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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと傭兵の少女
34/132

第4話

 その日、ソラ・エーデルベルグは白い髪を揺らしながらエルシオンのとある大通りを歩いていた。

 ソラは真っ白なワンピースに、頭には青い花がアクセントとして飾られているつばの広い帽子をかぶっていた。足には品のいいサンダルを履いていて、避暑地にでも遊びに来た令嬢のごとき涼しげな姿であった。

 隣には同じく涼しげでおしゃれな格好をした金髪の女の子がいた。いわずもがな妹のマリナである。

 この二人は明らかに一般人ではない雰囲気を発散しており、通りでもやたらと目立っていた。

 とはいえ、この二人が何者なのかはほとんどの者が分からなかっただろうが。

 すれ違った若い男性がソラたちを不思議そうに見ていた。

 それも仕方のないことだろうとソラは思った。

 ソラとマリナはまだ十歳ほどの少女で、見た目からしても上流階級の人間であることが分かる。なのに、護衛や付き人もつけずに街中を歩いていればおかしいと思うだろう。

 当然、家族もソラたちがお供もつけずに出歩くことには基本的には反対であったが、ソラが仰々しいのを嫌うことを知っていたので渋々認めているのであった。

 この件に関してはエーデルベルグ家当主の祖父ウィリアムがソラたちを信頼して、ここ最近のことではあるが許可を出してくれていた。

 もっとも、いつも二人で行動しているわけではなく、大抵は専属メイドが付き添っている。

 ソラは強い日差しを避けるように帽子を深めにかぶり直した。現在はお昼前なので、これからさらに強くなるだろう。

 エルシオンがある中央大陸中央部は初夏に入りぐんと気温が上がってきている。日本ほど湿度が高くないので比較的過ごしやすくはあるのだが。

 メイドたちが用意してくれたこの服装は、ソラ的には認めたくないところではあるがベストと言えた。

 袖や足元から風が入り込んできて非常に涼しい。スカートにはまだ違和感を覚えるが、慣れてくればこれはこれで楽だと思わないでもない。

 楽しそうに鼻歌を唄いながら軽やかに歩いてたマリナがソラへ顔を向けた。


「こうやって、二人で出かけるのは久しぶりだね、お姉ちゃん。それにしても、今から楽しみだよ。今のうちにたくさん歩いてお腹を空かせとかないと」


「……ほどほどにしときなさいよ。また、前みたいにお腹を壊さないようにね」


 ソラは憮然として妹に答える。

 二人は休日を利用してとある店に昼食をとりに出かけているところなのだが、以前、マリナがデザートを詰め込みすぎてお腹を壊すという子供みたいな失態を犯していたのである。

 そのとき、当然のごとくソラが迷惑を被っていたのだった。

 マリナは反省しているのか微妙な態度で、「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と適当に返答していた。

 はっきり言って、かなり不安である。

 マリナは弾むような足取りで辺りを眺めながら歩いていた。よほど楽しみらしい。

 くだんの店はエーデルベルグ家の屋敷から歩いて三十分ほどとそこそこの距離がある。

 だが、散歩がてら街を歩くのがソラの日課のようなものであり、どこにでも馬車で移動することを好まないので、現在こうして妹と一緒に歩いているのだった。

 ただ、ひとつ気に食わないのが、ソラたちが人々の注目を集めることなのだ。

 ソラは己の服装を見下ろした。シンプルな出で立ちではある。

 前世が男であるところのソラは女の子っぽい服装には抵抗があり、普段から男女兼用ユニセックスの服を好んで着ている。

 しかし、エレミアでは十歳ほどから本格的に社交界へデビューするのが慣例ということもあり、去年からこのような服を着せられはじめているのだ。

 ソラは腰辺りにまで伸びてきている長い髪を見つめる。

 もちろん、これもソラの嗜好によるものではない。

 元々はマリナと同じくらいのセミショートだったのだ。

 これまではソラが東方武術の修行に邪魔だという理由で長く伸ばすのを断っていたのだが、去年、修行がひと段落すると、手ぐすねを引いて待っていた母のマリアによって半ば強制的に伸ばされているのだった。

