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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
序章 魔法使いのはじまり
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第3話

 場面は冒頭に戻る。

 エーデルベルグ家の広大な庭にある東屋のひとつにて、マリナに呼び出された僕が茫然としているところだった。


 僕はぼんやりと目の前でにこにこしている少女を見る。

 マリナ・エーデルベルグ。今世での妹。

 この世界で『海』を意味する単語から名付けられた名前だが、深みのある青い瞳をよく表していると思う。

 柔らかい金髪などは母親そっくりで軽くウェーブがかかっていた。


 まだ三歳と幼いが、その活動的な性格を惜しげもなく披露しており、以前も木登りしようとして新人のメイドさんが卒倒しかかったほどである。


 ただ、こちらの世界の両親も仕事が忙しいので、僕が使用人たちと一緒に妹の面倒を見ていることが多く、そのせいかとても懐いてくれていた。


 ちなみに、僕はほとんど手のかからない聡明な子だと評判らしい。

 外見はともかく中身は通算で二十年近く生きているので当然ではあるが。

 

 しかし、教えられたことをすぐにマスターし、大抵のことはひとりでこなす上に知識欲から学術書をばりばり読んでいたので余計大袈裟に伝わってしまった気もする。


 もっと子供らしく振る舞うべきだったかと多少後悔しているが、僕にとってこの世界は新鮮味に溢れていて、前世では考えられないような神秘に彩られているので、これは仕方ないと言い訳させてほしいところである。


 そういえば今度、本好きの僕のために父親が街一番の図書館に連れて行ってくれると言っていた。


 ……実に楽しみだな~、あはは~。


「――ちょっと、お兄ちゃん!!」


「はっ!?」


 突然マリナが呼びかけてきて僕は正気に戻る。

 どうも無意識のうちに現実逃避していたらしい。


 改めて妹に視線を向けると、なにやらプンプン怒っていた。


「せっかく驚きと感動のシーンなのに、何なのその無反応ぶりは。てっきり涙を流しながら抱きついてくると思ってたのに。ガッカリだよ」


 僕がなぜ妹から叱られているのかさっぱり理解できないし、あれで感動できるヤツがいたら見てみたいものだと思う。というか、今朝までのあどけない妹はどこにいったのか。

 

「……私だよ。優海ゆうだよ。分かってる、お兄ちゃん?」


「いや……でも……ええっ!?」


 いまだに頭の中が混乱していて状況を上手く把握できないでいると、


「――えいっ!」


「いたっ!?」


 マリナがいきなり僕の額へとデコピンを放ったのだ。

 思ったよりも強い衝撃が頭を貫く。


「何するんだよ! 優海!?」


 額を押さえながら、思わず前世のような口調で文句を言う僕。


「あ……」


「目が覚めた? 私も数え切れないほどお兄ちゃんから受けてるからね」


 懐かしい表情を浮かべながら僕に笑いかける妹。

 それを見た僕はようやく思考がまとまり始めて茫然と問いかける。 


「お前、本当に優海なのか……?」


「だから、そう言ってるでしょ? ……まあ、ビックリするのは分かるけど」


 それなら、もっと打ち明け方というものに気を遣ってくれてもいいのではと思うのだが。


「てか、何でこんなに時間が経ってから言い出すんだよ!?」


 こちらこそ怒ってしかるべきではないのかと憤慨する僕。

 生まれてすぐには無理だが、もっと早くに打ち明けられたはずだ。

 というか、今までずっと隠し通してきたということなのだろうか。とんでもない妹である。


「だって、はっきりと喋れるようになったのはわりと最近なんだもん。小さな幼児にあやふやな口調で言われても訳分からないでしょ?」


「……うーむ」


 言われてみればそうかもしれないが。

 

