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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと傭兵の少女
38/132

第8話

三の鐘=午後三時。そのまんまです。

 ソラはエルシオン・シンフォニー・ホ-ルから少し離れた公園の中に佇んでいた。すぐ側にはマリナとアイラがいる。

 公園は閑散としており静寂に満ちていて、周囲にも人の気配は全くない。

 街の混乱は着実に収束しており、人々の避難も完了しつつあるのだろう。

 ソラは公園の真ん中で静かに突っ立って目を瞑っているように見えたが、その髪は蒼く染まっており、風も無いのに空中で優雅に舞っていた。

 現在ソラは意識を拡大させてホールの内部を視ているのだった。

 ホールから公園までは百メートル以上離れているが、ソラにとっては容易いことである。

 ソラは内部の状況を少しずつ読み取っていく。

 一階外縁部の通路には二十人ほどの武装したテロリストたちが等間隔ごとに配置されており、その近くには爆薬が入った箱が置かれていた。彼らは周囲を取り囲んでいる魔導騎士たちや憲兵たちと睨み合っている。

 ホールには千人近い人質たちが三つのグループに分けて座らされていた。演奏していた子供たちに魔導士たち、そしてその他の観客たちという配分のようだ。それぞれ周りに数人ずつの見張りがつけられている。 

 魔導士たちのグループの中に無事な様子のマリアとトーマスの姿を発見してソラは安堵した。

 中央にあるステージ上には全身を鎧で覆った男がひとりいるだけだった。彼がアイラの言っていたリーダーのガレスとかいう男なのだろう。詳しいことは知らないらしいが、その男は『魔導士殺し』という二つ名を持っているらしい。なんとも大層な名である。

 二階の多目的ホールを探ってみると、テロリストたちの通告どおり大量の爆薬が全てのテーブルの下に置かれていた。中央には起爆役らしい二人の男が控えている。

 後はアイラの推測を確かめるべく、ソラは地下に意識を向けてみる。

 すると、彼女の言っていたとおり、地下保管庫と建物の下を通っている地下通路とが繋がっている様子を確認できた。

 アイラの話によれば、連中は時間をかけてエルシオンの下層にある古代の遺跡を利用して地下通路を張り巡らせていたらしい。これで連中の侵入経路が判明した。

 必要な情報が一通り集まったのでソラは視るのを止めた。普段無意識下で行っている暗示に似た制御を己に施す。拡大していた意識が徐々に狭まっていき、緩やかに舞っていた髪が元の色を取り戻していった。 

 ソラは普段どおりに戻り息をひとつ吐くと、突然目眩を覚えて足元をふらつかせた。

 マリナとアイラが慌ててソラを両側から支える。


「大丈夫、お姉ちゃんっ!?」


「……うん。大丈夫。それよりも内部の状況が分かったよ」


 ソラは軽く笑うと、大丈夫とばかりに自分の足で立って見せた。

 正直に言えば粘つくような疲労がある。頭も重い。これは能力を使ったことによる代償なのだ。

 ソラは生まれつきある特殊な能力を持っていた。体質と言った方がいいかもしれない。

 ソラは本来不可能だと言われている世界との百パーセント同調ができるのだ。

 その力のおかげで、直径百メートルほどもある施設の細かな情報を入手することができたのだ。

 だが、この能力の使用には大きなリスクを伴う。

 できるだけ絞り込んで視るようにしていたが、それでも勝手に大量の情報がソラの頭を埋め尽くさんと流れ込み、意識を徐々に侵食していたのだ。放っておけば、そのまま世界に溶けて消えていくだろう。

 <完全同調者>。この体質はそう呼ばれていた。

 もし、自在にその能力を使いこなすことができたなら、ソラは無敵に近い存在になるだろう。

 しかし、人間がその能力を制御するのは至難の業だ。ソラも機会を見て少しずつ訓練しているが、そう簡単に制御できるようになるなら苦労はしない。

 これは魔法の力。神に準じる奇蹟の能力なのだから。


「君はいったい……」

 

 アイラが唖然とした表情でソラを見つめていた。

 ソラは何も語らなかった。あちこちに言いふらせるような話ではない。この事を知っているのは妹をはじめとした一部の人間だけだ。

 この先、縁があればアイラに話せる日も来るかもしれない。

 ソラは二人を促してコンサート・ホールへと走る。

 今はすぐ目の前に迫っている惨劇を回避しなければならないのだ。

 ソラたちがコンサート・ホール正面へ到着すると、そこには無残な光景が広がっていた。

 きれいに整備されていたコンサート・ホールの周辺はあちこちが抉れて瓦礫が散らばっていた。テロリストたちが外の警備を排除するために、配置していた爆薬を使用した跡だろう。

