……ならば、行動で示してみろ!」
力強く踏み出しながらガレスが一気に間合いを縮める。
ソラは先ほどのように迎え撃つ。
とはいえ、このまま避けるだけでは勝てないことはソラにも分かっていることだ。
ソラの体力とて無限ではないし、神経を削っていることに変わりはない。徐々に追い詰められているのは自分の方なのだ。
こちらも攻勢に出なければならない。
「どうした、また同じことの繰り返しか!」
ガレスが熾烈な斬撃を繰り出しながらそう言った瞬間だった。
攻撃を避けるソラの頭上に、突如魔導紋が描かれはじめたのだ。
その光景に目を瞠るガレス。
魔導紋は高速ですらすらと描かれていく。それでいて、ソラはガレスの攻撃を凌いでいるのだ。
「この緊迫した状況にもかかわらず魔導を編むか!」
ガレスもさすがに驚きを隠せなかったようだ。
戦闘中に魔導を構築するのは困難な作業であり、精神的な疲労も通常時とは比べものにならないからだ。
もっとも、ソラといえども高度な魔導の構築まではさすがにできないが。
魔導はものの数秒で完成し、ソラは即座に魔導を発動させる。
すると、ガレスの右の太腿辺りで小規模な爆発が起こった。
「!」
ガレスの動きが少しだけ止まるが、すぐに攻撃を再会する。
「……無駄だ! この鎧に生半可な魔導は通用せん!」
ガレスが声を張り上げた。
ミスリル製の鎧である。魔導の大半が無効化されてしまう。
ただ、高威力の魔導を使うこともできない。近くにいるソラも巻き込まれてしまうからだ。
ガレスもそれが分かっているのだろう、ソラの魔導を無視して攻撃を続ける。
しかし、ソラは気にせずに同じ攻撃を何度も繰り返す。
「このような小細工で、本当に私に勝つつもりがあるのか?」
さしものガレスも若干いらついているようだった。それで集中を乱すほど甘くもないが。
ソラは無視して魔導紋を描き続けるが、同時に初めて前へ出る仕草を見せた。
ガレスが身構えるが、ソラは仕草だけを見せて後ろへと大きく跳躍した。多少の距離と時間を稼ぐことに成功し、そのまま複雑な魔導の構築を続ける。
高威力の魔導を行使するためだと考えたのだろう。そうはさせじとガレスが猛烈な勢いで突進して距離を詰めてきた。
ソラの眼前にまでガレスが迫るが、
「……何っ!?」
驚愕の声をあげるガレス。
ソラの姿が突然ガレスの前からかき消えたのだ。
ガレスが周囲を見回すよりも早く、ソラはガレスの真後ろへと突如出現した。
その気配に気づいたガレスが俊敏な動きで振り向いたがソラの方がわずかに速かった。
ソラの魔力が込められた拳がガレスの腹部に突き刺さる。
「…………っ!!」
苦悶の声をあげながらガレスが後じさる。
ガレスは腹を押さえながらも険しい表情でソラを睨みつけた。
「まさか、<転移>まで扱えるとはな……! これまでの魔導は全て布石だったというわけか。つくづく底の知れん娘だ!」
ソラはその声を聞きながら、こちらも険しい表情をしていた。
(……仕留め損ねた!!)