 しかし、妹は今までと同じ髪型なので納得がいかず、母に文句を言ってみたものの、『マリナちゃんにはあれくらいがちょうどいいのよ~』などと言ってソラの追及をあっさりとかわしていた。

 確かに活動的なマリナには似合っているけども、とソラはなんとなく理解はしたが、到底不満は収まらなかったので、自分だけこんなに伸ばしたくないと駄々をこねてみたが、結局、母の無言の圧力に屈したのであった。


(この白い髪が注目を集めるんだよなあ)


 と、ソラは己の肩にかかっている髪をつまんだ。せめて短ければよいのだが。

 国際都市エルシオンにおいても珍しい純白の髪。稀にエーデルベルグ家の女性に発現するらしい。

 基本的に地味をモットーとするソラには正直邪魔な代物なのだった。

 とはいえ、気にしすぎてもせっかくの散歩が楽しめないので、ソラは妹にならって辺りを見回した。

 人種の見本市のごとく様々な人間たちが闊歩しており、あらゆる種類の店が揃っている。この街で手に入らないものなどほとんどないだろう。

 ここは、ソラたちが育ったエレミア国の首都エルシオン。『魔導都市』の異名を持ち、人口百万人を数える世界最大級の都市。

 魔導技術の粋を集めた街であり、また中央大陸の交通の要衝でもある。ならば人が集まるのは自然な流れだろう。

 すると、前方からやかましい音をあげながら、全長十五メートルほどの鉄の塊が走ってきた。

 今やエルシオンの名物となりつつある魔導列車である。

 動力には魔導石から取り出される魔力を使用しているので、余計な排出物がなく実にクリーンなのだ。

 しかも、魔導石は時間が経てば魔力を再充填するという性質があるので非常に便利である。魔導石を要とした魔導技術が人々の生活に欠かせなくなるのも当然であった。

 マリナが目の前を通り過ぎる魔導列車を眺めながら言った。


「や~、この魔導列車も大好評だよね。安くてしかも速い! もうほとんど街の全域に配備されてるんでしょ?」


「うん。ほぼ完了したよ。街の外にまで路線を伸ばす計画もあるんだけど、魔物に荒らされる可能性もあるから、どうしようか今悩んでるんだよね」


 ソラはあごに手を当てて思案する。

 なぜ、ソラがそんなことを悩んでいるのか。

 魔導列車は、去年ソラとその他数人が立ち上げたナルカミ商会で作り出されたものだからである。

 ナルカミ商会は当初、物流を主に扱っていたのだが、いろいろな分野の事業に手を出したり、もしくは新たな技術開発に夢中になっているうちに爆発的に成長してしまったのだった。