 コンサート・ホールの周囲には多くの武装した人間がひしめいていて物々しい雰囲気を放っていた。

 ソラはその中に魔導騎士団三番隊隊長エドガー・ランズベルトの姿を発見した。彼も祖父ウィリアムの薫陶を受けた人間でソラやマリナとも面識がある。彼が全体の指揮を執っているはずだ。側にはキースとスベンの姿も見える。

 ソラたちがエドガーに近づいていくと、あちらもソラたちに気づいたようだった。

 すると、エドガーは猛然とソラたちに詰め寄ってきた。


「――ソラお嬢様! マリナお嬢様! なぜここに!? それよりもキースたちから話は聞きましたぞ! 魔導炉では無茶をなさったそうですな!」


 なにやらいきなり怒られた。

 エドガーの背後ではキースが片目をつぶりスベンが目礼していた。

 周囲の人間たちも涼しげな格好をした明らかに場違いなソラたちを見てざわついていた。

 エドガーがそのまま説教でも始めそうな雰囲気なのでソラは遮るように質問する。


「それよりも、状況はどうなっていますか?」


 あからさまに話を変えたソラを見てエドガーはむうと唸ったが、叱っていても意味が無いと思い直したらしく渋々と話し出した。


「……依然、膠着状態です。ホール内部もそうですが、外縁の通路にも爆薬が多数配置されていて迂闊に手が出せません。それから魔導炉の件ですが、お嬢様たちの機転によりなんとか水際で防ぐことができました。テロリストのほとんどが自害したようですが」


 ソラはそれを聞いてほっとした。魔導炉は三基とも守られたのだ。

 しかし、マリナが眉を曇らせながら言った。


「……でも、お母さんたちはまだあそこに捕らえられたままだもんね」


「……ご心中お察しします。ですが、ご安心ください。エルシオンの混乱が収まりつつあり戦力を集中する環境が整えられてきています。国がテロリストたちの要求を呑む可能性は低いでしょうが、すでに議会が国防軍の投入を決定しました。しばらくすれば大規模な作戦が実行され、極力犠牲を抑えながら連中を駆逐できるはずです。奴らはエレミアを敵にまわしたことを後悔することでしょう」


 エドガ-はマリナを慰めるように言ったが、ソラは首を横に振った。


「それでは間に合いません」


「……それは、どういうことですかな?」


 エドガーが怪訝な顔をする。

 ソラは静かにエドガ-の目を見ながら語った。


「やつらの仲間のひとりが喋りました。作戦の成否に関わらず、三の鐘が鳴るのと同時にコンサート・ホールの爆破を行うと」


「なっ……!!」


 エドガ-をはじめとして、周りで聞いていた人間たち全員が驚愕した。


「もう、十分もないじゃないですか……!?」


 スベンが悲鳴じみた声を出した。

 さしものエドガーも絶句しており、目を見開いてソラを見つめている。

 突然もたらされた致命的ともいえる情報に周囲が騒然としていた。

 ソラは意識して殊更落ち着いた口調で話しはじめた。


「そこで聞いてほしいんです。私に事態を解決する案があります。それには皆さんの協力が要ります」


 そのソラの言葉を聞いて、エドガーがはっとした表情をする。


「い、いけませんぞ! また何か無茶をなさるおつもりですな!? 魔導炉の件ではもう何も言いますまい。実際、お嬢様方の行動により多くの人間が救われたのですから。しかし、今回ばかりは認めらませんぞ。危険度が違いすぎます! ウィリアム様もなんと言われるか……!」


「……出過ぎた真似をしているのは重々承知しています。ですが、私なら最大の障害である二階に設置された爆薬を一瞬で無力化できます」


 エドガーはそんなことが可能なのかとやや驚いたようだったが、やがてぽつりと言った。


「……それなら、なにもお嬢様でなくとも『銀の鈴』の魔導士でもよいはずです」


 エドガーはエレミアにおける最エリートの魔導士集団の名前をあげた。確かに彼らの中には二階の爆薬を速やかに無力化できる者もいるだろう。

 しかし、ソラは再度首を横に振る。


「今から彼らを呼び集めて、一から作戦を組み立てている余裕はないですよ。私たちがこれから行動を起こすにしてもぎりぎりなんです」


「ですが……」


 エドガーは眉間にしわを寄せて低い声で唸る。

 ソラとしてもその気持ちは分からないでもない。エーデルベルグ家の人間とはいえ基本的には民間人のソラたちを作戦に参加させる、しかも最も危険な役目を負わせることなど到底認められないだろう。とはいえ、切羽詰った状況であり、この場にある戦力で解決しなければならないのも確かなのだ。