今のはソラの切り札ともいえる技だったのだ。
『通打』と呼ばれる東方武術の奥義のひとつ。前世の浸透勁にも似た相手の内部に力を徹す技法。それをガレスの隙をついて叩き込み、勝負を決めるつもりだった。
魔力そのものはガレスの鎧に弾かれただろうが、もともと技の威力を増幅するための媒体に過ぎない。
ソラはマリナほどではないが<内気>を操作できる。
先ほどの一撃にはソラが操ることのできる精一杯の魔力を込めたのだ。それでもガレスを倒しきれなかった。予想を遥かに超えるタフネスであった。
「今のが奥の手だったとしたら、私には勝てんぞ。二度、同じ戦法が通用すると思うなよ」
ガレスは苦しそうに唇の端を拭いながらも戦闘を再開した。かなりのダメ-ジを内臓に与えたはずだが、動くのに支障はないようだった。
(それでも、もう一度やるしかない)
こと接近戦に関しては、今のソラにはほかに策がない。『通打』を用いるしかないのだ。
ソラは再び小規模な魔導を行使してガレスを牽制しようとする。
しかし、ガレスは今の攻防でソラをさらに警戒したらしく、こちらも奥の手を使うことにしたようだった。
ガレスが魔導紋を編みはじめたのだ。
「……!!」
「……『アビス』の構成員とはいえ、魔導を扱える者が皆無だとでも思っていたのか? もっとも、私が使える魔導はこれだけだがな」
ガレスの魔導が完成する。
すると、ガレスから特殊な波が発せられ、ソラが構築していた魔導紋にノイズが走りぶれはじめたのだ。
(……これは、<妨害>!)
ソラの魔導が強制的にかき消される。
ガレスがすかさず追撃に入り、ソラは寸前でかわす。
その後もガレスが妨害魔導を使い続け、ソラは防戦一方を強いられる。
(……なるほど、『魔導士殺し』か!)
ソラはその二つ名の本当の意味を知ったのだった。
魔力を無効化するミスリル製の装備品。相手を確実に追い詰める動き。そして、この妨害魔導。まさにガレス・ウォードは対魔導士に特化した戦士なのだ。
「もう限界か? 息があがってきているぞ!」
攻撃を繰り出しながらガレスが指摘してくる。
ガレスの言うとおり、ソラの体力は尽きつつあった。
情報を捌くスピードが徐々に遅くなっているのが分かる。ハードだった今日一日の疲れがここにきてどっと溢れ出してきている。
このままではソラの負けは必至だ。もう一度なんとかして隙を見出すしかないのだ。
ぎりぎりの攻防の中でソラは腹を括る。相応のチャンスをつくろうと思うなら、やはりそれに見合ったリスクが求められるのだ。
ソラはガレスの妨害魔導が一度途切れたのを見計らって魔導を構築しはじめる。
それを見たガレスも急いで魔導を編みはじめた。
ソラとガレスの魔導が完成したのはほぼ同時だった。そして、二人はタイミングを合わせるように発動する。
互いの魔導から同種の波が伝わり相殺し合った。
「……貴様も妨害魔導を!」
ガレスが眉間にしわを寄せる。
互いに相殺している間にもソラは妨害魔導を制御しつつ新たな魔導を構築しはじめた。
「多重起動まで扱えるか!」
ガレスが斬撃を見舞いつつも驚く。
ソラはひらりと避けて完成した魔導を放った。ガレスの足元に向かって。
瞬間、ガレスの足元が爆発し、視界を奪うようにステ-ジの破片を盛大に撒き散らしたのだった。
「!」
反射的にガレスが顔を手でかばうが、すぐさまソラへと視線を向けてくる。
その隙にソラは十メートルほどの距離をとり、高度な魔導の準備に入っていたのだった。
ガレスは距離を詰めず妨害魔導を編むこともなかった。また互いに干渉し合うだけだと考えたのだろう。
「……これが最後の攻防というわけか」
ガレスが剣を握り直しながら言う。ソラの覚悟を感じ取ったのだろう。
ステージ上が一時的な静寂に包まれる。
相対する二人の緊張感が伝わってきたのかホール内もしんと静まり返っていた。
睨み合うソラとガレスの圧力が高まっていく。
やがて、二人は同時に駆け出した。
ソラが身を低くして白髪をなびかせて。