 ちなみに、魔導列車が作られた理由は、エルシオンが巨大都市すぎて移動に時間がかかるからである。

 その広大な面積に加えて、人口がやたらと多いので、人やら馬車やらでたいへん混雑するのだ。

 平日の通学・通勤ラッシュは前世の大都市にも引けを取らないくらいである。

 なので、前世の路面電車を参考に作られたのだった。

 値段もリーズナブルであり、時間厳守の運行を心がけているので、街の住人にはかなり好評であった。

 ソラはぶつぶつと呟く。


「……でも、まだ音が大きいから、もう少し静粛性を高めないと。今度開発部で議論してみようかな」


「ほら、お姉ちゃん。ここで曲がるよ! 考え込んだら周りが見えなくなるんだから」


 マリナが思案したまま通り過ぎようとしたソラの手を掴んで、大通りから脇の路地へと入る。

 ソラたちが路地を抜けると、そこは先ほどよりも静かな道であった。

 その閑静な雰囲気にソラはほっとした。騒がしいところはあまり好きではないのだ。

 そのまま道を西へ進むと目的の二階建ての店が見えてきた。美味しそうな匂いがここまで漂ってくる。

 喫茶店『シエロ』。

 その名のとおり、コーヒーに紅茶をはじめとした飲み物に、菓子類や軽食などを提供している店である。

 昼食時にはその日限定のランチセットが出され、近場で働いている人間や住人などがよく利用しているのだ。

 ソラとマリナが店の前まで来ると、


「――ようこそ、お越しくださいました。ソラお嬢様。マリナお嬢様」


 シェフの格好をしたひとりの年配の男性がソラたちを迎えてくれたのだった。

 ソラは帽子をとりながら挨拶する。


「今日もお世話になります、パティスさん。マリナが新作のお菓子を食べたいとうるさいもので」


「あ~! ちょっとひどいよ。お姉ちゃんもひそかに楽しみにしてたくせに~!」


 ソラたちのやり取りにパティスと呼ばれた男性は微笑んだ。


「もちろん、すぐにご用意いたします。昼食の後でよろしいですか?」


「うん。まずはお腹を満たさないとね。お楽しみは最後にとっておくのが正解だよね!」


 マリナが金髪を揺らしながら、楽しみで仕方ないという表情で答える。

 とにかく妹はよく食べるのだ。ソラが呆れるほどご飯を食べたのにもかかわらず、その後にはこれまた大量のデザートをしっかりと平らげるのである。いったい、あの小さな身体のどこに入っているのかまことに不思議である。

 ソラが申し訳なさなそうに言った。


「……すみません。今回もせかしてしまったようで」


「そんなことはありませんよ。こちらも自分の幅を広げる良い機会だと捉えております。――それに、おふたりには本当に感謝しているのです。このような立派な店を持たせていただいただけでなく、重要な立場をも任せてもらっているのですから」


 パティスが深々と頭を下げた。

 この喫茶店『シエロ』はナルカミ商会の系列店だったりするのである。エルシオンに数店舗が出店しており、ここが一号店にして本店であった。

 パティスはもともとエルシオンで小さな喫茶店を営んでおり、オリジナルの菓子に手頃で美味しい食事を出していて、近所に住む女性を中心に人気があったのだ。

 しかし、経営の才能には恵まれず、しかも妥協ができない性格もあり赤字がかさんでいったのである。

 泣く泣く閉店するしかないというときに、もともとパティスのファンだったマリナが彼をナルカミ商会にスカウトしたのだ。

 前世とは比べものにならないほどにこの世界ではお菓子の種類が少なく、それに絶望していたマリナが最初はソラに試行錯誤させて作らせていたのだが、それも限界にきていたので、パティスに白羽の矢を立てのである。

 パティスは期待通りマリナの要望に応え、ソラの助言もあり、次々と前世の菓子を再現してみせたのだ。

 今ではその種類の豊富さときめ細やかなサービスでどの店舗も繁盛しており、パティス自身も一号店の店長にしてナルカミ商会菓子製造部門の責任者を務めているのだった。

 そもそも、ナルカミ商会の物流網も、マリナが世界各地から迅速に食べたいものを集めるために構築されたという、ほとんどの従業員が知らない裏事情があったりする。

 つまり、ナルカミ商会の創設理由のひとつはマリナのワガママだったりするのである。


「新たに開発したお菓子たちもエルシオン中の女性に人気が出てるしね~。苦労して作った甲斐がありましたな〜」


 マリナはさも自分の手柄のように満足げに頷く。


(苦労したのは、主に私たちなんだけどっ)