 エドガーは激しい葛藤を抱えているようだったがあいにくと時間がない。タイムリミットが刻一刻と近づいているのだ。

 ソラは軽く息を吸い、エドガーを睨みつけるようにして声を張り上げた。


「エドガー!! 迷っている暇はありません! 今、私たちが動かなければ、中にいる人質はみんな死ぬんです! 覚悟を決めなさい!!」


 その小さな体のどこから出ているのかというような大声が隅々にまでびりびりと響く。

 辺りでざわめいていた人間たちが静まり返り、皆一様に白髪の少女へと視線を送る。

 ソラの姿と声には、とても十一歳の女の子のものとは思えないほどの迫力があった。

 すると、すぐ目の前で聞いていたエドガーはまるで威に打たれかのように頭を下げ、


「……は、ははっー!!」


 と、どこかの御老公を前にした下っ端のように、冷や汗をかきながら頭を下げたのだった。



 ※※※



 ソラがエドガーを説き伏せてからわずか数分後、さっそく作戦が開始されることになった。 

 現在ソラたちは建物の上空百メートル地点に浮かんでいる。

 メンバーはソラのほかに、マリナ、アイラ、キースにスベンの五人である。あまり多いと動きづらく敵に察知されるおそれもあるのでこの人数だ。

 作戦といってもそんなに複雑なものではない。

 まず、エドガー率いる魔導騎士団と憲兵団とでホール外縁の通路にいるテロリストたちへと一斉に仕掛ける。 

 エドガーたちにはテロリストたちを引きつけてもらい、可能ならばそのまま制圧して施設内になだれこんでもらう。

 ソラたちはエドガーたちが行動を開始するのと同時に上空から天井を突き破って侵入し、ソラの魔導により二階の多目的ホ-ルにある爆薬を無力化し、続けて一階にまで降りてテロリストたちを一気に叩く。

 ここもソラの魔導を使えば何人かの敵を行動不能にできるはずだ。

 この二方向からの電撃的な作戦でテロリストたちを混乱させ、人質へ危害を与える暇を与えずに勝負を決めるのだ。かなり困難だが失敗は許されない。


「それじゃあ、行こうか」


 ソラの台詞に皆が頷いた。

 マリナが<風>の結界を制御してゆっくりと降下していく。同時にソラも膨大な魔力を練りはじめた。

 すると、ホール周辺で鬨の声があがりはじめた。エドガーたちが行動を開始したようだ。


「キース!」


「お任せを!」


 ソラが声をかけると、キースも魔導を構築しはじめた。

 数秒とかからずにキースが手の平を天井へと向ける。


「<風衝弾ウインドボム>!」


 キースの放った<風>の衝撃が込められた弾は施設天井の中央部をぶち抜き、さらに一階ホールの天井まで貫通した。もちろん、爆薬に当たらないよう配慮してある。事前に内部の情報を把握していたソラが場所を指示していたのだ。