ガレスが長剣を大上段に掲げながら。
そして、二人が交錯する瞬間。
再びソラの姿がかき消えた。
「同じ手は通じんと言ったはずだ!!」
ガレスは叫び、急停止をかけて己の死角をカバーする。
だが、ソラの姿はそのどこにもなかった。
ソラが出現したのはガレスの目の前だった。
「なっ……!?」
ガレスが驚きの声を上げる。
ソラはほんの数十センチ前方に移動しただけだったのだ。
驚愕するガレスの懐へと飛び込むソラ。
それでもガレスは上手に腕を折りたたんで長剣を凄まじい勢いで突いてきた。
ソラは咄嗟に頭を傾けて紙一重で避ける。髪を一房もっていかれたが気にしている暇などない。
「――はああっ!!」
ソラは大地を強く踏みしめ、気合の声をあげながら、己の全ての魔力を込めた拳をガレスの胴体へと叩き込む。
小さな拳がガレスの鎧に接触した途端、魔力の破片を飛び散らせながらも『通打』による破壊的な力がガレスの体内を貫いた。
「…………つっ!!」
ガレスの大きな身体が一瞬ぶれる。
二人は天井から差し込む光の中で交錯した体勢のまましばし動きを止めた。
ホールの人間たちは時が止まったかのようにその光景を見守っているようだった。
すると、おもむろにガレスの手から長剣がこぼれ落ちる。
「……かはっ」
ガレスは口から大量の血を吐き出し、よろよろと後じさって大の字になって倒れこんだのだった。
「はあはあ……っ」
ソラは肩で息をする。
もう体力の限界だ。正直こっちが倒れこみたいくらいである。
倒れこんだガレスを見るが、もう立ち上がる気配はない。
ソラはなんとか勝利を収めることができたのだ。
額の汗をぬぐいながら動かないガレスを見つめていると、
「――お姉ちゃん!!」
と、背後からマリナの声が聞こえてきたのだった。
ソラが振り向くとマリナたち四人がステージの側まで歩み寄ってこちらを見ていた。
どうやら、しばらく前にあちらの戦闘は終了していたらしい。四人とも多少の怪我を負っているようだが無事のようだった。
ソラはふとマリナたちが相手をしていたテロリストたちを見る。
彼らは全員口から血を流して事切れていた。
「!」
ソラははっとなってガレスへと向き直る。
が、時すでに遅く、ガレスは奥歯を噛みしめて毒を飲み込んでいた。
「何てことを!!」
ソラが慌てて駆け寄るが、ガレスは手でそれを制した。
ガレスは最後の力を振り絞るようにして話しかけてくる。
「……私の負けだ、ソラ・エーデルベルグ。まさか魔導士相手に拳で敗北するとはな。まさに型破りな魔導士だ、お前は」
即効性の毒らしくガレスの瞳からすでに光が失われつつある。
「……それにしても、ここまで計画が狂うとは思わなかった。ただ、ただ無念だ――」
それきりガレスは動かなくなった。
それが傭兵団『深淵の狼』の団長ガレス・ウォードの最期であった。
ガレスの死を見届けたソラは唇を噛み締めて立ち尽くした。ちょうど少し前のマリナのように。
近寄ってきたマリナがソラの手をそっと握ってきた。
「お姉ちゃん……」
ソラはマリナに顔を向ける。どうやら妹も同じ悔しさを感じているのだと理解した。
すると、突然背後からがばっと抱きしめられたのだった。
「ソラちゃん! マリナちゃん!」
二人の娘をまとめて抱きしめていたのはマリアだった。その後ろからトーマスも慌てて駆け寄ってきていた。手の縄はキースとスベンが切ってくれたらしい。
「もう、二人とも無茶をして! 一カ月はおやつ抜きだからね! 分かった!? ……ああっ、ソラちゃんの髪の毛が! それに、手が血みどろになってるじゃない!! 急いで治癒しないと!! もう~!!」
「あはは……」
ソラは騒がしいその声を聞きながら、そのままマリアの胸に顔を埋めて気を失ったのだった。
※※※
エルシオン中を巻き込んだテロ事件が終結してから数日後。
ソラはエーデルベルグ家の庭園にある東屋のひとつで新聞を読んでいた。
あの混乱によりしばらく休刊していたが、今朝になってようやく再開したようだった。
