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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
一章 魔法使いと温泉の町
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第1話

「完全に迷った……」


 暗い森の中、ひとりの少女が茫然と突っ立っていた。


 その少女は黒いローブを着込み、フードを目深に被っているので表情がいまいち判然としないが、とりあえず途方に暮れている雰囲気は伝わってくるのだった。


 ソラ・エーデルベルグ。

 年齢に見合わない思慮深さと年相応の知的好奇心とが同居している不思議な瞳の少女。

 それが彼女の名前であった。


「えへへ~。ごめんね~お姉ちゃん」


 ソラの背後で本当に謝罪しているのか疑いたくなるほど軽い口調で謝っているのはこれまた年若い少女。

 軽くウェーブのかかったセミショートの金髪にキラキラと輝いている大きな青い瞳。ソラとお揃いのリボンが付いたローブを着込んでいる。

 一目見ただけで活発な性格をしているだろうと想像のつくこの少女はひとつ下の妹であるマリナであった。


「まあ、これも旅の醍醐味ってやつだよね!」


「あ、あんたが言うな……あんたが」


 能天気な妹に頭を抱えるソラ。

 目的地であるホスリング町に向かう途中までは乗合馬車で進み、途中からは景色を楽しみたいという理由でしばらく街道を徒歩で進んでいたのだ。

 だが、はしゃいでいたマリナに地図を預けたのが間違いだった。

 結果は見てのとおり、見事に迷ってしまったのだ。


 ちなみに、出発点である屋敷からエルシオン内の移動は実家が保有している馬車を使っていたが、街を出てからは一般の乗合馬車に変更している。

 そのままエーデルベル家専用の馬車を使用してもよかったのだが、それこそただの旅行と変わらないので途中で乗り替えたのだ。


「……やっぱり、あの分岐点は無難に行くべきだったか……」


「今頃そんなこと言っても。早く到着したかったからこっちを選んだんだけど」


 ぼやくソラにマリナが肩をすくめる。

 街道は途中で二つに分岐していたのだが、一方は森の中を直進する最短ルートで、もう一方が大きく森を迂回する道だったのだ。

 そして、森を横切るルートを選択したものの、内部は思ったよりも複雑になっていたのである。

 なので、妹を一方的に責めることはできないのかもしれないが。


 ソラは周囲を見回す。

 鬱蒼とした森の中は昼前にもかかわらず薄暗く、しかも時折得体の知れない動物の鳴き声が聞こえてくるのだ。不気味なことこの上ない場所である。

 それこそいつ化け物が出てきてもおかしくない雰囲気だ。

 

 この世界には前世では考えらない凶暴な生物たちが存在しているので、早くこんな所から抜け出すべきだとソラが考え込んでいると、


「――ソラお嬢様、マリナお嬢様」


 ソラたちよりもいくらか年上――十五・六ほどの少女が進み出てきたのだった。


「アイラ。何か分かったの?」

 