 この役目はマリナでもよかったのだが、妹は大雑把な上に威力の調整に難があるのでキースに任せることにしたのである。

 ソラたちは開いた穴から施設内へと侵入する。

 二階を見下ろすと、一階にまで貫通している穴を茫然と眺めている二人の男がいた。起爆役の男たちだ。

 ソラは即座に準備していた魔導を発動させた。強大な魔導が解き放たれる。


「<絶対零度アブソリュート・ゼロ>!」


 ソラがそう力強く言った瞬間、二階は一瞬にして真っ白な氷の世界と化した。

 大量の爆薬が氷の中に閉じ込められる。


「な……っ!?」


 二人の男が突然のことに驚愕して、今更ながらに上空にいるソラたちを見上げた。

 彼らにはわずかに霜が降りているくらいである。ソラが苦労して制御し、彼らを魔導の標的から外したのだ。

 隣で見ていたスベンも、ソラが最上級魔導を駆使したことに驚いていたようだったが、すぐに結界から抜け出てキースとともに呆けているテロリストたちへと走った。

 テロリストの二人が慌てて迎撃するが、キースたちならあっというまに勝負を決めるだろう。

 ソラたち三人は二階で始まった戦闘を横目にそのまま一階にまで降りていった。

 穴をくぐると半円状の形をした薄暗いホ-ルが姿を現し、多くの人間の視線がソラたちに集中していた。

 三人の足元には、穴の開いた天井から差し込んできている日差しにより、白くて丸い光の輪ができている。まるでスポットライトのようだ。

 大勢の人間が見守る中、マリナが結界を制御して高度を下げていく。

 光の柱のごとき日差しの中、ソラは背後にマリナとアイラを従え、純白の髪をきらめかせながらゆったりとステ-ジへ降り立ったのだった。






 しばらくの間、ホール内は静寂に包まれていた。

 テロリストたちを含め、誰もが唐突に現れた三人の少女を茫然と眺めているようだった。

 もっとも、ソラたちには彼らが正気を取り戻すのを待ってやる義理などない。

 敵を速攻で戦闘不能にしたキースとスベンが背後に降り立つのを確認したソラは新たな魔導を行使する。

 瞬間、ソラの足元から何本もの電流の筋が高速でテロリストたちへと広がっていった。アイラ戦でも使った<電撃ライトニング>だ。<絶対零度アブソリュート・ゼロ>を発動させた後、すぐにまた準備しておいたのだ。

 観客席を隠れ蓑にするように走った青い電流はテロリストたちの大半に直撃した。


「「「――があっ!?」」」


 身体を痙攣させながら、その場にバタバタと倒れるテロリストたち。

 しかし、何人かは咄嗟に避けたようだった。

 さすがに一網打尽にはできなかったようだが、これは予想済みである。

 ソラ以外の四人が弾かれたように走り出し、まだ健在なテロリストたちとの距離を詰めて人質との間に割り込んだのだ。


「……ちいっ! くそがっ!!」


 不良じみた雰囲気のテロリストが悪態をついている。

 マリナたちとテロリストたちがお互いに睨み合う。

 すると、遠くから声が聞こえてきた。


「ソラちゃん!! マリナちゃん!!」

 

「ソ、ソラ!? マリナもどうしてここに!!」


 観客席の方にちらりと目線を向けるとマリアとトーマスが突っ立っていた。

 よほど驚いたらしく二人揃ってきれいに固まっている。娘たちが突然テロの現場に現れればそうなるのも無理はないだろうが。

 だが、ソラには両親に返答している余裕はないのだ。ステージの隅に改めて視線を向ける。

 そこには膝をついたままソラを険しい顔で見ている男がいた。テロリストたちのリーダーであるガレスである。

 あわよくばキースが放った魔導に当たってくれればラッキーだと思っていたが、直前で避けたらしい。

 こうして間近で見てみるとガレスは凄まじい威圧感を放っており、百戦錬磨の傭兵たちの長を務めているだけはあった。少しでも気を抜けば、その瞬間に殺されるだろうと確信できるほどである。

 無駄だろうと思いつつもソラはガレスに話しかけた。


「魔導炉は三基とも無事ですよ。アイラの妹たちも無事に保護したし、二階にあった爆薬も無力化しました。あなた方が地下通路から侵入したことも分かっています。外にいるあなたの仲間たちもじきに制圧されるでしょう。後はあなたを含めた数人を打倒するだけです。……降参してくれませんか?」


「…………」

 

 ガレスはしばらく無言で押し黙っていたが、ゆっくりと立ち上る。

 そして、ちらりとアイラを見ながら口を開いた。


「……なるほどな。アイラがいる時点で魔導炉は失敗したのだと思ったよ。これといった異変も確認できなかったしな。だが――」


 ガレスはソラを射抜くように見た。


「――このような大胆な作戦を立ててくるとは思わなかった。二階の爆薬が一瞬で無力化されることも。なにより、たった数人でのり込んでくるとはな。……まさか、君がすべてを考えたというのか?」


 ソラは何も答えなかったが、ガレスも返答を期待していたわけではないようだった。


「……まあいい。いずれにしろ作戦は失敗しつつあり、我々も進退窮まったというわけだ。……ならば、まずはおまえを斬り殺し、その後はこの命が尽きるまで戦い続け、できるだけ多くの魔導士どもを道連れにするまでだ」