 ソラはジト目になって妹を見る。

 マリナの舌を満足させるまで、延々と菓子を作らされていたキツイ日々を思い出す。

 それはともかく、日差しが強くなってきているのでソラたちは店に入ることにした。

 喫茶店『シエロ』の室内はとても落ち着いた雰囲気であった。

 内装だけでなく、どの店舗も静かな通りに建てられており、女性客やカップルだけでなく、男性や年配の人にも利用できるようにと配慮したのである。

 ソラたちが一階から指定席がある二階へと上がろうとすると、近くから黄色い悲鳴が聞こえてきた。


「ん?」


 ソラが何事かとそちらを見やる。

 そこにはひとつのテーブルを幾人の女性が取り囲んでいる光景が見えた。

 中央にはどこか見覚えがある二人の若い男性が座っていた。


「あれって、キースとスベンじゃない?」


 すでに階段に足をかけていたマリナがおやっというように言った。

 その二人はソラたちも知る人物だったのである。

 金髪碧眼で整った顔立ちをしており、目の前にいる女性の手の甲にキザったらしくキスをしている男がキース・ランデル。

 それを呆れたように見ている、黒髪の真面目そうな雰囲気をした、こちらも美男子風のスベン・クリフォード。

 マリナが名前で呼んだことからも分かるとおり、この二人とはそれなりに親しい間柄であった。

 二人は元魔導騎士団団長であったソラたちの祖父の薫陶を受けた現役の団員であり、ソラたちともたびたび食事をとったことのある仲だったのだ。

 エリート中のエリートたる魔導騎士団の若手有望株であり、しかもあれだけ男前ならば、それはもてるだろうなあとソラは二人を見ながら思う。


(一応、挨拶しとこうかな。でも、あの中に割って入るのはためらわれるし……)


 とソラがしばし迷っていると、なにやら満足した表情のキースと目が合ってしまった。

 キースは颯爽と立ち上がると、女性たちの輪をするりと抜け、スベンとともに近づいてきたのだった。

 今さら無視するわけにもいかず、ソラは観念して二人が近寄ってくるのを眺める。


「――これは、姫君方。奇遇ですね。お会いできて光栄のきわみです」


 キースはキラリと白い歯を光らせて微笑むと、金髪をフワリとなびかせながらひざまずき、ソラの手を優しくとってきた。

 そして、そっとソラの手の甲に唇を押しあててきたのだった。


「そ、そうだね。本当に奇遇だね、キース」


 ソラは顔が引きつりそうになるのを我慢しながら返答した。

 スカートはどうにか克服しつつあるが、こればかりは一生慣れそうもないな、とソラは鳥肌がたちそうになるのを必死にこらえながら思った。

 キ-スは続いてマリナにも同じように手の甲にキスをする。こちらはさすがに慣れたもので平然と受けていた。

 ソラたちがキースのキザな挨拶を受けている間も、周囲の女性から断続的に黄色い歓声があがっており、その目には羨望と嫉妬の色が浮かんでいたのだった。

 ちょっと昼食を食べに来ただけなのに、この疲労感は何なんだとソラはげんなりとする。


「……それにしても、姫君方は日に日にお美しくなられますね。エーデルベルグの宝石と称えられるのも当然――」


「――そのへんにしておけ、キース。――お久しぶりです。お嬢様」


 キースが歯の浮くような口上を垂れようとしたところ、もうひとりの騎士団員のスベンが遮った。

 こちらはごく普通に挨拶をしてくる。スベンは空気が読める常識人なのである。

 ソラは思わずほっと息を吐いて挨拶を返す。

 続けてマリナも「やっほー」と挨拶した。

 スベンは周囲を軽く見回してから若干呆れたように言った。


「……お嬢様方も相変わらずですね。また、護衛も付けずにここまで来られたのですか?」


 こくり、と揃って頷いたソラたちを見て苦笑するスベン。


「まあ、お嬢様方の実力なら、そこらの悪漢ごとき相手にもならないでしょうが」


 スベンはキースと共に現在でもほかの若手の団員ともども週一くらいで祖父から厳しくしごかれており、たまにエーデルベルグ家の敷地内にある修練場でも鍛錬を行っているので、ソラたちの実力を垣間見たことが何度かあるのだった。