「はい。木の上から観察してみたのですが、真東にボルツ山が見えました。そちらに向かって進めばよいかと」


 ソラの問いに少女は生真面目な表情で頷いた。

 目的の町はボルツ山の麓にある。それを目印に進めばまず間違いないだろう。

 やはり彼女は頼りになるとソラは感心した。


 ソラがアイラと呼んだこの少女は姉妹の同道者だ。

 鮮烈な赤毛と褐色の肌が印象的で額には不思議な紋様が描かれたバンダナを巻いている。

 すらりとした手足にはいかにも野生的で、金属製の胸甲と腰には珍しい双剣がクロスするように装着されていた。


 ソラたちとそう年が変わらないが、落ち着いた雰囲気といい、鋭い目付きに隙のない足運びといい、どこか歴戦の戦士を思わせるのだった。


「道に残されたわだちからしても、おそらく間違っていないはずです」


「さっすが、アイラ! 助かったよ!」


 クールに告げるアイラにマリナが親指を立てる。


 アイラはかすかに笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。


「ただ、油断は禁物です。先程すれ違った商人も言っていましたが、この森には野盗の類が出没するらしいので」


「……そうだね」


 ソラは頷く。

 分岐点辺りですれ違った馬車に乗っていたおじさんが忠告してくれていたのだ。

 注意しなくてはならないのは怪物だけではない。


「大丈夫だよ! 盗賊くらい!」


「もちろん、私がお嬢様たちをしっかりとお守りしてみせます」


 明るく言い放ったマリナにアイラがきりっと凛々しい表情で答えた。


 ソラもアイラのことは信頼している。

 だから、このような物騒な道を通行することに反対しなかったのだ。 


「それにしても、温泉に入るのは久しぶりだよね。ゆっくりと浸かって堪能しないと」


 マリナが笑顔で話しかけてくる。

 ホスリングは国内でも数少ない温泉が湧く町として有名なのだ。

 元日本人だったソラとしても楽しみにしているイベントである。 


「――むふふ。本当に楽しみだよ」


 なにやら妹が邪悪な笑みを浮かべている気もするが、ソラは一応釘を刺しておく。 


「マリナ。言っておくけど、温泉はついでだからね。私たちには冒険者としての仕事もあるんだから」


「分かってるってば」


 本当に理解しているのか、マリナはるんるんとスキップを踏みながら道を進んでいく。


 ソラがやれやれと思いつつ妹に続くと、隣にアイラが並んできた。


「しかし、ソラお嬢様。あまり危険なことには首を突っ込まない方がよろしいかと。マリア様やトーマス様からも気をつけるよう仰せつかっていますので」


「……やっぱり、両親から密命を受けてたんだね……」


 少々うんざりしながら首を振るソラ。

 この赤髪のお姉さんことアイラは基本的に姉妹の護衛として同行しているので、極力危険を回避しようと考えるのは当然であった。 


 現在、ソラたちが冒険者として活動できているのも家族たちの同意を取り付けられたからだが、それまでにはひと悶着どろこか相当な労力を費やす羽目になったのである。


 ソラは冒険者資格が得られる十二歳になると、当時学生だったにも関わらず即試験を受けて資格を取得した。去年のことである。

 本来はまだ数年は残っている学生生活を学業成績の優れた生徒のみが使用できる飛び級制度を利用し、冒険者として本格的に活動するため今年の春にさっさと魔導学校を卒業したのだ。


 ただ、名家の令嬢たるソラたちがそう簡単に冒険者として家を出られるわけはなく、当然のように家族たちの反対を受け、また使用人たちも表立っては異論を唱えなかったものの基本的には反対らしく、ソラは必死になって説得したものである。

 

 その中でもソラの考えを真っ先に支持してくれたのは祖母ウェンディだった。

 現役の冒険者でもある祖母は女にしておくのがもったいないほどに豪快かつさっぱりとした性格をしていることもあり賛成してくれたのだ。

 ちなみに祖母は齢五十を過ぎている。なんとも元気なことだ。


 また、祖母が言いくるめてくれたので、元魔導騎士団団長でありエーデルベルグ家の当主でもある祖父が渋い顔をしながらも認めてくれた。

 定期的に帰ってくるという条件付きではあったが、ソラたちのことを信用してくれているのだと思う。


 祖父母が認めたことで他の人間たちも支持へと傾いたが、この二人は最後まで手こずらせてくれた。


 ひとりは父トーマスである。

 父は普段の気弱ぶりはどこへやら、可愛い娘たちを旅に出すのは言語道断とばかりに大反対したのだ。

 その滅多に見せることのない剣幕にソラもたじたじになってしまったほどである。


 とはいえ、父の反対は予想していたので、ソラはマリナがよくおねだりをするときに使う手段を講じることにした。

 奥の手、上目遣いでの『お父様お願い攻撃』である。

 父の手をそっと握り、わざとらしく瞳を潤ませる――ぶりっ子全開の必殺技によりトーマスはあっさりと陥落し、最後は周りが呆れるほどデレデレと表情を緩ませていたが、あとで本人が正気に戻ったときにはもはや手遅れ状態であった。