 そう言って、ガレスは腰から長剣をずらりと抜き放ったのだった。






 マリナは背後に人質たちをかばいつつ剣を構えて向かいのテロリストと対峙していた。

 ちなみに、憲兵から借りた剣をそのまま使っている。

 ほかの様子を見てみると、ステージ上も含めていい塩梅あんばいに五対五になっているようだった。すでに何組かは戦闘を開始している。

 マリナは目の前のテロリストを観察する。

 その男はとにかく大きく、身長は二メートル以上ありそうだ。頭が禿げ上がっており、なんともおっかない顔だちをしている。小さな子供が見たらそれだけで泣き出しそうな容姿である。

 しかし、外見はともかく、この男が相当な実力をもった戦士であることが理解できた。手に持った巨大な戦斧は見た目からして凶悪なことこの上ない。


(さて、どう攻めようかな)


 マリナは間合いを計りながら考える。

 すると、背後から複数の人間が動き出す気配を感じた。どうやら二階の爆薬が無力化されたことを理解し、さらにテロリストたちが追い詰められているのを見て、急いで逃げ出そうとでも考えたらしかった。

 マリナは敵を睨みつけたまま良く徹る声で叫ぶ。


「……動かないで!!」


 短く鋭い声がホール中に響くと、彼らはぴたりと動きを止めた。

 マリナはゆっくりと語りかけるように喋る。


「……外は激しい戦闘の真っ最中だから安全が確認できるまでは大人しくしてて。あなたたちには絶対に指一本触れさせないから」


 どうやらその言葉を理解してくれたらしく、もう動き出そうとする人間はいないようだった。

 マリナは小さく安堵の息を吐き出すと向かいの男に話しかけた。


「あたしはマリナっていうの。あなたは?」


「…………」


 だが、禿頭の男は何も喋らなかった。口を固く結んで戦斧を構えるのみ。


「ありゃ、無口な人なのかな?」


 マリナは苦笑して、こちらも剣を構え直す。確かに無駄口だったかもしれないと思う。

 禿頭の男は気合の声を発することもなく、存外に素早い動きでマリナに肉薄してきた。

 巨大な戦斧が唸りをあげて一気に打ち下ろされる。直撃すれば確実にマリナは骨ごと真っ二つにされるだろう。

 マリナはひょいっと横に跳んでかわした。凄まじい風が金髪を激しく揺らす。


(……これは、思った以上の威力だね)


 とても正面から受ける気にはなれない。ただでさえ今使っている剣はマリナが普段愛用している武器よりも硬度がはるかに劣るのだから。

 その後も禿頭の男が巨体をぞんぶんに生かした重い一撃を繰り出し、マリナが体格差を利用して避け続けるという光景がしばらく続いた。


「マ、マリナっ!!」


 背後でト-マスがはらはらした声をあげている。

 マリナが避けざまにちらりと視線を送るとト-マスの顔は真っ白で今にも卒倒しそうであった。隣にいるマリアもさすがに顔が強張っている。

 自分の娘が倍近くもある大男と際どい接近戦を繰り広げていれば、まともな神経の親ならば気絶のひとつでもしたくなろうというものだ。

 それでもマリナは器用に避け続けていた。加えて相手の動きを読んでもいた。とても十歳の少女とは思えない冷静さと体捌きである。

 目の前で巧みに戦斧を振り回す禿頭の男も少々面食らっているようだった。

 この年齢でこれだけの実力を持ちえたのは、才能、師、環境の全てが揃っていたからだろう。

 マリナは体の動かし方や剣術を元魔導騎士団団長の祖父ウィリアムと伝説の冒険者である祖母ウェンディから直に習っているのだ。ある意味、最高の英才教育を受けていると言っても過言ではない。