「でも、他にも手段はあるだろう。文字で書いて知らせるとか」


「読み書きをマスターしたのだって同じくらいだよ。それに、筆談とか何の面白みもないし」


「面白いとか関係ないだろ……」


 怒りを通り越して呆れる僕。

 やはり単に僕を驚かせたかっただけではあるまいなと疑ってしまう。なんせこの妹には前科が山ほどあるのだから。


「そういえば、よく僕のことが分かったな」


 見た目は前世の僕と欠片も似ていないのだ。

 真っ白な髪に青く澄んだ瞳。自分で言うのもなんだがかなりの美形である。

 それに、なにより性別が違う。

 加えて、態度や口調も子供っぽく見えるよう努力していたつもりだ。

 普通は気づかないと思うのだが。


「そう? 私はしばらくお兄ちゃんを観察していたらピンときたけどね」


「……そうなのか?」


「うん。最初は半信半疑だったけどね。確信するまでに時間がかかったし。でも、仕草とか癖が全く同じだし、私がこんな風に生まれ変わってるから、もしかしたらお兄ちゃんも同じなのかもと思って」


「そうか……」


 僕よりもずっと鋭い優海ならば納得できないでもない。


 しかし、僕はここでふと気づく。


「……ということは、お前も死んだってことなのか? あのときに……」


「……たぶん、そういうことなんだろうと思う。ここに別人としているってことは、そうとしか考えらないし」


「…………」


 しばらく二人の間に沈黙が流れる。


 僕は心配しつつも勝手に妹は無事なのだろうと思い込んでいた。

 そうすることで精神の均衡を保っていたのかもしれない。


「でも、こうして生まれ変わったわけだし、悪いことばかりじゃないよ! しかもこんな超大金持ちの家だし! それにファンタジーな世界で面白いし、案外シローさんも私たちみたくどこかで生まれ変わってるかもしれないしね!」


 暗くなった空気を振り払うように妹が殊更明るい口調で言う。


 僕を励まそうとしているのが分かった。気遣ってくれていることが。

 よく考えてみれば妹にも色々と思うことがあるだろうに。


 しかし、急速に膨れあがっていく感情を押さえることができなかった。


「……お前が言うなよな。人がどんなに心配したと思ってるんだ……」


 こんなことを言うつもりじゃなかったのに、結局僕の口からは悪態しか出てこなかった。情けない。


「お兄ちゃんっ!?」


 いつの間にか膝の力が抜けていた僕がへたり込んでしまい、優海が慌ててそばに寄ってくる。

 

 妹は優しく僕の頭を撫でてくれた。


「……ごめんね、お兄ちゃん。だから泣かないで……」


 気づくと僕は静かに涙を流していた。

 役割が逆だろうと思うが、心の底から形容しがたい思いが溢れてきて止まらない。


 突然放り込まれた、知り合いの全く存在しない世界。

 消えない孤独。

 自分は一度死んだのだというショック。

 守れなかった妹。

 もう二度と会えない家族たち。

 安否の分からない親友。

 これからの人生に対する戸惑い。


 ――そして、

 妹もこちらで生きてくれていたのだという安堵感。

 本当の自分を知る人間が存在する安心感。


 これまで押し込めてきたものと新たに生まれた感情とで僕の頭の中は飽和していく。


「……ごめん……さっきはすぐに気づいたみたいなこと言ったけど、私も怖かったんだよ……。もし、否定されたらどうしようって……」


「優海……」


 僕は涙でぼやける視界で妹を見る。

 やはり天真爛漫な彼女とはいえ不安や恐怖を抱えていたのだ。


「……う……うぅ……」 


 いつの間にか優海も泣き始めていた。

 ゆっくりとくず折れると僕に抱きついてくる。


「――ありがとな。生きていてくれて」


「――うん。うん。私もお兄ちゃんが居てくれたから寂しくないよ」


 互いに抱き合って泣き合う僕たち。

 

 そのうち、堰を切ったように二人は大声で泣き出した。

 まさしく見も世もない泣き方だった。こんな形振り構わずに大泣きしたのはいつ以来だろうか。

 

 でも、これまで心の中に溜まっていたものが涙と一緒に洗い流されていく感覚を覚えていた。

 同時にぽっかりと空いていた隙間が埋まるような温かみも。


 一体どれだけ泣き続けたのか、もう自分でも分からないくらいほどの時間が経って、ようやく僕らは泣き止でいた。

 まだ、二人ともしゃっくりが収まらなかったが。

 