 ただ、この技は元男であるソラには諸刃の刃であり、自身にもきっかりとダメージが返ってきてしばらく悶え苦しむことになったのだが。


 これで大半の人間を説得することに成功したソラだったが、最後の最後に強敵が残っていたのである。

 言わずもがな、母のマリアであった。


 普段はとても優しく理解のある母親なのだが、この件に関しては断固として首を縦に振ろうとはしなかった。彼女は見た目によらず結構頑固なところがあるのだ。

 また、祖父母も娘であるマリアには甘く、夫のトーマスはもともと頭が上がらないこともあり、ある意味エーデルベルグ家最強の権力者といえるのだ。


 ソラがなんとか説得を試みようとしても、それ以前にマリアは聞く耳を持とうとせず取り付く島すらないのだ。

 果てには文字通り両手で耳を塞いで『きーこーえーなーい!!』と大声を出し始める有様だった。とても三十を過ぎた母親のやることとは思えない。


 万策尽きてソラはほとほと困り果てていたのだが、ある方が颯爽と助けに入ってくれたのだった。

 この家で最も頼りになると言っても過言ではないメイド長のアイリーンである。


『――マリア様。ソラお嬢様はご自身の面倒をきちんと見られるお方です。ここはお嬢様を信じて送り出して差し上げるべきです』


『でも、危険よ~。物騒な魔物とかがたくさん徘徊しているのよ? もし、ソラちゃんに何かあったら……』


『ソラお嬢様はそこらの怪物や賊程度に遅れをとったりはいたしません。機転の利く方でもありますし』


『うう……でも……』


 でもでもと繰り返すマリアを見て、アイリーンはひとつ息を吐いてから言った。


『……そんなことでは母親として嫌われてしまいますよ?』


『うっ……』


 アイリーンの一言にマリアは痛いところを突かれたとばかりに短く呻き、そのまましばらく黙り込んでしまった。

 それから長い間考え込んでいたが、最後には渋々といった様子で頷いたのだった。


 その瞬間、二人の会話を固唾を呑んで見守っていたソラは心の中で喝采を上げながらも驚愕したが同時に納得もしていた。


 なぜならアイリーンはマリアよりひとつ年上の幼馴染で、ワガママモードの母が話を聞き入れる数少ない人物なのだ。

 とある事情により、幼い頃にエーデルベルグ家に引き取られた彼女は子供の頃よく母と一緒に遊んだ間柄で、それこそ姉妹のように仲が良かったしい。

 祖父母から養子にならないかと誘われたそうだが、彼女は丁重に断りエーデルベルグ家のメイドとして生きていく道を選んだのだ。律儀で筋を通す彼女らしい話ではある。


 かくしてソラは旅に出ることを許されたわけだが、娘をひとりで歩かせるのはさすがに不安なので、普段から護衛を努めているアイラを同行させることで落ち着いたのであった。


「……でも、護衛を連れてる冒険者なんか前代未聞だよ。そもそも危険のない冒険なんか本来ありえないし」


「そうかもしれませんが、お二人とも心配しておられるのです。いえ、エーデルベルグ家の人間たちはみなそうです。お嬢様にはご不満かもしれませんが……」


 思わず愚痴ってしまったソラだが、アイラの言葉を聞いて反省する。


「……うん、そうだね。ごめん、アイラの言うとおりだよ。こうして認めてもらっただけでも十分と思わなきゃね」

 

 自分は恵まれていることを忘れてはいけないと改めて身を引き締めたが、どうにも納得できないこともあるのだ。 


「……けど、マリナのことはどう考えるべきなんだろうね?」


「……それは、その……さすがはマリナお嬢様としか」


 ソラが前方を歩いている妹を眺めながら言うとアイラは困ったような笑顔を浮かべた。


 まだ学生であるマリナがなぜ一緒にいるのかというと、それは出発の直前になって自分もついていくと唐突に言い出したからである。どうも学校の長期休暇を利用してその期間だけ同行するようだ。