 すると、ふいにスベンが真面目な表情になった。


「……ただ、お嬢様方も気をつけたほうがいいですよ。最近は物騒なことになりつつありますからね。実は……」


 スベンは言葉を止めて、ソラたちの後ろに控えていたパティスに視線を向ける。

 パティスは察したようにひとつ頷いて、


「お嬢様、私はこれより食事の用意にはいりますので、何かご用があったらお申し付けください」


 一礼して厨房の方へと歩いていったのだった。

 ソラは気を遣ってくれたパティスに感謝しながらスベンに向き直った。


「……何か、まずいことでも起こってるの?」


 スベンはキースと一瞬目を合わせてから、「今から話すことは、他言無用に願います」と前置きしてから話し出した。


「実は、魔導士廃絶主義の中でも特に過激として知られている『アビス』という組織がこの頃不穏な動きを見せていましてね。我々も警戒を密にしているところなんです」


 『アビス』という名前はソラも聞いたことがあった。世界中でテロまがいの行為を繰り返している組織で、各国も危険視しはじめているらしい。

 魔導大国エレミアなどは彼らの最大のターゲットになるだろう。


「エルシオン内で工作している痕跡があちこちに見られるんです。……それに、前々から『アビス』と関わりがあると目されていたとある傭兵団の所在が突然つかめなくなりまして。近いうちに何か仕掛けてくるのではないかと上層部もぴりぴりしてますよ」


「近いうちというと……。来月にある元老院議員選定会議だね」


 ソラは考え込みながらポツリと言った。

 数年に一回ある元老院議員の選定を行う場には、エレミア中の有力な魔導士の家長が一同に会するのだ。

 当然、祖父のウィリアムをはじめとした<至高の五家>の当主たちも出席することになる。

 さすがお嬢様とばかりにキースが軽く頷いた。


「私どもも同じ考えです。連中からすればこれを逃す手はありません。そこで仕掛けてくる可能性は非常に高いでしょうね」


「ですから、我々魔導騎士団も憲兵団や情報局と連携して奴らの狙いを探っているんです」


 スベンが続ける。

 それを聞いてソラは合点がいった。

 魔導騎士団の詰め所からも遠いこの店に、なぜ鎧姿のままでいるのかと不思議に思っていたのだ。

 彼ら魔導騎士団の主な仕事は、国際手配されるような凶悪犯の追跡だったり、国内に現れた強力な魔獣の掃討などだ。エルシオン内の治安維持は本来憲兵団の仕事である。

 しかし、今回は事が事なので彼らも動いているのだろう。

 スベンがやや表情を曇らせながら言った。


「……それに、どうも街の有力者に内通者がいるようなんです。なので、お嬢様たちも十分にお気をつけください。今は団長も……いえ、ウィリアム様もおられませんから」


 祖父のウィリアムは現在所用でエルシオンから出ているのだった。 


「とはいえ、捜査は着々と進んでいます。詳しいことは言えませんが、近日中にもお嬢様方に朗報を届けられるでしょう」


 キースが髪をふさりと掻きあげながら、爽やかに締めくくったのであった。

 自分には悩みなんか存在しない、といった態度のキースをソラが呆れて眺めていると、


「……ちょっと~! いい加減にしてよね~!!」


 ソラの背後から、地の底から響いてくるような声が聞こえてきたのだった。

 ソラは「あっ」と思いつつ、背後を振り向いた。

 そこには、マリナが相当おかんむりな様子で階段の一段目に立っていたのであった。


「そんな難しい話は今度暇なときにでもやってよ~! 今はともかくお昼御飯が食べたいの! そして、新作デザートを味わいたいの!!」


 妹はもはや一秒も待てないようだった。

 ソラはやれやれと思いつつキースとスベンに向き直る。


「マリナが爆発しそうだから行くよ。二人とも頑張ってね」


「では、私もご一緒しま……」


 と、さりげなくソラたちについて来ようとしたキースをスベンががしっと掴む。


「お引止めして申し訳ありませんでしたね。キ-スの言葉ではありませんが、連中の尻尾を掴みつつあるのは事実ですから、ご安心ください。――ほら、行くぞキース。昼休憩はもう終わりだ。隊長にどやされるだろう」