 すぐ近くにある妹の顔を見ると、涙やらでべとべとになっていてひどい有様になっていた。

 

 ……いや、僕も人のことは言えない状態なんだろうけど。


 と、僕が苦笑したときだった。

 

「――やあ、ソラ、マリナ。今日もいい天気だね。こういう日は日向ぼっこしたくなるよ。なのに僕は今まで徹夜で仕事をしてきてやっと帰ってきたところなんだ。だから太陽が眩しくて仕方がないよ……。ところで、さっきから騒がしいようだけど、何かあったのかい……って、ええ!? ど、どうしたの二人とも!?」


 徹夜明けのしょぼしょぼした目をこすりながら東屋に入ってきた父トーマスが僕らを見て仰天した。


 それも当然だろう。幼い娘たちが涙に濡れた顔で地面にへたり込んでいたのだから。


「ああ……!! 本当に何があったの!? そんなに悲しくなるようなことがあったの!? パパに話してごらん!!」


 おろおろと僕たちの頭や背中を撫でたり、あるいは涙を拭いてくれたりとせわしい父。


 その父親の慌てぶりに僕らは思わず顔を見合わせて吹き出した。


「え、ええっ!? ど、どうしたの? 今度は急に笑い出して?」


 娘たちのリアクションが理解できないようでトーマスは唖然としていた。


「……いえ、何でもないんです。お父様、心配をかけてごめんなさい」


「うん。大丈夫だよ、パパ♪」


「そ、そうなの?」


 一応二人でフォローするが、トーマスはいまいち納得がいかないとばかりに首を捻っている。


 そんな父を横目で見つつ、僕は随分と胸の内が軽くなっていることに気づいていた。

 思いっきり泣いて笑ったので鬱憤が発散されたのかもしれない。

 そして、この世界に転生してから初めて前向きに生きていくことができる気もしていたのだ。


 そのとき、妹と目が合ったかと思うと、優海はにっこりと笑って言った。


「――これからもよろしくね、お姉ちゃん(・・・・・)


「――うん。こちらこそ」


 僕も笑顔を浮かべてそう返したのだった。



 ※※※



 妹の衝撃的な告白を受けてから数年後。  

 元男子高校生だった鳴神空矢ことソラ・エーデルベルグは十三歳、そして妹の優海ことマリナは十二歳になっていた。

 

 二人は魔導士らしくローブ姿で家の門の前に立っている。背後には豪華な馬車が一台。

 そして、目の前には家族や使用人たちなど大勢の人間が見送りに来てくれていた。

「――ソラちゃん。本当に行っちゃうの~?」


「はい。お母様」


 ソラは目をウルウルとさせている母マリアに手を掴まれて若干困っていた。


「……二人とも、今からでも考え直さないかい?」


 父トーマスも肩を落としている。


 なぜ両親が落ちこんだ表情をしているのかというと、それはソラたち姉妹が冒険者として活動するのを機にエーデルベルグ家から離れるためで、子煩悩を絵に描いたような二人には到底認められないことなのであった。


 だが、もう随分前から決めていたことなのだ。両親の頼みといえどもおいそれと取り止めるつもりはない。


 すると、ソラのもとにまだ十にも満たない幼い男の子が近寄ってきて、


「……ソラお姉様、マリナお姉様。いつ帰ってくるの? 僕、さびしいよ」


 と、悲しそうな顔で見上げてきたので、ソラの心はズギューンと撃ち抜かれた。


「ト、トリスが嫌なら、考え直さなくも……」


「お姉ちゃん。ブレブレになってるよ……」


 マリナの呆れた視線を受けて、ソラはハッと正気に戻った。


(……お、おそるべし! 弟が可愛すぎて中止しそうになったよ!)