 しかも、呆れることにあの妹はソラが学校を卒業するまでの間に誰にも気付かれることなく自分もちゃっかりと冒険者資格を取得していたのである。

 どうやら来年の春に同じく飛び級制度を利用して卒業し、ソラたちと本格的に冒険者をするつもりらしい。

 

(……やれやれ、あの妹は本当に驚かせてくれるよ)


 当然、そのときもひと騒動あったわけだが、マリナは昔から一度決めたら譲らない性格なので最後には強引に押し切ってしまったのだ。

 結局、当初はひとりだったはずが二人増えてしまったのである。

 

 ままならないものだとソラが考えていると、ここでふと気づいた。

 いつの間にか動物たちの声が聞こえなくなっていることに。


「……お嬢様」


 一瞬遅れて隣のアイラも低い声を出す。

 

「おいでなすったみたいだね」


 マリナもソラたちのそばまで戻ってきた。


 アイラはもとよりマリナも気配をしっかりと感じ取っているのだ。

 徐々に包囲しつつある、おそらくは野盗たちの複数の殺気を。

 もっとも、完全に気配を殺しきれていないので、簡単に気づけたとも言えるが。


 ソラたちがひとかたまりになったことで感付かれたことに気づいたのだろう、包囲する速度が一気に上がるのを感じた。

 殺気が急速に膨れあがる。


(……来る)


 ソラがそう思った瞬間。

 木々の間から武器を持った男たちがばらばらと湧いて出てきたのだった。 

 やはり、その姿格好から盗賊のようだ。数は二十ほど。

 皆統一されていない装備に下品な笑みを浮かべていて、その面構えといい『オレたちは野盗だ!』と全身で主張している連中であった。


 男たちはソラたちを完全に包囲すると口々に叫びだす。


「おら!! 動くんじゃねえぞ!! 痛い目に遭いたくなければな!!」


「そうだ!! 妙な真似をするなよ!!」


「てか、女子供じゃねえか。ぐへへ」


 と、こちらを目一杯威嚇してくるが、ソラは『ぐへへ』と言う人間を初めて目撃していた。

 

 さすがは野盗だと妙な感心をしていると、男たちの中からひと際デカイやつが進み出てきたのだった。


「運が無かったな、おめえら。ま、観念しておとなしくするこった」


 圧倒的有利を確信しているらしく、にまにまと余裕の笑みを浮かべた髭面の大男。

 いかにも野盗の親分という風体の男だった。


「俺はこの盗賊団の頭を務めてる者だ。……はじめに言っとくが、余計な抵抗さえしなけりゃ危害を加えることはねえ。分かったか?」


 もじゃもじゃの髭をしごきながら得意げに喋る親分。


(危害を加えることはない、ねえ……)


 ソラは髭の親分を眺めながら心の中でひとりごちる。

 このままおとなしく捕まったところで、良くて身代金のための人質として扱われ、悪ければ人買いにでも売られるはずだ。

 自分はフードを被ったままだが、マリナの容姿や雰囲気を見れば裕福な家庭の人間だと予想がつくだろうし、着込んでいるローブなどもシンプルだが上質な素材でできていることは観察すれば分かる。

 それに、一目でソラたちの護衛と見当がつくアイラも連れているのだから。


「――頭。こいつら、いい金になりそうっすね」


「……ああ、まったくだぜ。間違いなく上流階級の人間だろう。さて、どうするかな。こんな千載一遇の好機はそうそうねえんだから、なんとしても稼がせてもらわねえと。最近は実入りが少なくて、色々支払いも滞ってるからな……」


「ともかく、もう少しだけいい暮らしがしたいっす」


 小声でひそひそと話し合う髭の親分と子分たち。

 密かに会話しているつもりなのかもしれないが、はっきり言ってこちらにも丸聞こえである。なんとも緊張感のない連中だ。

 それは稼ぎも少ないだろうなあとソラも呆れるほどである。


「あの~……」


「お、おう。観念したか?」


 彼らの会話が稼いだ金で何をするのかという話にまで及び始めたので、面倒になったソラが声をかけると野盗たちはハッと我に返ったのだった。

 