「…………」
ソラは印字された見出しを見ながら沈黙していた。
そこにはこう書かれていたのだった。
『エーデルベルグ家の美少女姉妹がテロリストたちの思惑を打ち砕く!』
『エルシオンの危機を救った小さな英雄たち!』
『エルシオン・シンフォニー・ホ-ルでの少女たちの華麗な戦いを検証!』
ソラは新聞を広げたままその上に突っ伏した。
スベンとともに事件後の報告に来ていたキースが朗らかに笑いながら言う。
「お嬢様たちの名がエルシオン中……いや、エレミア中に轟きましたね」
「あははは。なんか、取材の申し込みとかが殺到してて、当分は家から出られそうもないね、お姉ちゃん」
ソラの隣に座っているマリナが能天気に笑っている。
この時ばかりは妹の能天気さが心底羨ましかった。
気の毒そうな表情をしたスベンがためらいがちにソラへと語りかけてくる。
「……あの事件は規模の割にそこまで死者は出ませんでしたが、それでも皆無ではありませし、怪我人も多く出ました。それらの悲劇から皆の関心を逸らすための意味もあるのでしょう。そのうち騒ぎも沈静化すると思いますので、あまり落ち込まないほうが」
この中で唯一フォローという概念を知っているスベンが慰めてくれたようだった。
ソラはため息を吐きつつ顔をあげる。
事件が解決した後もなにかと大変だったのだ。
まず、最後に放った一撃によりソラの右手がぼろぼろになっていたのだ。自分でも制御不可能なほどの魔力を込めた代償であった。
後に治癒してくれたマリアが言うには一部の骨が折れて皮を突き破っていたらしい。それを聞いたソラは再び気が遠くなりかけたのだった。
また、ソラの髪の毛の一部が戦闘中に千切れてしまったことにマリアがやたらと嘆いていた。
ソラが丁度いいとばかりに、『これを機に以前と同じくらいの短さに戻しみては?』と提案してみたのだが、マリアに『ダメ』と一言で切り捨てられていた。結局、エーデルベルグ家の専属美容師が苦労して整えてくれたのだった。
それから、事件のことを聞いて慌てて戻ってきた祖父ウィリアムの雷が落ちた。ソラ、マリナに加えてキースとスベンも怒られた。ついでに隊長のエドガーまでとばっちりを受けていた。
ふらりと旅から戻ってきた祖母は、『さすが、あたしの孫たちだ』と褒めてくれたのだが。
ただ、祖父から聞いたところによると、エドガーはソラたちの案を受け入れた時点で辞職する覚悟をしていたらしい。
結局、祖父の説得により踏み留まってくれたらしいが、ソラも悪いことをしたと反省したものだ。
今度、ナルカミ商会系列の店ならどこでも使用できる特別クーポンを進呈しようとソラは誓ったのだった。
ともかく両親を初めとしていろんな人間から怒られるし、弟のトリスに泣かれたりと散々な目に遭ったのである。
ここ数日の苦労を思い出したソラはもう一回ため息を吐き、スベンへと視線を向けた。
「それで、内通者は捕まったんだよね?」
「はい。以前から調査は進めていたのですが、無事に捕まえることができました。……内通者はグラハム・ウィンザー。元老院議員も務めるウィンザー家の当主でした」
「ウィンザー家……やはり、最近の凋落が原因ってこと?」
ソラの問いにスベンが頷く。
「そのようです。ウィンザー家はエレミア開国時からの名門でしたが、ここ十年で勢力が急落してましたからね。その上、現当主のグラハムが巻き返しを図ろうと手を出した事業で失敗したことで止めを刺してしまったようです。もはや、来月の選定会議で落選するのは必至でしたからね」
演奏会にはソラの両親も含めて元老院議員に連なる人間が多く参加していて、子供たちの中にも嫡子や後継者が何人かいた。それらを抹殺することで有利な状況をつくりあげようとしたらしかった。
「ほかにも、思い通りにならないことへの不満などもあったようで、そこをテロリストにつけ込まれたようですね。いずれにしろ発覚するのは時間の問題でしたけど」
「しばらくは元老院も肩身が狭くなるね……。地下通路の件も調査が進んでるの?」