 ソラは心を鬼にしてなんとか振り切る。


 そう、この男の子はソラとマリナのあとに生まれてきた最愛の弟なのだ。

 名をトリスといい、さらさらのブラウンの髪に母親とそっくりの瞳をしており、それはそれは可愛らしい男の子なのだ。天使とはこの子のためにある単語なのではと半ば真剣に思うほどである。将来が実に末恐ろしい。

 なので、ソラはもちろん家族たちも甘々状態なのだった。


「トリス。私たちはお祖父様との約束で定期的に帰ってくるから。それまでお母さんたちの言うことをよく聞いて、いい子で待っててね」


「……うん。お姉様、僕いい子にして待ってる!」


「うし! トリスはいい子♪ いい子♪」


 ソラの言葉を聞くとトリスは素直に頷き、その弟の頭をマリナがナデナデする。

 心地良さそうに笑うトリス。 


 その実に保護欲を誘う弟の純粋無垢な笑顔を見ていると、厳格な雰囲気を持つ祖父ウィリアムが目の前にやってきた。


「ソラ、マリナ。私としてはあれと同じ道を歩むことは本来許可できないことだが、お前たちがちゃんと考えて決めたことならば応援したいと思う」


「お祖父様……ありがとうございます」


 ソラは頭を下げる。

 地元どころかこの国でも指折りである名門エーデルベルグ家出身の娘たちが冒険者として正式に送り出してもらえるなどそうそうないことだと思う。

 普段は厳しいが、何だかんだで理解してくれる祖父には感謝だ。

 ちなみに『あれ』とは、同じく冒険者として年がら年中世界のどこかを飛び回っている祖母ウェンディのことである。


「うう。お父様の裏切り者~。けど、二人ともすぐに帰ってきてね。一週間後くらいに」


「マリア様。それではただの旅行と大差ありません。いい加減、あきらめてください」


 ソラと祖父の会話を恨みがましく見ていたマリアが往生際の悪いことを言い、メイド長のアイリーンが呆れながらいさめた。

 確かにこれではトリスよりも聞き分けが悪い。


「はあ~~~。二人とも一度決めたら譲らない頑固なところがあるからね。誰に似たんだか……。この家も静かになりそうだよ」


 おもいっきり溜息を吐いたトーマスだったが、ふといつもの笑顔に戻った。


「――でも、せっかくの門出だ。湿っぽいのはここまでにしようか。ソラたちはまずホスリングに向かうんだっけ。母さんのお見舞いも兼ねて」


 ソラは頷く。

 少し前のことだが、父方の祖母であるクロエが怪我をしたと聞いたので様子を見に行こうと決めているのだ。

 それに、孫として久方ぶりに顔を見せるのもよいだろう。

 ソラたちが生まれ育った街――エルシオンからホスリング町までは馬車で数日というところだ。


「……ふう。みんなしてすっかり見送り準備完了みたいになっちゃって。……ソラちゃん、マリナちゃん、怪我や病気には気をつけるのよ。お義母様にもよろしく伝えておいてね」


 ようやく観念したマリアがソラたちを抱きしめる。


「――それじゃあ、行ってきます」


「じゃあね~みんな! 行ってきま~す!」


 ソラとマリナは皆に手を振りながら馬車へと向き直る。

 これから二人はすでに乗り込んでいる同行者ひとりを加えて旅に出るのだ。


「……あの、マリナ。今更なんだけど、本当についてくるの? ていうか、まだ学生だよね」


「本当に今更だね、お姉ちゃん。いつかも話した気がするけど、同じ道に進みたいな~みたいなこと言ったでしょ? それに、せっかく貰った二度目の人生なんだから、姉妹で仲良くいこうよ」


 調子のいいことを言って笑う妹にソラもあれこれ考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。


「さて! いよいよ、私の初めての冒険だね。楽しみ~♪」 


 スキップでも踏むような軽やかな足取りで馬車へと乗り込むマリナを眺めながら、ソラは妹の言葉を心の中で反芻はんすうしていた。

 それは冒険者になった理由の一端でもあるのだから。


 この世界に転生して二度目の人生を生きること。

 特殊な体質ゆえ会得するに至った能力のこと。

 

 他にも気になることはあるが、これらに果たして意味があるのか、それを問うための旅でもあるのだ。


(……でも、まあ)


 今は妹の言うとおり、難しいことは考えずに楽しんでいこうと思う。

 単純にこの世界を見て回りたいという願望もあるのだから。


 ソラはそう思いながら一歩を踏み出したのだった。

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