 髭の親分がコホンとわざとらしく咳をして仕切り直す。


「まあ、俺たちもおめえらみたいなガキをどうこうするほど腐っちゃいねえ。悪いことは言わねえから――」


「――悪いことは言わないから、とっとと失せろ。今ならまだ許してやる」


 こちらを懐柔しようとしたのか、若干穏やかな口調で語りかけてきた髭の親分を遮るようにアイラが一歩前に出ながら言い放つと、野盗たちは最初何を言われたのか理解できなかったようだが、徐々にその言葉の意味を悟ったらしく大笑いし始めた。


「だ~~~はっはっは!!」


「威勢のいい姉ちゃんだな!!」


「自分の立場が分かってんのか!! おう!?」


 腹を抱える彼らを見てアイラの瞳が冷たく研ぎ澄まされていく。

 今にも盗賊たちの中に突っ込みそうな気配だ。

 

 しかし、アイラの手がゆっくりと腰の双剣に伸びるよりも早くソラはそっと彼女を押し留めたのだった。


「お嬢様」


「アイラ。いちいち相手をしていたら時間がかかる。私がやるから、もし撃ち漏らしたらそのときはお願い」


 ソラは静かに告げる。

 アイラの腕ならこの程度の連中が何人いようと問題ないだろうが、ただぼんやりと眺めているだけでは何のために冒険者資格を取ったのか分からない。こちらも遊び半分でやっているわけではないのだ。

 ここはあくまでチームで動くべきだろう。


「そうだよ、アイラ。ただでさえ時間が押しててお腹も減ってるってのに。ちゃっちゃと終わらせて行こうよ」


 マリナもお腹を押さえながら気楽に言うと、黙って聞いていた野盗たちが一気に険悪な雰囲気になった。


「おい、小娘!! 何が『ちゃっちゃ』とだ、コラ!? 人が甘い顔してりゃ調子に乗り腐りやがって!!」


「……お姉ちゃん。あのひげもじゃのオッサンは私にやらせて」


 髭の親分に小娘呼ばわりされたマリナもムッとした表情になってぽつりと言う。

 もはややる気満々のようだ。


 ソラは仕方ないと思いつつ急速に集中力を高め始めた。

 徐々に世界が切り替わっていく。

 魔導を放つにはまず世界との一体化が必要なのだ。


 次に身体の奥で練られた魔力を体外へと放出し、空中で自在にコントロールして意味のある形へと整える。

 それは二重円の内に幾何学模様がいくつも重なり合ったような複雑な図形へと変化していった。

 規則的に構成されている部分もあれば、知識のない人間からすれば子供のお絵かきとしか思えない意味不明な部分もあっただろう。他にも楔文字にも似たものも散見された。

 これは魔導紋と呼ばれる魔導の設計書なのだった。

 

 ――属性及び術式を決定。

 ――効果範囲を設定。

 ――威力を調整。

 ――制御は問題なし。


 魔導紋を高速かつ流麗に仕上げたソラは周辺の気配を探ってみる。

 どうやら伏兵の類は皆無のようだ。

 普通は万が一に備えて何人か潜伏させておくものだが、こちらが女子供ばかりと侮ったか、それとも初めからそのような考えがないのかは知らないが、なんとも不用心な連中であった。


 準備が整ったソラがフードの奥から前を見据えると、いきり立った野盗たちが包囲を狭めてきた。

 髭の親分が怒りに頬を紅潮させながら口を開く。


「おい、おめえら。謝るなら今のうちだぜ? じゃねえと、こいつらがどんな酷いことをしでかすか分からねえぞ。俺らは目的のためなら女子供だろうが容赦はしねえ悪逆非道の盗賊団なんだからよう!!」