「普段からきつい鍛錬と任務をこなしているんだから、たまには麗しの姫君たちと過ごしても罰は当たらないだろう? おまえは昔から融通というものが……」


 キースはなにやら文句を言っていたが、スベンに引きずられるようして店の外へと消えていったのだった。

 ある意味いつもと変わらない二人のやり取りを見送っていたソラだったが、マリナに急かされるようにして二階に上がった。

 二階はより落ち着いた色合いの空間で、あちこちに観葉植物が配置してあった。

 一階に若い女性が多かったのに対して、こちらはさまざまな年齢の人間たちが談笑しており、ひとりで静かに読書を楽しんでいる者も見受けられた。

 ソラたちは二階の最も奥に配置されているテ-ブルへと歩いた。

 ここはテラスのように少し突き出ていて、一種の特別席になっていた。

 いわゆるオーナー特権というやつで、ソラたちが好きなときに使える席なのである。

 ソラとマリナが席に着くと、パティスがすぐに料理を運んできた。

 今日のメニューは喫茶店の定番ともいえるトマトソ-スのパスタであった。ほかに野菜の付けあわせとスープがついていた。

 マリナがさっそく食べはじめる。ぎりぎり淑女のマナーを逸しない範囲ではあるが、そんなに急がなくても……とソラが呆れるくらいの勢いであった。よほどお腹が空いていたらしい。