 すると、禿頭の男は業を煮やしたのか、戦斧をマリナではなく、近くにあった客席に向けて横向きにスイングさせた。

 地面にボトルで固定されていた客席はあっけなく弾き飛ばされる。

 高速でマリナへと向かって。


「!」


 すんでのところでマリナは回転しながら飛んできた客席をかわした。

 しかし、体勢がわずかに崩れる。

 禿頭の男はその隙を見逃さずに、これまでで最速の動きを見せて一気に距離を詰めてきた。

 大質量の斧が動きを止めているマリナの頭上へ振り下ろされる。

 強引に身体を捻って避けれなくもないが、いずれにしろその次でチェックメイトだろう。

 マリナは仕方なく自身の剣で受けとめることにした。剣を頭上に構える。

 それを見ていた誰もが無謀だと思ったことだろう。あの剣がどんな業物だったとしても体重差がありすぎる。到底受けきれるものではない。

 禿頭の男もそう思ったのか、勝利を確信したかのように唇の端がかすかに上がる。

 背後からいくつもの悲鳴が聞こえてきた。

 刹那、二人の武器がぶつかりあい、鼓膜に痛みを覚えるほどの甲高い音が鳴り響き多くの火花が散った。


「…………!!」


 すると、禿頭の男は驚愕したかのように目を見開いたのだった。

 ようやく人間らしい表情を見ることができたとマリナは内心で笑う。

 マリナは禿頭の男が放った一撃をなんなく受け止めてみせたのだ。

 周囲で見ていた人間が皆揃ってあんぐりと口を開けていた。

 華奢な少女が構えた剣と大男の巨大な戦斧とが拮抗している。このような光景を見せられれば当然だろうが。

 マリナはぐぐっと剣を持ち上げて一気に押し返す。

 少しよろけて何歩か後退する禿頭の男。精神的にもいくらかダメージを受けたようである。百戦錬磨の傭兵といえど、さすがに初めての体験だったに違いない。

 マリナの剣にはよく見れば淡い光が纏わりついていた。

 これこそが、絶望的な体重差や腕力を補って攻撃を受けきってみせた理由だ。前世では覆せなくてもこの世界にはそれを可能とする力がある。

 体内の魔力を操る内気魔導と呼ばれる技術である。

 マリナは自身の剣に魔力を注ぐことで強烈な一撃を防いだのだ。

 禿頭の男はいまだに驚愕したままであった。

 あれだけの攻撃を受けられるだけの魔力を集中させることなど普通はできないからだろう。禿頭の男とて<内気>を纏わせていたのだから尚更である。

 つまり、目の前の少女がすでに一流の内気魔導の使い手であることを意味しているのだから。

 マリナは驚いたままの禿頭の男を見据えつつ、気息を整えてカッと目を見開いた。

 その瞬間、マリナの身体から膨大な魔力のオーラが湧き出て全身を覆った。その魔力はまるで海のように深い紺色だった。 

 禿頭の男が圧倒的な魔力の波動を浴びて後じさる。

 マリナは金髪を揺らしながら膨大な魔力を徐々に剣に込めはじめる。

 ぞっとするような魔力が注がれていき、強大な力の集中に剣が悲鳴をあげるように軋んだ。

 準備を整えたマリナはゆらりと足を踏み出し、爆発的な速度で禿頭の男に向かって跳躍した。

 禿頭の男が必死な顔で受けようとする。

 しかし、マリナの光を纏った剣が戦斧をあっさりと真っ二つに両断し、その分厚い鎧に大きな傷を刻み込んで吹き飛ばしたのだった。


「…………っ!!」


 観客席をいくつも薙ぎ倒して、禿頭の男はようやく止まった。

 それと同時にマリナが持っていた剣が粉々に砕ける。


「あ、やっぱり耐えられなかったか」


 マリナは手元に残った柄を見つめた。 

 魔力を込めればあの禿頭の男とも正面から十分に渡り合うことができるのだ。だが、この剣では数合打ち合っただけでマリナの強力な魔力に耐えられず自壊してしまう。だから、剣が壊れることを覚悟して一撃で決着をつけにいったのだ。

 マリナは柄を捨てて禿頭の男へと慎重に近づいていった。まだ戦いは終わっていない。

 禿頭の男は苦しそうに咳き込みながらもまだ生きていた。マリナも彼が死なないように苦手な力の加減をなんとか調整したのだ。

 もう数歩というところまでマリナが近づくと、禿頭の男が顔を上げて喋りかけてきた。

 初めて聞いたその声は渋くて落ち着いた声だった。


「……マリナといったか。大したものだ。このゴルドーを吹き飛ばすとはな。……最後におまえのような強者と戦えたことに感謝する」


 ゴルドーと名乗った男はそう言うとおもむろに奥歯を強く噛み締めた。がりっという音がマリナにまで聞こえてくる。

 マリナが止める間もなく、ゴルドーは口から血を吐き出して息絶えた。即効性の毒でもしこんでいたのだろう。

 二度も目の前で自決されたマリナは歩みを止めてうつむき、しばらくしてからぽつりと言った。


「……なんで、あんたたちは、そんな風に命を粗末にするの……」


 マリナは唇を噛み締めて立ち尽くしたのだった。

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