「ええ。アイラさんが協力してくれたおかげでかなり捗っているそうです。皆驚嘆してましたけどね。エルシオンの地下に遺跡が広がっていることを知っていたのはほんの一部の人間ですし、そこを利用して街の外にまで通路を繋いでいたんですから」
それは驚くよねとマリナも頷いている。
「そのアイラさんといえば、妹さんと一緒にエーデルベルグ家で働くことになったそうですね?」
スベンの言葉にソラは微笑んだ。
そう。アイラと妹のライラはエーデルベルグ家で新しい生活を始めることになったのだ。
アイラがテロリストの一員として動いていたのは事実だが、彼女自身がひとりたりとも殺人を犯しておらず、ソラたちとともに事件の解決に尽力したこと。加えて妹が人質にとられていたことが考慮されて罪に問われずに済んだのだ。エーデルベルグ家の強力な後押しがあったのも事実だが。
ちなみにライラと一緒に捕らわれていた雑事係の者たちだが、アイラたちと同じく借金に縛られていたらしく、今回の件で晴れて契約が白紙となり、喜んでそのまま故郷や家族のもとに帰っていったのだった。
アイラの無罪が確定した後、ソラはこれからどうするのかと訊いてみたのだ。
『正直、今のところは何も考えてないよ。牢獄行きを覚悟していたし。かと言って、あるかも分からない故郷に今更帰るのも気が引けるしね。まあ、ライラを食べさせていくくらいの甲斐性はあるつもりだけど』
と、実に男前なことを言っていたのだった。
ここでソラがアイラたちに提案したのである。エーデルベルグ家で働かないかと。
こんなことを言ってはアイラに失礼かもしれないが、彼女とは男友達のように気楽に付き合えるのだ。
それに、彼女にはどことなく親近感を覚えるのである。女性らしい嗜みを苦手としていたりとか、奔放な妹に振り回されているところとか。
最初は名門たるエーデルベルグ家で働くことに躊躇していた二人だったが最後には快く了承してくれたのだった。
それから、アイラはソラの護衛として、ライラはマリナ付きのメイドとして働くこととなったのだ。
すると、キースが東屋の外に視線を向けながら面白そうに言った。
「――噂をすれば、だな」
ソラたちもそちらを見やる。
そこには、エーデルベルグ家の警備服を着たアイラとメイド服を纏ったライラが連れ立ってこちらへと歩いてきていた。
「ライラちゃん!」
マリナがライラとハイタッチする。この二人は同い年で性格が似通っていることもあってすぐに意気投合したのである。
アイラがソラたちに向かってぎこちなく一礼した。
メイド長たるアイリーンから直に礼儀作法を教わっているが、様になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「――おはようございます、皆様。ご機嫌が麗しいようでなによりです。ところで、ウィリアム様が皆様を呼んでおります。この前の続きをするから早く来るようにと」
「!!」
アイラの微妙な敬語を聞きながらソラたちは凍りつく。
どうやら祖父のお怒りはまだ解けていないようだ。
ソラたちはうんざりとした様子で立ち上がる。
元気娘のマリナも肩を落とし、ライラに励まされている。
さしものキースもげっそりとしており、スベンはなにやら悟りきった表情をしていた。
さて、また長~い説教を受けに行くか、とソラたちはとぼとぼと歩きはじめる。
最後尾を歩きながらソラが我が身の不幸を嘆いていると、ふと隣に付き従うアイラと目が合った。
すると、アイラもソラと目が合ったことに気づいたようだ。
元傭兵の少女は赤い髪を陽光の下で燃え上がらせながら、
「――これからよろしくお願いします。お嬢様」
と、綺麗な笑みを浮かべたのだった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
間章は本編の補足のようなものとお考えください。
次話からはまたしばらく「日常編」を挟み、その後二章に入る予定です。