 マリナが二杯目を平らげ、ソラが食後のアイスティーを飲んでいるとデザートが運ばれてきた。


「おっ! これを待ってたんだよね!」


 マリナは嬉しそうに新作のデザートにとりかかる。

 運ばれてきたデザートは真っ白なレアチーズケーキであった。

 ケーキの上には細かく砕いてある胡桃とミントの葉が置いてある。

 ソラもひと口食べてみる。しっとりとした食感にほどよい甘みが絶妙であった。


「いい仕事してるねえ~!!」


 と、どこかの鑑定家のような感想を述べつつ、マリナは満足気にケーキを頬張る。

 そして、食べ終わらないうちからお替りを頼んでいた。

 パティスは最高の賛辞を受け取ったというように嬉しそうな笑みを浮かべてまた厨房へ戻っていった。

 ソラはデザートを食べ終わり、ぼんやりと窓の外へ視線を向けた。

 少し早く店に着きすぎたせいか、まだ時刻は正午前といったところだ。

 白いカーテン越しに通りを見下ろすと、家族や友人らしい若者たちが昼食をどこでとるか楽しげに相談しているのが見えた。

 先ほどキースとスベンから危険な組織が暗躍していると聞かされてはいたものの、街は平和そのものだ。

 ソラがぼおっと頬杖をつきながら通りを眺めていると、そこにマリナが話しかけてきた。


「――そういえば、お父さんとお母さんって、エルシオン・シンフォニー・ホールに行ってるんだよね?」


「うん。午前から始まった演奏会もそろそろ終わる頃だろうね」


 現在、父のトーマスと母のマリアは二人でエルシオンにあるコンサートホールに演奏を聴きに行っているのだった。

 ソラたちも一緒にどうかと誘われていたのだが、いつも多忙でなかなか二人で外出できない両親に気を遣って遠慮したのだ。

 たまには夫婦でのんびりとしてきてほしいものだとソラは思う。

 それから、再び窓の外に目を向けたときだった。


「……ん?」


 ソラはちょうど店の前を歩いていたひとりの人物に目を奪われたのだった。

 その人物は印象的な赤い髪をした少女であった。

 年はソラの少し上くらいで、まだ学校に通っていてもおかしくないほどだ。

 しかし、その横顔には甘さが微塵もなく、やたらと凛々しい表情をしていた。

 彼女は周りを歩いている男たち同様、年季のはいった外套を着込み黙々と歩いている。

 おそらく冒険者なのだろうとソラは推測した。それならば、あの年齢に見合わない鋭い顔つきにも納得である。

 ただ、それよりもソラを引きつけたのは少女の瞳だった。

 真摯な光を宿したきれいな瞳。同時にどこか焦燥感が見え隠れしている気がする。

 ソラがしばらく赤毛の少女を見つめていると、マリナが不思議そうに訊いてきた。


「どうしたの? お姉ちゃん」


「……いや、ちょっとね」


 ソラは赤毛の少女から視線を外して前を見る。

 すると、そこには口の周りにべっとりとケーキの欠片をつけたマリナが座っていたのだった。

 年相応の姿だと言えなくもないが、とても通算で二十年以上生きている人間には見えなかった。

 ソラは「はあ」とひとつため息をついて、


「ほら、マリナ。口の周りにいっぱいついてるよ。もう少し落ち着いて食べなさい」


「むぐっ」


 ソラは備え付けのナプキンでマリナの口の周りを拭ってあげた。

 ソラが拭い終わると、マリナがにやりといやらしい笑みを浮かべる。

 怪訝な顔をするソラ。


「むふふ……。あそこを歩いている赤い髪の女の子。いかにもお姉ちゃんが好きそうな凛々しいお姉さんタイプだよねえ」


「なっ!?」


 マリナがにまにましながら言った台詞にソラはおもいきり動揺した。

 確かにソラは男だった頃から可愛いタイプの女性よりも、ああいう凛々しいというか男前な女性が好みではあった。

 しかし、なぜ妹がそんな情報を知っているのか。ソラは自分の好みを家族でもぺらぺらと喋ったりはしないのだが。

 マリナはソラの考えていることを正確に読み取ったようだった。


「いや~、これでもお姉ちゃんの妹を二十年以上やってますから。それくらいは当然知ってるんだよん。むっふっふ」


 小悪魔のごとき表情を浮かべるマリナ。

 本当に侮れない妹だとソラは冷や汗を搔く。

 マリナはやたら楽しそうにパティスが運んできた二皿目のデザートにとりかかりはじめていた。

 どうやらこのネタで当分いじられそうだとソラはげんなりしながら外を見る。

 すると、あの赤毛の少女の姿はもう見えなくなっていた。

 それから、マリナがデザートを食べ終わるとちょうど正午になろうとしていた。

 最後にオレンジジュースをずずっと飲み終えたマリナが訊いてくる。


「これからどうしよっか? お姉ちゃん」


「そうだね。腹ごなしもかねて、また少し散歩でもしようかな」


 ソラは軽く伸びをしながら答える。

 とはいえ、日差しがかなり強くなってきている。ほどほどにしたほうがいいだろうと思いつつ、ソラが立ち上がりかけたときだった。

 ドオン!! という大きな音が突然外から響き、店中の窓を凄まじい衝撃が襲ったのだ。


「――――っ!?」 


 店にいた全員が驚きながら立ち上がり、一斉に窓を眺める。

 店員のひとりがトレイに載ったコーヒーカップを落としそうになっていた。

 窓は割れることこそなかったが、まだびりびりと揺れていた。

 ソラはいったい何事かと窓から外の様子を見る。

 すると、わりと店から近い場所でかなりの黒煙がもくもくと上がっているのが見えた。

 マリナもソラの背後から顔を出して外を確認する。


「ど、どうしたの? 火事とか?」


「……いや。もっと大事おおごとみたいだよ、あれは。――ともかく、行ってみよう。そんなに遠くないみたいだし」


 ソラはワンピースの裾をはためかせながら駆け出し、マリナも慌ててついてくる。

 階段を急いで駆け下り、店のドアまで走る。

 すると、厨房から出てきたパティスが背後から焦ったように声をかけてきた。


「お、お嬢様、どこへ行かれるのですか! そちらは危険ですよ!」


「ちょっと見に行くだけだから! あと、昼食とデザートありがとう。とても美味しかったよ。それから、これ預かってて!」


 ソラはパティスに帽子を投げ、マリナとともに通りを東に向けて走った。

 通りには混乱した人間たちがあちこちで右往左往していた。

 ソラはざわついている人間たちの間をすり抜けるようにして走りながら、先ほどスベンから聞いた話を思い出していた。


(……もしかしたら、相手に裏をかかれたのかもしれない。だとしたら、もっと被害が出る)


 ソラは上空を昇っている黒々とした煙を見ながらも不吉な予感がしてならなかった。


 ※※※


 その日の正午。

 エルシオン中を震撼させるテロ事件の幕が上がったのだった。

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