 そう怖い顔で恫喝するように大声を出した親分だったが、アイラのむき出しの太腿を見て「でへへ」とだらしなく頬を緩ませた。

 アイラの眉がぎゅるんと吊り上がる。


 ソラはなんだかなあと思いつつキッパリと答える。


「――断る。あなたたちに謝る理由も必要もない」


「……あ?」 


 ソラの返答に髭の親分はポカンと一瞬間の抜けた表情をしたが、すぐに顔を赤黒くし、辺りに唾を撒き散らしながら叫んだのだった。


「……お前らあっ!! この小娘どもにいっちょ世間の厳しさってものを教えてやれえっ!!」


『おおおおおおおおおっっっ!!!』


 親分の指示に呼応し、雄叫びを上げた野盗たちが全方位から一斉に飛び掛ってくる。

 

 同時にソラも用意していた魔導を発動させた。


「――<雷撃ライトニング>」


 そう呟いた瞬間、突如ソラの足元に青白い電流が発生したのだ。

 

 その電流はソラたちに当たることなく、いくつもの筋となって放射状に地面を舐めるように高速で広がっていったかと思うと、こちらに迫っていた野盗たちに直撃したのだった。


『――ひぎゃあああっ!?』


 あちこちから聞こえてくる悲鳴と火花の音。

 盗賊たちは身体からうっすらと煙を上げながらバタバタと倒れていった。


「お、おめえら!?」


 自分以外があっさりと倒されたのを目の当たりにしてうろたえる髭の親分。

 それからソラの方を向いて、


「お、お前、魔導士だったのか!!」


 と、おもいっきりどもりながら叫んだのだった。


 ソラは涼しい顔で肩をすくめる。

 女子供だけで歩いていた理由を考えなかったのだろうかと。

 

 今のは<風>属性の中級魔導、<雷撃ライトニング>。 

 本来は空中に放電して標的を撃つ魔導だが、少しばかりアレンジを加えて地面を流れるようにし、髭の親分以外の盗賊たちを感電させたのだ。

 時速二百キロ近い速度が出ているので、盗賊程度では咄嗟に回避するのは困難だろう。

 威力は抑えてあるので死ぬことはないはずだが。


「ありがと、お姉ちゃん」


 マリナが髭の親分にしっかりと視線を固定しながらお礼の言葉を口にした。

 ただひとり無事だった親分だがもちろん偶然ではない。

 ソラがマリナの要望に応え、彼だけ避けるように制御したのである。


 マリナはローブの前を開くと腰に下げていた剣をゆっくりと引き抜いた。

 とても十二の少女が扱えるとは思えない肉厚のある重そうな長剣である。 


 その様子を脂汗を流しながら見ていた髭の親分はわたわたと焦りながら背中に背負っていた斧を構え、


「ち、ちっくしょう!! こうなったら、とことんやったらあ!!」


 半ばヤケっぱちになりながら叫ぶ。


 もっとも諦めたようには全然見えない。

 内心ではこの場をどう切り抜けるか必死に策を練っているのが丸分かりである。

 

 おそらく、魔導士だと判明しているソラと明らかに気配の違うアイラを避け、今から向かってくる見た目はただの少女にしか見えないマリナを人質にでも取ろうと考えているのだろう。

 

 しかし、髭の親分の目論見はあっさりと潰えることになるのだった。


 剣を肩に担いだマリナがぐぐっと力を溜めるように足腰を沈ませたかと思うと、次の瞬間地面が陥没するような爆音を響かせながら一気に相手との距離を詰めたのだ。

 

「な、あ――!?」


 驚愕の表情で硬直する髭の親分。

 彼からすればまさに一瞬の出来事――それこそ瞬間移動のように見えただろう。


 瞬きする間に敵の懐へと入り込んだマリナと髭の親分との視線が至近距離で合う。 

 マリナが可憐に微笑むと、親分は気の毒なくらいに顔を引きつらせた。


「――う、うおおおっ!!」

 

 それでも咄嗟に斧を振り上げた親分だったが、それよりも早くマリナは剣をすくい上げるようにして弾き飛ばした。

 クルクルとあさっての方向に飛んでいく斧。


 それを茫然と目で追っていた髭の親分だったが、マリナが剣の柄を鳩尾に叩き込んであえなく気絶する。

 こうして勝負が始まって一分と経たずに盗賊団は全滅したのであった。

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